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黎明媚態

露出系、羞恥系の18禁小説を書いています。関連の同人・版権作品のレビューも書きます。18歳以下の閲覧禁止。

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第八章 おわり


 死告龍の眷族たちはいずれも強大な力を持っていたが、森は大妖精の独壇場だった。

 一頭一頭分断し、人間たちの協力もあって、危なげなく各個撃破していく。
 最後に残った眷族も、四方八方から襲いかかる植物の蔦に四肢を絡め取られ、動きを制限されてしまった。
 その隙を突いて放たれたオルフィルドの攻撃魔法が、その眷族の心臓を穿る。
 断末魔の悲鳴をあげた最後の眷族が倒れ、動かなくなったことを確認してから、オルフィルドは手にしていた剣を鞘に収めた。

「ふぅ……これで終いか? 皆、無事だな?」

 言いながら周りを見渡すオルフィルドに対し、その場にいる各々が無事を知らせる。
 激しい戦いを経て疲労こそ濃かったが、いまの戦いで大きな負傷をしている者はほとんどいないようだ。
 それを確認して安堵の息を吐くオルフィルドの側に、テーナルクが勢いよく近付く。
 思わず体を引いたオルフィルドに対し、彼女はキラキラとした、憧憬の輝きを放つ目を向けていた。

「さすがはオルフィルド叔父様ですわ! 戦場に立つ叔父様を見る機会はありませんでしたが……噂に聞く以上の戦巧者っぷりでした。わたくし、改めて叔父様を尊敬いたします!」

「あ、ああ。ありがとう、テーナルク」

 テーナルクの掛け値無しの賛辞を、オルフィルドは苦笑しながら受け容れる。
 そんなふたりの様子を見ていたバラノが、ルレンティアとアーミアにこっそり尋ねた。

「もしかして、テーナルク様は……?」

 言外に含まれた言葉の続きを、ルレンティアとアーミアは正確に理解する。
 ルレンティアはニヤニヤと、アーミアは淡々とバラノの問いに応えた。

「お察しの通りだにゃあ」

「テーナルクは叔父様が好き。……いえ、年上好き?」

「なるほど……なかなか渋い趣味ですね」

「にゃはは。あんまり相手にされてないみたいだけどにゃー」

「親子ほども歳が離れてるから仕方ない」

「聞こえてましてよ? お三方?」

 三人はこそこそと話していたが、その内容は離れた場所にいたテーナルクにも聞こえていたようだ。
 微笑みながら怒る、という器用な顔をしたテーナルクがいつの間にか彼女たちのすぐ側に立っていた。
 テーナルクも加えた四国の女子たちが、やいのやいのと姦しく騒ぎ始める。
 溜息を吐くオルフィルドの肩を、ヴォールドが優しく叩いた。
 もっとも、その優しげな手つきとは裏腹に、ヴォールドは揶揄するような笑みを浮かべていたが。

「お前も、いや、オルフィルド様も苦労しますなぁ」

「……うるさいぞ、兄貴。中途半端に取り繕うくらいなら敬語なんて使わなくていい」

「おっ、そうか? じゃあお言葉に甘えて。お前も苦労するなぁ」

 あっさりと言葉遣いを元に戻すヴォールド。
 オルフィルドはもう一度溜息を吐いた。

「全く……王族の身分を捨てた兄貴は気楽でいいよな。俺はこれからのことを考えると頭が痛いよ……」

「まあまあ。それはまずこの状況を切り抜けてからだろ。態勢を整えたら、すぐキヨズミ様を助けにいかねえと」

 言いながらオルフィルドがいる方向とは別の方向をみやるヴォールド。
 向けた視線の先では、大妖精・ヨウの眷族である大鹿が全身から血を流し、ヨウの目の前で死んでいくところだった。
 そんな大鹿の最期を、その主であるヨウは悲しげな表情で見送る。

『馬鹿な子……みんなのことを考えてのことだったのはわかるけど、独りで死告龍に挑むなんて、いくらあなたでも無謀過ぎるわ』

 呟いてから、ヨウは小さく咳き込む。すこし苦しげだった。
 彼女が大鹿の骸に手を翳すと、地面から噴き出すように蔓が生え、大鹿の骸に絡みつき、地面に飲み込んでしまう。
 彼女の眷族は死ぬと森に還る。彼女たちなりの葬送方法だった。
 大鹿を森に還したヨウに、オルフィルドが近付く。

「いまの眷族……契約違反を犯したのか?」

『……ええ。私と死告龍の契約に反したのよ。私にもすこし影響が出てる。眷族達には死告龍と和解したことは伝えていたのだけど……死告龍への憎悪と畏怖は、私の想像した以上に濃く、深いようね。あの子を抑えきれなかったのは、私の責任だわ』

 悔いるようにヨウは呟いた。
 たとえ眷族の独断専行であったとしても、眷族が契約違反を犯せば、その主にも契約違反の影響が出る。
 自分は知らなかった、部下が勝手にやったこと、というような詭弁はこの世界では通用しないのだ。

「……まだ、戦えるか?」

『もちろん……といいたいけど、しばらくは影響が残りそうだわ。あの八つ首の眷族が相手だと、相当厳しいわね』

 ヨウは自分の手を見詰めて、息を吐いた。
 その目が死告龍本体へと向けられる。
 死告龍の本体は、聖羅が連れ去られた方向を睨み付けていた。
 その小さな体には怒りのオーラがまとわりついているように見え、いまにも飛び出しそうな様子だ。

『死告龍、逸らないで。セイラを助けるためには、人間たちと協力しないといけないわ』

「……グルル」

 不満げに唸るリューを宥めるように、ヴォールドが声をかける。

「あの八つ首の奴に主導権を握られるのはヤバそうだからな。もちろん俺たちも協力するぜ。八つ首を相手にしようってんだ。こっちも頭数くらいは揃えないといけないだろ? あんたも万全じゃないんだしな」

 弱体化しているとはいえ、死告龍相手に全く怯む様子もないヴォールド。
 そんな彼に驚きつつ、他の人間たちも声を揃えた。

「当然、わたくしたちも協力しますわ」

 最初に声をあげたのはテーナルクだ。
 ルレンティアやアーミア、バラノも続く。

「安全圏なんてないからにゃあ。攪乱程度には役に立って見せるにゃ」

「あの眷族はまだ赤子。圧倒的な潜在能力ではあるけど、戦闘経験は浅い。八つの首があっても、魔力源になる体はひとつ。意識を四方八方に散らせれば……勝機はある」

 逆に言えば、八つ首の眷族が完全に成長を遂げた時、死告龍以上に止められる者はいなくなるだろうと考えられた。
 死告龍最大の武器は、即死属性を宿したブレスだ。しかし、連続で放てるにしても、ブレスを吐く口はひとつしかない。
 八つ首の竜は同時にブレスを放つことが出来る。
 その分、一発ずつの威力は落ちるだろうが、即死属性を持つブレスは単発よりも複数放てる方が良いに決まっていた。
 扱いこなす前に仕留めなければ、死告龍以上の脅威になるであろうことは容易に想像がつく。

「より効率的に意識を散らすための戦略を考えてみます。私は直接戦闘には参加できませんから……」

 バラノはあくまで軍略家である。
 正面に立って戦える戦闘力は持ち合わせていなかった。
 そんなバラノに対し、同じく軍略家であるオルフィルドが微笑みを向ける。

「戦略は重要です。知恵を出し合いましょう」

 なお、オルフィルドが微笑んだ際、彼に懸想しているテーナルクはなんとも形容しがたい顔をしてバラノを見ていた。
 さすがに差し迫った状況であり、ただならぬ事態である今、表だって何かいうことはなかったが、彼女の友人でもあるルレンティアとアーミアは、そんな彼女に同情し、優しく肩を叩いてあげていた。
 そんな若々しい乙女たちのやり取りを目の端で把握して苦笑しつつ、ヴォールドが話を先に進める。

「少し頭数が足りないな……大妖精様。眷族に戦ってもらうことは可能か?」

 ヴォールドに視線を向けられた大妖精が頷くと、その背後に兎と鳥が並び立つ。
 どちらも普通の兎と鳥程度の大きさしかなかったが、その体に宿った魔力は並みの魔物を遙かに凌駕していた。

『眷族たちも契約違反の影響は受けているわ。力を集中させて、二頭が限度ね。もう少し時間があれば、森を修復して力を回復できるのだけど……』

 森は散々荒らされており、そこから得られる魔力も少なくなっていた。
 ヨウが森を修復することは可能だが、それには長い時間がかかる。

「時間をかけるわけにはいかんな」

「ああ。キヨズミ嬢を助けるためには、時間の猶予はそこまでないだろう」

 ヴォールドの言葉に、オルフィルドが同意する。

「キヨズミ嬢は攫われた時、バスタオルをきちんと身に付けていなかった。つまり兄……イージェルド陛下の魔法を弾くほどの、絶対防御の加護が発動している状態にない。捕まっている状態では整える余裕もないだろう」

「完全な加護の元にいてくださるのなら、時間をかけて準備を整えることも出来たのですけど……やむを得ませんわね」

 オルフィルドやテーナルクの分析に対し、ヨウも賛同する。

『加護が完全な状態でなければ、脱がされることを防いでいる神々の加護を一時的に解除して、あのばすたおるを奪うことが出来てしまうわ』

 かつて、加護が緩んだ状態だった時に、聖羅からバスタオルを奪ったことがあるヨウがいうと説得力が違った。
 そのヨウに、テーナルクが尋ねる。

「しかし、加護が緩んでいて、さらに解除するのは一瞬でいいとはいえ……あのレベルの神々の加護を解除するのは至難の業であるはずですわ。あの八つ首の眷族は誕生したてとは思えない実力ですが……果たして、可能ですの?」

『そこまでは私にもわからないわ。ただ、楽観すべきではないわね』

 ヨウはそう断じた。
 ヨウがバスタオルを強奪するに至ったのは、身に付け方によって加護が緩んでいたということもあるが、ヨウ自身が魔法に長けた種族で、それ相応の年月を生きてきた経験があるためだ。
 いかに八つ首の眷族の潜在能力が計り知れないものであったとしても、発生間もない魔物が簡単に解除できるような加護ではない。
 しかし、今回の相手は、規格外に規格外を積み重ねて生まれた存在だった。
 これまでの経験から『出来ないはず』という認識であっていいとは、この場にいる誰も考えていなかった。

「一刻も早くセイラさんを救出するのが肝要、ということですわね……」

「……気になっていたのですが」

 バラノが口を開く。

「死告龍様とセイラさんの間で『危害を加えない』といった契約は交わしていないのでしょうか? もし交わしているのであれば、眷族は主が交わした契約に縛られるはず。仮に加護が解除されてしまったとしても、即座に危害は加えられないはずですが」

 バラノがした質問の内容に、その場にいた人間達の間に緊張が走った。
 一見、バラノの質問は聖羅を救出するまでの猶予を確認しているだけに聞こえる。
 しかし約束や契約が重いこの世界において、他者と他者が交わした約束事に関しては基本的に触れないのが礼儀だ。

 約束事に、当事者以外の他者の思惑が絡むと、それは間違いなく揉め事の元になるためである。

 今の場合、もし聖羅と死告龍の間に「危害を加えない」という制約があったのだとすれば、死告龍と対決する最悪の事態になった際に、聖羅を盾にすることが出来る。
 絶対防御の加護以外何もない聖羅をどうにかする方が、死告龍を直接相手にするよりはまだ希望が持てるためだ。
 こういった情報を集めることはこの世界の争いにおいて基本であり、侵略国家の戦略家であるバラノはそれをよく理解していた。
 状況を利用し、聖羅と死告龍の間にどんな制約が存在するのか、確かめているのだ。

(まったく……これだからザズグドズ帝国の人間は油断ならないんだ……)

(いまの状況からすると、重要で必要な情報なだけに、答えないわけにもいかないですしね……ああ、本当に厄介な方ですわ)

 オルフィルドやテーナルクがそう考えている前で、ヨウが彼女の疑問に応える。

『私の知る限りでは、そういった約束は交わしていないはずね。さっき私もろともセイラを結界で縛り上げることもしていたし……交わされていないと考えた方がいいわ』

 誠実であることに重きが置かれる世界だからこそ、明確に行動を縛る約束や契約は滅多なことでは交わされない。
 なお、ヨウは聖羅と死告龍に対して『裏切らず助けになる』という契約を結んでいるが、それもそれ相応の理由があってのことだ。
 死告龍とは、元々敵対関係にあったことや、真正面から戦いを挑んで敗北したこともあって、半ば強制的な契約として結ばされている。とはいえ、死告龍側も『森にブレスを吐かない』という条件を呑んでいるため、妥当な契約の範疇だ。
 一方、聖羅とはヨウが一方的に『裏切らず助けになる』というものであり、聖羅にはヨウに対して何の制約もない。
 これには、聖羅を騙してバスタオルを強奪したことに対する償いと、聖羅が命を張ってヨウを救ったことに対する恩義があるためだ。
 それでも一方的な契約はかなり重い。ヨウが契約を交わした際、リューが驚いていたのはそれが極めて重い契約だったからだ。

「そう……ですか。そういった約束があれば、救出するまでの時間に少し余裕が持てたのですが」

 行動を縛るような重い契約が、聖羅と死告龍の間に存在しないことを確認したバラノは、少し残念そうな様子だった。
 そんなバラノをフォローするように、ルレンティアが口を開く。

「仕方ないにゃ。せいらんと死告龍様は敵対する間柄になかったわけだしにゃ」

 四国の中でルィテ王国と敵対関係にあるバラノが唯一「ルィテ王国に危害を加えない」という契約を結んで入国しているように、友好関係にある者同士で「相手に害を与えない」という制約が結ばれることは基本的にはない。
 聖羅の元いた世界でいうならば、親しい友人と「お互い仲良くし続けよう」「私はあなたを裏切らない」などと言い続けることはないのと同じだ。
 まして誠実であることが求められるこの世界で、友好関係にある相手を騙し討ちなどすれば、例え契約による代償がなくとも、それを実行した者は未来永劫誰からも信用されなくなる。
 一時的に得られるアドバンテージを考えても、普通は取られることがない選択肢だ。
 無論、国を背負う彼ら彼女らはただ相手の善意を信じるだけでは成り立たないので、互いに裏切らずに済むための道を模索し続けてはいるが、それはそれ、これはこれである。

「あとは、あの眷族がどの程度キヨズミ嬢のことを重視し、加護の解除にどの程度の力を割くかが問題だな」

「死告龍様の本体を含む私たちは最大の脅威であるはずです。まるきり無視するとは思えません。確実になんらかの攻撃をしてくるはずですが……」

 戦略家のバラノがそう呟いた時、森全体が揺れた。
 否、森が存在する魔界そのものが揺れ始めていた。
 警戒を強めた全員が違和感を覚えて上空を見上げる。
 その見上げた空にヒビが入り、開いた空の隙間から次々と瓦礫が飛来するのを確認した。
 その現象の理由を即座に看破したバラノが声を上げる。

「なんて、豪快な……! 魔界の一部を放棄することで、私たちに攻撃を仕掛けるなんて!」

「魔界を放棄。長期的に見れば愚策だが、いまに限っては会心の一打だな……! ただ魔界の制御を放棄しただけなら……全ての力をキヨズミ嬢へと割ける!」

「オルフェルド! どうやら迷っている暇はないようだぜ!」

 落下してくる魔界の瓦礫。
 その中には、死告龍の眷族と思わしきモノ以外にも、自然発生したと思われる魔物たちが混ざっていた。
 自然発生した魔物は、居た場所の崩壊に巻きこまれて落ちてきているだけだが、眷族達は明確な意思を持って、オルフェルドたちに襲いかかって来ようとしている。
 オルフェルドが戦闘態勢を取り、仲間達に檄を飛ばした。

「全員、俺の側に集まれ! 一点突破だ!」

「……っ、それしか、ありませんね!」

 バラノは言いかけた言葉を飲み込み、オルフィルドの方針に従う。
 本来は、即死属性の攻撃を行う敵に対し、一カ所に固まるという行為は愚策である。
 集まればその場所に攻撃を受けた際、一網打尽になってしまう可能性があるためだ。
 しかし、一刻も早く聖羅の元に行かなければならない現状では、散開して対処している暇はない。
 一か八か、全員の力を合わせて一点突破を試みるのが最善であった。
 オルフェルドの周囲に集まった者達の足下に、彼が生み出した魔法の足場が出現する。

「魔力消費は激しいが……仕方ない!」

 オルフィルドが合図を出すと、全員を乗せた足場が勢いよく上昇し始める。
 彼ら目がけて魔法やブレスが飛んでくるが、それらは的確にヨウやその眷族が撃ち落としていく。
 生じた爆煙を突っ切って、彼らは高速で上昇していった。




 一方、八つ首の竜に連れ去られた聖羅は、彼が魔法で生み出した結界術によって、体を絡め取られていた。
 四肢を絡め取られ、中空に磔にされた聖羅に抵抗する余地はない。
 むき出しになってしまっている胸を隠すことも出来ないのだ。
 拘束を解くなど、不可能に等しい。
 抗うことも逃げることもできない彼女は、目の前に迫る死の恐怖に震えるしかない――はずだった。

 しかし彼女は取り乱さず、ただ恐怖に震えるわけでもなく、八つ首の竜をまっすぐ見詰めていた。

 その瞳に、絶対優位にいるはずの八つ首の竜の方が怯んでいた。
 聖羅は恐怖を感じていないわけではない。体が震えているのを、結界術を通して、八つ首の竜は感じていた。
 なのに、瞳はまっすぐに八つ首の竜を見据えている。
 それが八つ首の竜には理解出来ず、恐ろしいものに映っていた。
 だが、様々な種族の強者と戦ってきた経験の豊富な死告龍本体であれば、それはよく見てきた瞳だった。

 志を持って決意を秘め、誰しもが当たり前に持つ死への恐怖を押し殺し、絶望的な戦いに挑まんとする勇者の瞳だったからだ。

 そういった意思の強さこそ、人間の強さの根源だと、死告龍ならば知っている。
 得体の知れない恐怖を感じるものではなく、敬意を持って相対すべき瞳だと判っている。
 だが、八つ首の竜にはそれがわからない。
 発生したてで、ほとんど容易な戦いしか経て来ていない経験の浅さが恐れに繋がった。

『……何か言いたいことでもあるのか、人間』

 だからそう尋ねてしまったのは必然であった。
 得体の知れないものを恐れるあまり、問うことで把握しようとしてしまった。
 そんな八つ首の竜に対し、聖羅は震えながらも口を開く。
 八つ首の竜の方から質問しなければ、彼女は口を利けなかったかもしれないのに。
 彼から聞いてしまったことで、最後の後押しをしてしまった。
 そして聖羅は、八つ首の竜にとって、想定外の問いを口にする。

「あなたは本当に――本気で、リューさんを殺す気なんですか?」

つづく

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第八章 3


 その日の真夜中。
 ルィテ王国に住む者達は、国の滅亡を覚悟した。

 空を飛ぶ魔物に対応するため、国の上空に張り巡らされている大規模な結界。
 王国屈指の魔術師たちが協力して張り巡らせたそれは、仮に質量の大きな巨石が飛来したとしても完璧に凌ぎきるほどの防御力を有する。
 戦略級の魔法兵器でさえ、ヒビを入れるのがせいぜいだろうその結界が――わずか一撃で砕かれたのだから、そう覚悟するのも無理はなかった。
 そんな芸当が出来る存在を、彼らはよく知っている。

 この世の全ての存在に死を告げる龍――死告龍。

 ルィテ王国を護る大結界を一撃で粉砕した漆黒の龍は、大胆不敵にも王城の中庭へと直接降りてきた。
 その圧倒的な威圧感と存在感を前にしては、王宮に勤める騎士や兵士でさえ、まともに応対することが出来ない。
 その場でブレスを吐かれれば、それだけで何百といる城勤めの人間が死ぬだろうと考えれば、下手に動けないのも無理はなかった。
 幸いにして死告龍は問答無用でブレスを吐くことはしなかった。
 ただ、何かを探すように周囲に集まった人間達を睥睨するのみだ。
 そんな死告龍の元に、ルィテ王国の頂点――国王イージェルド・ルィテが進み出る。

「……如何様かな、死告龍殿」

 彼の身を包むのは国宝級の装備品の数々。
 その手に持つ杖は、魔法を補強する物品としては、世界に数えるほどしか存在しない至高の杖だった。
 しかしそれほどの品々で身を固めていても、イージェルドは死告龍に勝てないことを理解していた。
 ゆえに対話を試みる。
 相手の意図を見定めると同時に、少しでも時間を稼ぎ、一人でも多くの国民を逃がす必要があった。こうしてイージェルドが会話している間にも、彼の指示で城下町の民を逃がしているのだ。
 自らの命は捨てる覚悟で、死告龍との対話に臨んだイージェルドだったが、死告龍は思いがけないことを口にした。

『りょうりにん?っていうのが欲しい』

 幼い声音で放たれた端的な命令。
 死告龍がドラゴンの中では幼い部類であることを、イージェルドはこのとき改めて実感した。
 死告龍の存在が噂されるようになって、まだそれほど長い年月は経っておらず、死告龍が年齢的には幼いドラゴンであることは簡単に推測がつく。
 それなのに通り名が世界に知れ渡っているのが異常なのだ。それだけ、死告龍の戦闘力がずば抜けて高いことを示している。
 イージェルドはそのことを噛みしめつつ、死告龍の目的を新著云為尋ねた。

「料理人が欲しいのかい? ……理由は聞いても構わないだろうか?」

『必要だから』

 死告龍は端的に返す。
 イージェルドはその時点で詳しく理由を尋ねるのを断念した。
 他国の王族たちとの舌戦に関してならば、イージェルドも負ける気はしなかったが、今回の相手はそういった交渉術が意味を成さないからだ。
 下手に情報を引き出そうとして、死告龍の気分を損ねれば国が滅ぶ。
 ルィテにのみ存在する者を探しに来たのならともかく、料理人であればルィテ王国でなくともいい。
 そう思い至れば、死告龍は攻撃を躊躇することをしないだろう。

「わかった。我が国の誇る料理人を選出しよう。少しだけ時間をもらっていいかな? すぐに連れてくる」

 死告龍はぴくりと顔を引き攣らせたが、渋々と言った様子で頷いた。

『なるべく早く。急ぐ』

 そういってイージェルドから視線を外した死告龍は、中庭の周囲に集まって、イージェルドと死告龍が会話するのを見詰めていた兵士や騎士を見渡す。
 彼らも職務上、決死の覚悟でいたのだが、死告龍が尻尾で地面を打つと、蜘蛛の子を散らすように顔を引っ込めた。

「グルル……」

 不機嫌さを隠そうともしない死告龍は、軽く唸る。
 一瞬、口内に黒い光が滲んだが、思い直したのかその光はすぐに収まっていった。
 いまにもブレスを吐きそうな危うさを感じたイージェルドは、頬を冷や汗が流れるのを感じた。
 死告龍を刺激しないよう、兵士や騎士に見えない場所まで後退するように命じつつ、その場を離れたイージェルドは、頭をフル回転させる。

(どうする? 料理ではなく料理人を求める以上、どこかに連れて行くつもりだと考えるべきだ……だが、死告龍と相対してまともに動ける料理人など……)

 戦いが専門の兵士や騎士でさえ、死告龍の強大な存在感を前に怯えているのだ。
 普通の料理人がそんな死告龍に連れていかれて無事に済むわけがない。
 最悪、死告龍に相対した段階でショック死する可能性もある。
 普通の料理人は死告龍級の魔物と相対することを想定していない。
 そう――『普通』ならば。

「兄……いや、陛下。こちらにいたか」

 一人の候補に思い至っていたイージェルドは、まさにその候補が目の前に現れたことになんとも複雑な表情を浮かべた。
 職人らしい気難しげな相貌に、屹然とした表情を浮かべてその彼はイージェルドに声をかけていた。
 城の厨房に勤める、料理人の一人。
 城に勤める料理人は多く、イージェルドも全ての料理人の名前を把握しているわけではない。しかし、その彼については把握していた。

「ヴォールド」

 彼の名前を呼んだ時のイージェルドの声は、複雑怪奇な声音だった。
 安堵と苦悩と、その他色々な感情が篭もっていて、一言で表すことはとても出来ない。
 一方のヴォールドは普段と全く変わらぬ様子で、進言する。

「俺に行かせてく――ださい」

「……わかっているのかい。相手は死告龍なんだよ」

「だからこそ、だ。俺以上に適任はいないだろ――でしょう」

「いまは言葉使いは気にしなくていいから。不問にする」

 そうイージェルドが告げると、ヴォールドはニヤリと笑った。
 彼との付き合いが長いイージェルドはそれが微笑みの類いであるとわかったが、わからぬ者が見れば不敵すぎる笑みだ。
 ヴォールドは片手で頭を搔く。

「そう言ってくれると正直助かるぞ。兄貴に対して畏まった口調は、どうにも違和感が強くてなぁ」

「こら。そこまで砕けるんじゃない。いまのお前は弟ではあっても、王族ではないんだからな」

 そう窘めつつ、ヴォールドがそういう人間だとよく知っているイージェルドは、諦めていた。
 城の厨房に勤める料理人・ヴォールド。
 彼はその我が道を行く破天荒な性格に育ち、王族に最も必要とされる交渉力を欠如しており、料理という道を究めたいという目標を持ってしまったことから――その王位継承権を放棄し、王族という身分を捨てた存在だった。
 王族であったときの名をヴィグォルドという。
 現国王イージェルドの弟であり、軍事部門の責任者であるオルフィルドの兄だ。
 彼はヴォールドと名前を変え、一介の料理人としてルィテ王国のために働いている。
 ちなみに、後にイージェルドの娘であるテーナルクが料理をしていると告げた際、イージェルドが苦い顔をしたのは、料理に傾倒する余り王位を捨てたヴォールドの存在があったためである。

「で、兄貴。どうする? 早くしないとまずいだろう?」

 ヴォールドはイージェルドの複雑な心境を知ってか知らずか、そう問いかけてきた。
 イージェルドは腕を組んで考え込みながらも、答えはほぼ出ているようなものだった。

「……確かに、死告龍と相対して死なずにいられそうな料理人は、お前くらいなんだよなぁ」

 ヴォールドは王位継承権を捨てたが、捨てるまでは王族としての教育や鍛錬を積んでいた。残念ながら政治的な能力は開花しなかったが、代わりに彼は純粋に強かった。
 魔法に関してはイージェルドの方が高度なものを会得していたが、代わりにヴォールドは体術においてはイージェルドには出来ない水準のものを体得している。
 現国王たるイージェルドは貴重な装備品を身に付けているため、実際の戦闘ではイージェルドに分があるが、素のままの戦闘力でいえば、勝るとも劣らないものをヴォールドは有しているのだ。

(そういう意味では、いまこの瞬間こそ、ヴォールドを最大に活かせるかもしれないな)

 ヴォールドは強い。
 しかし、継承権を放棄したとはいえ、元王族である彼は気安く表に出すことの出来る存在ではなく、国としては『万が一の時のための切り札』という役割しか与えられなかった。
 だが死告龍という国の危機であるならば、その切り札を切る理由になり得る。

「……うん。やはりここはお前に行ってもらうしかなさそうだ」

 イージェルドは総合的に考えてそう判断を下した。
 ヴォールドは野性味溢れる顔で、にやりと笑う。

「ああ、任せておいてくれ。なあに、料理人を求めるってことは殺す気はないんだろう。もしかすると、俺が死告龍の胃袋を掴んで懐かせてしまうかもしれないぜ」

「ははっ。そうなったらいいけどねぇ……まあ、無理はしないでいい。不興を買わないように気をつけてくれ」

「もちろんだ。俺も死にたくはないからな」

 イージェルドとヴォールドは頷き合い、死告龍の待つ中庭へと向かった。
 待たせていたのは短い時間だったが、死告龍にとっては長い時間だったようだ。
 イライラと尻尾を地面に叩きつけていたが、イージェルドの姿を認めるとぴたりと動きを止める。

『やっと来た。おそい』

 ぴりぴりとした苛立ちの波動を受け、イージェルドは内心肝が冷える。
 王族の矜持として表に出すことはしなかったが、普通の人間なら全身から冷や汗が流れて止まらなかっただろう。
 一方、そんなイージェルドの隣に立つヴォールドは、いつもと変わらぬ様子だった。

「お初にお目にかかります、死告龍。私が料理人のヴォールドと――」

 外行きの口調と振る舞いで挨拶をしようとしたヴォールドだったが、死告龍が口を開いて首を伸ばし――端的に言って噛みついて来たため、思わず全力で避けた。
 目の前でガチンと牙と牙が当たる音を聞き、さすがのヴォールドも青ざめる。
 外したことを知った死告龍は、苛立ちを募らせる。

『なんで、避けるの?』

「いやいやいや! 誰だって避けるわ!」

 思わず素のままの言葉遣いで死告龍に抗議したヴォールドに、傍で見ていたイージェルドは青ざめた。
 だが、幸いそれが死告龍の怒りに触れる前に、『あ』と口を開け、死告龍は何か思い出したようだ。

『そうだ。人間はくわえて運んじゃダメなんだった』

 ただ運ぼうとしていたことを知り、一瞬安堵が広がる。
 その安堵を握りつぶすように、死告龍は前脚で器用にヴォールドを掴みにかかった。
 今度は避けられなかったヴォールドは、再度声をあげる。
 とっさに身体強化の魔法などをフル活用して耐えられるヴォールドでなければ、掴まれた時点で重傷だっただろう。

「いででで! だ、からっ、殺す気か!? 力加減を考えてくれ!」

『むー、うるさい。……これでいいの?』

 言うことを聞いたというには渋々だったが、一応力は緩めたようで、ヴォールドは安堵の息を吐く。
 その頬には一筋の冷や汗が流れていた。

「俺じゃなかったら、内蔵飛びだして死んでたぞ……おぉっ!?」

 ヴォールドの台詞が終わるのも待たず、死告龍は翼を広げて空へと舞い上がる。
 イージェルドはそれを呆然と見送るしかなかった。
 文字通り嵐のように去って行ったのを確認すると、深く息を吐く。

(まあ、あいつならなんとかしてくれるか……頼むぞ)

 気持ちを切り替えたイージェルドは即座に周りの者に命じ、退去命令の撤回と結界魔法の張り直しなどの指示を出していく。
 後始末にかかる苦労は甚大だった。
 そんな負担をルィテ王国にかけた気などさらさらない死告龍は、ヴォールドを掴んだまま高空を高速で移動する。
 魔法を使って環境に適応したヴォールドは、死告龍に尋ねてみることにした。

「なあ、どこに向かってるんだ?」

『お婆ちゃんのところ』

「……まさか始祖龍のことか?」

『なにそれ?』

「……あー、山のように巨大なドラゴンのことなんだが」

『そう呼ばれてるの? お婆ちゃんは確かに山みたいにおっきいけど』

 ヴォールドは人間の間で最大最強のドラゴンと呼ばれているドラゴンの元に連れていかれようとしていると知り、思わず遠い目になった。
 死告龍にも怯まないヴォールドではあるが、恐怖心がないわけではない。

(冗談じゃないな……俺でも震えが来るってのに……料理長のじいさんを行かせなくて本当に良かった)

「そこで何をさせたいんだ?」

『餌を……いや、りょうりっていうんだっけ? それを作って』

「食べたいのか?」

『違う。食べさせたいの』

「……始祖龍に?」

 話の流れ上、仕方なかったがヴォールドはそう尋ねた。
 だが、死告龍は話がうまく伝わらないことに苛立ってしまう。

『ちーがーうー! 行けばわかる!』

 ヴォールドはこれ以上聞き出そうとすると無闇な刺激になってしまうと判断し、質問を止めることにした。

(行けばわかるっていうなら、いますぐ聞き出すこともないか)

 ほどなくして、死告龍に連れられたヴォールドはとある山の一角にたどり着いた。
 そこは相当数のドラゴンの気配がそこかしこから漂ってくる、魔境も魔境だった。
 ヴォールドは人間であるがゆえに気配だけではそこまで影響は出なかったが、気配に敏感な魔物などにしてみれば恐怖の対象でしかないだろう。
 まだマシなヴォールドでさえ、全身を走る悪寒に気が遠くなったほどだ。
 その山の一角。死告龍が入れる大きさの洞窟の前に降り立った死告龍は、ヴォールドを無造作にその場に放り捨てる。
 周りの気配に気を取られていたヴォールドは、受け身も上手く取れずに地面に投げ出された。

「どわっ! おまえな……! 乱暴に扱うのもいい加減に……」

 一言文句を言ってやろうと口を開き賭けたヴォールドだったが、その前に視線を観じて残りの言葉を飲み込んだ。
 視線を感じた方向――洞窟の入り口付近に、目を引く二人の女性の姿があったから。
 こうして彼は出会ったのだ。
 背中から薄い羽根の生えた妖精と思わしき者と、もうひとり。

 白い布を腰に巻き付けた、ただの人間にしか見えない――清澄聖羅に。




 上空から八つ首の竜に斬りかかったヴォールドがその手に握っていたのは、彼が愛用する包丁だった。
 その包丁自体は立派なものだったが、巨大なドラゴンの首を切るにはとても長さが足りない。
 とはいえ、それはあくまで物理的な話で、魔力を乗せた一撃の攻撃範囲は刃渡りの長さだけに留まらない。
 斬撃の勢いに合わせ、八つ首の竜の首に深い傷が刻まれる。

『ぬグゥッ!?』

 突然走った激痛に八つ首の竜が唸り、攻撃してきた者を迎撃しようとしたが、その前にヴォールドは次の攻撃に移っている。
 長い首を伝って移動し、回転しながら、八つの首を高速かつ連続で切りつけていく。
 瞬く間に無数の傷を作った八つ首の竜の全身から、血が噴き出した。
 首の切断までは至らない傷ばかりだったが、浅くもない。
 ヴォールドの猛攻に、その巨体がぐらりと揺らいだ。気付けば、八つ首の竜の翼にも裂傷が走っている。

『糞がッ!』

 八つ首の竜の全身から黒い霧が滲み出した。
 即死の力を全身に纏っているのだ。全身に分散している分、低い確率ではあるが、触れた者は即死させられる可能性が生じてしまう。
 ゆえに、ヴォールドは即座に八つ首の竜の身体から離れた。優位な位置取りを躊躇無く捨てることが出来るのは、戦い慣れている証拠だ。
 高空から体勢を崩すこともなく、地面に降り立ったかと思うと、素早くオルフィルドの側に移動する。

「やっぱ硬いな。一本に集中した方がよかったか?」

 包丁を振るってこびり付いた血を払いつつ、ヴォールドがぼやく。

「どっちにしろ切断までには至らなかっただろう。十分だ」

 軽い調子で言葉を交わしつつ、オルフィルドは中空に魔方陣を描き出していた。
 そこから放たれた光が、空中に捕らえられていた聖羅とヨウへと放たれる。
 その光は、彼女たちを捕らえている結界に干渉すると、その結界にヒビが入った。

『解除魔法か……! おのれ、人間如きがッ!』

 怒り狂う八つ首の竜が、再び魔法とブレスを放とうとする。
 だがそんな彼を牽制するように、ヨウの眷族達が一斉に攻撃に動いた。
 八つ首の竜はそちらの対処に追われ、オルフィルドの魔法を止められない。
 程なくして聖羅とヨウを包み込んでいた結界が完全に砕ける。
 聖羅を抱き抱えながら空を飛ぶヨウは、全身から憤りを滲ませていた。

『散々好き勝手にやってくれたわね――お返し、するわ』

 聖羅を片手で抱えながら、ヨウが空いた片手を振るうと、周囲の森の木々が一斉に動き、その枝の先からレーザーのような魔法攻撃が八つ首の竜へと殺到する。
 それらを魔法で防御する八つ首の竜だったが、劣勢なのは明らかだった。

『ぐぅぅ……! おのれおのれおのれ!』

 八つ首の竜が吼えたかと思うと、その巨体が陽炎のように揺らぐ。
 誰もが逃げる気かと思い、追撃の構えを取った。
 だが、八つ首の竜は人型に転じると、まっすぐ聖羅とヨウに向かって飛ぶ。

『ッ! しまった!』

 咄嗟にヨウは魔法障壁を張って突撃を防ごうとしたが、八つ首の竜が即死属性を纏わせた拳を振るってその障壁を打ち消し、さらにヨウの胸部に蹴りを入れて地面に向けて吹き飛ばす。
 その衝撃に、ヨウは抱えていた聖羅から手を離してしまっていた。

「ヨウさん……!」

 フリーになった聖羅が自由落下する寸前、人型の八つ首の竜がその身体をつかみ取る。
 追撃しようとしていた他の者達は、聖羅がいるために一瞬攻撃を躊躇してしまった。
 その隙を逃す八つ首の竜ではなく、聖羅を抱えたまま再び高空へと飛び上がる。
 遙か上空に達したところで、聖羅ごと忽然とその姿を消してしまった。

「セイラさんが、攫われた……!」

「てーなるん! 周囲を警戒するにゃ!」

 呆然としかけたテーナルクを、ルレンティアが叱咤する。
 それと同時に、周囲から迫ってきていた死告龍の眷族達が現れた。
 気付いていたのはルレンティアだけではなく、イージェルドたちもだった。すでに戦闘態勢を整えている。

「やれやれ、一難去ってまた一難、か」

「イージェルド、援護頼むぜ。こいつらさっさと倒して、あいつのあとを追わねえと」

 八つ首の竜の支配下にあると思われる眷族たちは、一斉に彼らに向かって襲いかかって来た。
 激しい戦いが繰り広げられる中、事態はさらに深刻な方向へと向かっていた。

つづく

露出旅行記 露天風呂編 おわり


 温泉に浸かり、エミリさんに絶頂させられ、のぼせる寸前まで火照ったはずの頭から――さっと血の気が引く。
 私は思わずエミリさんの腕を強く掴んでいた。
「え、エミ、リ、さっ……むぐッ!?」
 こちらを窺う人のことをエミリさんに伝えようとしたら、また唇を塞がれた。
 両頬に手を添えられ、顔も反らせない。
「ムゥーッ」
 こんなことをしている場合じゃない。
 そう言おうと思ったけど、それより前にエミリさんが唇を合わせながら囁いてきた。
「ん……だいじょうぶ、落ち着いて」
 どうやらエミリさんもこちらを窺う人影のことには気付いていたみたいだった。
 けれど、それなら早く逃げないと。
 そう思って焦る私に対し、エミリさんは余裕があった。
「茂みの向こうで固まっちゃってるみたいね。思いがけないところに出くわしちゃって、どうしたらいいのかわからないって感じかしら?」
 自信に溢れたエミリさんの言葉には、そうだと思わせるだけの力があった。
 そのおかげで、焦りかけていた私は少し冷静になる。
「気付いていることに気付かれたら、かえって面倒になるかもしれないわ。このまま気付いてないふりをして、何食わぬ顔で立ち去りましょ?」
(そんなこと言われても……)
 いままででも十分恥ずかしかったのに、確実に見られている状態で続けるなんて。
 焦りで引いたはずの頬の熱が、あっという間に戻ってくるのを感じた。
(の、のぼせちゃう……!)
 けれどエミリさんは容赦してくれない。
 ディープ・キスをしながらも、私の手を掴むと、自分の胸に私の手を導く。
「ねえ、ルミナちゃんも、私も気持ちよくさせて欲しいな?」
 エミリさんの胸に触れたことはこれまで何度もあった。けれど、こんな風に人に見られながら、かつ、汗やローション以外のものでじっとり濡れたエミリさんの胸に触れたことはなかった。
 手のひらではとても収まりきらないボリュームもすごいのだけど、いまはあまりに触り心地自体が良かった。
 温泉に入っていたこともあってか、人肌よりも少し高めになっている体温が、また一段と心地よく感じる原因だろう。
 思わず言われるがままに手を動かして、エミリさんの胸に刺激を与えると、エミリさんの口から熱くて甘い息が滲み出した。
「ふぁ……ああ、いいわ……その調子……」
「エミリ、さん……」
 手のひらで乳房の表面を擦るようにしながら、すくい上げるようにして重みを感じる。
 ずっしりと来るその感触はなんとも言いがたいほど素晴らしくて、いつまででも揉んでいられそうだった。
 そうしているうちに、エミリさんの乳首が硬く存在を主張し始める。
 親指と人差し指で挟み込むようにその乳首に触れると、さすがのエミリさんも思わず肩を震わせ、はっきりと感じていた。
「んぁっ、ルミナ、ちゃ……っ」
 そんな状態でも、私の名前を愛しそうに呼んでくれるエミリさん。
 私はエミリさんと一緒にこうしていられる幸せを噛みしめながら、エミリさんがイくと同時に再び絶頂した。
 エミリさんとふたり、互いに抱きしめ合って、息を吐く。
「はぁ……はぁ……行きましょうか」
「はぁ……はぁ……は、はぁい……」
 促され、私は立ち上がった。
 エミリさんと互いに支え合いながら、ゆっくりと露天風呂から上がり、脱いでおいておいた浴衣を手に取る。
(あ……でも、タオルが……)
 濡れた身体を拭くタオルがないことにいまさら気付く。ドキドキしすぎてて、そこまで頭が回っていなかった。
 浴衣を手にしたまま、どうしようかと思っていたら、エミリさんは私の手を引いて、遊歩道の方へと歩きだした。
「え、ちょっと……っ」
 近くに人がいるのはわかっていたので、名前を呼ぶのはまずい。
 言葉を飲んだ私に対し、エミリさんは微笑みながら言う。
「少し歩いて乾かしましょ。大丈夫。この遊歩道を使う人は少ないから」
 そういうエミリさんの目が一瞬隠れている誰かの方を向く。ここで立ち止まって乾かすことは出来ないという意味だろう。
(確かに、ここから離れることが先決……)
 私はそう覚悟を決め、エミリさんに手を引かれるまま、ついていく。
 幸い、隠れていた人は私たちを追いかけては来なかった。少し気になるけど、何もしてこなかったのであれば、問題はないはずだ。

 こうして私たちは露天風呂を満喫した後――ふたりして素っ裸のまま、遊歩道を再び歩き出したのだった。


露天風呂編 おわり

露出旅行記 露天風呂編 3


 ざぶりざぶりとお湯をかき分け、エミリさんに近付く。
 エミリさんは立ち上がって、浴槽の縁でもある石に腰掛け、自分が座った場所のすぐ隣を優しい笑顔で指し示す。
 そこに座れということだろう。そこに座ると遮るものは何もなく、裸の背中を温泉街の方に晒すことになってしまう。
 暖かな湯の中にいるはずなのに、指先が震えた。
 意を決してエミリさんの示す場所に座ろうとして。
「あ、ちょっと待って」
 エミリさんがやんわりと私の肩を押して制止した。
「しゃがんで」
 言われるまま、私は脚を折ってしゃがみ、肩までお湯に浸かった。
 どういうつもりかわからず、疑問符を浮かべる私に対し、エミリさんは笑顔だった。
「うん、いいわ。それじゃあこっちに座って」
 改めてエミリさんに促され、私は露天風呂の縁を形作る石のひとつに腰掛ける。
 どうしてエミリさんが一度私を湯に浸けたのかは、すぐに理解した。
 濡れた身体は普通よりも敏感に風を感じるようになってしまっていた。裸でそこにいるということが余計に強く意識され、湯に火照っているだけじゃない赤色が頬に混じる。
 温泉街から見られているかどうか、背を向けている私にはわからないけど、妙に背中がむず痒い感じがした。私だけじゃなくてエミリさんもいるのだし、気付かれる可能性はより高まっていると考えるのが普通だ。
 エミリさんは楽しそうに温泉を脚でかき混ぜている。大きく伸びをして、身体を晒すことに抵抗がないかのようだ。
「ルミナちゃんも、そんなに縮こまってないで。ほら、背筋を伸ばして?」
 自分で思っていたより、萎縮した気持ちは態度に出ていたらしく、エミリさんの手が私の背中をそっと撫でる。滑らかなエミリさんの手が、私の背筋を撫でて降ろされた。
 その感触から、自分で思うより背筋が曲がっていることに気付かされた。
「……っ、は、はいっ」
 せっかくここまでやったのだから、と思い、私は精一杯背筋を伸ばす。そうすると自然と胸を張るような姿勢になってしまい、より強くさらけ出しているという実感が得られた。
 大自然の中で解き放たれたような、そんな開放感。
 これを味わうために露出プレイをしていると言っても過言ではない、心地良さ。
「は、ぁ……」
 思わず口から吐息が漏れた。自分でも感じている事が明らかな熱を帯びた吐息。
 そんな吐息が零れた口を、エミリさんが急にその唇で塞いで来た。
「んっ、うッ!?」
 驚く私に対し、エミリさんは妖艶な笑みを浮かべていた。
「んふ……っ、ルミナちゃんがあんまり可愛いから、つい」
 ごめんね、と謝りつつもエミリさんは止まらない。
 エミリさんは身体を絡めてきながら私の唇に自分の唇を重ね、さらに舌まで入れてきた。
 恐ろしく早い動きに抵抗を考える暇すらない。
 身体に回されたエミリさんの手が私の乳房を柔らかく揉んで、もう片方の手は私の股間に触れてきている。
「ふあっ、あっ、んんんっ」
 乳房、秘所、そして口内。
 三点を同時に責めてくるエミリさんに、私は反撃するなんてことも考えられなかった。
 ただ、与えられる刺激に悶え、せめてものお返しに侵入してくる舌に自分の舌を絡める。
 少しはエミリさんを感じさせることが出来たけど、三点同時に責められている私が敵うわけもなく、エミリさんの手と口によって絶頂させられてしまった。
「ん、んっ、あ、ああああああ~っ!」
 肩が跳ね、溢れる感情を抑え込むために、エミリさんの身体にしがみつく。びくんびくんと動いてしまうはしたない身体を、エミリさんはしっかり受けとめてくれた。
 やがて絶頂の波が過ぎ、脱力した私はエミリさんに身体を預けつつ、呼吸を整える。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
 誰が来るともわからない、それどころか温泉街から丸見えなところで、それだけ感じてしまったことが恥ずかしい。
(誰か来てたら大変なことになってた……良かった、誰も来ない、で……ッ!?)
 そう思った私は、気付いてしまった。
 絶頂したばかりでぼんやりとする視界。

 その端に、私たちのことを窺っている人物がいることに。

つづく

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第八章 2


 上空には禍々しい姿をした八つ首の竜。
 そのすぐ下に聖女・清澄聖羅と大妖精・ヨウが、幾何学模様の結界の中に捕らえられている。
 さらに彼女たちの下、地面に出来たクレーターの中心部に、子犬ほどに小さくなった死告龍・リューが横たわっていた。

 そんな場に駆けつけたのは、四人の人間と、数多の魔物たち。
 ルィテ王国の姫・テーナルク、北の国ログアンの姫御子・アーミア、南の湖国の獣人姫・ルレンティア、東の大国ザズグドズの戦略家にして書記官・バラノ。
 彼女たちは各国の要人である。
 ヨウの眷属である大鹿。その雄々しい角の片方は折れ、いまにも倒れてしまいそうなほど消耗している。
 ヨウの眷属は大鹿の他にも数体その場に集っており、主たるヨウの危機に気炎をあげていた。

『貴様……っ! 我が主を放すでござる!』

 満身創痍でも気力だけは衰えていないのか、大鹿が八つ首の竜に向かって吠えた。
 空に浮かぶ八つ首の竜は、そのハ対の瞳で、地上にいる者達を見下ろしている。

『ふん、いまさら貴様ら眷属風情が何匹集まろうと無駄なこと』

 八つの首がそれぞれ魔法を唱え、首ごとに違う属性の魔法を紡ぎ出し始める。
 その膨大な魔力の渦を前にして、相対した者達の身体が強張った。

『くっ……! 雷よ!』

 大鹿は力を振り絞って対抗魔法を唱えたが、魔法が激突した結果、衝撃波が襲いかかってその巨体がなぎ倒される。
 その他の魔法については、大鹿以外の眷属が迎撃したり、結界術を得意とするアーミアが防いだりしたが、力の差は歴然だった。

「なんて強さだにゃ……! いままでの死告龍の眷属に比べて、桁が違いすぎるにゃ!」

 全身の毛を逆立て、ルレンティアが唸る。

「でも、おかしいです! 死告龍様と大妖精様は契約を結んでいるはず……なら、眷属同士が争うことはしないはずですのに……っ」

 侵略国家であるザズグドズ帝国に所属するバラノはそう呻く。
 侵略が国是である帝国では、侵略する対象は人間の国家だけではない。
 むしろ魔物が治めている地域こそ、帝国にとって積極的に攻略する対象だった。
 それは魔族との戦いが頻繁に起こるということでもあり、当然その魔物に対する対策というものが積極的に練られている。
 その常識からすると、一時的にとはいえ、主同士が一定の友好関係にある場合、眷属同士でも争うことはなかった。
 通例を踏まえた疑問に、八つ首の竜は平然と応える。

『なに、簡単な話ですぞ? 確かに主の交わした契約はその眷属にも影響を与える……ですが、その眷属が主を超えた存在になれば、主の交わした契約に縛られる道理などありません』

「主を超えた、存在……?」

 四人の人間の中で、魔物の眷属に関して最も詳しいのはアーミアだ。
 特定の魔物とその眷属と交流を古くから続けているログアンの姫御子である彼女は、それだけ魔物と眷属との交流も深い。

「眷属の力が強くなりすぎて、主の眷属じゃなくなるってこと……? そんなこと、聞いたことない」

『普通はないでしょうな。……実際、我が主がその力の大半を失わなければ、超えることなど、とても敵わぬことだった』

 得意げに、しかしどこか寂しげに八つ首の竜は呟く。
 その瞳の一部は、地上のクレーターの中心に倒れたまま動かないリューへと向いている。

『しかし、こうなった以上は儂こそが、この魔界の主に相応しい力を有する――誰にも邪魔はさせませぬ』

 八つの竜から、再び膨大な魔力があふれ出す。
 そのあまりに強大な力を前に、居合わせた者達の間に絶望が広がった。




――少し時間は巻き戻る。

 大鹿を説得する役割を担い、単独で森の中に入った清澄聖羅。
 大妖精の元まで案内するように大鹿に頼むことには成功した聖羅だったが、話の中で死告龍が弱体化していることを大鹿に話してしまい、大鹿に決死の覚悟を決めさせてしまう。
 自分の命と引き替えにする覚悟を持った大鹿によって聖羅は森の中に拘束され、置き去りにされてしまったのだ。
 そんな彼女を助けてくれたのは、彼女の夢の中にたびたび現れる『月夜の王』アハサ。
 彼は聖羅を拘束していた植物の蔦を枯らして彼女を解き放ち、さらには魔力の流れを見ることが出来るようにする『目』を貸し与えた。
 そのアハサの助けのおかげで、無事大妖精・ヨウの元にたどり着くことに成功した聖羅であったが、そこで想定外のことが起きた。

 大妖精・ヨウの元には、先客が存在したのだ。

 ヨウは彼女を守るように展開する植物の蔦の籠の中で丸まり、目を瞑っていた。眠っているようにも見える。
 そんなヨウの前に、人型の『何か』が立っていた。
 それは一見、人間の老紳士のように見えたが、その場違いなほど余裕のある態度や、森の中を進んで来たとは思えない豪華な衣服など、違和感の大きな姿だった。
 そしてなにより、月夜の王・アハサから借り受けた『目』を有する聖羅には、その老紳士が警戒しなければならない存在だと理解出来た。

(こ、この人の全身から……明らかにおかしい量の魔力が溢れ出してます……! 顔が、よく見えません……!)

 聖羅の接近に気付いて振り返った老紳士の顔は、その身体から立ち上る怪しげな光によって、覆い潰されていたのだ。
 明らかに普通の人間ではありえない、と聖羅は直感していた。
 聖羅にとって、魔力が見えるようになってから初めて見る人の姿であったが、その確信があった。
 魔力を感じられない聖羅には、その魔力らしき光が本当に禍々しいのかどうかまではわからなかったが、見た目だけでも十分警戒するべき対象に見えたのである。
 思わず固まってしまった聖羅を、その老紳士も認識し、ヨウの方を向いていた身体を聖羅へと向ける。

「これはこれは……キヨズミセイラ様ではありませんか。貴女様が単独でいらっしゃるとは……少々意外でしたな」

 本気で意外に思っているらしい声音だった。
 聖羅は警戒は解かないまま、茂みをかき分けて老紳士の正面に立つ。

「……わたしのことを、ご存じなんですか?」

「無論、存じ上げておりますとも。我が主が懸想しておられる方ですからな」

 その声音は柔らかく、友好的なように感じる。
 だが聖羅は元の世界で培われた警戒心から、その言動に引っかかるものを感じた。

「あなたはヨウさんの眷属ではなく――リューさんの眷族の方、で間違いありませんか?」

「我が主を、そのような間抜けな名で呼ぶのは止めていただきたいですな」

 強い拒絶の念が、その言葉には籠もっていた。
 いままでその呼び名について、そういった反応を受けたことはなかったため、聖羅は息を呑む。

「……失礼しました。あなたは、死告龍さんの眷属の方ですか?」

「ええ、そうですよ。我が主の最初の眷族として、この魔界に誕生しました」

 誇らしい様子だった。
 だが、聖羅を見る視線には、友好的な気配は微塵もない。
 聖羅は身を竦めながら、問いかけを続ける。

「死告龍さんが弱体化していることを、ご存じですか?」

「ええ、もちろん存じておりますとも。……貴女様のせいでね」

 魔力を感じられないはずの聖羅が、肌に突き刺さるような刺激を、悪寒を感じた。
 聖羅の『目』には、老紳士の身体を覆う光が、一際大きく膨れあがるのが見えていた。
 それは一定の大きさまで広がると、ゆっくりと元の大きさに戻っていったが、それはまるで怒りを堪えて震えているようにも見えた。
 思わず数歩後ずさった聖羅に対し、老紳士が纏う怪しげな光は益々大きく波打つ。

「ああ、本当に貴女様はただの人なのですな。いや、ただの異世界人というべきですか。存在自体は確かに希少も希少。……ですが、本当に解せない。我が主はなぜこのような女をツガイに、と」

 怒りを滲ませてぶつぶつと呟く老紳士の姿を見れば、聖羅も何を問題視しているのか察することが出来た。
 恐る恐る、問いかける。

「あなたは、死告龍さんがわたしを気にかけているのが、気に入らないのですか?」

 その問いかけが届いた瞬間、老紳士の輪郭がゆらりと揺らいだ。

「……逆にお聞きしますが、貴女如きが、我が主に気に入られてしかるべきだとお思いで?」

 声には憤怒が籠もっていた。

「我が主は至高の存在。この世界において並び立つ者のいない、究極の存在なのです。人間の王は無論、いかなる魔王も我が主に並び立つには力不足……だったというのに!」

 爆発的に老紳士の質量が増大し、その本性を露わにする。
 八つの首を持つ大きなドラゴン。太い四つ足は像よりも逞しく、その尾は鋭いトゲも相成って凄まじく攻撃的だった。八つの首を支える胴体には巨大な翼も生えており、ただでさえ巨体の身体を更に大きく見せている。
 本来の死告龍の大きさをも遙かに超えた巨躯は、八つ首であることもあってか、威圧感は八つ首の竜の方がよほど大きい。
 八対の目から睨み付けられた聖羅は、身体を縮ませ、息を呑むことしか出来ない。
 そんな聖羅の、人間としては真っ当な反応。
 それに対し、八つ首の竜の全身から、より強い憤慨が燻る。

『こんな程度の! 我が真の姿に怯えて動けぬ程度の! 愚かでか弱い人間に懸想しているなど! そんなことが許されるとお思いで!?』

 聖羅は死告龍という存在と交流を深める内に、ドラゴンの姿には慣れていた。
 しかし、いま聖羅が目の前にしている八つ首の竜は、死告龍を相手にするのとはまるで違う。
 彼は敵意を持って睨み付けてきているのだから当然だ。
 飼い犬と毎日触れ合い、犬という存在に慣れている人間でも、他人が飼う大型犬が牙をむき出しにし、吠えてきたら恐怖を感じずにはいられないだろう。
 まして、いま聖羅が相対しているのは、人間を一呑みに出来そうなほど巨大な竜なのだから。
 牙から滲んだ毒液が、地面に落ちる。その部分の地面が溶け、湯気があがった。
 その恐ろしい形相も相成って、聖羅は何も応えられなかった。
 聖羅の一般人としては極普通な反応を受け、八つ首の竜は不満げに呟く。

『我が主は究極にて至高……でなければ、私が仕える価値がない。貴女のような凡人に現を抜かすようなことは許されないのですぞ』

 ゆえに、と竜は続ける。

『我が主が、儂の主として不適格であるならば――望ましい主に儂がなればいい。そのために、主を惑わし、力を切り離させ、さらに力を蓄え、魔界に対する支配力を増したのです』

「そんな……無茶苦茶な」

 思わず聖羅はそう呟いていた。
 この眷属は、主が気にくわないから、その主に成り代わろうとしている。
 理屈としては、まず主を諫めるのが順番として先ではないのか。
 自分に相応しい主を得ようと、自分が主になるというのは、破綻した理論ではないか。
 そう思いはしたものの、目の前に敵意溢れる竜の頭部がある状態では、相手を刺激するようなことは口に出来ない。

『我が主と儂の力関係はすでに逆転しております。いまだ主と眷属の関係に縛られる部分はありますが……それも時間の問題でしょう。主が切り離した力の大半を儂が取り込んだ時、儂は全ての柵から解き放たれ、究極の存在へとなれる』

 八つある首の内ひとつが、聖羅を喰らわんと動いた。

『貴女に何が出来るとも思えませんが……勝手に動かれても面倒です。ここで捕らえておきましょうか』

 当然ながら、魔法の使えない聖羅がそれに対応することなど出来るわけもなく。
 迫る顎を呆然と見詰めることしか出来なかった。
 だが。

『――させないわ!』

 その場には、彼女を守護することを誓った大妖精・ヨウがいた。
 何重にも展開した蔦の結界の中から飛びだしたヨウは、破砕した結界の光を目くらましに、一瞬で聖羅の元に移動した。
 だがそれは、八つ首の竜の想定内であった。

『ようやく、出て来てくれましたか』

 聖羅を抱えて逃げようとした大妖精の周囲を、八つ首の竜が生み出した結界術が囲む。
 結界は大妖精の移動を制限し、聖羅ごとその場に縛り付ける。
 大妖精もまた魔法を唱えてその結界に抵抗しつつ、上空に向けて光弾を撃ち出した。

『すべての眷属に告げる! 私の元に来て、セイラの守護を最優先! 彼女を護って!』

 上空に撃ち出された光弾は煌々と光り、彼女たちの場所を周囲に知らしめる。
 だが、八つ首の竜は動じなかった。

『いまさら無駄な足掻きを……』

 そうしている間にも、聖羅と大妖精を包む結界は十重二十重に練られ、彼女たちの自由を指先のひとつに至るまで奪っていく。
 全身を締め付けられる息苦しさを感じつつも、大妖精は不敵に笑った。

『残念だけど、こうなった以上は、賭けるしかないのよね……』

 その言葉と同時に、森の一角が吹き飛んだ。
 瞳を真っ赤に輝かせた、死告龍が現れた。
 八つ首の竜は即座にそちらに向き直った。

『おお、我が主! ずいぶんと、お労しいお姿で!』

 言葉だけなら、主の身を案じる忠臣の姿だ。
 だが、聖羅はそこに嘲りのニュアンスを感じた。
 それは死告龍・リューにも伝わったのだろう。
 益々その瞳を激怒に輝かせる。

『おまえ……! セイラに、なにしてる!』

 一喝すると同時に、いまの死告龍の体格からすれば、凄まじいサイズのブレスを一呼吸で放った。
 黒い光が宿っていないそれは、即死属性をあえて込めなかったのだとわかる。
 森に即死のブレスが当たらないようにという配慮が見えた。
 そんなブレスを、八つ首の竜は空中に飛び上がることで避ける。

『我が主よ……それは愚行でありましょう!』

 上空に逃れた八つ首の竜が、それぞれの首の口からブレスを死告龍に向かって放つ。それもまた即死属性が込められていない素のブレスであった。
 リューはそれを打ち消そうと連続でブレスを吐いたが、体格の差と数の差は如何ともし難く、為す術もなく押し切られる。
 複数のブレスに押し潰されるようにリューが地面に激突し、大爆発が起きた。

「リューさんッ!」

 聖羅の悲鳴が森の中に木霊する。
 砂煙が晴れた時、森の中に出来た巨大なクレーターの中心に、リューが横たわっていた。
 そこにようやく、ヨウの眷属達と、四人の人間達がやって来た。

 しかし、彼女たちが加わっても――八つ首の竜を止めるには至らなかった。




 捕らえた人々から膨大な魔力を吸いあげ、さらに強大な魔法を放とうとする八つ首の竜。
 ヨウと共に捕らわれている聖羅は、何も出来ずにそれを見詰めるしかなかった。

(このままでは、皆さんが……!)

 八つ首の竜という、あまりに強大な魔族を前に、テーナルクたちは満足に動くことも出来ないようだ。
 聖羅は彼女たちがリューと相対したときのことを思い返す。
 あのとき、リューは友好的な態度とは言いがたかったが、それでも彼女たちに対して敵意や殺意を抱いていたわけではなかった。
 それでも、強大な存在を前にして、ルレンティアに至っては体調を崩すほどの重圧を受けてしまっていたのだ。

 その時のリューに匹敵する存在の八つ首の竜が、殺意を向けている。

 彼女たちの身体は蛇に睨まれた蛙の如く、硬直してしまっていた。
 頼みの綱だった大妖精のヨウは聖羅と共に囚われの身にあり、とても彼女たちを助ける余裕はない。
 彼女の眷属たちは魔法の発動を止めようとして突撃を仕掛けているが、八つ首のいくつかが軽くあしらっていた。
 大鹿はすでに死に体であり、死告龍本体は地面に横たわったまま動かない。

(誰か……!)

 死告龍相手でも臆することのない存在は限られている。
 聖羅は、その数少ない存在である、この国の王族達を思い浮かべたが、ルィテ王国の国王たるイージェルドは、魔界の外に脱出しているとアハサから聴かされていた。
 その弟で、軍事関係の責任者であるオルフィルドは魔界にいるはずだったが、彼がいまどうしているかはわからない。すでに囚われている可能性もある。
 死告龍レベルの魔物に対抗出来る者はそうそういるものではない。
 仮に騎士や兵士が無事に残っていたとしても、助けにはならないだろう。
 そこでふと――聖羅は思考の隅に引っかかるものを感じた。

(あれ? そういえば『あの人』は、リューさんに、全く怯んでなかったような……?)

 当時、聖羅はリューやヨウと意思疎通が出来なかったため、そのことを気にする余裕もなかったが、死告龍や大妖精といった存在を相手にしても、全く怯んでいなかった存在がいたことを思い出した。
 いまから考えれば、それはとても不自然なことだった。
 各国の要職に就いていて、対策をしていたはずの四人の女性達ですら、死告龍や大妖精相手に怯んでしまったというのに。

 何も持っていないはずの『彼』は――彼らに怯んでいなかった。

 そのことを聖羅が思い出した時、地面に倒れたままだったリューが起き上がる。
 大きく口を開き、黒い光がその口内から溢れた。
 今度は、即死属性を有するブレスだ。上空を飛ぶ八つ首の竜に向かって放てば、森にブレスは当たらない。
 それにいち早く反応した八つ首の竜は、三つの首の口内にブレスを溜める。

『無駄なことを……! 儂もまた即死属性を持つということをお忘れか!』

 残りの五つの首の内、四つが魔法を放つ動作を続けている。
 例えリューが即死のブレスで押し切ったとしても、同時に放たれる魔法がリューたちを穿つだろう。
 攻撃と防御、両方同時に行うことは、いまのリューには出来ない。

 リューのブレスと、八つ首の竜のブレスが激突する。

 八つ首の竜は、リューのブレスを相殺することを狙っていたらしく、同等の力を持つブレス同士は触れあった瞬間、大きな爆発を起こした。
 本命はその爆発の中で放たれた強力な魔法攻撃だ。
 攻撃の直後で動けないリューや、動く余裕もないテーナルクたちを八つ首の竜の魔法が襲う――寸前で打ち消された。

『なにっ!?』

 八つ首の竜が驚く。
 ルィテ王国の王族のひとり――完全武装したオルフィルド・ルィテが、テーナルクたちを庇う位置に立っていた。
 その身を覆う鎧には幾何学模様が浮かび上がっており、魔法を打ち消したのはその力であると、魔法の知識の無い聖羅でも察することが出来た。
 それだけではなく、オルフィルドはリューに向かって手を翳しており、それが生み出したと思われる結界が、リューへの攻撃も防いでいた。

「叔父様!」

 思わず、といった様子で歓喜の声をあげたテーナルクに、オルフィルドは微笑みを返した後、その鋭い目で八つ首の竜を睨み付ける。
 八つ首の竜は新たに現れ、自分の攻撃を防いだ存在に警戒心を持ったが、人間ならばいまの彼にとって恐れるほどの存在ではない。
 だから、ほんの少しだけ、気が緩んだ。
 その気の緩みは、戦場において致命的な隙だった。
 空を飛ぶ八つ首の竜より、さらに上空からの奇襲を見逃してしまうくらいには。

 空から降ってきたその者――ヴォールドの渾身の一撃が、八つ首の竜に炸裂した。

つづく

露出旅行記 露天風呂編 2


 どくん、どくんと痛いほど心臓が高鳴っている。
 露出ッ子になってから、これくらい興奮することはよくあることだけど、いつまで経ってもこの感覚に慣れることは出来そうにない。
 見晴らしのいい、高台の露天風呂に入っているエミリさん。その裸身は美しく、思わず見惚れるほどだった。
 その背後に見えるのは、さっき私たちも歩いた温泉街。
 明るい景色の中、たくさんの――というほどは見えなかったけど――温泉客が歩いているのが見える。
 堂々と晒されたエミリさんの裸身は、向こうからだとどう見えているのだろうか。遠目であっても、明らかに裸であることはわかってしまうはずだ。
 私が同じようにしてその場所に立つことを想像すると、益々心臓の鼓動が早くなった。寒くもないのに指先が震えて、動けない。
 私が動けないでいると、エミリさんはゆっくりとお湯の中に戻る。
「気持ちいいわよ~。最高の気分になれるわ。こういう、普段は味わえない気持ちよさを、味わいに来たんじゃなかったかしら?」
 エミリさんの言うとおりだった。
 わざわざ時間をかけてこの温泉街に来たのは、自分たちを知る人に出会わないようにするため。
 仮に誰かに見られたとしても、地元に帰ってしまえば問題にならなくて済む。
 その上で、最低限の安全を確保しながら楽しむのが今回の旅の目的だった。
 この機会を逃せば、次にこういことが出来るのはいつになるのかわからない。
 私の中の天秤が揺れ動くのを、エミリさんは見逃さなかった。
「やるなら早くしないと、誰か来ちゃうわよ?」
 そうだ。いまはまだ誰も来ていないけど、この場所は散歩道の途中にある。
 いつ誰が来てもおかしくない。
 私が入るまではエミリさんもあがろうとはしないだろう。
 そうやって時間が経てば経つほど、誰かが来る可能性は高まるわけだ。エミリさんの言うことは正論だった。
 露出ッ子としては、という言葉が付くけど。
(やるなら早く――しなきゃ)
 私はそう決意して、露天風呂に入ることに決めた。
 まず手に持っていたエミリさんの浴衣や帯を、近くの木の枝にかける。射的屋で取った景品の入った袋も、同様にしておいた。
 そして、自分が身に付けている浴衣の帯に手をかける。思った以上に結び目が硬い。それは私が緊張して手が震えているからだろう。急ごうと思えば思うほど、指先が震えて上手く動かなかった。何度も失敗したけど、何度目かの挑戦で解くことが出来た。
 ぱらり、と襟を合わせていた浴衣が広がり、自然と私は何も身に付けていない身体を晒すことになる。
 ドクドクッと、さらに心臓の鼓動が早くなった。
 胸の内側から何かが出てきそうなほどだ。
 錯覚だとわかってはいても、そう感じてしまう。
 肩から浴衣を滑り落として、手に纏める。
 脱いでしまったら、あっという間に全裸になっていた。脱いだ浴衣と帯をエミリさんの浴衣同様に枝に引っかけておく。
 そうして手を離したら――私もエミリさんと同じく、全裸でその場に立っていた。
 エミリさんが優しい笑顔で手招きをする。私は誘蛾灯に誘われる虫のように、その手招きに導かれて露天風呂へと近付いた。
 裸でお風呂に入る、という自然なことのはずなのに、そのお風呂がある場所が開けた丘の上だという事実が、すべてをひっくり返していた。
 こんな特殊な状況なのに――むしろ、だからこそ――興奮してしまう自分の性はどうしようもなかった。
 私はエミリさんの遣っている露天風呂に、脚をゆっくりと差し入れていった。

つづく

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第八章 1


 大鹿の渾身の一撃でルレンティアが創った水上拠点が吹き飛ぶ――と、同時に死告龍・リューは大鹿の懐に飛び込んでいた。

(なっ!? 馬鹿な……っ!)

 そう大鹿が思った時には、リューは身体ごと縦に回転して攻撃に移っている。
 黒い霧を纏った尻尾の一撃が、大鹿の頭部に叩き込まれた。
 凄まじい衝撃が走り、大鹿の頭が身体ごと地面に叩きつけられる。
 その立派な角の片方が根元からへし折れ、その表面に貯められていた魔法の雷が周囲に拡散する。
 大鹿の意識が飛びそうになったが、拡散された雷の刺激が彼の意識を繋ぎ止めた。

(人間たちを守ろうとしたのは誘いだったとでも……!?)

 強烈な一打を受けた大鹿だったが、反射魔法はまだ活きていた。
 引き延ばされた体感の中、死告龍の意図を知る。
 大鹿の攻撃により、吹き飛ばされた水上拠点。
 吹き飛んだのは、水上拠点だけだったのだ。
 中に逃げ込んだはずの人間達の姿は、どこにもない。

(ぬかっ、た……! 不覚!)

 水上拠点に逃げ込んだ者達はその中に留まらず、裏側か底からすでに退去していたのだ。
 そのことを死告龍は気づいていて、あえて水上拠点を守るような動きを見せた。
 結果、まんまと乗せられた大鹿は死告龍ではなく水上拠点に狙いを定め、攻撃を放った。
 それと同時に死告龍は攻撃をかいくぐり、逆に大鹿を仕留めに動いた。
 すべては死告龍の思惑の内だったのだ。

(死告龍……! やはり、こやつは、危険でござる……!)

 再度立ち上がろうとした大鹿の頭部に、死告龍が前脚を置く。
 見た目の体格差は歴然だが、大鹿はまるで巨大な岩に抑え込まれたかのように身動きが取れなくなった。
 悪あがきで幾度か雷撃を放つが、半分になった角の力では死告龍に痛打を与えることはできない。
 死告龍は防御魔法を唱えることもなく、鱗の頑丈さだけで雷が霧散させられた。

『ぐ……っ! お、おのれぇ……!』

 圧倒的な強さを示された形になった大鹿は歯噛みしつつも、奇妙に思っていた。
 すでに勝敗は決している。渾身の一撃を空撃ちさせられ、角の片方を折られ、元々弱体化しつつあった大鹿は致命的なまでに力を失った。
 一方の死告龍は消耗こそ激しいようではあるが、いまだ十分に気力体力が残っている。
 死告龍がその気になれば即死のブレスを放ち、トドメを刺すことは容易なはずだった。
 そうされていないことに、大鹿は戸惑い、同時に情けない思いで歯噛みする。
 なぜならそれは『殺し合い』になっていなかったことを示すからだ。

『なぜ、殺さぬ……! 情けをかけているつもりでござるか……!』

 トドメを刺さないということは、死告龍は大鹿を殺すつもりがないということになる。
 大鹿は殺す気で挑んだというのに、だ。
 己の決意を弄ばれているような、そんな悔しい感覚だった。
 その大鹿の血を吐くような問いに対し、死告龍はただ小首を傾げた。言われている内容がわからないと言いたげなその動作に、さらに苛立ちを募らせた大鹿が吠える。

『ふざけるなでござる! こちらの言葉が理解出来ていないとは言わせぬぞ! そのような幼稚な精神で、ここまで戦略的に動けるものか!』

 その大鹿の恫喝に応えたのは、死告龍自身ではなかった。

「いや、それはどうですかにゃー? 死告龍様は戦いの申し子だからにゃあ。最適解を見出した結果であっても驚かないにゃ」

 独特の語尾で話すフィルカードの獣人の姫・ルレンティアが自分の意見を述べる。
 勝敗が決したのを見てか、姿をくらましていた人間達が現れていた。
 砂浜に掘られた穴から出てきた彼女らは、砂まみれになってはいたが、死告龍と大鹿との戦いの余波で怪我をすることはなかったようだ。
 ログアンの姫巫女・アーミアが、服についた砂を払いながら口を開く。

「……そもそもあなたが死告龍様と殺し合いをする理由はないはず」

「そうですわ。死告龍様と大妖精様は協力関係にあるはずです。お二方が協力関係にある以上、大妖精様の眷属のあなたが、死告龍様と戦う必要はございません」

 ルィテの姫・テーナルクもアーミアに同意した。
 大鹿の攻撃でかなりのダメージを受けていた彼女だったが、そこに思うところはないらしく、自然体で大鹿に呼び掛けている。人に肩を借りて立っているものの、優れた治癒力を発揮し、動けない状態からは脱していた。
 そんな彼女に肩を貸しているザズグドズ帝国の書記官にして戦略家のバラノも、テーナルクの意見に同意する。

「規格外の魔界展開能力を見て、警戒するのは無理もありません。その要を倒さんとするあなたの判断は、あるいは正しいのかもしれません。……ですが、不確定要素が多すぎます。仮に要を崩せたとして――この広大かつ強大な魔界がどうなるか。自己崩壊するだけなら良いですが、内部にいるもの全てが死滅するという可能性も低くありません」

 死告龍は即死の力を持つ。
 眷属にもその一部が引き継がれており、それは魔界にもその性質が影響していることを示している。
 実際、炎の魔物が作り出した魔界は、要の魔物が死んだ時、魔界自体も炎となって燃え尽きたという事例もあった。
 その事例に関しては、炎の魔物がそうなるように仕組んでいたことも大きいのだが、死告龍の魔界がそうなっていない保証はない。

「いずれにせよ、この魔界に対する分析も解析も足りていません。現状のまま動くのは危険であると進言させていただきます。下手な対処は、あなたの主である大妖精様を危険にさらすと考えた方がよろしいかと」

 戦略家もであるバラノはそう結論を口にする。
 大鹿は悔しげに唸った。

『……っ、ぐぬぅ……!』

 彼女たちの推測を撥ね除けられるほどの理屈も、力も持ち合わせていなかった。
 いずれにせよ、死告龍との戦いに敗北した以上、大鹿にできることは何もない。
 負けを認めて、死告龍の排除を諦めるしかなかった。

『……参った、でござる』

 密かに練り上げていた雷を霧散させ、大鹿は脱力する。
 頭を抑えられた状態でのその行為は、相手に生殺与奪を完全に委ねる証だった。
 死告龍は油断無く大鹿の頭部を抑え続け、人間たちはほっと一息を吐く。

「納得してくれてありがたいにゃ。大妖精様の眷属であるあなたには、色々と聞きたいことがあるからにゃ」

「そうですわね。ともあれ、あなたの主と合流いたしましょう。……と、それより前にセイラさんと合流する必要がありますわ」

「セイラさんはあなたに会いに行ったはず。彼女はどうしたの?」

 アーミアの問いに、大鹿は気まずそうに目を反らしながら応えた。

『あの者は無事でござる。大人しくしていてもらうため、拘束はしたでござるが――』

 そういって、大鹿が聖羅を置いてきた場所を伝えようとした時。
 それは起きた。

『すべての眷属に告げる! 私の元に来て、セイラの守護を最優先! 彼女を護って!』

 大妖精の焦った声が聞こえると同時に、森の一角から光弾が撃ち上がる。
 それが緊急を告げる言葉で、現在地を示す合図だと、その場にいる誰もが理解する。
 即座に動いたのは、死告龍だった。
 抑えていた大鹿の頭部から手を離し、光弾が打ち上げられた元へ猛速度で飛んでいく。
 解放された大鹿がフラつきながらも立ち上がり、駆け出す。

『バカな……なぜ我が主の元に……!? 急がねば!』

「あーみん! 回復魔法を! てーなるん、バラノ、付いてくるにゃ!」

 ルレンティアが即座にアーミアを抱え上げ、大鹿と並走する。抱え上げられたアーミアは走ることに意識を裂かずに済む分、大鹿へと回復魔法を唱えた。
 テーナルクとバラノも遅れて彼女たちに続く。
 アーミアの回復魔法によって、若干持ち直した大鹿は、悔しげな顔をしつつも、礼を言った。

『かたじけない! いまはありがたく受け取るでござる!』

「礼には及ばないにゃ! 緊急事態なんだにゃ!?」

『うむ……我が主の結界を突破しうるとは……! なんなのだ、死告龍という存在は! 本体も眷属も規格外すぎる!』

「死告龍様の眷属の仕業なのですか?」

『そうとしか考えられぬ! 仮にキヨズミセイラが何らかの方法で我が拘束を解いて、独力で我が主と合流せしめたとしても……我が主はあのような行動は取るまい!』

「……確かに、あれは大妖精様かセイラさんに危機が迫っている様子でしたわね」

「貴方の行動を止めるため……という線もありましたが、それならそうといえばいいだけですしね」

 話しながら走る一体と四人。
 そんな彼らの周りを、大鹿と同様、大妖精の眷属らしい魔物たちが併走していた。
 いずれも大鹿に負けず劣らずの大物ばかりだ。

「眷属がまだこんにゃに……!? なぜ、全員でかからなかったにゃ?」

 ルレンティアは周りにいる眷属たちの力量を見て、率直にそう尋ねた。
 大鹿が単独ではなく、複数の眷属と連携していたら、もしかすると死告龍を倒し得ていたかもしれないからだ。
 その問いに対し、大鹿は顔を顰め、何も答えなかった。代わりに口を開いたのは、ルレンティアに抱えられているアーミアだ。

「ルレンティア、本体と眷属の関係を考えると簡単。大妖精様はセイラさんを守る立場」

 糸口を示されれば、ルレンティアも察する。

「なるほどにゃ。本来は戦ってはいけないわけだにゃ。なのに戦えば、契約不履行で本体にも他の眷属にもダメージが入る。それを軽減するために、独りで挑まなければならなかった、と」

「そういうこと……普通はしない」

 それだけ大鹿が死告龍の存在を危険視していたということなのだ。
 疑問が晴れたところで、遠くの方から炸裂音が轟いてきた。それも複数。

「今度はなんにゃ!?」

「恐らく、大妖精様の眷属が相手をしていた敵が、森を破壊し始めたのでしょう」

 そう端的に告げたのはバラノだ。
 策略家たる彼女の言に、周りの眷属たちから肯定の反応ある。
 ルレンティアはなるほど、とバラノの戦略眼を評価した。

(そういえば、この鹿も最初は死告龍の眷属らしき蜘蛛を倒していたにゃ……他のそこかしこで、同様の睨み合いが発生していた、ということかにゃ? けれど、それならなんであの蜘蛛だけ森の中に……?)

 ルレンティアはそう考え、そのうちほとんどは正鵠を射ていた。
 最後の疑問については、彼女にわかるはずもない。
 テーナルクとバラノを取り逃がした大蜘蛛が、上位者にその失態を責められ、功を焦っていたなどということは。
 無論わからないままでも、否が応でも事態は進む。
 進行方向で、一際大きな爆発が起きた。

「まずい……ッ! 伏せるにゃ!」

 とっさにルレンティアはアーミアを懐に抱えたまま、大鹿の影に伏せる。
 一拍遅れて、テーナルクとバラノもルレンティアたちがいる場所に伏せた。
 大鹿が前方に防御魔法を張るのと同時に、強烈な衝撃波が過ぎ去っていく。
 轟音が森中に響き、大気を震わせた。

「砲撃魔法でも暴発させたのにゃ!? 耳がいたいにゃあ!」

 ルレンティアの耳は獣の耳であるため、人間のそれと違い、伏せることができる。
 だが、それをしてなお、轟音は彼女の耳をつんざき、頭痛まで引き起こしていた。
 彼女の耳が良すぎることもあるのだが、他の者も顔をしかめずにはいられない、凄まじい轟音であった。

『主……!』

 爆風を凌いだ大鹿が再度駆け出す。それにルレンティアたちも続いた。
 そして彼女たちは見た。
 前方に見えた森の一部が、爆発によってすり鉢状に吹き飛んでいる光景を。
 クレーターの底に、先に聖羅の元に向かっていた死告龍が横たわっているのを。
 その上空で清澄聖羅が、大妖精ごと結界に囚われている様を。

 そして、更に上空に――実に禍々しいフォルムをした七つ首の竜が君臨していた。

つづく

露出旅行記 露天風呂編 1

 露天風呂。
 屋根や壁に囲まれておらず、外に面したお風呂のこと。
 そうやって見える絶景が自慢の場合が多く、お風呂に浸かりながら絶景を眺める時間は、何も代えがたい魅力に溢れている。
 ただし、それは普通の人にとって、の話。
 私たちのような露出ッ子にとって、露天風呂というのは全く別の意味での魅力を感じるものだった。
 露天風呂はその性質上、見晴らしのいいところにある。
 そしてお風呂なのだから当然、裸でいても問題ない。
 つまり、合法的に見晴らしのいい、開放感のあるところで、全裸でいられるということだ。
 私も最初、エミリさんに「温泉旅行に行きましょう」と誘われた時、そういった露天風呂があるのだろうと期待していた。
 露天風呂の中には貸し切りにできる家族風呂みたいなものもあるし、そういうところでなら存分に露出しても誰に咎められることもない。
 そんな風に思っていた。

 けれど、エミリさんの露出計画は私の想像なんて遙かに超えていた。

 全裸のエミリさんが山道の遊歩道を軽快に歩いて行く。
 彼女がさっきまで来ていた浴衣を抱えた私は、エミリさんについていくので精一杯だった。
 あまり人が利用しない時間帯とはいえ、いつ誰に出会うかわからない場所だ。
 浴衣の下に本来着けるべき下着を身につけていないだけの私でさえ、心臓がドキドキして痛いくらいなのに、言い訳のしようもない全裸のエミリさんの方が堂々と歩いているのは、露出ッ子としての年季の差だろうか。
 エミリさんの豊かな乳房と張りのあるお尻が、目の前で揺れていて、眼が吸い寄せられてしまう。
 最初に出会った時から変わらず、魅力的な身体だ。同性の私でさえ、思わず見惚れてしまうほどの、素晴らしさ。
 遊歩道を歩くこと暫く、誰にも会うことはないまま、エミリさんは目的の場所にたどり着いた。
 それは、山の中の、少し見晴らしのいい高台。

 一番目立つところに、その露天風呂はあった。

 そこから見えるのはさっき私たちが歩いてきた温泉街だった。風情のある町並みを見渡すことができた。
 遠目だからはっきりとは見えないけど、温泉街を人が歩いているのも見える。
 それは逆にいえば、向こうからも見られているということだ。
「こんなところに……露天風呂があるなんて……」
 信じられない思いで呟くと、エミリさんは首を傾げた。
「そうかしら? テレビの温泉特集とかでもよくあるじゃない?」
「あ……そう、ですね」
 エミリさんに言われ、冷静に思い返して見れば、確かに話だけはよく聞くかもしれない。道路の真横にある場合もあって、そういったものに比べれば、ここはまだ道路からは離れているだけ、マシかも。
 とはいえ、そういった場所にある温泉に、普通は裸になって入ることはない。脚だけ浸かる足湯的な扱いだったり、水着を着用して入ることがほとんどだ。
 エミリさんは躊躇いなく、全裸のままその露天風呂に入っていった。温泉街の方から見られているんじゃないかとヒヤヒヤしたけど、当のエミリさんは気持ちよさそうに目を細めている。
「ああ……気持ちいいわ」
 このシーンだけみれば、極普通に温泉を楽しみにきた温泉客なのだけど、裸になって入ることは普通はない露天風呂に、裸で入っているという状況がドキドキものだった。
 普通のお風呂や貸し切りのお風呂と違って、いまにも誰かがここを通りかかってもおかしくない。男の人が来る可能性だってある。
「え、エミリさん、そろそろあがった方が……」
 きょろきょろと周囲を見渡し、挙動不審になってしまう。
 けれど、エミリさんがそれで満足するわけもなく。
 肩まで温泉に浸かっていたエミリさんが、水しぶきを上げながら立ち上がり、温泉を囲う石のひとつに腰掛ける。温泉街に背中を向けていたけど、向こうからは明らかに裸の女性が温泉に入っているように見えるだろう。
 温泉によって濡れ、輝きを増した白い肌のエミリさんは、神々しいほどだった。
 そのエミリさんが、焦る私に向かって手を差し伸べて来る。
 そして――悪魔のように囁くのだった。

「ねえ、ルミナちゃんも一緒に入りましょ?」

つづく

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第七章 おわり


 砂浜で大爆発が起こり、細かな砂が舞い上がった。
 大鹿が絶え間なく攻撃魔法を仕掛けるのに対し、死告龍が恐ろしく正確な反撃をくり出して迎撃しているのだ。ことごとくが空中で撃ち落とされ、炸裂しては爆風を撒き散らす。
 大鹿の攻撃魔法は雷が主体であり、その速さ・鋭さは並みの魔法使いでは対応できない。
 森から魔力の供給を受けていることもあり、物量によって圧倒することも容易だ。
 事実、死告龍の眷族であった大蜘蛛はその飽和攻撃に耐えきれず、屍を晒した。
 死告龍の魔力も無尽蔵ではないが、小さな攻撃魔法で大鹿の魔法を撃墜することで、防御魔法を張り巡らせるより遙かに少ない魔力消費で耐えている。

(遠距離戦では、埒が明かないでござるな……ならば!)

 一息に距離を詰め、大きな角を振るって直接攻撃に出る大鹿。
 その一撃を、死告龍は振るわれる角に合わせ、空中を滑るように動くことで、威力を殺しながら受け止めた。
 見る者が見れば、武術の合気道のように相手の動きを完全に読み切って動いたのがわかっただろう。
 さらに、死告龍は前脚で大鹿の角をしっかと固定すると、今度は逆に、力任せに大鹿を振り回す。

『なんとっ!?』

 大鹿が驚愕する間にも、振り回す勢いは更に増し、空高く放り投げられた。
 死告龍の口が大きく開き、黒い光が口内に集中する。
 背筋に悪寒を感じた大鹿は空気中に魔力で足場を形成。
 その足場を蹴って素早く、大きく移動した。
 即死のブレスが大鹿の一瞬前までいた空間を薙ぎ払うのを感じつつ、大鹿は歯噛みする。

(なんという……! 奴も消耗はしているはず……なのに、どんどん攻撃が鋭くなるでござる! これが、死告龍……!)

 死告龍は幼体化し、確かに弱体している。
 だが、戦いが続くにつれて『現在の状態での最適解』を見出しているかの如く、戦闘技術が向上していた。
 戦い始めた当初は互角だった実力が、時間が経つごとに開いていく感覚を大鹿は覚えていた。その事実に焦りが生まれる。
 この戦いは、主であるヨウと死告龍との間で交わされた契約に違反する。
 そのことを大鹿は半ば知りながら死告龍に戦いを挑んでいるため、時間が経つごとにその力は減じてしまっていた。
 だが、自身の消耗を差し引いても、ここまで急激に死告龍が成長し、差を付けられるのは想定外であった。

(まずい、このまま、では……!)

 砂浜から一端退いて、森との境界線に移動した大鹿。
 死告龍はその大鹿に向けて追撃の攻撃魔法を放った。魔法には即死効果は乗らないため、大鹿も得意の雷撃魔法を放って普通に撃ち落とす。
 『森に向かってブレスを吐かない』という契約は有効であるようで、森を背にすればブレスを封じることは可能だった。
 だが、大鹿は死告龍が直接攻撃に来ないことを不思議に思う。

(なぜ森の中に入って来ない……? ブレスを放つことは出来なくとも、直接即死の効果を乗せて殴ることは出来るはずでござる。木々の生い茂った森の中は、小回りの利くあやつならば有利に戦えるであろうに……)

 無論、大鹿とて森の中が本来いるべきところであるため、自分が絶対に不利だとは思わない。
 死告龍の力を鑑みると、植物を操って動きを封じることは出来ないであろうが、目隠しに利用したり、視界の端で動かして気を散らしたりとやれることは多い。
 森の中での戦闘は完全に有利とは言いがたいが、不利であるわけではなく、もし死告龍が踏み込んでくるのならば迎え撃つ用意は十分にあった。
 だが、予想に反して、死告龍は砂浜から離れようとしない。

(……まさか、あの人間どもを守っている、とでも? 馬鹿な、あり得ぬ)

 戦いが始まってすぐ、水上拠点の中に引っ込んでしまった人間たち。巻きこまれればただでは済まないし、死告龍と連携が取れない以上、邪魔にならないところに引っ込んでいるのは正しい選択だった。
 死告龍が執着している清澄聖羅に関しては、大鹿もヨウを通じて情報を得ているため、気にかけている理由はわかっていた。
 正確には死告龍の真意こそわからなかったが、聖羅が異世界からの来訪者であるという情報は得ているため、何らかの理由でその特異性に惹かれたのだろうと推測が出来たのだ。
 その聖羅がその場にいるのであれば、死告龍が砂浜から動こうとしないのは納得がいく話なのだが、聖羅がそこにいないことを大鹿は知っている。
 この場にいるのは、死告龍にしてみれば取るに足らない人間だけのはずだった。
 それを守ろうとしているとは、大鹿には考え難かった。

(いずれにせよ、このままではジリ貧……ならば!)

 大鹿は狙いを変えることにした。
 森の中で呪文の詠唱を開始し、巨大な雷撃の槍を森の木々に隠れて生み出す。
 その狙いは、人間たちが隠れている水上の建築物。
 死告龍が人間たちを守ろうとしているのなら、必ず受けざるを得ない。
 詠唱を重ね、死告龍の防御魔法では凌ぎきれないほどに強力な魔法を練り上げる。
 意図に気づいたらしい死告龍が攻撃魔法を放ってきたが、それは木々を盾にして凌いだ。木々にダメージを受けるのは、長期的に見れば得られる魔力を削られていることになるが、いまこの瞬間を凌げれば、魔法は練り上げられる。
 魔法を放つ寸前、死告龍が大鹿と水上拠点の間に割り込んだ。

(やはり守ろうとしているのは間違いないのでござるか――)

 災厄の化身とも呼ばれる死告龍が、何かを守ろうとしている。
 その事実に大鹿は死告龍の変化を感じたが、しかし攻撃をやめるつもりはなかった。
 死告龍を倒す機会はいまここにしかないと考えているためだ。
 練り上げた雷撃の槍の切っ先を、死告龍へと、正確にはその向こうの水上拠点へと合わせる。
 必殺の威力を込めた槍。
 いまの大鹿の状態では、それが決定打にならなければ敗北は必定である。
 全てを賭けた一撃。

『これにて仕舞いでござる――喰らえ』

 大鹿の巨大な体躯を遙かに上回る巨大な雷槍が、轟音と共に放たれる。
 その穂先は空中を高速で走り、狙い通りにルレンティアの作った水上拠点に着弾した。
 雷槍に込められた魔法が炸裂し、石造りの水上拠点を粉々に爆散させる。

 飛び散った水上拠点の欠片が湖上に落ち、大きな水柱が立ち上った。




「死告龍の魔界は――要の役割を、その眷族が奪い取りつつある状態にあるからだ」

 アハサから告げられた内容に、聖羅は目を見開く。
 彼女はこの世界の常識にまだまだ疎く、そういった眷族の行動がどの程度危険なのかは、正直実感出来ていないところもある。
 しかし、死告龍の眷族がリューの魔界を乗っ取ろうとしている、ということは理解出来たし、それをアハサが歓迎していないことも明らかだった。

「それは……とてもよくないこと、ですよね?」

「無論だ。現状の奴は死告龍の眷族であることで行動に制限がかかっている。魔界内に囚われている人間たちをひとりも殺さず、すべからく魔力供給源にしているのも、死告龍の契約に縛られているからだと考えられる」

「皆さん、生きていらっしゃるんですか!?」

 ことごとくが規格外の魔界だったため、すでに犠牲者が出ていておかしくない、と聖羅は覚悟していたのだ。
 どういう理由であれ、まだ犠牲者が出ていないとすれば、それは歓迎すべきことである。
 聖羅の驚きの声を、アハサは頷いて肯定する。

「ああ、驚くべきことに、いまのところ囚われた者に死者は出ていない。だが、もしあの眷族が死告龍の眷族でなくなれば、主が交わした契約を遵守しなければならないという制限もなくなる。いまは活かさず殺さず、魔力を搾り取っているようだが……制限がなくなれば、全ての魔力を根こそぎ奪って殺すだろうね」

「そんな……! なんとか、しないと……!」

 聖羅は焦りを滲ませて立ち上がったが、それをアハサが制する。

「落ち着け、清澄聖羅。ここが夢の世界だということを忘れているだろう。焦って目覚めたとして、どうしようもなかろう?」

 アハサに指摘され、聖羅は自身が植物の蔦によって拘束されている現実を思い出した。
 仮にこの夢の世界から醒めたとしても、どうしようもできない。
 浮かび上がらせていた腰を、再び落とす。

「……ど、どうしましょう」

「少々難しいが、蔦の拘束に関しては私がどうにかしてやろう。君が考えるべきは、目覚めたあとどうするか、だ」

「そのあと……? あっ! そういえば……! まずいです、ヨウさんの眷族さんが、リューさんを倒そうとしているんです!」

 早く止めなければ、死告龍が倒され、その時点で要の役割が引き継がれることになりかねない。
 益々焦る聖羅に対し、アハサは顎に手を当てて考え込む様子を見せた。

「……それに関しては心配する必要はないと思うがね。主の大妖精でもどうにもならなかった死告龍を、その眷族如きがどうにか出来るとは思えない。たとえ死告龍が弱体化している状態であったとしても、だ。……とはいえ、戦いにおいて絶対は存在しないし、万が一でも死告龍が倒されることがあれば、囚われた者達は終わりだ」

「とにかく、まずは鹿さんを止めないと!」

「どう止めるのかな?」

 即座に問われ、聖羅は考える。
 止まって欲しいと願ったところで、あの大鹿が止まることはないであろうことは容易に想像できる。ヨウの庇護を受けている聖羅を、縛り付けてまで戦いに赴いたのだ。それを覆すには、聖羅本人の力ではどうしようもなかった。

「……ヨウさんと会って、鹿さんを止めるように頼みます。ヨウさんの言うことなら、聞いてくれると思いますし」

「そうだな。それが現実的だろうね。だが……大妖精のいる場所はわかるのか?」

 アハサの問いに、聖羅は唸る。

「難しい……ですが。鹿さんは私がリューさんが弱体化していることを知るまでは、私をヨウさんの元に案内するつもりがあったようでした。向かおうとしていた方向に行けば……」

 徐々に聖羅の声が小さくなる。
 森の中というのは、方向がわからなくなりがちな場所であり、何の知識も道具も持っていない聖羅が狙った方向にまっすぐ歩けるかといえば、そうではない。
 すぐに方向を見失って闇雲に進むことになるのが、容易に想像出来てしまったのだ。

(それでは、ダメですね……最短でヨウさんに会うためには……どうしたら……)

「ふむ。大妖精のいる場所までには、様々な妨害魔法が張り巡らせてあるはずだ。それならば、やりようはある」

 アハサはそう呟きつつ、目を閉じ、瞼の上から人差し指と中指をそれぞれの眼球に触れさせる。
 すると、青白い光が指先に灯り、まるで鬼火のように揺れた。

「私の『目』を貸してあげよう。君の感覚でいうところの『コンタクト』だと思えばいいから、魔力酔いの心配はないよ。これによって君の目も魔力を見ることが出来る。そうすれば、どの方向に魔法が多いか、わかるはずだ」

 そう告げたアハサが、聖羅に向けて指を振り、その鬼火を放った。
 鬼火は吸い込まれるように聖羅の目に滑り込み、聖羅は思わず目を瞑った。
 目に熱を感じると同時に、体の感覚が揺らぎ、自分が座っているのか、立っているかもわからなくなる。

「ではまたな、清澄聖羅。次こそはゆっくり話が出来ることを祈っているよ」

「……っ、ま、待ってください! アハサさん、なぜあなたは――」

 夢の世界に現れては、親切にも助言をしてくれるアハサ。
 今回に至っては『目』を貸すという助力までしてくれている。
 その真意がわからず、そうまでしてくれる理由がわからない聖羅は、そう口にしかけた。
 目を開けようとしたが、光に眼が眩んだ時のように、瞼を開いてもそこに映像は映し出されなかった。
 ただ、銀河の瞬く夜空のような、強大な存在が見えていた。

「私のような存在にとって――君の存在はとても興味深いからさ」

 楽しげに告げられたその言葉を最後に、聖羅の意識は再び闇に落ちていった。
 夢の世界から、現実の世界へ。
 意識が戻っていくのを聖羅は自覚できていた。

「……ッ、はっ!」

 全身を締め上げられる息苦しさに、聖羅の意識が覚醒する。
 禍々しいオーラのようなものを纏った植物の蔦が、聖羅の体に巻き付いていた。

(これが、もしかして魔力……? こんなにはっきりと見えていたなんて。……いえ、これはアハサさんの『目』だからでしょうか……?)

 新しい視界に聖羅が驚いていると、植物の蔦が宿している魔力とは別の色の魔力がじわりとその植物たちを浸食していった。
 すると、植物たちが枯れ始め、聖羅の力でも引きちぎれるほどボロボロになった。
 バスタオルを腰に巻いて、胸を手で庇っている形になった聖羅は、残った蔦を振り払い、自分の足で地面に立つ。

「アハサさん……! ありがとうございます!」

 聞こえているのかどうかはわからなかったが、アハサに礼をいう。
 その後、聖羅は素早く周囲を見渡した。周囲の鬱蒼とした森は変わらずそこにあり、方向はわからない。
 ただ、遠くから大きな爆発音が轟いたのを、聖羅は耳で捉える。

「急がないと……!」

 目を凝らし、かけられている魔法が多そうな方向を探す。
 聖羅は圧倒的に魔力が多く渦を巻いている方向を見ることが出来た。
 曼荼羅のように複雑に魔力が絡み合っているのを見て、思わず足が竦んだが、バスタオルの加護を信じ、突き進むしかなかった。

(完全な状態にしておくべきでしょうか……? いえ、それだともし誰かが話しかけてきてくれた時にわかりません)

 ヨウならば目の前に現れてくれるかもしれないが、そうでなければ姿は現さない場合もありうる。また、ヨウもすぐに目の前に出てこれない可能性もあり、危険はあったがそのままの状態で走る。
 揺れそうになる胸はしっかり腕で押さえ、聖羅は走った。

(……っ、恥ずかしい、ですけど……! あの時に比べたら!)

 以前、争うリューとヨウを止めるため、全裸で全力疾走した時のことを思い出していた。
 あの時に比べれば、腰にバスタオル巻いている分、まだましというものだ。
 決してそういった格好になれてしまってきているわけではない、と聖羅は自分に言い聞かせつつ、森の中を疾走する。

「ヨウさん! もしくはヨウさんの眷族さん! 助けてくださいっ!」

 そう叫びながら聖羅は走る。
 大鹿との対話を経て、少なくとも眷族にも話が通じるということは確認が取れた。
 会うまでは話が通じないという可能性を高く見積もって、防御力を最大にしておく必要があった。
 実際、大鹿は出会って即座に襲いかかってきたため、防御力を最大にする判断は間違っていなかった。
 だがいまは状況が違う。
 一刻も早くヨウとコンタクトを取り、大鹿を止めて貰わなければならない。
 そして眷族にも翻訳魔法が周知されているというのであれば、助けを求めて叫びながら走るという行為が最善策になり得る。

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……! ヨウさん! 助けてください!」

 ヨウと交わした契約がある以上、明確に助けを求めている聖羅を眷族が傷つけることは出来ない。
 それでもなお攻撃される危険はあったが、それを踏まえても叫ぶことを聖羅は選んだ。
 そして、その結果。

『せいら、せいら。こっち、こっち』

 小さな一体の妖精が、聖羅を呼んだ。
 聖羅はその妖精の先導に従って、その後を追う。
 周囲に張り巡らされた魔法はどんどん数を増し、その密度も途方もないものになっていっていた。

(これは……なるほど、ルレンティアさんたちのいうことがわかりました……!)

 聖羅は見えるだけだが、魔力を持つこの世界の人間はその密度の魔法があるということを感じ取る。
 見えるだけでも尻込みしてしまう威圧感があるのに、感じることも出来るのなら、確かに死告龍や大妖精の前に立つのは恐ろしいだろう。
 聖羅は魔力を持った者の視覚を経験したことで、彼女たちの気持ちを理解することが出来ていた。

(ですが、いまはそのことを気にしてるわけにはいきません……!)

 聖羅は小妖精の導きに従って、森の中を走る。
 ヨウがいるはずの場所に近付いているという確信があった。
 そしてその確信は過たず、確かに聖羅はヨウの傍までたどり着いた。
 木々の開けた広場に、巨大な植物の蔦で形作られた籠がある。
 球形の籠の中には、聖羅と契約した大妖精・ヨウが浮かんでいて、その裸身に無数の蔦を絡ませていた。
 目を閉じ、何かに集中しているようなその姿。
 聖羅はようやく、ヨウの元にやってくることが出来たのだ。

 だが、しかし。
 そこには先客がいた。

つづく

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第七章 3


 清澄聖羅を木々の蔦を操って拘束し、動けないようにした大鹿。
 聖羅がヨウと呼ぶ大妖精の眷族の一体である彼は、そのような状態にした聖羅を放置し、砂浜へと走っていた。
 そこには憎き死告龍・リューが、四人の人間たちと共に残っているはずだった。
 大鹿が聖羅を無理矢理縛り付けてでも、いま行動したのは至極単純な理屈。

(あの死告龍を斃す機会は――いまをおいて他にないでござる!)

 細かい理由は不明であったが、死告龍の弱体化は本当であると大鹿は確信していた。
 聖羅から聴いた話だけが根拠ではない。
 普通の状態であるならば、大鹿と死告龍が勝負になるはずがないからだ。
 大鹿としては悔しいことだが、本来の力の差を考えれば、大鹿では死告龍の相手にならない。
 死告龍側に森に対してブレスを用いない、という制限はあるが、その程度はハンデにもなり得なかった。

 ブレスではなく、通常の魔法や物理的な手段であれば、森の中で戦えるからだ。

 死告龍の強さはブレス頼りの強さではない。
 様々な攻撃魔法、格闘術、観察眼や探知魔法など、あらゆる面に及ぶ。
 そのことごとくが磨き抜かれているのだ。
 たとえ大鹿が森の中に逃げ込んでも、本来であれば木々をなぎ倒し、大魔法で森を吹き飛ばし、大鹿の優位はあっというまに覆されてしまうだろう。
 だが、いまの死告龍はそうではない。
 弱体化している死告龍はそこまで理不尽な強さではなく、なればこそ、大鹿が優位に立てる環境に引き込めれば、十分に勝てる可能性があった。

(あれが眷族ではなく、本体というのであれば、拙者が命を賭けてでも斃すのは正しいはずである!)

 そう考え、森の中を走る大鹿。
 力強く駆けていた足が、急に傾いだ。
 巨体が揺らぎ、慌てて体勢を立て直す。大木に寄り掛かり、身体を支える。
 大鹿は激しく咳き込み、その口から大量の血を吐き出した。
 先ほどの戦闘で死告龍から受けた攻撃の影響、ではない。
 大鹿の体は、内部から傷ついていた。

(ぐっ……! やはり、完全には誤魔化し切れないでござるか……!)

 この世界では、誠実であることが求められる。
 それは、言葉に出した内容を遵守すればいいというだけの、単純なことではない。
 特に眷族は、自分だけではなく、主が交わす契約にも大きく縛られてしまうものだった。
 直接契約としてやり取りしていなくとも、主と他者の契約に反する不誠実なことを行おうとすれば、自身の魔力が自分自身を傷つけてしまう。
 聖羅の行動を縛り、死告龍を斃さんとする大鹿の行動は、ヨウが交わした「聖羅と死告龍を助ける」という契約から明確に背くものだ。

(知らぬままであったなら……支障はなかったのでござるが……)

 砂浜で戦ったときは、小さなドラゴンが死告龍本体だとは知らなかったし、聖羅の意図も不明だったゆえ、攻撃を仕掛けても辛うじて影響は出なかった。
 しかしいまは聖羅が「ヨウに助けて欲しい」という意図と、小さなドラゴンがヨウと契約を交わした本体であるということを知ってしまっている。
 誤魔化しの利かない状態で、明確に契約と異なることをしようとすれば、自身が傷つくことになるのは当然であった。

(だが……! それでも! ここであやつと刺し違えたとしても! 拙者の命と引き替えでも! あやつはここで斃しておかねばならぬ!)

 死告龍という存在は、この世界に生きる者にとって、災厄そのものなのだ。
 彼の主である大妖精にどんな危害を及ぼすかわからない。
 ヨウの忠臣である大鹿は、それゆえに自分の命と引き替えにしてでも、死告龍を斃さなければならないと考えている。
 決意を新たに、無理矢理体を動かして再び走り出す。
 大鹿は森から魔力を吸いあげ、自身の力を補充していた。
 急激に魔力を回復させる行為は森に負担がかかるが、それを行ってでも決戦を急ぐ必要があったのだ。

(この事実を、我が主が認知してしまっては、契約違反が致命的な域に達する――その、前に!)

 ヨウは「聖羅と死告龍を助ける」という契約を交わしている。
 ゆえに、眷族である大鹿もその契約を極力尊重しなければならない。
 いまはまだ、とある事情からヨウは聖羅・死告龍・大鹿の状況を把握していない。
 その間に死告龍を斃す。
 明確な違反を行った大鹿はいずれにしても死に至るだろうが、何も知らないヨウへのダメージは最小限に留めることが出来る。
 死告龍の脅威から主を解放できるのなら、大鹿は自身の命など惜しくはなかった。

(拙者の死に場所は、ここに定まったでござる!)

 大きな角に雷撃を宿し、大鹿は跳んだ。
 先ほど死告龍と戦った砂浜に到着する。
 戦闘の跡も生々しい砂浜。
 その一角に、聖羅たちが乗ってきた水上拠点が着岸している。
 離れていても大鹿の接近を感知していたのか、拠点の中から小さなドラゴン――死告龍・リューが外に現れていた。
 すでに戦闘態勢を取っており、小さな体に魔力が凝縮されているのがわかった。
 弱体化しているにも関わらず感じる威圧感。
 死告龍と呼ばれる存在の底知れなさを痛感しつつも、大鹿に退く気は一切なかった。
 雷を宿した角の先端を死告龍に向け、殺意を練り上げてぶつける。

『その命、頂戴いたす!』

 死を覚悟した大鹿が、死を司る怪物――死告龍へと挑む。
 大鹿の放った雷が、死告龍の展開した防御魔法に激しくぶつかって、空中で炸裂した。




 聖羅は気づけば、畳の敷かれた小さな庵に、正座で座っていた。

 庵の外に広がっているのは、時間がゆったりと流れているように錯覚するほど、落ちついた和の空間。
 恐ろしいほど精密に整えられた砂地の模様は、聖羅の知る日本庭園そのもので、これまで彼女が見てきた異世界の景色には決して無かったものだ。
 聖羅はイージェルドやオルフィルド、テーナルクに対し、日本での日常生活について色々と話していたが、日本庭園の話は話題に出なかったため、まだ話していない。
 ゆえに、聖羅は日本庭園に自分がいることにすぐ違和感を抱けた。

(この世界に日本庭園が存在するわけがない……ということは……これは……夢、ですね)

 植物の蔦に締め上げられた結果、気を失ってしまったのだと聖羅は察する。
 厳密に言えば気絶と睡眠は違うものであるため、気絶して夢を見る、というのもおかしな話なのだが、状況的にそうだとしか思えなかった。
 そして、どうしてこうなってしまったのかも思い出した聖羅は、がっくりと肩を落とす。

(うぅ……失敗してしまいました……ヨウさんのところに案内していただくまで、リューさんのことには触れないでおくべきでした)

 聖羅とて、ヨウの眷族たちがリューのことを快く思っていないであろうことはわかっていた。
 だが、まさか自分を縛り付けてまで、リューを斃しに行こうとするとは読めなかった。
 聖羅はヨウとリューがそれなりに上手くやっているところを見ていたが、眷属たちは情報としてしかそのことを知らない。
 認識の違いは仕方のないことであったが、致命的な齟齬だった。

(早く眼を覚まさないと……ん?)

 ふと、聖羅は気づく。
 夢にしては、妙に意識や体の感覚がしっかり感じられることに。
 普段普通に見ている夢の中とは違うその感覚に、覚えがあることに。
 それを確かめるため、自分の身体に視線を落とした聖羅は、その感覚が間違っていなかったことを知る。

 聖羅はいまや着慣れた――バスタオル一枚の姿だった。

 純和風な庵の中で、バスタオル一枚でいることを自覚した聖羅の頬が赤く染まる。
 バスタオル一枚の格好にも慣れてきてはいたが、畳敷きの部屋で取る格好としては違和感がことさら大きく、薄れかけていた羞恥心が煽られるのだ。
 とはいえ、バスタオル以外に持ち物はなく、耐えるしかない。
 聖羅は、何か身体を隠せるものが無いかと庵の中を見渡した。

 その眼に、のんびりと茶を点てている、美しい人型の姿が映し出された。

 聖羅が思わず目を点にしてしまったのも無理はないだろう。
 茶を点てる、という行為自体は、庵という場所に合っていると言える。
 だが、その点てている人物は、ファンタジー色の強い真っ白なローブを身に纏っており、明らかに日本人とは違う顔立ちをしているのだ。
 バスタオル一枚の聖羅とて、この場に即した姿とは言えないのに、その人物の異質さ加減は聖羅の比ではなかった。
 そんな違和感は気にしていない様子のその人型は、十分にかき混ぜたお茶を呑み、苦さにか、あるいは別の理由でか、顔を顰めた。

「ふむ……こんなものか。なかなか面白いな。このようにして茶を呑む文化はこちらの世界にはない。わびさび、というのか? 悪くない」

 ゆったりとした動作でお椀を置いたその人型は、自分を呆然と見つめる聖羅へと向き直った。

「さて、しばらくぶりだな清澄聖羅。……まさか私のことを忘れたとは言わんよな?」

 じろり、と睨め付けられた聖羅。
 無論、聖羅がその人型のことを忘れているわけがなかった。

「は、はい。ちゃんと覚えています……アハサさん。お久しぶりです」

 聖羅がこちらの世界に来てから、数度夢を通じて干渉してきている存在。
 人間ならば誰もがその存在を知るという――『月夜の王』アハサ。
 着ているローブだけではなく、その長い長髪や肌の色まで、白で統一された姿をした美しい人型。
 人の形をしているが、果たして本当に人なのかはわからない。
 その超然的な存在感からは、人外の者の気配もしていた。
 王を自称していて、口調も男性寄りではあるが、あまりに容姿が整いすぎていて、男性か女性かも判然としないのである。
 色んな意味でインパクトのあるアハサのことを忘れられるわけがない。
 聖羅の答えに、アハサは満足げに頷いた。

「うむ。まあ当然の答えではあるが、覚えていないなどと抜かしたらどうしてやろうかと思っていたところだ。新たに出会ったあの四人――テーナルク、ルレンティア、アーミア、バラノにも私のことを訊いていないだろう? まさかとは思ったが、忘れられているのかと思ってな」

 若干拗ねているようなアハサの言い様に、聖羅は言葉に詰まる。
 かつて、聖羅がアハサのことを誰にも訊けていなかったのは、以前はルィテ王国の者達を警戒してのことだった。
 騙されるのではないかということを危惧し、ルィテ王国の者とは別の情報源として、アハサを考えていたためである。
 ただ、その彼ら、彼女らと打ち解けてからも、アハサのことを訊けていなかったのは、ただ純粋に訊くのを忘れていたからだ。
 他に訊くべきこと、気にするべきことが多すぎるということもあるのだが、アハサからしてみれば自分のことを気にしていないのか、と感じても無理はなかった。

「うっ……ご、ごめんなさい」

 アハサの存在を軽んじていたつもりはないのだが、実質的には軽んじていたことになるため、聖羅は素直に謝った。
 若干拗ねていたようにも見えたアハサは、聖羅の謝罪を受けて笑顔を浮かべる。

「いいさ、許すとも。私は狭量ではないからな。それに……君がずいぶんと複雑な状況におかれていることくらい、わかっている」

「そ、そういっていただけると、助かります」

「死告龍の魔界に囚われたようだな。だからさっさと離れた方がよいと言ったのに」

「……アハサさんは、こうなるとわかっていたのですか?」

 確かに、聖羅はアハサから「死告龍とは離れた方が良い」という忠告をされていた。
 こうなることがわかっていたのかと、訊いた聖羅に対し、アハサはあっさりと首を横に振った。

「いや。こうなる、とまではわからなかった。だけどまあ、あの域に達する魔物が同じ場所に留まり続ければ、いずれ何らかの騒動を引き起こすだろうとは予想していたのだよ」

 全く迷惑な話だと、アハサは溜息を吐く。
 聖羅はアハサに対し、訊いてみることにした。

「アハサさんはリューさんの魔界の外におられるんですよね? 外はどうなってしまっているのですか? ルィテ王国の街は……どうなっていますか?」

 その問いにアハサはすぐに答えず、まず確認する。

「ふむ。そちらではすでに半日以上の時間が経過したのだったかな? 内と外で時空の歪みが生じることは稀によくあることだが、死告龍の魔界はそれが顕著だ。具体的には、外では魔界が生じて一時間も経過していない」

「そんなに、ズレが……!」

「ちなみに、魔界に飲まれたのはルィテ王国の王城のみ。城下町までは影響は出ていない。王城にいた三百二十八人は、ほぼ全員取り込まれたがね」

 淡々と告げられた事実に、聖羅は青ざめる。

「そんなに取り込まれた人が……!」

「完全に展開する前の混乱に乗じて、魔界化から逃れることに成功したのは、イージェルドのみのようだ。小国の王でも、王は王と言ったところか」

 アハサの告げた事実に、聖羅は少し安堵する。
 色んな国の重要人物が取り込まれている時点で大問題であるが、国の頂点に位置する王が魔界から逃れているというのは、数少ない明るい情報だった。
 だが。

「ちなみにそのイージェルドは今現在、魔界に取り込まれた者達を救出すべく、戦力をまとめ上げているようだ。もっとも、外と中では時間の流れが違うから、実際に彼らが突入できるのは、取り込まれた君たちの感覚では何週間も経ってからのことだろうけどね」

 明るい情報を塗りつぶすほどの絶望的な情報を示され、安堵に緩みかけた聖羅の表情が再び強ばった。

「そ、そんなに……! それでは、ダメです……!」

 聖羅は焦りと共にそう呟いた。
 助けが来るにしても、そんなに時間が経ってからでは遅すぎる。
 取り込まれた人々が助かる可能性も低くなってしまう。
 聖羅はアハサに対し、必死になって尋ねた。

「アハサさん、どうにか、どうにかならないんでしょうか……!」

「ふむ……そうだねぇ」

 アハサは少し考え込む様子を見せてから、聖羅の問いに答える。

「死告龍の魔界化は極めて特異なものだ。外側からの干渉が難しい以上、内側で対応するしかないだろうね。……ただ、少し調べてみたが、魔界の対応策として基本である『起点となっている主を斃す』という対応は現段階ではお薦めしない」

 その方針はすでに一度話題に出ていたことであった。
 聖羅としては出来れば取りたくない方針であったため、アハサから「お薦めしない」と言ったこと自体は、聖羅には歓迎できることだ。
 しかし、死告龍に対して良い感情を抱いていないらしいアハサがそう言った理由は気になった。

「どうして、ですか?」

「うむ。魔界を発生させた主を斃すというのは、もっともシンプルで確実な対応策ではある。魔界における主という存在は、基盤であり、要だ。魔界がなくとも主は存在出来るが、主がいなければ魔界はその存在を維持できずに自己崩壊してしまう。それはどんな魔界でも変わらない基本なのだよ」

「では、それを推奨しないという理由は……?」

「なに、とても簡単な話だよ、清澄聖羅」

 アハサは相変わらず超然とした態度であったが、わずかに、忌々しげな表情を浮かべていた。
 そして、その理由を口にする。

「死告龍の魔界は――要の役割を、その眷族が奪い取りつつある状態にあるからだ」

つづく
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