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黎明媚態

露出系、羞恥系の18禁小説を書いています。関連の同人・版権作品のレビューも書きます。18歳以下の閲覧禁止。

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第七章 1


 それは――真正面から正々堂々と現れた。

 深い深い森の中。
 生い茂る梢によって、本来頭上から差し込むべき光は遮られ、昼間でも鬱蒼としている。
 そんな森の中を、茂みに密かに隠れることもせず、木々を素早く伝うわけでもなく。
 まるでそれが当然のように堂々と。
 森の中に歩むべき道があると言わんばかりの、力強い足取りで前へと進んでくる。

 その異様な光景に、違和感を覚えなかったかと言えば否だろう。

 それが森の中にいること自体がおかしなことなのに、それ以上にその態度は奇妙だった。
 ほんの一時間前、為す術もなく己に押し潰されていた存在と同一個体だとは思えない。
 それの前に立ちはだかりながら――大鹿は違和感を押し殺し、それを観察する。
 現れた大鹿の姿を見て、一枚の白い布を胴体に巻いただけの姿をした人間の女性は、一瞬身体を竦ませ、しかしすぐに背筋を伸ばして彼と対峙した。

 彼女――清澄聖羅の瞳が、確かな意思を持って大鹿を見据える。

 大鹿は聖羅から圧のようなものは一切感じていなかった。
 神々の加護を得ているゆえに、どれほどの魔力を有しているかも感知できない。そういう意味での異様さはあったが、脅威に感じることなど何もない。
 一時間前と同様、地面に叩きつければそれで終わる。
 ゆえに、大鹿は即座に動いた。聖羅が瞬きするほどの間に、蹄が届く位置まで移動し、前脚を振り上げる。
 その段階に至っても、聖羅は反応できていなかった。

 だから、大鹿は彼女が囮であると確信していた。

 森の中で大鹿の知覚能力は森を通じて広がっている。
 例え隠蔽の魔法を使おうと、攻撃のために動けば大鹿には必ずわかるはずだった。
 聖羅を攻撃する隙を狙って、仲間の人間達や死告龍が必ず攻撃してくるはずだと、彼は読んでいた。
 ゆえに、聖羅に向けて蹄を振りかぶりながらも、周囲の警戒は一切怠っていなかった。
 一切の油断なく、いつでも回避行動を取れるように備えていた大鹿。

 だが、蹄を振り下ろし始めても、周囲から敵が跳びだしてくることはなかった。

 反射魔法によって引き延ばされた思考の中で、大鹿は考える。
 どうして他の者が出てこないのか。聖羅は本当に囮なのか。
 何か見落としていることはないか。
 考え、考え、ひたすら考えても答えは出ない。
 森を通じて広がっている感覚に引っかかるものは、依然ない。
 ならば、大鹿が行うことはただひとつ。
 まずは目の前の聖羅を地面に叩き伏せ、埋めて完全に無力化してしまうこと。
 それはとても容易いこと――のはずだった。

 大鹿はとてつもなく重い反発を前脚に受け、思わず仰け反った。

 一時間前と同じく、聖羅の頭部を狙った大鹿の一撃。
 先ほどはその勢いのまま聖羅を砂に埋めることに成功したのが、今回は逆に大鹿の方が凄まじい衝撃を受けて吹き飛ばされそうになった。
 周囲の警戒に幾分かの意識を割いていて、全力でなかったことが功を奏した。
 もし本気で聖羅を殺そうと蹄を振るっていたら、その反発によって大鹿の前脚はへし折れていたことだろう。
 大鹿は接近した時と同様、目にもとまらぬ早さで後退する。
 今度こそ周囲から聖羅の仲間が攻撃してくると思ったためだ。

 しかし、相変わらず周囲から敵が接近してくる様子はない。

 いまの接触の瞬間、大鹿には確かな隙が生まれていた。
 あっさり倒せると思っていた相手からの思い掛けない反撃を受け、いかに大鹿といえど、驚愕に心が染まった。
 もし攻撃を仕掛けるのであれば、千載一遇の好機だったはずである。
 だが現実には攻撃を仕掛けてくる者はおらず、どういう理屈か大鹿の攻撃を防いでみせた聖羅自身も、攻撃を仕掛けて来る様子はない。
 ただ、その場に立ち続けている。否、その口が動いた。

「鹿さん。私の話を聞いていただけませんか?」

 恐怖がないわけではないはずだ。
 大鹿の巨躯は人の身には小山のように見えているはずで、それが友好的ならともかく、相手の命を奪わんと敵意と殺意を撒き散らしている。
 神々の加護があったとしても、本能的な恐怖というものは変わらない。
 それでも、微かに震えていながらも、聖羅はまっすぐに大鹿の瞳を見ていた。
 彼女の瞳には、自分の役割を果たそうとする決意があった。
 そしてそんな瞳を、大鹿はよく知っていた。

 それは――己の瞳と同じだったから。




――少し時間は遡る。

 大鹿の襲撃を受けた五人と一頭。
 激戦を繰り広げたものの、死者は出ずに済んでいた。だが、無傷で退けられたわけでもなく、五人と一頭は大きな損害を被っていた。
 テーナルク、ルレンティア、アーミア、そして死告龍・リュ-。
 戦闘でも平時でも頼れる三人と一頭が負傷、もしくは消耗し、頼れなくなった時、それによってかえって聖羅の覚悟は固まった。
 砂浜に乗り上げた水上拠点の建物の中で、負傷度合いの高いテーナルクとアーミアは横になり、彼女たちの世話をバラノが焼いていた。
 感知能力の高いルレンティアは、痛む身体をおして入り口脇に見張りとして座り込み、そのルレンティアの傍に、消耗して蹲るリューを抱えた聖羅が座っている。

「……いまのところ静かだけど、いつまた来るかわからないにゃ」

 砂浜の向こうに広がる森を見ながら、ルレンティアが呟く。
 その口から小さな息が零れた。傍に座っていた聖羅にしか聞こえない吐息だったが、そこに疲弊感が籠もっていることを感じた聖羅が、心配そうに声をかける。

「ルレンティアさん、休まなくても大丈夫ですか?」

 その質問に対し、ルレンティアは苦笑で応じた。

「正直辛いけどにゃ。ボクは普通の人間よりは丈夫だから平気だにゃ。……せいらんのほうこそ大丈夫なのかにゃ?」

「……私は大丈夫です」

 絶対防御の神々の加護を持つのだから、それは当然のことだった。
 だが、ルレンティアは皮肉気味に笑う。

「にゃはは、なるほどにゃ。せいらんは嘘が吐けるのに嘘が下手なんだにゃ」

「…………」

「さっき雷撃を受けたあと、少し足下がおぼつかなくなってたよにゃ? 完全に防げていたなら、そんなことはないはずにゃ」

「…………はい、そうですね」

 誤魔化せないと判断したのだろう。
 聖羅は素直に認めた。

「でも不思議だにゃ。死告龍様のブレスも防ぐ神々の加護を、あの雷撃程度が貫通したということになるにゃ」

 程度とはいうものの、魔法で防御を固めたテーナルクを瀕死に追い込むほどの威力であり、侮れるものではない。
 あの雷撃程度、というのは単に死告龍のブレスとの比較での話である。
 そのことは聖羅も同意なのか、自分の手を見つめた。

「そう、ですね……魔法や加護の原理を知らない上での推測ですが……テーナルクさんを守ろうとしたから、ではないかと」

 聖羅の推測を聞き、ルレンティアはなるほど、と手を打った。

「てーなるんの負傷度合いが比較的軽くて良かったと思っていたけど、そういうことだったなら納得にゃ。着用者の意思に従って、てーなるんにも少しだけ加護がもたらされたのかもにゃ。ただ……」

 ルレンティアは言うべきか少し迷った後、結局言うことにしたようで、口を開いた。

「あまりそれは使わない方がいいにゃ。特にせいらんは魔法でさえ扱う経験がないにゃ。加減を間違ってしまったら……」

「……そうですね」

 ルレンティアは最後まで言わなかったものの、その結論は聖羅にもわかっていた。
 今回は多少身体が痺れる程度で済んだが、もっと聖羅本人の防御が緩んでいたら。
 魔法に抵抗力を持たない聖羅は、死んでいてもおかしくはなかった。

「神々の加護についてはボクたちにもわかっていないことが多いけど……ある程度の制御が利くというのは知らなかったにゃ。せいらんも無自覚だったんだよにゃ?」

「はい。リューさんやヨウさん……私を守護してくださっている大妖精さんと、このバスタオルの加護がどういうものか、色々と試してはいたんですが……他者に付与できるかということに関しては全く想定もしていませんでした」

「なるほどにゃあ…………その辺は、軍事国家のザズグドズ帝国さんなら、もっと細かく検証しているんじゃないかにゃ?」

 そう揶揄するようにルレンティアが言うと、負傷したふたりの世話を焼きつつも聞き耳を立てていたらしいバラノがふたりの元にやってきた。

「そうですね。我が国にも神々の加護を宿した武具や防具はいくつかありますから。検証していないわけがありません」

「その辺、話せることはせいらんに話しておいてあげた方がいいんじゃないかにゃ?」

 自分は聴かなくてもいい、ということを示すように、ルレンティアは頭の上の猫耳をぺたんと寝かせる。
 そんなルレンティアの気遣いに対し、テーナルクは淡々とその場で話を続けることで応えた。

「残念ですが、セイラさんが持つバスタオルほどの加護を宿した装備は我が国にはありません。ゆえに参考にはならないと思います。ただ……平時の実験と、戦時の実践では加護の効果がまるで違うという事実はあります」

「それはやっぱり、神々の加護には着用者の意思が関わっているということかにゃ?」

「間違いなく関わっているでしょうね。そうでなければ、説明がつかないことが多いですから。ただ、他者に加護を移せるかについては、不明です。参考になりそうな実験としては、両手に剣を持ち、加護を持たない方の剣に、もう片方の剣の加護が乗るかというものがありますが……」

「どうなったんですか?」

「そもそも、両手に剣を持った時点で加護が弱まってしまったのです。もちろん、もう片方の剣に加護が乗ることはありませんでした。二刀流の剣士が持てば加護の減少は抑えられたようですが、加護を別の剣で振るうことはやはりできなかったのだとか」

「その話だけでも、神々の加護に使用者の意思が反映されるっていうのは間違いじゃなさそうだにゃ」

「ただ、武器と防具という違いは大きいですからね。防具に関してはアーミア様の方がお詳しいのでは?」

 バラノが水を向けると、話を聞いていたらしいアーミアが身体を起こして応じる。

「緊急事態だから喚びだしたけど、本来この『神聖法衣』は儀式用のもの。戦闘に使われることはほぼなかったし、実験もほとんどされていない」

「そうなんですか? 服を喚びだして着替えるのに慣れていらっしゃったようですが……てっきり、そういった練習をされているのかと思っていました」

 聖羅は何気なくそう呟いた。
 最初に迷い込んだ森の中で、巨大な花型の魔物に掴まりそうになった際、アーミアは『神聖法衣』を呼び出すと同時に、元々着ていた服を脱ぎ捨てていた。
 それは実に素早い着替えであり、何度もそういったことをしていた経験があったのだろうと聖羅は考えていたのだ。
 聖羅の指摘を受け、アーミアはなんとも形容しがたい微妙な表情をする。

「……それはまた別の理由」

 彼女が服を呼びだして即座に着替える、という動作に慣れている理由は、守護亀グランドジーグと対話する儀式の後、狙ったかのように毎度現れるヘルゼンという青年神官のせいである。
 『神聖法衣』はその性質上、下着の上から半透明の衣服を身につけているのと変わらず、年頃の女性であるアーミアはそれを身に付けた姿を異性に見られることに羞恥心を覚える。ゆえに、素早く服を着替えるという技術を体得する必要があった。
 ただ、そのことを説明するのは身内の恥を広めるようなものだ。
 そのため、アーミアは言いたくないという気持ちを言外に乗せて、言葉を濁して応えた。
 しかしアーミアはふと、何度忠告しても儀式の後に現れることをやめないヘルゼンが、本当に考え無しでそうしていたのかを疑問に感じた。

(まさかヘルゼンは……こういう状況を案じて……? いえ、まさか……ね)

 異界に飲まれた直後、触手型の魔物に不意を突かれた時、アーミアは無防備な状態で身体を締め上げられ、危うく死にかけた。
 そのことからもわかるように、例え『神聖法衣』という切り札を持っていたとしても、喚びだしてすぐ着替えることができなければ、その防御力は発揮されない。
 実際早着替えに慣れていなかったら、巨大花の魔物に襲われた際、『神聖法衣』を身に付けるのは間に合っていなかった。
 ヘルゼンが何度も叱ってもやって来ていた理由は、そういった有事の際のことを考えていたためかもしれない。
 さすがに考えすぎかとアーミアは首を振っておかしな考えを振り払った。

「ともあれ、神々の加護はとても強力ですが不確定要素も多いものですから……それを軸に作戦は考えられませんね」

 話を総括して、戦略家としてバラノはそう告げる。
 それは妥当な結論であり、ルレンティアやアーミアはそれに同意する。
 だが、それに異を唱える者がいた。

「いいえ、バラノさん。私からひとつ、提案があります」

 神々の加護を宿すバスタオルを身に付けただけの存在――清澄聖羅。
 彼女は意外そうに自分を見る三人の視線を感じつつ、端的に自分の考えを告げた。

「私独りで、あの鹿さんと話をして来ようと思います」

つづく

露出旅行記 温泉街道編 2


 エミリさんの舌技に踊らされ、温泉街の裏路地でディープキスを交わした私たち。
 ひとしきり身体の熱と唾液の交換を行った私たちは、絡み合うようにして寄り添っていた。私はエミリさんの身体に寄り掛かるようにして、乱れた呼吸を必死に整える。
 さすがというべきか、エミリさんの方はまだ余裕があるみたいで、ちゃんと周囲にも気を配っているのがわかった。
 だから安心してエミリさんに身体を預けていたのだけど。
 そのエミリさんの脚が私の脚の間に差し込まれ、脚を閉じられないようにされた。
 そして、元々濡れていただろうに、ディープキスの刺激によってより濡れてしまった私の秘所に――エミリさんの指が入り込んでくる。
「はふっ……」
 思わず身体を跳ねさせて反応してしまった私に対し、エミリさんは楽しそうな笑みを浮かべていた。
「うふふ……うん、十分濡れたわね。ルミナちゃんの中……すっごくぬるぬるして……温かいわよ」
 そこを弄りながら、耳元でエミリさんが囁く。熱の籠もった息が耳にかかって、ひどくこそばいというか、背筋にぞくぞくとした快感が走った。
 その感覚に溺れかけたのも、刹那のこと。

 ひやりと冷たいものが、私のあそこに触れてきた。

「ひゃっ!?」
 思わず少し大きな声をあげてしまい、いまいる場所を思い出して慌てて口を噤む。
 自分の股間を見下ろせば、浴衣の裾を開けさせたエミリさんの手に、射的屋さんで取った景品のひとつである剣玉が握られていた。
 エミリさんは糸で本体に繋がっている玉だけを手にしていて、本体は糸でぶら下がっている。
 少し予想していたことだったけど、その持ち方をしていることで、どうするつもりかわかってしまった。
「ま、まさか……その玉を……」
「これだけ濡らせば、十分かしら?」
 私のあそこから零れる愛液を、剣玉の玉に馴染ませているエミリさん。
 そして十分に濡らしたその玉を。
 私の割れ目に押し込んだ。
「ひゃう、ぅ……っ!」
 小さな剣玉とはいえ、玉の直径はそれなりにあったからかなり圧迫感がある。身体の中が押し広げられる感覚が凄まじい。異物感が強く、私は思わず脚の間に差し込まれたエミリさんの脚を強く挟み込んでしまった。
 エミリさんはそんな私の反応を楽しげに眺めている。
「ルミナちゃん、いい反応ね……でも、これだと少し不安かしら」
 言いつつ、エミリさんがぶらさがっていた剣玉の本体の方を手に取った。
 糸を通じて私の身体に入れられた玉が引っ張られて、ずるり、と身体の中から抜けてしまう。糸によって垂れ下がった剣玉の球から、愛液が垂れて地面に落ちる。
「……やっぱり、抜けちゃうわね……こっちの方がいいかしら?」
 そういって再び剣玉の玉を手に取ったエミリさんは、今度はそれをお尻の穴の方に押し当ててきた。
「そ、そっちは……っ」
 プレイの嗜みとして、毎日綺麗にしているとはいえ、綺麗にしてから少し時間が経っている。そんな感じはしないけど、もしかするとすでに便が降りてきているかもしれず、汚いと思った。
 けれど、エミリさんは躊躇鳴く、愛液塗れになった指を私のお尻の穴に差し込む。排泄する場所から何かが入ってくるという感覚に、思わず悲鳴が零れる。
「大丈夫そうね」
 素知らぬ顔でいうエミリさん。
「え、エミリさん……っ」
 さすがに強引すぎる、と軽く睨み付けると、エミリさんは微笑みながら謝った。
「ふふっ、ごめんなさい」
 謝りつつも、エミリさんの行動は止まらず、剣玉の玉が肛門に押しつけられる。
「軽く力んでちょうだい?」
 言われるままに肛門に力を入れてしまうのは、私がエミリさんに甘いからだろうか。
 それとも、エミリさんの指示に思わず従ってしまうように、巧妙に躾けられてしまっているからだろうか。
 どうあれ、私はエミリさんの指示通りに、出す時のように肛門に力を入れ――

 剣玉の玉が、括約筋を押し広げる一瞬の感覚の後、その玉を肛門の中に飲み込んでしまった。

つづく

露出旅行記 温泉街道編 1


 エミリさんの指が、私の中に入ってくる。
 こういうプレイをすることを前提としている私たちは、常に爪を短く切り、ヤスリで丁重に整えている。だからそういう意味での心配はしていなかったのだけど。
「エミリ、さ……っ、こんな、ところで……っ」
 温泉宿街の裏路地は滅多に人がくるようなところではないけど、数メートル離れた表通りにはそれなりにたくさんの人が行き交っている。
 いつこの裏路地に人が迷い込んで来るかわからず、私は気が気でなかった。
 見つかったらどうするつもりなんだろう。
 エミリさんは私の正面に立っているので、エミリさん自身が壁になってはくれているけども、明らかに不自然な状態なのは見てわかるはずだ。
 けれど、エミリさんはそんな私の反応をこそ楽しんでいるようで、浴衣の裾から忍び込ませてきた手で、私のあそこの状態を確かめて来ていた。
「うーん、これ以上ルミナちゃんのここを刺激する必要は無さそうね?」
 悪戯好きの子供のような笑みを浮かべて、エミリさんがそう耳元に囁いてくる。
「うっ……」
 エミリさんに指摘されるまでもなく、私は自分のそこが十分な湿り気を帯びていることに気付いていた。射的屋さんで散々恥ずかしい思いをさせられて、私の身体は反応してしまっていたのだ。
 だからエミリさんが一度指を抜いて、その指の間に糸が引いているのを見せつけられると、その感覚が確かだったことを改めて突きつけられ、顔が赤くなるのが自分でもわかる。
 エミリさんはそんな私の顔を見て、蕩けるような笑顔を浮かべたかと思うと。
「んっ」
「むぅっ!?」
 いきなり唇を合わせてきた。意識を下に向けていたので、ほとんど不意打ちのようなものだ。エミリさんは私の口の中に舌を伸ばしてきて、どろりとした唾液が絡んだそれを私のものに絡めてくる。
 それがとても熱くて、私の脳を痺れさせ、正常な思考力を奪ってくる。
「んんっ……んぁ……」
 いつ人に見られてもおかしくない状況であるというのに、いや、だからこそ興奮は高まり、いつしか私の方からもエミリさんの口内に舌を伸ばしていた。
 しばし戯れたかと思うと、私を弄ぶようにエミリさんの舌が逃げていく。
「あっ……」
 思わず、舌を身体の外まで伸ばし、エミリさんのそれを追いかけてしまう私。
 はしたなくも伸ばした私の舌を、エミリさんは優しく口の中に迎えてくれた。
 どろりとした情欲がエミリさんの瞳の中に見える。

 それはもしかすると、エミリさんの瞳に映った私のものだったのかもしれない。

つづく

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第六章 おわり


 ルレンティアは獣人である。
 ゆえに、彼女は動物的な直感に優れており、本能的に物事を判断することに長けていた。

 そんな彼女は、現れたその大鹿を一目見て――勝てない、と悟った。

 フィルカードの王族であるルレンティアは、他の国の王族に比べても、様々なことをひとりで出来るように鍛えられている。
 その様々なことの中には、当然戦闘も含まれており、元々肉体的にも優れた獣人であるルレンティアは、下手な戦闘専門の人間よりも強いのは確かだ。

 だが、その彼女をして、大鹿は明らかに勝てない相手だった。

 その研ぎ澄まされた肉体美にうっかり見惚れてしまいそうになるほど、その大鹿の身体能力は明らかに高かった。
 さらにその内包する膨大な魔力量は、少し距離が離れている状況ですら明瞭に感じるほどだった。
 そんな大鹿の巨大な角に、青白い雷光が灯る。

「――ルレンティア!」

 そう叫んだのは、アーミアだった。
 戦力差を誰よりも正確に理解したがゆえに、大鹿の迫力に飲まれていたルレンティアがその叫び声で正気に戻る。
 彼女は大鹿の行動に反応し、五人の足下に魔方陣を展開していた。
 杖を地面に突き刺し、渾身の魔力を注いでいるのがわかる。
 展開された魔方陣が光り輝き、半透明の白いドーム状の結界が五人を覆った。

 その結界に向け、大鹿の角から迸った雷撃が叩きつけられる。

 雷撃は結界にぶち当たり、轟音が生じた。
 一瞬で結界にヒビが入って、伝播した衝撃が術者を襲い、アーミアがその場に膝を突く。
 杖が激しく震動していた。それを抑え込むようにアーミアは杖を握り続ける。
 その掌から血が噴き出した。

「ぐっ……ッ!」

 アーミアの口から押し殺した呻き声が漏れる。その口の端から血が一筋零れた。
 雷撃の嵐は数秒続き、唐突に止んだ。
 それと同時に、アーミアの張った結界が砕け散る。
 大鹿は鼻息荒く、苛立っているのを隠そうともせず、その場で蹄を地面に叩きつけた。
 角に宿っていた雷光は消えている。

「……ッ、さすがに、無尽蔵ではないよにゃ!」

 ルレンティアはそう分析し、斜め前に向かって駆けだした。
 固まっていては再度雷撃を撃たれた時にその一撃で全滅する。まっすぐ走らなかったのは、少しでも大鹿の意識を散らすためだ。
 同時に、攻撃魔法の詠唱を終えたテーナルクが、掌に宿した火球を大鹿に向けて投げつける。
 火球はうなりを上げて空を駆け、大鹿の胸の辺りに着弾した。
 だがテーナルクは悔しげに呻く。

「だめ、ですわ……!」

 大鹿の体表面を多少焦がした程度だった。
 火球の威力は申し分なかったが、大鹿の身体には常に電撃が流れている。
 火球が大鹿の身体に接する前に、その電撃が走って爆発させられていたのである。
 それは、ルレンティアの機動力を活かした突撃も封じていた。

(下手に近づけば電撃の餌食……にゃら!)

 ルレンティアは渾身の力で掬い上げるように腕を振るい、砂浜の砂を盛大に舞い上げた。
 砂浜の細かい砂粒が大鹿へと襲いかかる。身に纏う電撃が砂粒に反応するが、すべてを撃ち落とせるほど、襲いかかった砂粒は少なくない。
 大鹿は視界を遮られるのを嫌ってか、素早くその場から横っ飛びで逃れた。一瞬で十数メートルは跳び、砂粒がかからない位置まで移動する。
 その隙にルレンティアは森の中に身を潜めようと走った。

 だが、森に入る寸前で思いとどまる。

 ルレンティアの侵入を拒むように、植物の蔦が蠢いているのを見てしまったからだ。
 直感に優れたルレンティアでなければ、気付かずそのまま森の中に入り、蔦に脚を取られていたことだろう。

(くっ……! あの触手型の魔物と違って、植物自体に意思があるようには感じにゃい……ということは……!)

 ルレンティアは砂埃の向こうにいる大鹿を睨む。
 大鹿の眼は、砂埃越しでもルレンティアを見据えるように、爛々と光っていた。
 その様子から核心に至ったルレンティアは、絶望的な気持ちになりながらも、情報を共有する。

「あいつ、植物も操るにゃ!」

「なんですって!?」

 テーナルクが絶望的な顔をして叫ぶ。
 それは無理もないことだった。開けた砂浜で遙か格上の相手と対峙するほど、絶望的なことはない。
 森の中に入ることができれば、死角からの強襲を狙うことも出来るが、身を隠すことの出来ない砂浜ではそれも望めない。
 植物を操るのであれば、森の中に逃げるのは自殺行為だ。
 かといって、水上拠点に乗って逃げようにも、射程外に逃げる前に、巨大蜘蛛のように雷撃をお見舞いされてしまうだろう。

(詰んでるにゃ……!)

 改めて絶望的な状況を実感し、ルレンティアが思考を止めたのは一瞬。
 その一瞬で、大鹿が彼女の目の前まで迫っていた。
 近づかれたことで、大鹿の身に纏う電撃が走り、ルレンティアの身体を硬直させる。
 大鹿の振り上げた前脚の蹄が、逃げられない彼女に振り下ろされようとしていた。

(しまっ――)

 死を悟ったルレンティアの眼に、大鹿の振り下ろす蹄がスローモーションに映る。
 その彼女の身体を、真横から飛んできた空気の塊が突き飛ばす。わずかに位置がずれたことにより、大鹿の振り下ろした蹄は外れ、砂浜に巨大なクレーターを作りながら衝撃波を周囲にまき散らした。
 ルレンティアはそれに巻きこまれ、きりもみ状態で吹き飛んだが、負傷度合いは軽い。

 見れば、バラノが肩で息をしながら、手を翳していた。

 バラノは戦闘員ではなく、魔法も得意な方であるとは言いがたい。しかし使えないわけではない。
 彼女が翳した手には小さな魔石があり、それが砕け散っていた。
 彼女自身の魔法は弱いものだが、魔石の力を使って増幅させ、ルレンティアを突き飛ばすほどの威力にしたのだ。
 万が一の切り札として、バラノが密かに持っていたものだ。
 素の対応力に劣る彼女が、そういった仕込みをするのは当然である。

(助かったにゃ! ――けど!)

 ルレンティアの命は助かったが、大鹿に影響を与えられたわけではない。
 大鹿は砂浜に埋まった蹄をこともなげに抜き、ぐるりと身体を反転させてバラノたちのいる方向を見る。
 その四肢に力が籠もり、バラノもろとも蹴散らそうとしているのがわかった。

「まずい……っ! こっちだにゃ!」

 咄嗟にルレンティアは魔法を用いて、拳大の石を生成し、いくつか大鹿に向けて放った。
 だが、相手をするに値しないと判断されたのか、大鹿が身体に纏う電撃が自動的にそれらを迎撃し、大鹿自体はバラノたちの方へ向いたままだ。
 同様に少し移動していたテーナルクも攻撃魔法を放つが、自動迎撃されて大鹿の気すら引けなかった。
 止められない、とふたりが思うのと、ほぼ同時に。

「鹿さん! 待ってください!」

 聖羅がバラノよりも前に出ながら、彼女を庇うように両手を広げ、そう声を張り上げた。抱えていたリューは先ほどまで立っていた場所に降ろしている。
 彼女は神々の加護が宿ったバスタオル一枚で、絶対防御の効果こそあるが、攻撃手段はない。
 ゆえに声をかけることしか出来ないのだ。
 そして大鹿は、そんな彼女の呼びかけを聞き――

 一瞬で距離を詰め、その身体に向けて前脚の蹄を振り下ろした。

 蹄は聖羅の後頭部を抑え、そのまま真下に降ろされたため、聖羅は上半身を砂浜に埋めることになった。
 容赦のない一撃であり、普通の人間ならば熟れた果実の如く頭の中身をぶちまけていたところだ。
 加護を持つ聖羅ゆえに、頭が潰れることはなく、負傷することもなかった。
 ただ、彼女自身はただの人間であるため、上半身が砂浜に埋められ、呼吸が出来なくなったために下半身をばたつかせて暴れる。

 あられもない姿ではあるが、そんなことを気にしている余裕は、本人にも他の四人にもなかった。

 一方、大鹿は大鹿で、潰すつもりで蹄を叩きつけたにも関わらず、聖羅が潰れていないのに戸惑っているようだった。
 再度蹄を振り上げるべきか、そのまま砂の中に埋めてしまうか考えているようだ。

 その巨体が、横薙ぎに吹き飛ばされる。

 一瞬で距離を詰めたリューが尾で大鹿を吹き飛ばしたのだ。大鹿はもんどり打って砂浜に倒れ込み、水柱ならぬ砂柱を立てる。
 リューは小さな身体からは想像できないほど、激しい威嚇の咆哮をあげて大鹿に追撃を行う。
 口内が黒い光に溢れ、即死のブレスが大鹿へと放たれた。

 だが大鹿もさるもの。

 即座に体勢を立て直し、砂浜を蹴ってブレスの範囲外へと逃れる。
 大鹿が後退しながら角を振ると、雷光が丸まって出来たような球体がいくつも中空に発生し、その球体からトゲが伸びるように雷撃が発生した。
 襲いかかる雷撃を、リューは紙一重で避け、大鹿へと再度ブレスを放った。
 大鹿は胴体と同じくらい大きな角を用いて、砂浜の砂をひっくり返すように巻き上げる。ブレスは巻きあげられた砂を物ともせず貫いたが、その先に大鹿はいなかった。
 一瞬、相手を見失ったリューが視線を巡らせる。

 そのリューの頭上から、大鹿は降ってきた。

 巻きあげた砂に紛れて跳んだのだ。
 巨体であることを逆手に取った、意識の外からの攻撃。
 直前で気付いたリューが、振り下ろされた大鹿の蹄を角で受けとめる。
 轟音が周囲に響き渡り、衝撃派が砂を押しのけながら、二頭を中心に広がった。
 怪物同士の戦い。人が巻きこまれればただではすまない攻防の嵐の中、テーナルクが砂に埋もれた聖羅を救出する。

「セイラさん! しっかりですの!」

 砂に埋もれて呼吸が出来ていなかった聖羅は、激しく咳き込み、口の中に入った砂を吐き出した。

「げほっ、げほっ! な、なんとか大丈夫です……」

 テーナルクが聖羅に手を貸し、立ち上がらせている間も、戦いは続いていた。
 広範囲に広げられた雷雲が渦巻き、そこから無作為に雷撃が落ちて砂浜の至るところにクレーターを生じさせる。リューのブレス並みの広範囲攻撃だった。
 聖羅はそのうちの一本が、自分たちの頭上で渦巻いているのを見てしまう。

(まずい……! 私はともかく、テーナルクさんが!)

 聖羅は咄嗟に、テーナルクの腕を引き、胸に抱き締めるようにして彼女を庇った。
 守らなければと感じたがゆえの、咄嗟の行動。
 その聖羅の背に、雷が直撃した。
 衝撃が彼女の身体を通じて足下に抜け、ふたりの立っていた場所の砂を舞い上げる。

「せいらん! てーなるん!」

 青ざめたルレンティアが悲鳴をあげる間にも、大鹿とリューの激闘は続く。
 リューが大鹿の胸元に蹴りを入れ、大きく吹き飛ばす。そこに追撃のブレスを吐いた。
 大鹿はそれを素早く後退することで回避する。
 本来のリューの体格であれば回避が難しいほどに極太なブレスとなるのだが、現状のリューの体格では十分回避可能なブレスしか放てないのだ。

 だが、それでも即死範囲攻撃が連発可能という事実は変わらない。

 連続でブレスを放ち、徐々に大鹿の逃げ道を塞いでいく。
 いよいよブレスが大鹿を捉える、というところで、溜まらず大鹿が森の中へと退いた。
 木々という遮蔽物が多い場所ならばさらに回避の目はあがるのだから、判断は間違っていない。
 それでもリューのブレスならば、木程度の遮蔽物など関係なく穿つことが出来ただろう。

 だが、リューはブレスを撃たなかった。

 大鹿はこれ幸いとばかりに森の奥へと逃れていく。
 もう少しで大鹿を仕留められるところだったはずのリューは悔しげに唸り、ゆっくりとその場に降りて蹲る。
 今のリューにとって、大鹿はかなりの強敵であったようだ。かなりの体力を消耗してしまったらしい。
 ともあれ、大鹿の脅威は一端去った。
 ルレンティアは電撃を喰らって痺れの残る身体を奮い立たせ、現状を見渡す。

「みんな、生きてるよにゃ……?」

 最初にその呼びかけに答えたのは、バラノだ。
 地面に伏せ、砂を被ってしまったらしく、砂まみれになった頭を払いながら立ち上がる。

「こちらはなんとか……ルレンティア様、先ほどは乱暴に申し訳ありませんでした」

 咄嗟に風の魔法で突き飛ばしたことに対する謝罪だと理解したルレンティアは、軽く手を振って答える。

「気にしないでいいにゃ。あれがなかったら死んでたしにゃ」

 緊急回避というには乱暴だったが、魔法の扱いに長けているわけでもないバラノの精一杯だったのはルレンティアもよくわかっている。
 次に動いたのは、杖を抱えて蹲っていたアーミアだった。

「わたしは、少し、きつい……」

 一撃目の極大雷撃を結界で防いだアーミアは、その代償に体内器官にダメージを負っていた。
 その献身がなければ、聖羅とリュー以外は全滅していたかもしれず、またリューにも多少のダメージが入って大鹿を撤退させられなかったかもしれない。
 ある意味最大の功労者な彼女に、文句のある者がいようはずもない。

「命があればいいにゃ。問題は……」

 ルレンティアは急いで聖羅とテーナルクの元に駆け寄る。
 聖羅が庇ったとはいえ、大鹿の雷撃をまともに受けたのだ。絶対防御の加護がある聖羅と違い、テーナルクは致命傷の可能性がある。
 テーナルクを抱きかかえた聖羅は、近づいてきたルレンティアに潤んだ目を向けた。

「ルレンティア、さん……! テーナルク、さんが……っ」

 ルレンティアは聖羅の傍にしゃがみ、テーナルクの様子を見る。テーナルクは眠っているように目を閉じている。
 ルレンティアが最悪の覚悟をして触れようとすると、その目が少し開かれた。

「てーなるん!」

「テーナルクさん!」

「だい、じょうぶ、ですわ……しびれて……うごけ、ませんけども……」

 ひとまず生きて喋れる程度ではあることがわかり、聖羅とルレンティアはほっと胸をなで下ろす。

「喋れるなら、ひとまずは安心にゃ……せいらん、こっちは任せて欲しいにゃ」

 ルレンティアはそういって、聖羅からテーナルクを預かる。
 聖羅はその意味をすぐに理解し、立ち上がった。その足下は少しおぼつかなかったが、すぐに安定する。
 そして、地面に降りて蹲っているリューの元へと急いだ。
 リューは聖羅が近づいてきたことを感じ取ったのか、首だけを持ち上げて、聖羅の方へ顔を向ける。

「くるる……」

「リューさん、皆さんを助けてくださってありがとうございます」

 力無く鳴くリューを、聖羅は抱え上げて抱きしめる。
 リューが戦ったのは聖羅を助けるためであり、他の面子を助けようとしたわけではないのだろう。
 だが、結果として全員が助かったことは事実であり、聖羅はその思いをそのまま言葉にした。
 リューは内容よりも聖羅に褒められたことが嬉しいのか、聖羅の首筋に擦り寄る。
 聖羅はこのときばかりはリューの好きなようにさせた。
 そんな聖羅とリューの様子を窺いつつ、バラノは状況を見定めていた。

「これは……大変厳しい状況ですね」

 聖羅とバラノにはほとんどダメージはない。だが、この二人は率先して前線を張れる能力を持たない。
 防御の要であるアーミアは、結界を強引に突破されたことによる反動で体内外にダメージを負っており、回復に時間を有する。
 攻撃と探索を引き受けられるルレンティアは比較的軽傷だが、ダメージがないわけではない。電撃によって受けた体の痺れは、彼女の最大の長所である機動力を削いでいる。
 魔法を扱いこなし、補助に長けたテーナルクは雷の直撃を受け、一番深刻な状態だ。聖羅が庇ったことで即死こそ免れたが、しばらくは動くこともできないだろう。
 そして最大の戦力である死告龍・リュー。大鹿を退けるほどの力を持つが、激戦による消耗が激しい。再度大鹿が襲撃してきた際には、凌げるかも怪しい。
 大鹿も無傷ではなく、その回復には時間がかかるだろうが、敵が大鹿だけではない可能性もあり、楽観は出来ない。

 極めて危険な状況に、彼女たちは立たされていた。

つづく

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第六章 3


 清澄聖羅は、自分のことを平々凡々の一般庶民だと考えている。

 実際、この場にいる他の四人の女性に比べれば、特別秀でた能力はなく、こちらの世界にとっての異世界出身であること以上の、特別な出自であるわけでもない。
 だが、そんな聖羅でも――あるいはだからこそ――アーミアの問いかけを聞いて、自分と相手とで、前提とする常識に齟齬がある事に気付いた。
 聖羅のいた世界が「嘘や偽りが当たり前に存在する世界なのかどうか」を訊くということは、それはつまりこちらの世界では「嘘や偽りが当たり前ではない」ということだ。
 その事実を認識した聖羅は、いままでうっすらと感じていた違和感の正体がそれだということを、ようやく明確に認識することが出来た。

(そういうことだったんですね……理解できました)

 聖羅は平凡ではあっても愚鈍ではない。
 アーミアの質問からこちらの世界では嘘や偽りが普通に存在しないことを理解した。
 そして同時に、そんな世界で『平然と嘘や偽りを告げることが出来る自分』が、相当な優位に立てることにも考えが至っていた。
 相手が嘘を吐けないのなら、情報戦において優位に立つことは容易だ。対して自分の側は虚偽のし放題となれば、そのアドバンテージは計り知れない。
 ゆえに聖羅はここでアーミアの問いに対し、「そうではない」と答えるべきだったのかもしれない。
 嘘や偽りを自然と口に出来るということを知られるのは、マイナスの印象を抱かれる可能性も高く、今後自分の言動を信じて貰いにくくなるということも考えられる。
 だが。

「そう、ですね。私の元いた世界では……悪徳ではありましたが、嘘や偽りは当然のように行われていました。約束したことを直前になって平然と覆す人がいたり、聞こえのいい嘘の話で人を騙し、金銭などを不当に奪い取る犯罪が横行していたり……しました」

 聖羅は真実をそのまま告げていた。それが自分の立場を悪くすると知っていても、真実をそのまま口にすることを選んだ。
 聖羅は平凡ではあっても、悪辣ではない。
 絶対的な優位を捨て、不利な立場に甘んじることを躊躇いはしなかった。
 それは愚かな行いであるともいえ、一歩間違えば完全に孤立した立場に置かれかねない選択だった。

 だが、そんな選択をしてしまう聖羅だからこそ――最悪の展開は回避出来た。

 聖羅とアーミアのやり取りを聞いて、最初に動いたのはテーナルクだった。
 彼女はアーミアを睨むように見て、口を開く。

「アーミア様、どういうことですの? どうしてそういう話になったのか、説明していただけますか」

「魔界に呑まれる直前、セイラさんと雑談をした。その内容は好きなもの、嫌いなものについて。嫌いなものについて語る際、セイラさんは『約束を守らない人が嫌い』と言った」

 アーミアから端的に示された経緯を聞いて、テーナルクを含むその場にいた全員が、納得したと言わんばかりの反応をする。
 この世界において、『約束を守らない人が嫌い』というのは、聖羅の世界で『殺人鬼が嫌い』というのと変わらない。
 殺人鬼は忌避されるものだが、好き嫌いの基準で語られる存在ではないだろう。ゆえに、アーミアは自分と聖羅とで前提とする常識に齟齬があることに気づけたのである。
 経緯を理解したテーナルクは、深々と溜息を吐く。

「だからといって、何もこの場で……いえ、この場だからこそ、ですわね……」

 テーナルクがちらりと見たのは、バラノの方だった。
 ルィテのテーナルク、ログアンのアーミア、フィルカードのルレンティア。それぞれ国での立場はあれど、三国は友好関係にあり、この三人は基本的には味方である。
 もし「三人が結託して自分を騙そうとしている」と、嘘や偽りに慣れた聖羅に判断されてしまえば、今後の交流に悪影響が生じかねない。それは避けねばならなかった。

 だが、この場には敵対国家であるザズグドズ帝国のバラノがいる。

 バラノは唯一、三人と立場を異にする存在であり、いわば第三勢力だった。
 三人と足並みの合わないことが、この場合は良い方向に働くのだ。

「……ログアンの姫御子様はこういった搦め手は苦手だと思っておりましたが」

「実際苦手。だから、共有したかった」

 聖羅が「嘘や偽りを普通に口に出来る世界から来た」ということにアーミアが気付けたのは偶然だ。
 他の三人が気付くかどうかは運次第であり、うまく立ち回ればアーミアだけがその情報を握ることは出来ただろう。
 さらにその上で、自らとのみ共謀できるように聖羅を説得できれば、情報戦においてアーミアは他の三国を完全に出し抜き、状況を思い通りに操作できる可能性もあった。
 ルレンティアはまた性質が違うが、政治や交渉に長けたテーナルクやバラノであれば、当然その道を模索したはずだ。
 アーミアがそうしなかったのは、彼女自身がそういった交渉戦に特化していないということを自覚しているためである。
 さらに加えて。

「それに――セイラさんに謀略は無理だと思った。それは皆も感じたはず」

 アーミアがこの段階まで気付いた事実を口にしなかったのは、それ自体が聖羅の仕掛けた罠ではないかと考えていたからだ。
 テーナルクやルレンティアも同席した場で行われた、最初の顔合わせの際、三人は聖羅のことを「底の知れない存在」だと感じた。本人が言うような一般人には思えなかったのである。
 そのために育てられ、教育を受けた自分たちと対等に駆け引きをし合える存在なのではないかと考えたのだ。
 それは世界そのものの前提が違うことによる差であったわけだが、聖羅の背後に控える死告龍という最悪のカードが切られた時のことを考えると、聖羅を警戒しすぎるに越したことはなかった。
 ゆえに、いまのタイミングまでアーミアは「聖羅のいた世界が虚偽を前提とする世界」である可能性を黙っていたのだが。

「セイラさんは本人の言うとおり――極普通の、人間」

 奇しくも、死告龍たるリューに向けた無防備な笑顔がアーミアの警戒を解いた。
 聖羅が、真実を隠し、人を騙し、利を得ようとする、そんな悪辣な人物ではないと。
 そのことをアーミアは読み取り、自分が――ひいてはログアンだけがアドバンテージを得る道を放棄した。
 聖羅の性質も考えれば、もし聖羅を取り込むことに成功したとしても、その謀略が良くないタイミングで他の三国に露見する危険性の方が高かったためだ。
 そのアーミアの説明に、他の三人も納得したようだった。

「あーみんらしい判断だと思うにゃ」

「そうですわね……こうなってみると、セイラさんとの交流開始が遅くなったのは、かえって良かったかも知れませんわね」

「……テーナルク様だけがこの情報を握っていた時のことを考えると、震えが来ますよ」

 バラノはそう言って息を吐く。
 もしテーナルクがもっと早くから聖羅と交流を持っていたらどうなっていただろうか。
 話す回数が増えれば増えるほど、仲が進展すればするほど、聖羅の世界の真実に、聖羅の持つ特質に気付く可能性は高まっていただろう。
 一対一で交流している間にそのことに気付いたのなら、当然テーナルクは聖羅の特質をルィテ王国の利益のために秘する道を選んだだろう。
 そうなっていた場合、他の三国はかなり不利な立場に立たされることになっていたはずだった。

「理想をいえば、第三者視点の立場には死告龍様や大妖精様がいてくれればよかったんだけど。死告龍様はその状態だし……ともあれ、セイラさん。わたしたちの言葉が信じられなければ、そのお二方に訊いてみるといい。お二方は、わたしたちの立場を斟酌しはしない」

「アーミアさん……大丈夫です。お気遣いありがとうございます」

 聖羅はアーミアに気を遣われている事に気づいていた。
 なるべく聖羅が不安に思わないように、立場の違う存在からそれぞれの話を聞くように促されているのだと。

(それにしても……基にする常識が違うと気付いたからといって……それにすぐ対応できるあたり、この人たちは、本当に……)

 いまだに元の世界の常識を引き摺る聖羅とは、やはり出来が違うのだ。
 それはそれ相応の教育を受けているかどうかの違いではあるのだが、聖羅は改めてこの四人と腹の探り合い、駆け引きのし合いをするには自身が力不足であることを自覚する。

(幸い、この人達は善良な方達のようですし……ここまで気を遣ってもらいましたしね)

 彼女たちを信じて任せるべきかもしれないと聖羅は考えていた。
 国を背負っている立場にある以上、彼女たち本人の善良さは必ずしも絶対ではないが、そもそも本気で策謀の張り合いになったら聖羅に勝ち目はないのだ。
 最低限の警戒心を持っておくことは忘れられなかったが、聖羅は彼女たちを信用すると決め、少し心が軽くなったことを感じる。

「聖羅さんの特性については、この五人の間での秘密ということにいたしましょう。皆さんも、それでよろしいですわね?」

 テーナルクがそう口にすると、全員が躊躇なく頷いた。

「外に漏らしてもいいことないからにゃあ」

「不要な疑心を生むだけ」

「セイラさんは善良な方ですし、問題ないと思います」

(……言われているほど、私は善良ってわけでもないと思いますけど)

 聖羅は善良ではあっても、平凡な存在である。
 なるべく誠実であろうとは努めているものの、彼女はそれを死ぬまで貫き通せはしないとも考えていた。
 いざというとき、自己保身に走ることがないとは言えないのだ。
 とはいえ、少なくともリューやこの場にいる四人の助けがあるうちは、強いて保身に走る必要が生じることがそうそうあるとも思えない。
 聖羅にも人並みの欲はあるものの、かといって溢れんばかりの金銀財宝を差し出されると困ってしまう庶民でもあるのだ。
 衣はさておき、食と住が最低限保証されているいまの状態で、全く困ることはなかった。

「せいらんのことはひとまずそれでいくにゃ。さしあたっても、この魔界からどう脱出するかを考えないとにゃ」

 聖羅の特質がわかっても、彼女たちが現在やるべきことは変わらない。
 ルレンティアがそう締めくくり、全員が意識を切り替える。

「ほい、せいらん。まずはご飯を食べるにゃ」

 そういって、ルレンティアが石を削り出して作ったお椀に注いだスープを聖羅に向けて差し出す。
 目に見える言動こそいままでと変わらなかったが、聖羅はルレンティアたちの気配がどことなく柔らかくなったのを感じていた。
 いままでが刺々しかったわけではないが、どこか一線を引いている感覚があった。
 しかし、真実が明らかになった今、彼女たちは聖羅を必要以上に警戒することがなくなっていた。
 その柔らかな気配は、聖羅を不要な気負いから解放する。

「ありがとうございます、ルーさん。……いつのまに作ってたんですか?」

「話を聞いている間にちょちょいっとにゃ」

 得意げにいうルレンティアから、聖羅はスープを受け取る。
 石の器は見た目重そうに思えたが、相当薄く切り出しているのか、思ったよりは軽い。女性の聖羅が片手で支えられる程度だ。さらに魔法を用いて強度や熱伝導まで調整しているのか、不安な感じは全くしなかった。
 中身は柔らかく煮込まれた魚と海藻らしきもののスープだ。
 器と同じように石から作られた匙を用いて、聖羅がそれを口に運ぶ。魚は柔らかく煮込まれており、海藻の味がよくしみ出したスープは、聖羅の身体を内側から暖めてくれた。

「美味しいです。……この魚、しっかり処理されているようですが、刃物はどうやって……あ、いえ、なんでもないです」

 聖羅が質問を途中でやめたのは、ルレンティアがその手をひらひらと翳したためだ。
 彼女は、植物型の魔物を切断できるほど鋭い爪を持つ。
 それを上手く使えば、魚の調理くらいは容易いことだと言われなくてもわかったのだ。

「爪がなくても魔法で切断できるけどにゃ。食材を魔法で調理すると、なぜだか美味しくならにゃいんだよにゃあ」

「魔法で処理をすると、その者の魔力が食材に移ってしまうからだと言われていますね。地域によってはその方が好まれる場合もあるようですが。……確か、ログアンにそういう料理がありませんでしたか?」

「捧食のこと? あれはグランドジーグ様への感謝の気持ちを伝え、今後も共に生きていくことを誓う祭典の時に作られるもので、どちらかといえば儀式」

「色んな風習があるんですね……」

 様々な人が生きている世界である以上、色々な風習や慣習が生まれるのは当然だったが、聖羅は改めて知的好奇心を刺激されるのを感じていた。
 相互理解が進み、妙な警戒や気負いがなくなったことで、そういったことに意識を向ける余裕ができてきていた。

(リューさんのお気に入りの狩り場に連れて行ってもらう約束をしていましたっけ)

 息抜きに出かける提案をされていたことを聖羅は思い出す。
 思い出した流れで、腕の中のリューを見ると、リューは聖羅の顔をじっと見つめていた。
 観察されていることに気付いた聖羅は、少し気恥ずかしくなり、スープを飲むついでにその器で顔を隠す。
 その際、スープの中で海藻のような具がゆらめているのが見えた。

「そういえば、海藻……みたいなものも生えてたんですね」

 周りの水が塩水ではないのは、確認済みだ。
 風景だけを見れば完全に大海原だが、環境的にはどちらかといえば地底湖に近いらしい。
 そんな場所で海藻のようにしか見えない水草が採れたことは、よく考えれば不思議なことだ。
 その認識は間違っていなかったらしく、ルレンティアが溜息交じりに答える。

「水底に普通に生えてたにゃ。食べられる種類のもので良かったけどにゃ……なんで生えてたんだかにゃあ」

「いくら水草の成長が早いとはいえ、半日やそこらで生えていていい規模ではなかったんですよね」

 そうバラノが確認すると、ルレンティアは頷いて肯定した。

「そうだにゃ。かといって何年も前から生えていた感じでもなくて……わけがわからないにゃ」

「元々、魔界という中では方向感覚や時間が狂うことがままありますが……この魔界はまた別格ですね……中と外で時間の流れが大きく変わっている可能性も出てきました」

 バラノは真剣な表情で分析を続けている。

「流れる時間が遅くなっているならまだしも、早くなっていたとしたら困りますわね……」

 テーナルクはそうぼやく。王城が魔界に呑まれているという状況は、極めて深刻な事態であり、それが長期化すればそれだけでルィテの国力の低下は免れない。できる限り早く事態を解決したいのが本音であった。
 五人が真剣に話し合っているうちに、遠くに見えていた何かの影の姿が霧の向こうに見えてくる。

「みんな、念のために戦闘態勢を取るにゃ」

「言われなくとも」

「バラノ様とセイラさんは後方に下がっていてくださいませ」

 戦える三人が前に出て警戒をし、残るふたりは並んで後方に退いた。
 聖羅は絶対防御を持つ自分は最前線に立つべきではないかと思ったが、リューを抱えているため、大人しく後方に下がる。
 仮に戦いに巻きこまれても、リューならば平気な可能性も高いが、いまのリューがどれほどの防御力を持っているかはわからない。
 いざとなれば自分の身で守ることも考えつつ、聖羅は近づいてきたその影をしっかりと見据えた。

「これは……島……でしょうか?」

「大きな島ですね……全景が視界に収まりません」

 それはかなり大きな島のように見えた。
 木々が生い茂り、中央には小高い山らしき岩肌も見える。
 聖羅が持つイメージでいえば、冒険物の物語で登場人物がよく漂着する無人島、というべき島だ。
 山を囲むように森が周囲を覆っていて、島の形は今ひとつ判別できない。

「砂浜が見えるにゃ。あそこに船を接岸するにゃ」

 ルレンティアが上陸できそうな砂浜を見いだし、その砂浜へ水上拠点を押しあげた。
 碇はなかったが、浮力を与えていた魔法を切ってしまえば、自然と水上拠点の重さで砂浜に拠点が埋まり、波の力程度では流されないようになる。
 水上拠点から五人と一頭が降りた時、先頭に立って島の奥を警戒していたルレンティアが声をあげる。

「全員警戒! 何かくるにゃ!」

 ルレンティアが砂浜の中央まで後退し、警戒を促す。
 その段階で、他の四人の耳にも森の奥から騒音が聞こえてきた。
 木々がなぎ倒される騒音と、何かが争っているような激しい擦過音。
 その正体は、すぐに知れた。
 森の奥から砂埃を巻き上げつつ、巨大な何かが飛んで来たからだ。

 複数の脚を持つそれは、テーナルクとバラノの見覚えのある、あの巨大蜘蛛であった。

 ただ、その八本あったはずの脚はいくつかが半ばから千切れており、それだけではなく全身に深い傷が刻まれていた。
 蜘蛛は飛んできた勢いそのまま、砂浜で何度かバウンドした後、水の中へと落下し、大きな水柱をあげる。

「何と戦って……? ――ッ! 伏せるにゃ!」

 ルレンティアがそう叫び、他の三人が反応して地面に伏せる。
 反応しきれなかった聖羅は、近くに立っていたバラノが抱えるようにして、一緒に砂浜に伏せた。
 そんな五人の頭上を、複数かつ極太の雷が走り、浮かび上がりかけていた巨大蜘蛛に殺到した。
 雷は凄まじい轟音を立てて蜘蛛の身体を焼き、一部は水面を走り回って水しぶきをあげ続けた。

 そして――最終的に爆発した。

 巨大蜘蛛の身体が内部から爆散し、破片が周囲に飛び散る。
 ほとんどは水中に沈んだが、脚のうちの一本が、砂浜に伏せていた五人の近くに落ちてきた。
 深々と砂浜に突き刺さったその脚部は焼き焦げており、先ほどの雷にどれほどの威力があったのかは一目瞭然だ。

 そんな雷を放ったと思われる存在が、五人の前に姿を現す。

 それは、巨大な牡鹿であった。
 全身を覆う黄金色に輝く体毛だけでも神々しいが、それ以上に神々しいのは、その頭部に生えた立派な角だった。
 ただでさえ見上げるほど大きな体格なのに、その身体に匹敵するくらい角も大きく、雷を宿し、危険な音を立てて光り輝いている。
 結果として全体から感じる威圧感が倍増していた。
 明らかにただの牡鹿ではないその大鹿は――

 聖羅たちにも、その殺意を向けていた。

つづく

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第六章 2

 廊下が入り組んだ迷宮にいた聖羅たち。
 水と食べ物のある場所に行きたい、と聖羅がリューに向かって口にしたところ、突如流れてきた大量の水によって、大海原のような場所に移動させられてしまった。
 現在、五人と一頭はアーミアの張った結界を船のようにして水面に浮かんでいる。
 周囲に敵らしきものの姿はなく、一安心したところで、バラノが聖羅に向かって言う。

「セイラさん、死告龍様に『魔界の外に出たい』とはおっしゃらないでください」

 他の三人もバラノに同意なのか、何も言わなかった。
 それを見た聖羅はおそらくなにかしらの妥当な理由があるのだろうとは思ったが、その理由に思い至ることはできなかった。
 なので、直接聞いてみることにする。

「どうして、ですか?」

「ここに至る過程を考えてください。もし死告龍様が完全にこの空間を制御出来ているとしたら、大量の水で物理的に押し流す、という移動方法は取らないはずです」

「そうですわね。空間と空間を繋げればいいだけですわ。それこそ、扉のようなものを用意して」

「もしセイラさんが魔界の外に出たいと口にすれば、おそらくですがここにある大量の水も一緒に外に噴き出すでしょう」

「魔界が発生したのは王城……ルィテ王国の中心地」

「まー、たいへんなことになるよにゃあ」

 王城で魔界が発生している以上、周辺住民の避難は始まっているだろうが、家屋や家財道具を持って逃げることは出来ない。
 魔法がある世界であるために、人が死ぬことと違って物が壊れることは取り返しがつきやすいが、洪水が起きて街全体に被害が出れば、ルィテ王国の国力の低下は避けられない。
 それが起きないよう、聖羅がリューに頼んで魔界の外に出してもらうという手段は取れないのだ。

「……それをバラノ様が最初に言うとは思いませんでしたが」

 ルィテ王国の国力の低下は、侵略を目論むザズグドズ帝国のバラノからすれば歓迎するべきことのはずだった。
 例え直接軍隊に被害が出なくとも、それを支えるルィテ王国自体が疲弊すればそれだけ侵略しやすくなるのだから。
 そして今回のようなケースでは、バラノが積極的にそれを画策したとは言えない。あくまでバラノは魔界から脱出するため、という体であれば「ルィテ王国に危害を加えない」という契約に引っかかることはないはずだった。

「確かに放っておく手がないわけではありませんでしたが……それを選ぶには賭けの要素が強すぎます。私自身が本当に気付いていないならともかく、大きな被害が出るのを予測してしまいましたから、契約に抵触する恐れもありますし」

 それでも黙っていればいいことではあったが、気付いてしまった以上は指摘してしまった方が確実に安全なのだ。
 契約とは、表面的な文面も大事だが、要は心のありようを誓うということであり、自ら手を下さないなら大丈夫、とは言いきれない。
 バラノが国に殉じて死ぬ覚悟も決めた上で、この場に立っていることは確かだが、別に彼女は死にたがりというわけではなかった。
 可能な限り自分も生き残る道を模索するのは当然だ。
 聖羅は自分の考えの及ばないところで駆け引きが成されていることを改めて感じ、ひとまず彼女たちの言うとおりにしようと頷く。

「わかりました……あ、でもそもそもリューさん、また寝てしまいましたね……」

 聖羅が抱えるリューは、また目を閉じて眠りについていた。
 その自由奔放な様子に五人の女性たちは溜息を吐く。
 話している間に、ルレンティアとアーミアが周囲の水や魚の状態を調べ終わっていた。

「水は魔法で出来たものじゃないから、飲み水に使えそうだにゃ。魚も、普通に食べられるものみたいだにゃ。遠くの水場と空間を接続したのかにゃ?」

「あるいは、元々城の地下にあった地底湖や地下水を流用しているのかもしれない。どうなの、テーナルク?」

「王城の地下にこれほど大規模な水源はなかったはずですわ」

「だとすると空間を接続したのが濃厚?」

「まあ、ともあれ、これなら水と食料は確保できるにゃ。あーみん、結界はどれくらい持つかにゃ?」

「あと数時間は余裕。けど、早めの拠点確保は必要」

「了解だにゃ。じゃあちょっと行ってくるにゃ」

 ルレンティアはそういうと、いきなり胸を隠していた布を脱ぎ捨てた。
 あっけにとられる聖羅の目の前で、ルレンティアがアーミアの張った結界をすり抜け、水の中へと飛び込んでいく。
 そのあまりの自然な動きに聖羅は何も言えず、テーナルクやバラノは動じていなかったので、聞くことも出来なかった。
 だが、その聖羅の動揺を察してか、テーナルクが柔らかく笑みを浮かべてみせる。

「大丈夫ですわ。水中はルレンティア様の慣れ親しんだ環境ですから」

「……猫なのに、水が嫌いなわけじゃないんですね。私の世界では一般的に猫は水を嫌がるものですので、ちょっと意外でした」

 とはいえ、湖の上に存在する国の代表なのだから、全く泳げないわけがないとも聖羅は思っていたが。
 頭でわかっていたのと、実際に目にしたときの衝撃は違う。

「猫が水が嫌いというのは、間違っていませんけどね。セイラさんの認識と同じく、基本的には猫は水が嫌いです」

「ルレンティアの場合、生まれた時から湖の上だったということもあるし、猫の獣人とはいえ、人の要素の方が多いから」

「獣人の力もあって、ルレンティア様はフィルカードでも屈指の泳ぎ手なのですわ」

 そんな会話を残された四人がしている間に、潜っていっていたルレンティアが水面に浮上してきた。何気なくそちらを向いた聖羅は、ルレンティアが手にしているものに驚く。
 それは、石で出来た船だった。
 手こぎボートくらいの小さなものだが、沈まずに水上へと浮かび、内側から水を排出すると水面でぷかぷかと安定する。

「まず一隻だにゃ。水深は案外浅いところもあるみたいで助かったにゃ」

「海底の石を切り取って来たんですか!?」

 聖羅は驚きのあまり声をあげ、足下を見る。
 結界は半透明なため、水中が見えているが、その底は見えない。結構な深さがあるのは間違いなさそうだった。
 そんなところから石を船の形に切り取り、手に持って浮かんで来たのだという。
 ルレンティアは水面に浮かびつつ、えへん、と自慢げにその豊かな胸を張った。

「フィルカードの民は水の民にゃ。水場で苦労はさせないから、安心してほしいにゃ。この船には魔法がかけてあるから、皆が乗っても沈まないにゃ」

「ありがとうございます、ルレンティア様。……やはり、フィルカードと水場で競うのは自殺行為ですね」

「にゃはは! 水際での戦いなら、ボクひとりで千の軍勢だって壊滅させてみせるにゃ!」

 バラノは礼を言いつつも、フィルカードを攻略するときのことを考えているようだった。それに対し、ルレンティアも勝ち気な台詞で返す。
 傍でそれを聞いてしまった聖羅は、堂々と口にするバラノもどうかと思ったが、それを笑って受けとめているルレンティアも剛気だと感じるのだった。

 その後、ルレンティアは何度か水中に潜り、瞬く間にそれなりの広さの水上拠点を作り上げてしまった。

 いくつかの船を浮かべ、それらを上手く結合することで、広いスペースの確保に成功している。
 湖上にあるというフィルカードがどういう国か、聖羅は少しだけ理解できたような気がした。

(形状などを工夫すれば、石だって水に浮かぶのはわかりますが……この規模の石材が壊れずに建てられるのは、技術と魔法あってのことですよね……)

 聖羅の認識でいうと、古代ギリシャの石造りの建物が水の上に浮いている、というほどに奇妙な感覚だった。
 そういう意味では魔法のある世界ならではの光景であるといえ、楽しんでばかりもいられないとは思いつつ、彼女はこういった光景を見に、いつかフィルカードにも訪れてみたいと思うのだった。

「それにしても……ルーさんは王族の方なのに、建築技術も納めていらっしゃるんですね」

 建築技師を軽んじるつもりはないが、王族がやることかと言えばそうではないだろう。
 その聖羅の疑問は、この世界の基準に合わせてもおかしくないことだったらしく、ルレンティアが特に妙な顔をすることはなかった。

「もちろん、本職には敵わないけどにゃ。ゼロから水上に拠点を作るのはフィルカードの民の嗜みにゃ。今回は材料が石だからちょっと難しいけど、普通の木材を使えるにゃら、子供でもこれくらいの拠点は作れるにゃ」

 水上に上がってきたルレンティアは、ぶるぶる、とそれこそ獣のように体を震わせて髪の毛などから水気を払いながらこともなげに言う。

「特にフィルカードは王が模範を示さなければならない国だからにゃ。一通りのことはやれるように教育されるにゃ。王族の慣習として、十歳になると全裸で国の庇護下から放り出されるし、覚えておかないとその時死ぬにゃ」

「ぜ、ぜんっ!? き、厳しすぎませんか……?」

 獅子は我が子を千尋の谷に落とす。
 可愛い我が子にわざと試練を与え、その器量を試して一人前へと育て上げるとは言うが、人間が全裸で放り出されるのは厳しいというレベルではない。
 フィルカードは湖の国であるのだから、放り出される先は水上であるはずで、仮に聖羅のいた世界の者ならそんなことをされて生き残れる者は皆無であろう。
 しかし、魔法のあるこの世界ではその認識は当てはまらないものらしく、ルレンティアは平然と続けた。

「それで生き残れないようじゃ、王族としての資質不足ってことだにゃ。生き残るのは大前提。一年間は国に戻れにゃい決まりなんだけど、その間にいかに立派な拠点を築くかが問われるにゃ」

 ルレンティアからフィルカードの王族の風習について話を聞いていると、事情を知っているらしいアーミアが深く溜息を吐いた。

「その話は聞いてる……ルレンティアは湖の魚達を手懐けて、湖底に拠点を築いたって。一年間ほとんど姿を見せずに過ごしてたから、死亡したって言われたけど、一年経ったその日に、フィルカードのど真ん中に巨大な拠点を浮上させて、当時の王の側近たちの度肝を抜いたとか」

「む~。でもパパはボクならそれくらい出来るはずとか言って、全く驚いてくれなかったにゃ~。それが心残りだにゃ」

「いえ、普通は度肝を抜かれますわ。フィルカード王の感覚がおかしいのです」

「同じ試練で、当時のフィルカードと同程度の規模の拠点を築き上げてくるような方ですからね。確か湖に点在する無法者たちを探し出しては腕っ節で叩きのめして従え、人手を確保したんでしたっけ?」

「ですわね。普通は十歳の子供がやることじゃないでしょうに。一度だけお会いしたことがありますが、噂に違わぬ豪傑ぶりでしたわね。わたくしの世代では敵対関係が終わっていて良かったと思いますわ」

「うちはそれを今後攻略していかないといけないのですよ……はぁ」

 しみじみとテーナルクとバラノも呟く。
 そんなとんでもないエピソードを聞かされた聖羅は、改めて一緒に行動している彼女たちが、この世界の基準でもとんでもない存在なのだということを思い知らされる。
 ルレンティアはいつの間にか食料の魚まで人数分採って来ていて、そつがない。

(……この人たちは、本当に特別な存在なんですよね)

 異世界から来た、というだけの存在である聖羅は、彼女たちの存在の価値の高さを知るにつれ、ますます自分との間に隔たりを感じてしまう。
 本来であれば、自分が触れあうこともできなかったであろう高みの存在。
 それが、偶然たまたま異世界に召還され、なおかつ希有な加護をバスタオルに宿すに至ったが故に、同格のように扱われている。

(この人たちはその立場に似合うだけの努力を、実績を積み上げている……)

 自分はただ幸運でここにいて、生きているだけだというのに、だ。
 それを意識する度に、聖羅はいたたまれない気持ちになるのだ。
 そして、その感情こそ、聖羅がこの世界の存在たちと完全に打ち解けられない最大の理由であった。

「さて、魚を焼いていくにゃ。もう少し待っててにゃ、せいらん」

 そのルレンティアの、聖羅を優先する気遣いが、平々凡々を自覚する彼女の心にトゲを残す。
 聖羅は、微笑んで礼を言う形で応えるしかない。

 そんな聖羅の様子を、じっと見つめている者がいた。




 翌朝。
 ルレンティアが築いた水上拠点の上で、聖羅たちは無事目を覚ました。
 魔法を一切用いることが出来ず、暗闇では目が見えない聖羅を除き、四人は後退で見張りを行っていたが、特に魔物に襲われることはなかった。
 寝床として用意されたのは、ルレンティアが水底から回収した海藻を乾燥させ、敷き詰めただけのものだ。
 普通ならばそんなところで寝れば体が痛くなって仕方ないだろうが、聖羅はいつもと変わらぬ睡眠を取れていた。
 無論、バスタオルの効果である。
 他の四人も、それぞれ魔法などで対策は取れたらしく、疲れた様子を見せる者はひとりもいなかった。

「少し視界が晴れて来たにゃ」

「見渡す限り水、ですけどね……」

「死告龍様の魔界は、本当に広すぎますわね」

「あちらの方向に、何か見える」

 そうアーミアが指し示した方向に、全員が注目する。
 所々に霧がかかっているため、視界は悪かったが、確かに何らかのシルエットのようなものが他の者達にも見えた。

「島……でしょうか?」

「かにゃあ? 結構大きなもののように思えるにゃ」

「この状況を打破する手がかりが、なにかしらあるかもしれませんわね」

「……行ってみよう」

「幸い拠点や食料は確保できましたが、いつまでもこのままというわけにはいきませんものね」

 五人と一頭を乗せた水上拠点が、大きな影のようなものに向かって動き出す。
 ルレンティアの創った水上拠点は船を基盤としているため、少し風の魔法を使えば移動することが出来る。
 移動しながら朝食の魚を焼いていると、聖羅が抱いていたリューが目覚めた。

「あ、リューさん。目が覚めましたか。おはようございます」

 リューは大きくあくびをした後、聖羅の体に自らの体を擦りつけ――ふと、胸元から聖羅の顔を見上げて首を傾げた。

「くるる?」

 その表情が少し心配しているように感じた聖羅は、内心どきりとする。
 リューに聖羅の複雑な心境が理解出来たとは思えないが、どこか元気がないのを察されたのだろう。

「なんでもありませんよ、リューさん。リューさんもお魚、食べますか?」

 笑顔を浮かべてリューにそう問いかける聖羅。
 その魚を準備をするのは自分ではないため、申し訳なく思うところはあったが、死告龍たるリューを大人しくするためならば、必要なことだと理解してくれるという想いもあった。
 そして実際、ルレンティアは聖羅の言葉を聞いて即座にリュー用の魚を焼き始め、焼けたものを聖羅に渡してくれた。

「ありがとうございます。ルーさん」

 お礼を言いつつ、聖羅は美味しそうに焼けている魚をリューの口元に翳す。
 リューはそれに美味しそうに食らいつき強靱な顎の力で噛み千切り、いまは小さな前脚で残りの焼き魚を聖羅の方へと押しやる。
 その行動を見た聖羅は、かつてリューと出会ったばかりの頃、リューが仕留めたグリフォンらしきものを自分に向けて押しやってくれたことを思い出す。
 当然、生のグリフォンを聖羅が食べることは出来なかったし、その頃はまだリューの真意がわからなかったが、いまならわかる。
 リューの気持ちを理解した聖羅は、ふっと優しい笑顔を浮かべた。

「私はあとでいただきますから、これはどうぞリューさんが食べてください」

 そういって再びリューに焼き魚を向けた聖羅だが、リューが動かないのを不思議に思った。トカゲのようなドラゴンの表情は掴みづらいのだが、目を見開いて驚いているような気がした。
 不思議に思って首を傾げていると、同じように周りの者達も驚いているのがわかった。
 聖羅としては特にそれほど驚きを与えることをした覚えがなかったので、困惑する。

「あ、あの? 皆さん、何か……?」

 そう聖羅が問いかけると、最初に応えたのはルレンティアだった。

「いや……ちょっと驚いただけにゃ。それが――本当のせいらんの笑顔なんだにゃ」

「でも、考えてみれば、そうですわよね……セイラさんは、王族でも、貴族でも、ましてや本当は聖女でもないのですから」

「テーナルク様……それは、立場上聞き逃せない発言ですが、大体事情は理解しました」

「本当に聡い人ですこと。忌々しいですわ」

「それはお互い様でしょう」

 聡い彼女たちは、何かに納得が出来たらしかった。
 聖羅としては困惑するしかない状況である。
 そんな聖羅に対し、唯一言葉を発していなかったアーミアが口を開く。
 そして、聖羅に向けて核心の問いを発した。

「セイラさん、もしわたしの勘違いであれば謝る。ひとつ答えて欲しい」

 王城が魔界に変質する前に、交わしていた会話の続きを。
 彼女たちの前提を覆してしまう内容を。

「セイラさんの元いた世界は――嘘や偽りがあって当たり前の世界だった?」

つづく

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第六章 1


 聖羅、テーナルク、ルレンティア、アーミア、そしてバラノ。
 五人の女性は、現在広い廊下に繋がる狭い廊下の入り口に、結界を張って隠れていた。
 仮に大蜘蛛が現れても狭い廊下の奥に逃げ込むことができ、場合によっては広い廊下に出て戦うことも視野に入れた備えだ。

「つまり……結局、何が起きているのか、正確に把握できている者は、魔界の主であろう死告龍様を含めて、いないというわけですね」

 ザズグドズ帝国の軍略家・バラノは、合流することができた聖羅たちからこれまでの話を聞き、そう呟いた。
 バスタオル一枚の聖羅は申し訳なさそうに、胸に抱いた小さなドラゴン――死告龍のリューを撫でながら頷く。
 リューは気持ちよさそうに目を閉じており、うたた寝をしている様子だった。
 魔界が死告龍の由来だとすれば、リューにとってこの空間は家そのものだ。
 人間五人と違って、余裕のあるその態度もある意味当然ともいえる。
 聖羅に抱かれているという状況も一因ではあろうが。

「リューさんはこの通りでして……この現象はリューさん自身にも制御不能なのかもしれません」

「魔界化は自然と起こりうるものだから、制御出来てなくてもおかしくはないけどにゃー」

 困ったものだという思いを隠すことなく、ルレンティアは聖羅の言葉に賛同する。
 獣人であるルレンティアは、即座に戦闘に入ることも考慮し、その下半身を獣化したまま戻していなかった。上半身は腕以外ほぼ人間のままであるため、その豊満な乳房は布を巻き付けて隠している。
 本人は開放的な風土を持つ国の出身であるがために、その格好については気にしていないようだ。
 そんなルレンティアが出した予想について、テーナルクは納得が行かない様子だった。

「でも、それにしてもリスクばかりが目立ちませんこと? 本体が弱くなっては、規格外の魔界化も意味がありませんわ」

 現在、テーナルクはアーミアから譲られた、裾が短くなったログアンの神官服を身に付けていた。
 アーミア自身は神聖法衣があるために着れない服だが、テーナルクにその制限はない。
 ゆえに、アーミアはテーナルクにその神官服を渡したのであった。
 本人としては、ルィテ王国の王族がログアンの神官の格好をするということに思うところがないわけではなかったが、五人のうちまともな格好が出来ているのは二人だけ。
 まともに服を着れているだけでも感謝すべきなのだから、文句を言えるわけがなかった。

「……いや、これだけの規模の大きさの魔界なら、隠れるのに徹すれば問題ない。死告龍様の場合、セイラさんに会いに出てきたから、わたしたちの前にいるだけ」

 精密で極薄のレースを重ねた構造であるがゆえに、向こう側が透けて見えてしまう神聖法衣を身に付けたアーミアは、愛用の杖を体の前に構え、周囲に向かって張った結界を維持している。
 本人が結界術を得意とするだけあって、結界は敵に存在を知られることもなく、完璧に彼女たちを守っていた。さらに本命の結界の外にも、警戒用の結界が張られており、見つかりそうになれば即座に対応出来る状態を保っていた。

「アーミア様のご意見に賛同いたします。知能の減衰は致命的ではありますが、この魔界を自在に移動できるとすれば、人海戦術も意味を成しません。さらに魔族の発生や眷族の増殖なども鑑みるに……逃げ回り続けていさえすれば、消耗戦で勝てますから」

 軍略家たるバラノは、彼女の視点からアーミアの意見を支持する。
 彼女は五人の中でまともな格好が出来ている二人のうちの一人だ。
 バラノは蜘蛛に囚われた際、その身に纏っていた聖女風ドレスがボロボロになってしまったが、現在は修復されている。
 テーナルクのドレスは即死属性を纏った糸の攻撃によって破壊されてしまったために戻せなかったのだが、彼女のドレスは純粋な力で破かれただけであったために、修復の魔法で直すことが出来たのだ。

「あー、確かに、この広い魔界の中からその小さな本体を探すのは難しいにゃあ」

「ここまで常識外れの魔界だと、どう対処するのが正しいのかわかりませんね……」

 五人は頭を悩ませる。
 無論、もっとも単純な魔界への対処法である『魔界を生み出した主を倒す』ということを五人が考えなかったわけではない。
 聖羅は中立的な心情故に、リューを殺すということ自体に抵抗を覚えていた。
 他の四人は、主を倒すことでは解決せず、より状況が悪化する可能性を危惧していた。

 そして、五人全員『この状態の死告龍でも倒しきれないかもしれない』ということも考えていた。

 聖羅は絶対防御の力しか持たないし、バラノは軍略家であるが直接戦闘はできない。
 残る三人は王族であったり、国を代表する巫女であったりする分、並みの戦士や魔法使い以上の力がある。
 それでも、戦闘に特化した存在ではない。
 最強の種族と言われるドラゴンを相手にするには、少々心もとない戦力であった。

(幼体化していても、ドラゴンはドラゴン……)

(わたくしたち三人が束になってかかっても、敵わないかもしれませんわね)

(一度敵対したら、もう戻れないにゃ。いま賭けるには分が悪いにゃあ)

 三人は冷静な戦力分析の結果、分の悪い勝負だと判断していたのだ。
 さらに、その賭けに軽々に手を出すのを躊躇わせる情報もある。
 テーナルクとバラノが実例であり、彼女たちが確認した情報として、眷族に捕らえられた人々はまだ殺されていないということだ。
 聖羅たちも、妖精たちが捕らわれても殺されはしていなかったのを確認している。
 この魔界に取り込まれた者達は、何らかの理由で生かされているのかもしれない。
 そうだとすると、下手に魔界を崩壊させることで、生存者をかえって減らす結果になる可能性もあった。

「ひとまず今晩は休みましょう。休んで、明日からどう動くか決めましょう」

 そのバラノの提案は特に反対意見もなく受け入れられた。

「でも……休むにしても、辛いですね……食料も何もありませんから……」

 そう聖羅が呟くのと、そのお腹が鳴るのはほぼ同時だった。
 魔界に捕らわれたのは昼頃のことであり、現在の時刻はすでに夕刻をすぎている。
 昼食をとる前に魔界に取り込まれてしまったため、彼女たちは昼食をとれないまま、さまよい歩く羽目になっていた。
 お腹が空いて当然である。
 決して大きな音ではなかったとはいえ、周りに聞こえる程度には腹の虫の音を響かせてしまった聖羅は、恥ずかしさで顔を真っ赤にする。
 そんな聖羅をフォローするように、ルレンティアのお腹もくうと鳴った。

「確かに、おなかすいたにゃあ……動き回ったしにゃ」

 魔物との戦闘中、もっとも機敏に動き回っていたのはルレンティアだった。
 当然その消耗は激しい。その空腹を表すように、その頭頂部にある獣の耳がへたりと寝ている。普段から存在している耳だが、現在ルレンティアは獣化状態にあり、少し大きめになっていることもあって、余計に目立っていた。
 思わず頬を緩めてしまった聖羅だが、そんな場合ではないとすぐに顔を引き締めた。

「眷族って……食べられるのでしょうか」

 何気ない聖羅の呟きに、他の四人はぎょっとした顔をする。

「一応、不可能ではない……けど」

 現状眷族と呼ばれて、頭に浮かぶのが蜘蛛の眷族であることが問題であった。

「セイラさんのお国では、虫は食事に含まれますの?」

「文化として虫食はありますね。もちろん、食用に育てた虫であって、森の中で虫を捕ったり生で食べたりはしませんが……あ」

 そこまで答えてから、聖羅は元の世界の文化が誤解を受けていることに気づいて、慌てて付け加えた。

「文化として存在することはしますが、どちらかといえば特殊かつ少数派な文化です。この世界でもそうだとは思いますが、私のいた世界の食に対する探究心は執念すら感じることがあるほどでして。普通は食べられないものを、何日も、何週間もかけて食べられるように加工して……そこまでして食べることもあるんです」

 その聖羅の補足を聞き、他の四人はほっとした表情になる。

「……実は虫が主食だった、とか言われたらどうしようかと思った」

「確かに。今後セイラさんにご提供するお食事をどうするべきか迷うところでしたわ」

「や、やめてくださいね。私も虫を好んで食べたい訳ではないので……」

「虫を食べる文化……確か、フィルカードにはそういう文化がありませんでしたか?」

「にゃいにゃいにゃい! フィルカードにはそもそも虫自体少ないし……もしかして、タコやカニのことかにゃ? あれは脚が多いだけで、分類するなら魚にゃ」

「湖にタコやカニがいるんですか?」

 フィルカードは湖の上に存在する湖上国家、だと聞いていた聖羅は思わず尋ねていた。
 ルレンティアは頷き、タコやカニを使った料理のことを話し出し――余計に大きく腹の音が響き渡った。

「思い出したら食べたくなって来たにゃあ……」

「話を元に戻しましょう。眷族を食べることはできますし、調理次第ではあの蜘蛛も食べられるようになるとは思いますが……現実問題として、あれを仕留めて食べられるでしょうか。私見ですが……難しいと思います」

 バラノの指摘に異を唱えるものはいなかった。

「調理器具も調味料も何もありませんものね。調理技術自体は習得していますが、普段と環境が違いすぎます」

「焼くくらいしかできない」

「水の確保も問題だにゃ。水を操るならともかく、飲み水を生み出すのは難しいにゃ」

「そうなんですか? ……水を生み出す魔法はあるのでは?」

 聖羅は朝起きた際、使用人のクラークにお願いして顔を洗う用の水を出してもらっている。クラークが使えるのなら、この場にいる彼女たちが使えないわけがないと思っていた。
 それに対し、ルレンティアは聖羅の言葉を肯定した。

「確かに、水の魔法はあるけどにゃ」

 言いつつ、ルレンティアは翳した掌の上に水の塊のようなものを作り出した。
 渦を巻いて回転する水球は、見た目は完全に水である。

「でもこれはボクの魔力がそれっぽい形になっているだけにゃ。何かを洗うような用途には使えても、身体の維持に必要な水分にはならないにゃ。火にかけても沸騰しないし、凍らせることも出来ないにゃ」

 試しに、とばかりにルレンティアはもう片方の掌に炎を生み出す。
 水の塊と炎の塊を重ね合わせると、一瞬光が生じて、両方ともが消滅した。
 水は熱されることはなく、水蒸気になることもなく、ただ消滅していた。
 
「こんな風に消えるだけだにゃ。魔法で作られる炎や水は、あくまで魔力がそれっぽく形を作っているだけにすぎないのにゃ」

「……となると、魔法で飲み水を作り出すのは無理なわけですか」

「だにゃあ」

 この場所では食事や寝床の確保が難しい。
 そのことを改めて認識した五人は、顔を見合わせた。

「もう少しだけ移動を――」

 聖羅がこの場からの移動を提案しようとした。
 思わず抱きしめる力が強くなった、その動きに反応してか、彼女に抱かれていたリューがぱちりと目を開く。

「くるる?」

「あ、リューさん。ごめんなさい。起こしてしまいましたか」

 慌てて謝る聖羅に対し、リューは楽しげに鳴き、聖羅の首筋に頭を擦りつける。
 犬猫のような動きをするリューに苦笑しつつ、聖羅は撫でてあげながら話しかけた。

「リューさん、私たちはいまから水か食べ物がある場所に移動しようと――」

「ちょっと待ったせいらん!」

 勘働きに優れたルレンティアは、全身の毛が逆立つような悪寒を覚えて、咄嗟にそう叫んでいた。
 聖羅はその叫びに驚いて言葉を途中で止めたが、しかしすでに遅かった。

 突如、廊下の迷宮全体が震え出す。

 全員が座っていたため、倒れる者こそいなかったが、立ち上がるのも難しいほどの揺れ。
 地震大国出身の聖羅が推測するに、震度7弱ほどの激しい揺れだった。

「な、何が起き……っ!」

「まずい! 結界に感! 狭い廊下側!」

 叫ぶアーミアの言葉を肯定するように、狭い廊下を埋め尽くすようにして、小さな蜘蛛の眷族たちが近づいて来ていた。
 蜘蛛たちも慌てふためいているようにも見えたが、聖羅たちを認識すると同時に、一斉に襲いかかってくる。

「この状況で……!」

「くっ、ほの――」

 ルレンティアが歯噛みし、テーナルクが炎の魔法で応戦しようとした時。
 聖羅に抱かれたままのリューが、その小さな口から巨大なブレスを吐いた。
 幸いにして聖羅が先頭になる位置関係であったがゆえに、そのブレスに巻きこまれるものは、蜘蛛だけで済んだ。
 小さな蜘蛛たちは逃げる暇も場所もなく、ブレスに巻きこまれて吹き飛ばされていく。
 ブレスは余波だけで廊下の床や天井に亀裂を生じさせ、最終的に突き当たった壁で大爆発を起こした。
 地震の震動とはまた種類の違う振動が、聖羅たちのいる場所にまで響いてくる。

「うわぉ……」

 思わず聖羅は唖然とした声を出していた。
 小さくなってもリューはドラゴンであり、死告龍。
 最強の種族にして、最悪の個体の名は伊達ではなかった。
 リューの一撃によって、蜘蛛たちの脅威は去った。
 だが、空間全体の震動は全く収まらない。

「全員、近くに寄って離れないでください!」

 バラノがそう叫び、テーナルクの腕を引いてルレンティアと肩を組む。
 突然の行動にルレンティアは驚きつつも、アーミアを抱え上げた。
 そして、テーナルクが聖羅と腕を組んだ。
 五人がひとかたまりになったと同時に。

 広い廊下を満たすほどの、大量の水が流れてきた。

 それを見たルレンティアが、何時になく真剣な表情で抱え上げたアーミアに声をかける。

「アーミア!」

「了解! みんな、なるべく小さくまとまって!」

 全員が身体を寄せ合い、小さく丸まった五人と一頭を、アーミアの結界術が包み込む。
 ボールのように構築された結界は水を通さず、五人は荒波に揉まれつつも、溺れることはなかった。
 だが、瞬く間に増える水量によって、為す術もなく押し流され――気づけば見渡す限り水だらけの、大海原に放り出されていた。まだ陽は沈みきっていなかったが、白い霧のようなものが視界を限りなく悪くしていた。
 五人と一頭を包み込む結界が、船のようになって大海原に浮かんでいる。
 遠くの水面で、魚らしきものが跳ねているのが見えた。
 リューを抱きしめて固まっていた聖羅は、恐る恐る顔をあげ、周囲の状況を確認して、唖然とした。

「確かに、ここなら水と食べ物はありそうですけど……」

 聖羅の呟きに、リューは不思議そうに首を傾げる。
 死告龍の魔界はその全容が把握できないほど、複雑怪奇に広がっているようだ。

つづく

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第5章 おわり


 大蜘蛛は飛ぶように天井付近を移動しく。
 音を立てずに移動することも出来る大蜘蛛であったが、いまは大きな音を立てながら広い廊下の天井を進んでいた。
 幾重にも入り組んだ廊下は迷宮の如き複雑さであったが、蜘蛛は迷いなく道を選択していた。それは特殊な糸を張り巡らせているためである。
 大蜘蛛はその糸を通じて複雑な道を余すことなく把握している上、その糸から伝わってくる振動などで獲物の存在を感知することが出来るのだ。

 大蜘蛛はその糸を通じ、緊急事態を察していた。

 捕らえた獲物たちを保管している、広い部屋に大蜘蛛が戻って来たとき、その部屋の床は広い範囲に渡って焼き焦げていた。
 大蜘蛛が天井に張った巣には、捕らえた獲物を糸でぐるぐる巻きにして吊してある。
 繭状となった犠牲者は十数人にも及んでいたが、蜘蛛はその数が記憶よりもふたつ少ないことを認識した。
 逃げ出した者がいるのだ。
 素早く複眼を動かし、部屋の状況を詳しく把握する。
 床が焼き焦げているのは、床に張り巡らせておいた感知用の糸を焼き払う目的であると推測できた。
 本来はその糸によって脱走を感知し、同時に足止め用の罠糸が発動するはずだった。
 脱走者は触れる前に糸に気づき、それらを纏めて魔法で焼き払ったのだろう。

 大蜘蛛はその複眼を赤く染め、怒りを露わにする。

 そして、逃げ出した獲物を再度捕らえるべく、行動を開始した。
 この広間から外に繋がる道は複数あるが、その内一本はたったいま大蜘蛛が通ってきた道なので、除外。
 残る道にも大蜘蛛は感知用の糸をかけているため、そこを通ればすぐわかる。
 大蜘蛛が楽に移動できる大きな道と、大蜘蛛が入るには少し小さな道、ふたつの道に張った糸が千切れていた。
 それを感じた大蜘蛛は、脱走したのが複数で、二手に分かれたのだと考えた。
 まずは大蜘蛛の動きが制限される狭い道から追いかけようと、大蜘蛛が道へと近づく。

 その時、大きな道の方から、糸が切られる感覚が伝わってきた。

 大蜘蛛が脚を止めると、さらに連続して糸が切られていくのを感じ取る。
 一方、いかにも人間が逃げやすそうな狭い道の方からは何の感覚もしなかった。
 狭い道の方の糸が千切られていたのはまやかしで、脱走者は大きな道の方にいることを大蜘蛛は確信する。
 翻弄されるところだった大蜘蛛は、その複眼を怒りにますます赤く染め、大きな道へと飛び込んでいった。
 後には巣にかけられたままの犠牲者たちだけが残され、静寂が満ちた――のだが。

 天井の隅に隠蔽の魔法を使って隠れていた、テーナルクとバラノが床に降りる。

 身体強化を用いたテーナルクはバラノを背負ったまま、床に危なげなく着地すると、即座に走り出した。
 向かう先は、先ほど大蜘蛛が大急ぎで戻ってきた道だ。
 テーナルクは何も言わないまま、その道を駆け抜けて大蜘蛛の巣から離れていく。バラノは振り落とされないよう、テーナルクにしがみついていた。
 テーナルクはバラノの言った通りの状況になったことに、なんとも苦い顔をしていた。

(隠蔽の魔法が見破られたら危なかったですが……本当に、気づかれなかったですわね)

 バラノは大蜘蛛の習性や行動パターンから、糸に頼り切っていることに気づいたのだ。
 大蜘蛛の糸は万能で、非常に便利なものであったが、便利すぎてそれを感じるあまりに他の感覚を疎かにしてしまっていた。
 結果、バラノにその弱点を突かれ、まんまと彼女たちの逃走を許す結果になった。
 的確に蜘蛛の習性を読み、見事に安全な逃走を実現させたバラノの手腕に、テーナルクは舌を巻いていた。

(二重三重に策を畳みかけ、大蜘蛛の意識を誘導するなんて……おそらく、今頃大蜘蛛は逃亡者を追い詰めていると疑いもしておりませんわよね)

 それだけバラノが策略家として優れているのだと、テーナルクは認めざるを得ない。
 一方、バラノもまた、テーナルクの優秀さを実感していた。

(王族ですからある程度は当然としても……身体強化、攻撃、感知、補助……様々な魔法を苦も無く扱いこなしている辺り、流石ですね)

 バラノの知る限り、テーナルク並みに多種多様な魔法を扱いこなせる者はそうはいない。
 軍事国家であるバラノの国・ザズグドズ帝国であっても、テーナルクほど、高い水準で魔法を使いこなす魔法使いはそうはいなかった。
 厳密にいえば、国の戦略的方針で特定の魔法の習熟に特化した者――特化職ならばテーナルクを超える魔法使いもいなくはないのだが。

(明らかな内政担当であるテーナルク様でこの水準ということは……他の戦闘向きの王族の評価を改めないといけません)

 この世界においても、人間の強さの肝はあくまで集団戦であり、個々の強さが最重視されるわけではない。数が力なのは聖羅の世界と変わらないのだ。
 だが、同時に個々の戦力というものも、無視できない程度には、戦況を左右しうる要素になりえた。
 特に各国の王族は普段戦場に出ない分、戦力を攻略の際の勘定に入れることが難しい。
 その対策も当然取られてはいるが、『王族が戦場に出てきた瞬間、優位だった戦況がひっくり返された』戦争の例は古今東西、いくらでもあるのだ。

(王族の戦力を上方修正するとなると……七十七番から九十二番までの策は使えませんね……軍部に連絡しておかなければ)

 バラノはテーナルクの背にしがみつきつつ、そう考えていた。
 彼女はルィテ王国に入国する際、ルィテ王国国王のイージェルドと「今後ルィテ王国へ危害を加えない」という制約を交わしている。
 ゆえに、バラノは入国する前に、その時点で考え得るルィテ王国攻略の策戦を思いつく限り書き残しておいたのだ。
 時が経つにつれ。情報が更新されるにつれ。
 意味と確度を失っていく置き土産であったが、帝国のためにできる限り策を残しておいたのである。

(ここから脱出出来なければ意味がありませんが)

 バラノがそう心の中で結論を出し、気持ちを切り替えるのと、ほぼ同時。
 彼女を担いだまま疾走するテーナルクが、不意に後ろを振り向いた。

「……囮の土人形が破壊されましたわね。こっちに来ますわ」




 逃亡者を追いかけたつもりでいた大蜘蛛が追いめたのは、全身に火を灯したまま、ひたすら道なりに進む土人形だった。
 あからさまな囮であり、まんまと騙されたことに気づいた大蜘蛛は、怒りのままにその土人形を破壊する。
 土人形に戦闘能力は全くなく、あっさりと砕けて土塊へと変わった。
 大蜘蛛は再び廊下を全速力で走り、捕らえた獲物をかけてある巣のある広間に戻り――

『やれやれ、人間如きにしてやられるとはね。君には失望しましたぞ』

 部屋の中央にいる『モノ』の存在に気づいて、その脚を止めた。
 その大きさは人間より少し大柄な程度の人型であったが、大蜘蛛はまるで巨大な怪鳥を前にしたかのように硬直していた。
 小刻みに震えているのは恐怖のためだろうか。
 そのモノは極めて人間的な見た目をしていながら、明らかに人間ではないことがわかる見た目をしていた。

 頭部はドラゴンのものであり、背には翼、臀部には尻尾が生えている。

 その上で、それ以外の胴体や手足は人間のものであり、人間の貴族が身に付けるような豪奢な礼服を身に付けているのだから、奇妙な姿であった。
 竜頭人、とでもいうべき姿をしたそのモノは、大蜘蛛に向かってその掌の上にあるものを示す。

『このふたりに関しても、です。この程度の相手に手こずろうとは。恥を知りなさい』

 その掌の上には、水晶のように透明な四角柱がふたつ浮かんでいた。
 こぶし大の大きさであったが、その中には人間の男女がそれぞれ窮屈そうに押しこめられている。魔法を用いて、水晶に本物の人間を封じているようだ。
 閉じ込められている者達は意識がないのか、ぐったりとしてその身を委ねている。
 いずれも服を含めて装備一切を剥ぎ取られた生まれたままの姿であり、仮に意識があったとしても、抵抗する術を全て奪われていた。

 そのふたりは、大蜘蛛が先ほど戦っていたふたりの騎士であった。

 相応に技量が高く、大蜘蛛を苦戦させた存在であったが、その竜頭人にしてみれば障害にならないらしい。
 圧倒的な力の差があることを感じているのか、大蜘蛛は何も鳴かず何も示さず、ただ硬直するのみ。
 そんな蜘蛛を安心させるように、竜頭人はその奇怪な頭部を歪め、辛うじて笑みと呼べるような表情を作った。
 笑みは笑みでも非常に悪魔的な笑みではあったが。

『まあ、それでも君はよくやってくれた方ですがね。――逃げられたのも、あのふたりであるならば、むしろ行幸かもしれませんな』

 後半は独り言として呟かれた。
 そして、竜頭人は頭上に広がる蜘蛛の巣を見上げる。
 彼が見ているのは、その巣にかかった哀れな犠牲者たちだ。

『あれらは儂が回収していきます。君は逃げた人間を追うように。……とはいえ、逃げに徹するあれらを捕まえるのはなかなか難しいでしょう』

 だから、と竜頭人が手を床に向けて翳すと、床から数多の小さな蜘蛛が這い出て来た。
 それらは蜘蛛の幼体という様子ではなく、大蜘蛛をそのまま小さくした複製品という表現の方が正しく思われる。

『これらを使いなさい。数で飽和攻撃を行えば捕まえることもできるでしょう』

 大蜘蛛は小さな蜘蛛を引き連れて、広間から出撃していった。
 それを見送った竜頭人は、再び天井を見上げた。

『さて……これで数は十分でしょうか……欲を言えばもう少し欲しいですな。……とはいえ、取り込めた資源にも限りがありますし……まったく人間如きが、忌々しいことですなぁ』

 ふぅ、と息を吐いた竜頭人の体が、その輪郭を失い、七つの首を持つ巨大なドラゴンの姿へと変貌する。
 七つの首は統一された動きで蠢き、その全ては一つの胴体に繋がっていた。胴体からは翼と尻尾が生えている他、像のように太く短めの足が生えている。
 巨躯の体重は相当重く、その太い四つ足でやっと支えられるようで、広い部屋の床が砕けて陥没しかけていた。歩くだけで猛威を振るう、まさに怪獣と呼ぶに相応しい姿だ。

 神話の如き七つ首のドラゴンが、そこに顕現していた。

 蛇のように長い首を伸ばし、天井の蜘蛛の巣にかけられた犠牲者たちを包む繭に、ひとつひとつ丁寧に食らいつき、繭ごと飲み込んでいく。
 元々身動きの取れない彼ら彼女らは抵抗することなど出来るはずもなく、次々丸呑みにされていった。ひとつ繭を喰らう度、長い首の表側が人の形に盛り上がり、首を下へと落ちていき、胴体へと吸い込まれていく。

 それはまさしく――悪夢のような光景であった。




 大蜘蛛からの逃走を続けていたテーナルクとバラノは、二人同時にその音に気づいた。
 背後から、蜘蛛が移動する際に生じる、極めて不愉快な足音が聞こえてきたのだ。

「まずい……! 追い付かれます!」

「わかっておりますわ! なんで、こんなに早く……!」

 ふたりはある程度広間から離れた段階で、逃げる痕跡を残さないように細心の注意を払っていた。
 廊下中に張り巡らされた蜘蛛の糸をあえて切らずにくぐり抜けたり、時間差で起動する爆発魔法を仕込んだり、大蜘蛛の追跡を避けるためのありとあらゆる手を打っていた。
 いかに蜘蛛が魔物として優秀であったとしても、習性自体は通常の蜘蛛の範疇であれば、十分以上に撹乱できたはずだった。

 しかし、現実にはすぐ背後まで蜘蛛の足音が迫っている。

 テーナルクとバラノはその事実に震えたが、その音をよくよく聞いて、顔を見合わせた。
 足音の性質が大蜘蛛のものと違っていたためだ。
 一匹の大きな蜘蛛が移動する音ではなく、複数の小さな蜘蛛が動いているものだと察するのは容易であった。
 その音は複数の方向から、徐々に近づいて来ている。

「……子を成して、増えたのでしょうか?」

「まさか! ありえませんわ!」

 テーナルクはバラノの発言を強く否定する。
 眷族は魔界から発生するものであり、通常の生物や魔物とは有り様を異にする存在だ。
 普通の魔物と違って生殖機能は持っていないことが多く、魔界が大きくなる度に自動的に増えるとされている。

「魔界が大きくなって、増えたと考える方が妥当ですわ!」

 テーナルクはそう叫ぶが、それはそれでルィテ王国がいまも魔界に飲み込まれ続けているということになるため、楽観できる状況ではない。
 一刻も早くこの場を脱出しなければならない、と彼女たちは同じ事を考える。
 そのふたりの前に、小さな蜘蛛が現れた。
 散らばっている蜘蛛のうちの一匹に遭遇してしまったのだ。
 小さな蜘蛛の複眼がテーナルクたちを捉える。

「くっ……! 喰らいなさい!」

 瞬時に反応したテーナルクが、掌に生み出した火球を蜘蛛に向けて放つ。
 火球は見事に蜘蛛の顔面を捉え、爆発し、その複眼を焼いて牙を砕いた。
 大蜘蛛に比べて、小さな蜘蛛は魔法抵抗力も大したことはないらしく、甲高い悲鳴をあげてのたうち回る。
 その蜘蛛にとどめを刺すことはせず、ふたりは即座にその場から逃げ出した。

「小さい蜘蛛なら、倒せますわね!」

「ですが逃げるべきです!」

「言われなくともわかっていますわ!」

 一体ごとなら大したことのない敵であったが、問題はその数だ。
 いま焼いた蜘蛛の悲鳴に反応して、蜘蛛たちが移動する音が四方八方から響くのを、ふたりは総毛立つ思いで感じていた。
 それらの中には当然あの大蜘蛛もいるはずだ。
 小さな蜘蛛の音に紛れ、逃げられないほど近くまで来られる可能性もあった。

「倒せるとはいえ、死告龍の眷族である以上……っ!」

 テーナルクがそう言いかけた時、今度は複数の小さな蜘蛛が彼女たちの前に現れた。
 即座にいくつもの火球を生み出し、数匹を焼き払ったが、無傷の数匹がその丸い腹部の先端から、糸を射出する。
 通常の蜘蛛の糸と違い、槍状になって飛ぶその糸の先端が、黒い霧のようなものに覆われた。
 テーナルクは血の気が下がる思いをしながら、紙一重で回避し――避けきれなかった糸のひとつが、ドレスの裾に触れる。
 糸に付与された黒い霧は、電気が流れるようにドレス全体に伝播し。

 テーナルクのドレスが、散り散りに崩壊した。

 すでにボロボロだったとはいえ、突然下着姿に剥かれる形になったテーナルクは、一拍遅れてその事実を認識する。
 彼女の思考が真っ白になり、隙が生まれたのを、蜘蛛たちは見逃さない。
 素早く距離を詰め、その毒の牙を持ってふたりを仕留めようと跳びかかった。

「テーナルク様!」

 背にしがみついていたバラノが、そう叫んで注意を促すが、時すでに遅く。
 複数の蜘蛛の牙が、テーナルクとバラノの体に突き立てられる――

 寸前で、小さな蜘蛛たちが不可視の障壁に弾かれた。

 思わぬ衝撃に仰け反った蜘蛛たちの頭部が、直後に吹き荒れたつむじ風によって切断される。
 気を取りもどしたテーナルクが見たのは、半獣人と化した、見覚えのある後ろ姿で。


「てーなるん、大丈夫かにゃ!?」


 独特の呼び方でテーナルクを呼ぶのは、ひとりしかいない。
 フィルカードの獣人姫・ルレンティアだ。
 何かと気にくわないところも気の合わないところもある相手ではあったが、その実力や能力に関して疑うところは全くない。
 そして互いに国を背負って立つ者同士、信頼がそこにはあった。
 思わずテーナルクが安堵の笑みを浮かべたのも、無理からぬことだっただろう。
 それでも、即座にテーナルクは気を引き締め直した。

「小さな蜘蛛以外に、手強い大蜘蛛がいますわ! その奇襲に気をつけてくださいませ!」

 端的に最も重要な情報を伝え、注意を促す。
 ルレンティアはそれを受け、頭頂部の獣の耳をぴんと立てて警戒の意を示す。

「了解だにゃ! ボクのてーなるんを辱めた借りは百倍にして返すにゃ!」

「誰が貴女のですかッ! 辱めも受けておりませんわ! 貴女は、まったくもう! ふざけてる場合ですか!」

 顔を真っ赤にして叫び、怒りを露わにするテーナルクだが、その表情には余裕があった。
 獣人のルレンティアがいれば前衛を任せることが出来る。
 王族の嗜みとして魔法全般を修めているテーナルクだが、決して戦闘が得意というわけではない。特に高速で動き回りながら行う魔法戦闘など、不得手の部類であった。
 だが、前衛として敵に対処してくれるルレンティアがいれば、話は全く違う。
 支援のための魔法を唱えることに集中することが出来れば、テーナルクの修めている多種多様な魔法がより活きるからだ。

「巻きこまないようにわたくしは支援に徹しますわ。それでいいですわね?」

「もちろんだにゃ! 大蜘蛛とやらの警戒、よろしくにゃ!」

 端的に必要なやり取りを交わし、テーナルクとルレンティアが組んで蜘蛛たちに立ち向かう。
 ルィテ王国とフィルカード共和国。
 国は違えど、王族に数えられるふたりの姫が組んだ時の実力は確かで、その場にいた小さな蜘蛛たちは次々と倒されていった。
 即死属性を扱えても、攻撃が当たらなければ意味が無い。
 ある程度数を減らしたところで、蜘蛛たちは勝機がないことを悟ったのか、散り散りに逃げ出した。
 ふたりは蜘蛛たちが戻ってこないことを確かめた上で、息を吐く。

「ふぅ、なんとかなりましたわね」

「うぇぇ……気持ち悪いにゃ……蜘蛛の体液がなんともいえない匂いだし……」

 ルレンティアの攻撃方法は基本的に長く伸ばした手の爪で引き裂くというものだ。
 一瞬で上手く切断すれば体液塗れになることはないのだが、乱戦の中では必ずしも的確に爪を震えるわけではない。
 結果、返り血も含めてルレンティアの全身は蜘蛛の体液に濡れていた。
 胸に巻いた布も濡れてしまっていたが、幸いというべきなのか、体液自体が色の付いたものだったため、透けるようなことはなかった。
 本人は気にしないかもしれないが。

「助かりました。ルレンティア様。テーナルク様もありがとうございます」

 テーナルクの背からようやく降りることができたバラノが、ルレンティアとテーナルクに対して頭を下げる。
 ルレンティアは飄々とした調子で、その礼を受け取った。

「こんな状況だからにゃ。堅苦しいのは抜きで行くにゃ。脱出にお互い力を尽くそうにゃ」

「無論、出来る限りのことをさせていただきます。私に出来ることは少ないですが……」

 ルレンティアとバラノが協力態勢をきっちり築き上げたところで、テーナルクが口を開く。

「アーミア様はどこにいらっしゃるのですの?」

「さすがてーなるん。気づくよにゃあ」

 そうルレンティアが笑い、廊下の隅に目線をやると、その場所が歪み、隠蔽の魔法で隠れていたアーミアと聖羅が現れた。
 聖羅自身には魔法は利かないが、周りに幻影を被せることで隠れていたのである。

「大丈夫ですか? テーナルクさん、バラノさん……」

「……体に怪我はないみたい」

 心配そうに声をかけてくる聖羅と、淡々と事実を指摘するアーミア。
 ふたりの様子にテーナルクとバラノは変わったところはなさそうだ、と感じ――

 聖羅に抱かれている小さなドラゴンに気づいて唖然とした。

 テーナルクもバラノも、なんというべきか言葉を一瞬失う。
 奇妙な沈黙の時間を経て、最初に口を開いたのはルレンティアであった。

「とりあえず、ここから移動するにゃ。安全を確保して、それからお互い状況を確かめるにゃ」

 その意見を否定する者は一人もいなかった。

 小さくなった死告龍を抱えたバスタオル一枚の聖女・清澄聖羅。
 獣化しているとはいえ、胸に一枚布を巻いているだけの格好の獣人姫・ルレンティア。
 半透明のレースを幾重にも重ねた神聖法衣と、布を下着代わりに要所を隠している姫巫女・アーミア。
 ドレスが崩壊し、下着のみの姿になっている王国第一姫・テーナルク。
 蜘蛛の糸が巻き付けられ、所々が破れかけた聖女風ドレスを身に付けている軍略家・バラノ。

 うら若き乙女がするには、あまりにも悲惨かつ散々な姿をした彼女たち。
 この場に異性がいないことが、彼女たちにとっては数少ない幸運であった。

つづく

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第5章 3


 蜘蛛の糸に包まれていた状態から、自力で脱出したテーナルク・ルィテ。
 広いホールのような空間の、天井付近に張り巡らされた蜘蛛の巣に掴まり、ぶら下がりながら素早く周辺を見渡す。
 自身を糸で捕らえた大蜘蛛が近くにいないことを確認すると、ほっと一息を吐いた。

(注ぎ込まれたのが、致死性の猛毒でなくて命拾いしましたわね……さすがにあの量は耐えきれませんわ)

 テーナルクは蜘蛛に牙を突き立てられた箇所を掌で摩る。
 大蜘蛛の牙は元々の体躯の差から、人間にとってナイフで刺されるのと変わりない損傷を体に与える。
 特に今回は逃がすまじとばかりの突撃と共に突きたてられたため、毒がなくとも傷がそのまま致命傷になりかねないほど深くなっていた。
 しかしいま、テーナルクの体には傷らしい傷はない。多少皮膚に違和感はあったが、血も滲んでおらず、ほとんど完治しているといっていい状態だ。

(自動回復の首飾りは……ダメですか。再度同じ攻撃を受ければ、今度こそ死にますわね)

 テーナルクは暗殺対策として、傷つけられると同時に発動する回復魔法を仕込んだネックレスを身に付けていた。それが効果を発揮し、受けた傷を癒やしたのである。
 高い治癒力を発揮したネックレスは、その代償に壊れかけており、同じことはもう出来ない状態だった。
 ネックレスには、毒を無効化する力はなかった。注ぎ込まれた毒液は、純粋にテーナルクの抵抗力で耐えたのだ。王族の嗜みというものである。
 本来ならば身動き一つ取れなくなっていただろうが、一時的に意識を失う程度で済んでいた。
 しかし当然ながら万全な状態とは言いがたく、テーナルクはこの後はより慎重に行動しなければならないことを肝に銘じる。
 改めて周囲の気配を探り、蜘蛛が近くに戻って来ていないことを確認する。

(ひとまず、蜘蛛の気配は近くにない……ですわね。とりあえず下に降りて、落ちついて態勢を整えましょうか――)

 身体強化の魔法を扱えるテーナルクにとって、巣の高さはそう恐れるほどのものではなかった。
 念のため感知魔法を用いて、細い糸の罠が張られていないことも確認。
 怪しいものは何も感知できなかったため、テーナルクは蜘蛛の巣に掴まっていた手を離して、下に降りようとして。

『お待ちください、テーナルク様』

 すぐ近くから静止の声がかけられ、その動作を中止した。
 テーナルクが周囲を見渡すと、彼女と同じように蜘蛛に捕獲されたと思われる人間大の繭のひとつから声が聞こえて来ていた。

「バラノ様! ご無事でしたの!」

 白い繭の一部が裂け、その隙間からバラノの目だけが覗いていた。

『……ええ、なんとか。念話にて失礼いたします』

 バラノの口元はいまだ蜘蛛の糸によって覆われており、声を出すことは出来ないようだ。
 テーナルクは糸を伝って、バラノの傍に寄る。

『どうやら、あの蜘蛛は我々を殺す気はなかったようですね。周りの方々も生きていらっしゃるようですし。私が早々に脱出を諦めて抵抗をしなかったためか、テーナルク様のように毒も注がれずに済んだようです』

 言われてテーナルクは周囲の繭を見渡す。
 確かに、どの繭も微かに動いていて、全く動かない繭はないようだ。

「呼吸は出来ているんですの?」

『ええ。激しく動くと苦しいですが、この糸、かなり通気性はよいようで。落ちついて呼吸すれば、普通よりすこし息苦しい程度で済みます。ただ、突然のことに動揺した状態では難しいのでしょう。ほとんどの人はしばらくもがいた後、気を失ってしまっているようです』

 さらりとバラノは言ってのけたが、その胆力にテーナルクは舌を巻いた。
 力を持たないということがかえって覚悟を決めさせているのかもしれないが、冷静であろうと努めて実際にそうできる者はそうはいない。

「その目の部分だけ糸が裂けているのは?」

『私の無詠唱魔法ではこれが精一杯でした。起きていることが蜘蛛に知られても困りますし……ちなみに、私たちがここに運びこまれてから一時間ほど経過しております。その間、何度か蜘蛛は私たちと同じようにした犠牲者を運びこんで来ています。先ほども二人ほど追加されたところです』

「一体、何のつもりなのでしょう……この巣に生け捕りにすることに意味があるのでしょうか? ともあれ、貴女を捕らえている糸を焼きますので、動かないでくださいまし」

『お願いします。ただ、下に降りたくはないので、体を支えておいてくださいますか?』

「なぜ下に降りたくないんですの? 何かあるようには見えませんわ。糸もないようですし」

 先ほど、見えないほど細い糸の罠に引っかかったテーナルクは、それを学習して、そういった細い糸がないかどうかは真っ先に警戒していた。

『予想なのですが、触れたら切れる程度の、極細の糸が張り巡らされているのではないかと。蜘蛛の種族の中には、そういった糸を感知装置にして、巣の異変に気づく者がいると聞いたことがあります。それが厄介な点は、目視することが極めて困難である上、魔力を介さないために感知魔法で認識できないという点です』

 バラノは知識と予想を絡めてテーナルクに説明する。
 あらゆる想定を行うのは、軍略家たるバラノの得意とするところであった。

『わざわざ我々を生け捕りにした以上、そこにはなんらかの意味があるはず。こんな開けた場所に、何の用意もなく、ただ放置するとは思えません』

「……ありえなくはない話ですわね」

 テーナルクは言いつつ、視力を限界まで強化し、床に極細の糸が張られていないかを確かめる。
 そう意識して糸を探して見ると、ほんのわずかであったが視界の一部に違和感を覚えた。
 先ほどテーナルクたちを捕らえたものよりも遙かに細い糸が張り巡らされているようだ。
 それは獲物を捕らえる役目は果たさないだろうが、バラノが言ったような延長された感覚器としての役割は果たすであろう。
 もしテーナルクが先ほど下に降りていたら、それを察知した蜘蛛が戻ってきていたかもしれない。

(まったく……味方であるうちは頼もしいのですが)

 テーナルクは争う領域が違うとはいえ、バラノの想定の的確さに舌を巻かざるを得ない。
 その頭脳がかつては敵としてルィテ王国に牙を剥いていたこと、そして死告龍の騒動によって、彼女がルィテ攻略のための戦略を立てられなくなったことを考えると、テーナルクは命拾いをしたような心持ちだった。

(とはいえ、軍略家は彼女だけではありませんし、油断は禁物ですわね)

 そこまで考えたテーナルクは、一端それらのことを頭の隅に追いやった。
 ルィテ王国とザズグドズ帝国の戦いも重要だが、いま優先すべきはこの非常に危険な状況からの脱出である。
 テーナルクはバラノの近くの糸に片手でぶら下がり、バラノの体に空いた手を添える。身体能力強化の魔法がなければ、とても出来ない芸当だ。

「では、いきますわよ。動かないでくださいませ」

 バラノの体に添えた手に魔法の火を宿し、バラノを捕らえている蜘蛛の糸だけを正確に焼いていく。
 戦闘中には不可能であったが、じっくり行うのであれば問題なく糸だけを焼ける。
 程なくして、バラノは糸から解放された。その体を片手で担ぐようにして、テーナルクが支える。

「ありがとうございます。テーナルク様」

 バラノは糸から解放され、喋れるようになったためか、肉声に切り替えて話す。
 両手で胸を庇っているのは、彼女が着ていた『聖女風ドレス』の胸に巻き付けていた布が引き千切れていたためである。
 テーナルクは的確に糸だけを魔法の炎で焼いたのだが、その布は糸を巻き付けられる段階で破かれていたのだ。
 幸い、彼女はそのドレスの発端になった聖羅と違い、ちゃんと下着は身につけていたため、裸の胸を晒すことは避けられていたが、恥ずかしいことに変わりは無い。
 そういう意味ではテーナルクも似たような状況にあるのだが、本人の維持もあり、気にしないように努めていた。

「この体勢、あまり長くは保ちませんわ。いずれにせよ、降りていかなければなりませんが……方針を定めましょう。奇襲か。逃走か」

「逃走でしょうね」

 バラノのその判断に、テーナルクも異論は無かった。
 この場に隠れ、戻ってきた蜘蛛を奇襲することも考えられなくはないが、テーナルクもバラノも戦闘に特別優れているわけではない。
 一撃で倒し切れればそれもいいが、そうできない場合の方が可能性としては高い。。
 即死属性を持つ蜘蛛に戦いを挑むのは無謀である。
 まずはこの場を離れ、戦闘に長けた者と合流することを目指すべきだった。

「蜘蛛がどちらに行ったかはご覧になっておられませんの?」

 蜘蛛との遭遇は極力避けなければならない。
 相手も移動する以上、確実なことはわからなくともなるべく可能性を下げるために、テーナルクはバラノにそう尋ねた。

「残念ながら、蜘蛛が去っていった通路は私から見えなかったのです。ただ、逆にいえば私から見えていた通路から出て行っていないので、選ぶならそこでしょうか」

 言いつつ、バラノはこの広間に通じる道のうち、一本の通路を指さした。
 そこは蜘蛛が出入りするには少々狭く、選択肢としては悪くなさそうに見える。
 だが、テーナルクは悩んだ。

「……おそらく、罠が張り巡らされていると見ますわ」

 いかにも蜘蛛から逃げやすそうな通路。
 そして、蜘蛛が使いづらそうな通路。
 開けた廊下での遭遇戦でさえ、用意周到に逃げ道を塞ぐように罠を準備する蜘蛛が、その場所に罠を何も用意していないわけがなかった。
 そのことに、バラノも同意する。

「私もそう思います。ですので……こういう手はいかがでしょうか?」

 バラノが示した策戦に、テーナルクは苦い顔をしながらも従わざるを得なかった。
 軍略家たるバラノの示す手は、実に的確だったためである。




 二人の騎士が、たった一匹の大蜘蛛に翻弄されていた。
 騎士は王城に勤めていることもあり、選りすぐりの精鋭だった。その研ぎすまされた剣技と優れた魔法の扱いによって、大抵の魔物は個人で討伐出来る実力者揃いだ。
 だが、それでも蜘蛛は騎士を翻弄し得た。

「くっ……!」

 騎士が構えた剣が、突如半ばから切断されて使い物にならなくなる。
 咄嗟にその騎士は転がって追撃を裂けたが、戦闘力の著しい低下は避けられない。

「ダメだ魔力を宿した剣でも受けるな! 『即死』させられるぞ!」

「こんなんありかよ! 反則だろこれ!」

 もう一人の騎士がそう悲鳴混じりに叫びつつ、一歩後ろに後退する――その足が、張り巡らされていた糸に触れた。
 それを感じたその騎士は、冷や汗を流しながら慌てて足を戻そうとするが、糸は足を覆う鎧にひっついて離れない。

 その糸を、黒い霧が伝って来た。

 黒い霧が騎士の鎧に触れた瞬間、その足を覆っていた鎧が砕け散る。
 片脚だけ鎧を失った騎士は、バランスを崩しつつも、風の魔法で進行方向の安全を確保しつつ、後退する。
 蜘蛛は天井付近を高速で移動しており、狙いを絞らせない。

「即死攻撃で装備が破壊されるなんて聞いたことねーぞ!」

「とにかく避けろ! これが生身に触れたら――ッ!」

 指示を出していた騎士が被っていた兜が、破裂した。
 極細の糸が風に乗せて垂らされていたようだ。
 兜の中に納めていたその騎士の長い茶髪がパサリと広がってしまい、騎士は慌てて手でひとつに纏め、風の刃を発生させて乱暴に断ち切る。
 普段の戦場なら髪が広がろうと気にしないが、即死属性を持つ相手に対して広がる髪は致命的だからだ。
 ざんばらの髪型になったその騎士を見て、もうひとりの騎士が苦々しい顔になる。

「隊長……っ! くそっ、隊長の婚期がこれ以上遅れたらどうしてくれるんだ!」

「髪くらいあとでいくらでも直せる! 馬鹿なこと言ってないで警戒しろ! あと、あとで話があるからな!」

 隊長と呼ばれた女騎士は、部下の騎士に向かってそう怒鳴ってから、天井の蜘蛛を睨み付ける。
 蜘蛛は悠々と天井を移動していた。

「魔法使いではない以上、髪を失うことくらいどうってことはない、が……この代償は高く付くぞ!」

 隊長の怒りを表すように、彼女の体を一瞬雷が走り、それは無数の雷となって天井の蜘蛛へと空中を走る。
 蜘蛛の張り巡らせた糸を縫うようにして避けた雷撃は、的確に蜘蛛の頭部へと突き刺さった。

「やった! さすが隊長!」

「まだだ! 奴め……雷を受け流した!」

 忌々しげに呟いた隊長の言うとおり、蜘蛛の腹部に突き立ったと思われた雷は、その直前に張られていた糸に誘導され、天井へと流されていた。
 天井が雷によって焦げ、大きな音を立ててひび割れるが、蜘蛛自体はさして傷ついていない。
 それでも多少の影響はあったはずだが、高い魔法への抵抗力を有しているらしく、蜘蛛の体表面が多少焦げている程度だ。

「マジで!? なんつー器用な!」

 そんなのありかよ、と再度呟く部下に対し、隊長は冷静だった。

「即死属性をそのままブレスとして放てる死告龍よりはまだ対処のしようもあるが……生まれたばかりの眷族にしては技巧派すぎるな」

 長期戦を覚悟し、隊長が気合いを入れ直す中、不意に天井付近にいた蜘蛛が、あらぬ方向を向いた。
 警戒する地上の二人を置いて、蜘蛛は高速で移動を始め、その場から去ってしまう。
 しばし呆然としていた二人だが、蜘蛛が戻ってこないとわかり、一息つく。

「なんだったんでしょ? 慌てていたようにも見えましたけど……」

「さあな……とにかく、この場を凌げたことは確かだ」

 そう言いつつ、隊長は壊れて散らばった兜の破片を拾い上げる。
 破片に向かって魔法を行使するが、破片に変化はなかった。

「むぅ……【修復】の魔法が利かないだと……?」

「直せない、なんてことありえるんですか?」

「わからん……もしかすると、即死属性がまだ残留している、のかもしれないが……あれに壊されたものは直せないと考えなければならないだろうな」

 試しに騎士隊長が自分の髪に【修復】の魔法を使ってみると、床に散らばっていた髪がふわりと切断面へと舞い戻り、彼女の髪型は再び元のように戻った。
 大蜘蛛にやられたのではなく、彼女自身が切ったためだろう。
 それを見ていたもうひとりの騎士も、砕かれた自分の鎧の足の部分に【修復】をかけてみるが、その部分が修復されることはなかった。

「うええ……マジっすか……鎧の片脚だけないとか、みっともないなぁ……」

「剣を折られた私よりはマシだろう。とにかく、蜘蛛が戻ってこないうちに探索を進めよう。姫様やキヨズミセイラ様、各国の来訪者など、保護しなければならない方々と一刻も早く合流せねば」

 城内で魔界が発生するという異常事態にあっても、彼女は騎士の矜持に従って勤めを果たすつもりだった。
 なお、頂点である王が彼女の保護対象に入っていないのは、この世界における一国の王というものが純然たる力の頂点であるためだ。
 彼女たちと合流しようがしまいが、王が対処出来ない者に彼女のような一介の騎士が勝てるわけがなく、仮に王と合流したところで、王からは「他の者を守護するように」と言われるのが目に見えていた。
 運良く合流できれば共に行動することになるだろうが、そうでないなら王を探すのではなく他の非戦闘員や重要人物を探すべきなのだ。

「よし、では罠に注意を払いつつ、先に進むぞ。感知魔法を怠るなよ」

 騎士は冒険者ではなく、探索に特別秀でているわけではない。
 だが城勤めの騎士ともなれば、ある程度の状況にも対処出来る程度の対応力はある。
 想定外の状況に慌てふためいていては騎士の中でも上位には立てない。
 ただ――


『うむ。良い心がけですな』


 それぞれが警戒している騎士たちの間から、正体不明の声がするというのは、さすがの騎士隊長にも予想外すぎた。
 騎士たちが距離を取ろうとする前に、怪しげな声の主はすでに魔法を唱え終えており。

『お眠りなさい。あなたたちでは――存在価値不足です』

 その言葉が聞こえるのと同時に、騎士たちの意識は闇へと沈んだ。

つづく

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第5章 2


 清澄聖羅は、リューらしき小さなドラゴンを抱えて困惑していた。
 不可思議な森の中を模した魔界から脱出するべく、隠されていた扉を発見したまではよかったものの、その扉が開くと同時に小さなリューが飛び出して来たのだから、彼女が困惑するのも無理はない。
 普段のリューは人外のドラゴンらしい恐ろしげな相貌をしているが、その小さなリューは大きさによる威圧感の差もあるのか、どことなくあどけない印象を受ける風貌をしていた。

「あの、リューさん? これはいったいどういう……」

「きゅるるる~」

 聖羅の問いかけに答えず、リューは長い首を伸ばして聖羅の首筋にすり寄る。飼い主に懐いている大型犬がするような動きだった。
 本来、リューの体表面は鱗によって覆われており、もしも普通の人間の柔肌に対し、いまのようにすり寄れば、大変グロテスクな光景になっていただろう。目の粗いヤスリを擦りつけられるようなものだ。
 幸い聖羅にはバスタオルの加護がある。彼女の体はあらゆるものから守られていた。
 ゆえに、本来なら怪我をするような行為をリューにされても、くすぐったいだけで済んでいた。

「あ、あの、くすぐった……ひゃぁ! な、舐めないでください! ちょっ、そこはダメです!」
 
 首筋にすり寄るだけでは満足出来なかったのか、リューは聖羅の頬や首筋を舐め始めた。
 本来のドラゴンの舌は、鱗ほどではないにせよ、ざらざらとした感触のものだが、加護による影響のために、聖羅には普通の人間の舌に舐められているような感覚になっていた。
 いかにも動物的な動きをするリューに『そういう』つもりはないのだろう。
 とはいえ、聖羅がくすぐったいことに変わりはなかった上、危険なところを舐めそうになったため、聖羅は泡を食ってリューを抱き上げていた腕を伸ばし、その場所を舐められないようにしていた。
 一方、そんな聖羅とリューの様子を傍で見ていたルレンティアとアーミアは、困惑気味の顔を見合わせている。

「うーん、あーみん、これは、どうしたことかにゃあ?」

「……わからない。けど、そのドラゴンが死告龍であることは間違いない……と思う」

「ボクもこのドラゴンが死告龍だとは思っているにゃ。でも、それにしては気配も魔力も小さすぎないかにゃ? まるで……幼くなったみたいだにゃ」

 強大な魔力を持つ死告龍。
 その前に立つだけで気分を悪くしてしまっていたルレンティアだったが、いまは特にそういったことは感じないのか、余裕を持って――聖羅の体越しではあったが――小さな死告龍を眺めていた。
 そんなルレンティアの言葉に、アーミアは同意して深く頷く。

「魔界を生んだ魔物が、それによって弱体化……いや、幼体化するなんて話は聞いたことがない」

 魔界は魔物の影響を受けて自然にできるもので、魔物が作ろうとして作るものではない。
 その仕組みを考えれば、魔物が魔界のために力を使っているわけではない以上、魔界が生まれたからといって魔物が弱体化するわけがない。
 しかし現実として、死告龍らしきドラゴンは幼体と化している。

「……聞いたことはないけど、これだけ規格外の魔界を生み出したことから考えると、あり得なくはない。もしかすると、魔物が肉体を基礎に用いることで、ここまでの規模の魔界を短期間で、人工物の中にでも生み出すことができるようになるのかも」

「あり得そうな話にゃけど……それを魔物がやる意味があるのかにゃあ? 人間にしてみれば脅威だけど、そこまでして魔界を生み出す理由は、魔物にはないと思うんにゃけど」

 ルレンティアはそう呟きつつ、アーミアに意味ありげな視線を送った。

「うーん。結論を出すのは早すぎるかにゃ?」

 その言外に含まれた意味に、アーミアは頷く。

「早すぎると思う。まずはこの魔界のことをもっと調べるべき」

 魔界化への基本的な対処法は、その魔界を生み出した魔物を倒すというものだ。
 幼体化している死告龍であれば、あるいは倒すことも可能かもしれない。人類にとっては不倶戴天の敵である死告龍を倒す好機ではあるのだ。
 それを考慮に入れたふたりのやり取りであった。
 しかし同時にふたりは、様々な面で規格外な魔界であるため、その主である死告龍を倒してしまうことでより事態が深刻化することも考えていた。
 死告龍を倒す千載一遇の好機なのは間違いないが、その結果起こるかもしれない悲劇を考えると、ふたりの姫は慎重にならざるを得なかったのだ。

「あ、あのっ! おふたりで話してないで、助けてくれませんかっ!」

 ふたりがそんな話をしていることに気づいていない、正確にはリューにじゃれつかれていて余裕のない聖羅は、二人に向けて助けを求める。
 そんな聖羅の救難信号に対し、ルレンティアとアーミアは苦笑いで応じた。

「ごめんにゃ~。ボクたちが引き離そうとしたら、たぶん噛まれるから無理にゃ~」

「死告龍様はセイラさんにしか懐いてないから……がんばって」

 もし普通の犬猫であったなら、ルレンティアとアーミアも多少の怪我は覚悟の上で聖羅を助けられたかもしれないが、相手はドラゴン、それも死告龍である。
 幼体化しているとはいえ、死告龍に噛まれれば痛いでは済まない。手の先がなくなるような危険は冒せなかった。
 その理由は聖羅にもわかるため、それ以上強く求めることは出来なかった。

「そんなぁ……わひゃっ! リューさん、だめですってば!」

 また頬を舐めようとするリューを、聖羅はキッと睨み付けることで牽制する。
 滅多に聖羅が浮かべないその表情に驚いたのか、リューは振り回していた尾を力なく垂らし、首を竦めて、翼が力無く項垂れた。
 しょぼーん、という擬音が耳に聞こえてきそうなほど明瞭な感情表現に、聖羅は罪悪感を覚えて呻く。

(私は悪くない……はずなんですけど、なんでしょうこれ……なんだか、私の方が悪いことをしているような気に……)

 叱った子供が想定以上に落ち込んでしまって、子供に非があったとしても気まずく感じるような、そんな気持ちに聖羅はなっていた。
 そんな聖羅の背後に、ルレンティアとアーミアが立ち、そっと肩を叩く。

「せいらんせいらん、子供を叱ったときはその後が大事にゃ」

「もう怒ってないよ、と行動で示してあげるべき」

 さりげなく聖羅を盾にしつつではあったが、その助言に聖羅は感謝した。
 力無く尻尾を揺らすリューを、聖羅は抱きしめる。

「もう、怒ってないですから、ね? ちょっと静かに、大人しくしていてください」

「きゅるる……」

 相変わらずすり寄っては来るものの、必要以上に舐めることはなくなった。
 ひとまずリューが落ちついたことを感じ、聖羅は改めてルレンティアとアーミアに向き直った。

「それで、あの、おふたりはどうお考えですか?」

「そのドラゴンの幼体が死告龍様であることは、ほぼ間違いない、と思う」

「弱くなっているとはいえ、魔力の気配は死告龍様のままだしにゃ」

「……私はこの格好の時、リューさんやヨウさんの声は聞こえなくなってしまうのですが、いまのリューさんの声はおふたりにも聞こえませんか?」

「いや、完全に声が聞こえないわけじゃないにゃ。ただ、話すことはできなさそうなんだにゃ」

「どういうことですか?」

「死告龍様はずっと『せいら、せいら』と言っているの」

「まさに、言葉を覚えたての子供って感じだにゃ。性格や記憶はそのままに、知能だけ幼体化した……ってことなのですかにゃ?」

 ルレンティアが小首を傾げて問いかけるものの、リューは相変わらず聖羅に夢中で反応しなかった。

「うーん。確かに、言葉がわかっている様子はありませんね」

「しかし、困ったにゃあ。死告龍様と会えればなんとかなると思ったんだけどにゃ」

「これでは、どうしようもならない。とにかく、この魔界から出ないと」

 三人はそう結論を出し、改めて魔界からの脱出を目指して行動し始める。
 まずは、リューの飛びだしてきた扉の先を確かめる。
 リューが飛びだしてきたその扉の先は、広々とした石造りの廊下だった。まるで城の廊下のようにも見えたが、明らかに広さが違う。
 道の先が霞むほど遠くまで続いていた。

「こりゃまた広い空間だにゃあ……」

 もはや呆れるしかないといった様子で、ルレンティアは深々と溜息を吐く。
 それは聖羅やアーミアも同感で、疲れた様子の顔を見合わせた。

「これも結界術の一種のようだけど……こんなに広げられるなんて」

「境界線にさしかかったら、またさっきみたいにぶつかってしまうのでしょうか」

 先ほど急に頭をぶつけたことを思い出したのか、聖羅は手を恐る恐る前に出す。
 怯んでいる聖羅の様子に、アーミアは「大丈夫」と声をかけた。

「さっきは油断していたから見逃したけど、今度はそんな見逃しはしない。境界線にさしかかったらちゃんと教えるから、セイラさんは心配しなくていい」

「その辺りはあーみんにお願いするにゃ。ボクも気をつけるけど、ボクはアーミンほど結界術に長けてないからにゃあ」

「ルーさんの得意な魔法はどういったものになるのでしょうか?」

 何気なく、聖羅はそうルレンティアに尋ねた。
 アーミアが結界術というものに長けているというのは、会話の流れで把握したが、ルレンティアの得意な魔法については聞いていなかった。
 その聖羅の問いに対し、ルレンティアは少し考えるような間を置く。

「そうだにゃあ……一通り覚えてはいるし、身体強化系の魔法は意識して習熟したけど……一番得意となると、感知系ってことになるのかにゃ」

「ルレンティアのそれは、魔法なのか種族としての性質なのか、判断に困るところがある」

 獣人であるルレンティアはそもそもが勘働きの優れた存在だ。
 ゆえに、例えば感知系の魔法を使って得た情報から閃きを得て、その閃きに沿って効率的に感知魔法を使用する、と言ったことも出来る。
 感知系の魔法が得意、といえばその通りなのだが、そうだと断言するには少々種族としての特性が大きいこともあり、一概にはいえないというのが実際のところだった。

「テーナルクさんやバラノさんはどうなのでしょう?」

 魔界に飲まれているであろう、代表的なふたりについて、聖羅は口にする。
 その疑問に、ルレンティアとアーミアは揃って唸った。

「バラノについては……ボクもよくしらないにゃあ」

「策略家であり謀略家であるとは聞いている。セイラさんみたいに全く魔法が使えないというわけじゃないけど、あまり得意ではないみたい」

「てーなるんに関しては……ボクたちから言ってもいいのかにゃ?」

「構わないと思う。本当にダメなことはわたしたちには言わない」

 聖羅からすると気の置かないやり取りで仲の良い印象の三人だが、国を背負う立場の者同士、互いに言えないことや隠していることも多いのだ。

「じゃあ話しちゃうにゃ! てーなるんもボクと同じで、一国の姫という立場だから、一通りの魔法は覚えているにゃ。じゃないと魔法による暗殺とか怖いからにゃ」

「わたしは同じ姫でもちょっと違うけど、王族であるアーミアが優先しているのは、なによりも生き残ること。不意の襲撃にはもちろん、毒物などへの対策も万全なはず」

「対策、ですか?」

「わたしやルレンティアも活用してるけど、負傷したら自動的に回復魔法を唱えてくれるマジックアイテムを身につけたり、毒物をあらかじめ摂取して体を慣らしておいたりとか」

「致死性の猛毒であっても、ある程度なら耐えられるんじゃないかにゃ? ボクもそういう訓練は積んでるしにゃあ」

 平然と交わされる会話の内容に、普通の一般人でしかない聖羅は唖然としていた。
 そんな聖羅の反応を楽しむように、ルレンティアは締め括る。

「だから――麻痺毒程度なら、全然利かないにゃ」




 天井近くに展開された、蜘蛛の巣にかかった哀れな犠牲者たち。
 巨大な蜘蛛の糸によって全身をぐるぐる巻きにされ、身動き一つ取れない状態で巣に引っかけられている者達。
 微かに呻き声はするものの、体を動かす余力はないのか、蜘蛛の巣が揺れすらしない。
 その数は十とも二十とも見え、巣の主たる大蜘蛛が、新たな犠牲者をふたつ追加する。
 蜘蛛は巣を埋め尽くす犠牲者たちの塊を満足そうに確認したあと、さらなる獲物を探して再び巣の外へと出て行く。
 後には身動ぎひとつできない犠牲者たちが、かすかに呻く声だけが残り――

 そのうちのひとつが、内側から引き裂かれる。

 白く細い腕が糸によって作られた繭を突き破り、その掌に炎を灯した。
 炎はその腕の突き出した繭だけに燃え広がり、その者の体を覆っていた糸をあっという間に焼き尽くす。
 繭の中から姿を現したのは、背中に穴が開き、引き裂かれたのか、至るところがボロボロになったドレスを身に纏った女性。

 ルィテ王国第一王女、テーナルク・ルィテその人であった。
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