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黎明媚態

露出系、羞恥系の18禁小説を書いています。関連の同人・版権作品のレビューも書きます。18歳以下の閲覧禁止。

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 序章

 バスタオル一枚の姿で異世界に転移してしまった清澄聖羅は、ルィテ王国という国にその身を寄せていた。
 紆余曲折あった結果、聖羅は人々から「聖女」と呼ばれるようになっており、その身柄はルィテ王国の王族によって保護されている。
 死告龍という天災級の力を持つドラゴンを鎮めることのできる能力の持ち主で、死を届けるとされる死告龍のブレスにも耐えるという。
 その性格は慎ましく穏やかで、その姿は伝説に歌われる天使の如く清らかで美しく――

「……ちょっと待ってください。クラースさん」

 城勤めの侍女・クラースの言葉を遮った聖羅は、頭痛を堪えるようにその額を片手で押さえていた。
 聖羅の髪を整えながら、『聖女キヨズミセイラ』の噂を当の本人に聞かせていたクラースは、話すのをやめて小首を傾げる。

「いかがなさいました? キヨズミ様」

 彼女は聖羅付きの侍女として、聖羅がこの城に滞在することが決まってからずっと彼女の世話を担当していた。
 日本語に対応した翻訳魔法を用いることで、意思疎通に問題はなくなっている。
 そのため、翻訳間違いや解釈違いがないことは聖羅も承知していたが、このときばかりはその可能性であって欲しいと願っていた。

「いえ……なんというか……それはどこの聖女様のお話ですか……?」

 聖羅はいまだこの世界の一般常識には疎い。
 クラースは城勤めとはいえ、世界の一般常識について聖羅に教えられないほど世間離れはしていないため、聖羅は彼女からこの世界の一般常識を学んでいた。
 聖女なる者の話は聞いたことがなかったため、きっとこの世界には一般的に聖女という存在がいて、その話をしているのだろうと聖羅は現実逃避気味に考えたのだ。
 しかしもちろん、クラースは首を横に振って、聖羅の疑問に答える。

「キヨズミ様のことでございますよ? 私の知る限り、ルィテ王国やその周辺国家にはキヨズミ様の他に『聖女』と呼ばれている者はおりません」

「……別人のお話のような気がするのですが?」

 聖羅がそう感じるのも無理はないほど、『聖女キヨズミセイラ』の噂は美辞麗句で飾られ、聖羅に覚えのないエピソードが山ほど盛られていた。
 曰く、凶暴な死告龍をひと撫でで大人しくさせただとか、大妖精を惹き付けて離さないだとか、降臨した際の輝きは人々の苦悩を浄化しただとか。
 噂とは大げさになるものなのだと、改めて聖羅は実感したものだ。

「その噂を信じると……私は天使か女神になってしまうのですけど」

 特に聖羅が自分のことではないと思ったのは、その容姿に対する表現だ。
 聖羅は自分の容姿が凡庸なものであると理解している。別に強いて醜いわけでもないが、間違っても『天使のようだ』と言われるほどのものではない。
 この世界でも美的感覚はほぼ変わらないはずで、自分がそう呼ばれることに違和感しか覚えないというのが聖羅の正直な気持ちだった。
 だが、クラースは別の捉え方をしているようだ。

「キヨズミ様は私どもからすると見慣れない容姿をされておりますし、身に纏っている衣類も私どもが見たことのないものですから……」

 かつて、初めて欧米人を見た日本人は、欧米人の顔立ちを見て、天狗と勘違いしたという話がある。
 この世界の人間は西洋寄りの顔立ちをしており、聖羅のような純日本人の顔立ちはまったく見られない。
 つまり、この世界の人間にしてみると、聖羅の顔立ちは未知であり、美醜以前の問題で判断のしようがないということだった。
 その結果、聖女という肩書きも相成って、得体は知れないがとりあえず美しい存在・天使と称されうることになっているのだ。

(うーん……私もよっぽどの場合はともかく、外国の方というだけで顔立ちが整っているように見えてしまうところはありますしね……)

 聖羅はそういう風に納得はしたものの、さりとて自分が天使や女神と形容されることに納得がいくわけではない。
 ただでさえ聖羅には抱えている問題が多いのに、これ以上気を病むことを増やさないで欲しいというのが本音だった。
 だがクラースは気を回したつもりなのか、衣装のことについて話を変えた。

「キヨズミ様が普段お召しになっている衣装に関しても、貴族の方の間でアレンジが加えられて舞踏会の衣装になりそうだとか」

「絶対に止めてください……」

 聖羅にしてみれば、彼女がしているバスタオルを腰に巻いて胸を布を隠している今の格好は、苦渋の決断である。
 魔力を持たず、それに対する抵抗力を持たない聖羅は『すべての魔力の影響を遮断する』という加護を持つバスタオルを身に着けていないと気分が悪くなってしまう。
 本来なら、バスタオルの上から普通の服を着たいところだ。
 だが、バスタオルに宿った加護には『定められた着方以外をしようとするとそれを拒絶する』という厄介極まりない性質がある。
 そのため、聖羅はバスタオル以外の物をその上に身に着けることができず、バスタオルをスカートのように扱い、胸に別の布がバスタオルに被らないように巻きつけることで、なんとかまだマシな格好を保っているにすぎないのだ。

(私のせいでこんな痴女みたいな恰好が流行ったら、この世界の人たちに申し訳がありません……)

 最悪、ルィテ王国の国王であるイージェルドに命令してもらってでも止めるべきかと聖羅は思考する。
 禁止するうまい言い訳を考えなければならないが、それに関しては彼らと相談しても構わないだろう。
 しかし、聖羅はなんとなくそれが結果としてまた『聖女』としての噂を悪化させるような気がしてならないのだった。

(この格好は聖女しかしてはいけない格好だとか……なんだかまた大げさな方向に噂が広がる気がするんですよね……)

 いっそ自分は『神々の加護』持ちのバスタオルを身に着けているだけの、魔法も使えないどころか魔力も持たないただの一般人である、と公言してしまおうかと思ってしまうが、それは身の安全を考えるとできないことだった。
 死告龍という危険な存在を止められるのは事実であり、それは加護のことを差し引いても、彼女を特別な存在足らしめる事実である。
 それになによりも、聖女という噂が一人歩きするのは都合がいいことでもある。

 死告龍に求愛されている、などという事実は絶対に伏せなければならないことだからだ。

つづく

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第一章 1

 ルィテ王国国王、イージェルド・ルィテは執務室で頭を悩ませていた。
 彼の目の前にある執務机の上には、周辺各国からの書簡が山積みになっている。
 それぞれ、立場や関係などによる語調は違えど、要約すると「聖女キヨズミセイラに関する詳細を開示せよ」という内容だった。

「全く……板挟みになって苦悩するこちらのことも考えてほしいものだね……」

 新しく届いた書簡の内容もそれに準ずるものだと見たイージェルドは、その書簡を山のてっぺんに放り出しながらため息をついた。
 浸かれた様子のイージェルドに対し、部屋にいた彼の弟――オルフィルドが慰めるように声をかける。

「周辺各国も死告龍の動向には注意を払わないとだからな……仕方ないさ、兄さん」

 鋭い眼光が特徴の彼は、軍人らしい礼服に身を包んでいる。
 そんな彼は自ら用意したティーポットを傾け、紅茶をカップに注いでイージェルドの前に置いた。
 イージェルドは軽く礼を言ってからそのカップに口を付ける。

「ああ、わかっているとも。わかってはいるんだけどね……」

「兄さんがうんざりするのも、まあ、わかるけどな」

 イージェルドとオルフィルドはこの国の王族であり、この国の民を守る責務がある。
 一般的に災害でしかない死告龍を抑えられるというのは、不確定な脅威を制御できるということである。それを制御出来る機会を放棄することはありえない。
 ゆえに、それを成し得る聖羅を厚遇するのに問題はない。
 ただ、死告龍の制御に『聖女キヨズミセイラ』という存在が仲立ちになっているというのは、ある意味では行幸で、違う面から見れば不確定なことが多く危ういことであった。

「聖女呼ばわりも肖像画の拡散も、今後のためになるといって納得はさせたけど……いつ彼女自身の不満が爆発するか、不安でね……どうだい、そのあたり? オルフィルドの方が彼女と接する機会は多いだろう?」

 死告龍を制御出来るのは聖羅だけ。
 聖羅が命じれば、死告龍がルィテ王国に牙を剥くということである。
 ゆえに、聖羅の動向は彼らが常に気にかけて置かなければならないことであった。

「ああ。毎日の茶会は続けてるからな……いまのところ本気で嫌がってる感じはしない。少なくとも、理屈としては納得してるみたいだ。あとは、まあ、恥ずかしがってるだけだな」

「そうかい……そうだといいんだけど。オルフィルドがそういうなら大丈夫かな。彼女は読みにくくて困る。いまだに警戒されているんだろ?」

「そこなんだよなぁ。そろそろ信用くらいはしてくれてもよさそうなもんなんだが……いまだに俺たちの言葉すら疑ってる節があってな……ここまで信用されないなんて、敵対国相手でもまずないぞ」

 彼らは聖羅という人間について『ごく普通で一般的な善良な人間』と見ていた。
 特筆すべきほどの何かを見いだしているわけではない。一定の誠実さは感じても、この世界の人間にとって、誠実というのは個々の性格によるものではないためだ。
 身体に魔力を宿すこの世界の人間、ひいては生物にとって『嘘を吐く』というのは相応に覚悟のいる行為なのである。
 彼らは『嘘を吐く』行為をする度に、言い様のない嫌悪感に襲われるのだ。だから極力『嘘を吐かない』ように動くし、吐く時は相応の覚悟を持って行う。
 知っていることを言わないこと、あるいは言わない行為そのものの裏を探ることによって駆け引きは生まれるが、明白な嘘は吐けないのが、この世界の生き物なのである。
 無論例外はいくらでも存在するが、聖羅がいた世界とは比べものにならないほど詐欺師や悪人が蔓延りにくい環境なのだ。

「彼女がもう少しわかりやすければ、案ずることも少なくて済むのだけどね……」

 そういう事情を持つこの世界からすると、聖羅の誠実さや素直さというものは『至って普通』なのである。
 聖羅の世界でいえば、聖羅は『馬鹿正直』と呼ばれるほど、嘘の吐けない誠実な性格であるが、この世界ではそれが普通なのだ。
 そして聖羅はそれを理解しないまま、騙し騙されが当たり前の彼女の世界の基準で物事を考えている。
 イージェルドやオルフィルドの言葉を頭から信用していないのはそのためだ。
 それは正しいことではあるのだが、この世界の者たちからしてみれば、「明確に言葉として発された内容にも疑いを抱くほど、度を超して慎重。あるいは自分たちを全く信用していない証」となってしまっていた。

「交流してる限りは悪意を感じないし、異世界に来ちまって単に警戒してる……だけだと信じたいところだ」

「まだしばらくは様子見……かな。となると……」

 そう言って、イージェルドは山積みになった書簡を見渡し、再びため息を吐いた。
 周辺各国をどう納得させるか――問題は再びそこに帰結するのである。




 少し、時間は遡る。

『リューはね――セイラにツガイになって欲しいんだ!』

 あの日、清澄聖羅に『リューさん』と呼ばれている死告龍はそう告げた。
 告げられた聖羅は一瞬、なにを言われたのかよくわからなかった。
 しかし言葉の意味を徐々に理解するにつれ、戸惑いの気持ちが沸き上がってくる。

「ええと……すみません。その、『ツガイ』というのは……どういうことでしょうか?」

 聖羅は、例え元の世界と聞こえている言葉が同じでも、全く違う意味合いになる言葉もあるという前提で考えていた。
 翻訳魔法は驚くほど意思疎通を円滑にしてくれているが、それが万能では無いということも彼女は朧気に理解しているためだ。
 稀ではあったが、本来の言葉の意味とは全く異なる意味合いで同じ単語が使われることもあった。
 ゆえに聖羅は怪しく思えた時は、慎重に言葉の意味を確認するように心がけている。
 今回の『ツガイ』という言葉も彼女が想像しているのとは違う、この世界独特の意味を持つ可能性があった。
 そのため、尋ねたのだが。

『そのままの意味だよ? リューと子供を創って欲しいの』

 死告龍は聖羅が受け取った通りの意味だと、さらりと告げる。
 聖羅はそのことで嫌悪感や忌避感を覚えることはなかった。
 知らぬ仲ではなくとも、出会ってまだ一月も経たない相手に「自分と子供を作って欲しい」などと言われたとしよう。
 よほど親しい関係にでもなっていない限りは、拒否するのが普通だし、下手をすれば嫌悪感が湧いてくるところだが、聖羅はそう思わなかった。
 と、いうよりは――ドラゴンから『番いになって欲しい』と言われることが、想像の埒外のことすぎて実感が湧かなかったのである。

「……ええと、まず確認なのですが、リューさんは……男性だったのですか?」

 目の前に野生の熊が出没したとする。
 そうなった場合、その熊の雄雌が気になる人間はそうはいない。まずはその熊が襲ってくるかどうか、あるいは逃げられるかどうかを考えるのが普通だ。
 それと同じで、聖羅は死告龍が雌か雄かなど気にしたことがなかった。
 言葉を交わせるようになって、外見からの想像より声が高いとは思っていたが、それは雄雌の影響というよりは年齢が幼いという方向に取ったため、雄雌どちらかは意識していなかったのだ。
 聖羅の問いに対し、死告龍は少し困ったように首を傾げる。

『んー。男か女かって言われると……リューたちドラゴンにはセイラたち人間みたいに決まった性別がないから。どっち、っていわれても、ないっていうしかないなぁ』

 この世界のドラゴンには明確な性別の区別がない。
 普段は無性で、必要に応じて男性器や女性器が出現するのだ。
 その事を聞いた聖羅は、意外に感じて目を丸くした。

「そうだったんですか? お兄さんがいらっしゃるといっていたので、てっきり、性別はあるものかと……」

『お兄ちゃんにはもうツガイがいるからねー。強いお兄ちゃんの方が雄になってるの。でも、その気になればまた雌にもなれるはずだよ』

 しかしドラゴンは一度ツガイが成立した後、別のツガイを創ることを滅多にしないため、性別を次々変えるということは、そうそうないことではある。

「……そのお相手さんはドラゴン、ですよね?」

『うん、そう。普通のツガイはドラゴンであることが多いよ』

「普通ではない場合があるんですね……」

 自分に『ツガイになって欲しい』などと死告龍が求めて来ている時点で、そのことは聖羅にも予想の出来ていたことではあったが、彼女はそう呟いた。
 死告龍には彼女の複雑な気持ちを斟酌することはできず、平然と話を続ける。

『ドラゴンという種族にはね。種族として高みを目指す習性があるの。大昔はセイラよりもちっちゃなトカゲだったんだって』

 かつては、いまでいう『ドラゴン』という種族自体存在していなかった。
 元はただ生存能力に特化しただけのトカゲであったと言われている。
 それが長い年月の果てに徐々に力を得て、種族として強くなっていった存在、それが『ドラゴン』という種族である。
 元々は人間に踏みつぶされる程度だった弱小種族が、何千、何万という時間をかけて強くなったのである。
 そして、いまでは最強種族の一角に数えられている。
 その中でも、戦闘能力が突出した存在がリューという個体。死告龍なのだ。

『リューは強くなるためにがんばったの。身体を鍛えたし、魔法も覚えた。ドラゴンの中でもリューに勝てるのはお婆ちゃんくらいなんだよ?』

「お婆さん……もしや、私もお会いしたことがある、あの長老さんのことですか?」

『そうそう! リューでもお婆ちゃんには勝てないの。あ、ブレスだけの勝負ならたぶん勝てるけど……ドラゴンはブレス頼りになったら終わりだから』

 魔法や爪、尻尾なども駆使して戦うのがドラゴンである。
 確かに死告龍の即死ブレスは強力だが、必ずしも無敵ではないのだ。

『リューは十分強くなったから……次は、もっとドラゴンを強くするの』

 そう言われれば、聖羅にもどういう意図を持っての行動かわかった。

「つまり、リューさんは個としてのドラゴンとしては、突き詰めるところまで強くなったから、さらなる強さを目指すために、多種族の血を取り入れようと……そういうわけですか?」

『そういうこと!』

 聖羅は死告龍がどういう理由で多種族の自分に求愛しているのか、その意図を正しく理解した。
 話としてはありがちな話ではある。
 純血主義、とは全くの逆だが、要はその『血』そのものを強くしようという話で、そういった行為自体は聖羅としても納得できない話ではない。
 ただ、それに自分が関わってくる話となると――それも、ドラゴンを産むという話になると――話はまた違ってくる。
 端的に言えば、断りたい。
 だが、聖羅の身の安全というのは非常に危ういものであるため、申し出を拒否した時の影響が自分や周りにどう及ぶか、わからない。

「か、考えさせてください……」

 だから聖羅は時間稼ぎの言葉を口にする。
 リューは少し残念そうに顔を歪めつつ、いまのところ聖羅の意思を尊重する気はあるようで、無理強いはしなかった。
 だが、もしもその気になれば、死告龍を止められる存在はこの世界にほとんどいないのだ。

 ゆえに、聖羅は改めて「早く元の世界に帰らなければ」という決意を固めたのであった。

つづく

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第一章 2

 与えられた寝室に、清澄聖羅はいた。
 バスタオルを腰に巻き、胸には別の布を巻き付けてチューブトップのようにしている。
 彼女はベッドの上で寝転がり、天井を見上げながら考えていた。
 極めて困難な状況に置かれた自分の状態を。

(……とにかく、最終目的は元の世界に帰ること。それは間違いありません)

 魔力を持たない聖羅は、この世界において最弱以下の存在である。
 神々の加護を宿したバスタオルの防御力がなければ、魔力を持つ子供のおふざけで死んでしまうし、そもそも魔力に溢れたこの世界ではまともに生きていくことができない。
 死告龍や大妖精といった強大な魔力を持つ存在が側にいることを差し引いても、聖羅はバスタオルを外すと寒気を覚え、体調が崩れがちになってしまう。

(古代人じゃあるまいし、一生バスタオル一枚で暮らすとか無理ですしね……)

 腰にバスタオルを巻き、胸は別の布で隠すスタイルを確立することで、多少マシにはなったが、これまで下着をきちんと身につけ、極力露出を抑える文化で生きてきたのだ。
 聖羅にとって、辛い服装であることに違いはない。
 さすがにひとりで部屋にいるときは慣れて来ていたが、人と関わる時には恥ずかしい思いをするし、その恥ずかしさに慣れてはいけないと彼女は思っている。

(問題は、元の世界に帰る方法ですね……来れた以上は、帰ることだって出来るはずなんですが)

 死告龍・リューが聖羅を気にかける目的は、純粋にリューの事情であることが判明した。
 仮にリューが神からの使いで、神からの指令として守ってくれているのであれば、聖羅にも何らかの使命や、この世界に喚ばれた訳が存在するはずであったが、そういうわけではなかった。
 聖羅の考えでは、自分がこの世界に来てしまったのは偶発的な事象によるものであり、何かを達成すれば元の世界に戻してもらえる、というものではないと考えていた。

(何らかの理由でふたつの世界の境界が開き、その結果私が偶然迷い込んでしまった……というのが順当でしょうね……となると)

 聖羅が探るべきは「ふたつの世界が繋がった理由」である。
 聖羅の世界では扉はただのバスルームのものであったし、魔法のない世界で起き得ることが異世界を繋げたとは思えない。
 そもそも仮に聖羅の世界に原因があったとしても、この世界に来てしまっている聖羅にはどうすることもできないので、こちらの世界に異世界と繋がってしまった原因があると考えるべきだった。

(そうなると怪しいのはあの扉ですね……あれがもしかすると、どこにでも繋がるドアみたいな力を持っていて、誤作動で異世界に繋がったとかありそうです)

 聖羅がこちらの世界にやって来たとき、聖羅は巨大な扉を背にしていた。
 そこから出てきたと考えるのが自然であり、その扉を調べることができれば、帰還の手がかりが掴めるかもしれない。
 一番いいのはその扉のところにいくことだが、そのためにはリューに協力してもらう必要がある。
 ゆえに、聖羅はまずはそういった『テレポートすることが出来る扉』のようなものがあるのかどうかを調べてみることにする。
 彼女はこの世界の文字を読めないため、調べるには誰かに尋ねる必要があった。
 聖羅は身体を起こしつつ、虚空に向けて声を放つ。

「ヨウさん。すみませんが、来ていただけますか?」

 そう聖羅が呼びかけること数秒。
 聖羅のすぐ側に光が凝縮し、美女の姿をした大妖精――聖羅が「ヨウさん」と呼び名をつけている者が現れた。
 彼女は妖精であるため、光の粒子となってある程度自由に物体をすり抜けることが出来るのだ。完全密封された場所ならばともかく、窓や扉があるこの部屋に入ることは造作もないことである。
 裸の美女に、透明で光る蜻蛉のような羽を背に生やした彼女は、その涼やかな相貌に優しげな笑みを浮かべていた。

『セイラ、呼んだ?』

「はい。お呼び立てしてしまってすみません。少し、お聞きしたいことが」

 バスタオルを奪取されるという騒動はあったが、その結果、聖羅とヨウはかなり打ち解け合っていた。
 普通の人間がヨウと相対した場合、その身に宿す絶大な魔力に恐れおののくが、聖羅は魔力を持たないため、自然と接することが出来た。
 相手がどれほど魔力を宿していようが、その魔力を感じることが出来ないので、見た目から神々しいと思っても、実感できないのだ。
 もしも生まれつき魔力を持つこの世界の人間であれば、例えバスタオルを持っていても恐れや警戒が消せなかったであろうが、魔力を持たないことがここでは活きていた。
 もっとも、もしバスタオルが無ければ魔力を持たない聖羅はヨウと一緒にいるだけで身体を蝕まれることになるため、善し悪しではある。

「ヨウさんは魔法を使えますよね? テレポート……空間転移系の魔法というものはこの世界にあるのでしょうか?」

 聖羅にとってヨウはこの世界で唯一、信用できて相談のしやすい存在である。
 リューも信用できないわけではないが、リューは聖羅を気にかけている事情が事情なため、下手なことは聞けない。
 元の世界に帰ろうとしている、ということはリューには絶対に教えられないことだった。
 ヨウは突然の聖羅の質問に首を傾げつつも、知っていることを話した。

『わたしは使えないけど、確か人間がそういう魔法を創っていたように思うわ』

「そうですか……ありがとうございます」

 聖羅は念のため、ヨウに質問したことを誰にも話さないようにお願いする。
 ヨウが詳しく知らないとなると、人間に聞いてみなければならない。
 折良く、オルフィルドとの茶会の時間が近づいて来ていた。




「空間転移系の魔法?」

 聖羅に問われたオルフィルドは、そう応えた。
 聖羅とオルフィルドは、広い応接室で向かい合って茶を飲んでいた。
 テーブルを挟んで向かい合っているため、下半身はそのテーブルによって隠れている。
 チューブトップスタイルの上半身は見えているわけではあるが、下半身が隠れているために恥ずかしさも少しはマシだった。

「はい。人に限らず、物体をいまある位置から一瞬で移動させる魔法、というのは存在するのでしょうか?」

「ふむ……あることはあるが、どうして急にそんなことを?」

 いままで、聖羅とオルフィルドの茶会は、当たり障りのないことが主だった。
 この世界に関しての常識や周辺の地域に関する情報、聖羅の世界の衣食住などの基本的なことだ。
 聖羅の方から魔法に関して聞いてきたことはいままでなかったのである。
 その疑問を抱かれることは当然予想していた聖羅は、あらかじめ考えておいた便宜上の理由を話す。

「私は突然予兆も無くこの世界に来てしまいました。もしそれが空間転移系の魔法によるものだとすると、また予兆無く向こうに戻されたり、あるいはまったく別の場所に放り出されたりしかねないと思いまして……悪意のある者に利用されたら大変ですから」

 聖羅は「元の世界に戻る手がかりを探す」という本命の理由は隠し、「突如攫われる可能性を危惧している」という理由を示した。
 死告龍を制御出来る聖羅は、ルィテ王国からすれば重要な存在だ。素直に「元の世界に帰りたい」といえば阻まれる可能性もあり、できる限り聖羅としては本命の理由は隠しておきたいと考えていたためだ。
 しかし実際のところ、リューやヨウという庇護者の元から引き離されることは聖羅が警戒しておかなければならないことであったため、便宜上の理由も嘘というわけではない。
 その危惧はオルフィルドにも納得のいくものだったらしい。

「なるほど……まず、そうだな。キヨズミ嬢が心配しているような、例えば城内に忍び込んできた間者によって強制転移させられる……ということはまずない」

「ない、と思って良いんですか?」

「ああ。そもそも空間転移、それも生物を移動させるとなると相当高度な魔法となる。下手な術者が用いれば命にも関わる。普通は空間転移を用いる場合、それ専用の門を用意するものだ」

 聖羅はそのオルフィルドの言葉に思わず反応してしまった。

「門、ですか?」

「ああ。周りに空間転移用の魔方陣を刻んだ門だ。それによって繋げる空間同士を定義する。そうしなければ不安定でとても使える域に達しない。兄……陛下でも無理だろうな。もし出来る者がいるとしても、そんな存在ならそこまで危険な行為をする意味がないだろう」

「どういうことですか?」

「もっと安全に光速移動する方法が考え得るからだ。わざわざ命の危険を冒す意味が無い。多少の距離なら飛べばそれで済む。……そもそもそんな高度な魔法を自在に制御しうる存在がわざわざ隠れて何かするというのも考えにくい」

「……確かに、そうですね。では、元からある扉を利用されるという危険性はないのですか?」

「魔方陣は魔力さえ注げば誰にでも起動させることはできるが、空間転移の魔法は並の魔力じゃ起動しない。国が計画を立てて大量の魔力結晶を用意し、一度になるべく多くの物品を移動できるように整えて初めて開かれるものだ。間者が逃げるために起動するというのは現実的では無いな」

 魔力結晶は文字通り魔力を固めて作られる結晶であり、魔法を発動する際の代替物として用いられる。魔方陣が刻まれ、魔力を注ぐことで稼働する魔法具などを扱う際に、電池のように使われるものだ。
 ただし、魔力結晶を扱うためには魔力として動かすための呼び水として、わずかに自前の魔力を必要とするため、聖羅にはいくら大量にあっても使えないものである。
 つくづく、聖羅に優しくない世界なのだ。

「この国にも、そういう扉はあるんですよね?」

「ああ。行き先などは国の機密上、教えられないがあるにはある。ただ、これはどの国でもそうだが、友好国との間には扉を用意するのが慣例になっているな」

「友好の証、というわけですね」

 とはいえ、外敵の侵入経路になり得る扉は相応の警備で固められている。
 そこを悪意を持って利用することはまず不可能であろうという結論だった。

「そういえば、生物を移動させるのは相当に高度な魔法のようですが、物体に限ればそうでもない、ということのですか?」

「……そうだな。自分の魔力を十全に馴染ませたものに限るのだが、ある程度熟練した者なら――」

 そう言いつつ、オルフィルドは翳した手の中に長剣を取り寄せて見せた。
 目を見開いて驚く聖羅に、悪戯が成功したように笑うオルフィルド。

「このように手元に喚び出すことが出来る。万が一の時の手段としてはそれなりに有効ではあるが……相応に使い込まなければ召還できないし、破損の危険もわずかながらある。緊急手段以上のものではないな」

 第一、とオルフィルドは召還した剣を使用人に預けながら続けた。

「自在に呼び出せるといっても、元の場所に戻せるわけではないからな。下手な時に呼び出してしまうとあとが困ることにもなり得る」

「確かにそうですね……」

「敵に捕らえられている状況で呼び出すと考えても、そもそも捕らえられている時点で魔法を使えない状態にされている可能性が高いから難しいだろうしな」

 そうオルフィルドの説明を受けながら、聖羅は以前森の中で着の身着のまま連れて来られていた様子だったヴォールドが、包丁を持っていたことを思い出す。
 あれも彼が愛用していたもので、オルフィルドがそうやったように召還したものと考えられた。

(そう考えると便利は便利ですが……アイテムボックスみたいなものはなさそうですね)

 どのような方法にせよ、どうやっても魔法が使えない聖羅にしてみれば使えないのだ。
 聖羅は気持ちを切り替えて、得た情報を今後の方針に活かすことを考える。

(しかしそういった魔法が普通にあるというのは行幸です。……あの扉がそういった魔方陣が刻まれていたものだとすると、もう一度あれを潜れば元の世界に帰れる、のでしょうか。魔力に関しては……ヨウさんに協力してもらえばなんとかなります……かね?)

 異世界に関する魔法はないはずなのに、異世界に繋がる扉があるというのもおかしな話だが、事実聖羅はそこを通って来たとしか思えない。
 単に一般に知られていないだけで、誰かが異世界に移動する方法を編み出しているのかもしれず、聖羅の方針としてはやはり『もう一度あの扉の元に行く』ということになりそうだった。

(あそこに行くなら、リューさんの協力は不可欠……何か理由を用意しないと……でもツガイになって欲しいというリューさんが、私が異世界に帰ることに協力してくれるとは思えないですし……)

 少し道筋は見えたが、まだまだ聖羅の前には難問が積み上がっていた。
 考え込む聖羅に、その様子をうかがっていたオルフィルドが声をかける。

「キヨズミ嬢、大変申し訳ないのだが、こちらからも相談したいことがあってな」

「なんでしょうか?」

(お世話になっていますし、場合によってはイージェルドさんやオルフィルドさんの協力が必要になってくるでしょうから……私に出来ることってそうないですけども)

 異世界転移ものでは主人公の知識や能力が高く評価されることがあるが、聖羅はそういった特殊技能や技術を全く持ち合わせていなかった。

(そんな私に相談って……何か嫌な予感がします……)

 不安に思いつつ、オルフィルドの言葉を待つ聖羅。
 果たして、その聖羅の不安は的中した。

「近く、この国で周辺各国の重鎮を集めた大会合を行う。キヨズミ嬢にはそこに聖女として――死告龍と一緒に出席してもらいたいんだ」

 大勢の観衆の前に立って欲しい、という要請であった。

つづく

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第一章 3


 死告龍が聖女の制御下にあり、無差別に破壊をまき散らす脅威でなくなったことを証明する。
 イージェルドやオルフィルドが周辺国家の重鎮を招いて開こうとしている大会合の目的は、端的に言ってそういうことである。
 その目的は理解できるし、ルィテ王国に身を寄せている聖羅本人は、実際のところ何もしていないため、出来る限りルィテ王国に協力したいとも考えていた。
 だが、人前に出るのを極力避けたい聖羅は、リューと相談するという体で、出欠の解答を保留にしていた。

(はぁ……必要なことだということはわかるんですが……)

 内心ため息を吐く聖羅は現在、中庭にいるリューの元にやって来ていた。
 ツガイになるにせよならないにせよ、リューとの触れ合いは大事なことだ。いまだリューの求愛への返答はしていないものの、それはそれとして毎日の触れ合いは続けていた。
 触れるだけでも即死の能力が発揮してしまうリューは、他者と触れあう機会自体が少なく、気兼ねせず触れあえる聖羅との触れ合いを嬉しく思っているようだった。

『セイラー。なでてなでてー』

「はいはい、動かないでくださいね」

 巨大なドラゴンの頭部が、人間の聖羅にも撫でやすい位置に降りてきて、聖羅の手を待っている。
 聖羅はそんなリューの側に立ち、両手を使ってリューの鼻先を撫でてあげていた。リューはくすぐったそうに目を細めている。
 即死効果はリューから動いた時にのみ発動することがわかっていた。
 現在聖羅は会話を成立させるために、バスタオルを腰に巻いてその加護を緩めた状態だが、リューから動かなければ大丈夫なのだ。
 聖羅とリューは「会話が出来る状態の時はリューからは触らない」という取り決めを交わしており、いまのところリューはそれを遵守している。
 魔力を持たない聖羅は、リューの内包する強大な魔力を感じ取ることが出来ないため、触れあっているうちにリューの本質を理解しつつあった。

(うーん。やっぱり、私と接している時のリューさんは、死告龍なんていう大層な存在じゃありえないですよね……)

 聖羅はリューのことを「暴走気味のやんちゃな子供」だと思うようになっていた。
 喋り方がそうだから、というわけではなく、気安くすり寄ってくる様子や喜びなどの感情を素直に表に出すところなど、小さな子供だと思うとしっくりくる言動が多い。
 邪悪なわけでは決してない。
 攻撃されたらやり返すことはするが、それも無差別に行うわけではなく、攻撃してきた相手をピンポイントで狙っている。
 死告龍とまで呼ばれる理由がわからなかった。

「私と出会う前、リューさんは何をやっていたんですか?」

 そこで、聖羅は相互理解のためと称して、自分と会うまでのリューがどういった行動を取っていたのか聞くことにした。
 聖羅と話すことが楽しいのか、リューは嬉々として聖羅の質問に答える。

『もちろん、番う相手を探してたの! 種族を強くするために、なるべく強い相手を選んで。……でも、リューと戦いになる相手ってそんなにいなかったの』

「それは……まあ、そうでしょうね……」

 リューは最強種族のドラゴンな上に、即死のブレスを放つことが出来る。
 同種のドラゴンですら相手が出来ない者を、他の種族がそう相手にできるとは思えない。
 しかし聖羅の反応に対し、リューは首を横に振った。

『ん-、探し始めてすぐはそうでもなかったよ? 最果ての吸血王とか、深淵の星巨人とか、旭光の勇者とか、天空の魔神王とか、みんな強かったもん』

「……なんだか、どれもとんでもない存在のような気がするのですが?」

 聖羅も知らないなりに察していたが、それでもその認識は甘かった。
 リューが挙げた者たちは、この世界の者が聞けば誰もが震え上がるほどの化け物揃いだったからだ。

 例えば、最果ての吸血王は北にある大陸をまるごと支配し、そこを足がかりに吸血鬼の世界を作り上げようとしていた。
 人間は吸血鬼の『材料』になるため、北の大陸では吸血鬼の家畜となって生かされつつ、子供を産むだけの機械にされているのだ。
 吸血王を討伐しようと国が幾度となく軍をあげたが、結果はいつも悲惨なものだった。
 船の乗員すべてが出来損ないの吸血鬼もどきにされて送り返され、バイオハザード並の大混乱が起きたという惨事の記録もある。
 吸血王は血を吸う度に強くなる、という吸血鬼の中でも異常な特殊能力を有しており、その力は世界を支配しうる十分なものだった。
 もっとも、現れた死告龍によって、吸血王は灰と消え、絶対的な旗印を失った北の大陸では、配下の吸血鬼同士での後継者争いが激化しているという。
 人間から見れば、吸血王の野望を阻止した形になるのだが、敬われるのではなく恐れられるのは、死告龍が無差別だったためだ。

 例えば、旭光の勇者は人間の希望だった。
 この世界には勇者と魔王は一人ずつ、というような決まり事はない。
 人々のために尽力し、多大なる困難を乗り越えて、強大な魔族や自然的脅威を打ち払う者が自然と勇者と呼ばれるようになる。ゆえに勇者はひとりとは限らない。
 旭光の勇者はその勇者の中でも脅威に立ち合う回数が多く、まるで彼を狙って困難が舞い込んできているようなものだった。
 彼が立ち寄った国で悪しき儀式が行われて魔王が創成されたり、通りかかった森で異常成長した植物族が暴れ出したり、乗りかかった船の航路に爆発的な繁殖をした大海蛇の大集団が押し寄せたり。
 いずれも放っておけば人間の世界に多大な影響を与えていたであろう事件ばかりだった。それらを、旭光の勇者は解決に導いたのである。
 創成された魔王もろとも、原因となった首魁を打ち破り、国をまとめあげ兵をあげさせて、爆発的な数の魔物に対応させ、折れそうになった民衆の心を鼓舞し、人々をまとめ上げ、希望の旗印として活躍していた。
 人間側の希望であったということは、魔物側の絶望ということだ。
 旭光の勇者が人間至上主義であったこともあり、魔物側にとって、勇者の名前は聞けば震えあがるものだった。

 そんな勇者も、死告龍は葬り去った。

 とある貧困にあえぐ国の生息圏を広げるため、隣接していた魔物の縄張りを奪おうと準備を進めているところだった。
 旭光の勇者が民衆の前で演説をしているところに、飛来した死告龍は挨拶代わりのブレスを一閃。巻き込む意図はなかったが絶大な威力のブレスは勇者だけではなく、小さいとはいえ弱小国の半分を消し飛ばしたという。
 激怒した旭光の勇者はいつものように死告龍にも怯まずに挑み――そして敗北した。
 死告龍が次の候補を探して飛び去った後、勇者を失った弱小国は魔物の生息圏に呑まれて消えたとされている。
 人間にも魔物にも等しく脅威となるそのドラゴンが、すべての存在から死告龍と呼ばれるようになるのに、そう時間はかからなかった。

『最近は強いのがいなくなっちゃってて。こうなったら、次に一発でもブレスに耐えられる存在にしよう! って決めて探してたら、とても強いのが現れて……そして、セイラに会えたの!』

 この話を聞いて、聖羅はようやくなぜあの場所にリューがやってきたのかを知った。
 あの封印から解き放たれた魔王は、それほどに強い存在だったのだろう。
 本来は扉がなければ実用に耐えない、とされている空間転移の魔法を咄嗟に使おうとしていたことからもそれは明らかだ。
 それほどの存在だったからこそ、強者を探していたリューの感知に引っかかり、喜び勇んでやってきたリューに殺されることになった。
 なんとも皮肉な話で、魔王にとっては災難な話である。
 だが、もしも魔王が運良くブレスに耐えていたら、魔王と死告龍という最悪のツガイが生まれていたかもしれず、そうなっていたら人間にとっては最悪の展開だっただろう。
 巡り合わせの運に、聖羅としては戦慄する他ない。

「……あの、それで、気になったんですが、その流れで、なぜ私をツガイにしてもいいと思ったんですか? 私がリューさんのブレスに耐えられるのは、このバスタオルに宿っている加護のおかげであって、実際の私は……強いどころか最弱の存在ですよ?」

 聖羅はそのことをリューに聞くことにした。
 リューの目的を聞いた時から、彼女は気になっていたのだ。種族をより強いものにしたいのであれば、当然強い相手を選ぶのが普通である。
 その点、ブレスに耐えることは出来たものの、自分の力ではない聖羅にとって、リューが自分を気に入る理由がわからないのだ。

『そうだけど、そうじゃないの。強さはもういい。リューの時点でもう十分強いっていうのはわかったから』

 リューの脳裏にはいままで戦ってきた強敵たちの姿がよぎっていた。
 いずれも、リューに勝るとも劣らない力を持っていた者たちだったが、結局はリューの力の前に敗れ去った。
 すでに強さとしては頂点に位置するリューにとって、別の種族からさらなる『強さ』を欲する必要はなくなっていたのだ。
 そう考えた時、リューが次にツガイに求めるのは『強さ』ではないものだった。
 そしてそれを聖羅は理解してしまう。

「強さじゃないところ……まさか、運ということですか?」

『そうなの! リューがなかなかツガイを得られずに苦労したみたいに、強くても出来ないことはあるでしょ? リューのツガイにはそれを補って欲しかったの!』

(いや、私幸運じゃないですよ!?)

 思わず叫びそうになった聖羅だが、言葉を飲み込んだ。
 聖羅はずっと、自分が不運であると思っていたが、この異世界のことを知るにつれ、別の視点から見れば幸運と言えなくもないと知ってしまったからだ。
 もし仮に、普通の格好をしている時にこの世界に来てしまっていたらどうなっていただろうか。
 聖羅の持つバスタオルが得た加護は、バスタオル一枚というシンプルな姿で完成し、そしてバスタオルそのものが、その材質や縫製にもこだわったおろしたての一品だったからこそ得られたものだ。
 もし普通の服で来ていた場合、何の加護も得られなかった可能性がある。材質や縫製は向こう基準なのだから、多少の加護は得られるかもしれないが、バスタオル一枚並の加護は得られなかったかもしれない。

 その場合、魔力を持たない聖羅はいまも生きていられただろうか?

 体調の問題もそうだし、物理的な防御力にも不安がある。
 最悪、最初に出会ったゴブリンから受けた投石によって転倒するなどの怪我をして、ゴブリンたちに捕らえられ、犯されて食い殺されていたかもしれない。
 それゆえに、考えようによっては幸運と言えなくはないのだ。
 そもそも、異世界に転移するということ自体、不運とみるか幸運とみるかで大きく変わってくる。

(向こうに何十億といる人間の中で、偶然であれなんであれ、『こっちに来れた』というのは、考えようによっては宝くじに当たる以上の幸運ですもんね……)

 その上で、偶然そのときしていた格好が、こちらで生きていけるだけの加護を得られる格好だった。
 一度は魔王に捕らわれ、すぐにでも嬲り殺されかねなかったところを、死告龍がツガイを探していたタイミングだったがゆえに救われた。
 さらに、加護を失った状態で、死告龍の能力を受けたにも関わらず、たまたま即死が発動せずに生き延びることができた。
 本人の気持ちを無視して、起きたことだけ考えれば、確かに聖羅は超の付く幸運を持っているといえなくはない。

(その幸運を取り込みたい……なるほど、種族をより完璧にしたいリューさんからしてみれば、ツガイの相手に私を選ぶのは妥当かもしれません……でも)

 聖羅はいよいよ困ってしまう。
 リューの事情は理解できた。
 この世界にはこの世界のルールがあり、ドラゴンという種族がより良いツガイを求めて行ったことに人間から見た善悪の問題を持ち込むのは間違っていると考える。
 なにより聖羅個人としては、リューには借りも恩もある上、個人的な感情でいえば特に嫌ったり忌避したりするような性格の存在ではない。
 聖羅個人としてはリューと仲良くなれると思っているし、実際それ自体はそう難しいことではなかった。

 だが、ツガイになれるかというと話は違うのである。

 例えるなら、家族同然に育ち、関係の浅い友達よりも大事な飼い犬がいたとして。
 もしその犬の意思が正確にわかるようになって、恋愛対象として見られていると知ったとしよう。
 その犬を異性として見れるかどうかという話だ。
 見れる人間も中にはいるのかもしれない。聖羅の世界ではあまり見られない例ではあるが、この世界では異種族同士がツガイになることもあるのだから、聖羅の世界の基準よりも、異種族を恋愛対象として見られる者は多いのだろう。

 だが残念ながら、聖羅は普通の感性の持ち主である。

 異種族間恋愛は物語の中の話であり、聖羅本人にそういう気持ちは微塵もないと言って良い。
 巨躯であるドラゴンが人間の自分とどう結ばれるつもりなのかという疑問は、魔法のある世界なのだからどうにかなるのだろうと想像はつくが、そういう問題でもない。
 いずれにせよ、リューの求愛は聖羅にとって受け入れがたいものなのだ。

(しかし……全く受け入れる気がないと言ってしまうのは……)

 そうなったとき、リューがどんな行動に出るのかわからない。
 聖羅にとって、リューは最大の攻撃カードであり、防御カードである。攻撃の手段を一切持たない聖羅にとって、リューの庇護はどうしても手放せないものだ。
 最大の防御力はあるが、聖羅自身は非力な存在であるため、魔王の配下の触手に捕らえられてしまったように、防御力が意味のない攻略の仕方をされては抗う術がない。
 そうなればバスタオルも奪われてしまうわけで、聖羅にとってバスタオルを奪われるということは死に等しい。
 ゆえに、リューという存在に庇護してもらわなければならないのだ。

(でも、受け入れる気がないのに、思わせぶりな態度を取って利用するとか……リューさんに申し訳なさすぎますし……どんな悪女かって話ですよね……)

 もしも聖羅が本当に悪女であったならば、こんなことで悩みはしないのだろう。元の世界に帰る道筋が出来るまで、リューを利用するだけ利用して、元の世界に逃げ込めばいいだけの話だ。
 それがためらいなく出来るのなら、聖羅も苦しまずに済むのだが。

『ねえねえセイラ! リューから触りたい!』

「……ちょっと待ってくださいね」

 無邪気に触れようとしてくるリューに対し、申し訳ない思いをしながら、セイラは上半身に巻き付けていた布を取る。
 それを近くに生えていた木の枝にかけておき、腰に巻いていたバスタオルを胸の上まで引き上げた。
 バスタオル一枚の姿になることで、バスタオルの加護が最大に発揮されるようになった。 この状態でなら、リューの即死効果を完全に無視することが出来る。

「くるるっ!」

 代わりに魔法の類いの一切を弾くようになった聖羅には、リューの声が聞こえなくなり、物理的に喉を鳴らす音しか聞こえなくなった。
 リューが長い首を伸ばし、聖羅の身体にその頭部をすり寄せる。聖羅が身体に巻き付けているバスタオルがめくり上がりそうになり、顔を真っ赤にしながら慌てて抑えつつ、聖羅からもリューの頭部を撫でてやった。
 楽しげにすり寄って来られて、聖羅としても悪い気分ではない。だが慕われていると思うほどに、騙しているようで申し訳ない気持ちになるのも確かだった。

(それでも……死にたくはないですからね……)

 誠実を旨として生きる聖羅ではあるが、誠実であるために命を投げ出せるかというと、そこまで達観はしていない。
 申し訳なく思いつつも、リューの気持ちを利用することしか出来なかった。

「リューさん、お願いがあるのですが……」

 せめて自分が元の世界に帰るまでに、リューが人間たちと健全な交流を持てるようにしようと、聖羅は心に決めるのであった。

つづく

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第一章 おわり


 突如現れたキヨズミセイラという聖女の存在は、その国にとって邪魔なものだった。

 西の豊かな土地を手に入れたいこの国は、長年侵略戦争を西の国――ルィテ王国に仕掛け続けていた。豊かな土壌と豊富な人的資源を有するその国を攻略することは容易ではなかったが、表から裏から侵略を徐々に進め続けていた。
 そして、あと一押しで国境を越えて雪崩れ込めるかという矢先のことだ。
 その国の首都に死告龍が現れ、あろうことかそのまま居座り続けるようになった。
 しかも、ただ暴れるのではなく、同時に現れた聖女という存在によって制御されているというのだから、この国にとっては最悪の展開であった。
 軍事的な戦略を立てることを生業とする、アーズーザゥ将軍は気難しげに腕を組み、深々とため息を吐く。

「どうせなら、あの忌々しい王を殺して去ってくれれば話が早かったのだがな」

 彼は現在、城の最上階に位置する円卓の間にいた。
 重要な会議を行うための空間であり、そこにはアーズーザゥ将軍以外にも幾人かの要人が集っていた。

「ふぉふぉふぉ……死告龍を制御しているという聖女がいなければ、我々は今頃ルィテ王国の城に集っていたであろうにのぅ……全く、忌々しい話じゃ……どうにかできんのか?」

 老人は豊かな白い髭を手でさすりながら、隣の席に座る怪しげな仮面と外套で身体を隠している者に尋ねた。老人の問いかけに対し、その者は静かに首を横に振る。

「すでに幾度も刺客を送り込んでみようとしたが……ことごとく失敗させられた。警戒レベルが尋常じゃ無い。ルィテ王もぬかりないというべきか。情報に関しても徹底した統制が取られていて、ろくなものがあがってこない。手に入ったのは一般にも広まっている例の肖像画の高品質なものくらいだ」

 仮面の男が外套の中から額縁に入った肖像画を取り出す。それを円卓の上に放ると、その肖像画は魔法によってふわりと浮かび、円卓の中心でゆっくりと回転して全員が見られるようになった。
 その肖像画は『聖女キヨズミセイラ』を描いたものだ。
 崩れた尖塔に立つ裸の女性が、巨大な死告龍の前に両手を広げて立ち塞がっている様子が描かれている。
 怒り狂う死告龍を身を挺して鎮めた際の様子らしい。臨場感たっぷりに描かれたそれは、歴史に伝わる勇者や魔王の戦いを描いたそれのように感じられた。

「見事なものですね。やはり元は高名な画家が描いたものでしたか」

 肖像画の存在自体はその場にいる者全員がすでに承知のことだったが、ルィテ王国の国外に流通している肖像画は、粗悪な模造品だった。
 魔法による複製は繰り返すほどに劣化が進む。ルィテ王国と決して友好的な関係とは言えないこの国に流れてくる物は、ピンぼけしたような不鮮明なものであった。
 今この場に出された物は、ルィテ王国内で入手したものである。緻密な線で構成されており、人物の容姿がはっきりとわかるほどのものだった。

「ふむ……粗悪品の時からわかってはいたが……聖女は黒髪黒眼なのだな。取り立てて珍しいわけではないが……」

 肖像画を睨みつけるように眺めていた、粗野な風貌の男が口を開く。

「顔立ちは珍しいっつーか、こういう感じは見たことねえな。どこの生まれだ? 少なくともルィテ国の生まれじゃねえだろ。おい、バラノ。おめえならわかるんじゃねえか?」

 バラノ、と呼ばれたのは線の細い優等生然とした女性だった。
 モノクルをかけており、それに軽く触れながら男の質問に答える。

「そうですね……端的に申し上げて、はっきりどこの生まれかまでは断定できません。ですが、辺境には少し変わった顔立ちの者が生まれることがあることは事実です。顔立ちの変化は異種族と交わった場合に見られる傾向ではありますので、聖女はあるいは人間と異種族の混血の可能性があると言えなくはないでしょう」

 澄んだ声で淡々と告げられる言葉。
 しかし要点をまとめれば何もわかっていないと言っているのに等しかった。

「なんじゃそりゃ? 結局、どうなんだよ」

「わかりません。この絵が正しいかどうかもわかりませんので、これだけを見て下手に判断することは控えた方が無難とも言えます」

 だいたい、とバラノは続ける。

「服装などから文化圏など判断できることも多いのですが、裸婦画では得られる情報が少なすぎてなんとも……恐らくはルィテ王の策略でしょうね。まさか聖女が裸族ということはないでしょうし。とはいえ、こんな裸婦画が拡散することを許容する聖女というのもどうかとは思いますが……恥ずかしくは無いのでしょうか」

 早口でまくし立てるバラノの様子に、他の者達が顔を見合わせる。元からバラノという女性は蓄えた知識の量が膨大ゆえに説明や解説が長くなりがちではあったが、いまの彼女からはいささか不自然なものを感じたのだ。
 彼女を慮ってあえて触れようとはしない者達の中で、バラノの隣に座る粗野な男だけは躊躇わずそれに触れにいく。

「バラノ、お前……生娘じゃあるまいし、まさか裸婦画を恥ずかしがって――いってぇ!」

 言葉の途中で突然声をあげて悶絶する男。
 その直前に聞こえた鈍い音から、その場にいた者達は円卓の下でバラノが彼の足を蹴っ飛ばしたのだろうと察した。
 蹴られた男が怒り出す前に、アーズーザゥ将軍が口を開いてバラノを窘めた。

「痴話喧嘩はやめんか。会議中だぞ。バラノ書記官」

 将軍に窘められ、バラノが頭を下げる。

「失礼いたしました。しかし、痴話喧嘩ではありません。昔なじみなだけです」

 バラノと彼は同年代かつ同じ農村の出身であった。
 この国では身分よりも能力が重視されており、結果として力を示すことができれば出自や年齢は問われない。
 生まれつきの魔力量は血筋に影響されるところが大きいため、王族や貴族身分に関しては血筋がそのまま当てはまる場合があるが、それすら「ひとつの要素」でしかなく、時代によって王族であったり貴族であったりした血筋が存在する。
 完全実力主義なのである。
 若くしてこの場にいるふたりはそれだけ優秀、ということではあるのだが、若くして自分の立場を自ら掴んだという自負があるためか、公的な場であれ、思うがままに振る舞うことがあった。
 特に武闘派の男はその傾向が強い。

「お前なんかこっちから願い下げだよ無愛想女!」

「モーズダ軍隊長、控えろ。いまのはそもそもお前が悪い」

 アーズーザゥ将軍はため息を吐きながらモーズダも窘める。
 粗野な男、モーズダは不満そうにはしつつも、将軍に逆らうつもりはないのか、大人しく引き下がった。
 場が落ち着いたのを見て、将軍は再び口を開く。

「さて……改めて本題に入ろう。先日、ルィテ王国から書簡が届いた。内容としては『聖女キヨズミセイラを讃える式典および大会合の開催告知』。式典などと書いてはいるが、要は『聖女が気になるのなら直接見に来い』というわけだ。どちらかといえば、その後の大会合の方が本題だろうな。ここで聖女に関する国際的な取り決めをするつもりのようだ」

「敵対している我々にも送ってきたのですね」

「ああ。来なくてもいいが、来る者は拒まないそうだ。聖女が死告龍を制御出来るということを知らしめて、我らの侵略を牽制する狙いだな。当然、我らに対しては少人数のみの許可しか出ていないが」

「どうするんだ……ですか、将軍。下手な奴を送り込むわけにもいかないでしょ」

 書簡には式典と大会合の間に限定した停戦協定を結ぶことを提案する、ルィテ王の名前が記された契約書が添付されていた。
 魔法的な契約書はその契約を破れば、契約した者が大きな損失を被るように出来ており、契約をかわした時点で互いにその約束を履行するように努力せねばならない。
 王の力を削いでまで騙し討ちを行う可能性は限りなく低く、念には念を入れるにしても、契約が破られる心配はアーズーザゥ将軍もしていなかった。

「うむ……今後どのように動くとしても、聖女キヨズミセイラの見極めはせねばならない。ゆえに私が参加する予定だ」

 そう力強く断言する将軍に、異を唱えるものはいなかった。
 王を除き、彼がもっとも地位と権力、そして実力を持っている。
 聖女という今後の国の動きを左右する重要案件に判断を下すなら、彼が出ないわけにはいかなかった。
 万が一ルィテ王国に騙し討ちされても、彼ならば生きて逃げ延びる可能性が高いということもある。

「それと、バラノ書記官。付いてきて欲しい。知識も重要だが……君は聖女と同性で、体格などから推定される聖女の年齢とも近い。そして何より非戦闘員だ。近づく機会があるとしたら一番可能性があるはず。非常に危険な任務であるゆえ、辞退するのは自由だ。罰則もない」

 この国にも女性の兵士や戦士は多数存在するが、掴んだ情報では聖女が武器や魔法を扱ったというものはない。
 恐らく本来は非戦闘員に属する立場のもので、それゆえに戦闘が出来る者では近づけない可能性が高かった。
 そういう意味では、バラノはもっとも理想的な高官ということになる。バラノが好ましいとされるのは武器だけではなく、魔法もほとんど扱えない無力な存在なためだ。
 非戦闘員の警戒を解くのにこれ以上うってつけの人材もいない。
 とはいえ、敵地のど真ん中にいくことになるのは事実であり、非常に危険な任務であることは間違いなかった。
 普通ならば躊躇うところだろう。

「わかりました。謹んでご一緒いたします」

 だが、バラノはそう即答した。
 将軍の言葉に納得したということもあるし、なにより彼女自身聖女のことは気になっていたからだ。
 純粋に国のためになることでもあるし、彼女自身の知識欲も刺激されている。この世界にも聖女なる人物の伝説はいくつかあるが、いずれも過去の記録でしかない。
 観察眼に自信のある彼女は、聖女の本質を見抜くことが自身に出来る最大の貢献であると理解しているのだ。

「おいおい、大丈夫なのか……です。アーズーザゥ将軍は大丈夫だろうけど……もしルィテ王が盟約を破ってでも仕留めに来たら、バラノはやばいんじゃ……」

 そんな彼女の昔なじみであるモーズダはそう呟いた。
 侵略政策をとっているこの国は、周辺諸国からは恐れられ、恨まれている。
 ルィテ王は周辺各国の要人を呼んでいるが、そのほとんどはこの国と敵対関係にある国だ。一部中立だったり、この国の属国だったりする国もあるが、全体としては文字通り敵中に飛び込んでいくのと代わりない。
 それでも、アーズーザゥ将軍はこの大会合に参加しないつもりは微塵もなかった。

「最悪の場合でも、私や彼女の代わりはいる。私たちが殺されたことで、侵略に手心を加える必要もなくなる。そうなったら有利なのはこちらだ。もしルィテ王がそんな策略をとるような愚王であれば、ルィテ王国の攻略にここまで苦労はしなかったさ」

「私はアナタみたいに戦えはしません。けれど、この国に殉じる覚悟はあるつもりです。最悪の場合は敵将校のひとりやふたり、道連れにして差し上げましょう」

「……無茶すんなよな」

 何かとやりあうことの多い二人であるが、別に相手が嫌いなわけではない。同郷の顔馴染みではあるし、互いの出世を喜ぶ程度の友好的な感情くらいはある。
 それ以上の感情を問われると二人は揃って首を横に振るが。
 同郷だというだけで親交以上のものに発展すると思う方がどうかしているというのは本人たちの談。
 話し合いも終わりという段階になったところで、思い出したように将軍が言う。

「ああ、それと、式典では舞踏会も開催されるようだ。農村出身のバラノ書記官はあまり縁の無い行事だっただろう。我らは軍国ゆえ、上手く踊れるようになる必要は無いが衣装や段取りはきちんと確認しておくようにな」

「問題ありません。知識はありますので、教師を雇って当日までに実技のすりあわせと――ドレスに関しては最新の流行を確認後、申請させていただきます。場合によっては、ルィテ王国のドレスを取り寄せるか、現地で購入するかした方がいいかもしれませんね……聖女に近づこうと思えば、紛れることも必要かと思われますし」

 よどみなく応じるバラノの言葉に、アーズーザゥ将軍は満足そうに頷いた。
 優秀な部下を持って幸いだ、と彼は自身の率いる国の――ザズグドス帝国を誇りに思うのだった。
 後に、バラノはルィテ王国で新しく考案された『聖女スタイル』のドレスを着ることになり、結果としてかなり悪目立ちをしてしまい、羞恥地獄に立たされることになる。

 だが――そんなことはこの場にいる誰にも予想出来なかった。

つづく

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第二章 1


 ルィテ王国は王城のある首都を、三つの中核都市が囲む形をしている。
 東にはザズグドス帝国の侵攻を防ぐ目的で作られた要塞都市ラドスがあり、西南には海のごとく巨大な湖を往くための港街レーテがある。
 そして北北西には位置的に最も戦火が遠く、文化的にもっとも豊かに成長した、歌と踊りと芸術の街ロアルがあった。
 王族や貴族の本邸や別荘が立ち並ぶ、ルィテ王国の中でも豊かな町並み。
 その一角の豪邸に、王弟にして軍事関係の最高責任者、オルフィルド・ルィテはやって来ていた。
 勝手知ったる家だと言わんばかりに、案内も伴わずに廊下を歩き、とある一室の前で立ち止まった。

「どうぞお入りくださいませ」

 ノックもしないうちに中から促され、オルフィルドは苦笑しながら扉を開く。
 そこは品良く整えられた部屋だった。決して華美ではなく、しかし質素でもなく。部屋の主の趣味の良さを伺わせる。
 その部屋の主は、オルフィルドが現れたというのに立ち上がって出迎えるわけでもなく、優雅に椅子に座ったままティーカップを口元に運んでいた。
 身分的にはオルフィルドは王族であり、ルィテ王国のほぼすべての民が下位に属するはずだというのに、部屋の主は実に不遜な態度だった。
 オルフィルドが身分と作法に厳格な性格だったなら、罰が与えられていてもおかしくない態度だ。

「お久しぶりですわね、オルフィルド叔父様。ようやくわたくしの出番ですの?」

 だがそんな心配は無用だとばかりに、彼女は平然と話を始める。
 オルフィルドがそんな些細なことを気にする性格では無いと熟知しているからだ。
 そして実際、オルフィルドはそんな彼女の態度には言及せず、遠慮せずに部屋に入ると、彼女の対面の椅子に座った。

「ああ。お前の力が必要だ――テーナルク。聖女お披露目の式典と会合の話は知っているな?」

 テーナルクと呼ばれた彼女は、当然だとばかりに軽く頷いて見せた。
 長く丁寧に櫛を通されたらしい波打つ金髪が、その動作に合わせてふわりと揺れる。
 その青色の瞳には落ち着いた光が湛えられ、理知的な輝きを示していた。
 外見からすると十代半ばほどの者が浮かべるには、あまりにも落ち着いたものに感じられる。

「当然ですわ。お父様から連絡がありましたし……なにより、わたくしは常に聖女様の情報を集めておりましたから」

 ちらり、とテーナルクは部屋の壁を見やる。
 オルフィルドが視線に釣られて壁を見ると、そこには『聖女キヨズミセイラ』の肖像画がかけられていた。最初に描かれた本物により近いのか、筆遣いの質感まで伝わってきそうなほどの品だ。
 裸婦画ではあるのだが、元々の作品がもとより芸術性が高いのと、納められた額縁が部屋に合わせて作られた物であることもあって、見事この部屋に飾られていて違和感の無いものになっていた。
 本人が見たら恥ずかしさで悶絶することだろうが、幸いこの場に本人はいなかった。

「むしろ、わたくしは前々から聖女様と交流を行わせてくださいと、再三進言したではありませんか」

 テーナルクは若干非難の意思を込めて、オルフィルドに視線を戻した。
 オルフィルドはそんな彼女の視線に、苦笑を浮かべる。

「悪かった。だが、こちらとしてもキヨズミ嬢の性質を見極めるまでは、重要な者を会わせるわけにいかなかったんだ」

「その見極めのためにも、お父様や伯父様ではなく、同年代の同性であるわたくしが接した方がよいとも言ったでしょう?」

「……返す言葉もないな。だが兄……いや陛下の心境も加味してあげてほし――」

「それも踏まえて申し上げておりますわ。王族があまっちょろいこと言ってんじゃないって話ですの」

「お、おう……」

 若干乱暴な言葉遣いで論破され、オルフィルドは言葉も出なくなる。
 確かに聖羅の相手をするのに、テーナルクほどの適任はいない。
 現国王の実子であり、魑魅魍魎が跋扈する貴族の社交界を渡り歩いて来た実績。
 聖羅と見た目の歳が近く、何より同性だ。
 相手の警戒を解き、心を開かせ、その本質を見極めるには、確かにテーナルクという存在が最も適任であると言えた。
 それなのに今の今まで彼女が聖羅に接触していなかったのは、イージェルドやオルフィルドが取った慎重策のためである。

「それで、叔父様。わたくしに話を持って来たということは……聖女様は危険では無いと判断できたのですか?」

 国の戦力をすべて注いでも勝てない死告龍。
 それを制御する聖羅という存在は、国をあっさり滅ぼしうる存在だった。
 そのため、イージェルドとオルフィルドは極力国の有力者を首都から遠ざけ、万が一の時に最小の被害で済ませるようにしていたのだ。
 聖羅が国に危害を加えない無害な存在だと判断出来たら、すぐにテーナルクに交流してもらうつもりはあったのだ。
 しかしこの世界の者からすると、聖羅の言動は非常に怪しかったのが問題だった。

「まだ見定めきれていないところはある。だが、少なくとも邪悪な存在ではないと判断した。怪しいところは多々あるんだが……」

 体内に魔力を持ち、それが性質に影響する彼らは、基本的に嘘が吐けない存在である。
 ゆえに極力誠実であろうとするし、嘘を吐くというのは文字通り身を切るような覚悟を持ってすべきことだ。
 一方、魔力の無い世界から来た聖羅はそうではない。むしろ人の世の常として嘘、虚構、見栄、裏切りなどは常識だ。
 聖羅自身は、そんな世界でいえば稀なほど誠実で嘘の吐けない人間だったが、この世界ではそれが普通のことであったため、聖羅の向こうの世界を基準とした言動は、有り体にいって胡散臭く感じられてしまうのだ。
 聖羅は聖羅で、周りが誠実に接してくれているのは死告龍という強力な後ろ盾があるからだろう、と考えているために、いまだお互い認識の齟齬に気づいていないのである。

「式典の流れや作法を教える、という名目で接すれば良いのですわね?」

「そうだ。とはいえ、聖女は極力目立つことを嫌っているし、本人の希望もあるから挨拶は最小限に留める。歌や踊りもなしだ。教えることはそう多くないだろう」

「つまり、本命の役割はそれを通じて聖女様と仲良くなること……加えて、式典中彼女の側にいてフォローするということですわね」

「ああ。異世界から来たキヨズミ嬢はこの世界の関係性に疎い。他の国の連中を全く近づかせないわけにはいかないから、その辺はお前が補ってやってくれ」

「承知しましたわ。わたくしにお任せくださいませ。さっそく首都に移動する準備を始めましょう……ところで」

 テーナルクはそこで一度話を区切った。

「なんだ?」

「周辺各国にも招待状は送ったんですの?」

「ああ。北のログアンにも、南のフィルカードにも……東のザズグドスにも、だ」

「ログアンとフィルカードはともかく、東の蛮国にも送ったんですのね……」

 嫌そうな顔をしてテーナルクは呟いた。
 それを聞いたオルフィルドは苦笑を浮かべる。

「お前は本当にザズグドズが嫌いだな」

「敵対国を好きになれるわけがありませんわ。あの国のせいで何度この国に血が流れたか」

「気持ちはわからんでもないが、それを言うならログアンやフィルカードとも戦ったことはあるぞ?」

「あの二国との戦いはこっちが仕掛けた戦争でしたし、その賠償は終わって友好的な交流もありますから。ザズグドズはいつまで経っても侵略政策しか取らない野蛮な国家ですもの」

 つん、と素っ気なく言い捨てるテーナルク。

「まあ、それもそうなんだがな……」

「式典に参加しにくるのも、きっと獰猛な動物か危険な魔獣みたいな女ですわ。出来れば会いたくありませんわね」

「まあそういうな。いくらザズグドズでも死告龍を敵に回すような真似はするまい。お前はひとまずキヨズミ嬢との交流に集中してくれればいい」

 オルフィルドはテーナルクの手腕を信頼していた。
 かつてこの国で有力貴族達が離反しかけて国の存続が危うくなったとき、数多の貴族を説き伏せ、時に懐柔し、再び王権に力を取り戻させたのがテーナルクという女性の力だ。
 極力誠実であることを強いられるこの世界で、本当の本音を隠し、自分の良いように相手の心情を誘導し、数多の意思ある人間の間で立ち回ることは、下手をすれば魔法飛び交う戦場で活躍するよりも難しい。

 彼女なら、一歩間違えば国が滅びかねない、死告龍を従えた聖女との交流も出来ると、オルフィルドは確信しているのだった。




 ルィテ王国から見て北の国・ログアン。
 首都とされる最重要拠点そのものが巨大な陸亀の上にあり、その移動によって常に首都の位置が変わる国家。
 破城亀・グランドジーグの頭部の上にある王宮の一室で、一人の女性神官が祈りを捧げていた。
 静謐な雰囲気を纏ったその女性は、薄いベールを幾重にも重ねた法衣を身に纏っていた。
 明るいところでは下手をすれば光に透けて、身体が見えてしまいそうな造りの衣服だ。そんな格好で、彼女は一心に祈りを捧げていた。

「……ルィテ王から式典開催の連絡が来た。ログアンからはわたしが参加する」

 淡々とした、感情の窺えない声だった。
 短い赤い髪が彼女のわずかな動きに合わせて揺れる。
 未成熟な体つきといい、この世界の基準に照らし合わせても子供に寄った姿であったが、その落ち着きようは揺るぎなき巨岩を思わせた。

『お主が、行くのか……?』

 そんな彼女に、遠雷のような低い声がかけられる。
 跪く彼女の真下に光り輝く魔方陣が展開され、彼女の身体を照らした。
 結果として、ベールが透けてその下の身体が見えるようになった。彼女は法衣の他に衣服を身に着けておらず、その体が見えるようになってしまう。
 だが、いまこの場には彼女以外の人間がいなかったため、それを見れる者はいなかった。
 女性神官は目を閉じたまま、ゆっくりと口を開く。

「……わたし以外に適任がいない」

『それも、そうか……』

「……グランドジーグ様、国をお願い」

『任されよう……行くが良い、アーミア……』

 必要最低限の、短いやりとりだった。
 アーミアと呼ばれた少女は、その瞼を開く。
 赤銅色をした瞳には、強い意志の光が宿っていた。
 ログアンの守護獣にして、ログアンという国そのものである破城亀グランドジーグとの対話を終えたアーミアは、その部屋から出る。
 その彼女に、駆け寄る者がいた。若い男で、神官服を身につけている。
 満面の笑みで、手を振りながらアーミアに近づく。

「アーミア様! こちらにいらし――へぶあっ!?」

 そして、素早く振るわれたアーミアの蹴りを顔面に叩き込まれた。
 彼が激痛に顔を押さえてのたうち回っている間に、アーミアは素早く薄いベールで出来た法衣を脱ぎ去り、同時に呼び寄せた極普通の神官服を身に纏う。
 一息吐いた後、アーミアはいまだ地面に転がる青年の背中を踏みつけた。その頬が少し赤くなっており、先ほどの格好を見られたことを恥ずかしがっているようだ。

「……ヘルゼン。忠告を聞く気がないの?」

 魔力のあるこの世界において、見た目の非力さなど何も関係が無い。
 アーミアが足に力を込めると、ヘルゼンと呼ばれた青年の背骨が軋んで嫌な音を立てた。

「あいたたたた!! ごめんなさいごめんさい! ここにいるかいないかわからなかったし、もしいるなら愛しいアーミア様のあのお姿が見られるかなってちょっと期待――あだだだだ!!」

「……次やったら背骨を折る」

 最後にヘルゼンの脇腹を蹴って、アーミアは彼から離れた。
 悶絶することもなく、すぐに復活したヘルゼンは、アーミアについて歩きながら話し始める。
 背骨を折られかけても飄々としているあたり、優男に見えてヘルゼンは相当タフだった。

「いやー、一応大事な用事はあったんですよ? だから探してたんだし」

「なに?」

「フィルカードのお姫様からの伝言です。『あーみんと式典と会合で会えることを楽しみにしてるにゃー、にゃはははは!』と。それだけ言って切られました」

 正確に言葉の抑揚まで真似をしてヘルゼンは伝言をアーミアに伝える。
 アーミアはその報告を聞き、なんとも微妙な顔をした。

「あ、嫌そうなお顔で。やっぱりあのお方はお嫌いですか?」

「……嫌い、というか」

「ぶっちゃけ苦手なんですよね。わかりますよ。あのにゃはにゃはお姫様、何も考えてないようでガチで利権取りに来ますもんね。アーミア様は弁の立つ方ではありませんし、あのペースに呑まれそうになりますしね」

「…………」

「個人的な感想を言うなら、あのお姫様はアーミア様を本気で気に入っているようですし、そこまでこちらが不利になるようなことはしないでしょう。同じくアーミア様に惹かれている僕が保証しますよ」

「……だといいんだけど」

「現に、この間などは神聖法衣を着たアーミア様の肖像画がぜひに欲しいとおっしゃって――あっぶなっ!」

 振り返りざまにヘルゼンの顔面に向けて容赦なく放たれたアーミアの拳を、ヘルゼンは紙一重でかわす。
 アーミアの赤銅色の瞳が、怒りで真っ赤に燃えていた。

「……ヘルゼン? なんで神聖法衣のことを……いえ、それを身に着けた時の姿のことを彼女が知ってるの?」

「あ。いや、その、色々とやりとりをしている間に、ついぽろっと……」

「死ね」

「あー! お待ちくださいアーミア様! 魔法はなしで! アーッ!」

 アーミアの放った魔法が、ヘルゼンを軽々と吹き飛ばす。
 自分の頭の上でアーミアとヘルゼンが、いつも通りじゃれ合っていることを感じたグランドジーグは、呆れつつその進路を南に向けるのだった。

つづく

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第二章 2

 聖女・清澄聖羅は暇である。

 死告龍・リューとの友好的な関係を維持すること以外、これといってやれることがないためだ。
 王城では聖羅に出来るレベルの雑用や用事は、すべて使用人が済ませてしまう。聖羅の身の周りの世話も、クラースがやってくれるので問題は無い。
 ゆえに本人は自由に好きなことが出来るのだが、異世界人である聖羅に出来ることはほとんどなかった。
 本を読む、というのが情報収集の鉄板だが、異世界人である聖羅にとって、この世界の文字は難解すぎた。翻訳魔法は文字までは対応してくれないのだ。

(五十音表みたいなものすらないと言われてしまっては……もう、お手上げです)

 聖羅は彼女なりにこの世界の言語について解析を進めていたが、わかったことといえば、この世界の言語というものは根本的に聖羅の知るものとは違う、ということだった。
 曲がりなりにも言葉として存在するのだから、聖羅が学習できないはずもないのだが、この世界の言語学習には魔法が用いられているのが問題だった。
 ゆえに、もはや母音や子音というような根本から仕組みが違って出来ていて、聖羅の言語の理解の仕方では習得できない言語になっていた。

(向こうはこっちの言語を覚えられるというのが、地頭の差を示されているようでなんというか哀しいですが……それは言っても仕方ありませんね)

 聖羅は魔法を使えない。
 かけてもらうことは出来るが、肉体を治したり強化したりする効果ではなく、精神に直接作用する魔法は危険を感じてかけてもらうことができなかった。
 この世界では治癒魔法があって、生きたままの解剖や致死ギリギリの人体実験が容易なため、人体の構造の理解は進んでいる。
 肉体の構造に、少なくとも聖羅の見る範囲で違いはない。
 しかし、各臓器が何の役割を果たしているかなど、機能面の差異となると聖羅にはまったくお手上げだった。そこに作用する魔法をかけてもらって無事に済む保証がない。
 そもそも、元いた世界の人体の構造自体、そこまで詳細に覚えているわけではないというのも問題だった。

(スマホかパソコンがあれば調べられるのですけど……)

 文明の利器を恋しく思ったのも、何度目だろうか。
 とはいえ、そう思ったところでそれが都合良く手に入るわけもなく、聖羅は「人に尋ねる」という原始的な方法で情報収集を行う他なかった。
 目下の課題は、式典や会合で何をすればいいかの情報を得ることである。
 ルィテ王国への義理立てとして、式典や会合への参加を許容した聖羅は、マナーやルールを知らなければならない。
 しかし一般的なことならさておき、国家規模の式典や会合でのこととなると、使用人にすぎないクラースでは教えられないことの方が多かった。

(オルフィルドさんはそのあたりの心配は無用とおっしゃってましたが……いくら主催者側が構わないと言っても、何も知らないままというのは不安ですし……)

 マナーや作法にうるさい日本で育った聖羅は、横紙破りは極力避けたいと考えていた。
 そして当然、オルフィルドが心配無用と言ったのは、その対策を取っていたためである。
 ある日のお茶会で、聖羅はオルフィルドからひとりの女性の紹介を受けた。

「キヨズミ嬢。この者は――」

「初めまして、聖女様。私はルィテ王国第一王女、テーナルク・ルィテですわ。以後、お見知りおきを」

 ドレスの裾を摘まんで広げながら、優雅に聖羅に向けて頭を下げるテーナルク。
 突然のお姫様の登場に、聖羅は一瞬「そういうドレスを着た時の挨拶の作法は元の世界と変わりないんですね……」などと思考が散漫になったが、慌てて彼女も頭を下げた。

「は、はじめまして。清澄聖羅、です。お世話になっております……」

 聖羅はテーナルクと同じように裾を摘まんで挨拶するべきか迷ったが、恐らく普通に下着を身につけているであろうテーナルクと違い、聖羅の下半身はバスタオル一枚しか纏っていない。
 そのバスタオルは膝下までを覆ってくれてはいるが、もしテーナルクと同じように裾を摘まんで広げれば、聖羅は改めてバスタオル以外何も身に付けていないことを思い出してしまうだろう。
 ゆえに、両手は前で揃えて頭を下げるだけに済ませた。文化の違いと思ってくれるようにと願いながら。
 幸いにして、テーナルクは聖羅のお辞儀に対して何も言わなかった。

「彼女は社交界を知り尽くしている。キヨズミ嬢は極力何もしなくて済むようにするが、式典や会合に関して不安なことがあれば彼女を頼ってくれ」

「それは……とても助かります」

「では、紹介も済んだし、私は今日はこれで失礼する。会場の警備体制や各国の使節団の受け入れなど、やらなければならないことが多いからな」

 言い訳をするように言って、オルフィルドは部屋から去っていった。
 聖羅にも、それが便宜上の理由で、聖羅とテーナルクを二人きりにするのが目的なのだと気づくことができた。実際に忙しいのも決して嘘ではないのだろうが。

(……お姫様、という存在に会うのは初めてですね……むしろいままで会っていなかったのが不思議なくらいです)

 聖羅は自分と同年代であろうテーナルクを、『お姫様らしいお姫様』だと感じていた。
 豪奢なドレスに、洗練された所作。
 堂々たる態度はまさに王者の貫禄を思わせる。
 イージェルドと似た雰囲気を持っているが、それが血縁によるものなのか、それとも王族が共通して得るものなのかは聖羅にはわからない。

(そういえば、イージェルドさんが王様で、テーナルクさんが第一王女ということは……彼女はイージェルドさんの娘さんってことですよね……?)

 聖羅はイージェルドが子持ちで、それも自分と同年代の子供がいるくらいの年齢だったということに驚きを隠せない。
 自分よりは年上でも、イージェルドは二十代後半だと思っていたからだ。
 聖羅は彼らの正確な年齢を聞いていなかった。

(まだまだ知らないことは多い……ということですね……っと、いけない)

 思考に没頭しそうになった聖羅は、ひとまずテーナルクに座るように提案する。

「ええと。とりあえず座りましょうか……手をお貸しした方が良いですか?」

 座るだけにも関わらず、聖羅が彼女にそう尋ねたのには理由がある。
 テーナルクは、目隠しをしていたのだ。
 分厚い布のようなもので目を覆っており、とても周囲が見えているようには見えない。
 目に怪我をしたのか、それとも生まれつき目が見えないのか。
 理由を尋ねるのは無神経かもしれないと考えたが、全く手を貸さないのも不親切だろうと、苦慮した結果の質問だった。
 テーナルクはそんな聖羅の気遣いに対し、口角を柔らかく持ち上げる。

「ありがとうございます。大丈夫ですわ。魔力による感知で物の輪郭は掴めますので」

 その言葉が嘘でないことを示すように、テーナルクは部屋に置かれた椅子に、迷いなく腰かけた。
 聖羅もその対面に座り、改めてテーナルクと向き合う。

「改めまして。テーナルク・ルィテと申します。聖女様のお好きにお呼びくださいませ」

「あ、はい。どうぞよろしくお願いします。清澄聖羅です……テーナルクさん、とお呼びしてもよろしいですか?」

 聖羅は名前呼びを選んだ。
 普通ならば相応に親しくなってからでなければ名前呼びなどはしないのだが、ルィテと呼ぶとこの国の名前と被る上に、聖羅がよく顔を会わせるイージェルドやオルフィルドとも被ってしまう。
 そのため「テーナルクさん」呼びでいいかと確認したが、呼称としては『王女様』でも良かったか、と言ってから気づく。
 馴れ馴れしい奴と思われたのではないかと、聖羅は内心冷や汗を搔いたが、テーナルクに特に気にした様子はなかった。

「もちろんですわ、聖女様」

「すみません……その、聖女様というのはやめていただいてもいいですか……?」

 聖羅としては自身が聖女であるつもりは欠片もないため、そう呼ばれることに違和感しかなかったのだ。
 テーナルクは即座にその聖羅の求めに応じる。

「わかりましたわ。では――セイラ様とお呼びしても構いませんか?」

 そういうテーナルクの提案に、聖羅は少し迷った。
 友人ではない相手に名前で呼ばれるのも、聖羅にとって違和感のあることではあったが、そこまで嫌悪感があるわけではない。
 同年代の女性ということも良い方向に作用していた。
 加えて、少しの打算も働く。

(テーナルクさんは同じくらいのご年齢みたいですし……今後、色々と相談に乗って欲しいこともあります。出来れば仲良くなりたいですから……名前で呼び合った方がいいですね)

「はい、構いません。……様付けもしなくていいです。仲良くしていただけると嬉しいですから。テーナルクさん」

「それはこちらの台詞ですわ、セイラさん。仲良くしてくださいまし」

 互いに探り探りではあったが、こうして聖羅とテーナルクの邂逅は果たされた。
 クラークにお茶の用意をしてもらった後、クラークを含めた使用人が全員部屋から退出する。
 テーナルクは目隠しをしたまま、正確にカップの位置を把握してそれを手にしていた。

「……テーナルクさん。まず、お聞きしてもいいですか?」

「目が見えないわけではありませんわ。この方がセイラさんがご自身の格好を気にしなくて済むかと思いまして。同性とはいえ、初対面の人間に見られたくない姿というのもございましょう?」

 聞こうとした質問の答えを先に言われてしまい、聖羅は息を呑んだ。
 口に運んでいたカップを置きながらテーナルクjは続ける。

「オルフィルド叔父様も決して無神経な方ではないのですけども、セイラさんのことに関しては警戒が先に立ってしまっておられるようですわ……叔父様に変わって謝罪いたします」

「い、いえ。よくしていただいていますから……」

「わたくしが来たからには、もうセイラさんにお恥ずかしい思いはさせませんわ。なんでも相談してくださいまし」

 自信満々に言い切るテーナルクに、聖羅は確かな自負を感じた。
 少々自信家の気配はあるが、それに似合うだけの実力と実績を有しているのだろう。

「魔力による感知というのは、大まかに人や物の形がわかるだけのものですわ。元から目が見えないなどで、魔力の感覚を極めた者であれば、触れたものが柔らかいか堅いかくらいまではわかるそうですが」

「便利ですね……魔力って」

「セイラさんは魔力のない異世界からいらっしゃったそうですわね」

「そう、ですね。魔法がない分、機械……カラクリや科学、医術は発達していましたけど、こうして魔法のある世界に来ると、高度なんだか原始的なんだかわからなくなります」

 しばしふたりはとりとめもない話を繰り広げた。
 しばらく話し、ほどよくお茶が減ったところで、テーナルクが本題に関係あることを切り出す。

「セイラさんが元いた世界では、今回の式典のような行事はあったのでしょうか?」

「まったくなかったですね……いえ、正確に言えば私には縁がなかったというべきでしょうか。天皇……ええと、こっちでいう王様の誕生日などに国の偉い人が集まってお祝いの式典みたいなのはやってたみたいですが、私の立場では出席なんて出来ませんでしたし、大抵の人は縁がなかったと思います」

「小規模でも、舞踏会や晩餐会に出席した経験もありませんの?」

「ない、ですねぇ……」

 晩餐会と聞いて、聖羅の脳裏に一瞬部活などでの打ち上げの記憶がよみがえったが、現状に則したものではないと判断して打ち消した。
 この場合の晩餐会で当てはまるのは、企業などの創立記念や新店舗オープンの際に行われるレセプションパーティーの方が近いだろう。
 だが一般的な大学生である聖羅に、そういったものに参加した経験はない。
 その後も、二人はとりとめも無い話を交えながら、式典と会合に備えて準備を整えていった。




 その日の夜、イージェルドの居室に、オルフィルドとテーナルクが集まっていた。
 イージェルドは愛娘たるテーナルクを労う。

「よく来てくれたね。それで、テーナルクから見てキヨズミはどうだった?」

 その質問に対し、テーナルクは「まだ初日ですから確実なことは言えませんが」と前置きをしてから言う。

「良くも悪くも平凡、ですわね。確かに邪悪な感じはしませんでしたが、どこか不自然に一線を引いたような物言いが引っかかりますわ」

「やはりお前でもそう思うのかい?」

「少なくとも、聖女というほどの神聖さも潔白さも感じませんわね。言葉は悪いですが、極普通の平民の方を相手しているような感覚です」

「ふむ……そうか。しかし、それなら懐柔策は一応実っているとみるべきかな?」

「それは問題ないでしょうね。食事や住居を提供されていることを、セイラさんはとても感謝している様子ですわ。……まあ、死告龍が一声命じれば出さざるを得ないのですから、本当は恩に感じる必要はないのですけども」

「そのまま勘違いしてくれていればいいのだけどね……オルフィルド。死告龍の様子はどうだい?」

「今のところ動きはない。式典や会合の参加については、テーナルクがキヨズミ嬢と話をしている間に、俺からも確認のために直接話をしてみたんだが――」

 そのオルフィルドの言葉を聞いて、真っ先に反応したのはテーナルクだった。

「オルフィルド叔父様。今後、そんな危険なことはしないでくださいませ。せめてセイラさんが一緒にいるときにしてください」

「いや、しかし――」

「しないでくださいませ」

「……わ、悪かった」

 有無を言わせないテーナルクに、武力派オルフィルドが押し負けて頷かされていた。
 その光景を傍で見ていたイージェルドは、なんとも複雑な表情を浮かべている。
 気を取り直すように咳払いをしたオルフィルドは、報告を続けた。

「死告龍は式典や会合自体、興味がないようだ。キヨズミ嬢が参加するならするし、しないならしないと。特に問題はないだろう」

「キヨズミには、しっかり手綱を握ってもらう必要がありそうだね……会合中に暴れ出されたら大惨事だ。……ああ、胃が痛くなりそうだよ」

「ここのところずっと胃が痛くなるような状況が続いているからな……」

「でしたら、お父様、叔父様。わたくしが特製スープをお作りいたしますわ。疲労回復になかなか評判が良いのですよ? 胃にも優しいですし」

「……テーナルク、お前、そういうことは料理人に任せなさいと言ったじゃないか」

「王族が料理をしてはいけないなんていう法はないはずですわ」

「いや、確かにないけどね……」

「まあまあ。いいじゃないか、兄さん。聞いた話じゃ、キヨズミ嬢も元の世界では自分で料理することもあったようだし、話の種になるだろ」

「オルフィルド叔父様ならそういってくださると思って、準備させておきました! この部屋に持ち込んでも構いませんわね? お父様」

「……ああ、いいよ」

「いや、しかしさすがはテーナルクだな。段取りが早い。こんなことなら、確かに最初からテーナルクにキヨズミ嬢の相手を任せれば良かったな。再三の打診を却下して悪かった」

「ふふふ。お褒めに預かり光栄ですわ。…………同じ年頃の女と聞いて気が気ではありませんでしたが、セイラさんはライバルにはなりそうもないですし、本当に仲良くできそうですわ」

 ぽそりと呟かれた言葉をオルフィルドは聞き逃したが、イージェルドにはハッキリと聞こえてしまった。
 自分の娘ながら欲しいもののためには手段を選ばない姿勢に、なんとも薄ら寒いものを感じるイージェルドであった。

つづく

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第二章 3

 聖羅がテーナルクと出会った翌日。
 今日も聖羅に与えられた部屋にきたテーナルクは、大妖精・ヨウの前に立っていた。
 当初、聖羅を気遣ってテーナルクがしていた目隠しはすでに外されている。
 テーナルクの人となりを信じ、目を見て話すために聖羅が許可していた。気遣いをしてくれたという点で、聖羅の中でテーナルクの印象は非情に良くなっている。それが円滑な交流に繋がっているのだから、彼女の目論見通りの展開であった。
 そんなテーナルクだが、大妖精のヨウに至近距離から観察され、冷や汗を搔いていた。

「ヨウさん、こちらがこの国の王女様で、テーナルクさんです。今後、彼女もリューさんに挨拶をしいくことがあると思いますので、中庭の他の妖精さんたちに周知をお願いできますか?」

『いいわよ。みんなに伝えておくわね』

 聖羅の要求を快く受けたヨウは、空中にふわりと浮かび、そしてその身体を光る粒子に変えて去って行った。
 聖羅にしてみればヨウはもっとも信頼のおける相手であり、慣れ親しんだ相手だが、テーナルクにとってはそうではない。
 大妖精というのは魔法の扱いに長けた種族で、攻撃的な魔族ではないとわかってはいても、緊張する相手であった。
 ヨウが去っていったあと、テーナルクは深く息を吐く。

「……いまの御方がセイラさんの守護妖精というわけですのね」

「守護妖精、ですか?」

「稀な話ですが、妖精は気に入った人間や魔族と行動を共にすることがありますの。お父様から聞いた覚えはありませんの?」

「イージェルドさんからは、妖精はどこにでもいるものだとは教えられましたけど、守護妖精のお話は伺っていませんね」

「そうですわね……その説明でも間違ってはおりませんわ。守護妖精自体、稀な存在ですし……そもそも、大妖精の守護妖精なんて。わたくしは聞いたことがありませんわ」

「基本的に人間と魔族は敵対関係、なんですよね」

「ですわ。とはいえ、人間と魔族が手を組むということ自体は珍しいことではありませんが……最も有名なところだと、北の国であるログアンですわね。国そのものが守護亀グランドジーグ様との共生関係にありますわ」

「ログアンについては、なんとなくは聞いてますけど……具体的には、どういう関係なんですか?」

「守護亀グランドジーグ様は山のように巨大な亀ですの。なので、身体に寄生してくる魔族に弱いのですわ。ログアンの民はその寄生型の魔族を駆逐する代わりに、背に住まわせてもらっているとか。人間となら契約でほどよい関係を築けるので、グランドジーグ様としてもありがたいですし、グランドジーグ様と戦おうという大型魔族はいませんので、人間にとってもありがたいわけですわね」

「大型魔族……それこそ、ドラゴンとかですか?」

「ですわ。もっとも、死告龍様は能力的にグランドジーグ様の天敵ですので、ログアンがもっとも恐れる相手ですわね。式典と会合にも参加するという連絡が真っ先にありましたわ。死告龍様がグランドジーグ様を攻撃しないよう、何らかの交渉をしてくることでしょう」

 わかっていたことではあるが、様々な思惑が渦巻く戦場になるであろうことを感じ、聖羅は深くため息を吐いた。
 それを近くで聞いていたテーナルクが、聖羅に声をかける。

「不安ですの?」

「それは……まあ、そうですね。国単位の謀略や策略に関わったことなんてないもので」

「あまり気負わずとも大丈夫ですわ。最低限の挨拶さえしていただければ、あとはわたくしがすべて対応いたしますし……それに、あまり乱用していただきたくはないですが、死告龍様に庇護されているセイラさんに何かを強制できる者など、少なくとも人間の中にはいませんわ」

「……そうなんですか? そんなに、リューさん……死告龍という存在は、そこまでどうしようもない存在なんですか?」

 リューのことを強いとは感じている聖羅だが、全く手がつけられないほどの存在ということが、いまいち実感出来ていないというのが本心だった。
 その聖羅のある意味呑気な発現に対し、テーナルクは深く頷く。

「ええ。どうやらセイラさんは死告龍様が『物凄く強いドラゴン』という認識のようですが……それでは不足ですわ。人間の強さというのは、基本的には集団の力なのですの。確かに『勇者』と呼ばれるような、個の極地ともいえる存在が生まれることはありますが、それでも、装備や状況を整えて初めて強力な魔族に対抗できるものなのです」

「なるほど……」

「即死のブレスという範囲攻撃能力を持つ死告龍様は、いわば人類の天敵なのですの。幸いなのは死告龍様が魔界を生み出さないことですわね。もしも死告龍様が魔界を生んで、そこから眷属が発生するようなことがあれば、人類は一環の終わりですの」

「その、即死耐性って、どうやってもあげられないものなんですか?」

「神々の加護じゃないと無理ですわね。……仮にセイラさんの持つバスタオルなる布を用いたとしても……他の装備が一切着けられないというのは、痛すぎる弱点ですわ。自動的に魔法を弾く手甲、動きの素早くなる靴、精神効果を無効化する兜など……有用な装備が身に付けられないということですから」

 聖羅は身に付けているバスタオルが『神々の加護を持つ品』であることを、イージェルドやオルフィルドに伝えていた。
 バスタオルがヨウに奪取される騒動があって、隠しきれないと悟ったからだ。
 そもそも、そのふたりはバスタオルを身に付けていない時の聖羅と会っているので、隠す意味がないと言える。
 限られた者にしかその情報は伝えられていないが、王族であるテーナルクは当然その情報を得られる立場である。

「それなんですけど……見目はともかく、このバスタオルが一枚あれば絶対防御は実現できるんですが、それでもダメですか?」

「そういう戦術に類することは、当然オルフィルド叔父様の方が正確かと思いますが……恐らくダメだと思われますわ。ヨウ様曰く、それを身に付けている間は、自分自身で自分に放った支援魔法すらも弾いてしまうのでしょう? 元々の肉体的能力に劣る人間が、魔法の助け無しに魔族とやり合うのは無理ですわ。支援魔法を完全にしてから身に付けて、その上で絶対防御を発動させると考えても……柔軟に変化出来ないのは厳しいですわね」

「……そうですか」

 聖羅は本当の最後の最終手段として、死告龍たるリューを斃すという方針を取らなければならなくなったときのことも考えていた。
 リューの性格上、可能性は低いと思ってはいたが、もしもリューが暴走して無理矢理子を成そうと迫ってくるかもしれない。
 その時には、そういう対応もしなければならないからだ。
 慕って懐いてくれているリューに対し、そういったことまで考えてしまうあたり、聖羅は自分の性の悪さを自己嫌悪していたが、考えずにはいられないのだから仕方ない。

 ヨウと和解し、リューの本質を理解し、強大な魔族である二体の庇護を得た。
 それでも――聖羅は自分がこの世でもっとも無力な存在であると自覚しているのだから。




 ルィテ王国王城の中庭にて。
 死告龍・リューは身体を丸め、のんびりと休んでいた。
 その傍では大妖精・ヨウが小さな妖精たちを集め、なにやら魔法で映像を見せている。
 映像を見せることが目的だったのか、集まっていた小さな妖精たちはすぐに散らばっていってしまった。

『なにそれ?』

 少し気になったリューが、ヨウに向かって尋ねる。
 ヨウは小さな妖精たちに見せていたものと同じ映像をリューにも見せた。
 そこにはこの国の王女であるテーナルクの姿が映し出されている。

『この国の王女らしいわよ。セイラにこの国の人の規則なんかを色々教えてるみたいね。たぶん近いうちにあなたにも挨拶しに来ると思うわよ?』

『ふぅん……』

 気のない様子でリューはあくびをして再び身体を休める姿勢に戻った。
 そんなリューに対し、ヨウはやれやれとあきれ顔を浮かべる。

『わかってはいたけど、あなたはセイラ以外に全然興味ないのね』

『それはヨウも、じゃないの?』

『わたしはあなたとは違うもの。セイラには恩があるから守るし、できる限り助けになる。けど、あなたにはセイラに固執する理由はないんじゃないの?』

『理由ならあるよ? セイラはリューを怖がらないし、暖かいからすきー』

 早く遊びに来ないかなぁ、と呟くリューは尻尾を振る。尻尾を地面を打つと、十分踏み固められた中庭の地面に亀裂が走る。
 戯れに振るわれた尻尾でさえ、並の人間が喰らえば即死しかねない一撃だった。
 ヨウはリューの尻尾の範囲からさりげなく逃れつつ、再度口を開く。

『例えばの話だけど、セイラみたいにあなたを怖がらずに触れあってくれる人間が、もし他にもいたらどうするの?』

『いたら考えるー』

 あっさりとしたリューに対し、さらに口を開き書けたヨウだが、思い直したように質問するのをやめた。
 いるかいないかもわからない者について考えるのは不毛だからだ。
 ただ、ヨウとしてはリューが聖羅に価値を見いださなくなった時のことを考えずにはいられない。

(むしろ、その方がわたしにとっては都合がいいのだけど……)

 ヨウにしてみれば、リューと森に対する攻撃をしないという約束は交わしているし、絶対防御の加護があった上で負けた自分にリューが執着するとは考えにくい。
 リューが聖羅に対する執着を失ったとしても、ヨウの聖羅への恩義は変わらずある。
 妖精には寿命がないため、聖羅が死ぬまでの間、守ることに何の問題もない。
 死告龍という規格外の化け物と一緒にいるよりは、いっそ聖羅への執着を失って去ってくれた方がヨウとしては都合が良いのだ。

(まあ、強いて誘導するほどのこともないから、流れに身を任せるしかないわね……)

 今後聖羅は様々な交流を広げていくことになるだろう。
 その結果、聖羅とリューの関係がどうなるのかは、ヨウにはあずかり知らぬことだった。




 ヨウがそんなことを考えているとは露知らず、聖羅はテーナルクとの対話を続けていた。
 聖羅はもっとも危惧していることを最初に相談することにした。

「式典や会合での話なんですが……服装、どうしましょう。人前に立たないわけにはいきませんよね……?」

 彼女の本音をいえば、正直それ以外の手順や仕来りなどはどうでもいいとさえ思っている。服装さえまともにどうにか出来るのであれば、それ以外のことはどうにでもなる。
 バスタオルを腰に巻いて胸だけを別の布で隠した、その姿を衆目に晒すことさえなければ、式典であろうと会合であろうとなんでもこなせる。
 聖羅の切実な話し口に対し、テーナルクはなんとも言いがたい表情を浮かべる。

「そう、ですわね……式典では行進を予定していますわ。どちらかといえば死告龍様が大人しく、ある程度わたくしたちの言うことを聞いてくださっていることを示すためのものですから、セイラさんは表に出る必要はないのですが……セイラさんも一緒に行動してくださった方が、聖女の御力によるものだと認識されるので、今後のことを考えれば良いかと思います」

「……ですよねぇ」

 聖羅はわかっていた、とばかりに深くため息を吐く。
 それでもなにかできないかと、足掻き始めた。

「幻術、みたいな手段は取れないんでしょうか。例えば……こう、服を着ているような幻を被せるとか……」

「やりようによっては、出来なくはないと思いますわ。セイラさん本人ではなく、周囲にかけるという形で。……ですが、それをしても魔法抵抗力の高い者たちには見破られてしまいます。それに、何かの拍子に解けてしまう可能性も高く……その、言いにくいのですけど、強力な無効化能力を持つそのバスタオルが触れると幻術は解けてしまいますから」

「……かえって、恥ずかしい思いをすることになりそうですね」

 完全に予定通り進めば問題はないだろう。だが何か不足の事態が起きた時、突然幻術が解けてしまうことを考えると、下手に隠す方が恥ずかしい思いをする可能性がある。
 それならばいっそ、最初からその姿であると示していた方がいいのかもしれない。

「気休めになるかはわかりませんが、行進の際にはセイラさんの格好を真似た儀仗兵を配置する予定ですわ。『そういう様式である』と認識されれば、セイラさん自身の格好もさほど目立たなくなるかと」

「それ、儀仗兵さんに物凄く申し訳がないんですけど……大丈夫ですか?」

「ご安心くださいまし。どうしても少々露出の多い格好にはなりますが、セイラさんの事情とは異なるので、問題ないようにアレンジは加えられますの」

「それなら、まあ……でも、その方々が恥ずかしい思いをしないようにくれぐれもお願いします」

 本当は恥ずかしい思いをするのは自分一人だけで十分だという考えで、聖羅はそうテーナルクに求めた。
 テーナルクはその聖羅の求めに応じ、力強く請け負いつつも、どこか見定めるような視線を聖羅に向けていた。

つづく

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第二章 おわり

 清澄聖羅は寝る際、バスタオル一枚の格好になっていた。

 バスタオルに宿った「神々の加護」はバスタオル一枚のみを身体に巻き付けた状態の時にもっとも効果を発揮し、それ以外の身に付け方だと加護が緩んでしまう。
 起きている時ならば、胸に巻いている布を外すなどして、ほんの数秒で加護を最大に発揮させることが出来る状態に持って行くことが出来るのだが、寝ている間はそういうわけにもいかない。
 もっとも無防備な時にはもっとも加護を発揮している状態にするのは、当然の備えだった。その格好で寝ていると寝相でバスタオルがはだけてしまい、朝恥ずかしい思いをすることになるのだが、身の安全には替えられない。
 ただ、聖羅にはその状態では出来ないことがあった。

(月夜の国の王様……アハサさんとまた話しておきたい気はするのですが……)

 聖羅が夢を見ている間に、二度ほど干渉してきた『月夜の国』の王・アハサ。
 その助言はいまのところ的確であり、ルィテ王国の者達が、その立場から教えてくれなかった情報を提供してくれたこともあった。
 聖羅はそのアハサと夢の中で対話したことを、いまのところルィテ王国の者にも、ヨウやリューといった存在にも伝えていない。
 本当は『月夜の国』という国がどこにあるのか、どういう性質を持つ国なのか、その王はどういう人物なのか調べたかったのだが、聖羅としてはアハサは別方面からの情報源として出来ればルィテ王国の者たちには秘匿しておきたかったのだ。

(本が読めれば……こっそり調べることも出来たんですけどね……)

 アハサ曰く、『自分のことは人間なら誰でも知っている』とのことだったので、使用人レベルでも聞けば知っていることを教えてくれるだろう。
 しかしその使用人はルィテ王国から与えられている世話役であって、聖羅を最優先してくれるわけではない。『月夜の国』について調べているということがイージェルドやオルフィルドにも伝わってしまう。
 それは避けたいが、かといってアハサという存在が善良な存在なのかどうかもわからないまま、与えられる情報を信じすぎるのも問題だ。

(ああ、もう……あっちもこっちも警戒しなきゃいけないことだらけです……)

 もしも、聖羅がもう少し子供であったなら。
 何も考えずにルィテ王国の者達を信用して全てを任せ、身を委ねていたかもしれない。
 あるいは、バスタオルの加護がなくても生きていける世界であったなら。
 バスタオルを提供し、生命だけでも保証してもらうことを決められたかもしれない。
 だが聖羅は大人の女性で、善良ではあっても邪悪を知らないわけではない。
 なまじ人を信じることの危うさを知ってしまっている分、身動きが取れなくなってしまっているのだった。

(とはいえ、です。このまま状況が動くことに対応してばかりでは、いつか無理が来てしまうでしょう……私から状況を動かさなければなりません)

 そう聖羅は考えていた。
 いまのところはギリギリなんとか対応出来ていたが、それには限度がある。与えられるばかりではなく、自分の居場所は自分で確保しなければ安心できない。
 これまでの経緯を踏まえて、ヨウとは完全に信用しても問題ない関係になれたと考えられる。リューは目的が目的なため、信用は出来ても頼りすぎるわけにいかない。 

(リューさんには手も足も出なかったとはいえ、大妖精であるヨウさんも決して弱いわけではないですから……心苦しいですが、それを利用させてもらうしかないですね……)

 周辺諸国に声をかけて行われる式典や会合には、準備に時間がかかるため、開催はまだ先の話だ。
 その間に出来る限りの状況を整えようと、聖羅は決心して眠りについた。
 そして翌朝、目を覚ました聖羅は、自分がバスタオル一枚の格好でベッドの上に寝転がっていることを自覚し、いまだ異世界にいることを知る。
 大きく伸びをして身体を解し、寝乱れたバスタオルの裾を整えながらベッドから降りた。
 寝癖などが着いていないか、軽く確認した後、身支度を調える。
 寝汗や目やになど、元の世界であれば気になっていたことは、ここでは気にする必要がなかった。

(恥ずかしいということさえ除けば、最高の加護なんですけどね……)

 バスタオルに宿った加護は外敵からの刺激を弾く以外にも、身体的に可能な限り清潔・健康を維持してくれるという効果があった。暑さ寒さを無効化するのもそうだが、聖羅の身体は考え得る限り清潔かつ健康な状態を保ち続けている。
 それは元の世界でさえあり得なかったことで、聖羅の身体は元の世界にいた頃よりもずいぶん綺麗になっていた。精神的に相当なストレスがあるはずだが、いまのところ肌荒れや体調不良が表出したことはない。
 聖羅はまだ二十歳になったばかりであり、そこまで肌の衰えを感じたことはなかったが、そんな彼女でさえ、最近の肌の張りはまるで高校時代に戻ったようだと感じていた。

(いえ、下手したらその頃より肌の艶やハリはいいかもしれませんね……)

 この世界に来て、唯一確実に良かったと言える点である。
 状態がいいおかげで、この世界の美形に囲まれてもそこまでの劣等感を抱かずに済んでいるということはある。
 それでも、生真面目な性格の聖羅としては、顔を水で洗う習慣はやめられなかった。これは実際に清潔かどうかというよりは、気分的な問題だ。
 本当は入れるなら風呂にも入りたいところだが、それはこの世界の事情で不可能だった。

(この世界に入浴の文化がないのは残念ですね……)

 魔法で清潔な状態を維持できるため、入浴の文化は根付いていないのである。
 正確には全く存在しないわけではなく、例えば森や山の奥などに自然に湧いている温泉に浸かることはある。
 それは元の世界でいうところの海水浴のようなもので、日常的に行うものではないのだ。
 雑談の際に入浴が文化として存在すると話した際、オルフィルドはこの王城に入浴施設を作ってもいいと提案したが、聖羅はそれを全力で固辞した。
 入浴しないことで不都合が生じているのならばともかく、バスタオルのおかげで身体を清潔に保てる以上、自分の精神的な充足のためだけにそんな施設を用意させるのは忍びなかった。

(まあ、入浴の際もタオルは外せませんから……あまり効果はないかもしれませんが)

 暑さ寒さを無効化し、常に最適の感覚を保ってくれる加護があるっため、お風呂のお湯をどう感じるのかは聖羅にもわからなかった。
 害がないレベルに抑えられるのか、それとも全く無効化してしまうのか。
 ご飯などは普通に温かいか冷たいかを感じられるため、風呂もそういう最適な温度で感じられるのではないかと推測しているが、全身を水に浸けたことがない以上、確実なことはわからない。

(……いえ、そういえば、最初に浅い水場に落ちましたっけ)

 魔王が封印されていたと思われる場所で、小島を浮かべていた不思議な水のことを聖羅は思い出していた。
 後にそれ自体が動いて攻撃してきたため、ただの水ではなかったが、そのとき聖羅は水浸しになっていた。

(あのときは、さほど冷たくはなかったですけど……あれだけ地下にある空洞だったのですから、実際は非常に冷たかったと考えるべきですが……そうすると、やはり水やお湯に浸かっても、それなりの感覚で済むということでしょうか……)

 そんなことをつらつらと考えつつ、聖羅はバスタオルを腰までずりさげ、トップレスの姿になる。
 ブラジャーを着けずに過ごして数週間経つが、いまのところ聖羅の胸の形が崩れてくるような気配はなかった。
 それも加護のうちなのか、聖羅の体質的なものかはわからない。
 わからないが、聖羅は女性の端くれとして、その事実をありがたく受け取っていた。

(ええと……今日は、と……)

 胸に巻く用の布には、いくつかの種類が用意されている。種類があるとはいえ、それはささやかな違いであり、基本的には白一色だった。
 バスタオルに色を合わせるとそうならざるを得ないため仕方ないのだ。
 適当に手に取ったそれを身体に巻き付けていく。万が一にも腰のバスタオルに被さらないよう、かなり余裕を持って巻いているため、へそや一番下の肋骨あたりまで見えてしまうのだが、バスタオルには替えられない。
 かなり心もとない格好ではあるが、バスタオル一枚に比べれば雲泥の差だ。
 乳房を支えるように布で持ち上げ、くるりと二、三周胸に巻き付け、最後に余った部分の布端を首の後ろで結ぶ。
 本当は固結びにしたいところだが、万が一の際はすぐに外さなければならないので、引っ張ればほどける結び方にしてあった。
 改めて鏡の中の自分の姿を確認する聖羅。

(……うん。まあ、水着……といえなくはない……ですね)

 腰に巻いているのがバスタオル、というのがなんとも不格好ではあるが、パレオと思えばいい。見た目だけなら、人に全く見せられない姿というわけでもない。
 この格好ができて、本当に助かったと聖羅は思っていた。
 下着は身に付けられていないので、股間がスースーするというのが悩ましいところではあるのだが。

(贅沢をいったら罰が当たりますよね)

 なるべく足を大きく動かさないようにしつつ、聖羅は隣の部屋に移動し、待機していた使用人のクラースにお願いして、いつもの身支度をしてもらう。
 いつも通りに朝食を部屋に用意してもらい、完全な和食というわけではないが、十分和風な朝食をとって、人心地ついた頃。

 それは――嵐のようにやってきた。

 そろそろテーナルクとの対話を約束していた時間になるかという頃、なんとなく城内がざわついているのを、聖羅は感じ取った。

「……? どうしたんでしょう?」

 聖羅の部屋は最初に用意された部屋がヨウとリューの小競り合いのために吹き飛んで以降、より見晴らしのいい――要するに同じようなことが起きても被害の少ない――上層部に移されていた。
 その部屋からだと、窓から城内の様子が窺えるのだ。
 なにやらいつもは整然と移動している兵士や使用人たちが、慌てふためいて右往左往しているように見えた。
 聖羅の住む部屋から中庭に至るまでの通路は基本的に人の立ち入りが禁止されているため、部屋の外が騒がしくなっているわけではなかったが、明らかにいつもと様子が違った。
 不安に思った聖羅を慮ってか、部屋の隅に控えていたクラースが動き出した。

「セイラ様、私が様子を見て参ります」

「お願いします。もし、私……あるいはリューさんたちの関係であればすぐに呼んでください」

「かしこまりました」

 そう言ってクラースが出て行った後、聖羅はもう一度城内の様子を窓から伺う。
 兵士や使用人の表情を見る限り、せっぱ詰まった状況というよりは、突然の事態に慌てている、という様子だった。
 例えるなら、事故などが起きて危険が迫っているという雰囲気ではなく、突然思いもかけない来客が来て、対応に奔走しているというような――

 聖羅がそう思った時、廊下側の扉の向こうが騒がしくなった。

 先ほど出て行ったばかりの、クラースらしき声もその喧噪の中に混じっている。
 聖羅は思わず身構えたが、さりとて他に何が出来るわけでもなく、ただ騒いでいる存在たちが近づいてくるのを黙って見ていることしか出来なかった。
 喧噪が扉の前まで来たかと思うと、扉がノックもなく勢いよく開かれる。

 そして、同時にいくつものことが起きた。

「どぉーもぉー! はじめましてにゃっ、聖女さまっ!」

 聖羅の知らない快活そうなひとりの女性が、ドアを開けながら元気に挨拶し、

「ちょっ……まっ……ばっ……!」

 その女性に手を牽かれ、赤い顔をしたひとりの少女が引き摺られて部屋に入って来て、

「あああ! なんてことしてくれるんですの! このお馬鹿姫っ! も、申し訳ありません、セイラさんっ!」

 聖羅が昨日顔を会わせたテーナルクが、蒼い顔をしてその二人に続いて入ってきた。
 なお、その後ろにはクラースをはじめとした多数の使用人や兵士もいたようだが、機転を利かせたクラースが部屋の中を覗けない位置で、止まるように抑えてくれたようだ。
 部屋に入ってきた三人は、それぞれがそれぞれ、属性は違えども絶世の美女、あるいは美少女であり、同性の聖羅でさえ、思わず見惚れる美しさを有していた。
 その先頭に立つ、褐色肌の元気な女性が、輝かんばかりの笑顔で聖羅に向けて口を開く。

「あなたが聖女様ですにゃー? ボクはルィテ王国南のフィルカードからやってきた、ルレンティナ・フィルカードにゃー。仲良くしてくれたら嬉しいのにゃ!」

 奇妙な語尾で、いまだかつてこの世界に来てからはされてないような、フレンドリーな態度で挨拶をされ、唖然とするしかない聖羅であった。
 そんな彼女に構わず、女性――ルレンティナは手を引いていた少女を、聖羅の前に押し出す。そして「こちらはあーみんですにゃ!」と彼女を紹介して「自分で名乗りますから貴女は黙っていてください!」と、本人に怒られた。
 ルレンティナに比べれば、華奢で病弱そうな印象を受けるが、『姫』と言えばどちらかといえば彼女のような存在を思い浮かべるだろう。
 その姫らしい彼女は、静かに聖羅に向けて頭を下げる。

「お初にお目にかかります、キヨズミセイラ様。わたしはルィテ王国の北の国、ログアンから参りましたアーミアと申します。このような初対面となってしまい、誠に申し訳ありません……」

 恐縮して頭を下げ続ける彼女に、聖羅はなんといえばいいのか迷っていたが、そんな彼女にフォローを入れたのは、テーナルクだった。

「セイラさん。アーミア様は被害者ですわ。……そこのお馬鹿さんがわたくしたちの制止を振り切って……ルレンティア様、いくら友好国とはいえ……場合によっては国際問題に発展しかねない不作法ですわよ」

「てーなるんはお堅いにゃー。ボクと、てーなるんの仲じゃにゃいか!」

「わたくしと貴女との関係がいくら良好だったとしても、こんな不作法は通りませんわ!」

 激しい言葉を交わし始める二人に対し、アーミアは深々と溜息を吐いている。
 どうやらそれが日常のようで、セイラとしては唖然とする他ない。
 ただ、聖羅としては、それ以上に問題にするべきことがあったため、そのやりとりを気にしている余裕はなかった。
 二人の格好を見て、頭を抱えたくなるようなことがあったのだ。

(絶対にやめてください、って言ったじゃないですか……っ!)

 突如現れたふたつの国の姫。
 その彼女たちは、腰に一枚の布を巻き、胸を別の布で覆うという、極めて露出度の高い――現在の聖羅の格好を模したようなドレスを着ていたからだ。

つづく

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第三章 1


 ルィテ王国首都王城内――聖女キヨズミセイラの部屋に、四人の女性が集まっていた。

 四人は円形のテーブルの周りに等間隔で腰掛けている。
 一人は当然、この部屋の主であり、他の三人がこの場に集った目的でもある清澄聖羅。
 彼女は突然開かれることになったこの懇親会に戸惑っていた。三人のうち一人は今日も来訪することが決まっていたが、他の二人は突然の来訪だ。戸惑わない方がおかしい。

(それにしても……初めて見ますね……)

 聖羅が内心呟きながらこっそり見ているのは、その突然の来訪者のうちのひとり。
 フィルカード共和国の姫であるルレンティナ・フィルカードである。
 巨大な湖に浮かぶ国という話は聞いていたため、褐色肌が日に焼けた結果なのか、それともそういう人種なのかはわからない。
 ただ、明らかに普通の人間とは違う点があった。
 その深い緑色の髪が覆っている頭部。その頭頂部から、柔らかそうな耳が生えていた。
 猫のような三角形をしたその耳は、ぴょこぴょことせわしなく動き、酔狂で身に付けている飾りではなく、彼女本来の身体の一部であることが明らかだった。

(獣人……存在するのは聞いていましたが、ルィテ王国にはほとんどいないんですよね)

 人間と共存している人間以外の種族のうち、獣人というのは極めて特異な事例である。
 聖羅は小説やゲームなどからのイメージで、魔族と人の合いの子を思い浮かべていたが、この世界においてはそうではないことをオルフィルドから聞かされていた。
 この世界の獣人は、人間と人間の間から稀に生まれることがあり、遙か昔には忌み子とされ、気味悪がられていた時代もあったという。
 しかし獣人は人間よりも高い能力を生まれ持っており、ある王家に生まれた獣人が様々な困難を乗り越え、盤石かつ平和な百年王国を築いたときから、獣人の評価は変わった。
 現在、獣人は『神々の加護』の一種であるとされ、生まれると国を挙げてのお祝いになる地域も少なくないとか。
 そんな希少かつ優秀なはずの獣人たるルレンティアは。

「んー! 美味しいにゃあ。やっぱりルィテのお菓子は最高にゃ!」

 テーブルの上に用意されたお菓子に、遠慮容赦なくパクついていた。
 自由奔放なその気質はとても王族には見えないが、これはフィルカード共和国という国そのものがそういった気質であるためらしい。
 フィルカードは国そのものが巨大すぎる湖に浮かんでいる。
 常に移動しているという意味では巨大亀グランドジーグの上にあるログアンと同じだが、その規模と形式が全く違った。
 ログアンが一心同体となって移動するのに対し、フェイルカードは個人単位、集団単位で切り離れての行動を可能にしているのだ。極端な話、ひとりひとりの居住区画が船としてばらけ、独立しての行動が可能になっている。
 そのくせ、いざ有事となったときの連携してことに当たる様は見事なもので、『個人主義の連帯上手』という奇妙な特徴を持っていた。
 そんな彼女の気質は十分に理解しているはずだが、相手をしていてどうしても疲れるのか、テーナルクが深々と溜息を吐いた。

「ルレンティア様……貴女は……全くもう……」

「……言っても無駄」

 頭を抑えているテーナルクに向かって淡々と呟いたのは、聖羅にとっては予定外の来客のもうひとり、ログアンのアーミアであった。
 アーミアはルレンティアに比べるとかなり大人しく、その振る舞いはルレンティアよりもよっぽど姫らしい。
 ただし、その身には『聖女スタイル』という――聖羅にとっても――赤面もののドレスをまとっていた。
 聖羅はそういったデザインのドレスが作られつつあるという話をクラースから聞いた時、制作をやめるようにイージェルドやオルフィルドに指示してもらうつもりだったのだが、とうにドレスはできあがっていたようだ。
 それをわざわざこの場に身に付けて来たのは、聖女の文化に合わせた姿をすることで、警戒心を緩めるという目的だろう。それくらいは聖羅にもわかる。

(でも……恥ずかしいなら、そんな格好しなくてもいいのに……)

 アーミアは表情こそ平静を装っているが、その白い頬や耳が赤くなっていて、その格好に羞恥心を覚えているのが明らかだった。
 自分もそうであるために、聖羅が現状最も親近感を覚えているのはアーミアかもしれない。そういう意味では、同じ服装を着てきたアーミアが期せずして最も聖羅の共感を得ていると言えた。
 なお、同じくその服装であるルレンティアに関しては、彼女が平然としているので、残念ながら聖羅の仲間意識は得られなかった。
 ともあれ、集まった面々に向かって、自分が何か言わなければならないと感じた聖羅は、口を開こうとする。

「ええと……」

 しかし、どう話を切り出したら良いのか、聖羅にはわからなかった。
 この場にいるのはそれぞれの国を代表する女性たち。
 聖羅の認識でいえば、国の外務大臣のような存在だ。そんな彼女たち相手にどんな話題を切り出したらいいのか、一般大学生の聖羅には荷が重い。
 そんな聖羅をフォローするように、テーナルクが話を切り出す。

「申し訳ありません、セイラさん。せめて、わたくしがお二人のことを説明するまで、応接室で待つように言ったのですけど、このお馬鹿さんが……」

「にゃ?」

「にゃ、じゃありませんわ!」

「だって聖女様に早くお会いしたかったんだにゃー。てーなるんばっかり仲良くなったらずるいにゃ」

 すっとぼけてはいるが、ルィテ王国に主導権を握らせないための行動だろう。
 一歩間違えば愚行だが結果として、三カ国が同じテーブルにつけている。
 態度は自然体で飄々としているだけにその真意が読みづらく、聖羅はまた油断のならない相手が現れたと感じた。

「あの……ルレン、ティアさん。その、聖女様というのはやめていただけませんか……」

「むにゃ? ダメなのですかにゃ?」

 キラリ、と明るいエメラルドグリーンの瞳が光ったような気がした。猫の瞳のように、瞳孔が縦に割れているのに気づき、聖羅は若干怯む。怯んだのは形そのものではなく、獲物を狙うようなその気配に、である。
 明らかに聖羅を見定めようとしている目だった。
 口と手は休むことなくお菓子を摂取しているが、決して気を抜いているわけではないと聖羅は確信する。

「ダメ、といいますか……私は元の世界ではただの一般人でしたので……皆さんのような王族の方々に様付けされるのが申し訳ないです」

「んー。わかったにゃ。じゃあ……せいらんって呼ぶにゃ! せいらんも気楽にルーって呼んでいいにゃ。ボクの名前、言い辛いにゃ?」

 そうルレンティアが口にした際、テーナルクとアーミアが若干驚いたように見えた。
 聖羅はそのことを目の端に捉えつつ、どうしてふたりが驚いたのか理解できなかったので、ひとまずルレンティアの言うとおりに応じる。

「では、お言葉に甘えて……ルーさんと呼ばせていただきますね」

「にゃはは! そんな畏まった言葉使いも必要にゃいけど?」

「私はこれが自然体ですので、お気になさらないでください。……アーミアさんも、どうか楽にしてくださいね」

 その聖羅の言葉に、アーミアは少し思考を挟んだ後、神妙に頷いた。

「……わかった。わたしはセイラさん、と呼ばせてもらう」

「いやぁ、せいらんと仲良くなれそうで良かったにゃー」

 呑気にお菓子を頬張りつつ、ルレンティアが呟くが、それは本心からの言葉だろうと聖羅はわかっていた。
 恐らく事前に聖羅の人となりについての調査はしていたのだろうが、型破りなルレンティアの行動は、もし聖羅が気難しい相手だったら悪印象を与えかねない。
 それをわかっていて、それでも踏み込んで来たあたり、大胆不敵ではある。
 だが、その結果テーナルクに主導権を握られることなく、聖女キヨズミセイラとの交流を行うことに成功している。

(全力で最適解を獲りに来る人しかいないんでしょうかこの世界……いえ、私がそういう人とばかりと交流する羽目になっている、と考えるべきでしょうか……?)

 聖羅はそう考えつつ、三人の姫を見つめた。
 性格も気質も全く異なる三人だが、それぞれがそれぞれ、国の命運を握っている。
 聖羅のように流されてこの場に存在している一般人とは、心構えも何もかもが違うのだ。

「それにしても急なご来訪でしたけど……例の式典や会合はまだ先だったのでは?」

「そうですわね。準備などを考えても、まだしばらくは先の話になりますわ。日程すら決まっていないくらいですので」

 聖羅の疑問を、テーナルクが補足する。
 国の重鎮を集めなければならないのだ。当然、警備の関係や段取りの調整など、やるべきことは無数にあり、明日明後日にやろうといって出来ることではない。
 聖羅の疑問に対し、ルレンティアが答える。

「そりゃあ、せいらんと交流するためにゃ。式典や会合だけじゃわからないこともあるしにゃ」

「……わたしも同じ。一刻も早くセイラさんの人となりを知りたかった」

 ログアンは巨大な亀の背にある国家であり、死告龍を制御しうる聖女の存在の見極めは最重要事項だ。
 そのことは聖羅もテーナルクから聞いていたので、そうだと思ってはいた。

「ルィテとは親交があるからにゃ。『扉』が繋がっているのにゃ。だから来ようと思えばいつでも来れるのにゃ」

「……危うく衝突するところだった」

 苦い顔をしてアーミアが呟くと、ルレンティアはけらけらと笑う。

「考えることは同じだにゃあ。危うく来期の転移予算が吹っ飛ぶところだったにゃ! にゃっはは!」

「笑えない……ほんっっとうに笑えないから……っ」

 楽しげなルレンティアに対し、なんとも苦い顔をするアーミア。
 聖羅はその会話の内容が気にかかった。

「あの……衝突ってどういうことですか?」

「転移門のことは知っているかにゃ? 転移先の座標を決めるための門なんだけど、普通この門はいくつも用意しないにゃ」

「門を複数用意すればその分管理維持費も増えるし、門が多いということはそれだけ攻められる道も多いってことだから、国防的な意味でもなるべく少ないのが望ましい」

「それは、なんとなくわかります」

「でも出口が一カ所しかないから、稀に別々の国が同時に扉を開こうとしちゃうときがあるのにゃ。そうすると、転移魔法の衝突が起きて、両方の魔法が解除されてしまうにゃ」

「魔力は門を開こうとしたときに消費するものだから、もし衝突してしまったらその分の魔力が無駄になってしまう」

「ああ、なるほど……それは、物凄く辛いですね」

 聖羅は事情を理解して頷いた。
 転移門は国が計画を立てて開くものであり、そのための魔力という燃料を積み立てておく必要があるほどのものらしい。
 それが他の国のものと衝突して、無為に帰してしまえば、それは大損害だろう。

「そうならないよう、普段は国家間で連絡を取り合うんだけどにゃ。今回は急だったから、危うくログアンと同時刻に門を開くところだったにゃ」

「ルレンティアが連絡して来てくれて助かった……それはお礼を言っとく」

「にゃはは! 嫌な予感がしたからにゃ! 迷宮攻略じゃあるまいし、先か後かはそんなに問題じゃないしにゃー」

 ルレンティアは気楽に会話を繰り広げているが、転移するための魔力が無駄に消費されていたら、国が傾きかねないほどの大打撃を受けてしまっていたところだ。
 なにげに危ない綱渡りをしているのだった。
 国の命運をかけ、様々な努力を重ねていることを聖羅は感じ、その努力が少しでも報われて欲しいと思った。
 また、過剰に無駄な努力をさせないために、言っておくべきことがあった。

「……先ほども言いましたが、私は元の世界ではただの一般人でした。ですので、単刀直入に申し上げます」

 改まっての聖羅の発言に、三人が警戒を強めるのがわかる。
 それでも聖羅は言葉を止めない。

「私は聖女などと呼ばれていますが、リューさ……死告龍さんに対し、強制的に言うことを利かせられる特別な能力があるわけではありません。非常に繊細な事情があるため、理由は明かせませんが、ある理由から死告龍さんは私の言うことをある程度聞いてくれているだけ、だと思ってください」

 聖羅の言葉を、三人は黙って聞いていた。
 先ほどまで軽い調子だったルレンティアすら、真顔になっている。

「端的に言って、私は死告龍さんに見放される可能性が常にあります。不快な気持ちにさせるようなことをすればそうなる危険が常にあるのです。私としても、死告龍さんに無理を聞いてもらったり、お願いすることは極力したくないのです。あまり過度な期待はしないでください」

 聖羅はそう言ってから、これだけではあまりに冷淡すぎると思い、付け足す。

「ただ、私自身にはこの世界で生きていけるだけの力がありません。ゆえに、食事や住まいを提供してくださっているルィテ王国の皆さんには出来る限り恩を返したいと思っていますし、いかに別世界の人間とはいえ、たくさんの人が死んだり苦しんだりする様を見たいとは思いません。微力ながら出来ることはしたいと考えています」

 それは、聖羅としては正直すぎる心情の吐露だった。
 要は「自分に出来ることはしたいけど、死告龍に嫌われるのも怖いからやれることしかしないよ」という宣言だ。
 元の世界でこんなことをいえば弱みにつけ込まれ、言いように利用されるだけだろう。そうでなくとも、日和見主義と見られていい感情を抱かれないのは間違いない。
 それを頭ではわかっていて、聖羅はそれでも口にした。
 臆病で脆弱な自分が示せる、この世界の者達へのせめてもの誠意だと考えていたからだ。
 至って自分本位で、自分勝手な内容の宣言を受けた三人の姫は。

「セイラさん。お気持ちはわかりますが、もう少し伝え方というものがあると思いますの」

 テーナルクは額に手を当てて溜息を吐き、

「にゃはは! いいじゃないかてーなるん。ボクはかえって安心したにゃ」

 ルレンティアは軽い調子に戻ってお菓子を摘まみ、

「……」

 アーミアは何も言わないまま、黙考しているようだった。
 少なくとも軽蔑の視線を向けられるなど、極端に嫌われはしなかったようで、聖羅は逆に拍子抜けしてしまった。
 ルレンティアが新しいお菓子を口に運びつつ、言う。

「ところでせいらんの生まれた異世界って、どんな世界なんだにゃ? 差し支えなければ教えてほしいにゃ」

「あ、はい。それならいくらでも……」

 聖羅は自分が暮らしていた世界がどういう世界だったのか、説明することにした。
 すでにイージェルドやオルフィルドにも話している内容だったので、いまさら黙っておく必要もない。
 その後、四人の女性のお茶会はそれぞれの話を交えながら、表面上は穏やかに進行していったのだった。

つづく

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第三章 2


 三人の姫と、ある程度の雑談を交わした後、聖羅は死告龍との触れ合いの時間が来たため、一度部屋を出て行った。
 本当なら、テーナルクも死告龍との顔合わせをする予定だったが、ルレンティアとアーミアが急遽やって来たため、先延ばしにすることにしている。
 部屋の主がいなくなってしばらくして、最初に沈黙を破ったのは、意外にも口数の少ないアーミアであった。

「……ルレンティア。あなたの感想が聞きたい」

「にゃ? あーみん、それは何に対する感想かにゃ? そのドレス姿についてなら、めっちゃ可愛いから、自信を持つにゃ!」

 アーミアとルレンティアが現在身に付けているのは、聖女風ドレスと呼ばれているもので、聖女キヨズミセイラの衣装を真似たものである。
 要はバスタオルを外せない聖羅の苦肉の策である、一枚の布で胸を覆い、それとは分離した形の腰布を纏うというものだ。聖羅は裸足だが、アーミアとルレンティアはくるぶしまでの靴を履いていた。
 その構造上、極めて肌の露出が多いのだ。
 それをルレンティアの言葉によって再認識させられたアーミアは、頬を赤く染めながら彼女を睨む。

「ふざけないで。いつもならしょうがないから付き合ってあげるけど、いまはダメ。真面目に答えて」

「にゃははは! ごめんにゃ! 性分だから許してにゃ」

 ルレンティアは最後のお菓子を摘まんで口の中に放り込み、租借して飲み込んでから言った。

「結論からはっきり言うにゃ――わからない」

 真面目な顔をしてルレンティアが口にした結論に、アーミアとテーナルクが息を呑む。
 そして、深刻な顔をして額に手を当てた。

「ルレンティアでもわからないなんて……」

「どうなっていますの……?」

「……考えられるのは異世界の人間だから、かにゃあ。もし、意識して内心を悟らせていないのだとすれば……せいらんはうちの百戦錬磨の商人よりも厄介な相手ということになるにゃ」

 ルレンティアが深々と溜息を吐く。
 その予測に、テーナルクとアーミアは顔を見合わせた。

「さすがにそれはないと思いたいですわね……」

「でも、その可能性はある。わざわざあんなことを口にするくらいだし……」

 アーミアは聖羅がわざわざ口に出して、自分たちにとって都合のいいことを言ったことに違和感を覚えていた。
 この世界の者達にとって、口に出す言葉というものは重い。
 言質を取られる、というのは聖羅の世界でもある言葉だが、この世界では重みが違う。
 口約束が血判状並みの重みがあるのだ。その感覚は聖羅にはなく、この世界の姫たちからすれば、聖羅はその重い約束を一方的に交わしたという形になる。

「てーなるん。せいらんがこの世界で生きていく力がないというのは本当かにゃ?」

「事実ですわね。セイラさんは魔法が使えません。誰もがその身に宿しているはずの魔力を一切持っていないのですわ。……死告龍の庇護がなければ、一般的な子供にも劣る戦闘力しかないと思います」

「……つまり、セイラさんはそれを自覚していて、あんなことを言ったということ?」

「ありえない話ではないにゃ。ああやって全てを委ねる約束を交わして、こちらの善意に委ねる……死告龍の庇護がいつまで続くかわからない以上、下手な扱いは国の滅亡に繋がるにゃ。必然、こちらはせいらんを丁重に扱うしかなくにゃる……いざ裏切られた時には、遠慮なく死告龍をけしかけられる……というところかにゃ」

「でも、セイラさんは人が死ぬところは見たくないと仰っていたけど?」

「それこそ罠だと見てるにゃ。せいらん本人に力がないなら、死告龍にやらせるしかないにゃろ? つまり、自分は見る必要はないにゃ」

「……ですね。セイラさんはあくまでも『できることはする』という言い方しかしませんでした。元の世界では一般人、などとおっしゃっていましたが、巧妙に言質を取らせないようにする言い方といい、交渉に長けていることは明らかですわね」

「そんな人が死告龍の庇護を得ている……下手すれば三国とも共倒れになる可能性まである」

 神妙な様子で頷きあう三人。

「……事は極めて危うい状態にあると言えますわ。普段お互いに思う事はありますが……ひとまず、事が落ち着くまではこの件に関して、全面的に協力するということでいかがでしょう?」

「異論はないにゃ。明確に期限を切ることは難しいにゃが、三国から死告龍がいなくなるまで、そうでなければ、時期を見て約束を結び直す、ということでどうにゃ?」

「……概ね賛成だけど、いなくなった後、約束を終えるのはみんなで話し合いの場を設けてからに。先走られても困る」

「にゃはは! バレちゃったにゃ。まあ安心するにゃ。せいらんはともかく……死告龍をどうにかしにゃいと、動きようがないからにゃあ」

 油断も隙も無いルレンティアに、テーナルクとアーミアは溜息を吐いた。
 テーナルクはそんなルレンティアに探るような視線を向ける。

「本当に、わからなかったんですわよね?」

「誓ってもいいにゃ。せいらんの内心はまったく掴めなかったにゃ。言葉だけを聞けば善人にゃが……それこそ、魔力の込められていない契約書って感じだにゃあ」

「本当に……やりにくいですわね……どう判断したものか」

「……ひとまずは、信用するしかない」

 そうアーミアが纏めて、二人の姫も頷く。
 こうして聖羅の真意を置き去りに、三国の姫は結束を強めるのであった。




 聖羅が深く溜息を吐くと、大人しく聖羅に撫でられていた死告龍・リューは不思議そうに首をもたげた。
 無論、即死の効果が発揮しないよう、聖羅に触れないようにしている。

『セイラ、どうしたの?』

「ああ、すみません。リューさん……なんでもありません。少し気疲れしただけです。人付き合いとはそういうものなので、リューさんは気にしなくても大丈夫ですよ」

 こう言っておかないと、リューが三国の姫たちに危害を加えかねなかったため、聖羅はそういっておいた。
 リューは聖羅がそういうのであれば、という様子で首を聖羅の傍に戻す。

『ふうん……リューにはよくわかんないや』

 聖羅がよくわからないことに思考を割いていることに対してか、少し拗ねたようにリューは呟く。
 そんなリューの頭部を撫でてあげながら、聖羅は苦笑を浮かべた。

(本当に……リューさんはもっと受け入れられててもおかしくないと思うのですが……)

 それなりに時間をかけて触れ合い、共に過ごしてきた聖羅にとって、リューはもはや恐怖の対象ではない。
 無論、体格や能力上気をつけなければならないことは多いが、それさえ気をつければ、あとは普通の人付き合いと変わらないと思っていた。

(制御の出来ない乱暴者ならともかく、リューさんは普通に大人しいですしね……)

 これは聖羅の視点からすれば、仕方のない勘違いである。
 聖羅は目的を果たしたあとのリュー、つまり『聖羅というツガイの候補』を見つけたあとのリューしか知らないからだ。
 それまでのリューは強い者がいれば飛んで行き、挨拶代わりに即死のブレスを放つ、まさに天災のような存在だった。
 そのことを聖羅は知識としては知っているが、実感はない。

『ねー、セイラー。ここにいるのが疲れるなら、リューの狩りについてくる?』

「……気晴らし、というのは少し惹かれますが……しばらくはやめておきます。色々準備しないといけないこともありますしね。気晴らしがしたくなったら、お願いしてもいいですか?」

『まっかせて! リューのだいすきな狩り場に連れていってあげる! その狩り場は、大きな滝が綺麗でね――』

 聖羅のことを気遣い、自分が知る素晴らしい景色を惜しげも無く見せてくれようとするリュー。
 その暖かさに触れ、聖羅の死告龍・リューに対する印象はどんどん一般からはかけ離れたものになっていくのであった。




 翌日。
 聖羅は三国の姫をリューに紹介するべく、まずは自分の部屋に大妖精のヨウを呼び出していた。

「ヨウさん。こちらのお二人が北のログアンのアーミアさんと、南のフィルカードのルレンティアさんです。いまから中庭にリューさんに挨拶しに行きますので、先触れをお願いできますか?」

『いいわよ。ただ……あなたたち、相応に覚悟しておきなさいね』

 ヨウはそう言ってその場から消えた。
 アーミアとルレンティアは大妖精に小間使いのようなことを頼む聖羅に、信じられない思いだったが、かといって普通の使用人を死告龍のいる中庭に向かわせることは出来ないとわかっているので、何も言えなかった。
 一方の聖羅は、ヨウがわざわざ警告を出したということに首を傾げつつ、三人を促す。

「では行きましょうか。リューさんは大人しい方ですから、心配しなくても大丈夫ですよ」

 聖羅の言葉は本心からの言葉だったが、リューのこれまでの暴れようを知る三人からしてみれば、頷きかねる発言である。
 三人はそれぞれ、曖昧な笑みを浮かべることしかできなかった。

 そして、三人はついに死告龍と対面する。

「リューさん。おはようございます。こちらがお話ししていた、お三方です」

 リューはいつも通り、中庭に身体を丸めて寝そべっていた。
 リラックスした無防備な体勢。その長い首を伸ばして、聖羅の傍に顔を寄せ、撫でることを求める。
 聖羅はいつも通りのリューに苦笑しながら、その鼻先を撫でてあげた。
 三人の中で、最初に前に進み出たのはテーナルクであった。ルィテ王族の矜持として、自分がまず口を開かなければならないと決意していたのだろう。

「お、お初にお目にかかりますわ、死告龍様。わたくしは――」

『ルィテのテーナルク、ログアンのアーミア、フィルカードのルレンティア……でしょ? セイラから聞いてる』

 リューはテーナルクの自己紹介を遮り、そう口にした。
 テーナルクは気圧されたように口をつぐみ、他のふたりも口を開くことはできなかった。

『セイラを傷つけたら許さないけど、そうじゃないなら好きにしたらいい』

 素っ気ないリューの言葉に、聖羅は戸惑う。

「リューさん。そんな言い方をしなくても……この人たちとも、仲良くしてあげて欲しいのですが……」

 リューには言えないが、聖羅はいつか自分の世界に帰るつもりである。
 そうなった後、リューが他の人間とも仲良くなれていれば、あるいはリューとツガイになってもいいという存在が出てくるかもしれない。
 リューにも、単に幸運なだけの自分より、人格的に尊重し合える存在とツガイになって欲しいというのが、聖羅の考えであった。
 しかし、その思いはリューによって否定される。

『セイラ。それはたぶん無理じゃないかな。だって――』

 若干の諦めを含んだ声音で、リューは尻尾の先でルレンティアを指し示す。

『そこの猫なんて、いまにも倒れそうだよ?』

「え?」

 指摘された聖羅が振り返ると、聖羅とはあれだけ快活に話していたルレンティアが、真っ青な顔をしていた。
 テーナルクも同様に顔色を悪くしており、唯一表情を変えていないのは、アーミアだけであった。
 そのアーミアはいまにも崩れ落ちそうな様子のルレンティアを支えている。

「えっ、ちょっ、ルレンティアさん!?」

「ご、ごめんにゃあ……せいらん。ちょっと、これはボクにはキツいにゃあ……」

 いまにも目を回して倒れそうなルレンティアに手を貸し、聖羅は急いで中庭から離れる。
 リューはわかっていたと言わんばかりの様子で、なにごともなかったように元の姿勢に戻ってしまった。

「どういうこと、なんでしょうか?」

 部屋に戻り、自分のベッドにルレンティアを寝かせた聖羅は、三人に尋ねる。
 気分が悪そうにしているルレンティアに代わり、その疑問に答えたのはアーミアだった。

「セイラさんには実感しにくいのかもしれないけど、死告龍……様の気配というのはとても強い。ルレンティアはそういうのに特に敏感な体質だから、こうなった」

「わたくしたちもそれなりに鋭い方ではあるので、少なからず影響はありますわ……アーミア様はグランドジーグ様との交流があるので、慣れていらっしゃるようですが」

「……わたしでも、死告龍様は怖い。グランドジーグ様は穏やかだけど、死告龍様の気配は刺々しいから」

「うー……これでも対策はしてきたんだけどにゃぁ……全然効果なかったにゃ……」

 かなりグロッキーになっている様子のルレンティア。他のふたりも、決して気分がいいとは言えない状態にあるようだった。
 そんな三人を見回して、聖羅は率直に感じたことを言う。

「あの……三人がこうなってしまうのであれば……行進や会合なんて、とても出来ないのでは……?」

「それは大丈夫ですわ。あそこまで接近することはないですし……わたくしたちの気分が悪くなったのは、それだけ魔力感知に長けているからですの」

「普通の人なら、もっと平気なはず」

「これでもボクたちは姫だからにゃあ……魔法の扱いに長けた者ほど、死告龍様の前には立てないにゃ」

「そうなんですか……あれ? イージェルドさんやオルフィルドさんは普通に接しておられましたよね?」

 聖羅はそう疑問を口にする。
 その疑問には、テーナルクが応えた。

「お二人はルィテの最重要人物ですわ。当然、守りも相応の魔法具で固めております。直接戦闘ではその守りも紙のようなものですが……」

「ボクも持てる限りの魔法具は持ってるんだけどにゃあ」

「ルレンティアはそれを差し引いても、感覚が鋭すぎるから」

「ああ、なるほど……」

 聖羅は納得すると同時に、「リューと友好的な関係を増やす」計画がいきなり頓挫したことを悟る。
 性格的な不一致ならまだしも、体質的な不一致はどうしようもならない。
 かといって、三国の姫を差し置いて貴族や使用人をリューと交流させるわけにはいかないだろう。
 聖羅が頭を悩ませているところに、さらに頭を悩ませる要素が増えた。
 聖羅の部屋に慌ただしくやって来たクラースが、こう告げたからだ。

「東のザズグドス帝国より特使が参られました! バラノ書記官が、キヨズミ様と死告龍様にお会いしたいとのことです!」

つづく

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第三章 3


 ルィテ王国の東に位置するザズグドス帝国は、徹底した実力主義の軍国である。

 その恐ろしいまでに統制されつつ、一癖も二癖もある英傑が揃った国家は、世界最強の名を欲しいままにしている。
 侵略を仕掛ける国策のため、周辺諸国からは蛮族国家と揶揄されることもあるが、それはその強大なる軍事力を恐れており、揶揄することしかできないということでもあった。
 本当にただの蛮族であるならば、いくらでも策謀の余地があるが、彼らには軍略的政治的な面でも優秀な人材が揃っており、皇帝を中心とした牙城は容易なことでは崩れない。

 書記官の地位にいるバラノという少女は、政治分野の代表的な鬼才であった。

 若干18歳という若さで、その牙城の一角を占める存在となっていることからも、その才覚の高さはうかがい知れる。
 そのたぐいまれなる才覚を幼い頃より発揮し、辺境の農村出にも関わらず、瞬く間に出世街道を駆け上がった才女。
 軍略・策略の立案において極めて優秀な彼女は現在。

 聖女キヨズミセイラの部屋で、真っ赤になった顔を両手で覆って蹲っていた。

 蹲るバラノの傍で右往左往しているのは、聖女キヨズミセイラその人である。いつもの腰にバスタオルを巻き、胸は別の布で覆うという露出度の高い格好をしている。
 普通のドレスを着て同席しているテーナルクは、ざまをみろとばかりに飄々とした様子で、カップを傾けていた。

「なんですかそれ……聖女様自身、その格好は不本意とか……!」

 呻くように呟くバラノに、聖羅はなんと声をかけていいのかわからなかった。
 バラノは、聖羅のいまの格好を模した「聖女風ドレス」を身に付けている。彼女は出来る限り迅速に、聖羅との距離感を埋めるべく、そのドレスをルィテ王国から取り寄せていた。
 その行動自体は北のログアンの姫・アーミアや南のフィルカードの姫・ルレンティアと同じであるが、彼女たちは転移門があるため、城に近いところから出てこれた。
 しかし休戦協定を結んだとはいえ、敵対国のザズグドスの一員であるバラノは転移門は使えない。隠すものはないということを示すために、幌付きの馬車も使えなかったため、首都に入って城に至るまで、衆人環視の中をその格好で移動する羽目になった。
 その羞恥足るや、うら若きバラノには相当に堪えた。その上で、それが大した意味もない行動だったと知ってしまったのだ。精神的なダメージは極めて大きい。

「ええと……その、なんだかすみません……」

 聖羅の所為では無いはずなのだが、申し訳なく感じてしまった聖羅は、そう詫びることしかできない。

「セイラさんが謝ることではございませんわ。下調べ不足、という奴ですわね」

 そんな聖羅にフォローを入れる振りをしつつ、ここぞとばかりにバラノを煽るのは、ルィテ王国第一王女のテーナルク。
 もちろん、事前にバラノが調べることなど出来ないことであることは承知の上での発言である。
 聖羅に関する情報統制は完璧に行われているため、聖羅が身に付けている衣装が「彼女自身が出来ればしたくない格好」であることなど、わかるわけがないのだ。
 異世界から来たと言われているなら、風土や文化が違うという予想は誰もがすることであり、実際バラノもその衣装に対してはそういうものだと考えていた。
 さらにルィテ王国では実際に「聖女風ドレス」などという形で作られているのだから、実際は嫌がっているなどと予想出来るはずもない。

「……良い性格をしていますね、あなた」

「お褒めにあずかり光栄ですわ」

 微笑みながら睨む、という器用なことをやってのける美少女ふたり。
 そんな睨み合いの脇においておかれることになった聖羅は、どうしたらいいのかわからず、視線を右往左往させることしか出来ない。
 幸い、二人も聖羅を放置してやりあう気はないらしく、バラノが先に視線を外し、深く息を吐いた。

「もういいです。真意を公にするつもりはないのでしょうし、この衣装もそういうものだと認識されることでしょう」

「……あー、まあ、そうですね」

 聖羅は曖昧にしか肯定しなかったが、バラノは安心したように胸をなで下ろす。
 テーナルクは少々残念そうな顔をしていたが、この話をそれほど引き摺るつもりはなかったのか、特に何も言うことはなかった。
 そもそも「聖女風ドレス」というものは、聖羅がこの姿でいなければならない理由があるが、その姿に羞恥心を覚える聖羅のために意図的に広めようとされているものだ。
 周りが普通の格好をしている中で水着でいるのは恥ずかしくとも、周りも水着姿なら恥ずかしくはならないだろう。集団心理というものを利用し、聖羅の負担を軽減するための処置なのだ。聖羅としては、異世界に文化を間違った形で広めるのは不本意であったのだが、背に腹は替えられない。
 だから一部を除き、真意を明らかにすることはまずあり得ない。
 テーナルクはバラノにも釘を刺した。

「貴女も、決して口外することのないようにしてくださいませね」

「言われなくとも。私の目的は聖女様とお近づきになることのみ。こんな程度のことで命を賭けた情報戦を仕掛ける気はありません」

 バラノには「ルィテ王国の損失になるようなことを一切しない」という、命をかけた契約が国王であるイージェルドとの間に交わされていた。
 これは敵国の書記官であるバラノが、式典や会合に先んじてルィテ王国入りを希望した際に、イージェルドが出した条件であった。
 命をかけた契約は絶対であり、もしも不用意な行動を取れば、その時点でバラノの命は失われる。
 しかもこの契約には、意図的に期限が設けられていなかった。
 仮にルィテ王国から死告龍がいなくなっても、契約は続くのだ。

 だというのに、バラノは躊躇無くその契約を交わした。

 契約を交わした以上、今後バラノはルィテ王国を害することはできない。
 戦術家にして軍略家たるバラノが今後ルィテ王国攻略にその力を振るえないことは大きな損失だ。
 だが、それを差し引いても、聖女キヨズミセイラとの交流は優先すべき事柄だと、バラノは戦略家として判断したのである。

「もちろん、私の命を賭けてもいい情報を掴んだらその限りではありません。私に命を投げ出させるような、間抜けな情報漏洩はしないでくださいね?」

「あら、それは魅力的なお話しですわね。思わず口が滑ってしまいそうですわ」

 皮肉に皮肉が返る。二人して微笑んでいるが、蚊帳の外に置かれた聖羅にしてみれば、笑える状況ではない。
 それでも、いうべきことはあった。

「ええと……バラノさん。これはアーミアさんやルー……ルレンティアさんにもお伝えしたのですが」

 死告龍に強制的に言うことを聞かせれるわけではないこと。死告龍の機嫌を損ねて嫌われるのは避けたいので、何かしらのお願いをすることもしたくないこと。
 そのことを聖羅は正直に告げる。決して自分は死告龍を自在に扱えるわけではない、ということは言わなければならなかった。
 だが、バラノはそのことを聴いても全く問題ない様子だった。

「むしろ、安心しました。死告龍という埒外の力を自在に振るえるような一個人が誕生したとしたら、その方が問題ですから」

「は、はぁ……そういっていただけると助かりますけど……」

「それに、それでもあなたの価値が揺らぐことにはなりません。死告龍との橋渡しが出来る存在はそれだけ貴重なのです」

 大人しい死告龍・リューしか知らない聖羅には、実感の乏しいことではあるが。

「ザズグドス帝国の書記官としてこの国には来ましたが、この場にいる私はバラノという一個人にすぎません。仲良くしていただけると嬉しいです。私は農村の出身でして、儀礼には疎いところはあるのですが……その点はご容赦いただけますと幸いです」

 朗らかに告げるバラノ。
 聖羅は思わずその内容に反応してしまっていた。

「農村出身……ですか」

「はい。ザズグドス帝国は実力主義ですので、農民でも個人が努力すれば取り立ててもらえるのです」

「……そういうところは、ルィテでも見習いたいところですわね」

 テーナルクはそう言いつつ、内心苦い思いをしていた。
 聖羅が元の世界において一般人の立場にあったというのは、本人から何度も聞かされたことであるし、所作を見れば貴族的な教育を受けていないことは明らかだ。
 バラノはそれを一目で見抜いて、共感させるためにわざと農村出身だということを聖羅に告げたに違いなかった。
 普通、上級階級に存在するものに対し、農村出身であると明かすメリットはない。だというのにバラノはそこにあえて踏み込み、そしてまんまと聖羅に共感を抱かせることに成功している。

(まずいですわね……このままだと、バラノがセイラさんと仲良くなりすぎる可能性が出てきましたわ……いくら契約で縛っているとはいえ……セイラさんと仲良くなることをルィテ王国の不利益と解釈するのはさすがに強引すぎますし……)

 バラノは慎重で狡猾な戦略家であると同時に、直感と閃きに頼った奇策に出ることも躊躇しない、両極端の性質を持つ。
 貴族社会の政治力に自信を持つテーナルクからすれば、もっともやりにくい相手であることは確かだった。

(……いえ、わたくしは何を弱気になっていますの。アーミア様にもルレンティア様にも、バラノにも負けてはいられませんわ。ルィテ王国の王女として……!)

 負けん気の強いテーナルクが対抗意識を燃やす中、不意にバラノが話題を変えた。

「ところで……他のおふたりは、いつまで聞き耳を立てているつもりですか?」

 その指摘に、室内に緊張が走る。

「……他のおふたり、とはなんのことですの?」

「とぼけないでください。多少反則的な手を使ったとはいえ、私がここにこうしているのに、ログアンやフィルカードのお姫様方が動いていないわけがありません。ルィテと友好関係にあるあの二国であれば、転移門も使えますし」

 言いながらバラノは寝室側に続くドアを見た。
 その向こう側に誰かがいると確信している様子で。

「私の出方をうかがっておられるのかもしれませんが、それなら直接言葉を交わした方が早いでしょう。さあ――お入りください」

 舌戦に絶対の自信を持っているのか、寝室側のドアに向け、自信満々に告げるバラノ。
 それに応えるように、廊下側の扉が開いた。
 部屋に入って来たのは、不思議そうな顔をしているログアンのアーミアであった。

「……ノックする前に反応があってびっくりした」

 その視線が、バラノを捉える。
 バラノは思いも寄らない方向からアーミアが出て来たことに驚いて、ぽかんと間の抜けた顔を浮かべていた。
 そんなバラノを見て、アーミアが不思議そうにしつつも挨拶をする。

「ザズグドスのバラノ様、お久しぶりですね」

「え、ええ。……席を外していたのですね」

 なんとも気まずい様子で呟くバラノ。
 そんなバラノに、聖羅が悪気なく追い打ちをかけた。

「あの……バラノさん。ルレンティアさんなんですが……確かにあちらの部屋にはいらっしゃいますが、いま少々体調を崩されておりまして……恐らく、寝ていらっしゃるかと」

「……なんで人の部屋で寝てるんですかあのお姫様は!」

「えっと、私がそう勧めたんです……ごめんなさい……」

 アーミアとルレンティアの二人が聞き耳を立てているはず、と自信を持って宣言してしまったバラノは、それを外してしまい、顔を真っ赤にして恥じらっていた。
 そんなバラノを宥めるのは聖羅やアーミアに任せつつ、テーナルクはバラノに対する警戒を強めていた。

(結果的に予想を外した形でしたが……いつものルレンティア様なら、聞き耳を立てていておかしくありませんわ。アーミア様もそれに巻き込まれていたでしょう……予想は極めて正確であったと言わざるを得ません)

 たまたま死告龍との邂逅の後で、ルレンティアが体調を崩していたからこそ、予想を外しただけであって、十分な精度で予想はされていた。
 そもそも、ルレンティアとアーミアがこの国に来ていることを知る者はまだ少ない。騒ぎになったため、数日もすれば知れ渡ることだが、敵対国のザズグドスがすぐに知れることではない。
 聖女の一件がそれだけ大事ということは事実だが、すでにここにいることまで察されているというのは、バラノの先読みが優秀な証拠である。

(まさか、この一連の流れも全て計算……なのでは?)

 そうテーナルクが思ったのも、それだけ優秀なはずのバラノが不用意な恥を搔いていると思ったからだった。
 聖女風ドレスを着たまま街中を来たのも、考えてみればおかしな話である。
 ドレスを着るというのは、聖羅に仲間意識を抱かせ、なるべく早く親しくなるためのものだ。だが、それを何も首都に入る前から着ている必要はない。
 聖羅が許可したから当日に会えているだけで、本来なら数日は待つことになるだろうし、そうでなくとも身支度を調える時間くらいはある。
 城に入ってから着替えればいいだけのことなのだ。

(あえて衆人環視の目に触れることによって、恥を搔き、同じように恥ずかしい想いをしているセイラさんに共感を抱かせる……効果としては満点ですわ)

 先ほど外した予想も、口にする必要はなかったはずだった。
 確かに完璧に当たれば牽制として活きたかもしれないが、実際は外している。
 そもそも、一般的な上流階級の常識で考えれば、人の部屋の寝室に息を潜めて隠れているはずがない。
 聖羅やルレンティアの性格を読み切ったとすれば凄まじいの一言だが、分が悪い賭けだろう。

(本当は予想を当てるつもりなんて全くなくて、情けない姿を見せて、セイラさんに同情心を抱かせる策略……ありえますわ)

 テーナルクはそう思いつつ、もっと恐ろしい可能性にも思い至っていた。

(本人にそんなつもりはなく、自然体でそれをやっているのだとしたら……これは、本当に厄介な相手ですわね……)

 聖羅との交流を続けながら、その他の姫たちが優位に立ちすぎないように、手綱を握っていかなければならない。
 自分の役割が、ますます難しいことになっていくことを知ったテーナルクだった。

つづく

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第三章 おわり

 ログアンの姫神子・アーミアは、聖女・清澄聖羅と二人っきりになっていた。
 ザズグドス帝国の書記官・バラノに部屋が用意され、ルィテ王国の第一王女・テーナルクがそこにバラノを案内しに席を立っているためだ。
 普通に考えれば、部屋の案内など使用人に任せておけばいい話であるため、わざわざテーナルクが案内に席を立ったのは、聖羅のいないところで過激なやり取りをするためだろう。
 フィルカードの姫・ルレンティアはいまだ復活しておらず、結果としてアーミアと聖羅が残っているのである。

「…………」

「…………」

 部屋には沈黙が流れていた。アーミアは他の三人と違い、口が達者な方ではない。
 他の三人であれば聖羅を退屈させないように何かしらの話題を振っていただろうが、アーミアは特にその気はなかった。
 そもそも、アーミアの目的は聖羅と話し、その内容を聞いたことでほぼ達成されているに等しかったためだ。

 聖羅曰く「死告龍に命令することは出来ず、何かをお願いするつもりもない」。

 これはアーミアにとっては理想的な答えだった。
 彼女にとって避けるべきことはただ一つ。守護亀・グランドジーグが死ぬことだ。
 死告龍が気まぐれでもグランドジーグを攻撃すれば、ログアンはその時点で壊滅する。
 その死告龍がルィテに留まり、しかも留めている存在が積極的に言うことをきかせられないとなれば、現状維持で全く構わないのだ。
 ゆえに、アーミアが聖羅との交流を焦る意味は全くなく、落ちついて構えることができていた。

 そしてそれは、聖羅にとってもいい効果を発揮していた。

 そもそも聖羅はただの一般人であり、本人からしてみれば姫やら王女やらといった存在は雲上人そのものである。そんな彼女たちに気を遣われているという状況そのものが、聖羅にとっては心苦しく、緊張することだった。
 もしも本人が何かを成し得た結果、そう扱われているのだとすればまた違うのだが、聖羅にしてみれば、買いもせずに道ばたで偶然拾った宝くじが一等を当ててしまったような状況である。
 実情はさておき、自分にそこまで気を遣われる価値はないと思うのが自然であった。
 ゆえに、アーミアのマイペースな態度が、彼女を安心させるのだ。

「……アーミアさん、お聞きしてもいいですか?」

「なんなりと」

「アーミアさんの住んでいる国……ログアンは、大きな亀さんの上にある国だと聞きました。その亀さんとは、どのように……いえ、どのような話をされているのでしょうか?」

「グランドジーグ様とどんな話をしているか……?」

 アーミアは少し考える。国そのものであるグランドジーグとの会話は、八割方が国にとって必要な、いわば業務連絡である。
 どの方向に進むか、速度はどうするか、敵になり得る存在の情報、寄生生物が潜んでいないかなど、重要な話も多い。国家機密と言っても過言ではない内容のため、おいそれと人に教えることはできない内容だった。
 だが、聖羅が聴きたいのはそういう話ではないのだろうとアーミアは察する。

「そう、ね……わたしはまだ姫神子になって日が浅いから、そこまで砕けた話をしたことはないのだけど、歴代の姫神子の中には日々の他愛ない雑談……言ってしまえば無駄な話を長々としすぎて、グランドジーグ様を困らせた姫神子もいると聴いている」

「お、怒らせちゃったんですか?」

「話は面白かったらしいのだけど、グランドジーグ様が笑うと……その……」

「あ。なるほど……」

 ログアンはグランドジーグの上に存在する国であり、もしグランドジーグが笑いが理由であれなんであれ身体を揺らしたらどうなるか。
 聖羅は地震大国出身ゆえに、アーミアが言い淀んだことを正確に理解できていた。

「……でも、そうだとするとグランドジーグさんは不用意に笑ったり怒ったりできないってことですよね」

「そうなる」

「えっと……こんなこと言っていいのかわからないんですけど……それは、辛くないんでしょうか?」

「わたしにはわかりかねる。だけど、それも含めての助け合う約束。辛いだけではないと信じてる。姫神子の役割は一定の年月で交代するのだけど、引退した姫神子たちのこともグランドジーグ様は気にかけてくださっている」

 役割だけの関係ではないと、アーミアは思っている。
 そういうアーミアの言葉を聖羅は真剣に聴いていた。アーミアは聖羅の思惑を大体理解していたが、あえて口に出して尋ねた。

「ところで……なぜそんなことを聞くの?」

「あ、その……リューさ……死告龍さんとの会話の、ヒントにさせていただければなと思いまして……毎日会って、話はしているんですけど……ほんとうに当たり障りのない話しかできなくて。知らない間に不愉快にさせていないかと」

 聖羅とアーミアに共通するのは、人外の存在と日常的に会話をしているという点だ。
 その立場も、状況も、相手の性質も、あらゆる面で違いは多いが、人外に相対するという点は確実に共通している。
 アーミアは想像していた通りの理由であることに安心しつつ、聖羅に言葉をかける。

「基本的に魔族という存在は仲間意識が非常に強いと言われている。一度でも仲間として認められたのであれば、よほどのことが無い限り再度敵対することはまずない」

「そう、なんですか?」

 聖羅が懐疑的になってしまうのは、信用しかけていたヨウにバスタオルを奪われるという事件があったためである。
 実のところあの事件に関しては、ヨウが初めから裏切りを視野に入れ、言葉が通じないことを利用して確定的な言葉で約束を交わしていなかった、という特殊な例であった。
 また、ヨウの目的はあくまでも死告龍への復讐であり、聖羅そのものを害する目的ではなかった。現にバスタオルの加護を失った聖羅を建物の崩壊から守ったのはヨウだ。
 そんな特殊な例を最初に体感してしまったのは、聖羅にとって不幸であるといえる。

「そう。魔族というと、大抵の国で不倶戴天の敵と考えられている。ログアンだって、グランドジーグ様以外の魔族に関しては似たようなもの。でも……個々の繋がりなら、通じ合えることもあると、わたしは思う」

 そうアーミアは話をまとめた。

「もし、セイラさんがより死告龍様と仲良くなりたいと思うのであれば……自分の好きなものや好きなこととか、なんでもいいから話してみるといい」

「そんなことで、いいんですか?」

 意外そうに目を丸くする聖羅に対し、アーミアは頷いた。

「大抵、人の領域に踏み込んで存在する魔族というのは、人に興味があってそうしている存在だから。人の営みの話をされて、嫌がる者はいないと思う」

「な、なるほど……好きなもの……好きなこと……」

「……不安ならわたしたちで練習するといい。セイラさんは何が好き?」

 そうアーミアに問われ、聖羅は少し顔を歪めた。

「改めて考えると、あまり思いつかないんですよね……甘いものは好きですし、綺麗な景色を見るのも好きですが」

 聖羅は良い意味でも悪い意味でも普通の人間だった。
 何かひとつのことに邁進するほど、突き詰めて好きなものがあるわけでもなく。
 それなりに流行に乗っかって行動することはあれど、何かのファンと言えるほどのめり込んだ記憶もなく。
 もしも自分に物語上の役割が与えられるなら、通行人Aというのが一番妥当な立ち位置なのだと、聖羅は考えている。

(プロフィール欄が「特になし」で埋まる登場人物とか、ありえませんよね……)

 無味乾燥な人間にもほどがあると本人も思っているのだが、それが事実なのだから如何ともしがたい。
 普段は気にしないように努めていることを改めて意識してしまい、聖羅の気持ちは微妙に落ち込んでしまう。

「それなら……逆に、嫌いなものは?」

 聖羅の様子を見て、踏み込んだ話をしない方がいいと判断したアーミアは、そう話題の転換を試みた。
 だが、その問いにも聖羅は明確な答えを持ち合わせていなかった。
 毒虫や犯罪者など、身の危険を感じるレベルの不快さや不愉快さとはまた違う話題ゆえに、聖羅は悩む。

「そう、ですね……嫌いな、もの……」

 自分の内面を探っていた聖羅は、不意に自分がもっとも不快に感じた瞬間の記憶を思い出した。あるいは思い出してしまった。
 それはとある日の何気ない日常の話。それなりに仲が良かった友達と遊びに行こうと約束したのにも関わらず、友達にその約束をすっぽかされた時の記憶。
 後日その友人は悪びれもせずに「忘れてた」と言ったため、それ以後その友達とは疎遠になってしまった。
 好きも嫌いも薄い聖羅だからこそ、その時の燃えたぎるような怒りと嫌悪感は、明確に記憶している。
 だから。

「約束を守らない人――でしょうか」

 聖羅がそう口にするのは自然なことだった。
 それがこの世界の者にとって、どれほど不自然な答えであるかなど、考えもせずに。




 死告龍・リューは王城の中庭で微睡んでいた。
 魔族は夢を見ない。それがどうしてなのか、魔族たちの中にも説明できる者はいなかったが、それが純然たる事実である。
 ゆえに彼らにとって睡眠とは、精神の安定と休息以上の意味を持たない。
 魔族が微睡んでいるという状態は、それだけ気を緩めている――やることがなくて寝るくらいしかないという、安直に言えば暇な証拠であった。
 そんなリューに向け、ヨウが苦笑気味に声をかけた。

『そんなに暇なら、狩りにでも行ってくればいいのに。ここ一週間ほど、全く狩りに出てないでしょう?』

 そのヨウに、リューは瞼を半分閉じた眼を向ける。

『セイラが……いつ、気晴らしに行きたい、っていうか……わからない、もの……』

 今にも寝てしまいそうなほどゆっくりとした調子で言うリューに、ヨウは呆れてしまう。
 死告龍と呼ばれ、世界中から恐れられている存在とは思えない献身ぶりだった。

『それならそれでもいいのだけど……』

 ドラゴンであるリューは、多少の絶食など物ともしない。
 そもそも魔族にとっては食事自体が、動きをより良くするために取るものであって、それがなければ即時に命に関わる、という類いのものではないのだ。
 ヨウが全く食事を取っていないのは恒常的に森から魔力の供給を得ているからだが、ドラゴンであるリューは身体に蓄えられる魔力の総量が桁外れに多い。
 戦う必要があるならばともかく、ただじっとしているだけならば、それこそ数百年単位で何もしなくても問題なかった。
 寝ている竜を起こしたくはないヨウであったが、伝えるべきことは伝えておく。

『またひとり、セイラと話をしに来た人間が増えたわ』

 ヨウが告げたその言葉に、リューは不快そうに眼を開けた。

『……あんまりセイラに負担を増やすつもりなら、まとめて吹き飛ばしてやる』

 リューの怒りを体現するように、リューの尻尾がゆらりと持ち上がり、ぴんと先端を天を向いて立てていた。
 物騒なことを呟くリューを、ヨウは苦笑気味に宥める。

『別に止めないけれど、セイラに嫌われるわよ?』

 嫌われる、という言葉を聞いた途端、リューの尻尾が力なく横たわった。

『……やっぱり?』

『そりゃあ、ねえ』

 彼女たちの認識では、死告龍という最強の守護を持つ聖羅がわずらわしい人間関係に囚われる必要はない。
 それでも聖羅が人との関係を模索しているのは、それが彼女にとって必要なことだからに他ならない。
 それを邪魔してしまえば、聖羅にどう思われるかは自明の理というものだった。
 自分の目的を他者に邪魔されて、愉快な者がいるわけがないのだ。

『じゃあ、やめとく』

『それがいいわね』

 二体のやりとりは実に軽い調子だったが、ルィテ王国の滅亡は回避された。
 リューは再びとぐろを巻いて瞼を閉じる。ヨウはふわりと浮かび上がった。
 ヨウは小妖精の一体を聖羅の部屋に常駐させており、聖羅が呼べばいつでも駆けつけることが出来る。
 そのため、本体は自由気ままに王城内を見て回っていた。本当は城下町の方までいっても問題ないのだが、妖精であってもヨウの外見は裸身の美女である。
 住民をいたずらに刺激しないよう、ヨウは極力城下町に降りていかないよう、国王のイージェルドと約束を交わしていた。
 ヨウとしても無闇に騒ぎを起こしてまで見に行くほど興味もなかったため、王城内を見て回るだけで済ませている。

(今日は地下室のあたりを見て回ってみようかしら。何か面白いものがあればセイラに教えてあげましょう)

 そんなことを考えながらヨウが中庭を去る。
 彼女が去ったあとも変わらず、リューは中庭で眠りについていた。
 妖精達が作ったドームの中で誰はばかることもなく、リューは存在している。
 ルィテ王国の者は、そうやって目隠しがされていても、滅多なことでは中庭に近づこうともしなかった。それだけ死告龍は恐れられているのだ。
 しかし、だから、誰も気づけなかった。

 リューの真下の地面から、黒い霧状の『何か』がゆっくりと這い出して来たことに。

つづく

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第四章 1


 音も無く近づいてきた『それ』に聖羅が気付いた時には、すでに遅かった。
 それは細長い形状を活かし、聖羅の足首に絡みついたかと思うと、まるでカツオの一本釣りのように、聖羅を高々と吊り上げる。

「きゃああああああ!!!??」

 聖羅は抵抗することもできないまま、空高く持ち上げられ、宙づりにされてしまう。
 足首に巻き付いたそれ――黒い触手のようなものは、ロープのように細い身でありながら、聖羅という人間ひとりの体重を軽々と支えていた。
 聖羅にはバスタオルが持つ加護があるため、触手に締め付けられた足首が折れるなどのダメージこそ負っていなかったが、そうではないところで大きなダメージを受けていた。

「わっ、あっ! いやぁッ!!」

 聖羅はバスタオルを腰に巻いているが、バスタオルの加護を発揮させるため、それ以外にほとんど服を身につけられないという制約があった。
 当然、下着も身につけられていないのである。そんな彼女が、足を起点に宙づりにされたらどうなるか。
 そんなことは子供でもわかる理屈だ。
 裏返った聖羅が腰に巻いたバスタオルは大きく捲り上がり、彼女の股間が晒されそうになる。聖羅は両手で必死にバスタオルを抑えていたが、咄嗟のことだったので、前に意識が集中していた。
 そのため、お尻側のバスタオルの裾が完全に捲れ上がり、その丸いお尻が丸出しになってしまった。

「やあああああ!! み、見ないでくださいっ!!」

 慌てて後ろ側も手で抑えようとする聖羅だが、宙づりの状態で、しかも前を見られないようにと必死に抑えている状態では、上手く隠せない。
 なにより、両足を掴んで持ち上げられているならともかく、片足だけを吊られている状態のため、気を抜くと吊されていない方の足が下がってきて、股間を大開帳する、なんてことになりかねなかった。
 逆さまに吊られた影響だけでなく、羞恥もあって、聖羅の顔が真っ赤に染まる。
 そんな彼女が、自分の姿を見ないように懇願した相手は、その手に杖らしきものを呼び寄せていた。

「セイラさん! いま、助ける……!」

 ログアンの巫女姫・アーミア。彼女は聖羅の格好を模したドレスを着ていたが、聖羅と違って下着などはちゃんと身に付けている。
 呼び寄せた杖に魔力を集中させ、魔法を使おうとしていた。
 そんなアーミアの足下にも、触手たちが忍び寄って来ているのが、宙に吊られた聖羅からはよく見えた。大慌てで、アーミアに向けて警告を発する。

「アーミアさん! 危ないっ!」

 その聖羅のせっぱ詰まった声を受け、アーミアもその存在に気付いた。
 空中にいる聖羅に向けていた杖の先を地面に向け、くるりと自分の周りに円を描く。杖の軌跡が光を放った。
 アーミアの身体に向けて伸びた触手の動きが、その光の軌跡に沿う形で生み出された光の壁に阻まれる。

「舐めないで! 結界術は、わたしの得意分野……!」

 アーミアはログアンを代表する巫女姫であり、その実力は極めて高い。
 中でも結界術に長けている彼女は、守りに重点を置いた魔法使いだ。これはログアンの民が守護亀・グランドジーグと互いに守り合う関係であることに起因しており、伝統的に巫女姫には守りの術が得意な者が就くことが多いのである。
 そのアーミアが張った結界は、一般的なドラゴンのブレスならば軽く防げる防御力を発揮する。ただの触手の攻撃がその防御を突破出来る理屈はない。

 だが、その触手はただの触手ではなかった。

 一度は結界に弾かれた触手たちが、その先端に黒い霧のようなものを纏ったかと思うと、再度結界に向けて先端を鞭のようにして振るう。
 すると、先ほどまでは全く歯が立たなかったはずのアーミアの結界が砕け散った。
 結界術に絶大な自信を持っているアーミアだからこそ、その触手の持つ異常性に気付く。彼女の張る結界術を瞬時に破壊出来る特性など、ひとつしかない。

「嘘……!? この、触手……っ、まさか――即死属性を纏って、ッ!?」

 驚愕したアーミアの対応が遅れ、その全身に黒い触手たちが絡みつく。
 そして、その細身の身体を軋むほどに締め付け始めた。
 締め付けられている部位は腕や足といった四肢だけではなく、首にも触手が巻き付いていた。強烈に首を締め付けられ、アーミアは呼吸困難に陥る。

「ぐ、ぅ……っ!」

「アーミアさんッ!」

 聖羅はアーミアに向けて叫んだが、彼女にはどうすることもできない。
 アーミアの身体を触手が締め上げて軋ませ、声もあげられない彼女が苦しげに呻く。
 そして、窮地に立たされているのは、アーミアだけではなかった。
 空中に吊り下げられた聖羅。

 彼女にも、黒い触手たちが迫っていたのだ。




 少し時間は遡り、それは――何の前触れもなく始まった。

 聖羅とアーミアが一対一で対話を行っていた時。
 聖羅の『嫌いなもの』を聴いたアーミアが、怪訝そうな顔をしてその真意を問いただそうとしたまさにその瞬間であった。
 部屋の窓から差し込んでいた陽光が突然消え、部屋が暗闇に閉ざされる。
 昼間にもかかわらず、真っ暗になったことに聖羅は驚いた。

「停電……?」

 無論、現在の時刻は昼間であるのだからそんなわけはないのだが、そう表現するのが的確な現象であった。
 もし分厚い雲のような、巨大なものが日光を遮ったのだとしても、手の先が見えなくなるほどの暗闇にはならないだろう。
 聖羅は戸惑うことしか出来なかったが、アーミアの反応は早かった。
 素早く身体の前に手を翳し、その指先に魔法の灯りを生じさせる。魔法の灯りは非常に光量が強く――聖羅の感覚で言うならば蛍光灯の光のように――部屋を明瞭に照らし出した。
 灯りが生じ、周りが見えるようになったことで、聖羅は少し安堵する。

「ありがとうございます、アーミアさん。……何が起きたのでしょうか?」

「……わからない。こんな現象は知らない。セイラさんの呟いた、テイデンっていうのは?」

 アーミアは端的に、自分たちの世界特有の現象ではないと聖羅に伝え、聖羅が思わず呟いた単語の説明を求める。
 この世界には魔法の灯りがあるため、電気技術は発達していない。ゆえに電気が止まるという意味の『停電』は翻訳魔法では正確に伝わらなかったようだ。

「あ。すみません。停電というのは……そうですね。こちらの世界で言うなら、月明かりもない夜に、部屋に灯している魔法の灯りが一斉に消えて、部屋の中が一瞬のうちに真っ暗闇になることです」

「……なるほど。でも、これはそういった現象ではない、と思われる」

「ええ。いまはそもそも昼ですし……アーミアさん。窓の外、変じゃないですか?」

 聖羅は外の様子を窺えないものかと窓に近づこうとして、窓の外が不自然に真っ黒になっていることに気付いた。
 仮に何らかの理由で日光が消えたとしても、アーミアが出している灯りが、多少なりとも外を照らすはずだ。
 しかし、窓の外には奥行きが感じられず、まるで窓ガラスを墨か何かで塗りつぶしたかのように、ただただ真っ黒になっている。
 アーミアは少し考えてから、窓に近づかないように聖羅に言った。

「下手に近づかない方がいい。……まずは、寝室のルレンティアを起こそう」

 得体の知れない状況にある以上、味方を少しでも増やすのは得策である。
 ルレンティアは勘働きに優れた獣人であり、そういった意味でもこの得体の知れない状況に対処するには、頼りになる存在だった。

「そうですね。起こしてきます」

 同意した聖羅は、急いで寝室に続くドアに近づいた。
 寝室のドアをノックした聖羅は、緊急事態であることを加味して、中から応えがある前にドアノブを捻って扉を開いた。

「ルーさん、大変なことが……え?」

 思わず間の抜けた声を出してしまった聖羅だが、そんな彼女を馬鹿にすることが出来る者はいないだろう。
 なぜなら、聖羅が開いたドアの先は――森になっていたためだ。
 それはまるで聖羅がこの世界に来た時のようで。
 聖羅はその事に思い至ると、大急ぎで背後を振り返った。あのときのように、直前までいたはずの部屋が消えている可能性を考えてしまったからだ。
 幸い、今回は振り返った先が石の扉になっているということはなく、部屋の中でアーミアが眼を見開いて驚いていた。聖羅越しに見えたのだろう。

「森……?」

「みたいです……寝室は、ルーさんは、どこに……?」

 唖然とするしかない二人。
 聖羅はドアノブを持ったまま、少し部屋の外に出てみようと足を踏み出した。地面は部屋の床からドアの境界を超えた瞬間、土になっている。まるで無理矢理切り取った部屋を外に放り出したかのようだった。

(これ、外から見たらこの部屋はどうなっているんでしょう?)

 そう思った聖羅は、片足を部屋の中に残したまま、なるべく身体を外に出して部屋の外観を見てみようと試みた。
 片足だけを外に出してしまったのだ。もし両足を揃えていたら、その後の悲劇のひとつは回避できていたのだが。
 森の奥から伸びて来た、細長く黒い触手がその踏み出した片足に絡みつき、宙づりにされるのは、そのすぐあとのことだった。

 聖羅は森の中で宙づりにされ、それを助けようとして森に飛び出したアーミアも触手に捕らわれてしまった。

 さらに、宙づりになった聖羅にも、多数の触手が伸びてくる。
 そのおぞましい状況に青ざめる聖羅だが、自分のことはあまり心配していなかった。
 聖羅にはバスタオルの加護がある。身体を持ち上げて宙に固定するほどに締め上げている触手の力は強かったが、聖羅はそこまで痛みを感じていなかった。
 現在聖羅はバスタオルを腰に巻き、胸は別の布で隠すというスタイルを取っているため、多少バスタオルの加護は弱まっている状態だ。
 その状態で痛くないのだから、仮に全身を締め上げられても、死にはしないだろう。

(ですが……アーミアさんは違います……!)

 アーミアは首を締め上げられ、苦しそうにもがいている。
 早く助けなければ命に関わるだろう。
 聖羅はなんとか触手をふりほどけないものかと、締め上げられていない足で蹴ってみるが、非力な聖羅の蹴りなど触手には全く効果がなかった。
 無駄な足掻きとばかりに、聖羅の全身に別の触手が巻き付いてきた。身体に巻き付いてきた触手の影響は聖羅の予想通り大して苦しく感じなかったが、想定外のことが起きた。

「――ッ! いやあっ! やめ、やめてっ!」

 聖羅が触手を蹴っていた足にも、別の触手が絡みつき、別の方向に向けて引っ張り出したのである。
 両足を無理矢理別々の方向に引かれれば、どんな格好になるか。
 聖羅は吊り輪にぶら下がって足を開く体操選手よろしく、空中で大股を開かされることになってしまった。
 幸い、バスタオルを抑えている手は胴体と一緒に巻き付かれたため、彼女のもっとも秘めたい場所が無防備に晒されることこそなかったが、うら若き乙女にとって死ぬほど恥ずかしい格好であることに変わりは無い。

「ヨ、ヨウさん! ヨウさんっ、助けてください!」

 普段なら呼べばすぐに来てくれる、大妖精のヨウに助けを求める聖羅だったが、その助けを求める声は虚しく森に響くだけだった。
 アーミアの顔が赤を通り越して青白くなり、いよいよ命の危機が訪れる。

「誰か――ッ!」

 叫ぶ聖羅。
 声をあげることしか、彼女に出来ることはなかった。
 無論それで触手が止まることはない。
 だが。

「あーみんっ!」

 目にも止まらぬ勢いで遠くから駆けて来たルレンティアが、アーミアの首を絞める触手を切り裂いてその命を繋いだ。激しく咳き込み、肺に空気を取り入れるアーミア。
 そのアーミアの身体を締め付ける触手は、次々切断されていった。

「あーみんをいじめていいのは、ボクだけにゃ!」

「……っ、あなっ、たっ、げほっ、はっ! ごほっ、けほっ」

 こんなときでもふざけることをやめないルレンティアに、咳き込みつつ涙目のアーミアが抗議する。
 ルレンティアは「ごめんにゃ! いつもの癖にゃ!」と悪びれもせずに言い放ち、さらに触手を切断していく。
 その光景を上から見ていた聖羅は、ルレンティアが武器を持たず、手で触手を切断していることに驚いていた。

(す、すごいです……! 確か、あれも獣人の特徴なんでしたっけ)

 ルレンティアの爪が非常に長く伸びていた。それは錐のように鋭利で、ナイフのように研ぎ澄まされている。
 さらに、ルレンティアはまるで四足獣の如く全身を使って跳び回り、本物の猫のそれのような動きを見せていた。下半身と手の先が獣の、具体的にいえば猫のそれになっており、人間と獣を合わせたような姿になっていた。機動力が大幅に向上しているのか、見てわかる。
 実に獣人らしい姿になっているルレンティアは、アーミアの身体を締め付けていた触手を一掃すると、森の木々の幹を蹴り、空中に向けて跳び上がった。
 聖羅を吊り下げていた触手が切り裂かれ、聖羅の身体が落下し始める。

「せいらんっ、うごかにゃいで!」

 鋭い命令に、聖羅は思わず暴れかけた身体を硬直させる。
 ルレンティアは木の枝の反動を巧みに使い、自分より先に落下していた聖羅に向けて加速して追いつき、その身体を抱えて着地した。
 触手たちは聖羅を抱えて攻撃出来なくなったルレンティアを、ここぞとばかりに捕らえようとしたが、それは別方向からの攻撃が防いだ。

「お返し……!」

 危うく殺されかけた怒りのアーミアである。
 ルレンティアが聖羅を助ける間に、取り落としていた杖を拾い、それを用いて攻撃魔法を唱えていたようだ。
 アーミアの周囲に火炎弾が浮かび、恐ろしい速度で放たれる。火球は正確に触手たちを撃ち抜き、撤退に追い込んだ。

「も、森に燃え移らないでしょうか……?」

「大丈夫、あれは魔法の火だから、あーみんが望めばいつでも消せるにゃ」

 森への被害を心配してしまった聖羅に対し、ルレンティアは安心させるように微笑む。
 魔法とは便利なものだと、聖羅は改めてそう思った。
 そして、ひとまず触手たちの脅威が去ったところで、聖羅はどうしても気になっていたことをルレンティアに聴くことにした。

「……あの、ところでルーさん」

「なにかにゃ、せいらん」

 応じつつ、ルレンティアは抱えていた聖羅を地面に下ろす。
 聖羅は助けてもらったお礼を言いつつも、ルレンティアから視線を外していた。

「その……どうして、服を身につけていらっしゃらないんですか?」

 そう、半分獣の姿になっているルレンティアは、なぜか服を一切身に付けていなかった。
 下半身は猫のそれに変わってしまっていて、滑らかな獣毛が覆っているため、気にならなかったが、上半身は人間の女性の姿そのままである。
 その上で、聖羅がそうしているような胸に巻いているはずの布がなくなっており、彼女の豊満な乳房が露わになってしまっていた。
 指摘されたルレンティアは、頭を搔きながら聖羅の質問に応える。

「こんなことになると思ってなかったからにゃあ。ボクは寝るときは全裸派なのにゃ」

「ああ、なるほど……それなら仕方ないですね。これを使ってください」

 聖羅は自分の胸を覆う布を取り外し、ルレンティアに渡す。そして自分は腰に巻いていたバスタオルを胸まで持ち上げ、バスタオル一枚の格好になった。
 胸に巻かれていた布を手渡されたルレンティアは、少し驚いていた。

「使わせてもらっていいのかにゃ? 上半身は獣化できないから、助かるけど……」

「私のこのバスタオルはこうしてこれだけで身に付けることで、宿っている神々の加護が強まるんです。……恥ずかしいので普段はああしているのですが。いまは緊急事態ですし、加護を強めておいた方がいいはずです」

 最重要事項のひとつを、聖羅は惜しげもなくルレンティアたちに明らかにする。
 加護のことはなるべく人に広めないようにしているが、いまは状況に対処するのが先決だった。戦力にはなれなくとも、自分には防御力があると伝えておくだけでも違ってくる。
 その聖羅の意図をルレンティアも理解したのだろう。

「わかったにゃ。ありがたく使わせてもらうにゃ」

 聖羅から受け取った布を使って、その揺れ動く乳房を抑えて止める。
 そんなやりとりをしていた二人の元に、アーミアが近づいてきた。

「……酷い目にあった」

 彼女の全身には、縄をかけられたような、赤くなった痕が残っていた。
 かなりの強さで締め付けられたと見え、着ていたドレスもぼろぼろになってしまっていた。元々が露出度の高いドレスだったが、余計に露出度があがってしまっている。

 バスタオル一枚の聖羅。
 上半身に布一枚のルレンティア。
 半壊したドレスのアーミア。

 半裸の女性三人は鬱蒼と暗い森の中、これからどうするべきかと顔を見合わせるのだった。

つづく

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第四章 2


「ひとまず、森の中からは何が出て来るかわかりませんし、一端部屋に戻りませんか?」

 聖羅はルレンティアとアーミアにそう提案した。
 謎の触手が襲いかかってきた森の中より、その方が安全だと思ったからだ。
 しかし、出てきた方向を振り返った聖羅とアーミアは、揃って眼を見開くことになる。

「あ、あれ……? 扉が……というか、部屋が……」

「……なんてこと」

 ふたりが出てきた部屋は、忽然と消滅していた。
 触手によって翻弄されている間に、霞のように消えてしまっていたのだ。
 ルレンティアはふたりの態度から状況を察したようだ。

「もしかして、ふたりのいた部屋は無事だったのかにゃ?」

「ルレンティアのいた部屋はそうじゃなかったの?」

「ボクは気付いたら裸で森の中に放り出されてたにゃ。すぐ傍に脱いだドレスはおいてたんだけどにゃ。そっちはそうじゃなかったのにゃ?」

「ええ。私たちは突然部屋の外が真っ暗になってしまって異常に気づいたんです。部屋の中はそのままでしたよね?」

 聖羅の確認に、アーミアも頷く。
 少なくとも彼女たちが感じた範囲で、部屋の中に異常は見られなかった。

「……まあ、仮に部屋がそのまま残っていたとしても、この状況では戻っても安全だったとは限らない」

「それもそうだにゃあ。ひとまず脅威を追い払った森の中にいた方が安全かもしれないにゃ」

 ふたりの意見に、聖羅は首を傾げる。

「どういうことですか? ……もしや、おふたりにはこの現象がなんなのか、心当たりがあるのですか?」

「おそらく、だけどにゃ。でも、これは普通はありえないことなんだよにゃあ」

 その言葉を聞き、聖羅にもひとつの可能性が浮かんで来た。

「もしや……魔界化、というものでしょうか?」

「そう。強大な魔王級の魔族が存在することで起こる、周辺環境の異常化……わたしの結界術を突破しうる即死属性を持つあの触手は、死告龍の眷属である可能性が高い」

 もっとも恐れるべきことだと聖羅が聴いていた、死告龍の魔界と、その眷属の発生。
 聖羅はごくりと息を呑んだ。魔界化の兆候を見逃していたかもしれないためだ。
 日常的に中庭にいられるのは聖羅だけであり、彼女はそれを理解して中庭の状況には眼を光らせているつもりだった。

「魔界化はそう簡単に起きるものではないと聴いていましたが……」

 これほど急激に変化するものだったのだろうか、と聖羅は疑問に思う。
 それに対してはルレンティアとアーミアも同感なのか、聖羅に同意して頷いていた。

「だにゃあ。おまけに死告龍がいたのは王城の中にゃ。城というのは入念な魔法対策も施していることが多いから、魔界化するのが最も遅い建造物といえるにゃ」

「けれど、この状況。事実として魔界化してしまったとしか思えない」

「そうだにゃあ……やっぱり死告龍はとんでもない存在だにゃ。魔界化するはずがない場所を魔界化させちゃうんだからにゃ」

 ふたりの姫は顔を見合わせて、意味深な視線を交わす。
 聖羅はなんとなく、その視線の意味がわかるような気がした。

(リューさんの脅威を改めて認識した……というところでしょうね)

 庇護を受けている聖羅はともかく、ふたりにとって死告龍はいまだ脅威になり得る存在としての側面が強い。
 板挟みになる聖羅としては悩みどころではあるが、いまはそれにばかり構っていられない状況だった。

「ひとまず、これからどうしましょうか」

「森の中を進んでみるしかないにゃ。安全が確保出来る場所があればいいんだけどにゃ」

「建造物すら飲み込んでしまう魔界に、安全な場所なんてないかもだけど」

「あーみん。それは言っちゃダメにゃー」

 三人は、一番先頭に勘が鋭くもっとも近接戦闘力の高いルレンティア、真ん中に様々な魔法を扱えて柔軟に対応出来るアーミア、もっとも不意打ちを受けやすい最後衛に絶対の防御力を持つ聖羅、という布陣を組んで森の中を進むことにした。
 森の中を進みながら、聖羅はふたりに魔界化について尋ねる。基本的なことはルィテ王国の者から教えてもらっていたが、より詳しく聞いておいた方が良いと判断したためだ。

 魔界化。

 それは強大な魔族が存在することで、周囲に異変を起こす現象の総称である。
 強すぎる魔力が環境に影響していると考えられているが、魔界化を引き起こすのは魔族だけであり、いかに強大な魔力を持った魔法使いであっても、種族が人間であれば魔界化は起きない。
 古来より魔族と人間が争い続けている理由のひとつでもあった。

「基本的に、魔界は人間が住むのに適さない環境。例外はあるけど」

 周囲を警戒しつつ、アーミアはそういった。
 聖羅はアーミアの話を聞きながら、ルィテ王国の者達に説明してもらった知識とすりあわせていた。ルィテ王国の者達を信用していないわけではなかったが、より確実な知識として蓄積するためである。

「例外もあるんですか?」

 聖羅がこの世界の常識を全く知らないために仕方ないことだが、彼女がルィテ王国の者達から受けた説明は基本の範疇が多かった。
 そのため、例外事項になると初耳のことが多くなり、聖羅はそのひとつひとつに注意して尋ねなければならないのだ。
 伸ばした爪で茂みを薙ぎ払って道を切り開きながら、ルレンティアが応える。

「ログアンがまさにそれだよにゃ。いくら聖亀様が巨大と言っても、本来ならその背中だけで国が成立するほどの広さは得られないはずにゃ」

「そういうこと。グランドジーグ様の甲羅の中には、様々な空間が生み出されている。そこを活用させていただいて、ログアンは国として成り立ってる」

「なるほど……」

「生み出される魔界は、核となる魔族の性質が反映されたもので、そこにはその魔族の眷属が生まれる。グランドジーグ様の眷属は小さな……といってもわたしたちにとっては十分大きいのだけど……大体2メートルから5メートルくらいの陸亀。ログアンの民の生活を助けてくださる重要な存在」

「ボクも会ったことがあるけど、とても紳士的で真面目な亀さんたちなのにゃ。うちに何頭か来てくれたら嬉しいんだけどにゃ~」

 楽しげにいうルレンティアに対し、アーミアは溜息を吐く。
 彼女にとってグランドジーグの眷属たちは神の使いのようなものだ。余所の国に渡すなど論外である。

「何度も言ってるけど、眷属は魔界から離れて存在できない。フィルカードに行くことは原理的に無理」

「残念だにゃあ」

 本気で残念そうなルレンティアに対し、アーミアは再度溜息を吐いた。

「ここが魔界だとすると……さっきの触手みたいなものは、その眷属ということなのでしょうか?」

「恐らくはそうだにゃ。長く存在する魔界ならともかく、生まれたばかりの魔界にいる魔物は眷属と見て間違いないはずにゃ」

「即死属性を纏って攻撃してきたことといい……死告龍の眷属である可能性は極めて高い」

 殺されかけたアーミアの顔は強ばっていた。
 締め付けも十分危険だったが、それ以前に即死属性を纏った攻撃を加えられていたら死もありえた。

「幸い、死告龍本体と違って眷属は即死攻撃を連発することは出来ないみたいだから、まだ対処のしようはある。黒い霧のようなものを纏った攻撃は、結界術や攻撃魔法で相殺して」

「わかったにゃ」

 端的に応じるルレンティアには、それが確実に出来るという自負があるようだった。
 聖羅やアーミアを触手から助け出した際の手際といい、姫の立場であっても、戦闘ができないわけではないのだと、聖羅は改めて実感した。
 防御力はあっても戦えるわけではない聖羅は、なるべく戦わなくても済む道を模索する。

「眷属さんに話は通じないのでしょうか?」

「少なくとも、グランドジーグ様の眷属とは話が出来るけど……」

「いきなり襲いかかってきたんだよにゃ? だとすると、話すのは難しそうだにゃ」

「眷属、というくらいですし、元になった魔族とは主従関係にあるんですよね?」

 漫画やゲームのイメージで聖羅は口にしたが、それに対しルレンティアとアーミアは即答しなかった。

「グランドジーグ様の眷族は皆自立した意思を持っているけど、性格はほぼ一緒で、突出して個性的な存在はいない。おおまかにグランドジーグ様の意向を反映して、ログアンの民の懇願に応えて動く存在だから、主従……というべきかどうか」

「魔界によって色々、ってことになるにゃあ。いずれにせよ眷族は魔界でないと存在できないし、その魔界の要たる『主』に危害を加えられないのは変わらないはずにゃ」

「だとすると……リューさんに直接お願いできれば、大人しくしていただける可能性はありますね」

「その期待はできるにゃ」

 死告龍に会えれば、問題は解決するかもしれない。
 聖羅はわずかながら希望を感じた。

(少なくともリューさん自身とは話が通じる……眷族さんたちに人を襲わないように言わないと……!)

 魔界に呑まれた他の人間の安否が気になっていたのだ。
 アーミアやルレンティアは戦闘能力があるが、城で働いている使用人の中には、あまりそういったことが得意でない者も多い。
 その者たちのためにも、一刻も早くリューに会わなければと聖羅は決意する。

「……しっかし、この森はどこまで続くのかにゃー?」

 そういうルレンティアの前方には、鬱蒼とした森が遙か先まで続いていた。
 乱立する木や生い茂った藪のために視界は悪いが、それでも広々と続いていることは明らかだった。

「魔界というのは、どこもこんなに広いものなんですか?」

「規模による……といっても、生まれたばかりの魔界がこんなに広いわけがない」

「空間の端にたどり着けば色々やりようもあるんだけどにゃあ。なにか、カラクリがありそうだにゃ」

「カラクリ……というと――あびっ!?」

 ルレンティアとアーミアに続いて歩いていた聖羅が、突如不自然な動きでひっくり返る。
 前を見ずに歩いていて間抜けにも壁か何かに激突したような、そんな動きだった。
 先行していた二人が聖羅のあげた奇妙な声に驚いて振り返ると、聖羅が額を抑えて仰向けにひっくり返っていた。
 二人が即座に視線を外したのは、ひっくり返った聖羅の大事なところが開帳されていたためである。聖羅への気遣いもあったが、同性とはいえ、そこを直視するのは二人も恥ずかしかったのだ。

「いたっ……くはないですけど、びっくりしました……」

 幸か不幸か、ひっくり返った張本人は額を打ち付けたことに唖然としていたため、そのことに気づいている様子はなかった。
 ルレンティアとアーミアはさりげなく聖羅の脇に移動し、彼女を助け起こす。

「怪我はしてないみたいだにゃ」

「セイラさん、何があったの? 枝か何かにぶつかった?」

 二人に優しく声をかけられ、聖羅は礼を言いつつ身体を起こした。
 そして、恐る恐るといった様子で手をまっすぐ前に伸ばす。
 その指先が不自然なところで何かにぶつかって、押し戻された。

「ここになにか……透明な壁のようなものがあるんです」

 ルレンティアとアーミアが聖羅の指先辺りの空間に手を伸ばしてみるが、何も起きなかった。自然に動いている。
 だが聖羅の指は相変わらず一定の場所で止まり、それ以上先にはどうやっても進まなかった。『壁がある』というパントマイムでもしているようだと聖羅は感じたが、他の二人はそれを見て思いつくことがあったようだ。

「……ここで空間がねじ曲がってるのかも」

「いくらなんでも広すぎると思ったら……なるほど、そういうことにゃ」

 ふたりは納得したように呟き、それを聴いた聖羅もなんとなく事情を察した。

「つまり、実際に空間が広がっているのではなく、空間が歪曲して無限に続いているように見せかけられている、ということですか?」

「そういうことだにゃ。せいらんが気づいてくれなかったら、延々森の中を歩かされていたところにゃ」

「性質が悪い……結界術の心得があるわたしが気づけないなんて」

 空間に関わる魔法は結界術の範疇であり、その熟練した使い手であるアーミアが気づけなかったというのは相当高度な魔法の証拠であった。
 誇りを刺激されたのか、アーミアは杖を構え、その魔法の解析を始める。無数の魔方陣がアーミアを中心に広がり、薄暗い森の中を魔法の光が照らした。

「……解析成功。どうやらこの境界線はこの空間の反対側……わたしたちからすると、今歩いて来た方向に繋がってる」

「普通に歩いていたら同じ場所をずっと歩くことになるわけだにゃ」

「このような結界は、どうやったら脱出できるのでしょうか?」

 聖羅の問いに対し、ルレンティアは拳を握ってみせる。
 そしてそれを透明な壁に当てるように振った。

「大したことのない結界なら、力尽くで突破することもできるにゃ。……でも、ボクには干渉すらできないみたいだにゃ」

「……術者を倒して解除させればいい。この規模の結界なら術者は確実に結界の内側にいるはず。もしくは、起点となる何らかの要がある」

「問題は……この広い空間の中からそれを見つけ出すのは難しいってことだにゃあ」

「歩いて来た分だけを考えても結構な広さですもんね」

「もう少し解析してみる。そうすれば要の位置も――」

 アーミアがさらに結界の解析をしようとした時、ルレンティアが手をあげてそれを制した。怪訝そうな顔をしつつも、アーミアは解析のための魔方陣を展開するのを中断する。
 ルレンティアは自分たちが歩いてきた方向を睨んでいた。

「どうやら、悠長に解析している暇はないみたいだにゃ」

 遅れてアーミアと聖羅もそれに気づいた。
 明らかに巨大な何かが近づいてきている音が響いてきている。
 待つというほどの時間もなく、すぐにその何かは姿を現した。

「あれは……巨大な……花……?」

 それは巨大な蕾を中心に広がった、植物であった。
 人間のほどもある巨大な蕾の周りを守護するように、無数の蔓のような触手が蠢いている。いくつかの蔓の途中には人間の頭部ほどの大きさの蕾がいくつもあり、なにやら不気味な雰囲気だった。
 放っている気配も禍々しいもので、聖羅は思わず後ずさりして距離を取る。
 聖羅のその判断は間違っていなかったのだろう。
 中央の蕾が窄めていた花弁を開き、その本性を露わにする。

 その花は、一言で言えば巨大な口だった。

 花の中央には巨大な穴が空いており、その周辺には鋭い牙のような鋭利なトゲが並んでいる。その角度は内側を向いていて、もしその中に呑まれれば、トゲが返しのようになって抜け出そうとする者の身体をさらに傷つけるだろう。
 その口のような穴からはどろりとした液体が零れ出しており、毒液なのか消化液なのか、地面に落ちて湯気のようなものをあげている。
 そんな凶悪な形状をした蕾は、どう贔屓目に見ても邪悪な存在にしか見えなかった。
 さらにそれを助長するかのように、蔓の所々にある蕾が開く。

 その蕾の中には、小さな妖精達が囚われていた。

 妖精達はぐったりとした様子だった。
 蕾の中に無数に生えた触手のようなものに、四肢や羽を絡め取られ、動けないようだ。
 本来妖精は物質的な拘束を受けない存在だ。仮に縄や鎖で縛ったとしても、魔力で構築されている身体を一端粒子化して逃れることができる。
 そんな妖精達が捕獲されているという事実は、つまりその行動を阻害し得る何かがその触手にはあるということだった。
 妖精達に生物学的な雌雄はないが、大妖精であるヨウがそうであるように、見た目は人間の女性に似通っている。
 そんな妖精たちが、触手に絡め取られて弄ばれているような光景は、三人にとって衝撃的なものだった。思わず硬直してしまった三人を責めることはできない。

 怪しげな花の怪物は三人に向けても、躊躇なくその蔓を伸ばした。

つづく

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第四章 3


 襲いかかってくる植物の魔物。
 最初に反応したのは、フィルカードの姫・ルレンティアだった。
 彼女は獣人の身体能力を遺憾なく発揮し、聖羅とアーミアを抱えて横へと逃げる。
 本当は後退したいところだが、聖羅は結界に移動を阻まれてしまうため、横に逃げざるを得なかった。

(これは――まずいにゃ!)

 植物の蔓が進行方向を遮るように伸びていた。
 ルレンティアひとりなら爪を振るって切り裂くこともできるが、左右に抱えている状態ではそれもままならない。
 どちらかは手放さなければ、全員捕まってしまう。
 即断即決の判断力には自信のあるルレンティアだったが、このときばかりは数瞬躊躇した。神々の加護の防御力を持つ聖羅を手放すべきとは考えたが、彼女の心証的にはどうか。
 ルレンティアは聖羅と交流するためにやって来ている。
 見捨てるつもりなどなく、全員が捕まらないために必要な処置とはいえ、一度抱えた相手を囮のように使うことを聖羅がどう感じるか。その見極めはまだし切れていないのが現状である。
 アーミアならば間違いなく戦略的判断だと理解してくれるだろうが、アーミアには聖羅ほどの防御力がない。先ほど殺されかけていたこともある。
 二人のうち、どちらを優先すべきか、さしものルレンティアも即断は出来なかった。

「ルレンティア!」

 そんなルレンティアの思考の迷いを、アーミア自身が叱咤する。
 はっ、としたルレンティアは、その短いアーミアの呼びかけの真意を受け、アーミアを手放した。
 片手が自由になったルレンティアは、爪を振るって伸びていた蔦を切り裂き、包囲網を突破する。
 その場に落とされたアーミアは、地面に向けて杖を振るい、その場に空気のクッションを発生させ、落下の勢いを殺す。
 だが、その時にはアーミアの眼前には数多の蔓が迫っていた。
 ルレンティアに抱えられながらその光景を見た聖羅が悲鳴をあげる。

「アーミアさん!」

 青ざめたその顔は本気でアーミアを心配しているものだった。
 アーミアはそんな聖羅の表情を見て、彼女が邪悪な者ではないことを確信する。
 そして、この場を凌ぐために、切り札を用いることにした。

「来たれ――神聖法衣」

 アーミアの身体を覆うように、幾重にもベールが重ねられた形状の服が現れる。
 同時にアーミアは着ていた聖女風ドレスを脱ぎ去っていた。神聖法衣が下着姿の彼女を覆う。
 その彼女の身体に蔦が絡みつき、締め上げるが、神聖法衣が光を発し、アーミアは蔦が絡みついた状態でも平然としていた。
 それを見た聖羅は目を見開く。

「あ、あれは一体……?」

「にゃるほど、あれが神聖法衣なんだにゃ。せいらんのバスタオルと同じ『神々の加護』を持つ衣服のひとつだにゃ」

 枝から枝に跳んで、襲いかかってくる蔦を避けながら、ルレンティアは聖羅に教える。
 非常に細かいレースを幾重にも編んで作られたその神聖法衣は、芸術品の域に達しており、有する加護もかなり強いものだ。

「衣服の神はどうも単純な造りで丁寧な縫製の衣服の方を好むみたいなんだにゃ。それを目指して作られたのが、あーみんの身に付けている神聖法衣ってわけにゃ。聞いた話にゃけど、防御力だけでなく、魔法の効果や威力も向上するらしいにゃ」

「そ、そうなんですね……なら、大丈夫なのでしょうか」

「いや、それでも完全防御とはいかないのにゃ。だから、あーみんが時間を稼いでくれてる間に、なんとか本体を叩くにゃ」

 つかず離れずの距離を取りながらルレンティアは植物の魔物の隙を伺う。
 そんなルレンティアに対し、聖羅は声をかけた。

「……ルレンティアさん、私を囮に使ってください。大丈夫ですから」

 本来なら、最初に囮になるべきは自分だったと聖羅は理解していた。
 絶対防御を持つ自分なら、隙を見極めるまでに多少時間がかかっても平気である。
 なのにルレンティアがアーミアを先に手放したのは、自分に対する遠慮が原因だと、察していたのだ。
 ルレンティアは聖羅の言葉を受け、彼女の表情を見て、先ほど自分が心配したようなことはないと悟った。聖羅の本質が少しずつわかってきたのだ。
 こうして交流しに来た甲斐があるというものである。

「……ありがとうにゃ、せいらん。一番良いタイミングでそうさせてもらうにゃ!」

 ルレンティアは植物の動きを見極めるべく、さらに行動を開始する。
 一方、アーミアは全身を植物に締め上げられつつも、先ほどと違って少し余裕があった。
 神聖法衣はその加護の力を発揮し、締め上げてくる植物の蔦の力を弱めてくれている。

(さて、どうしよう)

 アーミアは杖を手放していなかった。攻撃魔法は撃てるが、それで刺激するのが正しいのかどうかわからない。
 それに、植物に捕らえられている妖精たちを巻き込んでしまうというのも問題だった。
 妖精は比較的人間に好意的な魔族であり、極力殺さないことが良いとされている。
 妖精殺しは今後妖精の助力を得られなくなることを意味し、極力避けなければならない。

(この植物のコアはどこ?)

 中央の大きな花がそうかと考えていたが、彼女の鋭敏な魔法の感覚は魔力の集中度合いから、それが魔物のコアではないということを察していた。
 植物とはいえ、這って移動していることから、地中にあるわけでもないことも確かだ。
 植物の周囲を跳び回りながら移動しているルレンティアと視線が合う。
 ルレンティアもコアが見つけられないらしく、首を横に振っていた。

(最悪なのは、この大きな花さえも末節にすぎないってことだけど……)

 結界の端に到達していたアーミアたちは、空間の端にいることになる。
 そうすると、本体は空間の中心にいて、この大きな花は末節という可能性も高い。魔界が出現してからの時間を考えれば、そこまで巨大な存在に育っているとは考えにくいが、可能性は零ではない。
 空間の中心にルレンティアたちに向かってもらうべきか。
 そう考えるアーミアの身体を、植物の魔物が持ち上げた。
 中央の花の中心に開いた口が上を向く。

(まるごと飲み込む気……?)

 アーミアはぞっとするものを感じたが、神聖法衣の防御力があれば耐えることは可能だとも感じていた。
 しかし、植物の魔物が開けた大口に黒い霧のようなものが満ち始める。
 即死属性が宿っている証拠だった。
 神聖法衣は神々の加護を有するため、即死属性にも高確率で耐えることが出来るが、死ぬ可能性はある。
 だが、アーミアは動じなかった。それが来た時のために準備はしてあるのだ。

「現し身――召還」

 そうアーミアが杖に力を込めながら唱えると、空中にアーミアの分身が現れた。
 そのアーミアの分身は、重力にしたがって植物の魔物の口の中へと落ちて行く。
 植物の口が動き、分身の身体に食いついた。口の内側に生えたトゲが分身の身体を容易く食い破っていく。
 ベキベキと骨が砕け、プチプチと肉が千切れて潰れる音が響く。
 分身とは言え、自分と同じ姿をした者が食われていく様は、相当恐ろしい光景であった。
 しかしその甲斐あって、植物の口の中に発生していた黒い霧は消滅している。

(……ん? この感じ、もしかして……)

 現し身はただの分身ではない。
 限りなく本人の性質に近く、本人を危険に晒さずに様々な実験が出来るということで、分析調査に活用されている。
 それはもし自分がこの植物に食われていたらどうなるか、という実験が行えたということだ。
 分身の身体を構成していた魔力はアーミアの指揮下にあり、その魔力がどう植物の中を流れていっているのかが手に取るようにわかる。

「あーみん! 助けた方がいいかにゃ!?」

 そうルレンティアが声をかけたのは、植物の魔物が今度こそアーミア本人を開いた口の中に入れようと動き出したためである。
 ルレンティアもアーミアの使った現し身の性質を知っている。ゆえにアーミア本人を助けた方がいいのか、尋ねたのだ。
 その質問に対し、アーミアが応える。

「大丈夫! 中から魔力を流すから、それを辿って!」

 最低限の指示であったが、ルレンティアはアーミアの意図を汲み取った。
 高い位置の木の枝に飛び上がり、全体を俯瞰して見れる位置取りを行う。

「せいらんも見てて欲しいにゃ! いまからあーみんが魔力を流してくれるにゃ!」

「え、あ、はい!」

 聖羅にはルレンティアやアーミアが何をしようとしているのかわからなかったが、良く見ろと言われたため、下に広がる光景を見た。
 その彼女たちの前で、アーミア本人が植物の大きな口の中へと落下していった。
 アーミアが食われる様を見て、聖羅の顔が青ざめる。

「あ、アーミアさん、大丈夫でしょうか……」

「大丈夫にゃ。神聖法衣が守ってくれてるにゃ」

 そういうルレンティアであったが、さしもの彼女も不安そうな目をしていた。
 花の中に取り込まれたアーミアと言えば、周囲から絡みついてくる細い触手のようなものや、どろどろとした粘性のある分泌液に辟易しながらも、冷静であった。
 トゲが体に食い込もうとしても、神聖法衣の防御力は遺憾なく発揮されており、今のところ身体が傷ついたり、痛みを発したりすることはなかった。
 どろどろした液体を容赦なくかけてくるため、呼吸には難儀したが、完全に呼吸が阻害されるということはない。

(ああもう、気持ち悪い……! 早く、して……!)

 全身くまなくどろどろになりながらも、アーミアはその時を待つ。
 程なくして、ようやくアーミアの目的の行為が始まった。
 魔力を吸われる感覚。この植物は捕らえた者から魔力を吸い取り、それによってアーミアをも幻惑する結界を生み出していたのだ。

(魔力を吸い取るのなら……その魔力に細工をしてやればいい!)

 アーミアはあえて植物に魔力を流した。
 その魔力には、色の変わる細工をしておく。
 それによって吸い取った魔力がどこにどう流れていくのか、はっきりわかった。
 残念ながら魔力を持たず、魔力を感知できない聖羅には見えなかったが。
 ルレンティアには、アーミアの目論見通り、吸収された魔力がどこに向かっているのか、よくわかった。

「よし、見つけたにゃ! せいらん、ごめんにゃ!」

 ルレンティアは聖羅を枝の上に置いて、全速力で移動を始めた。
 おいて行かれた聖羅の元に蔓が迫っていたが、ルレンティアは脇目も振らずに一点を目指して跳ぶ。
 気づかれたことに気づいたのか、植物の魔物が慌ててルレンティアに向かって蔓を伸ばしかけたが、もう遅い。

 ルレンティアが何もない空間に向かって爪を突き出すと、その爪の先に光り輝くオーブのようなものが貫かれていた。

 魔物のコアは、最初から植物のすぐ近くにあったのだ。
 ただ、何重にも幻惑の魔法がかけられており、アーミアやルレンティアにも気づけなかった。
 だがアーミアが捨て身で魔力を植物に流し、その魔力をコアが吸収してしまったことで、移動していた魔力が唐突に見えなくなる空間があることを、ルレンティアに見破られてしまった。
 コアを破壊された植物の魔物は、全体が急激に枯れていき、捕らえていたアーミアや妖精たちを力なく解放した。

「あーみん! 大丈夫かにゃ!?」

 ルレンティアは枯れた大花の中で、同じく枯れ果てた触手達に絡みつかれた状態であった。
 かけられた液体は消滅したりしなかったため、全身どろどろのままである。

「無事だけど……動けない。これ切って」

「任せるのにゃ」

 アーミアの身体に絡みついているものを、ルレンティアの爪が切断していく。

「……助かった」

「お互い様なのにゃ。というか、あーみんが言ってくれなかったら全員捕まってたかもしれないのにゃ」

「大丈夫ですかーっ、おふたりともーっ」

 木の上から聖羅が声を張り上げる。彼女にはバスタオルの加護があるため、飛び降りても死にはしない。
 だが、死なないからと言って、建物でいう三階分はありそうな高さから飛び降りれるかといえば、そうではなかった。
 それがわかっているので、ルレンティアはのんびりと応える。

「大丈夫にゃー。でもあーみんの拘束を解くから、ちょっと待ってて欲しいのにゃー」

「はーい、周囲の警戒をしておきますねー」

 心得たという様子の聖羅に、ルレンティアは安心してアーミアの解放に集中することができた。

「せいらん、良い子だにゃ」

「それはわかってた」

「えー、そういうの、ずるいにゃ」

「……むぅ。言い方を間違えた。信頼してもいいと思う。気になることはあるけど、たぶんセイラさん自体は邪悪じゃない」

 そういうアーミアが、ようやく自由の身となった。
 花の中から引っ張り出され、地面に降り立つ。

「ありがとう、ルレンティア」

「どういたしましてにゃ。……それにしても、ちょっとその服は刺激強すぎじゃないかにゃ?」

 そうルレンティアが指摘したのは、アーミアの身に纏う神聖法衣のことである。
 薄いレースで出来たベールを幾重にも重ねた形状のそれは、彼女の体を透かして見ることが出来るほどだ。
 いくら神々の加護を得るためとはいえ、うら若き娘であるアーミアが身に着けるには少々、過激な服装ではあった。
 指摘されたアーミアは顔を赤くしながら、そっぽを向く。

「ほっといて……仕方ないじゃないこういう構造なんだから」

 言いながらアーミアは魔法を唱え、植物の分泌液を綺麗に除去する。
 この世界の者であれば大抵の者が使える、清潔化の魔法であった。
 液体で全身ドロドロになっていたアーミアだったが、その魔法のおかげでそれらを消すことができた。
 ルレンティアは恥ずかしがるアーミアを見て、からからと楽しげに笑っていた。

「大丈夫だにゃ。フィルカードならそれくらいの服装はふつ……あーみん?」

「なに?」

「言いにくいんにゃけど……その、下着が……」

「下着?」

 アーミアはルレンティアの指摘に、自分の身体を見る。
 神聖法衣は無事だった。宿っている神々の加護に問題はなく、若干それ自体が光っているようにさえ見える神々しさだ。
 問題は、その下。レース越しにうっすら見えるアーミアの身体である。
 そのすべてがはっきり見えていた。
 身に着けていたはずの、下着がなくなっていたのだ。
 それは植物の分泌液の効果か、あるいは神聖法衣の下に潜り込んだ触手にいつの間にかはぎとられていたのかは、定かではない。

 現実として――アーミアはうっすら透ける神聖法衣だけの姿になっていたのだった。

 その事実を認識するまでに、アーミアは数秒の間を必要とした。
 そして、普段の物静かなアーミアからは考えられない、大きな悲鳴をあげるのであった。

つづく

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第四章 おわり


 アーミアの尊い犠牲――羞恥と下着だ――もあって、聖羅たちに襲いかかってきた大きな花の魔物は倒すことができた。
 囮として花の魔物に捕まったアーミアは、神聖法衣という神々の加護を有する衣服を召還し、身体的な負傷はせずに済んだ。
 しかし花の魔物の蔓の締め上げと、丸呑みされてからの消化液らしきものの効果によって、神聖法衣の下に身に付けていた下着を喪失してしまったのだ。
 今後の行動に支障が出かねない、大きな損失だった。

「ルレンティア……換えの下着、持ってない?」

 神聖法衣は薄いレースを幾層にも重ねたベールを組み合わせ、服の形を成している。
 その完成度は芸術品の域だが、服装としては一つ大きな欠点があり、光に透けてしまうのである。
 下着を着ることはできるが、それ以上の服を着ると神々の加護が緩んでしまう。
 現在、アーミアは花の魔物のせいで下着を失っているため、神聖法衣越しにその肢体が微かに透けて見えてしまっている状態にあった。
 要所を手で隠す事はできるが、アーミアにとっては無防備で頼りない状態である。
 新しい下着があれば済むことなのだが、変質した異界の中では探すこともできない。
 ゆえに誰かが下着を持っている、という可能性にかけるしかないのだが。

「さすがに持ってないにゃあ」

 ルレンティアは苦笑気味に応える。
 彼女は開放的な風土を持つ湖の国の姫であり、露出度の高い服装を着ることに抵抗感はないが、強いて脱ぎたがりというわけではない。
 常に下着の替えを準備してはいないのである。

「服系の装備を呼び寄せられるようにはしてないのかにゃ?」

「わたしが呼びだせるのは通常の神官服だけ。でも、神官服は何の効果も持たない服だから、いまの状況では神聖法衣を脱ぐわけにも……」

「それはそうだにゃあ」

 推定、死告龍が作ったと思われる魔界。
 何が起きるかわからず、即死属性を有する敵がいるために、アーミアは神聖法衣を脱ぐことができないのだ。

「さっき脱ぎ捨てたドレスが使えればよかったんだけど」

 脱ぎ捨てたアーミアのドレスは、花の魔物との戦闘中に消えてしまっていた。
 花は消化液を垂れ流していたために、それに触れて溶けてしまったのだと思われる。

「神官服を加工して、下着にするしかないんじゃないかにゃ?」

 要は布切れを下着にできればいいわけであり、その方法は可能だった。

「……それしかない、か」

 それはまともな服を失うということでもあり、うら若き女性であるアーミアには耐えがたいことである。
 しかし背に腹は替えられない。アーミアは神官服を呼び出すと、その裾を魔法で切り取って、細長い布切れとし、下着として体に巻き付けた。
 その間に、ルレンティアは木の上で待たせていた聖羅を抱えて、降りてくる。
 地面に降りた聖羅はルレンティアにお礼を言い、アーミアにも話しかけた。

「アーミアさん、お怪我はありませんか? すみません。私が囮になるべきところを……」

「気にしなくていい。魔法の補助なしで反応するのは無理」

 聖羅の謝罪に、アーミアはそう応えた。
 その内容に対し、聖羅は抱いた疑問を尋ねる。

「魔法の補助……あの一瞬で、魔法を使ったんですか?」

「正確には常にかかっている反射魔法と呼ばれるもの。危機的状況に陥った時、自動的に発動して、体感速度や思考速度を加速させる」

「急な襲撃や暗殺に警戒しなければならない立場の者には必須の補助魔法だにゃ。その昔、超強くて正面からの戦闘では誰も勝てなかった覇王が、腹心だったはずの部下の裏切りで後ろから魔法で焼き殺されたことがあったのにゃ。隣にいた覇王の寵姫も続けて殺されるところだったにゃが、最初の狙いが覇王だったことで、寵姫の反撃は間に合い、裏切り者は殺されたのにゃ」

「その時の経験を踏まえて、その寵姫が生み出したのが反射魔法。この魔法を使っておけば、例え背後からいきなり魔法で攻撃されても、反撃が間に合うようになる」

「ただ、取り扱いには注意が必要な魔法でもあるのにゃ。この魔法、使いすぎると早死にすると言われてるにゃ」

「常に反射速度も思考速度も速めた状態では精神が保たないから」

「なるほど……だから、とっさの時に自動的でしか発動しないようになっているんですね」

 聖羅は以前、リューが不意打ちで火球を放たれた時、即座に反撃していたことを思い出していた。
 彼女には攻撃されたことすらわからなかった一瞬出来事であった。その超反応を可能にしたのは、そういった魔法の恩恵あってのことだったのだろう。
 話が一通り済み、落ちついたところでルレンティアが話題を改める。

「さて、この結界を作り出していたと思われる魔物は倒したけど……出られるようになったかにゃあ」

「それも気になりますが、あの花に捕らえられていた妖精さんたちは無事でしょうか?」

 花の魔物には、何体もの妖精が捕らえられていた。
 傷つけられてはいなかったようだが、本当に無事かどうかはわからない。
 そう思って聖羅が周囲を見渡してみるが、妖精たちの姿はすでになかった。
 消滅してしまったのか、それとも解放されたので姿を隠してしまったのか、不安に思う聖羅に対し、アーミアとルレンティアが応える。

「消滅、はしていなかったように思う。たぶん」

「あの花は妖精たちから魔力を吸い取って結界を構築していたと思うから……恐らく魔力が枯渇したんだろうにゃ」

「魔力を消耗した妖精は、それが回復するまでは姿を隠すのが普通」

「そうですか……それなら、とりあえずはそっとしておいた方が良さそうですね」

 そう判断した聖羅は、妖精たちのことは一端脇に置いておくにした。
 空間からの脱出を試みるべく、三人は移動を開始する。
 その道中、片手に荷物を抱えているアーミアを見て、聖羅は呟いた。

「そういえば、この世界にはアイテムボックスみたいな、荷物を運ぶための魔法はないんですよね」

 魔界のような異空間が生まれうるなら、そう言ったものがあってもおかしくないと、聖羅は思ったのだ。
 その疑問に対し、アーミアとルランティアは首を横に振る。

「便利だとは思うけど、そういった魔法は聞いたことがない」

「魔界を生み出せるのは魔物だけだからにゃ。空間に作用する方法はよくわかっていないのにゃ。協力的な魔族もいるけども……彼らにも原理はよく分かってないみたいだにゃあ」

「魔族自身は研究とか、そういうことはしないんでしょうか?」

「する者もいると思うにゃ。けど、死告龍がそうであるように、魔界を生むほど強い魔族はそういったことには興味がないみたいだにゃ」

「……というより、その域に達するとそれは等しく人類の敵だから。友好的に話を出来た例がほとんどない」

 アーミアは躊躇いながらではあったが、その事実を聖羅に伝える。
 聖羅もまた、その事実が躊躇いつつ告げられた理由を理解していた。

(魔界を生み出す魔族は人類の敵……つまり、リューさんもそうだと言いたいんですよね。まあ、そのことは前から聞いていましたが……)

 その話をアーミアが改めてした、ということに何か意図があると聖羅は感じていた。

(リューさんが危険な魔族であることを実感させようとしている……とかでしょうか)

 なんの後ろ盾もない聖羅にとって、死告龍の存在は安全を担保するための強力な切り札である。
 だが、それを切ることは極めて危険な賭けにもなる。誰にも負けないかもしれないが、すべてを敵に回す可能性を孕んでいる。
 安全をアーミアやルレンティアが安全を確保してくれるのなら、聖羅としてはリューから離れても問題ない。リューへの個人的な感情はおいておくにしても、だ。

(ルーさんもアーミアさんも、それぞれ国の代表であるという面を差し引いて考えても、信用のおけそうな人物であるというのはわかってきましたし、あとは、リューさんが私から穏便に離れてくれれば……)

 そう考えかけた聖羅だが、同時に大きな問題にも気づく。

(もし……リューさんが私に番になってほしいという望みを抱かなくなったとして。リューさんはその後どうするのでしょう?)

 普通に考えれば、恐らく次の番候補を求めて動き出すのだろう。
 数々の英雄クラスの者たちを薙ぎ払ってきた危険な存在が、再び世に放たれるということだ。
 それは極めて危険なことだった。

(やはり、どこかでお二人に協力をお願いするべき……でしょうね。私一人では最適解を見出すことができません)

 そう思いつつ、いまここで話して良いことでもなさそうだと考えた聖羅は、この場を凌ぐ方向に頭を切り替えた。

「話が逸れてしまいましたね……結界がどうなったか見に行きませんか?」

「それがいいにゃ」

「わかった」

 三人は先程聖羅が弾かれてしまった結界の境界へと向かう。
 その場所はすでに大きな変化を見せていた。

「扉……? ですよね」

 森はまだ先に続いているようにも見えるが、明らかにその景色に綻びが生まれていて、そこに半透明の扉のようなものがあるとわかった。
 扉に対してはいい思い出のない聖羅であったが、明らかに変化が生まれているということに希望が見えた。
 しかし、アーミアとルランティアは難しい顔をしている。

「あれは……なんだと思う? ルレンティア」

「普通の扉ではなさそうだにゃあ。明らかに違う場所につながっていそうだにゃ」

「例の、国と国とを繋いでいる門のように、ですか?」

「いや、この場合は遠くに行くというよりは、別の空間につながっているというべき」

「完全に夢幻迷宮だにゃ。協力しているとも思えないし、死告龍の魔界はどうなってるんだにゃー」

 疲れたようにため息を吐くルレンティア。
 聖羅は彼女のいう言葉が気になった。

「ルーさん、夢幻迷宮というのは……?」

「妖精が生み出す妖しの術の中でも極意と呼ばれる魔法だにゃ。大妖精レベルの者が扱う術で、普通の妖精がただ道に迷わせる程度だとすれば、大妖精の物は本当に違った道を歩むことになる……それが突き詰められると、こんな感じで全く別の空間同士が繋がるのにゃ」

「その時、空間と空間を行き来する手段として、こういった扉が生まれることがある」

「なるほど……だとすると、ヨウさんがこの空間に関わっている可能性がありますね……」

 聖羅が素人考えを自覚しつつ呟くと、アーミアとルランティアもそれに賛同するように頷いた。

「関係ない、と思わないほうがいいとおもうにゃ」

「自発的なのか、さっきの妖精たちみたいに無理やり使われているのかはわからないけど、大妖精の力を使っているとみるのが自然」

 アーミアは深くため息を履く。

「現状ですでにありえないけど……その上、こんな複雑な空間をゼロから作ったというよりは、大妖精の力を流用していると考える方がまだマシ」

「……少なくともヨウさんは私への義理立てを誓ってくれています。ヨウさんに接触して、夢幻迷宮の力を使わないようにお願いすれば、聞いてくれるかもしれません」

「事態打開のためには必要な工程かもしれないにゃあ。いまのままじゃ、どこに魔界の主がいるのかもわからないし、最悪永遠に逃げ続けられるかもしれないにゃ」

「とにかく、まずはこの結界から出よう」

 そう言ってアーミアが結界に向かい、杖を使って魔法を使おうとした時。
 唐突に扉が開いたかと思うと、そこから黒い塊が飛び出してきた。
 聖羅はもちろん、アーミアとルレンティアも反応できなかった。
 ふたりは反射魔法で飛び出してきたものは認識できていたが、認識出来ていたからこそ、反応できなかった。
 いずれにせよ、その場にいる誰も反応しなかったことで。

「ごっふぅっ!」

 聖羅はその黒いものの直撃を腹に受け、くの字の形で吹き飛ばされた。
 そのまま仰向けに倒れた聖羅は、痛みこそ感じなかったものの、突然の衝撃に目を回していた。

(こ、この感じ、なにか、覚えがあるのですけど……っ)

 そう思う聖羅の視界に、ひょっこりと入り込んでくるものがあった。
 ヘビのような、トカゲのような。立派な角を生やした、爬虫類の顔。
 本来聖羅は爬虫類の区別をつけられるほど、爬虫類に対して詳しくなかったが、その存在のことだけはわかった。数週間、毎日のように顔を合わせていれば当然である。
 その黒い鱗を持つ存在は、どっしりとした重みで聖羅の身体の上に乗っかっていた。

「くるるっ、きゅるるる~」

 楽しげな鳴き声は、聖羅がよく聞いていた声と相違なく、それが間違いなく自分の知るあの存在だということを、聖羅は確信できていた。
 だが、同時に戸惑いも大きくなる。

「りゅ、リューさん……?」

 思わず語尾にハテナマークが浮かんだのも、無理はない。
 聖羅は自分の胸の上に乗っていたその存在を、両手で持ち上げて上半身を起こす。
 聖羅の呼びかけに、トイプードルやポメラニアンなどの小型犬ほどのサイズのドラゴンが――全世界全種族から恐れられている死告龍のリューが、嬉しげに啼いて応える。

「くるるるるるっ!」

 サイズ以外は死告龍とまるで変わらない姿をしたその小さなドラゴンは、自分の名前を呼ばれるのが嬉しいと言わんばかりに、聖羅の上で高らかに啼くのであった。

つづく
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夜空さくら (旧HN:黒い月)

Author:夜空さくら (旧HN:黒い月)

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