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黎明媚態

露出系、羞恥系の18禁小説を書いています。関連の同人・版権作品のレビューも書きます。18歳以下の閲覧禁止。

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第四章 1


 音も無く近づいてきた『それ』に聖羅が気付いた時には、すでに遅かった。
 それは細長い形状を活かし、聖羅の足首に絡みついたかと思うと、まるでカツオの一本釣りのように、聖羅を高々と吊り上げる。

「きゃああああああ!!!??」

 聖羅は抵抗することもできないまま、空高く持ち上げられ、宙づりにされてしまう。
 足首に巻き付いたそれ――黒い触手のようなものは、ロープのように細い身でありながら、聖羅という人間ひとりの体重を軽々と支えていた。
 聖羅にはバスタオルが持つ加護があるため、触手に締め付けられた足首が折れるなどのダメージこそ負っていなかったが、そうではないところで大きなダメージを受けていた。

「わっ、あっ! いやぁッ!!」

 聖羅はバスタオルを腰に巻いているが、バスタオルの加護を発揮させるため、それ以外にほとんど服を身につけられないという制約があった。
 当然、下着も身につけられていないのである。そんな彼女が、足を起点に宙づりにされたらどうなるか。
 そんなことは子供でもわかる理屈だ。
 裏返った聖羅が腰に巻いたバスタオルは大きく捲り上がり、彼女の股間が晒されそうになる。聖羅は両手で必死にバスタオルを抑えていたが、咄嗟のことだったので、前に意識が集中していた。
 そのため、お尻側のバスタオルの裾が完全に捲れ上がり、その丸いお尻が丸出しになってしまった。

「やあああああ!! み、見ないでくださいっ!!」

 慌てて後ろ側も手で抑えようとする聖羅だが、宙づりの状態で、しかも前を見られないようにと必死に抑えている状態では、上手く隠せない。
 なにより、両足を掴んで持ち上げられているならともかく、片足だけを吊られている状態のため、気を抜くと吊されていない方の足が下がってきて、股間を大開帳する、なんてことになりかねなかった。
 逆さまに吊られた影響だけでなく、羞恥もあって、聖羅の顔が真っ赤に染まる。
 そんな彼女が、自分の姿を見ないように懇願した相手は、その手に杖らしきものを呼び寄せていた。

「セイラさん! いま、助ける……!」

 ログアンの巫女姫・アーミア。彼女は聖羅の格好を模したドレスを着ていたが、聖羅と違って下着などはちゃんと身に付けている。
 呼び寄せた杖に魔力を集中させ、魔法を使おうとしていた。
 そんなアーミアの足下にも、触手たちが忍び寄って来ているのが、宙に吊られた聖羅からはよく見えた。大慌てで、アーミアに向けて警告を発する。

「アーミアさん! 危ないっ!」

 その聖羅のせっぱ詰まった声を受け、アーミアもその存在に気付いた。
 空中にいる聖羅に向けていた杖の先を地面に向け、くるりと自分の周りに円を描く。杖の軌跡が光を放った。
 アーミアの身体に向けて伸びた触手の動きが、その光の軌跡に沿う形で生み出された光の壁に阻まれる。

「舐めないで! 結界術は、わたしの得意分野……!」

 アーミアはログアンを代表する巫女姫であり、その実力は極めて高い。
 中でも結界術に長けている彼女は、守りに重点を置いた魔法使いだ。これはログアンの民が守護亀・グランドジーグと互いに守り合う関係であることに起因しており、伝統的に巫女姫には守りの術が得意な者が就くことが多いのである。
 そのアーミアが張った結界は、一般的なドラゴンのブレスならば軽く防げる防御力を発揮する。ただの触手の攻撃がその防御を突破出来る理屈はない。

 だが、その触手はただの触手ではなかった。

 一度は結界に弾かれた触手たちが、その先端に黒い霧のようなものを纏ったかと思うと、再度結界に向けて先端を鞭のようにして振るう。
 すると、先ほどまでは全く歯が立たなかったはずのアーミアの結界が砕け散った。
 結界術に絶大な自信を持っているアーミアだからこそ、その触手の持つ異常性に気付く。彼女の張る結界術を瞬時に破壊出来る特性など、ひとつしかない。

「嘘……!? この、触手……っ、まさか――即死属性を纏って、ッ!?」

 驚愕したアーミアの対応が遅れ、その全身に黒い触手たちが絡みつく。
 そして、その細身の身体を軋むほどに締め付け始めた。
 締め付けられている部位は腕や足といった四肢だけではなく、首にも触手が巻き付いていた。強烈に首を締め付けられ、アーミアは呼吸困難に陥る。

「ぐ、ぅ……っ!」

「アーミアさんッ!」

 聖羅はアーミアに向けて叫んだが、彼女にはどうすることもできない。
 アーミアの身体を触手が締め上げて軋ませ、声もあげられない彼女が苦しげに呻く。
 そして、窮地に立たされているのは、アーミアだけではなかった。
 空中に吊り下げられた聖羅。

 彼女にも、黒い触手たちが迫っていたのだ。




 少し時間は遡り、それは――何の前触れもなく始まった。

 聖羅とアーミアが一対一で対話を行っていた時。
 聖羅の『嫌いなもの』を聴いたアーミアが、怪訝そうな顔をしてその真意を問いただそうとしたまさにその瞬間であった。
 部屋の窓から差し込んでいた陽光が突然消え、部屋が暗闇に閉ざされる。
 昼間にもかかわらず、真っ暗になったことに聖羅は驚いた。

「停電……?」

 無論、現在の時刻は昼間であるのだからそんなわけはないのだが、そう表現するのが的確な現象であった。
 もし分厚い雲のような、巨大なものが日光を遮ったのだとしても、手の先が見えなくなるほどの暗闇にはならないだろう。
 聖羅は戸惑うことしか出来なかったが、アーミアの反応は早かった。
 素早く身体の前に手を翳し、その指先に魔法の灯りを生じさせる。魔法の灯りは非常に光量が強く――聖羅の感覚で言うならば蛍光灯の光のように――部屋を明瞭に照らし出した。
 灯りが生じ、周りが見えるようになったことで、聖羅は少し安堵する。

「ありがとうございます、アーミアさん。……何が起きたのでしょうか?」

「……わからない。こんな現象は知らない。セイラさんの呟いた、テイデンっていうのは?」

 アーミアは端的に、自分たちの世界特有の現象ではないと聖羅に伝え、聖羅が思わず呟いた単語の説明を求める。
 この世界には魔法の灯りがあるため、電気技術は発達していない。ゆえに電気が止まるという意味の『停電』は翻訳魔法では正確に伝わらなかったようだ。

「あ。すみません。停電というのは……そうですね。こちらの世界で言うなら、月明かりもない夜に、部屋に灯している魔法の灯りが一斉に消えて、部屋の中が一瞬のうちに真っ暗闇になることです」

「……なるほど。でも、これはそういった現象ではない、と思われる」

「ええ。いまはそもそも昼ですし……アーミアさん。窓の外、変じゃないですか?」

 聖羅は外の様子を窺えないものかと窓に近づこうとして、窓の外が不自然に真っ黒になっていることに気付いた。
 仮に何らかの理由で日光が消えたとしても、アーミアが出している灯りが、多少なりとも外を照らすはずだ。
 しかし、窓の外には奥行きが感じられず、まるで窓ガラスを墨か何かで塗りつぶしたかのように、ただただ真っ黒になっている。
 アーミアは少し考えてから、窓に近づかないように聖羅に言った。

「下手に近づかない方がいい。……まずは、寝室のルレンティアを起こそう」

 得体の知れない状況にある以上、味方を少しでも増やすのは得策である。
 ルレンティアは勘働きに優れた獣人であり、そういった意味でもこの得体の知れない状況に対処するには、頼りになる存在だった。

「そうですね。起こしてきます」

 同意した聖羅は、急いで寝室に続くドアに近づいた。
 寝室のドアをノックした聖羅は、緊急事態であることを加味して、中から応えがある前にドアノブを捻って扉を開いた。

「ルーさん、大変なことが……え?」

 思わず間の抜けた声を出してしまった聖羅だが、そんな彼女を馬鹿にすることが出来る者はいないだろう。
 なぜなら、聖羅が開いたドアの先は――森になっていたためだ。
 それはまるで聖羅がこの世界に来た時のようで。
 聖羅はその事に思い至ると、大急ぎで背後を振り返った。あのときのように、直前までいたはずの部屋が消えている可能性を考えてしまったからだ。
 幸い、今回は振り返った先が石の扉になっているということはなく、部屋の中でアーミアが眼を見開いて驚いていた。聖羅越しに見えたのだろう。

「森……?」

「みたいです……寝室は、ルーさんは、どこに……?」

 唖然とするしかない二人。
 聖羅はドアノブを持ったまま、少し部屋の外に出てみようと足を踏み出した。地面は部屋の床からドアの境界を超えた瞬間、土になっている。まるで無理矢理切り取った部屋を外に放り出したかのようだった。

(これ、外から見たらこの部屋はどうなっているんでしょう?)

 そう思った聖羅は、片足を部屋の中に残したまま、なるべく身体を外に出して部屋の外観を見てみようと試みた。
 片足だけを外に出してしまったのだ。もし両足を揃えていたら、その後の悲劇のひとつは回避できていたのだが。
 森の奥から伸びて来た、細長く黒い触手がその踏み出した片足に絡みつき、宙づりにされるのは、そのすぐあとのことだった。

 聖羅は森の中で宙づりにされ、それを助けようとして森に飛び出したアーミアも触手に捕らわれてしまった。

 さらに、宙づりになった聖羅にも、多数の触手が伸びてくる。
 そのおぞましい状況に青ざめる聖羅だが、自分のことはあまり心配していなかった。
 聖羅にはバスタオルの加護がある。身体を持ち上げて宙に固定するほどに締め上げている触手の力は強かったが、聖羅はそこまで痛みを感じていなかった。
 現在聖羅はバスタオルを腰に巻き、胸は別の布で隠すというスタイルを取っているため、多少バスタオルの加護は弱まっている状態だ。
 その状態で痛くないのだから、仮に全身を締め上げられても、死にはしないだろう。

(ですが……アーミアさんは違います……!)

 アーミアは首を締め上げられ、苦しそうにもがいている。
 早く助けなければ命に関わるだろう。
 聖羅はなんとか触手をふりほどけないものかと、締め上げられていない足で蹴ってみるが、非力な聖羅の蹴りなど触手には全く効果がなかった。
 無駄な足掻きとばかりに、聖羅の全身に別の触手が巻き付いてきた。身体に巻き付いてきた触手の影響は聖羅の予想通り大して苦しく感じなかったが、想定外のことが起きた。

「――ッ! いやあっ! やめ、やめてっ!」

 聖羅が触手を蹴っていた足にも、別の触手が絡みつき、別の方向に向けて引っ張り出したのである。
 両足を無理矢理別々の方向に引かれれば、どんな格好になるか。
 聖羅は吊り輪にぶら下がって足を開く体操選手よろしく、空中で大股を開かされることになってしまった。
 幸い、バスタオルを抑えている手は胴体と一緒に巻き付かれたため、彼女のもっとも秘めたい場所が無防備に晒されることこそなかったが、うら若き乙女にとって死ぬほど恥ずかしい格好であることに変わりは無い。

「ヨ、ヨウさん! ヨウさんっ、助けてください!」

 普段なら呼べばすぐに来てくれる、大妖精のヨウに助けを求める聖羅だったが、その助けを求める声は虚しく森に響くだけだった。
 アーミアの顔が赤を通り越して青白くなり、いよいよ命の危機が訪れる。

「誰か――ッ!」

 叫ぶ聖羅。
 声をあげることしか、彼女に出来ることはなかった。
 無論それで触手が止まることはない。
 だが。

「あーみんっ!」

 目にも止まらぬ勢いで遠くから駆けて来たルレンティアが、アーミアの首を絞める触手を切り裂いてその命を繋いだ。激しく咳き込み、肺に空気を取り入れるアーミア。
 そのアーミアの身体を締め付ける触手は、次々切断されていった。

「あーみんをいじめていいのは、ボクだけにゃ!」

「……っ、あなっ、たっ、げほっ、はっ! ごほっ、けほっ」

 こんなときでもふざけることをやめないルレンティアに、咳き込みつつ涙目のアーミアが抗議する。
 ルレンティアは「ごめんにゃ! いつもの癖にゃ!」と悪びれもせずに言い放ち、さらに触手を切断していく。
 その光景を上から見ていた聖羅は、ルレンティアが武器を持たず、手で触手を切断していることに驚いていた。

(す、すごいです……! 確か、あれも獣人の特徴なんでしたっけ)

 ルレンティアの爪が非常に長く伸びていた。それは錐のように鋭利で、ナイフのように研ぎ澄まされている。
 さらに、ルレンティアはまるで四足獣の如く全身を使って跳び回り、本物の猫のそれのような動きを見せていた。下半身と手の先が獣の、具体的にいえば猫のそれになっており、人間と獣を合わせたような姿になっていた。機動力が大幅に向上しているのか、見てわかる。
 実に獣人らしい姿になっているルレンティアは、アーミアの身体を締め付けていた触手を一掃すると、森の木々の幹を蹴り、空中に向けて跳び上がった。
 聖羅を吊り下げていた触手が切り裂かれ、聖羅の身体が落下し始める。

「せいらんっ、うごかにゃいで!」

 鋭い命令に、聖羅は思わず暴れかけた身体を硬直させる。
 ルレンティアは木の枝の反動を巧みに使い、自分より先に落下していた聖羅に向けて加速して追いつき、その身体を抱えて着地した。
 触手たちは聖羅を抱えて攻撃出来なくなったルレンティアを、ここぞとばかりに捕らえようとしたが、それは別方向からの攻撃が防いだ。

「お返し……!」

 危うく殺されかけた怒りのアーミアである。
 ルレンティアが聖羅を助ける間に、取り落としていた杖を拾い、それを用いて攻撃魔法を唱えていたようだ。
 アーミアの周囲に火炎弾が浮かび、恐ろしい速度で放たれる。火球は正確に触手たちを撃ち抜き、撤退に追い込んだ。

「も、森に燃え移らないでしょうか……?」

「大丈夫、あれは魔法の火だから、あーみんが望めばいつでも消せるにゃ」

 森への被害を心配してしまった聖羅に対し、ルレンティアは安心させるように微笑む。
 魔法とは便利なものだと、聖羅は改めてそう思った。
 そして、ひとまず触手たちの脅威が去ったところで、聖羅はどうしても気になっていたことをルレンティアに聴くことにした。

「……あの、ところでルーさん」

「なにかにゃ、せいらん」

 応じつつ、ルレンティアは抱えていた聖羅を地面に下ろす。
 聖羅は助けてもらったお礼を言いつつも、ルレンティアから視線を外していた。

「その……どうして、服を身につけていらっしゃらないんですか?」

 そう、半分獣の姿になっているルレンティアは、なぜか服を一切身に付けていなかった。
 下半身は猫のそれに変わってしまっていて、滑らかな獣毛が覆っているため、気にならなかったが、上半身は人間の女性の姿そのままである。
 その上で、聖羅がそうしているような胸に巻いているはずの布がなくなっており、彼女の豊満な乳房が露わになってしまっていた。
 指摘されたルレンティアは、頭を搔きながら聖羅の質問に応える。

「こんなことになると思ってなかったからにゃあ。ボクは寝るときは全裸派なのにゃ」

「ああ、なるほど……それなら仕方ないですね。これを使ってください」

 聖羅は自分の胸を覆う布を取り外し、ルレンティアに渡す。そして自分は腰に巻いていたバスタオルを胸まで持ち上げ、バスタオル一枚の格好になった。
 胸に巻かれていた布を手渡されたルレンティアは、少し驚いていた。

「使わせてもらっていいのかにゃ? 上半身は獣化できないから、助かるけど……」

「私のこのバスタオルはこうしてこれだけで身に付けることで、宿っている神々の加護が強まるんです。……恥ずかしいので普段はああしているのですが。いまは緊急事態ですし、加護を強めておいた方がいいはずです」

 最重要事項のひとつを、聖羅は惜しげもなくルレンティアたちに明らかにする。
 加護のことはなるべく人に広めないようにしているが、いまは状況に対処するのが先決だった。戦力にはなれなくとも、自分には防御力があると伝えておくだけでも違ってくる。
 その聖羅の意図をルレンティアも理解したのだろう。

「わかったにゃ。ありがたく使わせてもらうにゃ」

 聖羅から受け取った布を使って、その揺れ動く乳房を抑えて止める。
 そんなやりとりをしていた二人の元に、アーミアが近づいてきた。

「……酷い目にあった」

 彼女の全身には、縄をかけられたような、赤くなった痕が残っていた。
 かなりの強さで締め付けられたと見え、着ていたドレスもぼろぼろになってしまっていた。元々が露出度の高いドレスだったが、余計に露出度があがってしまっている。

 バスタオル一枚の聖羅。
 上半身に布一枚のルレンティア。
 半壊したドレスのアーミア。

 半裸の女性三人は鬱蒼と暗い森の中、これからどうするべきかと顔を見合わせるのだった。

つづく

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第四章 2


「ひとまず、森の中からは何が出て来るかわかりませんし、一端部屋に戻りませんか?」

 聖羅はルレンティアとアーミアにそう提案した。
 謎の触手が襲いかかってきた森の中より、その方が安全だと思ったからだ。
 しかし、出てきた方向を振り返った聖羅とアーミアは、揃って眼を見開くことになる。

「あ、あれ……? 扉が……というか、部屋が……」

「……なんてこと」

 ふたりが出てきた部屋は、忽然と消滅していた。
 触手によって翻弄されている間に、霞のように消えてしまっていたのだ。
 ルレンティアはふたりの態度から状況を察したようだ。

「もしかして、ふたりのいた部屋は無事だったのかにゃ?」

「ルレンティアのいた部屋はそうじゃなかったの?」

「ボクは気付いたら裸で森の中に放り出されてたにゃ。すぐ傍に脱いだドレスはおいてたんだけどにゃ。そっちはそうじゃなかったのにゃ?」

「ええ。私たちは突然部屋の外が真っ暗になってしまって異常に気づいたんです。部屋の中はそのままでしたよね?」

 聖羅の確認に、アーミアも頷く。
 少なくとも彼女たちが感じた範囲で、部屋の中に異常は見られなかった。

「……まあ、仮に部屋がそのまま残っていたとしても、この状況では戻っても安全だったとは限らない」

「それもそうだにゃあ。ひとまず脅威を追い払った森の中にいた方が安全かもしれないにゃ」

 ふたりの意見に、聖羅は首を傾げる。

「どういうことですか? ……もしや、おふたりにはこの現象がなんなのか、心当たりがあるのですか?」

「おそらく、だけどにゃ。でも、これは普通はありえないことなんだよにゃあ」

 その言葉を聞き、聖羅にもひとつの可能性が浮かんで来た。

「もしや……魔界化、というものでしょうか?」

「そう。強大な魔王級の魔族が存在することで起こる、周辺環境の異常化……わたしの結界術を突破しうる即死属性を持つあの触手は、死告龍の眷属である可能性が高い」

 もっとも恐れるべきことだと聖羅が聴いていた、死告龍の魔界と、その眷属の発生。
 聖羅はごくりと息を呑んだ。魔界化の兆候を見逃していたかもしれないためだ。
 日常的に中庭にいられるのは聖羅だけであり、彼女はそれを理解して中庭の状況には眼を光らせているつもりだった。

「魔界化はそう簡単に起きるものではないと聴いていましたが……」

 これほど急激に変化するものだったのだろうか、と聖羅は疑問に思う。
 それに対してはルレンティアとアーミアも同感なのか、聖羅に同意して頷いていた。

「だにゃあ。おまけに死告龍がいたのは王城の中にゃ。城というのは入念な魔法対策も施していることが多いから、魔界化するのが最も遅い建造物といえるにゃ」

「けれど、この状況。事実として魔界化してしまったとしか思えない」

「そうだにゃあ……やっぱり死告龍はとんでもない存在だにゃ。魔界化するはずがない場所を魔界化させちゃうんだからにゃ」

 ふたりの姫は顔を見合わせて、意味深な視線を交わす。
 聖羅はなんとなく、その視線の意味がわかるような気がした。

(リューさんの脅威を改めて認識した……というところでしょうね)

 庇護を受けている聖羅はともかく、ふたりにとって死告龍はいまだ脅威になり得る存在としての側面が強い。
 板挟みになる聖羅としては悩みどころではあるが、いまはそれにばかり構っていられない状況だった。

「ひとまず、これからどうしましょうか」

「森の中を進んでみるしかないにゃ。安全が確保出来る場所があればいいんだけどにゃ」

「建造物すら飲み込んでしまう魔界に、安全な場所なんてないかもだけど」

「あーみん。それは言っちゃダメにゃー」

 三人は、一番先頭に勘が鋭くもっとも近接戦闘力の高いルレンティア、真ん中に様々な魔法を扱えて柔軟に対応出来るアーミア、もっとも不意打ちを受けやすい最後衛に絶対の防御力を持つ聖羅、という布陣を組んで森の中を進むことにした。
 森の中を進みながら、聖羅はふたりに魔界化について尋ねる。基本的なことはルィテ王国の者から教えてもらっていたが、より詳しく聞いておいた方が良いと判断したためだ。

 魔界化。

 それは強大な魔族が存在することで、周囲に異変を起こす現象の総称である。
 強すぎる魔力が環境に影響していると考えられているが、魔界化を引き起こすのは魔族だけであり、いかに強大な魔力を持った魔法使いであっても、種族が人間であれば魔界化は起きない。
 古来より魔族と人間が争い続けている理由のひとつでもあった。

「基本的に、魔界は人間が住むのに適さない環境。例外はあるけど」

 周囲を警戒しつつ、アーミアはそういった。
 聖羅はアーミアの話を聞きながら、ルィテ王国の者達に説明してもらった知識とすりあわせていた。ルィテ王国の者達を信用していないわけではなかったが、より確実な知識として蓄積するためである。

「例外もあるんですか?」

 聖羅がこの世界の常識を全く知らないために仕方ないことだが、彼女がルィテ王国の者達から受けた説明は基本の範疇が多かった。
 そのため、例外事項になると初耳のことが多くなり、聖羅はそのひとつひとつに注意して尋ねなければならないのだ。
 伸ばした爪で茂みを薙ぎ払って道を切り開きながら、ルレンティアが応える。

「ログアンがまさにそれだよにゃ。いくら聖亀様が巨大と言っても、本来ならその背中だけで国が成立するほどの広さは得られないはずにゃ」

「そういうこと。グランドジーグ様の甲羅の中には、様々な空間が生み出されている。そこを活用させていただいて、ログアンは国として成り立ってる」

「なるほど……」

「生み出される魔界は、核となる魔族の性質が反映されたもので、そこにはその魔族の眷属が生まれる。グランドジーグ様の眷属は小さな……といってもわたしたちにとっては十分大きいのだけど……大体2メートルから5メートルくらいの陸亀。ログアンの民の生活を助けてくださる重要な存在」

「ボクも会ったことがあるけど、とても紳士的で真面目な亀さんたちなのにゃ。うちに何頭か来てくれたら嬉しいんだけどにゃ~」

 楽しげにいうルレンティアに対し、アーミアは溜息を吐く。
 彼女にとってグランドジーグの眷属たちは神の使いのようなものだ。余所の国に渡すなど論外である。

「何度も言ってるけど、眷属は魔界から離れて存在できない。フィルカードに行くことは原理的に無理」

「残念だにゃあ」

 本気で残念そうなルレンティアに対し、アーミアは再度溜息を吐いた。

「ここが魔界だとすると……さっきの触手みたいなものは、その眷属ということなのでしょうか?」

「恐らくはそうだにゃ。長く存在する魔界ならともかく、生まれたばかりの魔界にいる魔物は眷属と見て間違いないはずにゃ」

「即死属性を纏って攻撃してきたことといい……死告龍の眷属である可能性は極めて高い」

 殺されかけたアーミアの顔は強ばっていた。
 締め付けも十分危険だったが、それ以前に即死属性を纏った攻撃を加えられていたら死もありえた。

「幸い、死告龍本体と違って眷属は即死攻撃を連発することは出来ないみたいだから、まだ対処のしようはある。黒い霧のようなものを纏った攻撃は、結界術や攻撃魔法で相殺して」

「わかったにゃ」

 端的に応じるルレンティアには、それが確実に出来るという自負があるようだった。
 聖羅やアーミアを触手から助け出した際の手際といい、姫の立場であっても、戦闘ができないわけではないのだと、聖羅は改めて実感した。
 防御力はあっても戦えるわけではない聖羅は、なるべく戦わなくても済む道を模索する。

「眷属さんに話は通じないのでしょうか?」

「少なくとも、グランドジーグ様の眷属とは話が出来るけど……」

「いきなり襲いかかってきたんだよにゃ? だとすると、話すのは難しそうだにゃ」

「眷属、というくらいですし、元になった魔族とは主従関係にあるんですよね?」

 漫画やゲームのイメージで聖羅は口にしたが、それに対しルレンティアとアーミアは即答しなかった。

「グランドジーグ様の眷族は皆自立した意思を持っているけど、性格はほぼ一緒で、突出して個性的な存在はいない。おおまかにグランドジーグ様の意向を反映して、ログアンの民の懇願に応えて動く存在だから、主従……というべきかどうか」

「魔界によって色々、ってことになるにゃあ。いずれにせよ眷族は魔界でないと存在できないし、その魔界の要たる『主』に危害を加えられないのは変わらないはずにゃ」

「だとすると……リューさんに直接お願いできれば、大人しくしていただける可能性はありますね」

「その期待はできるにゃ」

 死告龍に会えれば、問題は解決するかもしれない。
 聖羅はわずかながら希望を感じた。

(少なくともリューさん自身とは話が通じる……眷族さんたちに人を襲わないように言わないと……!)

 魔界に呑まれた他の人間の安否が気になっていたのだ。
 アーミアやルレンティアは戦闘能力があるが、城で働いている使用人の中には、あまりそういったことが得意でない者も多い。
 その者たちのためにも、一刻も早くリューに会わなければと聖羅は決意する。

「……しっかし、この森はどこまで続くのかにゃー?」

 そういうルレンティアの前方には、鬱蒼とした森が遙か先まで続いていた。
 乱立する木や生い茂った藪のために視界は悪いが、それでも広々と続いていることは明らかだった。

「魔界というのは、どこもこんなに広いものなんですか?」

「規模による……といっても、生まれたばかりの魔界がこんなに広いわけがない」

「空間の端にたどり着けば色々やりようもあるんだけどにゃあ。なにか、カラクリがありそうだにゃ」

「カラクリ……というと――あびっ!?」

 ルレンティアとアーミアに続いて歩いていた聖羅が、突如不自然な動きでひっくり返る。
 前を見ずに歩いていて間抜けにも壁か何かに激突したような、そんな動きだった。
 先行していた二人が聖羅のあげた奇妙な声に驚いて振り返ると、聖羅が額を抑えて仰向けにひっくり返っていた。
 二人が即座に視線を外したのは、ひっくり返った聖羅の大事なところが開帳されていたためである。聖羅への気遣いもあったが、同性とはいえ、そこを直視するのは二人も恥ずかしかったのだ。

「いたっ……くはないですけど、びっくりしました……」

 幸か不幸か、ひっくり返った張本人は額を打ち付けたことに唖然としていたため、そのことに気づいている様子はなかった。
 ルレンティアとアーミアはさりげなく聖羅の脇に移動し、彼女を助け起こす。

「怪我はしてないみたいだにゃ」

「セイラさん、何があったの? 枝か何かにぶつかった?」

 二人に優しく声をかけられ、聖羅は礼を言いつつ身体を起こした。
 そして、恐る恐るといった様子で手をまっすぐ前に伸ばす。
 その指先が不自然なところで何かにぶつかって、押し戻された。

「ここになにか……透明な壁のようなものがあるんです」

 ルレンティアとアーミアが聖羅の指先辺りの空間に手を伸ばしてみるが、何も起きなかった。自然に動いている。
 だが聖羅の指は相変わらず一定の場所で止まり、それ以上先にはどうやっても進まなかった。『壁がある』というパントマイムでもしているようだと聖羅は感じたが、他の二人はそれを見て思いつくことがあったようだ。

「……ここで空間がねじ曲がってるのかも」

「いくらなんでも広すぎると思ったら……なるほど、そういうことにゃ」

 ふたりは納得したように呟き、それを聴いた聖羅もなんとなく事情を察した。

「つまり、実際に空間が広がっているのではなく、空間が歪曲して無限に続いているように見せかけられている、ということですか?」

「そういうことだにゃ。せいらんが気づいてくれなかったら、延々森の中を歩かされていたところにゃ」

「性質が悪い……結界術の心得があるわたしが気づけないなんて」

 空間に関わる魔法は結界術の範疇であり、その熟練した使い手であるアーミアが気づけなかったというのは相当高度な魔法の証拠であった。
 誇りを刺激されたのか、アーミアは杖を構え、その魔法の解析を始める。無数の魔方陣がアーミアを中心に広がり、薄暗い森の中を魔法の光が照らした。

「……解析成功。どうやらこの境界線はこの空間の反対側……わたしたちからすると、今歩いて来た方向に繋がってる」

「普通に歩いていたら同じ場所をずっと歩くことになるわけだにゃ」

「このような結界は、どうやったら脱出できるのでしょうか?」

 聖羅の問いに対し、ルレンティアは拳を握ってみせる。
 そしてそれを透明な壁に当てるように振った。

「大したことのない結界なら、力尽くで突破することもできるにゃ。……でも、ボクには干渉すらできないみたいだにゃ」

「……術者を倒して解除させればいい。この規模の結界なら術者は確実に結界の内側にいるはず。もしくは、起点となる何らかの要がある」

「問題は……この広い空間の中からそれを見つけ出すのは難しいってことだにゃあ」

「歩いて来た分だけを考えても結構な広さですもんね」

「もう少し解析してみる。そうすれば要の位置も――」

 アーミアがさらに結界の解析をしようとした時、ルレンティアが手をあげてそれを制した。怪訝そうな顔をしつつも、アーミアは解析のための魔方陣を展開するのを中断する。
 ルレンティアは自分たちが歩いてきた方向を睨んでいた。

「どうやら、悠長に解析している暇はないみたいだにゃ」

 遅れてアーミアと聖羅もそれに気づいた。
 明らかに巨大な何かが近づいてきている音が響いてきている。
 待つというほどの時間もなく、すぐにその何かは姿を現した。

「あれは……巨大な……花……?」

 それは巨大な蕾を中心に広がった、植物であった。
 人間のほどもある巨大な蕾の周りを守護するように、無数の蔓のような触手が蠢いている。いくつかの蔓の途中には人間の頭部ほどの大きさの蕾がいくつもあり、なにやら不気味な雰囲気だった。
 放っている気配も禍々しいもので、聖羅は思わず後ずさりして距離を取る。
 聖羅のその判断は間違っていなかったのだろう。
 中央の蕾が窄めていた花弁を開き、その本性を露わにする。

 その花は、一言で言えば巨大な口だった。

 花の中央には巨大な穴が空いており、その周辺には鋭い牙のような鋭利なトゲが並んでいる。その角度は内側を向いていて、もしその中に呑まれれば、トゲが返しのようになって抜け出そうとする者の身体をさらに傷つけるだろう。
 その口のような穴からはどろりとした液体が零れ出しており、毒液なのか消化液なのか、地面に落ちて湯気のようなものをあげている。
 そんな凶悪な形状をした蕾は、どう贔屓目に見ても邪悪な存在にしか見えなかった。
 さらにそれを助長するかのように、蔓の所々にある蕾が開く。

 その蕾の中には、小さな妖精達が囚われていた。

 妖精達はぐったりとした様子だった。
 蕾の中に無数に生えた触手のようなものに、四肢や羽を絡め取られ、動けないようだ。
 本来妖精は物質的な拘束を受けない存在だ。仮に縄や鎖で縛ったとしても、魔力で構築されている身体を一端粒子化して逃れることができる。
 そんな妖精達が捕獲されているという事実は、つまりその行動を阻害し得る何かがその触手にはあるということだった。
 妖精達に生物学的な雌雄はないが、大妖精であるヨウがそうであるように、見た目は人間の女性に似通っている。
 そんな妖精たちが、触手に絡め取られて弄ばれているような光景は、三人にとって衝撃的なものだった。思わず硬直してしまった三人を責めることはできない。

 怪しげな花の怪物は三人に向けても、躊躇なくその蔓を伸ばした。

つづく

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第四章 3


 襲いかかってくる植物の魔物。
 最初に反応したのは、フィルカードの姫・ルレンティアだった。
 彼女は獣人の身体能力を遺憾なく発揮し、聖羅とアーミアを抱えて横へと逃げる。
 本当は後退したいところだが、聖羅は結界に移動を阻まれてしまうため、横に逃げざるを得なかった。

(これは――まずいにゃ!)

 植物の蔓が進行方向を遮るように伸びていた。
 ルレンティアひとりなら爪を振るって切り裂くこともできるが、左右に抱えている状態ではそれもままならない。
 どちらかは手放さなければ、全員捕まってしまう。
 即断即決の判断力には自信のあるルレンティアだったが、このときばかりは数瞬躊躇した。神々の加護の防御力を持つ聖羅を手放すべきとは考えたが、彼女の心証的にはどうか。
 ルレンティアは聖羅と交流するためにやって来ている。
 見捨てるつもりなどなく、全員が捕まらないために必要な処置とはいえ、一度抱えた相手を囮のように使うことを聖羅がどう感じるか。その見極めはまだし切れていないのが現状である。
 アーミアならば間違いなく戦略的判断だと理解してくれるだろうが、アーミアには聖羅ほどの防御力がない。先ほど殺されかけていたこともある。
 二人のうち、どちらを優先すべきか、さしものルレンティアも即断は出来なかった。

「ルレンティア!」

 そんなルレンティアの思考の迷いを、アーミア自身が叱咤する。
 はっ、としたルレンティアは、その短いアーミアの呼びかけの真意を受け、アーミアを手放した。
 片手が自由になったルレンティアは、爪を振るって伸びていた蔦を切り裂き、包囲網を突破する。
 その場に落とされたアーミアは、地面に向けて杖を振るい、その場に空気のクッションを発生させ、落下の勢いを殺す。
 だが、その時にはアーミアの眼前には数多の蔓が迫っていた。
 ルレンティアに抱えられながらその光景を見た聖羅が悲鳴をあげる。

「アーミアさん!」

 青ざめたその顔は本気でアーミアを心配しているものだった。
 アーミアはそんな聖羅の表情を見て、彼女が邪悪な者ではないことを確信する。
 そして、この場を凌ぐために、切り札を用いることにした。

「来たれ――神聖法衣」

 アーミアの身体を覆うように、幾重にもベールが重ねられた形状の服が現れる。
 同時にアーミアは着ていた聖女風ドレスを脱ぎ去っていた。神聖法衣が下着姿の彼女を覆う。
 その彼女の身体に蔦が絡みつき、締め上げるが、神聖法衣が光を発し、アーミアは蔦が絡みついた状態でも平然としていた。
 それを見た聖羅は目を見開く。

「あ、あれは一体……?」

「にゃるほど、あれが神聖法衣なんだにゃ。せいらんのバスタオルと同じ『神々の加護』を持つ衣服のひとつだにゃ」

 枝から枝に跳んで、襲いかかってくる蔦を避けながら、ルレンティアは聖羅に教える。
 非常に細かいレースを幾重にも編んで作られたその神聖法衣は、芸術品の域に達しており、有する加護もかなり強いものだ。

「衣服の神はどうも単純な造りで丁寧な縫製の衣服の方を好むみたいなんだにゃ。それを目指して作られたのが、あーみんの身に付けている神聖法衣ってわけにゃ。聞いた話にゃけど、防御力だけでなく、魔法の効果や威力も向上するらしいにゃ」

「そ、そうなんですね……なら、大丈夫なのでしょうか」

「いや、それでも完全防御とはいかないのにゃ。だから、あーみんが時間を稼いでくれてる間に、なんとか本体を叩くにゃ」

 つかず離れずの距離を取りながらルレンティアは植物の魔物の隙を伺う。
 そんなルレンティアに対し、聖羅は声をかけた。

「……ルレンティアさん、私を囮に使ってください。大丈夫ですから」

 本来なら、最初に囮になるべきは自分だったと聖羅は理解していた。
 絶対防御を持つ自分なら、隙を見極めるまでに多少時間がかかっても平気である。
 なのにルレンティアがアーミアを先に手放したのは、自分に対する遠慮が原因だと、察していたのだ。
 ルレンティアは聖羅の言葉を受け、彼女の表情を見て、先ほど自分が心配したようなことはないと悟った。聖羅の本質が少しずつわかってきたのだ。
 こうして交流しに来た甲斐があるというものである。

「……ありがとうにゃ、せいらん。一番良いタイミングでそうさせてもらうにゃ!」

 ルレンティアは植物の動きを見極めるべく、さらに行動を開始する。
 一方、アーミアは全身を植物に締め上げられつつも、先ほどと違って少し余裕があった。
 神聖法衣はその加護の力を発揮し、締め上げてくる植物の蔦の力を弱めてくれている。

(さて、どうしよう)

 アーミアは杖を手放していなかった。攻撃魔法は撃てるが、それで刺激するのが正しいのかどうかわからない。
 それに、植物に捕らえられている妖精たちを巻き込んでしまうというのも問題だった。
 妖精は比較的人間に好意的な魔族であり、極力殺さないことが良いとされている。
 妖精殺しは今後妖精の助力を得られなくなることを意味し、極力避けなければならない。

(この植物のコアはどこ?)

 中央の大きな花がそうかと考えていたが、彼女の鋭敏な魔法の感覚は魔力の集中度合いから、それが魔物のコアではないということを察していた。
 植物とはいえ、這って移動していることから、地中にあるわけでもないことも確かだ。
 植物の周囲を跳び回りながら移動しているルレンティアと視線が合う。
 ルレンティアもコアが見つけられないらしく、首を横に振っていた。

(最悪なのは、この大きな花さえも末節にすぎないってことだけど……)

 結界の端に到達していたアーミアたちは、空間の端にいることになる。
 そうすると、本体は空間の中心にいて、この大きな花は末節という可能性も高い。魔界が出現してからの時間を考えれば、そこまで巨大な存在に育っているとは考えにくいが、可能性は零ではない。
 空間の中心にルレンティアたちに向かってもらうべきか。
 そう考えるアーミアの身体を、植物の魔物が持ち上げた。
 中央の花の中心に開いた口が上を向く。

(まるごと飲み込む気……?)

 アーミアはぞっとするものを感じたが、神聖法衣の防御力があれば耐えることは可能だとも感じていた。
 しかし、植物の魔物が開けた大口に黒い霧のようなものが満ち始める。
 即死属性が宿っている証拠だった。
 神聖法衣は神々の加護を有するため、即死属性にも高確率で耐えることが出来るが、死ぬ可能性はある。
 だが、アーミアは動じなかった。それが来た時のために準備はしてあるのだ。

「現し身――召還」

 そうアーミアが杖に力を込めながら唱えると、空中にアーミアの分身が現れた。
 そのアーミアの分身は、重力にしたがって植物の魔物の口の中へと落ちて行く。
 植物の口が動き、分身の身体に食いついた。口の内側に生えたトゲが分身の身体を容易く食い破っていく。
 ベキベキと骨が砕け、プチプチと肉が千切れて潰れる音が響く。
 分身とは言え、自分と同じ姿をした者が食われていく様は、相当恐ろしい光景であった。
 しかしその甲斐あって、植物の口の中に発生していた黒い霧は消滅している。

(……ん? この感じ、もしかして……)

 現し身はただの分身ではない。
 限りなく本人の性質に近く、本人を危険に晒さずに様々な実験が出来るということで、分析調査に活用されている。
 それはもし自分がこの植物に食われていたらどうなるか、という実験が行えたということだ。
 分身の身体を構成していた魔力はアーミアの指揮下にあり、その魔力がどう植物の中を流れていっているのかが手に取るようにわかる。

「あーみん! 助けた方がいいかにゃ!?」

 そうルレンティアが声をかけたのは、植物の魔物が今度こそアーミア本人を開いた口の中に入れようと動き出したためである。
 ルレンティアもアーミアの使った現し身の性質を知っている。ゆえにアーミア本人を助けた方がいいのか、尋ねたのだ。
 その質問に対し、アーミアが応える。

「大丈夫! 中から魔力を流すから、それを辿って!」

 最低限の指示であったが、ルレンティアはアーミアの意図を汲み取った。
 高い位置の木の枝に飛び上がり、全体を俯瞰して見れる位置取りを行う。

「せいらんも見てて欲しいにゃ! いまからあーみんが魔力を流してくれるにゃ!」

「え、あ、はい!」

 聖羅にはルレンティアやアーミアが何をしようとしているのかわからなかったが、良く見ろと言われたため、下に広がる光景を見た。
 その彼女たちの前で、アーミア本人が植物の大きな口の中へと落下していった。
 アーミアが食われる様を見て、聖羅の顔が青ざめる。

「あ、アーミアさん、大丈夫でしょうか……」

「大丈夫にゃ。神聖法衣が守ってくれてるにゃ」

 そういうルレンティアであったが、さしもの彼女も不安そうな目をしていた。
 花の中に取り込まれたアーミアと言えば、周囲から絡みついてくる細い触手のようなものや、どろどろとした粘性のある分泌液に辟易しながらも、冷静であった。
 トゲが体に食い込もうとしても、神聖法衣の防御力は遺憾なく発揮されており、今のところ身体が傷ついたり、痛みを発したりすることはなかった。
 どろどろした液体を容赦なくかけてくるため、呼吸には難儀したが、完全に呼吸が阻害されるということはない。

(ああもう、気持ち悪い……! 早く、して……!)

 全身くまなくどろどろになりながらも、アーミアはその時を待つ。
 程なくして、ようやくアーミアの目的の行為が始まった。
 魔力を吸われる感覚。この植物は捕らえた者から魔力を吸い取り、それによってアーミアをも幻惑する結界を生み出していたのだ。

(魔力を吸い取るのなら……その魔力に細工をしてやればいい!)

 アーミアはあえて植物に魔力を流した。
 その魔力には、色の変わる細工をしておく。
 それによって吸い取った魔力がどこにどう流れていくのか、はっきりわかった。
 残念ながら魔力を持たず、魔力を感知できない聖羅には見えなかったが。
 ルレンティアには、アーミアの目論見通り、吸収された魔力がどこに向かっているのか、よくわかった。

「よし、見つけたにゃ! せいらん、ごめんにゃ!」

 ルレンティアは聖羅を枝の上に置いて、全速力で移動を始めた。
 おいて行かれた聖羅の元に蔓が迫っていたが、ルレンティアは脇目も振らずに一点を目指して跳ぶ。
 気づかれたことに気づいたのか、植物の魔物が慌ててルレンティアに向かって蔓を伸ばしかけたが、もう遅い。

 ルレンティアが何もない空間に向かって爪を突き出すと、その爪の先に光り輝くオーブのようなものが貫かれていた。

 魔物のコアは、最初から植物のすぐ近くにあったのだ。
 ただ、何重にも幻惑の魔法がかけられており、アーミアやルレンティアにも気づけなかった。
 だがアーミアが捨て身で魔力を植物に流し、その魔力をコアが吸収してしまったことで、移動していた魔力が唐突に見えなくなる空間があることを、ルレンティアに見破られてしまった。
 コアを破壊された植物の魔物は、全体が急激に枯れていき、捕らえていたアーミアや妖精たちを力なく解放した。

「あーみん! 大丈夫かにゃ!?」

 ルレンティアは枯れた大花の中で、同じく枯れ果てた触手達に絡みつかれた状態であった。
 かけられた液体は消滅したりしなかったため、全身どろどろのままである。

「無事だけど……動けない。これ切って」

「任せるのにゃ」

 アーミアの身体に絡みついているものを、ルレンティアの爪が切断していく。

「……助かった」

「お互い様なのにゃ。というか、あーみんが言ってくれなかったら全員捕まってたかもしれないのにゃ」

「大丈夫ですかーっ、おふたりともーっ」

 木の上から聖羅が声を張り上げる。彼女にはバスタオルの加護があるため、飛び降りても死にはしない。
 だが、死なないからと言って、建物でいう三階分はありそうな高さから飛び降りれるかといえば、そうではなかった。
 それがわかっているので、ルレンティアはのんびりと応える。

「大丈夫にゃー。でもあーみんの拘束を解くから、ちょっと待ってて欲しいのにゃー」

「はーい、周囲の警戒をしておきますねー」

 心得たという様子の聖羅に、ルレンティアは安心してアーミアの解放に集中することができた。

「せいらん、良い子だにゃ」

「それはわかってた」

「えー、そういうの、ずるいにゃ」

「……むぅ。言い方を間違えた。信頼してもいいと思う。気になることはあるけど、たぶんセイラさん自体は邪悪じゃない」

 そういうアーミアが、ようやく自由の身となった。
 花の中から引っ張り出され、地面に降り立つ。

「ありがとう、ルレンティア」

「どういたしましてにゃ。……それにしても、ちょっとその服は刺激強すぎじゃないかにゃ?」

 そうルレンティアが指摘したのは、アーミアの身に纏う神聖法衣のことである。
 薄いレースで出来たベールを幾重にも重ねた形状のそれは、彼女の体を透かして見ることが出来るほどだ。
 いくら神々の加護を得るためとはいえ、うら若き娘であるアーミアが身に着けるには少々、過激な服装ではあった。
 指摘されたアーミアは顔を赤くしながら、そっぽを向く。

「ほっといて……仕方ないじゃないこういう構造なんだから」

 言いながらアーミアは魔法を唱え、植物の分泌液を綺麗に除去する。
 この世界の者であれば大抵の者が使える、清潔化の魔法であった。
 液体で全身ドロドロになっていたアーミアだったが、その魔法のおかげでそれらを消すことができた。
 ルレンティアは恥ずかしがるアーミアを見て、からからと楽しげに笑っていた。

「大丈夫だにゃ。フィルカードならそれくらいの服装はふつ……あーみん?」

「なに?」

「言いにくいんにゃけど……その、下着が……」

「下着?」

 アーミアはルレンティアの指摘に、自分の身体を見る。
 神聖法衣は無事だった。宿っている神々の加護に問題はなく、若干それ自体が光っているようにさえ見える神々しさだ。
 問題は、その下。レース越しにうっすら見えるアーミアの身体である。
 そのすべてがはっきり見えていた。
 身に着けていたはずの、下着がなくなっていたのだ。
 それは植物の分泌液の効果か、あるいは神聖法衣の下に潜り込んだ触手にいつの間にかはぎとられていたのかは、定かではない。

 現実として――アーミアはうっすら透ける神聖法衣だけの姿になっていたのだった。

 その事実を認識するまでに、アーミアは数秒の間を必要とした。
 そして、普段の物静かなアーミアからは考えられない、大きな悲鳴をあげるのであった。

つづく

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第四章 おわり


 アーミアの尊い犠牲――羞恥と下着だ――もあって、聖羅たちに襲いかかってきた大きな花の魔物は倒すことができた。
 囮として花の魔物に捕まったアーミアは、神聖法衣という神々の加護を有する衣服を召還し、身体的な負傷はせずに済んだ。
 しかし花の魔物の蔓の締め上げと、丸呑みされてからの消化液らしきものの効果によって、神聖法衣の下に身に付けていた下着を喪失してしまったのだ。
 今後の行動に支障が出かねない、大きな損失だった。

「ルレンティア……換えの下着、持ってない?」

 神聖法衣は薄いレースを幾層にも重ねたベールを組み合わせ、服の形を成している。
 その完成度は芸術品の域だが、服装としては一つ大きな欠点があり、光に透けてしまうのである。
 下着を着ることはできるが、それ以上の服を着ると神々の加護が緩んでしまう。
 現在、アーミアは花の魔物のせいで下着を失っているため、神聖法衣越しにその肢体が微かに透けて見えてしまっている状態にあった。
 要所を手で隠す事はできるが、アーミアにとっては無防備で頼りない状態である。
 新しい下着があれば済むことなのだが、変質した異界の中では探すこともできない。
 ゆえに誰かが下着を持っている、という可能性にかけるしかないのだが。

「さすがに持ってないにゃあ」

 ルレンティアは苦笑気味に応える。
 彼女は開放的な風土を持つ湖の国の姫であり、露出度の高い服装を着ることに抵抗感はないが、強いて脱ぎたがりというわけではない。
 常に下着の替えを準備してはいないのである。

「服系の装備を呼び寄せられるようにはしてないのかにゃ?」

「わたしが呼びだせるのは通常の神官服だけ。でも、神官服は何の効果も持たない服だから、いまの状況では神聖法衣を脱ぐわけにも……」

「それはそうだにゃあ」

 推定、死告龍が作ったと思われる魔界。
 何が起きるかわからず、即死属性を有する敵がいるために、アーミアは神聖法衣を脱ぐことができないのだ。

「さっき脱ぎ捨てたドレスが使えればよかったんだけど」

 脱ぎ捨てたアーミアのドレスは、花の魔物との戦闘中に消えてしまっていた。
 花は消化液を垂れ流していたために、それに触れて溶けてしまったのだと思われる。

「神官服を加工して、下着にするしかないんじゃないかにゃ?」

 要は布切れを下着にできればいいわけであり、その方法は可能だった。

「……それしかない、か」

 それはまともな服を失うということでもあり、うら若き女性であるアーミアには耐えがたいことである。
 しかし背に腹は替えられない。アーミアは神官服を呼び出すと、その裾を魔法で切り取って、細長い布切れとし、下着として体に巻き付けた。
 その間に、ルレンティアは木の上で待たせていた聖羅を抱えて、降りてくる。
 地面に降りた聖羅はルレンティアにお礼を言い、アーミアにも話しかけた。

「アーミアさん、お怪我はありませんか? すみません。私が囮になるべきところを……」

「気にしなくていい。魔法の補助なしで反応するのは無理」

 聖羅の謝罪に、アーミアはそう応えた。
 その内容に対し、聖羅は抱いた疑問を尋ねる。

「魔法の補助……あの一瞬で、魔法を使ったんですか?」

「正確には常にかかっている反射魔法と呼ばれるもの。危機的状況に陥った時、自動的に発動して、体感速度や思考速度を加速させる」

「急な襲撃や暗殺に警戒しなければならない立場の者には必須の補助魔法だにゃ。その昔、超強くて正面からの戦闘では誰も勝てなかった覇王が、腹心だったはずの部下の裏切りで後ろから魔法で焼き殺されたことがあったのにゃ。隣にいた覇王の寵姫も続けて殺されるところだったにゃが、最初の狙いが覇王だったことで、寵姫の反撃は間に合い、裏切り者は殺されたのにゃ」

「その時の経験を踏まえて、その寵姫が生み出したのが反射魔法。この魔法を使っておけば、例え背後からいきなり魔法で攻撃されても、反撃が間に合うようになる」

「ただ、取り扱いには注意が必要な魔法でもあるのにゃ。この魔法、使いすぎると早死にすると言われてるにゃ」

「常に反射速度も思考速度も速めた状態では精神が保たないから」

「なるほど……だから、とっさの時に自動的でしか発動しないようになっているんですね」

 聖羅は以前、リューが不意打ちで火球を放たれた時、即座に反撃していたことを思い出していた。
 彼女には攻撃されたことすらわからなかった一瞬出来事であった。その超反応を可能にしたのは、そういった魔法の恩恵あってのことだったのだろう。
 話が一通り済み、落ちついたところでルレンティアが話題を改める。

「さて、この結界を作り出していたと思われる魔物は倒したけど……出られるようになったかにゃあ」

「それも気になりますが、あの花に捕らえられていた妖精さんたちは無事でしょうか?」

 花の魔物には、何体もの妖精が捕らえられていた。
 傷つけられてはいなかったようだが、本当に無事かどうかはわからない。
 そう思って聖羅が周囲を見渡してみるが、妖精たちの姿はすでになかった。
 消滅してしまったのか、それとも解放されたので姿を隠してしまったのか、不安に思う聖羅に対し、アーミアとルレンティアが応える。

「消滅、はしていなかったように思う。たぶん」

「あの花は妖精たちから魔力を吸い取って結界を構築していたと思うから……恐らく魔力が枯渇したんだろうにゃ」

「魔力を消耗した妖精は、それが回復するまでは姿を隠すのが普通」

「そうですか……それなら、とりあえずはそっとしておいた方が良さそうですね」

 そう判断した聖羅は、妖精たちのことは一端脇に置いておくにした。
 空間からの脱出を試みるべく、三人は移動を開始する。
 その道中、片手に荷物を抱えているアーミアを見て、聖羅は呟いた。

「そういえば、この世界にはアイテムボックスみたいな、荷物を運ぶための魔法はないんですよね」

 魔界のような異空間が生まれうるなら、そう言ったものがあってもおかしくないと、聖羅は思ったのだ。
 その疑問に対し、アーミアとルランティアは首を横に振る。

「便利だとは思うけど、そういった魔法は聞いたことがない」

「魔界を生み出せるのは魔物だけだからにゃ。空間に作用する方法はよくわかっていないのにゃ。協力的な魔族もいるけども……彼らにも原理はよく分かってないみたいだにゃあ」

「魔族自身は研究とか、そういうことはしないんでしょうか?」

「する者もいると思うにゃ。けど、死告龍がそうであるように、魔界を生むほど強い魔族はそういったことには興味がないみたいだにゃ」

「……というより、その域に達するとそれは等しく人類の敵だから。友好的に話を出来た例がほとんどない」

 アーミアは躊躇いながらではあったが、その事実を聖羅に伝える。
 聖羅もまた、その事実が躊躇いつつ告げられた理由を理解していた。

(魔界を生み出す魔族は人類の敵……つまり、リューさんもそうだと言いたいんですよね。まあ、そのことは前から聞いていましたが……)

 その話をアーミアが改めてした、ということに何か意図があると聖羅は感じていた。

(リューさんが危険な魔族であることを実感させようとしている……とかでしょうか)

 なんの後ろ盾もない聖羅にとって、死告龍の存在は安全を担保するための強力な切り札である。
 だが、それを切ることは極めて危険な賭けにもなる。誰にも負けないかもしれないが、すべてを敵に回す可能性を孕んでいる。
 安全をアーミアやルレンティアが安全を確保してくれるのなら、聖羅としてはリューから離れても問題ない。リューへの個人的な感情はおいておくにしても、だ。

(ルーさんもアーミアさんも、それぞれ国の代表であるという面を差し引いて考えても、信用のおけそうな人物であるというのはわかってきましたし、あとは、リューさんが私から穏便に離れてくれれば……)

 そう考えかけた聖羅だが、同時に大きな問題にも気づく。

(もし……リューさんが私に番になってほしいという望みを抱かなくなったとして。リューさんはその後どうするのでしょう?)

 普通に考えれば、恐らく次の番候補を求めて動き出すのだろう。
 数々の英雄クラスの者たちを薙ぎ払ってきた危険な存在が、再び世に放たれるということだ。
 それは極めて危険なことだった。

(やはり、どこかでお二人に協力をお願いするべき……でしょうね。私一人では最適解を見出すことができません)

 そう思いつつ、いまここで話して良いことでもなさそうだと考えた聖羅は、この場を凌ぐ方向に頭を切り替えた。

「話が逸れてしまいましたね……結界がどうなったか見に行きませんか?」

「それがいいにゃ」

「わかった」

 三人は先程聖羅が弾かれてしまった結界の境界へと向かう。
 その場所はすでに大きな変化を見せていた。

「扉……? ですよね」

 森はまだ先に続いているようにも見えるが、明らかにその景色に綻びが生まれていて、そこに半透明の扉のようなものがあるとわかった。
 扉に対してはいい思い出のない聖羅であったが、明らかに変化が生まれているということに希望が見えた。
 しかし、アーミアとルランティアは難しい顔をしている。

「あれは……なんだと思う? ルレンティア」

「普通の扉ではなさそうだにゃあ。明らかに違う場所につながっていそうだにゃ」

「例の、国と国とを繋いでいる門のように、ですか?」

「いや、この場合は遠くに行くというよりは、別の空間につながっているというべき」

「完全に夢幻迷宮だにゃ。協力しているとも思えないし、死告龍の魔界はどうなってるんだにゃー」

 疲れたようにため息を吐くルレンティア。
 聖羅は彼女のいう言葉が気になった。

「ルーさん、夢幻迷宮というのは……?」

「妖精が生み出す妖しの術の中でも極意と呼ばれる魔法だにゃ。大妖精レベルの者が扱う術で、普通の妖精がただ道に迷わせる程度だとすれば、大妖精の物は本当に違った道を歩むことになる……それが突き詰められると、こんな感じで全く別の空間同士が繋がるのにゃ」

「その時、空間と空間を行き来する手段として、こういった扉が生まれることがある」

「なるほど……だとすると、ヨウさんがこの空間に関わっている可能性がありますね……」

 聖羅が素人考えを自覚しつつ呟くと、アーミアとルランティアもそれに賛同するように頷いた。

「関係ない、と思わないほうがいいとおもうにゃ」

「自発的なのか、さっきの妖精たちみたいに無理やり使われているのかはわからないけど、大妖精の力を使っているとみるのが自然」

 アーミアは深くため息を履く。

「現状ですでにありえないけど……その上、こんな複雑な空間をゼロから作ったというよりは、大妖精の力を流用していると考える方がまだマシ」

「……少なくともヨウさんは私への義理立てを誓ってくれています。ヨウさんに接触して、夢幻迷宮の力を使わないようにお願いすれば、聞いてくれるかもしれません」

「事態打開のためには必要な工程かもしれないにゃあ。いまのままじゃ、どこに魔界の主がいるのかもわからないし、最悪永遠に逃げ続けられるかもしれないにゃ」

「とにかく、まずはこの結界から出よう」

 そう言ってアーミアが結界に向かい、杖を使って魔法を使おうとした時。
 唐突に扉が開いたかと思うと、そこから黒い塊が飛び出してきた。
 聖羅はもちろん、アーミアとルレンティアも反応できなかった。
 ふたりは反射魔法で飛び出してきたものは認識できていたが、認識出来ていたからこそ、反応できなかった。
 いずれにせよ、その場にいる誰も反応しなかったことで。

「ごっふぅっ!」

 聖羅はその黒いものの直撃を腹に受け、くの字の形で吹き飛ばされた。
 そのまま仰向けに倒れた聖羅は、痛みこそ感じなかったものの、突然の衝撃に目を回していた。

(こ、この感じ、なにか、覚えがあるのですけど……っ)

 そう思う聖羅の視界に、ひょっこりと入り込んでくるものがあった。
 ヘビのような、トカゲのような。立派な角を生やした、爬虫類の顔。
 本来聖羅は爬虫類の区別をつけられるほど、爬虫類に対して詳しくなかったが、その存在のことだけはわかった。数週間、毎日のように顔を合わせていれば当然である。
 その黒い鱗を持つ存在は、どっしりとした重みで聖羅の身体の上に乗っかっていた。

「くるるっ、きゅるるる~」

 楽しげな鳴き声は、聖羅がよく聞いていた声と相違なく、それが間違いなく自分の知るあの存在だということを、聖羅は確信できていた。
 だが、同時に戸惑いも大きくなる。

「りゅ、リューさん……?」

 思わず語尾にハテナマークが浮かんだのも、無理はない。
 聖羅は自分の胸の上に乗っていたその存在を、両手で持ち上げて上半身を起こす。
 聖羅の呼びかけに、トイプードルやポメラニアンなどの小型犬ほどのサイズのドラゴンが――全世界全種族から恐れられている死告龍のリューが、嬉しげに啼いて応える。

「くるるるるるっ!」

 サイズ以外は死告龍とまるで変わらない姿をしたその小さなドラゴンは、自分の名前を呼ばれるのが嬉しいと言わんばかりに、聖羅の上で高らかに啼くのであった。

つづく
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