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黎明媚態

露出系、羞恥系の18禁小説を書いています。関連の同人・版権作品のレビューも書きます。18歳以下の閲覧禁止。

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第六章 1


 聖羅、テーナルク、ルレンティア、アーミア、そしてバラノ。
 五人の女性は、現在広い廊下に繋がる狭い廊下の入り口に、結界を張って隠れていた。
 仮に大蜘蛛が現れても狭い廊下の奥に逃げ込むことができ、場合によっては広い廊下に出て戦うことも視野に入れた備えだ。

「つまり……結局、何が起きているのか、正確に把握できている者は、魔界の主であろう死告龍様を含めて、いないというわけですね」

 ザズグドズ帝国の軍略家・バラノは、合流することができた聖羅たちからこれまでの話を聞き、そう呟いた。
 バスタオル一枚の聖羅は申し訳なさそうに、胸に抱いた小さなドラゴン――死告龍のリューを撫でながら頷く。
 リューは気持ちよさそうに目を閉じており、うたた寝をしている様子だった。
 魔界が死告龍の由来だとすれば、リューにとってこの空間は家そのものだ。
 人間五人と違って、余裕のあるその態度もある意味当然ともいえる。
 聖羅に抱かれているという状況も一因ではあろうが。

「リューさんはこの通りでして……この現象はリューさん自身にも制御不能なのかもしれません」

「魔界化は自然と起こりうるものだから、制御出来てなくてもおかしくはないけどにゃー」

 困ったものだという思いを隠すことなく、ルレンティアは聖羅の言葉に賛同する。
 獣人であるルレンティアは、即座に戦闘に入ることも考慮し、その下半身を獣化したまま戻していなかった。上半身は腕以外ほぼ人間のままであるため、その豊満な乳房は布を巻き付けて隠している。
 本人は開放的な風土を持つ国の出身であるがために、その格好については気にしていないようだ。
 そんなルレンティアが出した予想について、テーナルクは納得が行かない様子だった。

「でも、それにしてもリスクばかりが目立ちませんこと? 本体が弱くなっては、規格外の魔界化も意味がありませんわ」

 現在、テーナルクはアーミアから譲られた、裾が短くなったログアンの神官服を身に付けていた。
 アーミア自身は神聖法衣があるために着れない服だが、テーナルクにその制限はない。
 ゆえに、アーミアはテーナルクにその神官服を渡したのであった。
 本人としては、ルィテ王国の王族がログアンの神官の格好をするということに思うところがないわけではなかったが、五人のうちまともな格好が出来ているのは二人だけ。
 まともに服を着れているだけでも感謝すべきなのだから、文句を言えるわけがなかった。

「……いや、これだけの規模の大きさの魔界なら、隠れるのに徹すれば問題ない。死告龍様の場合、セイラさんに会いに出てきたから、わたしたちの前にいるだけ」

 精密で極薄のレースを重ねた構造であるがゆえに、向こう側が透けて見えてしまう神聖法衣を身に付けたアーミアは、愛用の杖を体の前に構え、周囲に向かって張った結界を維持している。
 本人が結界術を得意とするだけあって、結界は敵に存在を知られることもなく、完璧に彼女たちを守っていた。さらに本命の結界の外にも、警戒用の結界が張られており、見つかりそうになれば即座に対応出来る状態を保っていた。

「アーミア様のご意見に賛同いたします。知能の減衰は致命的ではありますが、この魔界を自在に移動できるとすれば、人海戦術も意味を成しません。さらに魔族の発生や眷族の増殖なども鑑みるに……逃げ回り続けていさえすれば、消耗戦で勝てますから」

 軍略家たるバラノは、彼女の視点からアーミアの意見を支持する。
 彼女は五人の中でまともな格好が出来ている二人のうちの一人だ。
 バラノは蜘蛛に囚われた際、その身に纏っていた聖女風ドレスがボロボロになってしまったが、現在は修復されている。
 テーナルクのドレスは即死属性を纏った糸の攻撃によって破壊されてしまったために戻せなかったのだが、彼女のドレスは純粋な力で破かれただけであったために、修復の魔法で直すことが出来たのだ。

「あー、確かに、この広い魔界の中からその小さな本体を探すのは難しいにゃあ」

「ここまで常識外れの魔界だと、どう対処するのが正しいのかわかりませんね……」

 五人は頭を悩ませる。
 無論、もっとも単純な魔界への対処法である『魔界を生み出した主を倒す』ということを五人が考えなかったわけではない。
 聖羅は中立的な心情故に、リューを殺すということ自体に抵抗を覚えていた。
 他の四人は、主を倒すことでは解決せず、より状況が悪化する可能性を危惧していた。

 そして、五人全員『この状態の死告龍でも倒しきれないかもしれない』ということも考えていた。

 聖羅は絶対防御の力しか持たないし、バラノは軍略家であるが直接戦闘はできない。
 残る三人は王族であったり、国を代表する巫女であったりする分、並みの戦士や魔法使い以上の力がある。
 それでも、戦闘に特化した存在ではない。
 最強の種族と言われるドラゴンを相手にするには、少々心もとない戦力であった。

(幼体化していても、ドラゴンはドラゴン……)

(わたくしたち三人が束になってかかっても、敵わないかもしれませんわね)

(一度敵対したら、もう戻れないにゃ。いま賭けるには分が悪いにゃあ)

 三人は冷静な戦力分析の結果、分の悪い勝負だと判断していたのだ。
 さらに、その賭けに軽々に手を出すのを躊躇わせる情報もある。
 テーナルクとバラノが実例であり、彼女たちが確認した情報として、眷族に捕らえられた人々はまだ殺されていないということだ。
 聖羅たちも、妖精たちが捕らわれても殺されはしていなかったのを確認している。
 この魔界に取り込まれた者達は、何らかの理由で生かされているのかもしれない。
 そうだとすると、下手に魔界を崩壊させることで、生存者をかえって減らす結果になる可能性もあった。

「ひとまず今晩は休みましょう。休んで、明日からどう動くか決めましょう」

 そのバラノの提案は特に反対意見もなく受け入れられた。

「でも……休むにしても、辛いですね……食料も何もありませんから……」

 そう聖羅が呟くのと、そのお腹が鳴るのはほぼ同時だった。
 魔界に捕らわれたのは昼頃のことであり、現在の時刻はすでに夕刻をすぎている。
 昼食をとる前に魔界に取り込まれてしまったため、彼女たちは昼食をとれないまま、さまよい歩く羽目になっていた。
 お腹が空いて当然である。
 決して大きな音ではなかったとはいえ、周りに聞こえる程度には腹の虫の音を響かせてしまった聖羅は、恥ずかしさで顔を真っ赤にする。
 そんな聖羅をフォローするように、ルレンティアのお腹もくうと鳴った。

「確かに、おなかすいたにゃあ……動き回ったしにゃ」

 魔物との戦闘中、もっとも機敏に動き回っていたのはルレンティアだった。
 当然その消耗は激しい。その空腹を表すように、その頭頂部にある獣の耳がへたりと寝ている。普段から存在している耳だが、現在ルレンティアは獣化状態にあり、少し大きめになっていることもあって、余計に目立っていた。
 思わず頬を緩めてしまった聖羅だが、そんな場合ではないとすぐに顔を引き締めた。

「眷族って……食べられるのでしょうか」

 何気ない聖羅の呟きに、他の四人はぎょっとした顔をする。

「一応、不可能ではない……けど」

 現状眷族と呼ばれて、頭に浮かぶのが蜘蛛の眷族であることが問題であった。

「セイラさんのお国では、虫は食事に含まれますの?」

「文化として虫食はありますね。もちろん、食用に育てた虫であって、森の中で虫を捕ったり生で食べたりはしませんが……あ」

 そこまで答えてから、聖羅は元の世界の文化が誤解を受けていることに気づいて、慌てて付け加えた。

「文化として存在することはしますが、どちらかといえば特殊かつ少数派な文化です。この世界でもそうだとは思いますが、私のいた世界の食に対する探究心は執念すら感じることがあるほどでして。普通は食べられないものを、何日も、何週間もかけて食べられるように加工して……そこまでして食べることもあるんです」

 その聖羅の補足を聞き、他の四人はほっとした表情になる。

「……実は虫が主食だった、とか言われたらどうしようかと思った」

「確かに。今後セイラさんにご提供するお食事をどうするべきか迷うところでしたわ」

「や、やめてくださいね。私も虫を好んで食べたい訳ではないので……」

「虫を食べる文化……確か、フィルカードにはそういう文化がありませんでしたか?」

「にゃいにゃいにゃい! フィルカードにはそもそも虫自体少ないし……もしかして、タコやカニのことかにゃ? あれは脚が多いだけで、分類するなら魚にゃ」

「湖にタコやカニがいるんですか?」

 フィルカードは湖の上に存在する湖上国家、だと聞いていた聖羅は思わず尋ねていた。
 ルレンティアは頷き、タコやカニを使った料理のことを話し出し――余計に大きく腹の音が響き渡った。

「思い出したら食べたくなって来たにゃあ……」

「話を元に戻しましょう。眷族を食べることはできますし、調理次第ではあの蜘蛛も食べられるようになるとは思いますが……現実問題として、あれを仕留めて食べられるでしょうか。私見ですが……難しいと思います」

 バラノの指摘に異を唱えるものはいなかった。

「調理器具も調味料も何もありませんものね。調理技術自体は習得していますが、普段と環境が違いすぎます」

「焼くくらいしかできない」

「水の確保も問題だにゃ。水を操るならともかく、飲み水を生み出すのは難しいにゃ」

「そうなんですか? ……水を生み出す魔法はあるのでは?」

 聖羅は朝起きた際、使用人のクラークにお願いして顔を洗う用の水を出してもらっている。クラークが使えるのなら、この場にいる彼女たちが使えないわけがないと思っていた。
 それに対し、ルレンティアは聖羅の言葉を肯定した。

「確かに、水の魔法はあるけどにゃ」

 言いつつ、ルレンティアは翳した掌の上に水の塊のようなものを作り出した。
 渦を巻いて回転する水球は、見た目は完全に水である。

「でもこれはボクの魔力がそれっぽい形になっているだけにゃ。何かを洗うような用途には使えても、身体の維持に必要な水分にはならないにゃ。火にかけても沸騰しないし、凍らせることも出来ないにゃ」

 試しに、とばかりにルレンティアはもう片方の掌に炎を生み出す。
 水の塊と炎の塊を重ね合わせると、一瞬光が生じて、両方ともが消滅した。
 水は熱されることはなく、水蒸気になることもなく、ただ消滅していた。
 
「こんな風に消えるだけだにゃ。魔法で作られる炎や水は、あくまで魔力がそれっぽく形を作っているだけにすぎないのにゃ」

「……となると、魔法で飲み水を作り出すのは無理なわけですか」

「だにゃあ」

 この場所では食事や寝床の確保が難しい。
 そのことを改めて認識した五人は、顔を見合わせた。

「もう少しだけ移動を――」

 聖羅がこの場からの移動を提案しようとした。
 思わず抱きしめる力が強くなった、その動きに反応してか、彼女に抱かれていたリューがぱちりと目を開く。

「くるる?」

「あ、リューさん。ごめんなさい。起こしてしまいましたか」

 慌てて謝る聖羅に対し、リューは楽しげに鳴き、聖羅の首筋に頭を擦りつける。
 犬猫のような動きをするリューに苦笑しつつ、聖羅は撫でてあげながら話しかけた。

「リューさん、私たちはいまから水か食べ物がある場所に移動しようと――」

「ちょっと待ったせいらん!」

 勘働きに優れたルレンティアは、全身の毛が逆立つような悪寒を覚えて、咄嗟にそう叫んでいた。
 聖羅はその叫びに驚いて言葉を途中で止めたが、しかしすでに遅かった。

 突如、廊下の迷宮全体が震え出す。

 全員が座っていたため、倒れる者こそいなかったが、立ち上がるのも難しいほどの揺れ。
 地震大国出身の聖羅が推測するに、震度7弱ほどの激しい揺れだった。

「な、何が起き……っ!」

「まずい! 結界に感! 狭い廊下側!」

 叫ぶアーミアの言葉を肯定するように、狭い廊下を埋め尽くすようにして、小さな蜘蛛の眷族たちが近づいて来ていた。
 蜘蛛たちも慌てふためいているようにも見えたが、聖羅たちを認識すると同時に、一斉に襲いかかってくる。

「この状況で……!」

「くっ、ほの――」

 ルレンティアが歯噛みし、テーナルクが炎の魔法で応戦しようとした時。
 聖羅に抱かれたままのリューが、その小さな口から巨大なブレスを吐いた。
 幸いにして聖羅が先頭になる位置関係であったがゆえに、そのブレスに巻きこまれるものは、蜘蛛だけで済んだ。
 小さな蜘蛛たちは逃げる暇も場所もなく、ブレスに巻きこまれて吹き飛ばされていく。
 ブレスは余波だけで廊下の床や天井に亀裂を生じさせ、最終的に突き当たった壁で大爆発を起こした。
 地震の震動とはまた種類の違う振動が、聖羅たちのいる場所にまで響いてくる。

「うわぉ……」

 思わず聖羅は唖然とした声を出していた。
 小さくなってもリューはドラゴンであり、死告龍。
 最強の種族にして、最悪の個体の名は伊達ではなかった。
 リューの一撃によって、蜘蛛たちの脅威は去った。
 だが、空間全体の震動は全く収まらない。

「全員、近くに寄って離れないでください!」

 バラノがそう叫び、テーナルクの腕を引いてルレンティアと肩を組む。
 突然の行動にルレンティアは驚きつつも、アーミアを抱え上げた。
 そして、テーナルクが聖羅と腕を組んだ。
 五人がひとかたまりになったと同時に。

 広い廊下を満たすほどの、大量の水が流れてきた。

 それを見たルレンティアが、何時になく真剣な表情で抱え上げたアーミアに声をかける。

「アーミア!」

「了解! みんな、なるべく小さくまとまって!」

 全員が身体を寄せ合い、小さく丸まった五人と一頭を、アーミアの結界術が包み込む。
 ボールのように構築された結界は水を通さず、五人は荒波に揉まれつつも、溺れることはなかった。
 だが、瞬く間に増える水量によって、為す術もなく押し流され――気づけば見渡す限り水だらけの、大海原に放り出されていた。まだ陽は沈みきっていなかったが、白い霧のようなものが視界を限りなく悪くしていた。
 五人と一頭を包み込む結界が、船のようになって大海原に浮かんでいる。
 遠くの水面で、魚らしきものが跳ねているのが見えた。
 リューを抱きしめて固まっていた聖羅は、恐る恐る顔をあげ、周囲の状況を確認して、唖然とした。

「確かに、ここなら水と食べ物はありそうですけど……」

 聖羅の呟きに、リューは不思議そうに首を傾げる。
 死告龍の魔界はその全容が把握できないほど、複雑怪奇に広がっているようだ。

つづく

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第六章 2

 廊下が入り組んだ迷宮にいた聖羅たち。
 水と食べ物のある場所に行きたい、と聖羅がリューに向かって口にしたところ、突如流れてきた大量の水によって、大海原のような場所に移動させられてしまった。
 現在、五人と一頭はアーミアの張った結界を船のようにして水面に浮かんでいる。
 周囲に敵らしきものの姿はなく、一安心したところで、バラノが聖羅に向かって言う。

「セイラさん、死告龍様に『魔界の外に出たい』とはおっしゃらないでください」

 他の三人もバラノに同意なのか、何も言わなかった。
 それを見た聖羅はおそらくなにかしらの妥当な理由があるのだろうとは思ったが、その理由に思い至ることはできなかった。
 なので、直接聞いてみることにする。

「どうして、ですか?」

「ここに至る過程を考えてください。もし死告龍様が完全にこの空間を制御出来ているとしたら、大量の水で物理的に押し流す、という移動方法は取らないはずです」

「そうですわね。空間と空間を繋げればいいだけですわ。それこそ、扉のようなものを用意して」

「もしセイラさんが魔界の外に出たいと口にすれば、おそらくですがここにある大量の水も一緒に外に噴き出すでしょう」

「魔界が発生したのは王城……ルィテ王国の中心地」

「まー、たいへんなことになるよにゃあ」

 王城で魔界が発生している以上、周辺住民の避難は始まっているだろうが、家屋や家財道具を持って逃げることは出来ない。
 魔法がある世界であるために、人が死ぬことと違って物が壊れることは取り返しがつきやすいが、洪水が起きて街全体に被害が出れば、ルィテ王国の国力の低下は避けられない。
 それが起きないよう、聖羅がリューに頼んで魔界の外に出してもらうという手段は取れないのだ。

「……それをバラノ様が最初に言うとは思いませんでしたが」

 ルィテ王国の国力の低下は、侵略を目論むザズグドズ帝国のバラノからすれば歓迎するべきことのはずだった。
 例え直接軍隊に被害が出なくとも、それを支えるルィテ王国自体が疲弊すればそれだけ侵略しやすくなるのだから。
 そして今回のようなケースでは、バラノが積極的にそれを画策したとは言えない。あくまでバラノは魔界から脱出するため、という体であれば「ルィテ王国に危害を加えない」という契約に引っかかることはないはずだった。

「確かに放っておく手がないわけではありませんでしたが……それを選ぶには賭けの要素が強すぎます。私自身が本当に気付いていないならともかく、大きな被害が出るのを予測してしまいましたから、契約に抵触する恐れもありますし」

 それでも黙っていればいいことではあったが、気付いてしまった以上は指摘してしまった方が確実に安全なのだ。
 契約とは、表面的な文面も大事だが、要は心のありようを誓うということであり、自ら手を下さないなら大丈夫、とは言いきれない。
 バラノが国に殉じて死ぬ覚悟も決めた上で、この場に立っていることは確かだが、別に彼女は死にたがりというわけではなかった。
 可能な限り自分も生き残る道を模索するのは当然だ。
 聖羅は自分の考えの及ばないところで駆け引きが成されていることを改めて感じ、ひとまず彼女たちの言うとおりにしようと頷く。

「わかりました……あ、でもそもそもリューさん、また寝てしまいましたね……」

 聖羅が抱えるリューは、また目を閉じて眠りについていた。
 その自由奔放な様子に五人の女性たちは溜息を吐く。
 話している間に、ルレンティアとアーミアが周囲の水や魚の状態を調べ終わっていた。

「水は魔法で出来たものじゃないから、飲み水に使えそうだにゃ。魚も、普通に食べられるものみたいだにゃ。遠くの水場と空間を接続したのかにゃ?」

「あるいは、元々城の地下にあった地底湖や地下水を流用しているのかもしれない。どうなの、テーナルク?」

「王城の地下にこれほど大規模な水源はなかったはずですわ」

「だとすると空間を接続したのが濃厚?」

「まあ、ともあれ、これなら水と食料は確保できるにゃ。あーみん、結界はどれくらい持つかにゃ?」

「あと数時間は余裕。けど、早めの拠点確保は必要」

「了解だにゃ。じゃあちょっと行ってくるにゃ」

 ルレンティアはそういうと、いきなり胸を隠していた布を脱ぎ捨てた。
 あっけにとられる聖羅の目の前で、ルレンティアがアーミアの張った結界をすり抜け、水の中へと飛び込んでいく。
 そのあまりの自然な動きに聖羅は何も言えず、テーナルクやバラノは動じていなかったので、聞くことも出来なかった。
 だが、その聖羅の動揺を察してか、テーナルクが柔らかく笑みを浮かべてみせる。

「大丈夫ですわ。水中はルレンティア様の慣れ親しんだ環境ですから」

「……猫なのに、水が嫌いなわけじゃないんですね。私の世界では一般的に猫は水を嫌がるものですので、ちょっと意外でした」

 とはいえ、湖の上に存在する国の代表なのだから、全く泳げないわけがないとも聖羅は思っていたが。
 頭でわかっていたのと、実際に目にしたときの衝撃は違う。

「猫が水が嫌いというのは、間違っていませんけどね。セイラさんの認識と同じく、基本的には猫は水が嫌いです」

「ルレンティアの場合、生まれた時から湖の上だったということもあるし、猫の獣人とはいえ、人の要素の方が多いから」

「獣人の力もあって、ルレンティア様はフィルカードでも屈指の泳ぎ手なのですわ」

 そんな会話を残された四人がしている間に、潜っていっていたルレンティアが水面に浮上してきた。何気なくそちらを向いた聖羅は、ルレンティアが手にしているものに驚く。
 それは、石で出来た船だった。
 手こぎボートくらいの小さなものだが、沈まずに水上へと浮かび、内側から水を排出すると水面でぷかぷかと安定する。

「まず一隻だにゃ。水深は案外浅いところもあるみたいで助かったにゃ」

「海底の石を切り取って来たんですか!?」

 聖羅は驚きのあまり声をあげ、足下を見る。
 結界は半透明なため、水中が見えているが、その底は見えない。結構な深さがあるのは間違いなさそうだった。
 そんなところから石を船の形に切り取り、手に持って浮かんで来たのだという。
 ルレンティアは水面に浮かびつつ、えへん、と自慢げにその豊かな胸を張った。

「フィルカードの民は水の民にゃ。水場で苦労はさせないから、安心してほしいにゃ。この船には魔法がかけてあるから、皆が乗っても沈まないにゃ」

「ありがとうございます、ルレンティア様。……やはり、フィルカードと水場で競うのは自殺行為ですね」

「にゃはは! 水際での戦いなら、ボクひとりで千の軍勢だって壊滅させてみせるにゃ!」

 バラノは礼を言いつつも、フィルカードを攻略するときのことを考えているようだった。それに対し、ルレンティアも勝ち気な台詞で返す。
 傍でそれを聞いてしまった聖羅は、堂々と口にするバラノもどうかと思ったが、それを笑って受けとめているルレンティアも剛気だと感じるのだった。

 その後、ルレンティアは何度か水中に潜り、瞬く間にそれなりの広さの水上拠点を作り上げてしまった。

 いくつかの船を浮かべ、それらを上手く結合することで、広いスペースの確保に成功している。
 湖上にあるというフィルカードがどういう国か、聖羅は少しだけ理解できたような気がした。

(形状などを工夫すれば、石だって水に浮かぶのはわかりますが……この規模の石材が壊れずに建てられるのは、技術と魔法あってのことですよね……)

 聖羅の認識でいうと、古代ギリシャの石造りの建物が水の上に浮いている、というほどに奇妙な感覚だった。
 そういう意味では魔法のある世界ならではの光景であるといえ、楽しんでばかりもいられないとは思いつつ、彼女はこういった光景を見に、いつかフィルカードにも訪れてみたいと思うのだった。

「それにしても……ルーさんは王族の方なのに、建築技術も納めていらっしゃるんですね」

 建築技師を軽んじるつもりはないが、王族がやることかと言えばそうではないだろう。
 その聖羅の疑問は、この世界の基準に合わせてもおかしくないことだったらしく、ルレンティアが特に妙な顔をすることはなかった。

「もちろん、本職には敵わないけどにゃ。ゼロから水上に拠点を作るのはフィルカードの民の嗜みにゃ。今回は材料が石だからちょっと難しいけど、普通の木材を使えるにゃら、子供でもこれくらいの拠点は作れるにゃ」

 水上に上がってきたルレンティアは、ぶるぶる、とそれこそ獣のように体を震わせて髪の毛などから水気を払いながらこともなげに言う。

「特にフィルカードは王が模範を示さなければならない国だからにゃ。一通りのことはやれるように教育されるにゃ。王族の慣習として、十歳になると全裸で国の庇護下から放り出されるし、覚えておかないとその時死ぬにゃ」

「ぜ、ぜんっ!? き、厳しすぎませんか……?」

 獅子は我が子を千尋の谷に落とす。
 可愛い我が子にわざと試練を与え、その器量を試して一人前へと育て上げるとは言うが、人間が全裸で放り出されるのは厳しいというレベルではない。
 フィルカードは湖の国であるのだから、放り出される先は水上であるはずで、仮に聖羅のいた世界の者ならそんなことをされて生き残れる者は皆無であろう。
 しかし、魔法のあるこの世界ではその認識は当てはまらないものらしく、ルレンティアは平然と続けた。

「それで生き残れないようじゃ、王族としての資質不足ってことだにゃ。生き残るのは大前提。一年間は国に戻れにゃい決まりなんだけど、その間にいかに立派な拠点を築くかが問われるにゃ」

 ルレンティアからフィルカードの王族の風習について話を聞いていると、事情を知っているらしいアーミアが深く溜息を吐いた。

「その話は聞いてる……ルレンティアは湖の魚達を手懐けて、湖底に拠点を築いたって。一年間ほとんど姿を見せずに過ごしてたから、死亡したって言われたけど、一年経ったその日に、フィルカードのど真ん中に巨大な拠点を浮上させて、当時の王の側近たちの度肝を抜いたとか」

「む~。でもパパはボクならそれくらい出来るはずとか言って、全く驚いてくれなかったにゃ~。それが心残りだにゃ」

「いえ、普通は度肝を抜かれますわ。フィルカード王の感覚がおかしいのです」

「同じ試練で、当時のフィルカードと同程度の規模の拠点を築き上げてくるような方ですからね。確か湖に点在する無法者たちを探し出しては腕っ節で叩きのめして従え、人手を確保したんでしたっけ?」

「ですわね。普通は十歳の子供がやることじゃないでしょうに。一度だけお会いしたことがありますが、噂に違わぬ豪傑ぶりでしたわね。わたくしの世代では敵対関係が終わっていて良かったと思いますわ」

「うちはそれを今後攻略していかないといけないのですよ……はぁ」

 しみじみとテーナルクとバラノも呟く。
 そんなとんでもないエピソードを聞かされた聖羅は、改めて一緒に行動している彼女たちが、この世界の基準でもとんでもない存在なのだということを思い知らされる。
 ルレンティアはいつの間にか食料の魚まで人数分採って来ていて、そつがない。

(……この人たちは、本当に特別な存在なんですよね)

 異世界から来た、というだけの存在である聖羅は、彼女たちの存在の価値の高さを知るにつれ、ますます自分との間に隔たりを感じてしまう。
 本来であれば、自分が触れあうこともできなかったであろう高みの存在。
 それが、偶然たまたま異世界に召還され、なおかつ希有な加護をバスタオルに宿すに至ったが故に、同格のように扱われている。

(この人たちはその立場に似合うだけの努力を、実績を積み上げている……)

 自分はただ幸運でここにいて、生きているだけだというのに、だ。
 それを意識する度に、聖羅はいたたまれない気持ちになるのだ。
 そして、その感情こそ、聖羅がこの世界の存在たちと完全に打ち解けられない最大の理由であった。

「さて、魚を焼いていくにゃ。もう少し待っててにゃ、せいらん」

 そのルレンティアの、聖羅を優先する気遣いが、平々凡々を自覚する彼女の心にトゲを残す。
 聖羅は、微笑んで礼を言う形で応えるしかない。

 そんな聖羅の様子を、じっと見つめている者がいた。




 翌朝。
 ルレンティアが築いた水上拠点の上で、聖羅たちは無事目を覚ました。
 魔法を一切用いることが出来ず、暗闇では目が見えない聖羅を除き、四人は後退で見張りを行っていたが、特に魔物に襲われることはなかった。
 寝床として用意されたのは、ルレンティアが水底から回収した海藻を乾燥させ、敷き詰めただけのものだ。
 普通ならばそんなところで寝れば体が痛くなって仕方ないだろうが、聖羅はいつもと変わらぬ睡眠を取れていた。
 無論、バスタオルの効果である。
 他の四人も、それぞれ魔法などで対策は取れたらしく、疲れた様子を見せる者はひとりもいなかった。

「少し視界が晴れて来たにゃ」

「見渡す限り水、ですけどね……」

「死告龍様の魔界は、本当に広すぎますわね」

「あちらの方向に、何か見える」

 そうアーミアが指し示した方向に、全員が注目する。
 所々に霧がかかっているため、視界は悪かったが、確かに何らかのシルエットのようなものが他の者達にも見えた。

「島……でしょうか?」

「かにゃあ? 結構大きなもののように思えるにゃ」

「この状況を打破する手がかりが、なにかしらあるかもしれませんわね」

「……行ってみよう」

「幸い拠点や食料は確保できましたが、いつまでもこのままというわけにはいきませんものね」

 五人と一頭を乗せた水上拠点が、大きな影のようなものに向かって動き出す。
 ルレンティアの創った水上拠点は船を基盤としているため、少し風の魔法を使えば移動することが出来る。
 移動しながら朝食の魚を焼いていると、聖羅が抱いていたリューが目覚めた。

「あ、リューさん。目が覚めましたか。おはようございます」

 リューは大きくあくびをした後、聖羅の体に自らの体を擦りつけ――ふと、胸元から聖羅の顔を見上げて首を傾げた。

「くるる?」

 その表情が少し心配しているように感じた聖羅は、内心どきりとする。
 リューに聖羅の複雑な心境が理解出来たとは思えないが、どこか元気がないのを察されたのだろう。

「なんでもありませんよ、リューさん。リューさんもお魚、食べますか?」

 笑顔を浮かべてリューにそう問いかける聖羅。
 その魚を準備をするのは自分ではないため、申し訳なく思うところはあったが、死告龍たるリューを大人しくするためならば、必要なことだと理解してくれるという想いもあった。
 そして実際、ルレンティアは聖羅の言葉を聞いて即座にリュー用の魚を焼き始め、焼けたものを聖羅に渡してくれた。

「ありがとうございます。ルーさん」

 お礼を言いつつ、聖羅は美味しそうに焼けている魚をリューの口元に翳す。
 リューはそれに美味しそうに食らいつき強靱な顎の力で噛み千切り、いまは小さな前脚で残りの焼き魚を聖羅の方へと押しやる。
 その行動を見た聖羅は、かつてリューと出会ったばかりの頃、リューが仕留めたグリフォンらしきものを自分に向けて押しやってくれたことを思い出す。
 当然、生のグリフォンを聖羅が食べることは出来なかったし、その頃はまだリューの真意がわからなかったが、いまならわかる。
 リューの気持ちを理解した聖羅は、ふっと優しい笑顔を浮かべた。

「私はあとでいただきますから、これはどうぞリューさんが食べてください」

 そういって再びリューに焼き魚を向けた聖羅だが、リューが動かないのを不思議に思った。トカゲのようなドラゴンの表情は掴みづらいのだが、目を見開いて驚いているような気がした。
 不思議に思って首を傾げていると、同じように周りの者達も驚いているのがわかった。
 聖羅としては特にそれほど驚きを与えることをした覚えがなかったので、困惑する。

「あ、あの? 皆さん、何か……?」

 そう聖羅が問いかけると、最初に応えたのはルレンティアだった。

「いや……ちょっと驚いただけにゃ。それが――本当のせいらんの笑顔なんだにゃ」

「でも、考えてみれば、そうですわよね……セイラさんは、王族でも、貴族でも、ましてや本当は聖女でもないのですから」

「テーナルク様……それは、立場上聞き逃せない発言ですが、大体事情は理解しました」

「本当に聡い人ですこと。忌々しいですわ」

「それはお互い様でしょう」

 聡い彼女たちは、何かに納得が出来たらしかった。
 聖羅としては困惑するしかない状況である。
 そんな聖羅に対し、唯一言葉を発していなかったアーミアが口を開く。
 そして、聖羅に向けて核心の問いを発した。

「セイラさん、もしわたしの勘違いであれば謝る。ひとつ答えて欲しい」

 王城が魔界に変質する前に、交わしていた会話の続きを。
 彼女たちの前提を覆してしまう内容を。

「セイラさんの元いた世界は――嘘や偽りがあって当たり前の世界だった?」

つづく

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第六章 3


 清澄聖羅は、自分のことを平々凡々の一般庶民だと考えている。

 実際、この場にいる他の四人の女性に比べれば、特別秀でた能力はなく、こちらの世界にとっての異世界出身であること以上の、特別な出自であるわけでもない。
 だが、そんな聖羅でも――あるいはだからこそ――アーミアの問いかけを聞いて、自分と相手とで、前提とする常識に齟齬がある事に気付いた。
 聖羅のいた世界が「嘘や偽りが当たり前に存在する世界なのかどうか」を訊くということは、それはつまりこちらの世界では「嘘や偽りが当たり前ではない」ということだ。
 その事実を認識した聖羅は、いままでうっすらと感じていた違和感の正体がそれだということを、ようやく明確に認識することが出来た。

(そういうことだったんですね……理解できました)

 聖羅は平凡ではあっても愚鈍ではない。
 アーミアの質問からこちらの世界では嘘や偽りが普通に存在しないことを理解した。
 そして同時に、そんな世界で『平然と嘘や偽りを告げることが出来る自分』が、相当な優位に立てることにも考えが至っていた。
 相手が嘘を吐けないのなら、情報戦において優位に立つことは容易だ。対して自分の側は虚偽のし放題となれば、そのアドバンテージは計り知れない。
 ゆえに聖羅はここでアーミアの問いに対し、「そうではない」と答えるべきだったのかもしれない。
 嘘や偽りを自然と口に出来るということを知られるのは、マイナスの印象を抱かれる可能性も高く、今後自分の言動を信じて貰いにくくなるということも考えられる。
 だが。

「そう、ですね。私の元いた世界では……悪徳ではありましたが、嘘や偽りは当然のように行われていました。約束したことを直前になって平然と覆す人がいたり、聞こえのいい嘘の話で人を騙し、金銭などを不当に奪い取る犯罪が横行していたり……しました」

 聖羅は真実をそのまま告げていた。それが自分の立場を悪くすると知っていても、真実をそのまま口にすることを選んだ。
 聖羅は平凡ではあっても、悪辣ではない。
 絶対的な優位を捨て、不利な立場に甘んじることを躊躇いはしなかった。
 それは愚かな行いであるともいえ、一歩間違えば完全に孤立した立場に置かれかねない選択だった。

 だが、そんな選択をしてしまう聖羅だからこそ――最悪の展開は回避出来た。

 聖羅とアーミアのやり取りを聞いて、最初に動いたのはテーナルクだった。
 彼女はアーミアを睨むように見て、口を開く。

「アーミア様、どういうことですの? どうしてそういう話になったのか、説明していただけますか」

「魔界に呑まれる直前、セイラさんと雑談をした。その内容は好きなもの、嫌いなものについて。嫌いなものについて語る際、セイラさんは『約束を守らない人が嫌い』と言った」

 アーミアから端的に示された経緯を聞いて、テーナルクを含むその場にいた全員が、納得したと言わんばかりの反応をする。
 この世界において、『約束を守らない人が嫌い』というのは、聖羅の世界で『殺人鬼が嫌い』というのと変わらない。
 殺人鬼は忌避されるものだが、好き嫌いの基準で語られる存在ではないだろう。ゆえに、アーミアは自分と聖羅とで前提とする常識に齟齬があることに気づけたのである。
 経緯を理解したテーナルクは、深々と溜息を吐く。

「だからといって、何もこの場で……いえ、この場だからこそ、ですわね……」

 テーナルクがちらりと見たのは、バラノの方だった。
 ルィテのテーナルク、ログアンのアーミア、フィルカードのルレンティア。それぞれ国での立場はあれど、三国は友好関係にあり、この三人は基本的には味方である。
 もし「三人が結託して自分を騙そうとしている」と、嘘や偽りに慣れた聖羅に判断されてしまえば、今後の交流に悪影響が生じかねない。それは避けねばならなかった。

 だが、この場には敵対国家であるザズグドズ帝国のバラノがいる。

 バラノは唯一、三人と立場を異にする存在であり、いわば第三勢力だった。
 三人と足並みの合わないことが、この場合は良い方向に働くのだ。

「……ログアンの姫御子様はこういった搦め手は苦手だと思っておりましたが」

「実際苦手。だから、共有したかった」

 聖羅が「嘘や偽りを普通に口に出来る世界から来た」ということにアーミアが気付けたのは偶然だ。
 他の三人が気付くかどうかは運次第であり、うまく立ち回ればアーミアだけがその情報を握ることは出来ただろう。
 さらにその上で、自らとのみ共謀できるように聖羅を説得できれば、情報戦においてアーミアは他の三国を完全に出し抜き、状況を思い通りに操作できる可能性もあった。
 ルレンティアはまた性質が違うが、政治や交渉に長けたテーナルクやバラノであれば、当然その道を模索したはずだ。
 アーミアがそうしなかったのは、彼女自身がそういった交渉戦に特化していないということを自覚しているためである。
 さらに加えて。

「それに――セイラさんに謀略は無理だと思った。それは皆も感じたはず」

 アーミアがこの段階まで気付いた事実を口にしなかったのは、それ自体が聖羅の仕掛けた罠ではないかと考えていたからだ。
 テーナルクやルレンティアも同席した場で行われた、最初の顔合わせの際、三人は聖羅のことを「底の知れない存在」だと感じた。本人が言うような一般人には思えなかったのである。
 そのために育てられ、教育を受けた自分たちと対等に駆け引きをし合える存在なのではないかと考えたのだ。
 それは世界そのものの前提が違うことによる差であったわけだが、聖羅の背後に控える死告龍という最悪のカードが切られた時のことを考えると、聖羅を警戒しすぎるに越したことはなかった。
 ゆえに、いまのタイミングまでアーミアは「聖羅のいた世界が虚偽を前提とする世界」である可能性を黙っていたのだが。

「セイラさんは本人の言うとおり――極普通の、人間」

 奇しくも、死告龍たるリューに向けた無防備な笑顔がアーミアの警戒を解いた。
 聖羅が、真実を隠し、人を騙し、利を得ようとする、そんな悪辣な人物ではないと。
 そのことをアーミアは読み取り、自分が――ひいてはログアンだけがアドバンテージを得る道を放棄した。
 聖羅の性質も考えれば、もし聖羅を取り込むことに成功したとしても、その謀略が良くないタイミングで他の三国に露見する危険性の方が高かったためだ。
 そのアーミアの説明に、他の三人も納得したようだった。

「あーみんらしい判断だと思うにゃ」

「そうですわね……こうなってみると、セイラさんとの交流開始が遅くなったのは、かえって良かったかも知れませんわね」

「……テーナルク様だけがこの情報を握っていた時のことを考えると、震えが来ますよ」

 バラノはそう言って息を吐く。
 もしテーナルクがもっと早くから聖羅と交流を持っていたらどうなっていただろうか。
 話す回数が増えれば増えるほど、仲が進展すればするほど、聖羅の世界の真実に、聖羅の持つ特質に気付く可能性は高まっていただろう。
 一対一で交流している間にそのことに気付いたのなら、当然テーナルクは聖羅の特質をルィテ王国の利益のために秘する道を選んだだろう。
 そうなっていた場合、他の三国はかなり不利な立場に立たされることになっていたはずだった。

「理想をいえば、第三者視点の立場には死告龍様や大妖精様がいてくれればよかったんだけど。死告龍様はその状態だし……ともあれ、セイラさん。わたしたちの言葉が信じられなければ、そのお二方に訊いてみるといい。お二方は、わたしたちの立場を斟酌しはしない」

「アーミアさん……大丈夫です。お気遣いありがとうございます」

 聖羅はアーミアに気を遣われている事に気づいていた。
 なるべく聖羅が不安に思わないように、立場の違う存在からそれぞれの話を聞くように促されているのだと。

(それにしても……基にする常識が違うと気付いたからといって……それにすぐ対応できるあたり、この人たちは、本当に……)

 いまだに元の世界の常識を引き摺る聖羅とは、やはり出来が違うのだ。
 それはそれ相応の教育を受けているかどうかの違いではあるのだが、聖羅は改めてこの四人と腹の探り合い、駆け引きのし合いをするには自身が力不足であることを自覚する。

(幸い、この人達は善良な方達のようですし……ここまで気を遣ってもらいましたしね)

 彼女たちを信じて任せるべきかもしれないと聖羅は考えていた。
 国を背負っている立場にある以上、彼女たち本人の善良さは必ずしも絶対ではないが、そもそも本気で策謀の張り合いになったら聖羅に勝ち目はないのだ。
 最低限の警戒心を持っておくことは忘れられなかったが、聖羅は彼女たちを信用すると決め、少し心が軽くなったことを感じる。

「聖羅さんの特性については、この五人の間での秘密ということにいたしましょう。皆さんも、それでよろしいですわね?」

 テーナルクがそう口にすると、全員が躊躇なく頷いた。

「外に漏らしてもいいことないからにゃあ」

「不要な疑心を生むだけ」

「セイラさんは善良な方ですし、問題ないと思います」

(……言われているほど、私は善良ってわけでもないと思いますけど)

 聖羅は善良ではあっても、平凡な存在である。
 なるべく誠実であろうとは努めているものの、彼女はそれを死ぬまで貫き通せはしないとも考えていた。
 いざというとき、自己保身に走ることがないとは言えないのだ。
 とはいえ、少なくともリューやこの場にいる四人の助けがあるうちは、強いて保身に走る必要が生じることがそうそうあるとも思えない。
 聖羅にも人並みの欲はあるものの、かといって溢れんばかりの金銀財宝を差し出されると困ってしまう庶民でもあるのだ。
 衣はさておき、食と住が最低限保証されているいまの状態で、全く困ることはなかった。

「せいらんのことはひとまずそれでいくにゃ。さしあたっても、この魔界からどう脱出するかを考えないとにゃ」

 聖羅の特質がわかっても、彼女たちが現在やるべきことは変わらない。
 ルレンティアがそう締めくくり、全員が意識を切り替える。

「ほい、せいらん。まずはご飯を食べるにゃ」

 そういって、ルレンティアが石を削り出して作ったお椀に注いだスープを聖羅に向けて差し出す。
 目に見える言動こそいままでと変わらなかったが、聖羅はルレンティアたちの気配がどことなく柔らかくなったのを感じていた。
 いままでが刺々しかったわけではないが、どこか一線を引いている感覚があった。
 しかし、真実が明らかになった今、彼女たちは聖羅を必要以上に警戒することがなくなっていた。
 その柔らかな気配は、聖羅を不要な気負いから解放する。

「ありがとうございます、ルーさん。……いつのまに作ってたんですか?」

「話を聞いている間にちょちょいっとにゃ」

 得意げにいうルレンティアから、聖羅はスープを受け取る。
 石の器は見た目重そうに思えたが、相当薄く切り出しているのか、思ったよりは軽い。女性の聖羅が片手で支えられる程度だ。さらに魔法を用いて強度や熱伝導まで調整しているのか、不安な感じは全くしなかった。
 中身は柔らかく煮込まれた魚と海藻らしきもののスープだ。
 器と同じように石から作られた匙を用いて、聖羅がそれを口に運ぶ。魚は柔らかく煮込まれており、海藻の味がよくしみ出したスープは、聖羅の身体を内側から暖めてくれた。

「美味しいです。……この魚、しっかり処理されているようですが、刃物はどうやって……あ、いえ、なんでもないです」

 聖羅が質問を途中でやめたのは、ルレンティアがその手をひらひらと翳したためだ。
 彼女は、植物型の魔物を切断できるほど鋭い爪を持つ。
 それを上手く使えば、魚の調理くらいは容易いことだと言われなくてもわかったのだ。

「爪がなくても魔法で切断できるけどにゃ。食材を魔法で調理すると、なぜだか美味しくならにゃいんだよにゃあ」

「魔法で処理をすると、その者の魔力が食材に移ってしまうからだと言われていますね。地域によってはその方が好まれる場合もあるようですが。……確か、ログアンにそういう料理がありませんでしたか?」

「捧食のこと? あれはグランドジーグ様への感謝の気持ちを伝え、今後も共に生きていくことを誓う祭典の時に作られるもので、どちらかといえば儀式」

「色んな風習があるんですね……」

 様々な人が生きている世界である以上、色々な風習や慣習が生まれるのは当然だったが、聖羅は改めて知的好奇心を刺激されるのを感じていた。
 相互理解が進み、妙な警戒や気負いがなくなったことで、そういったことに意識を向ける余裕ができてきていた。

(リューさんのお気に入りの狩り場に連れて行ってもらう約束をしていましたっけ)

 息抜きに出かける提案をされていたことを聖羅は思い出す。
 思い出した流れで、腕の中のリューを見ると、リューは聖羅の顔をじっと見つめていた。
 観察されていることに気付いた聖羅は、少し気恥ずかしくなり、スープを飲むついでにその器で顔を隠す。
 その際、スープの中で海藻のような具がゆらめているのが見えた。

「そういえば、海藻……みたいなものも生えてたんですね」

 周りの水が塩水ではないのは、確認済みだ。
 風景だけを見れば完全に大海原だが、環境的にはどちらかといえば地底湖に近いらしい。
 そんな場所で海藻のようにしか見えない水草が採れたことは、よく考えれば不思議なことだ。
 その認識は間違っていなかったらしく、ルレンティアが溜息交じりに答える。

「水底に普通に生えてたにゃ。食べられる種類のもので良かったけどにゃ……なんで生えてたんだかにゃあ」

「いくら水草の成長が早いとはいえ、半日やそこらで生えていていい規模ではなかったんですよね」

 そうバラノが確認すると、ルレンティアは頷いて肯定した。

「そうだにゃ。かといって何年も前から生えていた感じでもなくて……わけがわからないにゃ」

「元々、魔界という中では方向感覚や時間が狂うことがままありますが……この魔界はまた別格ですね……中と外で時間の流れが大きく変わっている可能性も出てきました」

 バラノは真剣な表情で分析を続けている。

「流れる時間が遅くなっているならまだしも、早くなっていたとしたら困りますわね……」

 テーナルクはそうぼやく。王城が魔界に呑まれているという状況は、極めて深刻な事態であり、それが長期化すればそれだけでルィテの国力の低下は免れない。できる限り早く事態を解決したいのが本音であった。
 五人が真剣に話し合っているうちに、遠くに見えていた何かの影の姿が霧の向こうに見えてくる。

「みんな、念のために戦闘態勢を取るにゃ」

「言われなくとも」

「バラノ様とセイラさんは後方に下がっていてくださいませ」

 戦える三人が前に出て警戒をし、残るふたりは並んで後方に退いた。
 聖羅は絶対防御を持つ自分は最前線に立つべきではないかと思ったが、リューを抱えているため、大人しく後方に下がる。
 仮に戦いに巻きこまれても、リューならば平気な可能性も高いが、いまのリューがどれほどの防御力を持っているかはわからない。
 いざとなれば自分の身で守ることも考えつつ、聖羅は近づいてきたその影をしっかりと見据えた。

「これは……島……でしょうか?」

「大きな島ですね……全景が視界に収まりません」

 それはかなり大きな島のように見えた。
 木々が生い茂り、中央には小高い山らしき岩肌も見える。
 聖羅が持つイメージでいえば、冒険物の物語で登場人物がよく漂着する無人島、というべき島だ。
 山を囲むように森が周囲を覆っていて、島の形は今ひとつ判別できない。

「砂浜が見えるにゃ。あそこに船を接岸するにゃ」

 ルレンティアが上陸できそうな砂浜を見いだし、その砂浜へ水上拠点を押しあげた。
 碇はなかったが、浮力を与えていた魔法を切ってしまえば、自然と水上拠点の重さで砂浜に拠点が埋まり、波の力程度では流されないようになる。
 水上拠点から五人と一頭が降りた時、先頭に立って島の奥を警戒していたルレンティアが声をあげる。

「全員警戒! 何かくるにゃ!」

 ルレンティアが砂浜の中央まで後退し、警戒を促す。
 その段階で、他の四人の耳にも森の奥から騒音が聞こえてきた。
 木々がなぎ倒される騒音と、何かが争っているような激しい擦過音。
 その正体は、すぐに知れた。
 森の奥から砂埃を巻き上げつつ、巨大な何かが飛んで来たからだ。

 複数の脚を持つそれは、テーナルクとバラノの見覚えのある、あの巨大蜘蛛であった。

 ただ、その八本あったはずの脚はいくつかが半ばから千切れており、それだけではなく全身に深い傷が刻まれていた。
 蜘蛛は飛んできた勢いそのまま、砂浜で何度かバウンドした後、水の中へと落下し、大きな水柱をあげる。

「何と戦って……? ――ッ! 伏せるにゃ!」

 ルレンティアがそう叫び、他の三人が反応して地面に伏せる。
 反応しきれなかった聖羅は、近くに立っていたバラノが抱えるようにして、一緒に砂浜に伏せた。
 そんな五人の頭上を、複数かつ極太の雷が走り、浮かび上がりかけていた巨大蜘蛛に殺到した。
 雷は凄まじい轟音を立てて蜘蛛の身体を焼き、一部は水面を走り回って水しぶきをあげ続けた。

 そして――最終的に爆発した。

 巨大蜘蛛の身体が内部から爆散し、破片が周囲に飛び散る。
 ほとんどは水中に沈んだが、脚のうちの一本が、砂浜に伏せていた五人の近くに落ちてきた。
 深々と砂浜に突き刺さったその脚部は焼き焦げており、先ほどの雷にどれほどの威力があったのかは一目瞭然だ。

 そんな雷を放ったと思われる存在が、五人の前に姿を現す。

 それは、巨大な牡鹿であった。
 全身を覆う黄金色に輝く体毛だけでも神々しいが、それ以上に神々しいのは、その頭部に生えた立派な角だった。
 ただでさえ見上げるほど大きな体格なのに、その身体に匹敵するくらい角も大きく、雷を宿し、危険な音を立てて光り輝いている。
 結果として全体から感じる威圧感が倍増していた。
 明らかにただの牡鹿ではないその大鹿は――

 聖羅たちにも、その殺意を向けていた。

つづく

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第六章 おわり


 ルレンティアは獣人である。
 ゆえに、彼女は動物的な直感に優れており、本能的に物事を判断することに長けていた。

 そんな彼女は、現れたその大鹿を一目見て――勝てない、と悟った。

 フィルカードの王族であるルレンティアは、他の国の王族に比べても、様々なことをひとりで出来るように鍛えられている。
 その様々なことの中には、当然戦闘も含まれており、元々肉体的にも優れた獣人であるルレンティアは、下手な戦闘専門の人間よりも強いのは確かだ。

 だが、その彼女をして、大鹿は明らかに勝てない相手だった。

 その研ぎ澄まされた肉体美にうっかり見惚れてしまいそうになるほど、その大鹿の身体能力は明らかに高かった。
 さらにその内包する膨大な魔力量は、少し距離が離れている状況ですら明瞭に感じるほどだった。
 そんな大鹿の巨大な角に、青白い雷光が灯る。

「――ルレンティア!」

 そう叫んだのは、アーミアだった。
 戦力差を誰よりも正確に理解したがゆえに、大鹿の迫力に飲まれていたルレンティアがその叫び声で正気に戻る。
 彼女は大鹿の行動に反応し、五人の足下に魔方陣を展開していた。
 杖を地面に突き刺し、渾身の魔力を注いでいるのがわかる。
 展開された魔方陣が光り輝き、半透明の白いドーム状の結界が五人を覆った。

 その結界に向け、大鹿の角から迸った雷撃が叩きつけられる。

 雷撃は結界にぶち当たり、轟音が生じた。
 一瞬で結界にヒビが入って、伝播した衝撃が術者を襲い、アーミアがその場に膝を突く。
 杖が激しく震動していた。それを抑え込むようにアーミアは杖を握り続ける。
 その掌から血が噴き出した。

「ぐっ……ッ!」

 アーミアの口から押し殺した呻き声が漏れる。その口の端から血が一筋零れた。
 雷撃の嵐は数秒続き、唐突に止んだ。
 それと同時に、アーミアの張った結界が砕け散る。
 大鹿は鼻息荒く、苛立っているのを隠そうともせず、その場で蹄を地面に叩きつけた。
 角に宿っていた雷光は消えている。

「……ッ、さすがに、無尽蔵ではないよにゃ!」

 ルレンティアはそう分析し、斜め前に向かって駆けだした。
 固まっていては再度雷撃を撃たれた時にその一撃で全滅する。まっすぐ走らなかったのは、少しでも大鹿の意識を散らすためだ。
 同時に、攻撃魔法の詠唱を終えたテーナルクが、掌に宿した火球を大鹿に向けて投げつける。
 火球はうなりを上げて空を駆け、大鹿の胸の辺りに着弾した。
 だがテーナルクは悔しげに呻く。

「だめ、ですわ……!」

 大鹿の体表面を多少焦がした程度だった。
 火球の威力は申し分なかったが、大鹿の身体には常に電撃が流れている。
 火球が大鹿の身体に接する前に、その電撃が走って爆発させられていたのである。
 それは、ルレンティアの機動力を活かした突撃も封じていた。

(下手に近づけば電撃の餌食……にゃら!)

 ルレンティアは渾身の力で掬い上げるように腕を振るい、砂浜の砂を盛大に舞い上げた。
 砂浜の細かい砂粒が大鹿へと襲いかかる。身に纏う電撃が砂粒に反応するが、すべてを撃ち落とせるほど、襲いかかった砂粒は少なくない。
 大鹿は視界を遮られるのを嫌ってか、素早くその場から横っ飛びで逃れた。一瞬で十数メートルは跳び、砂粒がかからない位置まで移動する。
 その隙にルレンティアは森の中に身を潜めようと走った。

 だが、森に入る寸前で思いとどまる。

 ルレンティアの侵入を拒むように、植物の蔦が蠢いているのを見てしまったからだ。
 直感に優れたルレンティアでなければ、気付かずそのまま森の中に入り、蔦に脚を取られていたことだろう。

(くっ……! あの触手型の魔物と違って、植物自体に意思があるようには感じにゃい……ということは……!)

 ルレンティアは砂埃の向こうにいる大鹿を睨む。
 大鹿の眼は、砂埃越しでもルレンティアを見据えるように、爛々と光っていた。
 その様子から核心に至ったルレンティアは、絶望的な気持ちになりながらも、情報を共有する。

「あいつ、植物も操るにゃ!」

「なんですって!?」

 テーナルクが絶望的な顔をして叫ぶ。
 それは無理もないことだった。開けた砂浜で遙か格上の相手と対峙するほど、絶望的なことはない。
 森の中に入ることができれば、死角からの強襲を狙うことも出来るが、身を隠すことの出来ない砂浜ではそれも望めない。
 植物を操るのであれば、森の中に逃げるのは自殺行為だ。
 かといって、水上拠点に乗って逃げようにも、射程外に逃げる前に、巨大蜘蛛のように雷撃をお見舞いされてしまうだろう。

(詰んでるにゃ……!)

 改めて絶望的な状況を実感し、ルレンティアが思考を止めたのは一瞬。
 その一瞬で、大鹿が彼女の目の前まで迫っていた。
 近づかれたことで、大鹿の身に纏う電撃が走り、ルレンティアの身体を硬直させる。
 大鹿の振り上げた前脚の蹄が、逃げられない彼女に振り下ろされようとしていた。

(しまっ――)

 死を悟ったルレンティアの眼に、大鹿の振り下ろす蹄がスローモーションに映る。
 その彼女の身体を、真横から飛んできた空気の塊が突き飛ばす。わずかに位置がずれたことにより、大鹿の振り下ろした蹄は外れ、砂浜に巨大なクレーターを作りながら衝撃波を周囲にまき散らした。
 ルレンティアはそれに巻きこまれ、きりもみ状態で吹き飛んだが、負傷度合いは軽い。

 見れば、バラノが肩で息をしながら、手を翳していた。

 バラノは戦闘員ではなく、魔法も得意な方であるとは言いがたい。しかし使えないわけではない。
 彼女が翳した手には小さな魔石があり、それが砕け散っていた。
 彼女自身の魔法は弱いものだが、魔石の力を使って増幅させ、ルレンティアを突き飛ばすほどの威力にしたのだ。
 万が一の切り札として、バラノが密かに持っていたものだ。
 素の対応力に劣る彼女が、そういった仕込みをするのは当然である。

(助かったにゃ! ――けど!)

 ルレンティアの命は助かったが、大鹿に影響を与えられたわけではない。
 大鹿は砂浜に埋まった蹄をこともなげに抜き、ぐるりと身体を反転させてバラノたちのいる方向を見る。
 その四肢に力が籠もり、バラノもろとも蹴散らそうとしているのがわかった。

「まずい……っ! こっちだにゃ!」

 咄嗟にルレンティアは魔法を用いて、拳大の石を生成し、いくつか大鹿に向けて放った。
 だが、相手をするに値しないと判断されたのか、大鹿が身体に纏う電撃が自動的にそれらを迎撃し、大鹿自体はバラノたちの方へ向いたままだ。
 同様に少し移動していたテーナルクも攻撃魔法を放つが、自動迎撃されて大鹿の気すら引けなかった。
 止められない、とふたりが思うのと、ほぼ同時に。

「鹿さん! 待ってください!」

 聖羅がバラノよりも前に出ながら、彼女を庇うように両手を広げ、そう声を張り上げた。抱えていたリューは先ほどまで立っていた場所に降ろしている。
 彼女は神々の加護が宿ったバスタオル一枚で、絶対防御の効果こそあるが、攻撃手段はない。
 ゆえに声をかけることしか出来ないのだ。
 そして大鹿は、そんな彼女の呼びかけを聞き――

 一瞬で距離を詰め、その身体に向けて前脚の蹄を振り下ろした。

 蹄は聖羅の後頭部を抑え、そのまま真下に降ろされたため、聖羅は上半身を砂浜に埋めることになった。
 容赦のない一撃であり、普通の人間ならば熟れた果実の如く頭の中身をぶちまけていたところだ。
 加護を持つ聖羅ゆえに、頭が潰れることはなく、負傷することもなかった。
 ただ、彼女自身はただの人間であるため、上半身が砂浜に埋められ、呼吸が出来なくなったために下半身をばたつかせて暴れる。

 あられもない姿ではあるが、そんなことを気にしている余裕は、本人にも他の四人にもなかった。

 一方、大鹿は大鹿で、潰すつもりで蹄を叩きつけたにも関わらず、聖羅が潰れていないのに戸惑っているようだった。
 再度蹄を振り上げるべきか、そのまま砂の中に埋めてしまうか考えているようだ。

 その巨体が、横薙ぎに吹き飛ばされる。

 一瞬で距離を詰めたリューが尾で大鹿を吹き飛ばしたのだ。大鹿はもんどり打って砂浜に倒れ込み、水柱ならぬ砂柱を立てる。
 リューは小さな身体からは想像できないほど、激しい威嚇の咆哮をあげて大鹿に追撃を行う。
 口内が黒い光に溢れ、即死のブレスが大鹿へと放たれた。

 だが大鹿もさるもの。

 即座に体勢を立て直し、砂浜を蹴ってブレスの範囲外へと逃れる。
 大鹿が後退しながら角を振ると、雷光が丸まって出来たような球体がいくつも中空に発生し、その球体からトゲが伸びるように雷撃が発生した。
 襲いかかる雷撃を、リューは紙一重で避け、大鹿へと再度ブレスを放った。
 大鹿は胴体と同じくらい大きな角を用いて、砂浜の砂をひっくり返すように巻き上げる。ブレスは巻きあげられた砂を物ともせず貫いたが、その先に大鹿はいなかった。
 一瞬、相手を見失ったリューが視線を巡らせる。

 そのリューの頭上から、大鹿は降ってきた。

 巻きあげた砂に紛れて跳んだのだ。
 巨体であることを逆手に取った、意識の外からの攻撃。
 直前で気付いたリューが、振り下ろされた大鹿の蹄を角で受けとめる。
 轟音が周囲に響き渡り、衝撃派が砂を押しのけながら、二頭を中心に広がった。
 怪物同士の戦い。人が巻きこまれればただではすまない攻防の嵐の中、テーナルクが砂に埋もれた聖羅を救出する。

「セイラさん! しっかりですの!」

 砂に埋もれて呼吸が出来ていなかった聖羅は、激しく咳き込み、口の中に入った砂を吐き出した。

「げほっ、げほっ! な、なんとか大丈夫です……」

 テーナルクが聖羅に手を貸し、立ち上がらせている間も、戦いは続いていた。
 広範囲に広げられた雷雲が渦巻き、そこから無作為に雷撃が落ちて砂浜の至るところにクレーターを生じさせる。リューのブレス並みの広範囲攻撃だった。
 聖羅はそのうちの一本が、自分たちの頭上で渦巻いているのを見てしまう。

(まずい……! 私はともかく、テーナルクさんが!)

 聖羅は咄嗟に、テーナルクの腕を引き、胸に抱き締めるようにして彼女を庇った。
 守らなければと感じたがゆえの、咄嗟の行動。
 その聖羅の背に、雷が直撃した。
 衝撃が彼女の身体を通じて足下に抜け、ふたりの立っていた場所の砂を舞い上げる。

「せいらん! てーなるん!」

 青ざめたルレンティアが悲鳴をあげる間にも、大鹿とリューの激闘は続く。
 リューが大鹿の胸元に蹴りを入れ、大きく吹き飛ばす。そこに追撃のブレスを吐いた。
 大鹿はそれを素早く後退することで回避する。
 本来のリューの体格であれば回避が難しいほどに極太なブレスとなるのだが、現状のリューの体格では十分回避可能なブレスしか放てないのだ。

 だが、それでも即死範囲攻撃が連発可能という事実は変わらない。

 連続でブレスを放ち、徐々に大鹿の逃げ道を塞いでいく。
 いよいよブレスが大鹿を捉える、というところで、溜まらず大鹿が森の中へと退いた。
 木々という遮蔽物が多い場所ならばさらに回避の目はあがるのだから、判断は間違っていない。
 それでもリューのブレスならば、木程度の遮蔽物など関係なく穿つことが出来ただろう。

 だが、リューはブレスを撃たなかった。

 大鹿はこれ幸いとばかりに森の奥へと逃れていく。
 もう少しで大鹿を仕留められるところだったはずのリューは悔しげに唸り、ゆっくりとその場に降りて蹲る。
 今のリューにとって、大鹿はかなりの強敵であったようだ。かなりの体力を消耗してしまったらしい。
 ともあれ、大鹿の脅威は一端去った。
 ルレンティアは電撃を喰らって痺れの残る身体を奮い立たせ、現状を見渡す。

「みんな、生きてるよにゃ……?」

 最初にその呼びかけに答えたのは、バラノだ。
 地面に伏せ、砂を被ってしまったらしく、砂まみれになった頭を払いながら立ち上がる。

「こちらはなんとか……ルレンティア様、先ほどは乱暴に申し訳ありませんでした」

 咄嗟に風の魔法で突き飛ばしたことに対する謝罪だと理解したルレンティアは、軽く手を振って答える。

「気にしないでいいにゃ。あれがなかったら死んでたしにゃ」

 緊急回避というには乱暴だったが、魔法の扱いに長けているわけでもないバラノの精一杯だったのはルレンティアもよくわかっている。
 次に動いたのは、杖を抱えて蹲っていたアーミアだった。

「わたしは、少し、きつい……」

 一撃目の極大雷撃を結界で防いだアーミアは、その代償に体内器官にダメージを負っていた。
 その献身がなければ、聖羅とリュー以外は全滅していたかもしれず、またリューにも多少のダメージが入って大鹿を撤退させられなかったかもしれない。
 ある意味最大の功労者な彼女に、文句のある者がいようはずもない。

「命があればいいにゃ。問題は……」

 ルレンティアは急いで聖羅とテーナルクの元に駆け寄る。
 聖羅が庇ったとはいえ、大鹿の雷撃をまともに受けたのだ。絶対防御の加護がある聖羅と違い、テーナルクは致命傷の可能性がある。
 テーナルクを抱きかかえた聖羅は、近づいてきたルレンティアに潤んだ目を向けた。

「ルレンティア、さん……! テーナルク、さんが……っ」

 ルレンティアは聖羅の傍にしゃがみ、テーナルクの様子を見る。テーナルクは眠っているように目を閉じている。
 ルレンティアが最悪の覚悟をして触れようとすると、その目が少し開かれた。

「てーなるん!」

「テーナルクさん!」

「だい、じょうぶ、ですわ……しびれて……うごけ、ませんけども……」

 ひとまず生きて喋れる程度ではあることがわかり、聖羅とルレンティアはほっと胸をなで下ろす。

「喋れるなら、ひとまずは安心にゃ……せいらん、こっちは任せて欲しいにゃ」

 ルレンティアはそういって、聖羅からテーナルクを預かる。
 聖羅はその意味をすぐに理解し、立ち上がった。その足下は少しおぼつかなかったが、すぐに安定する。
 そして、地面に降りて蹲っているリューの元へと急いだ。
 リューは聖羅が近づいてきたことを感じ取ったのか、首だけを持ち上げて、聖羅の方へ顔を向ける。

「くるる……」

「リューさん、皆さんを助けてくださってありがとうございます」

 力無く鳴くリューを、聖羅は抱え上げて抱きしめる。
 リューが戦ったのは聖羅を助けるためであり、他の面子を助けようとしたわけではないのだろう。
 だが、結果として全員が助かったことは事実であり、聖羅はその思いをそのまま言葉にした。
 リューは内容よりも聖羅に褒められたことが嬉しいのか、聖羅の首筋に擦り寄る。
 聖羅はこのときばかりはリューの好きなようにさせた。
 そんな聖羅とリューの様子を窺いつつ、バラノは状況を見定めていた。

「これは……大変厳しい状況ですね」

 聖羅とバラノにはほとんどダメージはない。だが、この二人は率先して前線を張れる能力を持たない。
 防御の要であるアーミアは、結界を強引に突破されたことによる反動で体内外にダメージを負っており、回復に時間を有する。
 攻撃と探索を引き受けられるルレンティアは比較的軽傷だが、ダメージがないわけではない。電撃によって受けた体の痺れは、彼女の最大の長所である機動力を削いでいる。
 魔法を扱いこなし、補助に長けたテーナルクは雷の直撃を受け、一番深刻な状態だ。聖羅が庇ったことで即死こそ免れたが、しばらくは動くこともできないだろう。
 そして最大の戦力である死告龍・リュー。大鹿を退けるほどの力を持つが、激戦による消耗が激しい。再度大鹿が襲撃してきた際には、凌げるかも怪しい。
 大鹿も無傷ではなく、その回復には時間がかかるだろうが、敵が大鹿だけではない可能性もあり、楽観は出来ない。

 極めて危険な状況に、彼女たちは立たされていた。

つづく
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