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黎明媚態

露出系、羞恥系の18禁小説を書いています。関連の同人・版権作品のレビューも書きます。18歳以下の閲覧禁止。

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第六章 1


 聖羅、テーナルク、ルレンティア、アーミア、そしてバラノ。
 五人の女性は、現在広い廊下に繋がる狭い廊下の入り口に、結界を張って隠れていた。
 仮に大蜘蛛が現れても狭い廊下の奥に逃げ込むことができ、場合によっては広い廊下に出て戦うことも視野に入れた備えだ。

「つまり……結局、何が起きているのか、正確に把握できている者は、魔界の主であろう死告龍様を含めて、いないというわけですね」

 ザズグドズ帝国の軍略家・バラノは、合流することができた聖羅たちからこれまでの話を聞き、そう呟いた。
 バスタオル一枚の聖羅は申し訳なさそうに、胸に抱いた小さなドラゴン――死告龍のリューを撫でながら頷く。
 リューは気持ちよさそうに目を閉じており、うたた寝をしている様子だった。
 魔界が死告龍の由来だとすれば、リューにとってこの空間は家そのものだ。
 人間五人と違って、余裕のあるその態度もある意味当然ともいえる。
 聖羅に抱かれているという状況も一因ではあろうが。

「リューさんはこの通りでして……この現象はリューさん自身にも制御不能なのかもしれません」

「魔界化は自然と起こりうるものだから、制御出来てなくてもおかしくはないけどにゃー」

 困ったものだという思いを隠すことなく、ルレンティアは聖羅の言葉に賛同する。
 獣人であるルレンティアは、即座に戦闘に入ることも考慮し、その下半身を獣化したまま戻していなかった。上半身は腕以外ほぼ人間のままであるため、その豊満な乳房は布を巻き付けて隠している。
 本人は開放的な風土を持つ国の出身であるがために、その格好については気にしていないようだ。
 そんなルレンティアが出した予想について、テーナルクは納得が行かない様子だった。

「でも、それにしてもリスクばかりが目立ちませんこと? 本体が弱くなっては、規格外の魔界化も意味がありませんわ」

 現在、テーナルクはアーミアから譲られた、裾が短くなったログアンの神官服を身に付けていた。
 アーミア自身は神聖法衣があるために着れない服だが、テーナルクにその制限はない。
 ゆえに、アーミアはテーナルクにその神官服を渡したのであった。
 本人としては、ルィテ王国の王族がログアンの神官の格好をするということに思うところがないわけではなかったが、五人のうちまともな格好が出来ているのは二人だけ。
 まともに服を着れているだけでも感謝すべきなのだから、文句を言えるわけがなかった。

「……いや、これだけの規模の大きさの魔界なら、隠れるのに徹すれば問題ない。死告龍様の場合、セイラさんに会いに出てきたから、わたしたちの前にいるだけ」

 精密で極薄のレースを重ねた構造であるがゆえに、向こう側が透けて見えてしまう神聖法衣を身に付けたアーミアは、愛用の杖を体の前に構え、周囲に向かって張った結界を維持している。
 本人が結界術を得意とするだけあって、結界は敵に存在を知られることもなく、完璧に彼女たちを守っていた。さらに本命の結界の外にも、警戒用の結界が張られており、見つかりそうになれば即座に対応出来る状態を保っていた。

「アーミア様のご意見に賛同いたします。知能の減衰は致命的ではありますが、この魔界を自在に移動できるとすれば、人海戦術も意味を成しません。さらに魔族の発生や眷族の増殖なども鑑みるに……逃げ回り続けていさえすれば、消耗戦で勝てますから」

 軍略家たるバラノは、彼女の視点からアーミアの意見を支持する。
 彼女は五人の中でまともな格好が出来ている二人のうちの一人だ。
 バラノは蜘蛛に囚われた際、その身に纏っていた聖女風ドレスがボロボロになってしまったが、現在は修復されている。
 テーナルクのドレスは即死属性を纏った糸の攻撃によって破壊されてしまったために戻せなかったのだが、彼女のドレスは純粋な力で破かれただけであったために、修復の魔法で直すことが出来たのだ。

「あー、確かに、この広い魔界の中からその小さな本体を探すのは難しいにゃあ」

「ここまで常識外れの魔界だと、どう対処するのが正しいのかわかりませんね……」

 五人は頭を悩ませる。
 無論、もっとも単純な魔界への対処法である『魔界を生み出した主を倒す』ということを五人が考えなかったわけではない。
 聖羅は中立的な心情故に、リューを殺すということ自体に抵抗を覚えていた。
 他の四人は、主を倒すことでは解決せず、より状況が悪化する可能性を危惧していた。

 そして、五人全員『この状態の死告龍でも倒しきれないかもしれない』ということも考えていた。

 聖羅は絶対防御の力しか持たないし、バラノは軍略家であるが直接戦闘はできない。
 残る三人は王族であったり、国を代表する巫女であったりする分、並みの戦士や魔法使い以上の力がある。
 それでも、戦闘に特化した存在ではない。
 最強の種族と言われるドラゴンを相手にするには、少々心もとない戦力であった。

(幼体化していても、ドラゴンはドラゴン……)

(わたくしたち三人が束になってかかっても、敵わないかもしれませんわね)

(一度敵対したら、もう戻れないにゃ。いま賭けるには分が悪いにゃあ)

 三人は冷静な戦力分析の結果、分の悪い勝負だと判断していたのだ。
 さらに、その賭けに軽々に手を出すのを躊躇わせる情報もある。
 テーナルクとバラノが実例であり、彼女たちが確認した情報として、眷族に捕らえられた人々はまだ殺されていないということだ。
 聖羅たちも、妖精たちが捕らわれても殺されはしていなかったのを確認している。
 この魔界に取り込まれた者達は、何らかの理由で生かされているのかもしれない。
 そうだとすると、下手に魔界を崩壊させることで、生存者をかえって減らす結果になる可能性もあった。

「ひとまず今晩は休みましょう。休んで、明日からどう動くか決めましょう」

 そのバラノの提案は特に反対意見もなく受け入れられた。

「でも……休むにしても、辛いですね……食料も何もありませんから……」

 そう聖羅が呟くのと、そのお腹が鳴るのはほぼ同時だった。
 魔界に捕らわれたのは昼頃のことであり、現在の時刻はすでに夕刻をすぎている。
 昼食をとる前に魔界に取り込まれてしまったため、彼女たちは昼食をとれないまま、さまよい歩く羽目になっていた。
 お腹が空いて当然である。
 決して大きな音ではなかったとはいえ、周りに聞こえる程度には腹の虫の音を響かせてしまった聖羅は、恥ずかしさで顔を真っ赤にする。
 そんな聖羅をフォローするように、ルレンティアのお腹もくうと鳴った。

「確かに、おなかすいたにゃあ……動き回ったしにゃ」

 魔物との戦闘中、もっとも機敏に動き回っていたのはルレンティアだった。
 当然その消耗は激しい。その空腹を表すように、その頭頂部にある獣の耳がへたりと寝ている。普段から存在している耳だが、現在ルレンティアは獣化状態にあり、少し大きめになっていることもあって、余計に目立っていた。
 思わず頬を緩めてしまった聖羅だが、そんな場合ではないとすぐに顔を引き締めた。

「眷族って……食べられるのでしょうか」

 何気ない聖羅の呟きに、他の四人はぎょっとした顔をする。

「一応、不可能ではない……けど」

 現状眷族と呼ばれて、頭に浮かぶのが蜘蛛の眷族であることが問題であった。

「セイラさんのお国では、虫は食事に含まれますの?」

「文化として虫食はありますね。もちろん、食用に育てた虫であって、森の中で虫を捕ったり生で食べたりはしませんが……あ」

 そこまで答えてから、聖羅は元の世界の文化が誤解を受けていることに気づいて、慌てて付け加えた。

「文化として存在することはしますが、どちらかといえば特殊かつ少数派な文化です。この世界でもそうだとは思いますが、私のいた世界の食に対する探究心は執念すら感じることがあるほどでして。普通は食べられないものを、何日も、何週間もかけて食べられるように加工して……そこまでして食べることもあるんです」

 その聖羅の補足を聞き、他の四人はほっとした表情になる。

「……実は虫が主食だった、とか言われたらどうしようかと思った」

「確かに。今後セイラさんにご提供するお食事をどうするべきか迷うところでしたわ」

「や、やめてくださいね。私も虫を好んで食べたい訳ではないので……」

「虫を食べる文化……確か、フィルカードにはそういう文化がありませんでしたか?」

「にゃいにゃいにゃい! フィルカードにはそもそも虫自体少ないし……もしかして、タコやカニのことかにゃ? あれは脚が多いだけで、分類するなら魚にゃ」

「湖にタコやカニがいるんですか?」

 フィルカードは湖の上に存在する湖上国家、だと聞いていた聖羅は思わず尋ねていた。
 ルレンティアは頷き、タコやカニを使った料理のことを話し出し――余計に大きく腹の音が響き渡った。

「思い出したら食べたくなって来たにゃあ……」

「話を元に戻しましょう。眷族を食べることはできますし、調理次第ではあの蜘蛛も食べられるようになるとは思いますが……現実問題として、あれを仕留めて食べられるでしょうか。私見ですが……難しいと思います」

 バラノの指摘に異を唱えるものはいなかった。

「調理器具も調味料も何もありませんものね。調理技術自体は習得していますが、普段と環境が違いすぎます」

「焼くくらいしかできない」

「水の確保も問題だにゃ。水を操るならともかく、飲み水を生み出すのは難しいにゃ」

「そうなんですか? ……水を生み出す魔法はあるのでは?」

 聖羅は朝起きた際、使用人のクラークにお願いして顔を洗う用の水を出してもらっている。クラークが使えるのなら、この場にいる彼女たちが使えないわけがないと思っていた。
 それに対し、ルレンティアは聖羅の言葉を肯定した。

「確かに、水の魔法はあるけどにゃ」

 言いつつ、ルレンティアは翳した掌の上に水の塊のようなものを作り出した。
 渦を巻いて回転する水球は、見た目は完全に水である。

「でもこれはボクの魔力がそれっぽい形になっているだけにゃ。何かを洗うような用途には使えても、身体の維持に必要な水分にはならないにゃ。火にかけても沸騰しないし、凍らせることも出来ないにゃ」

 試しに、とばかりにルレンティアはもう片方の掌に炎を生み出す。
 水の塊と炎の塊を重ね合わせると、一瞬光が生じて、両方ともが消滅した。
 水は熱されることはなく、水蒸気になることもなく、ただ消滅していた。
 
「こんな風に消えるだけだにゃ。魔法で作られる炎や水は、あくまで魔力がそれっぽく形を作っているだけにすぎないのにゃ」

「……となると、魔法で飲み水を作り出すのは無理なわけですか」

「だにゃあ」

 この場所では食事や寝床の確保が難しい。
 そのことを改めて認識した五人は、顔を見合わせた。

「もう少しだけ移動を――」

 聖羅がこの場からの移動を提案しようとした。
 思わず抱きしめる力が強くなった、その動きに反応してか、彼女に抱かれていたリューがぱちりと目を開く。

「くるる?」

「あ、リューさん。ごめんなさい。起こしてしまいましたか」

 慌てて謝る聖羅に対し、リューは楽しげに鳴き、聖羅の首筋に頭を擦りつける。
 犬猫のような動きをするリューに苦笑しつつ、聖羅は撫でてあげながら話しかけた。

「リューさん、私たちはいまから水か食べ物がある場所に移動しようと――」

「ちょっと待ったせいらん!」

 勘働きに優れたルレンティアは、全身の毛が逆立つような悪寒を覚えて、咄嗟にそう叫んでいた。
 聖羅はその叫びに驚いて言葉を途中で止めたが、しかしすでに遅かった。

 突如、廊下の迷宮全体が震え出す。

 全員が座っていたため、倒れる者こそいなかったが、立ち上がるのも難しいほどの揺れ。
 地震大国出身の聖羅が推測するに、震度7弱ほどの激しい揺れだった。

「な、何が起き……っ!」

「まずい! 結界に感! 狭い廊下側!」

 叫ぶアーミアの言葉を肯定するように、狭い廊下を埋め尽くすようにして、小さな蜘蛛の眷族たちが近づいて来ていた。
 蜘蛛たちも慌てふためいているようにも見えたが、聖羅たちを認識すると同時に、一斉に襲いかかってくる。

「この状況で……!」

「くっ、ほの――」

 ルレンティアが歯噛みし、テーナルクが炎の魔法で応戦しようとした時。
 聖羅に抱かれたままのリューが、その小さな口から巨大なブレスを吐いた。
 幸いにして聖羅が先頭になる位置関係であったがゆえに、そのブレスに巻きこまれるものは、蜘蛛だけで済んだ。
 小さな蜘蛛たちは逃げる暇も場所もなく、ブレスに巻きこまれて吹き飛ばされていく。
 ブレスは余波だけで廊下の床や天井に亀裂を生じさせ、最終的に突き当たった壁で大爆発を起こした。
 地震の震動とはまた種類の違う振動が、聖羅たちのいる場所にまで響いてくる。

「うわぉ……」

 思わず聖羅は唖然とした声を出していた。
 小さくなってもリューはドラゴンであり、死告龍。
 最強の種族にして、最悪の個体の名は伊達ではなかった。
 リューの一撃によって、蜘蛛たちの脅威は去った。
 だが、空間全体の震動は全く収まらない。

「全員、近くに寄って離れないでください!」

 バラノがそう叫び、テーナルクの腕を引いてルレンティアと肩を組む。
 突然の行動にルレンティアは驚きつつも、アーミアを抱え上げた。
 そして、テーナルクが聖羅と腕を組んだ。
 五人がひとかたまりになったと同時に。

 広い廊下を満たすほどの、大量の水が流れてきた。

 それを見たルレンティアが、何時になく真剣な表情で抱え上げたアーミアに声をかける。

「アーミア!」

「了解! みんな、なるべく小さくまとまって!」

 全員が身体を寄せ合い、小さく丸まった五人と一頭を、アーミアの結界術が包み込む。
 ボールのように構築された結界は水を通さず、五人は荒波に揉まれつつも、溺れることはなかった。
 だが、瞬く間に増える水量によって、為す術もなく押し流され――気づけば見渡す限り水だらけの、大海原に放り出されていた。まだ陽は沈みきっていなかったが、白い霧のようなものが視界を限りなく悪くしていた。
 五人と一頭を包み込む結界が、船のようになって大海原に浮かんでいる。
 遠くの水面で、魚らしきものが跳ねているのが見えた。
 リューを抱きしめて固まっていた聖羅は、恐る恐る顔をあげ、周囲の状況を確認して、唖然とした。

「確かに、ここなら水と食べ物はありそうですけど……」

 聖羅の呟きに、リューは不思議そうに首を傾げる。
 死告龍の魔界はその全容が把握できないほど、複雑怪奇に広がっているようだ。

つづく

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第5章 おわり


 大蜘蛛は飛ぶように天井付近を移動しく。
 音を立てずに移動することも出来る大蜘蛛であったが、いまは大きな音を立てながら広い廊下の天井を進んでいた。
 幾重にも入り組んだ廊下は迷宮の如き複雑さであったが、蜘蛛は迷いなく道を選択していた。それは特殊な糸を張り巡らせているためである。
 大蜘蛛はその糸を通じて複雑な道を余すことなく把握している上、その糸から伝わってくる振動などで獲物の存在を感知することが出来るのだ。

 大蜘蛛はその糸を通じ、緊急事態を察していた。

 捕らえた獲物たちを保管している、広い部屋に大蜘蛛が戻って来たとき、その部屋の床は広い範囲に渡って焼き焦げていた。
 大蜘蛛が天井に張った巣には、捕らえた獲物を糸でぐるぐる巻きにして吊してある。
 繭状となった犠牲者は十数人にも及んでいたが、蜘蛛はその数が記憶よりもふたつ少ないことを認識した。
 逃げ出した者がいるのだ。
 素早く複眼を動かし、部屋の状況を詳しく把握する。
 床が焼き焦げているのは、床に張り巡らせておいた感知用の糸を焼き払う目的であると推測できた。
 本来はその糸によって脱走を感知し、同時に足止め用の罠糸が発動するはずだった。
 脱走者は触れる前に糸に気づき、それらを纏めて魔法で焼き払ったのだろう。

 大蜘蛛はその複眼を赤く染め、怒りを露わにする。

 そして、逃げ出した獲物を再度捕らえるべく、行動を開始した。
 この広間から外に繋がる道は複数あるが、その内一本はたったいま大蜘蛛が通ってきた道なので、除外。
 残る道にも大蜘蛛は感知用の糸をかけているため、そこを通ればすぐわかる。
 大蜘蛛が楽に移動できる大きな道と、大蜘蛛が入るには少し小さな道、ふたつの道に張った糸が千切れていた。
 それを感じた大蜘蛛は、脱走したのが複数で、二手に分かれたのだと考えた。
 まずは大蜘蛛の動きが制限される狭い道から追いかけようと、大蜘蛛が道へと近づく。

 その時、大きな道の方から、糸が切られる感覚が伝わってきた。

 大蜘蛛が脚を止めると、さらに連続して糸が切られていくのを感じ取る。
 一方、いかにも人間が逃げやすそうな狭い道の方からは何の感覚もしなかった。
 狭い道の方の糸が千切られていたのはまやかしで、脱走者は大きな道の方にいることを大蜘蛛は確信する。
 翻弄されるところだった大蜘蛛は、その複眼を怒りにますます赤く染め、大きな道へと飛び込んでいった。
 後には巣にかけられたままの犠牲者たちだけが残され、静寂が満ちた――のだが。

 天井の隅に隠蔽の魔法を使って隠れていた、テーナルクとバラノが床に降りる。

 身体強化を用いたテーナルクはバラノを背負ったまま、床に危なげなく着地すると、即座に走り出した。
 向かう先は、先ほど大蜘蛛が大急ぎで戻ってきた道だ。
 テーナルクは何も言わないまま、その道を駆け抜けて大蜘蛛の巣から離れていく。バラノは振り落とされないよう、テーナルクにしがみついていた。
 テーナルクはバラノの言った通りの状況になったことに、なんとも苦い顔をしていた。

(隠蔽の魔法が見破られたら危なかったですが……本当に、気づかれなかったですわね)

 バラノは大蜘蛛の習性や行動パターンから、糸に頼り切っていることに気づいたのだ。
 大蜘蛛の糸は万能で、非常に便利なものであったが、便利すぎてそれを感じるあまりに他の感覚を疎かにしてしまっていた。
 結果、バラノにその弱点を突かれ、まんまと彼女たちの逃走を許す結果になった。
 的確に蜘蛛の習性を読み、見事に安全な逃走を実現させたバラノの手腕に、テーナルクは舌を巻いていた。

(二重三重に策を畳みかけ、大蜘蛛の意識を誘導するなんて……おそらく、今頃大蜘蛛は逃亡者を追い詰めていると疑いもしておりませんわよね)

 それだけバラノが策略家として優れているのだと、テーナルクは認めざるを得ない。
 一方、バラノもまた、テーナルクの優秀さを実感していた。

(王族ですからある程度は当然としても……身体強化、攻撃、感知、補助……様々な魔法を苦も無く扱いこなしている辺り、流石ですね)

 バラノの知る限り、テーナルク並みに多種多様な魔法を扱いこなせる者はそうはいない。
 軍事国家であるバラノの国・ザズグドズ帝国であっても、テーナルクほど、高い水準で魔法を使いこなす魔法使いはそうはいなかった。
 厳密にいえば、国の戦略的方針で特定の魔法の習熟に特化した者――特化職ならばテーナルクを超える魔法使いもいなくはないのだが。

(明らかな内政担当であるテーナルク様でこの水準ということは……他の戦闘向きの王族の評価を改めないといけません)

 この世界においても、人間の強さの肝はあくまで集団戦であり、個々の強さが最重視されるわけではない。数が力なのは聖羅の世界と変わらないのだ。
 だが、同時に個々の戦力というものも、無視できない程度には、戦況を左右しうる要素になりえた。
 特に各国の王族は普段戦場に出ない分、戦力を攻略の際の勘定に入れることが難しい。
 その対策も当然取られてはいるが、『王族が戦場に出てきた瞬間、優位だった戦況がひっくり返された』戦争の例は古今東西、いくらでもあるのだ。

(王族の戦力を上方修正するとなると……七十七番から九十二番までの策は使えませんね……軍部に連絡しておかなければ)

 バラノはテーナルクの背にしがみつきつつ、そう考えていた。
 彼女はルィテ王国に入国する際、ルィテ王国国王のイージェルドと「今後ルィテ王国へ危害を加えない」という制約を交わしている。
 ゆえに、バラノは入国する前に、その時点で考え得るルィテ王国攻略の策戦を思いつく限り書き残しておいたのだ。
 時が経つにつれ。情報が更新されるにつれ。
 意味と確度を失っていく置き土産であったが、帝国のためにできる限り策を残しておいたのである。

(ここから脱出出来なければ意味がありませんが)

 バラノがそう心の中で結論を出し、気持ちを切り替えるのと、ほぼ同時。
 彼女を担いだまま疾走するテーナルクが、不意に後ろを振り向いた。

「……囮の土人形が破壊されましたわね。こっちに来ますわ」




 逃亡者を追いかけたつもりでいた大蜘蛛が追いめたのは、全身に火を灯したまま、ひたすら道なりに進む土人形だった。
 あからさまな囮であり、まんまと騙されたことに気づいた大蜘蛛は、怒りのままにその土人形を破壊する。
 土人形に戦闘能力は全くなく、あっさりと砕けて土塊へと変わった。
 大蜘蛛は再び廊下を全速力で走り、捕らえた獲物をかけてある巣のある広間に戻り――

『やれやれ、人間如きにしてやられるとはね。君には失望しましたぞ』

 部屋の中央にいる『モノ』の存在に気づいて、その脚を止めた。
 その大きさは人間より少し大柄な程度の人型であったが、大蜘蛛はまるで巨大な怪鳥を前にしたかのように硬直していた。
 小刻みに震えているのは恐怖のためだろうか。
 そのモノは極めて人間的な見た目をしていながら、明らかに人間ではないことがわかる見た目をしていた。

 頭部はドラゴンのものであり、背には翼、臀部には尻尾が生えている。

 その上で、それ以外の胴体や手足は人間のものであり、人間の貴族が身に付けるような豪奢な礼服を身に付けているのだから、奇妙な姿であった。
 竜頭人、とでもいうべき姿をしたそのモノは、大蜘蛛に向かってその掌の上にあるものを示す。

『このふたりに関しても、です。この程度の相手に手こずろうとは。恥を知りなさい』

 その掌の上には、水晶のように透明な四角柱がふたつ浮かんでいた。
 こぶし大の大きさであったが、その中には人間の男女がそれぞれ窮屈そうに押しこめられている。魔法を用いて、水晶に本物の人間を封じているようだ。
 閉じ込められている者達は意識がないのか、ぐったりとしてその身を委ねている。
 いずれも服を含めて装備一切を剥ぎ取られた生まれたままの姿であり、仮に意識があったとしても、抵抗する術を全て奪われていた。

 そのふたりは、大蜘蛛が先ほど戦っていたふたりの騎士であった。

 相応に技量が高く、大蜘蛛を苦戦させた存在であったが、その竜頭人にしてみれば障害にならないらしい。
 圧倒的な力の差があることを感じているのか、大蜘蛛は何も鳴かず何も示さず、ただ硬直するのみ。
 そんな蜘蛛を安心させるように、竜頭人はその奇怪な頭部を歪め、辛うじて笑みと呼べるような表情を作った。
 笑みは笑みでも非常に悪魔的な笑みではあったが。

『まあ、それでも君はよくやってくれた方ですがね。――逃げられたのも、あのふたりであるならば、むしろ行幸かもしれませんな』

 後半は独り言として呟かれた。
 そして、竜頭人は頭上に広がる蜘蛛の巣を見上げる。
 彼が見ているのは、その巣にかかった哀れな犠牲者たちだ。

『あれらは儂が回収していきます。君は逃げた人間を追うように。……とはいえ、逃げに徹するあれらを捕まえるのはなかなか難しいでしょう』

 だから、と竜頭人が手を床に向けて翳すと、床から数多の小さな蜘蛛が這い出て来た。
 それらは蜘蛛の幼体という様子ではなく、大蜘蛛をそのまま小さくした複製品という表現の方が正しく思われる。

『これらを使いなさい。数で飽和攻撃を行えば捕まえることもできるでしょう』

 大蜘蛛は小さな蜘蛛を引き連れて、広間から出撃していった。
 それを見送った竜頭人は、再び天井を見上げた。

『さて……これで数は十分でしょうか……欲を言えばもう少し欲しいですな。……とはいえ、取り込めた資源にも限りがありますし……まったく人間如きが、忌々しいことですなぁ』

 ふぅ、と息を吐いた竜頭人の体が、その輪郭を失い、七つの首を持つ巨大なドラゴンの姿へと変貌する。
 七つの首は統一された動きで蠢き、その全ては一つの胴体に繋がっていた。胴体からは翼と尻尾が生えている他、像のように太く短めの足が生えている。
 巨躯の体重は相当重く、その太い四つ足でやっと支えられるようで、広い部屋の床が砕けて陥没しかけていた。歩くだけで猛威を振るう、まさに怪獣と呼ぶに相応しい姿だ。

 神話の如き七つ首のドラゴンが、そこに顕現していた。

 蛇のように長い首を伸ばし、天井の蜘蛛の巣にかけられた犠牲者たちを包む繭に、ひとつひとつ丁寧に食らいつき、繭ごと飲み込んでいく。
 元々身動きの取れない彼ら彼女らは抵抗することなど出来るはずもなく、次々丸呑みにされていった。ひとつ繭を喰らう度、長い首の表側が人の形に盛り上がり、首を下へと落ちていき、胴体へと吸い込まれていく。

 それはまさしく――悪夢のような光景であった。




 大蜘蛛からの逃走を続けていたテーナルクとバラノは、二人同時にその音に気づいた。
 背後から、蜘蛛が移動する際に生じる、極めて不愉快な足音が聞こえてきたのだ。

「まずい……! 追い付かれます!」

「わかっておりますわ! なんで、こんなに早く……!」

 ふたりはある程度広間から離れた段階で、逃げる痕跡を残さないように細心の注意を払っていた。
 廊下中に張り巡らされた蜘蛛の糸をあえて切らずにくぐり抜けたり、時間差で起動する爆発魔法を仕込んだり、大蜘蛛の追跡を避けるためのありとあらゆる手を打っていた。
 いかに蜘蛛が魔物として優秀であったとしても、習性自体は通常の蜘蛛の範疇であれば、十分以上に撹乱できたはずだった。

 しかし、現実にはすぐ背後まで蜘蛛の足音が迫っている。

 テーナルクとバラノはその事実に震えたが、その音をよくよく聞いて、顔を見合わせた。
 足音の性質が大蜘蛛のものと違っていたためだ。
 一匹の大きな蜘蛛が移動する音ではなく、複数の小さな蜘蛛が動いているものだと察するのは容易であった。
 その音は複数の方向から、徐々に近づいて来ている。

「……子を成して、増えたのでしょうか?」

「まさか! ありえませんわ!」

 テーナルクはバラノの発言を強く否定する。
 眷族は魔界から発生するものであり、通常の生物や魔物とは有り様を異にする存在だ。
 普通の魔物と違って生殖機能は持っていないことが多く、魔界が大きくなる度に自動的に増えるとされている。

「魔界が大きくなって、増えたと考える方が妥当ですわ!」

 テーナルクはそう叫ぶが、それはそれでルィテ王国がいまも魔界に飲み込まれ続けているということになるため、楽観できる状況ではない。
 一刻も早くこの場を脱出しなければならない、と彼女たちは同じ事を考える。
 そのふたりの前に、小さな蜘蛛が現れた。
 散らばっている蜘蛛のうちの一匹に遭遇してしまったのだ。
 小さな蜘蛛の複眼がテーナルクたちを捉える。

「くっ……! 喰らいなさい!」

 瞬時に反応したテーナルクが、掌に生み出した火球を蜘蛛に向けて放つ。
 火球は見事に蜘蛛の顔面を捉え、爆発し、その複眼を焼いて牙を砕いた。
 大蜘蛛に比べて、小さな蜘蛛は魔法抵抗力も大したことはないらしく、甲高い悲鳴をあげてのたうち回る。
 その蜘蛛にとどめを刺すことはせず、ふたりは即座にその場から逃げ出した。

「小さい蜘蛛なら、倒せますわね!」

「ですが逃げるべきです!」

「言われなくともわかっていますわ!」

 一体ごとなら大したことのない敵であったが、問題はその数だ。
 いま焼いた蜘蛛の悲鳴に反応して、蜘蛛たちが移動する音が四方八方から響くのを、ふたりは総毛立つ思いで感じていた。
 それらの中には当然あの大蜘蛛もいるはずだ。
 小さな蜘蛛の音に紛れ、逃げられないほど近くまで来られる可能性もあった。

「倒せるとはいえ、死告龍の眷族である以上……っ!」

 テーナルクがそう言いかけた時、今度は複数の小さな蜘蛛が彼女たちの前に現れた。
 即座にいくつもの火球を生み出し、数匹を焼き払ったが、無傷の数匹がその丸い腹部の先端から、糸を射出する。
 通常の蜘蛛の糸と違い、槍状になって飛ぶその糸の先端が、黒い霧のようなものに覆われた。
 テーナルクは血の気が下がる思いをしながら、紙一重で回避し――避けきれなかった糸のひとつが、ドレスの裾に触れる。
 糸に付与された黒い霧は、電気が流れるようにドレス全体に伝播し。

 テーナルクのドレスが、散り散りに崩壊した。

 すでにボロボロだったとはいえ、突然下着姿に剥かれる形になったテーナルクは、一拍遅れてその事実を認識する。
 彼女の思考が真っ白になり、隙が生まれたのを、蜘蛛たちは見逃さない。
 素早く距離を詰め、その毒の牙を持ってふたりを仕留めようと跳びかかった。

「テーナルク様!」

 背にしがみついていたバラノが、そう叫んで注意を促すが、時すでに遅く。
 複数の蜘蛛の牙が、テーナルクとバラノの体に突き立てられる――

 寸前で、小さな蜘蛛たちが不可視の障壁に弾かれた。

 思わぬ衝撃に仰け反った蜘蛛たちの頭部が、直後に吹き荒れたつむじ風によって切断される。
 気を取りもどしたテーナルクが見たのは、半獣人と化した、見覚えのある後ろ姿で。


「てーなるん、大丈夫かにゃ!?」


 独特の呼び方でテーナルクを呼ぶのは、ひとりしかいない。
 フィルカードの獣人姫・ルレンティアだ。
 何かと気にくわないところも気の合わないところもある相手ではあったが、その実力や能力に関して疑うところは全くない。
 そして互いに国を背負って立つ者同士、信頼がそこにはあった。
 思わずテーナルクが安堵の笑みを浮かべたのも、無理からぬことだっただろう。
 それでも、即座にテーナルクは気を引き締め直した。

「小さな蜘蛛以外に、手強い大蜘蛛がいますわ! その奇襲に気をつけてくださいませ!」

 端的に最も重要な情報を伝え、注意を促す。
 ルレンティアはそれを受け、頭頂部の獣の耳をぴんと立てて警戒の意を示す。

「了解だにゃ! ボクのてーなるんを辱めた借りは百倍にして返すにゃ!」

「誰が貴女のですかッ! 辱めも受けておりませんわ! 貴女は、まったくもう! ふざけてる場合ですか!」

 顔を真っ赤にして叫び、怒りを露わにするテーナルクだが、その表情には余裕があった。
 獣人のルレンティアがいれば前衛を任せることが出来る。
 王族の嗜みとして魔法全般を修めているテーナルクだが、決して戦闘が得意というわけではない。特に高速で動き回りながら行う魔法戦闘など、不得手の部類であった。
 だが、前衛として敵に対処してくれるルレンティアがいれば、話は全く違う。
 支援のための魔法を唱えることに集中することが出来れば、テーナルクの修めている多種多様な魔法がより活きるからだ。

「巻きこまないようにわたくしは支援に徹しますわ。それでいいですわね?」

「もちろんだにゃ! 大蜘蛛とやらの警戒、よろしくにゃ!」

 端的に必要なやり取りを交わし、テーナルクとルレンティアが組んで蜘蛛たちに立ち向かう。
 ルィテ王国とフィルカード共和国。
 国は違えど、王族に数えられるふたりの姫が組んだ時の実力は確かで、その場にいた小さな蜘蛛たちは次々と倒されていった。
 即死属性を扱えても、攻撃が当たらなければ意味が無い。
 ある程度数を減らしたところで、蜘蛛たちは勝機がないことを悟ったのか、散り散りに逃げ出した。
 ふたりは蜘蛛たちが戻ってこないことを確かめた上で、息を吐く。

「ふぅ、なんとかなりましたわね」

「うぇぇ……気持ち悪いにゃ……蜘蛛の体液がなんともいえない匂いだし……」

 ルレンティアの攻撃方法は基本的に長く伸ばした手の爪で引き裂くというものだ。
 一瞬で上手く切断すれば体液塗れになることはないのだが、乱戦の中では必ずしも的確に爪を震えるわけではない。
 結果、返り血も含めてルレンティアの全身は蜘蛛の体液に濡れていた。
 胸に巻いた布も濡れてしまっていたが、幸いというべきなのか、体液自体が色の付いたものだったため、透けるようなことはなかった。
 本人は気にしないかもしれないが。

「助かりました。ルレンティア様。テーナルク様もありがとうございます」

 テーナルクの背からようやく降りることができたバラノが、ルレンティアとテーナルクに対して頭を下げる。
 ルレンティアは飄々とした調子で、その礼を受け取った。

「こんな状況だからにゃ。堅苦しいのは抜きで行くにゃ。脱出にお互い力を尽くそうにゃ」

「無論、出来る限りのことをさせていただきます。私に出来ることは少ないですが……」

 ルレンティアとバラノが協力態勢をきっちり築き上げたところで、テーナルクが口を開く。

「アーミア様はどこにいらっしゃるのですの?」

「さすがてーなるん。気づくよにゃあ」

 そうルレンティアが笑い、廊下の隅に目線をやると、その場所が歪み、隠蔽の魔法で隠れていたアーミアと聖羅が現れた。
 聖羅自身には魔法は利かないが、周りに幻影を被せることで隠れていたのである。

「大丈夫ですか? テーナルクさん、バラノさん……」

「……体に怪我はないみたい」

 心配そうに声をかけてくる聖羅と、淡々と事実を指摘するアーミア。
 ふたりの様子にテーナルクとバラノは変わったところはなさそうだ、と感じ――

 聖羅に抱かれている小さなドラゴンに気づいて唖然とした。

 テーナルクもバラノも、なんというべきか言葉を一瞬失う。
 奇妙な沈黙の時間を経て、最初に口を開いたのはルレンティアであった。

「とりあえず、ここから移動するにゃ。安全を確保して、それからお互い状況を確かめるにゃ」

 その意見を否定する者は一人もいなかった。

 小さくなった死告龍を抱えたバスタオル一枚の聖女・清澄聖羅。
 獣化しているとはいえ、胸に一枚布を巻いているだけの格好の獣人姫・ルレンティア。
 半透明のレースを幾重にも重ねた神聖法衣と、布を下着代わりに要所を隠している姫巫女・アーミア。
 ドレスが崩壊し、下着のみの姿になっている王国第一姫・テーナルク。
 蜘蛛の糸が巻き付けられ、所々が破れかけた聖女風ドレスを身に付けている軍略家・バラノ。

 うら若き乙女がするには、あまりにも悲惨かつ散々な姿をした彼女たち。
 この場に異性がいないことが、彼女たちにとっては数少ない幸運であった。

つづく

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第5章 3


 蜘蛛の糸に包まれていた状態から、自力で脱出したテーナルク・ルィテ。
 広いホールのような空間の、天井付近に張り巡らされた蜘蛛の巣に掴まり、ぶら下がりながら素早く周辺を見渡す。
 自身を糸で捕らえた大蜘蛛が近くにいないことを確認すると、ほっと一息を吐いた。

(注ぎ込まれたのが、致死性の猛毒でなくて命拾いしましたわね……さすがにあの量は耐えきれませんわ)

 テーナルクは蜘蛛に牙を突き立てられた箇所を掌で摩る。
 大蜘蛛の牙は元々の体躯の差から、人間にとってナイフで刺されるのと変わりない損傷を体に与える。
 特に今回は逃がすまじとばかりの突撃と共に突きたてられたため、毒がなくとも傷がそのまま致命傷になりかねないほど深くなっていた。
 しかしいま、テーナルクの体には傷らしい傷はない。多少皮膚に違和感はあったが、血も滲んでおらず、ほとんど完治しているといっていい状態だ。

(自動回復の首飾りは……ダメですか。再度同じ攻撃を受ければ、今度こそ死にますわね)

 テーナルクは暗殺対策として、傷つけられると同時に発動する回復魔法を仕込んだネックレスを身に付けていた。それが効果を発揮し、受けた傷を癒やしたのである。
 高い治癒力を発揮したネックレスは、その代償に壊れかけており、同じことはもう出来ない状態だった。
 ネックレスには、毒を無効化する力はなかった。注ぎ込まれた毒液は、純粋にテーナルクの抵抗力で耐えたのだ。王族の嗜みというものである。
 本来ならば身動き一つ取れなくなっていただろうが、一時的に意識を失う程度で済んでいた。
 しかし当然ながら万全な状態とは言いがたく、テーナルクはこの後はより慎重に行動しなければならないことを肝に銘じる。
 改めて周囲の気配を探り、蜘蛛が近くに戻って来ていないことを確認する。

(ひとまず、蜘蛛の気配は近くにない……ですわね。とりあえず下に降りて、落ちついて態勢を整えましょうか――)

 身体強化の魔法を扱えるテーナルクにとって、巣の高さはそう恐れるほどのものではなかった。
 念のため感知魔法を用いて、細い糸の罠が張られていないことも確認。
 怪しいものは何も感知できなかったため、テーナルクは蜘蛛の巣に掴まっていた手を離して、下に降りようとして。

『お待ちください、テーナルク様』

 すぐ近くから静止の声がかけられ、その動作を中止した。
 テーナルクが周囲を見渡すと、彼女と同じように蜘蛛に捕獲されたと思われる人間大の繭のひとつから声が聞こえて来ていた。

「バラノ様! ご無事でしたの!」

 白い繭の一部が裂け、その隙間からバラノの目だけが覗いていた。

『……ええ、なんとか。念話にて失礼いたします』

 バラノの口元はいまだ蜘蛛の糸によって覆われており、声を出すことは出来ないようだ。
 テーナルクは糸を伝って、バラノの傍に寄る。

『どうやら、あの蜘蛛は我々を殺す気はなかったようですね。周りの方々も生きていらっしゃるようですし。私が早々に脱出を諦めて抵抗をしなかったためか、テーナルク様のように毒も注がれずに済んだようです』

 言われてテーナルクは周囲の繭を見渡す。
 確かに、どの繭も微かに動いていて、全く動かない繭はないようだ。

「呼吸は出来ているんですの?」

『ええ。激しく動くと苦しいですが、この糸、かなり通気性はよいようで。落ちついて呼吸すれば、普通よりすこし息苦しい程度で済みます。ただ、突然のことに動揺した状態では難しいのでしょう。ほとんどの人はしばらくもがいた後、気を失ってしまっているようです』

 さらりとバラノは言ってのけたが、その胆力にテーナルクは舌を巻いた。
 力を持たないということがかえって覚悟を決めさせているのかもしれないが、冷静であろうと努めて実際にそうできる者はそうはいない。

「その目の部分だけ糸が裂けているのは?」

『私の無詠唱魔法ではこれが精一杯でした。起きていることが蜘蛛に知られても困りますし……ちなみに、私たちがここに運びこまれてから一時間ほど経過しております。その間、何度か蜘蛛は私たちと同じようにした犠牲者を運びこんで来ています。先ほども二人ほど追加されたところです』

「一体、何のつもりなのでしょう……この巣に生け捕りにすることに意味があるのでしょうか? ともあれ、貴女を捕らえている糸を焼きますので、動かないでくださいまし」

『お願いします。ただ、下に降りたくはないので、体を支えておいてくださいますか?』

「なぜ下に降りたくないんですの? 何かあるようには見えませんわ。糸もないようですし」

 先ほど、見えないほど細い糸の罠に引っかかったテーナルクは、それを学習して、そういった細い糸がないかどうかは真っ先に警戒していた。

『予想なのですが、触れたら切れる程度の、極細の糸が張り巡らされているのではないかと。蜘蛛の種族の中には、そういった糸を感知装置にして、巣の異変に気づく者がいると聞いたことがあります。それが厄介な点は、目視することが極めて困難である上、魔力を介さないために感知魔法で認識できないという点です』

 バラノは知識と予想を絡めてテーナルクに説明する。
 あらゆる想定を行うのは、軍略家たるバラノの得意とするところであった。

『わざわざ我々を生け捕りにした以上、そこにはなんらかの意味があるはず。こんな開けた場所に、何の用意もなく、ただ放置するとは思えません』

「……ありえなくはない話ですわね」

 テーナルクは言いつつ、視力を限界まで強化し、床に極細の糸が張られていないかを確かめる。
 そう意識して糸を探して見ると、ほんのわずかであったが視界の一部に違和感を覚えた。
 先ほどテーナルクたちを捕らえたものよりも遙かに細い糸が張り巡らされているようだ。
 それは獲物を捕らえる役目は果たさないだろうが、バラノが言ったような延長された感覚器としての役割は果たすであろう。
 もしテーナルクが先ほど下に降りていたら、それを察知した蜘蛛が戻ってきていたかもしれない。

(まったく……味方であるうちは頼もしいのですが)

 テーナルクは争う領域が違うとはいえ、バラノの想定の的確さに舌を巻かざるを得ない。
 その頭脳がかつては敵としてルィテ王国に牙を剥いていたこと、そして死告龍の騒動によって、彼女がルィテ攻略のための戦略を立てられなくなったことを考えると、テーナルクは命拾いをしたような心持ちだった。

(とはいえ、軍略家は彼女だけではありませんし、油断は禁物ですわね)

 そこまで考えたテーナルクは、一端それらのことを頭の隅に追いやった。
 ルィテ王国とザズグドズ帝国の戦いも重要だが、いま優先すべきはこの非常に危険な状況からの脱出である。
 テーナルクはバラノの近くの糸に片手でぶら下がり、バラノの体に空いた手を添える。身体能力強化の魔法がなければ、とても出来ない芸当だ。

「では、いきますわよ。動かないでくださいませ」

 バラノの体に添えた手に魔法の火を宿し、バラノを捕らえている蜘蛛の糸だけを正確に焼いていく。
 戦闘中には不可能であったが、じっくり行うのであれば問題なく糸だけを焼ける。
 程なくして、バラノは糸から解放された。その体を片手で担ぐようにして、テーナルクが支える。

「ありがとうございます。テーナルク様」

 バラノは糸から解放され、喋れるようになったためか、肉声に切り替えて話す。
 両手で胸を庇っているのは、彼女が着ていた『聖女風ドレス』の胸に巻き付けていた布が引き千切れていたためである。
 テーナルクは的確に糸だけを魔法の炎で焼いたのだが、その布は糸を巻き付けられる段階で破かれていたのだ。
 幸い、彼女はそのドレスの発端になった聖羅と違い、ちゃんと下着は身につけていたため、裸の胸を晒すことは避けられていたが、恥ずかしいことに変わりは無い。
 そういう意味ではテーナルクも似たような状況にあるのだが、本人の維持もあり、気にしないように努めていた。

「この体勢、あまり長くは保ちませんわ。いずれにせよ、降りていかなければなりませんが……方針を定めましょう。奇襲か。逃走か」

「逃走でしょうね」

 バラノのその判断に、テーナルクも異論は無かった。
 この場に隠れ、戻ってきた蜘蛛を奇襲することも考えられなくはないが、テーナルクもバラノも戦闘に特別優れているわけではない。
 一撃で倒し切れればそれもいいが、そうできない場合の方が可能性としては高い。。
 即死属性を持つ蜘蛛に戦いを挑むのは無謀である。
 まずはこの場を離れ、戦闘に長けた者と合流することを目指すべきだった。

「蜘蛛がどちらに行ったかはご覧になっておられませんの?」

 蜘蛛との遭遇は極力避けなければならない。
 相手も移動する以上、確実なことはわからなくともなるべく可能性を下げるために、テーナルクはバラノにそう尋ねた。

「残念ながら、蜘蛛が去っていった通路は私から見えなかったのです。ただ、逆にいえば私から見えていた通路から出て行っていないので、選ぶならそこでしょうか」

 言いつつ、バラノはこの広間に通じる道のうち、一本の通路を指さした。
 そこは蜘蛛が出入りするには少々狭く、選択肢としては悪くなさそうに見える。
 だが、テーナルクは悩んだ。

「……おそらく、罠が張り巡らされていると見ますわ」

 いかにも蜘蛛から逃げやすそうな通路。
 そして、蜘蛛が使いづらそうな通路。
 開けた廊下での遭遇戦でさえ、用意周到に逃げ道を塞ぐように罠を準備する蜘蛛が、その場所に罠を何も用意していないわけがなかった。
 そのことに、バラノも同意する。

「私もそう思います。ですので……こういう手はいかがでしょうか?」

 バラノが示した策戦に、テーナルクは苦い顔をしながらも従わざるを得なかった。
 軍略家たるバラノの示す手は、実に的確だったためである。




 二人の騎士が、たった一匹の大蜘蛛に翻弄されていた。
 騎士は王城に勤めていることもあり、選りすぐりの精鋭だった。その研ぎすまされた剣技と優れた魔法の扱いによって、大抵の魔物は個人で討伐出来る実力者揃いだ。
 だが、それでも蜘蛛は騎士を翻弄し得た。

「くっ……!」

 騎士が構えた剣が、突如半ばから切断されて使い物にならなくなる。
 咄嗟にその騎士は転がって追撃を裂けたが、戦闘力の著しい低下は避けられない。

「ダメだ魔力を宿した剣でも受けるな! 『即死』させられるぞ!」

「こんなんありかよ! 反則だろこれ!」

 もう一人の騎士がそう悲鳴混じりに叫びつつ、一歩後ろに後退する――その足が、張り巡らされていた糸に触れた。
 それを感じたその騎士は、冷や汗を流しながら慌てて足を戻そうとするが、糸は足を覆う鎧にひっついて離れない。

 その糸を、黒い霧が伝って来た。

 黒い霧が騎士の鎧に触れた瞬間、その足を覆っていた鎧が砕け散る。
 片脚だけ鎧を失った騎士は、バランスを崩しつつも、風の魔法で進行方向の安全を確保しつつ、後退する。
 蜘蛛は天井付近を高速で移動しており、狙いを絞らせない。

「即死攻撃で装備が破壊されるなんて聞いたことねーぞ!」

「とにかく避けろ! これが生身に触れたら――ッ!」

 指示を出していた騎士が被っていた兜が、破裂した。
 極細の糸が風に乗せて垂らされていたようだ。
 兜の中に納めていたその騎士の長い茶髪がパサリと広がってしまい、騎士は慌てて手でひとつに纏め、風の刃を発生させて乱暴に断ち切る。
 普段の戦場なら髪が広がろうと気にしないが、即死属性を持つ相手に対して広がる髪は致命的だからだ。
 ざんばらの髪型になったその騎士を見て、もうひとりの騎士が苦々しい顔になる。

「隊長……っ! くそっ、隊長の婚期がこれ以上遅れたらどうしてくれるんだ!」

「髪くらいあとでいくらでも直せる! 馬鹿なこと言ってないで警戒しろ! あと、あとで話があるからな!」

 隊長と呼ばれた女騎士は、部下の騎士に向かってそう怒鳴ってから、天井の蜘蛛を睨み付ける。
 蜘蛛は悠々と天井を移動していた。

「魔法使いではない以上、髪を失うことくらいどうってことはない、が……この代償は高く付くぞ!」

 隊長の怒りを表すように、彼女の体を一瞬雷が走り、それは無数の雷となって天井の蜘蛛へと空中を走る。
 蜘蛛の張り巡らせた糸を縫うようにして避けた雷撃は、的確に蜘蛛の頭部へと突き刺さった。

「やった! さすが隊長!」

「まだだ! 奴め……雷を受け流した!」

 忌々しげに呟いた隊長の言うとおり、蜘蛛の腹部に突き立ったと思われた雷は、その直前に張られていた糸に誘導され、天井へと流されていた。
 天井が雷によって焦げ、大きな音を立ててひび割れるが、蜘蛛自体はさして傷ついていない。
 それでも多少の影響はあったはずだが、高い魔法への抵抗力を有しているらしく、蜘蛛の体表面が多少焦げている程度だ。

「マジで!? なんつー器用な!」

 そんなのありかよ、と再度呟く部下に対し、隊長は冷静だった。

「即死属性をそのままブレスとして放てる死告龍よりはまだ対処のしようもあるが……生まれたばかりの眷族にしては技巧派すぎるな」

 長期戦を覚悟し、隊長が気合いを入れ直す中、不意に天井付近にいた蜘蛛が、あらぬ方向を向いた。
 警戒する地上の二人を置いて、蜘蛛は高速で移動を始め、その場から去ってしまう。
 しばし呆然としていた二人だが、蜘蛛が戻ってこないとわかり、一息つく。

「なんだったんでしょ? 慌てていたようにも見えましたけど……」

「さあな……とにかく、この場を凌げたことは確かだ」

 そう言いつつ、隊長は壊れて散らばった兜の破片を拾い上げる。
 破片に向かって魔法を行使するが、破片に変化はなかった。

「むぅ……【修復】の魔法が利かないだと……?」

「直せない、なんてことありえるんですか?」

「わからん……もしかすると、即死属性がまだ残留している、のかもしれないが……あれに壊されたものは直せないと考えなければならないだろうな」

 試しに騎士隊長が自分の髪に【修復】の魔法を使ってみると、床に散らばっていた髪がふわりと切断面へと舞い戻り、彼女の髪型は再び元のように戻った。
 大蜘蛛にやられたのではなく、彼女自身が切ったためだろう。
 それを見ていたもうひとりの騎士も、砕かれた自分の鎧の足の部分に【修復】をかけてみるが、その部分が修復されることはなかった。

「うええ……マジっすか……鎧の片脚だけないとか、みっともないなぁ……」

「剣を折られた私よりはマシだろう。とにかく、蜘蛛が戻ってこないうちに探索を進めよう。姫様やキヨズミセイラ様、各国の来訪者など、保護しなければならない方々と一刻も早く合流せねば」

 城内で魔界が発生するという異常事態にあっても、彼女は騎士の矜持に従って勤めを果たすつもりだった。
 なお、頂点である王が彼女の保護対象に入っていないのは、この世界における一国の王というものが純然たる力の頂点であるためだ。
 彼女たちと合流しようがしまいが、王が対処出来ない者に彼女のような一介の騎士が勝てるわけがなく、仮に王と合流したところで、王からは「他の者を守護するように」と言われるのが目に見えていた。
 運良く合流できれば共に行動することになるだろうが、そうでないなら王を探すのではなく他の非戦闘員や重要人物を探すべきなのだ。

「よし、では罠に注意を払いつつ、先に進むぞ。感知魔法を怠るなよ」

 騎士は冒険者ではなく、探索に特別秀でているわけではない。
 だが城勤めの騎士ともなれば、ある程度の状況にも対処出来る程度の対応力はある。
 想定外の状況に慌てふためいていては騎士の中でも上位には立てない。
 ただ――


『うむ。良い心がけですな』


 それぞれが警戒している騎士たちの間から、正体不明の声がするというのは、さすがの騎士隊長にも予想外すぎた。
 騎士たちが距離を取ろうとする前に、怪しげな声の主はすでに魔法を唱え終えており。

『お眠りなさい。あなたたちでは――存在価値不足です』

 その言葉が聞こえるのと同時に、騎士たちの意識は闇へと沈んだ。

つづく

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第5章 2


 清澄聖羅は、リューらしき小さなドラゴンを抱えて困惑していた。
 不可思議な森の中を模した魔界から脱出するべく、隠されていた扉を発見したまではよかったものの、その扉が開くと同時に小さなリューが飛び出して来たのだから、彼女が困惑するのも無理はない。
 普段のリューは人外のドラゴンらしい恐ろしげな相貌をしているが、その小さなリューは大きさによる威圧感の差もあるのか、どことなくあどけない印象を受ける風貌をしていた。

「あの、リューさん? これはいったいどういう……」

「きゅるるる~」

 聖羅の問いかけに答えず、リューは長い首を伸ばして聖羅の首筋にすり寄る。飼い主に懐いている大型犬がするような動きだった。
 本来、リューの体表面は鱗によって覆われており、もしも普通の人間の柔肌に対し、いまのようにすり寄れば、大変グロテスクな光景になっていただろう。目の粗いヤスリを擦りつけられるようなものだ。
 幸い聖羅にはバスタオルの加護がある。彼女の体はあらゆるものから守られていた。
 ゆえに、本来なら怪我をするような行為をリューにされても、くすぐったいだけで済んでいた。

「あ、あの、くすぐった……ひゃぁ! な、舐めないでください! ちょっ、そこはダメです!」
 
 首筋にすり寄るだけでは満足出来なかったのか、リューは聖羅の頬や首筋を舐め始めた。
 本来のドラゴンの舌は、鱗ほどではないにせよ、ざらざらとした感触のものだが、加護による影響のために、聖羅には普通の人間の舌に舐められているような感覚になっていた。
 いかにも動物的な動きをするリューに『そういう』つもりはないのだろう。
 とはいえ、聖羅がくすぐったいことに変わりはなかった上、危険なところを舐めそうになったため、聖羅は泡を食ってリューを抱き上げていた腕を伸ばし、その場所を舐められないようにしていた。
 一方、そんな聖羅とリューの様子を傍で見ていたルレンティアとアーミアは、困惑気味の顔を見合わせている。

「うーん、あーみん、これは、どうしたことかにゃあ?」

「……わからない。けど、そのドラゴンが死告龍であることは間違いない……と思う」

「ボクもこのドラゴンが死告龍だとは思っているにゃ。でも、それにしては気配も魔力も小さすぎないかにゃ? まるで……幼くなったみたいだにゃ」

 強大な魔力を持つ死告龍。
 その前に立つだけで気分を悪くしてしまっていたルレンティアだったが、いまは特にそういったことは感じないのか、余裕を持って――聖羅の体越しではあったが――小さな死告龍を眺めていた。
 そんなルレンティアの言葉に、アーミアは同意して深く頷く。

「魔界を生んだ魔物が、それによって弱体化……いや、幼体化するなんて話は聞いたことがない」

 魔界は魔物の影響を受けて自然にできるもので、魔物が作ろうとして作るものではない。
 その仕組みを考えれば、魔物が魔界のために力を使っているわけではない以上、魔界が生まれたからといって魔物が弱体化するわけがない。
 しかし現実として、死告龍らしきドラゴンは幼体と化している。

「……聞いたことはないけど、これだけ規格外の魔界を生み出したことから考えると、あり得なくはない。もしかすると、魔物が肉体を基礎に用いることで、ここまでの規模の魔界を短期間で、人工物の中にでも生み出すことができるようになるのかも」

「あり得そうな話にゃけど……それを魔物がやる意味があるのかにゃあ? 人間にしてみれば脅威だけど、そこまでして魔界を生み出す理由は、魔物にはないと思うんにゃけど」

 ルレンティアはそう呟きつつ、アーミアに意味ありげな視線を送った。

「うーん。結論を出すのは早すぎるかにゃ?」

 その言外に含まれた意味に、アーミアは頷く。

「早すぎると思う。まずはこの魔界のことをもっと調べるべき」

 魔界化への基本的な対処法は、その魔界を生み出した魔物を倒すというものだ。
 幼体化している死告龍であれば、あるいは倒すことも可能かもしれない。人類にとっては不倶戴天の敵である死告龍を倒す好機ではあるのだ。
 それを考慮に入れたふたりのやり取りであった。
 しかし同時にふたりは、様々な面で規格外な魔界であるため、その主である死告龍を倒してしまうことでより事態が深刻化することも考えていた。
 死告龍を倒す千載一遇の好機なのは間違いないが、その結果起こるかもしれない悲劇を考えると、ふたりの姫は慎重にならざるを得なかったのだ。

「あ、あのっ! おふたりで話してないで、助けてくれませんかっ!」

 ふたりがそんな話をしていることに気づいていない、正確にはリューにじゃれつかれていて余裕のない聖羅は、二人に向けて助けを求める。
 そんな聖羅の救難信号に対し、ルレンティアとアーミアは苦笑いで応じた。

「ごめんにゃ~。ボクたちが引き離そうとしたら、たぶん噛まれるから無理にゃ~」

「死告龍様はセイラさんにしか懐いてないから……がんばって」

 もし普通の犬猫であったなら、ルレンティアとアーミアも多少の怪我は覚悟の上で聖羅を助けられたかもしれないが、相手はドラゴン、それも死告龍である。
 幼体化しているとはいえ、死告龍に噛まれれば痛いでは済まない。手の先がなくなるような危険は冒せなかった。
 その理由は聖羅にもわかるため、それ以上強く求めることは出来なかった。

「そんなぁ……わひゃっ! リューさん、だめですってば!」

 また頬を舐めようとするリューを、聖羅はキッと睨み付けることで牽制する。
 滅多に聖羅が浮かべないその表情に驚いたのか、リューは振り回していた尾を力なく垂らし、首を竦めて、翼が力無く項垂れた。
 しょぼーん、という擬音が耳に聞こえてきそうなほど明瞭な感情表現に、聖羅は罪悪感を覚えて呻く。

(私は悪くない……はずなんですけど、なんでしょうこれ……なんだか、私の方が悪いことをしているような気に……)

 叱った子供が想定以上に落ち込んでしまって、子供に非があったとしても気まずく感じるような、そんな気持ちに聖羅はなっていた。
 そんな聖羅の背後に、ルレンティアとアーミアが立ち、そっと肩を叩く。

「せいらんせいらん、子供を叱ったときはその後が大事にゃ」

「もう怒ってないよ、と行動で示してあげるべき」

 さりげなく聖羅を盾にしつつではあったが、その助言に聖羅は感謝した。
 力無く尻尾を揺らすリューを、聖羅は抱きしめる。

「もう、怒ってないですから、ね? ちょっと静かに、大人しくしていてください」

「きゅるる……」

 相変わらずすり寄っては来るものの、必要以上に舐めることはなくなった。
 ひとまずリューが落ちついたことを感じ、聖羅は改めてルレンティアとアーミアに向き直った。

「それで、あの、おふたりはどうお考えですか?」

「そのドラゴンの幼体が死告龍様であることは、ほぼ間違いない、と思う」

「弱くなっているとはいえ、魔力の気配は死告龍様のままだしにゃ」

「……私はこの格好の時、リューさんやヨウさんの声は聞こえなくなってしまうのですが、いまのリューさんの声はおふたりにも聞こえませんか?」

「いや、完全に声が聞こえないわけじゃないにゃ。ただ、話すことはできなさそうなんだにゃ」

「どういうことですか?」

「死告龍様はずっと『せいら、せいら』と言っているの」

「まさに、言葉を覚えたての子供って感じだにゃ。性格や記憶はそのままに、知能だけ幼体化した……ってことなのですかにゃ?」

 ルレンティアが小首を傾げて問いかけるものの、リューは相変わらず聖羅に夢中で反応しなかった。

「うーん。確かに、言葉がわかっている様子はありませんね」

「しかし、困ったにゃあ。死告龍様と会えればなんとかなると思ったんだけどにゃ」

「これでは、どうしようもならない。とにかく、この魔界から出ないと」

 三人はそう結論を出し、改めて魔界からの脱出を目指して行動し始める。
 まずは、リューの飛びだしてきた扉の先を確かめる。
 リューが飛びだしてきたその扉の先は、広々とした石造りの廊下だった。まるで城の廊下のようにも見えたが、明らかに広さが違う。
 道の先が霞むほど遠くまで続いていた。

「こりゃまた広い空間だにゃあ……」

 もはや呆れるしかないといった様子で、ルレンティアは深々と溜息を吐く。
 それは聖羅やアーミアも同感で、疲れた様子の顔を見合わせた。

「これも結界術の一種のようだけど……こんなに広げられるなんて」

「境界線にさしかかったら、またさっきみたいにぶつかってしまうのでしょうか」

 先ほど急に頭をぶつけたことを思い出したのか、聖羅は手を恐る恐る前に出す。
 怯んでいる聖羅の様子に、アーミアは「大丈夫」と声をかけた。

「さっきは油断していたから見逃したけど、今度はそんな見逃しはしない。境界線にさしかかったらちゃんと教えるから、セイラさんは心配しなくていい」

「その辺りはあーみんにお願いするにゃ。ボクも気をつけるけど、ボクはアーミンほど結界術に長けてないからにゃあ」

「ルーさんの得意な魔法はどういったものになるのでしょうか?」

 何気なく、聖羅はそうルレンティアに尋ねた。
 アーミアが結界術というものに長けているというのは、会話の流れで把握したが、ルレンティアの得意な魔法については聞いていなかった。
 その聖羅の問いに対し、ルレンティアは少し考えるような間を置く。

「そうだにゃあ……一通り覚えてはいるし、身体強化系の魔法は意識して習熟したけど……一番得意となると、感知系ってことになるのかにゃ」

「ルレンティアのそれは、魔法なのか種族としての性質なのか、判断に困るところがある」

 獣人であるルレンティアはそもそもが勘働きの優れた存在だ。
 ゆえに、例えば感知系の魔法を使って得た情報から閃きを得て、その閃きに沿って効率的に感知魔法を使用する、と言ったことも出来る。
 感知系の魔法が得意、といえばその通りなのだが、そうだと断言するには少々種族としての特性が大きいこともあり、一概にはいえないというのが実際のところだった。

「テーナルクさんやバラノさんはどうなのでしょう?」

 魔界に飲まれているであろう、代表的なふたりについて、聖羅は口にする。
 その疑問に、ルレンティアとアーミアは揃って唸った。

「バラノについては……ボクもよくしらないにゃあ」

「策略家であり謀略家であるとは聞いている。セイラさんみたいに全く魔法が使えないというわけじゃないけど、あまり得意ではないみたい」

「てーなるんに関しては……ボクたちから言ってもいいのかにゃ?」

「構わないと思う。本当にダメなことはわたしたちには言わない」

 聖羅からすると気の置かないやり取りで仲の良い印象の三人だが、国を背負う立場の者同士、互いに言えないことや隠していることも多いのだ。

「じゃあ話しちゃうにゃ! てーなるんもボクと同じで、一国の姫という立場だから、一通りの魔法は覚えているにゃ。じゃないと魔法による暗殺とか怖いからにゃ」

「わたしは同じ姫でもちょっと違うけど、王族であるアーミアが優先しているのは、なによりも生き残ること。不意の襲撃にはもちろん、毒物などへの対策も万全なはず」

「対策、ですか?」

「わたしやルレンティアも活用してるけど、負傷したら自動的に回復魔法を唱えてくれるマジックアイテムを身につけたり、毒物をあらかじめ摂取して体を慣らしておいたりとか」

「致死性の猛毒であっても、ある程度なら耐えられるんじゃないかにゃ? ボクもそういう訓練は積んでるしにゃあ」

 平然と交わされる会話の内容に、普通の一般人でしかない聖羅は唖然としていた。
 そんな聖羅の反応を楽しむように、ルレンティアは締め括る。

「だから――麻痺毒程度なら、全然利かないにゃ」




 天井近くに展開された、蜘蛛の巣にかかった哀れな犠牲者たち。
 巨大な蜘蛛の糸によって全身をぐるぐる巻きにされ、身動き一つ取れない状態で巣に引っかけられている者達。
 微かに呻き声はするものの、体を動かす余力はないのか、蜘蛛の巣が揺れすらしない。
 その数は十とも二十とも見え、巣の主たる大蜘蛛が、新たな犠牲者をふたつ追加する。
 蜘蛛は巣を埋め尽くす犠牲者たちの塊を満足そうに確認したあと、さらなる獲物を探して再び巣の外へと出て行く。
 後には身動ぎひとつできない犠牲者たちが、かすかに呻く声だけが残り――

 そのうちのひとつが、内側から引き裂かれる。

 白く細い腕が糸によって作られた繭を突き破り、その掌に炎を灯した。
 炎はその腕の突き出した繭だけに燃え広がり、その者の体を覆っていた糸をあっという間に焼き尽くす。
 繭の中から姿を現したのは、背中に穴が開き、引き裂かれたのか、至るところがボロボロになったドレスを身に纏った女性。

 ルィテ王国第一王女、テーナルク・ルィテその人であった。
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