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黎明媚態

露出系、羞恥系の18禁小説を書いています。関連の同人・版権作品のレビューも書きます。18歳以下の閲覧禁止。

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第5章 1


 その使用人は、脇目も振らずに必死に逃げていた。

 背後からは気味の悪い喚き声と共に、裸足で走る音が追いかけて来ている。
 ひときわ鋭い威嚇の声に、思わず使用人が振り返ると、少し距離はあるが確実に使用人を捉えている様子の小鬼たちが、醜い声をあげながら追いかけてきていた。
 小鬼は人型で人間の子供くらいの背丈しかない小さな魔物であるが、厄介なずる賢い知能と残忍さ、どこにでも湧く性質、そして何より人間の女性を犯して繁殖するというおぞましい特徴を有している。
 スライムや血吸い蝙蝠など、低級の魔物は多々いるが、小鬼は他の低級の魔族と違い、人間のテリトリーを積極的に侵してくる。
 その点で、人間にとって最も身近な脅威だった。

「ひぃ……っ!」

 ゆえに追いつかれればどうなるのか、その使用人もよく知っていた。
 全力で逃げる。どこにどう繋がっているかもわからない天然の洞窟内を、使用人は懸命に駆けていた。
 ルィテ王国の王城で働く彼女は、基本的な魔力の扱いは習熟しているものの、戦闘に慣れてはいない。魔力を纏った手で殴りつければ小鬼くらいは殺せる威力が出るが、彼女にそれができるかと言われれば否である。

(どうして、こんなことに……!)

 彼女は逃げ続けながらそう思っていた。
 王城で働く彼女は、有事の際にどう動けばいいのか、よく理解している。ルィテの王族が様々な状況を想定して、あらかじめ行動指針を定めているためだ。
 突如空から敵国の大軍勢が襲って来た場合でも、ちゃんと行動指針は定められている。
 仮にそういう状況であったとしたら、彼女も落ちついて行動できただろう。
 だが、王城そのものが魔界化し、それに飲み込まれるなどというあり得ない状況に対しては、対策が講じられていない。
 着の身着のままダンジョンに放り出されたようなものだ。

「だれか……! 誰かーッ!」

 彼女は逃げつつも声を張り上げ、助けを求める。だが、返事はない。
 普段の王城なら一声あげればすぐに衛兵がかけつけてくるというのに。
 叫べば呼吸が苦しくなるとわかっていたが、いまにも追いつかれそうな恐怖に声をあげずにはいられなかったのだ。
 健闘虚しく、疲労の溜まってきた使用人の動きは鈍くなり、蹴躓いて転んでしまう。
 その際、悪い躓き方をしたらしく、足を挫いてしまっていた。起き上がろうとすると足首に激痛が走り、彼女はまた転んでしまった。
 足掻く彼女に、小鬼たちが追いつく。
 そして彼女が逃げられないように、その周りを取り囲んだ。獲物を前にして、舌なめずりをしている。

「ひっ……こ、来ないで! 触らないで!」

 伸びて来た小鬼の手を振り払い使用人は抗うが、小鬼たちは嗤うばかりでその場から去ることはない。
 通常、小鬼たちは粗末な武器や衣服を身につけていることが多いが、この場にいる小鬼たちは何も手に持たず、何も身に付けていなかった。
 小鬼に限らず、低級の魔物は大気中に流れる魔力が、何らかの原因で一点に集中した時、形を成して生まれることがある。
 魔界ではそれがより顕著であり、彼らはそうして生まれたばかりの存在であった。
 だが、魔物にとって生まれたばかりというのは無垢であることを意味しない。

「ギッギッギッ」

 怯え震えることしかできないらしい獲物を前に、小鬼たちは潰れた蛙のような、醜い笑い声をあげる。
 本能に従い生きる彼らにとって、弱い人間は格好の獲物であった。
 小鬼たちが強く持つ欲求――所有欲、食欲、支配欲、そして性欲。
 それらをすべて満たす『服を着た』『人間』の『弱い』『雌』は、ご馳走としか言い様のないものだ。
 遮二無二暴れる彼女が疲れるのを待っていた小鬼たちが、彼女の動きが鈍ったのを見て、地面を蹴って一斉に跳びかかる。

 そして、再び地面を踏むことはなかった。

 彼らは謎の力で一瞬空中に縫い付けられたかと思うと、次の瞬間その体を歪ませ、巨大な透明の手に握り潰されたかのように潰れてしまったからだ。
 水袋が破裂したかのように赤い血が迸り、周囲にまき散らされる。
 それを頭から被った使用人は、目の前で起きた異常な事態に唖然とすることしかできなかった。
 その頭上から、細長い何かが彼女に襲いかかる。

「あっ――むぐっ、うぅ!?」

 悲鳴を上げる暇もなく、彼女の上半身はその何かに包まれてしまった。
 生暖かい感触が彼女の上半身を覆う。
 咄嗟に瞼と口は閉じたものの、鼻にどろりとした液体がかかり、危うく吸い込むところだったのを呼吸を止めて凌ぐ。
 もし彼女の状況を傍から見るものがいれば、天井を突き破って出現した細長い筒に、彼女の上半身が飲み込まれた様が見れただろう。
 いまはまだそれに包まれていない下半身が暴れて逃れようとしたが、その筒は彼女を上へと吸いあげていき、彼女の体はどんどん筒の中へと入っていく。

「ンーッ! ンんッーっ!」

 出せる限りの呻き声をあげ、必死に体を捩らせ、足をばたつかせる使用人の彼女。
 だがその抵抗も虚しく、彼女のシルエットは筒の中を移動し、足先まで筒の中に呑まれ、最終的には天井の中へと消えていった。
 そして、彼女を飲み込んでしまった筒自体も、突き破った天井の中へと再び戻っていく。
 彼女の呻き声はすぐ聞こえなくなり、その場所には静寂と、不可視の力で押しつぶされた小鬼たちの血だまりと肉片だけが残った。




「妙、ですね」

 床を塗らすその液体を検分していたバラノが、ふと呟いた。
 周囲を警戒していたテーナルクが、その呟きを聞き咎め、苛立ち混じりに問う。

「なにが、ですの? 調べられたのなら、ちゃんと詳細を教えてくださりませんか?」

 トゲのある言い方になってしまっているのは、元よりバラノとそりが合わないということもあるが、彼女が緊迫した状況下で神経を尖らせているためであった。
 テーナルクは王族らしく、魔法の扱いに長けた実力者ではあるが、王族であるが故に実際に戦場に出たことはほとんどない。
 戦地を視察することがあっても、その際には腕利きの護衛を伴っている。
 ゆえに、何が起きるかもわからない状況下で、戦える者が自分しかおらず、守らなければならない相手は本来敵国に属する者、となれば神経を尖らせるのも無理はないことだった。
 そんなテーナルクの心情を正確に理解しているのか、バラノはテーナルクに対して「申し訳ありません」と、不用意な呟きを聞かせてしまったことを詫びつつ、応えた。

「この液体は、スライムの体が溶けた……いえ、崩れて出来たもの、というべきでしょうか。いうなればスライムの残骸です。宿っている魔力の乏しさから、生まれて何も吸収することなく死んだと思われます。ただ、もし魔界化に伴って発生した魔物であるならば、死告龍の眷族ということになり、そう容易く死ぬとは思えません」

 バラノは戦闘力を持たない代わりに、分析力に長けていた。テーナルクも探査の魔法は使えるが、バラノはそういった魔法に加えて知識と知恵で分析を行う。
 テーナルクは深く息を吸って吐き、尖り気味の気を静め、冷静であろうと努める。
 そして同時に、バラノにひとつ上をいかれていることを自覚し、忌々しげに唸った。

(情けない……ルィテ王族ともあろうものが……いえ、その誇りもいまは不要ですわ)

 つい先ほど、魔界化が始まる前まで、テーナルクとバラノは互いに嫌悪を隠さないやりとりを繰り広げていた。
 無論、表立って敵意を露わにすることはふたりともしなかったが、思うところがあるのはお互い様であり、駆け引きの一種として嫌味の応酬くらいはしていたのだ。
 だが魔界化に呑まれ、ふたり孤立した時――戦える者と戦えない者の違いはあるとはいえ――テーナルクは先のやりとりの尾を引いてしまったのに対し、バラノはこの状況では協調するべきと即断し、先のやりとりの影響などまるで感じさせないように振る舞ったのだ。
 結果、テーナルクはバラノの態度もあって、頭を冷やさせられた。

(本当に、これを全部狙ってやっているのだとしたら質が悪すぎますわ……)

 冷静にならなければならなかったことは事実であり、ひとまずテーナルクはバラノの態度については考えるのはやめて、改めて問う。

「王城には兵士や魔法を使える者もいたはず……その者達が倒した、ということではありませんの?」

「そうかもしれません。ただ、それにしては周りに戦闘した後が何もないのです」

 そういってバラノは周囲に視線を走らせる。
 テーナルクはスライムの痕跡にばかり目がいって、周りを見渡せていなかったことに気づかされ、顔をしかめた。

「……確かに、そうですわね」

「見るべきものは見ましたし、ここから移動しましょう。なんであれスライムを倒すような存在がこの付近にはいるわけですし」

 テーナルクとバラノは移動を開始する。
 彼女たちがいる場所は城の廊下のような広い空間だった。しかしルィテの王城とは違う場所であることは明らかで、廊下は複雑怪奇に入り組み、先が霞むほどの遠くまで続いている廊下さえあった。天井は高く、魔法の灯りが天井からつり下がって照らしているため、視界はそれほど悪くはない。
 ふたりはなるべく目立たないように廊下の端を、周囲に警戒しながら進む。
 バラノが先に立って進み、テーナルクは背後に立って広く俯瞰して周囲を見つつ、背後にも気を配っていた。

(本当に、腹立たしいほど有能ですわね……)

 テーナルクは前を進むバラノの背を複雑な気持ちで見つめる。
 戦闘力をほとんど持たないバラノが先頭を歩いている理由は、端的にいえば囮である。
 最も危険な初撃をバラノが受けることで、背後に控えたテーナルクが対処しやすくするという目論見だ。
 確かに初撃でテーナルクが戦闘不能になってしまっては、バラノも結局はやられてしまうだろう。戦闘力がないといっても基本的な護身術は抑えているので、バラノが初撃で死ぬようなことはよほどの攻撃でなければない。
 とはいえ、それでも自ら攻撃を受けるかもしれない立ち位置を躊躇わず選択できる辺り、非戦闘員らしかぬ覚悟を決めていると言えた。
 移動しながら、テーナルクとバラノは会話を続ける。

「スライムは弱い魔物ではありますが、物理的な攻撃では核を的確に打ち抜かねばならず、とても激しい戦いになるはずですし、魔法でならばまだ対処は容易ですが、焼き払うという形になる以上、その痕跡は多く残るはずです」

「それほど強力な眷族ではなかった、ということかもしれませんわよ?」

「私もその可能性が高いと思うのですが……仮説として聞いてください。即死属性なら、相手がスライムであろうと痕跡ひとつ残さず、難なく殺せます」

「……? それは当然では……ん、いえ、そうではないですわね」

 スライムを痕跡ひとつ残さず倒すには、熟練した技か、即死属性持ちの攻撃が必要だ。
 前者でないとすれば、即死属性を持つ者がこのスライムを殺したことになる。そうなるとその候補の筆頭に上がるのは死告龍である。
 死告龍レベルの即死攻撃が出来るものを、テーナルクもバラノも他に知らない。
 死告龍であれば、気にくわないという理由でせっかく生まれた眷族を殺す可能性もないわけではない。
 ただ、死告龍の眷族であれば、眷族も即死属性を持っているはずなのだ。

「属性持ちの魔物は、持っている属性に対する耐性も合わせて持っているのが普通……でなければ、死告龍は自分の吐く即死ブレスで死んでしまいますから」

「もしあのスライムが眷族であったとするなら、即死属性で容易く死ぬはずがない、というわけですわね」

「ええ。基本的に眷族は主に忠実とはいえ、死ねと言われて死ぬほどではありません。何の抵抗もしなかったのはおかしい……つまり、あのスライムは抵抗する間もなく、死告龍、もしくはその眷族に即死属性で倒された、死告龍の眷族ではないスライムの可能性があります」

「……まさか。魔界化がそこまで進行しているというのですの?」

「あくまで可能性の話ですが……十分あり得るかと。本来なら、城が魔界化すること自体あり得ないことなのですし」

「……それもそう、ですわね」

 反抗心ゆえではなかったが、否定する材料を探したテーナルクは、バラノの推測を否定することが出来なかった。
 魔界化にはいくつか段階がある。
 ある一定の大きさを有する魔界には、魔力溜まりがよく出来るようになり、魔界の主とは直接関係のない魔物が多々発生するようになるのだ。
 それがさらに深まっていくと、魔界から出られない眷族以外の魔物が魔界から溢れ出すようになる。その中でも強力な魔物がまた別の魔界を生み出して広がり、やがて魔界は迷宮――いわゆるダンジョン――へと呼び名を変えていく。
 元々混沌とした魔界がさらに混沌とし、思い掛けない素材や財宝も生まれるようになり、そういった迷宮は人々にとって最大の脅威にして最高の狩り場になる。

「全く……死告龍は本当に何もかもが規格外すぎますわ……迷宮は『古代魔王の大迷宮』だけで十分ですのに……」

「あそこは魔界の中核を成す魔王が封印されていて、比較的安全ですからね。ただ、最近は各国の調査団が殺到しすぎて、少々面倒なことになっているようです。迷宮を管理しているシュルラーヌ共和国から、しばらく転移を控えるように通達がありましたし」

「一昔前に比べると、転移魔法に改良が加えられて、発動に必要な魔力量も抑えられて来ておりますから……というか、その面倒を起こしている筆頭の国が、人ごとみたいに言うんじゃありませんわ」

「我が国にとっても重要な迷宮ですので」

 テーナルクのトゲのついた言葉を、しれっと受け流すバラノ。
 その役者ぶりにテーナルクは深く溜息を吐いた。
 ザズグドズ帝国は侵略政策を主とする軍事国家だ。ゆえに『古代魔王の大迷宮』にも頻繁に調査団――という名の冒険者の一団――を派遣し、貴重な資源や財宝を回収している。
 大抵の国で冒険者は上位になればなるほど自由人の気質が強くなり、縦の繋がりは弱くなっていく。国のいうことを利かなくなる者が多くなるのだ。
 だが、ザズグドズでは、冒険者と国の結びつきが強く、各国の迷宮調査団の中でも破格の実績をあげている。

「あれだけ優秀な冒険者たちを国がまとめ上げている手腕には関心してしまいますわ。一体どんなカラクリがあるんですの?」

「機密でもなんでもないですよ。単に駆け出しの頃からきちんと支援しているだけです」

 帝国では冒険者というのは「一攫千金を目指す向こう見ずな若者がなるもの」という認識ではなく、「未知に挑み、困難に打ち勝つ専門家」という認識である。
 食うに困った寒村の若者や周囲に馴染めない乱暴者が仕方なくなるもの、ではないのだ。商人や職人と同様にひとつの職業であり、向いているものが目指すものなのである。
 ゆえに教育や指導などの支援が充実しており、他の国に比べると駆けだし冒険者の死亡率は極めて低い。

「なるほど、そうやって育った冒険者は、国に恩があるから指示も聞かせやすく、作戦行動も取りやすいというわけですのね……」

「特にいまの王は徹底した実力主義者ですから。冒険者を軽んじたとある貴族のご令嬢を毒沼に蹴り落としたこともありましたね」

「聞き及んでおりますわ……その噂、帝国の野蛮さを端的に表す話となっていますわよ? 真実は違うのですの?」

「もちろんです。王はドレスに身を包んだご令嬢に、その姿で毒沼を歩けるかと問うたのです。無論、ドレスはめちゃくちゃ、ご令嬢も毒に侵されてまともに歩くことも出来なくなりました。王はそんなご令嬢を冒険者に命じて助けさせ、己が分を弁えよとおっしゃいました」

 バラノは自分の主君を誇るように、話を続ける。

「すっかり大人しくなったご令嬢の元に、王は彼女が着ていた以上の素晴らしいドレスを贈り、伝えたのです。『お前の分は華やかに着飾り、美しい所作と振る舞いで我が国を美しく魅せることにある。それは冒険者には出来ないお前の仕事だ』と」

「なるほど……飴と鞭で諭したというわけですわね。周辺国家には鞭の部分しか伝わっていないようですけども」

「逆の話もありますよ? 貴族を軽んじた冒険者に対し、巧みな話術で極めて不公平な契約を結ばせたのです。その解消を貴族に命じて、貴族の交渉術というものを見せつけさせたことも」

「なんとも厄介な……そこまで優秀なのに、なぜ侵略政策など取るのでしょう」

「王曰く、必要なことだからだそうですが……私も詳しくは教えられておりません。王自身に『王を盲目的に信じるな』と命じられておりますので、私も独自に色々と調べて考えてはいるのですが……ん?」

 そこで不意にバラノの進む足が止まった。
 テーナルクが警戒を強める。バラノはそんなテーナルクに人差し指を立てて静かにするように合図してから、廊下の角から奥を静かに覗き込み――その身体が、天井に向かって吹き飛んだ。
 一瞬の出来事だったが、テーナルクは何が起きたのか正確に把握出来ていた。
 角から先を覗き込んだバラノの背中に、白い糸のようなものが上から降って来て、張り付くと同時に引き揚げたのだ。

「バラノ様! ――くっ!」

 テーナルクは咄嗟に頭上に魔法障壁を張りながら後退する。
 展開した魔法障壁に粘着性のある白い糸がぶつかり、障壁をたわませた。

(上からとは……不覚ですわ!)

 カサカサと、天井を這う音がする。
 バラノはその音に気づいたが、角を曲がる直前だったため、曲がった先から聞こえていると勘違いしてしまったのだ。
 天井を見上げたテーナルクは、天井に巨大な蜘蛛が張り付いているのを見た。その大きさは、口の部分だけで人間の頭部を囓れるほどに大きく、膨らんだ胴体や、細長いが大きく広がる八本の足まで含めると、死告龍並みに大きい。
 蜘蛛はお尻の先から白い糸を射出し、バラノをぐるぐる巻きにしていた。バラノはミイラのように全身が白い糸で覆われており、芋虫のように身体をくねらせることしかできていなかった。

(まずい……あのままでは呼吸ができませんわ……!)

 一刻も早く助けなければ命が危ない。
 テーナルクが攻撃的な魔法を唱えようとしたとき、蜘蛛が再びテーナルクに狙いを定める。
 障壁を展開して備えるテーナルク。その背筋に悪寒が走る。
 彼女は咄嗟に魔法を中断し、横っ飛びでその場から逃れた。
 その次の瞬間、黒い霧のようなものを纏った糸を蜘蛛が射出し、テーナルクが展開していた障壁を突き破って、一瞬前まで彼女がいた場所に白い糸が着弾した。

(障壁を一瞬で――? これは、即死属性……死告龍の眷族……っ!)

 悪寒の正体を悟りながら、テーナルクは走る。
 逃げるためではなく、同じ場所に留まらないための足運びだ。
 テーナルクの判断は正しく、蜘蛛は次々糸を放射し、テーナルクをも絡め取ろうとする。
 避け続ける彼女は、蜘蛛を倒すのは難しいと判断した。

(蜘蛛には炎系の魔法が有効……ですが、いまそれを放つとバラノ様まで巻き込んでしまいますわ……)

 蜘蛛の糸は良く燃える。それゆえに、もしいまテーナルクが炎の魔法を使って攻撃をすれば、燃え広がる火がバラノまで燃やしてしまうだろう。
 魔法の火は放った者の意思である程度制御することが出来るが、選択した者だけ全く焦がさないほどに制御出来るのは、魔法を極めた者だけだ。
 ましてや、炎の制御だけに集中できる状況でもない以上、延焼してバラノを焼いてしまうということになりかねない。

(ここは、撤退すべ――きっ!?)

 天井に張り付いていた蜘蛛が、突如落下して来た。空中でくるりと身体の向きを変えた蜘蛛は、床に着くや否や、もう加速してテーナルクに迫る。
 蜘蛛の口の前、鎌のような形状をした鋏角がテーナルクに食らいつかんと開いていた。
 硬直しかけたテーナルクだが、ギリギリ回避行動が間に合った。床を蹴り、突っ込んで来た蜘蛛の頭上を越える形で、突進を回避する。
 その際、着ていたドレスの裾が蜘蛛の身体に引っかかり、太ももまでむき出しになるスリットが新たに生まれてしまった。
 だが、そんなことに構っている余裕はない。

(いまが好機ですわ!)

 蜘蛛の速度は確かに脅威だったが、テーナルクがギリギリでかわしたことにより、蜘蛛は一瞬テーナルクの姿を見失った。
 テーナルクは無防備な蜘蛛の背に攻撃魔法を撃ち込む――ことはせずに、強化した身体能力を活かし、天井に向けて跳躍。
 糸によってぐるぐる巻きにされていたバラノの近くに移動すると、風の刃を生み出す魔法を使い、バラノを巣から切り離した。
 肩に担ぐようにバラノを回収すると、天井を蹴って床へと移動。着地すると同時に勢いよく駆けだし、蜘蛛から離れていく。
 決して無理はせず、救出を優先したテーナルクの判断は正しかった。

 だが、警戒が一つ足りなかった。

 確実に逃げられると考えたテーナルクの身体が突如減速し、空中につなぎ止められる。
 テーナルクは自分の身体に、目を凝らさないと見えないレベルの、細い糸が絡みついているのを感じた。

(罠――!?)

 テーナルクは失敗を悟る。
 蜘蛛の死角を行こうと咄嗟に駆けだした方向は、まだ彼女たちが歩いていない場所、つまりは蜘蛛がいた方向の廊下だった。
 すでにその場所には蜘蛛によって罠が張られており、迂闊に走りだしたテーナルクはその罠にまんまと引っかかってしまったのである。
 魔法を使って抜け出そうとしたが、それは致命的なタイムラグだった。

 テーナルクの腹部に、激痛が走った。

 即座に距離を詰めた蜘蛛が、その毒針をテーナルクの腹部に突き刺していた。
 刺されたことによる激痛と、流し込まれた毒液による痺れが全身を襲い、テーナルクの意識は暗転してしまった。

つづく

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第四章 おわり


 アーミアの尊い犠牲――羞恥と下着だ――もあって、聖羅たちに襲いかかってきた大きな花の魔物は倒すことができた。
 囮として花の魔物に捕まったアーミアは、神聖法衣という神々の加護を有する衣服を召還し、身体的な負傷はせずに済んだ。
 しかし花の魔物の蔓の締め上げと、丸呑みされてからの消化液らしきものの効果によって、神聖法衣の下に身に付けていた下着を喪失してしまったのだ。
 今後の行動に支障が出かねない、大きな損失だった。

「ルレンティア……換えの下着、持ってない?」

 神聖法衣は薄いレースを幾層にも重ねたベールを組み合わせ、服の形を成している。
 その完成度は芸術品の域だが、服装としては一つ大きな欠点があり、光に透けてしまうのである。
 下着を着ることはできるが、それ以上の服を着ると神々の加護が緩んでしまう。
 現在、アーミアは花の魔物のせいで下着を失っているため、神聖法衣越しにその肢体が微かに透けて見えてしまっている状態にあった。
 要所を手で隠す事はできるが、アーミアにとっては無防備で頼りない状態である。
 新しい下着があれば済むことなのだが、変質した異界の中では探すこともできない。
 ゆえに誰かが下着を持っている、という可能性にかけるしかないのだが。

「さすがに持ってないにゃあ」

 ルレンティアは苦笑気味に応える。
 彼女は開放的な風土を持つ湖の国の姫であり、露出度の高い服装を着ることに抵抗感はないが、強いて脱ぎたがりというわけではない。
 常に下着の替えを準備してはいないのである。

「服系の装備を呼び寄せられるようにはしてないのかにゃ?」

「わたしが呼びだせるのは通常の神官服だけ。でも、神官服は何の効果も持たない服だから、いまの状況では神聖法衣を脱ぐわけにも……」

「それはそうだにゃあ」

 推定、死告龍が作ったと思われる魔界。
 何が起きるかわからず、即死属性を有する敵がいるために、アーミアは神聖法衣を脱ぐことができないのだ。

「さっき脱ぎ捨てたドレスが使えればよかったんだけど」

 脱ぎ捨てたアーミアのドレスは、花の魔物との戦闘中に消えてしまっていた。
 花は消化液を垂れ流していたために、それに触れて溶けてしまったのだと思われる。

「神官服を加工して、下着にするしかないんじゃないかにゃ?」

 要は布切れを下着にできればいいわけであり、その方法は可能だった。

「……それしかない、か」

 それはまともな服を失うということでもあり、うら若き女性であるアーミアには耐えがたいことである。
 しかし背に腹は替えられない。アーミアは神官服を呼び出すと、その裾を魔法で切り取って、細長い布切れとし、下着として体に巻き付けた。
 その間に、ルレンティアは木の上で待たせていた聖羅を抱えて、降りてくる。
 地面に降りた聖羅はルレンティアにお礼を言い、アーミアにも話しかけた。

「アーミアさん、お怪我はありませんか? すみません。私が囮になるべきところを……」

「気にしなくていい。魔法の補助なしで反応するのは無理」

 聖羅の謝罪に、アーミアはそう応えた。
 その内容に対し、聖羅は抱いた疑問を尋ねる。

「魔法の補助……あの一瞬で、魔法を使ったんですか?」

「正確には常にかかっている反射魔法と呼ばれるもの。危機的状況に陥った時、自動的に発動して、体感速度や思考速度を加速させる」

「急な襲撃や暗殺に警戒しなければならない立場の者には必須の補助魔法だにゃ。その昔、超強くて正面からの戦闘では誰も勝てなかった覇王が、腹心だったはずの部下の裏切りで後ろから魔法で焼き殺されたことがあったのにゃ。隣にいた覇王の寵姫も続けて殺されるところだったにゃが、最初の狙いが覇王だったことで、寵姫の反撃は間に合い、裏切り者は殺されたのにゃ」

「その時の経験を踏まえて、その寵姫が生み出したのが反射魔法。この魔法を使っておけば、例え背後からいきなり魔法で攻撃されても、反撃が間に合うようになる」

「ただ、取り扱いには注意が必要な魔法でもあるのにゃ。この魔法、使いすぎると早死にすると言われてるにゃ」

「常に反射速度も思考速度も速めた状態では精神が保たないから」

「なるほど……だから、とっさの時に自動的でしか発動しないようになっているんですね」

 聖羅は以前、リューが不意打ちで火球を放たれた時、即座に反撃していたことを思い出していた。
 彼女には攻撃されたことすらわからなかった一瞬出来事であった。その超反応を可能にしたのは、そういった魔法の恩恵あってのことだったのだろう。
 話が一通り済み、落ちついたところでルレンティアが話題を改める。

「さて、この結界を作り出していたと思われる魔物は倒したけど……出られるようになったかにゃあ」

「それも気になりますが、あの花に捕らえられていた妖精さんたちは無事でしょうか?」

 花の魔物には、何体もの妖精が捕らえられていた。
 傷つけられてはいなかったようだが、本当に無事かどうかはわからない。
 そう思って聖羅が周囲を見渡してみるが、妖精たちの姿はすでになかった。
 消滅してしまったのか、それとも解放されたので姿を隠してしまったのか、不安に思う聖羅に対し、アーミアとルレンティアが応える。

「消滅、はしていなかったように思う。たぶん」

「あの花は妖精たちから魔力を吸い取って結界を構築していたと思うから……恐らく魔力が枯渇したんだろうにゃ」

「魔力を消耗した妖精は、それが回復するまでは姿を隠すのが普通」

「そうですか……それなら、とりあえずはそっとしておいた方が良さそうですね」

 そう判断した聖羅は、妖精たちのことは一端脇に置いておくにした。
 空間からの脱出を試みるべく、三人は移動を開始する。
 その道中、片手に荷物を抱えているアーミアを見て、聖羅は呟いた。

「そういえば、この世界にはアイテムボックスみたいな、荷物を運ぶための魔法はないんですよね」

 魔界のような異空間が生まれうるなら、そう言ったものがあってもおかしくないと、聖羅は思ったのだ。
 その疑問に対し、アーミアとルランティアは首を横に振る。

「便利だとは思うけど、そういった魔法は聞いたことがない」

「魔界を生み出せるのは魔物だけだからにゃ。空間に作用する方法はよくわかっていないのにゃ。協力的な魔族もいるけども……彼らにも原理はよく分かってないみたいだにゃあ」

「魔族自身は研究とか、そういうことはしないんでしょうか?」

「する者もいると思うにゃ。けど、死告龍がそうであるように、魔界を生むほど強い魔族はそういったことには興味がないみたいだにゃ」

「……というより、その域に達するとそれは等しく人類の敵だから。友好的に話を出来た例がほとんどない」

 アーミアは躊躇いながらではあったが、その事実を聖羅に伝える。
 聖羅もまた、その事実が躊躇いつつ告げられた理由を理解していた。

(魔界を生み出す魔族は人類の敵……つまり、リューさんもそうだと言いたいんですよね。まあ、そのことは前から聞いていましたが……)

 その話をアーミアが改めてした、ということに何か意図があると聖羅は感じていた。

(リューさんが危険な魔族であることを実感させようとしている……とかでしょうか)

 なんの後ろ盾もない聖羅にとって、死告龍の存在は安全を担保するための強力な切り札である。
 だが、それを切ることは極めて危険な賭けにもなる。誰にも負けないかもしれないが、すべてを敵に回す可能性を孕んでいる。
 安全をアーミアやルレンティアが安全を確保してくれるのなら、聖羅としてはリューから離れても問題ない。リューへの個人的な感情はおいておくにしても、だ。

(ルーさんもアーミアさんも、それぞれ国の代表であるという面を差し引いて考えても、信用のおけそうな人物であるというのはわかってきましたし、あとは、リューさんが私から穏便に離れてくれれば……)

 そう考えかけた聖羅だが、同時に大きな問題にも気づく。

(もし……リューさんが私に番になってほしいという望みを抱かなくなったとして。リューさんはその後どうするのでしょう?)

 普通に考えれば、恐らく次の番候補を求めて動き出すのだろう。
 数々の英雄クラスの者たちを薙ぎ払ってきた危険な存在が、再び世に放たれるということだ。
 それは極めて危険なことだった。

(やはり、どこかでお二人に協力をお願いするべき……でしょうね。私一人では最適解を見出すことができません)

 そう思いつつ、いまここで話して良いことでもなさそうだと考えた聖羅は、この場を凌ぐ方向に頭を切り替えた。

「話が逸れてしまいましたね……結界がどうなったか見に行きませんか?」

「それがいいにゃ」

「わかった」

 三人は先程聖羅が弾かれてしまった結界の境界へと向かう。
 その場所はすでに大きな変化を見せていた。

「扉……? ですよね」

 森はまだ先に続いているようにも見えるが、明らかにその景色に綻びが生まれていて、そこに半透明の扉のようなものがあるとわかった。
 扉に対してはいい思い出のない聖羅であったが、明らかに変化が生まれているということに希望が見えた。
 しかし、アーミアとルランティアは難しい顔をしている。

「あれは……なんだと思う? ルレンティア」

「普通の扉ではなさそうだにゃあ。明らかに違う場所につながっていそうだにゃ」

「例の、国と国とを繋いでいる門のように、ですか?」

「いや、この場合は遠くに行くというよりは、別の空間につながっているというべき」

「完全に夢幻迷宮だにゃ。協力しているとも思えないし、死告龍の魔界はどうなってるんだにゃー」

 疲れたようにため息を吐くルレンティア。
 聖羅は彼女のいう言葉が気になった。

「ルーさん、夢幻迷宮というのは……?」

「妖精が生み出す妖しの術の中でも極意と呼ばれる魔法だにゃ。大妖精レベルの者が扱う術で、普通の妖精がただ道に迷わせる程度だとすれば、大妖精の物は本当に違った道を歩むことになる……それが突き詰められると、こんな感じで全く別の空間同士が繋がるのにゃ」

「その時、空間と空間を行き来する手段として、こういった扉が生まれることがある」

「なるほど……だとすると、ヨウさんがこの空間に関わっている可能性がありますね……」

 聖羅が素人考えを自覚しつつ呟くと、アーミアとルランティアもそれに賛同するように頷いた。

「関係ない、と思わないほうがいいとおもうにゃ」

「自発的なのか、さっきの妖精たちみたいに無理やり使われているのかはわからないけど、大妖精の力を使っているとみるのが自然」

 アーミアは深くため息を履く。

「現状ですでにありえないけど……その上、こんな複雑な空間をゼロから作ったというよりは、大妖精の力を流用していると考える方がまだマシ」

「……少なくともヨウさんは私への義理立てを誓ってくれています。ヨウさんに接触して、夢幻迷宮の力を使わないようにお願いすれば、聞いてくれるかもしれません」

「事態打開のためには必要な工程かもしれないにゃあ。いまのままじゃ、どこに魔界の主がいるのかもわからないし、最悪永遠に逃げ続けられるかもしれないにゃ」

「とにかく、まずはこの結界から出よう」

 そう言ってアーミアが結界に向かい、杖を使って魔法を使おうとした時。
 唐突に扉が開いたかと思うと、そこから黒い塊が飛び出してきた。
 聖羅はもちろん、アーミアとルレンティアも反応できなかった。
 ふたりは反射魔法で飛び出してきたものは認識できていたが、認識出来ていたからこそ、反応できなかった。
 いずれにせよ、その場にいる誰も反応しなかったことで。

「ごっふぅっ!」

 聖羅はその黒いものの直撃を腹に受け、くの字の形で吹き飛ばされた。
 そのまま仰向けに倒れた聖羅は、痛みこそ感じなかったものの、突然の衝撃に目を回していた。

(こ、この感じ、なにか、覚えがあるのですけど……っ)

 そう思う聖羅の視界に、ひょっこりと入り込んでくるものがあった。
 ヘビのような、トカゲのような。立派な角を生やした、爬虫類の顔。
 本来聖羅は爬虫類の区別をつけられるほど、爬虫類に対して詳しくなかったが、その存在のことだけはわかった。数週間、毎日のように顔を合わせていれば当然である。
 その黒い鱗を持つ存在は、どっしりとした重みで聖羅の身体の上に乗っかっていた。

「くるるっ、きゅるるる~」

 楽しげな鳴き声は、聖羅がよく聞いていた声と相違なく、それが間違いなく自分の知るあの存在だということを、聖羅は確信できていた。
 だが、同時に戸惑いも大きくなる。

「りゅ、リューさん……?」

 思わず語尾にハテナマークが浮かんだのも、無理はない。
 聖羅は自分の胸の上に乗っていたその存在を、両手で持ち上げて上半身を起こす。
 聖羅の呼びかけに、トイプードルやポメラニアンなどの小型犬ほどのサイズのドラゴンが――全世界全種族から恐れられている死告龍のリューが、嬉しげに啼いて応える。

「くるるるるるっ!」

 サイズ以外は死告龍とまるで変わらない姿をしたその小さなドラゴンは、自分の名前を呼ばれるのが嬉しいと言わんばかりに、聖羅の上で高らかに啼くのであった。

つづく

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第四章 3


 襲いかかってくる植物の魔物。
 最初に反応したのは、フィルカードの姫・ルレンティアだった。
 彼女は獣人の身体能力を遺憾なく発揮し、聖羅とアーミアを抱えて横へと逃げる。
 本当は後退したいところだが、聖羅は結界に移動を阻まれてしまうため、横に逃げざるを得なかった。

(これは――まずいにゃ!)

 植物の蔓が進行方向を遮るように伸びていた。
 ルレンティアひとりなら爪を振るって切り裂くこともできるが、左右に抱えている状態ではそれもままならない。
 どちらかは手放さなければ、全員捕まってしまう。
 即断即決の判断力には自信のあるルレンティアだったが、このときばかりは数瞬躊躇した。神々の加護の防御力を持つ聖羅を手放すべきとは考えたが、彼女の心証的にはどうか。
 ルレンティアは聖羅と交流するためにやって来ている。
 見捨てるつもりなどなく、全員が捕まらないために必要な処置とはいえ、一度抱えた相手を囮のように使うことを聖羅がどう感じるか。その見極めはまだし切れていないのが現状である。
 アーミアならば間違いなく戦略的判断だと理解してくれるだろうが、アーミアには聖羅ほどの防御力がない。先ほど殺されかけていたこともある。
 二人のうち、どちらを優先すべきか、さしものルレンティアも即断は出来なかった。

「ルレンティア!」

 そんなルレンティアの思考の迷いを、アーミア自身が叱咤する。
 はっ、としたルレンティアは、その短いアーミアの呼びかけの真意を受け、アーミアを手放した。
 片手が自由になったルレンティアは、爪を振るって伸びていた蔦を切り裂き、包囲網を突破する。
 その場に落とされたアーミアは、地面に向けて杖を振るい、その場に空気のクッションを発生させ、落下の勢いを殺す。
 だが、その時にはアーミアの眼前には数多の蔓が迫っていた。
 ルレンティアに抱えられながらその光景を見た聖羅が悲鳴をあげる。

「アーミアさん!」

 青ざめたその顔は本気でアーミアを心配しているものだった。
 アーミアはそんな聖羅の表情を見て、彼女が邪悪な者ではないことを確信する。
 そして、この場を凌ぐために、切り札を用いることにした。

「来たれ――神聖法衣」

 アーミアの身体を覆うように、幾重にもベールが重ねられた形状の服が現れる。
 同時にアーミアは着ていた聖女風ドレスを脱ぎ去っていた。神聖法衣が下着姿の彼女を覆う。
 その彼女の身体に蔦が絡みつき、締め上げるが、神聖法衣が光を発し、アーミアは蔦が絡みついた状態でも平然としていた。
 それを見た聖羅は目を見開く。

「あ、あれは一体……?」

「にゃるほど、あれが神聖法衣なんだにゃ。せいらんのバスタオルと同じ『神々の加護』を持つ衣服のひとつだにゃ」

 枝から枝に跳んで、襲いかかってくる蔦を避けながら、ルレンティアは聖羅に教える。
 非常に細かいレースを幾重にも編んで作られたその神聖法衣は、芸術品の域に達しており、有する加護もかなり強いものだ。

「衣服の神はどうも単純な造りで丁寧な縫製の衣服の方を好むみたいなんだにゃ。それを目指して作られたのが、あーみんの身に付けている神聖法衣ってわけにゃ。聞いた話にゃけど、防御力だけでなく、魔法の効果や威力も向上するらしいにゃ」

「そ、そうなんですね……なら、大丈夫なのでしょうか」

「いや、それでも完全防御とはいかないのにゃ。だから、あーみんが時間を稼いでくれてる間に、なんとか本体を叩くにゃ」

 つかず離れずの距離を取りながらルレンティアは植物の魔物の隙を伺う。
 そんなルレンティアに対し、聖羅は声をかけた。

「……ルレンティアさん、私を囮に使ってください。大丈夫ですから」

 本来なら、最初に囮になるべきは自分だったと聖羅は理解していた。
 絶対防御を持つ自分なら、隙を見極めるまでに多少時間がかかっても平気である。
 なのにルレンティアがアーミアを先に手放したのは、自分に対する遠慮が原因だと、察していたのだ。
 ルレンティアは聖羅の言葉を受け、彼女の表情を見て、先ほど自分が心配したようなことはないと悟った。聖羅の本質が少しずつわかってきたのだ。
 こうして交流しに来た甲斐があるというものである。

「……ありがとうにゃ、せいらん。一番良いタイミングでそうさせてもらうにゃ!」

 ルレンティアは植物の動きを見極めるべく、さらに行動を開始する。
 一方、アーミアは全身を植物に締め上げられつつも、先ほどと違って少し余裕があった。
 神聖法衣はその加護の力を発揮し、締め上げてくる植物の蔦の力を弱めてくれている。

(さて、どうしよう)

 アーミアは杖を手放していなかった。攻撃魔法は撃てるが、それで刺激するのが正しいのかどうかわからない。
 それに、植物に捕らえられている妖精たちを巻き込んでしまうというのも問題だった。
 妖精は比較的人間に好意的な魔族であり、極力殺さないことが良いとされている。
 妖精殺しは今後妖精の助力を得られなくなることを意味し、極力避けなければならない。

(この植物のコアはどこ?)

 中央の大きな花がそうかと考えていたが、彼女の鋭敏な魔法の感覚は魔力の集中度合いから、それが魔物のコアではないということを察していた。
 植物とはいえ、這って移動していることから、地中にあるわけでもないことも確かだ。
 植物の周囲を跳び回りながら移動しているルレンティアと視線が合う。
 ルレンティアもコアが見つけられないらしく、首を横に振っていた。

(最悪なのは、この大きな花さえも末節にすぎないってことだけど……)

 結界の端に到達していたアーミアたちは、空間の端にいることになる。
 そうすると、本体は空間の中心にいて、この大きな花は末節という可能性も高い。魔界が出現してからの時間を考えれば、そこまで巨大な存在に育っているとは考えにくいが、可能性は零ではない。
 空間の中心にルレンティアたちに向かってもらうべきか。
 そう考えるアーミアの身体を、植物の魔物が持ち上げた。
 中央の花の中心に開いた口が上を向く。

(まるごと飲み込む気……?)

 アーミアはぞっとするものを感じたが、神聖法衣の防御力があれば耐えることは可能だとも感じていた。
 しかし、植物の魔物が開けた大口に黒い霧のようなものが満ち始める。
 即死属性が宿っている証拠だった。
 神聖法衣は神々の加護を有するため、即死属性にも高確率で耐えることが出来るが、死ぬ可能性はある。
 だが、アーミアは動じなかった。それが来た時のために準備はしてあるのだ。

「現し身――召還」

 そうアーミアが杖に力を込めながら唱えると、空中にアーミアの分身が現れた。
 そのアーミアの分身は、重力にしたがって植物の魔物の口の中へと落ちて行く。
 植物の口が動き、分身の身体に食いついた。口の内側に生えたトゲが分身の身体を容易く食い破っていく。
 ベキベキと骨が砕け、プチプチと肉が千切れて潰れる音が響く。
 分身とは言え、自分と同じ姿をした者が食われていく様は、相当恐ろしい光景であった。
 しかしその甲斐あって、植物の口の中に発生していた黒い霧は消滅している。

(……ん? この感じ、もしかして……)

 現し身はただの分身ではない。
 限りなく本人の性質に近く、本人を危険に晒さずに様々な実験が出来るということで、分析調査に活用されている。
 それはもし自分がこの植物に食われていたらどうなるか、という実験が行えたということだ。
 分身の身体を構成していた魔力はアーミアの指揮下にあり、その魔力がどう植物の中を流れていっているのかが手に取るようにわかる。

「あーみん! 助けた方がいいかにゃ!?」

 そうルレンティアが声をかけたのは、植物の魔物が今度こそアーミア本人を開いた口の中に入れようと動き出したためである。
 ルレンティアもアーミアの使った現し身の性質を知っている。ゆえにアーミア本人を助けた方がいいのか、尋ねたのだ。
 その質問に対し、アーミアが応える。

「大丈夫! 中から魔力を流すから、それを辿って!」

 最低限の指示であったが、ルレンティアはアーミアの意図を汲み取った。
 高い位置の木の枝に飛び上がり、全体を俯瞰して見れる位置取りを行う。

「せいらんも見てて欲しいにゃ! いまからあーみんが魔力を流してくれるにゃ!」

「え、あ、はい!」

 聖羅にはルレンティアやアーミアが何をしようとしているのかわからなかったが、良く見ろと言われたため、下に広がる光景を見た。
 その彼女たちの前で、アーミア本人が植物の大きな口の中へと落下していった。
 アーミアが食われる様を見て、聖羅の顔が青ざめる。

「あ、アーミアさん、大丈夫でしょうか……」

「大丈夫にゃ。神聖法衣が守ってくれてるにゃ」

 そういうルレンティアであったが、さしもの彼女も不安そうな目をしていた。
 花の中に取り込まれたアーミアと言えば、周囲から絡みついてくる細い触手のようなものや、どろどろとした粘性のある分泌液に辟易しながらも、冷静であった。
 トゲが体に食い込もうとしても、神聖法衣の防御力は遺憾なく発揮されており、今のところ身体が傷ついたり、痛みを発したりすることはなかった。
 どろどろした液体を容赦なくかけてくるため、呼吸には難儀したが、完全に呼吸が阻害されるということはない。

(ああもう、気持ち悪い……! 早く、して……!)

 全身くまなくどろどろになりながらも、アーミアはその時を待つ。
 程なくして、ようやくアーミアの目的の行為が始まった。
 魔力を吸われる感覚。この植物は捕らえた者から魔力を吸い取り、それによってアーミアをも幻惑する結界を生み出していたのだ。

(魔力を吸い取るのなら……その魔力に細工をしてやればいい!)

 アーミアはあえて植物に魔力を流した。
 その魔力には、色の変わる細工をしておく。
 それによって吸い取った魔力がどこにどう流れていくのか、はっきりわかった。
 残念ながら魔力を持たず、魔力を感知できない聖羅には見えなかったが。
 ルレンティアには、アーミアの目論見通り、吸収された魔力がどこに向かっているのか、よくわかった。

「よし、見つけたにゃ! せいらん、ごめんにゃ!」

 ルレンティアは聖羅を枝の上に置いて、全速力で移動を始めた。
 おいて行かれた聖羅の元に蔓が迫っていたが、ルレンティアは脇目も振らずに一点を目指して跳ぶ。
 気づかれたことに気づいたのか、植物の魔物が慌ててルレンティアに向かって蔓を伸ばしかけたが、もう遅い。

 ルレンティアが何もない空間に向かって爪を突き出すと、その爪の先に光り輝くオーブのようなものが貫かれていた。

 魔物のコアは、最初から植物のすぐ近くにあったのだ。
 ただ、何重にも幻惑の魔法がかけられており、アーミアやルレンティアにも気づけなかった。
 だがアーミアが捨て身で魔力を植物に流し、その魔力をコアが吸収してしまったことで、移動していた魔力が唐突に見えなくなる空間があることを、ルレンティアに見破られてしまった。
 コアを破壊された植物の魔物は、全体が急激に枯れていき、捕らえていたアーミアや妖精たちを力なく解放した。

「あーみん! 大丈夫かにゃ!?」

 ルレンティアは枯れた大花の中で、同じく枯れ果てた触手達に絡みつかれた状態であった。
 かけられた液体は消滅したりしなかったため、全身どろどろのままである。

「無事だけど……動けない。これ切って」

「任せるのにゃ」

 アーミアの身体に絡みついているものを、ルレンティアの爪が切断していく。

「……助かった」

「お互い様なのにゃ。というか、あーみんが言ってくれなかったら全員捕まってたかもしれないのにゃ」

「大丈夫ですかーっ、おふたりともーっ」

 木の上から聖羅が声を張り上げる。彼女にはバスタオルの加護があるため、飛び降りても死にはしない。
 だが、死なないからと言って、建物でいう三階分はありそうな高さから飛び降りれるかといえば、そうではなかった。
 それがわかっているので、ルレンティアはのんびりと応える。

「大丈夫にゃー。でもあーみんの拘束を解くから、ちょっと待ってて欲しいのにゃー」

「はーい、周囲の警戒をしておきますねー」

 心得たという様子の聖羅に、ルレンティアは安心してアーミアの解放に集中することができた。

「せいらん、良い子だにゃ」

「それはわかってた」

「えー、そういうの、ずるいにゃ」

「……むぅ。言い方を間違えた。信頼してもいいと思う。気になることはあるけど、たぶんセイラさん自体は邪悪じゃない」

 そういうアーミアが、ようやく自由の身となった。
 花の中から引っ張り出され、地面に降り立つ。

「ありがとう、ルレンティア」

「どういたしましてにゃ。……それにしても、ちょっとその服は刺激強すぎじゃないかにゃ?」

 そうルレンティアが指摘したのは、アーミアの身に纏う神聖法衣のことである。
 薄いレースで出来たベールを幾重にも重ねた形状のそれは、彼女の体を透かして見ることが出来るほどだ。
 いくら神々の加護を得るためとはいえ、うら若き娘であるアーミアが身に着けるには少々、過激な服装ではあった。
 指摘されたアーミアは顔を赤くしながら、そっぽを向く。

「ほっといて……仕方ないじゃないこういう構造なんだから」

 言いながらアーミアは魔法を唱え、植物の分泌液を綺麗に除去する。
 この世界の者であれば大抵の者が使える、清潔化の魔法であった。
 液体で全身ドロドロになっていたアーミアだったが、その魔法のおかげでそれらを消すことができた。
 ルレンティアは恥ずかしがるアーミアを見て、からからと楽しげに笑っていた。

「大丈夫だにゃ。フィルカードならそれくらいの服装はふつ……あーみん?」

「なに?」

「言いにくいんにゃけど……その、下着が……」

「下着?」

 アーミアはルレンティアの指摘に、自分の身体を見る。
 神聖法衣は無事だった。宿っている神々の加護に問題はなく、若干それ自体が光っているようにさえ見える神々しさだ。
 問題は、その下。レース越しにうっすら見えるアーミアの身体である。
 そのすべてがはっきり見えていた。
 身に着けていたはずの、下着がなくなっていたのだ。
 それは植物の分泌液の効果か、あるいは神聖法衣の下に潜り込んだ触手にいつの間にかはぎとられていたのかは、定かではない。

 現実として――アーミアはうっすら透ける神聖法衣だけの姿になっていたのだった。

 その事実を認識するまでに、アーミアは数秒の間を必要とした。
 そして、普段の物静かなアーミアからは考えられない、大きな悲鳴をあげるのであった。

つづく

2018年、ご愛読ありがとうございました!

来年、2019年はより多くの執筆活動に尽力しますよ~^w^
各ジャンルで途中になってる作品は多いので……ひとつひとつがんばります!

それでは皆様、良いお年を!
また来年お会いしましょう!
[ 2018/12/31 23:35 ] 連絡 | TB(0) | CM(2)

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第四章 2


「ひとまず、森の中からは何が出て来るかわかりませんし、一端部屋に戻りませんか?」

 聖羅はルレンティアとアーミアにそう提案した。
 謎の触手が襲いかかってきた森の中より、その方が安全だと思ったからだ。
 しかし、出てきた方向を振り返った聖羅とアーミアは、揃って眼を見開くことになる。

「あ、あれ……? 扉が……というか、部屋が……」

「……なんてこと」

 ふたりが出てきた部屋は、忽然と消滅していた。
 触手によって翻弄されている間に、霞のように消えてしまっていたのだ。
 ルレンティアはふたりの態度から状況を察したようだ。

「もしかして、ふたりのいた部屋は無事だったのかにゃ?」

「ルレンティアのいた部屋はそうじゃなかったの?」

「ボクは気付いたら裸で森の中に放り出されてたにゃ。すぐ傍に脱いだドレスはおいてたんだけどにゃ。そっちはそうじゃなかったのにゃ?」

「ええ。私たちは突然部屋の外が真っ暗になってしまって異常に気づいたんです。部屋の中はそのままでしたよね?」

 聖羅の確認に、アーミアも頷く。
 少なくとも彼女たちが感じた範囲で、部屋の中に異常は見られなかった。

「……まあ、仮に部屋がそのまま残っていたとしても、この状況では戻っても安全だったとは限らない」

「それもそうだにゃあ。ひとまず脅威を追い払った森の中にいた方が安全かもしれないにゃ」

 ふたりの意見に、聖羅は首を傾げる。

「どういうことですか? ……もしや、おふたりにはこの現象がなんなのか、心当たりがあるのですか?」

「おそらく、だけどにゃ。でも、これは普通はありえないことなんだよにゃあ」

 その言葉を聞き、聖羅にもひとつの可能性が浮かんで来た。

「もしや……魔界化、というものでしょうか?」

「そう。強大な魔王級の魔族が存在することで起こる、周辺環境の異常化……わたしの結界術を突破しうる即死属性を持つあの触手は、死告龍の眷属である可能性が高い」

 もっとも恐れるべきことだと聖羅が聴いていた、死告龍の魔界と、その眷属の発生。
 聖羅はごくりと息を呑んだ。魔界化の兆候を見逃していたかもしれないためだ。
 日常的に中庭にいられるのは聖羅だけであり、彼女はそれを理解して中庭の状況には眼を光らせているつもりだった。

「魔界化はそう簡単に起きるものではないと聴いていましたが……」

 これほど急激に変化するものだったのだろうか、と聖羅は疑問に思う。
 それに対してはルレンティアとアーミアも同感なのか、聖羅に同意して頷いていた。

「だにゃあ。おまけに死告龍がいたのは王城の中にゃ。城というのは入念な魔法対策も施していることが多いから、魔界化するのが最も遅い建造物といえるにゃ」

「けれど、この状況。事実として魔界化してしまったとしか思えない」

「そうだにゃあ……やっぱり死告龍はとんでもない存在だにゃ。魔界化するはずがない場所を魔界化させちゃうんだからにゃ」

 ふたりの姫は顔を見合わせて、意味深な視線を交わす。
 聖羅はなんとなく、その視線の意味がわかるような気がした。

(リューさんの脅威を改めて認識した……というところでしょうね)

 庇護を受けている聖羅はともかく、ふたりにとって死告龍はいまだ脅威になり得る存在としての側面が強い。
 板挟みになる聖羅としては悩みどころではあるが、いまはそれにばかり構っていられない状況だった。

「ひとまず、これからどうしましょうか」

「森の中を進んでみるしかないにゃ。安全が確保出来る場所があればいいんだけどにゃ」

「建造物すら飲み込んでしまう魔界に、安全な場所なんてないかもだけど」

「あーみん。それは言っちゃダメにゃー」

 三人は、一番先頭に勘が鋭くもっとも近接戦闘力の高いルレンティア、真ん中に様々な魔法を扱えて柔軟に対応出来るアーミア、もっとも不意打ちを受けやすい最後衛に絶対の防御力を持つ聖羅、という布陣を組んで森の中を進むことにした。
 森の中を進みながら、聖羅はふたりに魔界化について尋ねる。基本的なことはルィテ王国の者から教えてもらっていたが、より詳しく聞いておいた方が良いと判断したためだ。

 魔界化。

 それは強大な魔族が存在することで、周囲に異変を起こす現象の総称である。
 強すぎる魔力が環境に影響していると考えられているが、魔界化を引き起こすのは魔族だけであり、いかに強大な魔力を持った魔法使いであっても、種族が人間であれば魔界化は起きない。
 古来より魔族と人間が争い続けている理由のひとつでもあった。

「基本的に、魔界は人間が住むのに適さない環境。例外はあるけど」

 周囲を警戒しつつ、アーミアはそういった。
 聖羅はアーミアの話を聞きながら、ルィテ王国の者達に説明してもらった知識とすりあわせていた。ルィテ王国の者達を信用していないわけではなかったが、より確実な知識として蓄積するためである。

「例外もあるんですか?」

 聖羅がこの世界の常識を全く知らないために仕方ないことだが、彼女がルィテ王国の者達から受けた説明は基本の範疇が多かった。
 そのため、例外事項になると初耳のことが多くなり、聖羅はそのひとつひとつに注意して尋ねなければならないのだ。
 伸ばした爪で茂みを薙ぎ払って道を切り開きながら、ルレンティアが応える。

「ログアンがまさにそれだよにゃ。いくら聖亀様が巨大と言っても、本来ならその背中だけで国が成立するほどの広さは得られないはずにゃ」

「そういうこと。グランドジーグ様の甲羅の中には、様々な空間が生み出されている。そこを活用させていただいて、ログアンは国として成り立ってる」

「なるほど……」

「生み出される魔界は、核となる魔族の性質が反映されたもので、そこにはその魔族の眷属が生まれる。グランドジーグ様の眷属は小さな……といってもわたしたちにとっては十分大きいのだけど……大体2メートルから5メートルくらいの陸亀。ログアンの民の生活を助けてくださる重要な存在」

「ボクも会ったことがあるけど、とても紳士的で真面目な亀さんたちなのにゃ。うちに何頭か来てくれたら嬉しいんだけどにゃ~」

 楽しげにいうルレンティアに対し、アーミアは溜息を吐く。
 彼女にとってグランドジーグの眷属たちは神の使いのようなものだ。余所の国に渡すなど論外である。

「何度も言ってるけど、眷属は魔界から離れて存在できない。フィルカードに行くことは原理的に無理」

「残念だにゃあ」

 本気で残念そうなルレンティアに対し、アーミアは再度溜息を吐いた。

「ここが魔界だとすると……さっきの触手みたいなものは、その眷属ということなのでしょうか?」

「恐らくはそうだにゃ。長く存在する魔界ならともかく、生まれたばかりの魔界にいる魔物は眷属と見て間違いないはずにゃ」

「即死属性を纏って攻撃してきたことといい……死告龍の眷属である可能性は極めて高い」

 殺されかけたアーミアの顔は強ばっていた。
 締め付けも十分危険だったが、それ以前に即死属性を纏った攻撃を加えられていたら死もありえた。

「幸い、死告龍本体と違って眷属は即死攻撃を連発することは出来ないみたいだから、まだ対処のしようはある。黒い霧のようなものを纏った攻撃は、結界術や攻撃魔法で相殺して」

「わかったにゃ」

 端的に応じるルレンティアには、それが確実に出来るという自負があるようだった。
 聖羅やアーミアを触手から助け出した際の手際といい、姫の立場であっても、戦闘ができないわけではないのだと、聖羅は改めて実感した。
 防御力はあっても戦えるわけではない聖羅は、なるべく戦わなくても済む道を模索する。

「眷属さんに話は通じないのでしょうか?」

「少なくとも、グランドジーグ様の眷属とは話が出来るけど……」

「いきなり襲いかかってきたんだよにゃ? だとすると、話すのは難しそうだにゃ」

「眷属、というくらいですし、元になった魔族とは主従関係にあるんですよね?」

 漫画やゲームのイメージで聖羅は口にしたが、それに対しルレンティアとアーミアは即答しなかった。

「グランドジーグ様の眷族は皆自立した意思を持っているけど、性格はほぼ一緒で、突出して個性的な存在はいない。おおまかにグランドジーグ様の意向を反映して、ログアンの民の懇願に応えて動く存在だから、主従……というべきかどうか」

「魔界によって色々、ってことになるにゃあ。いずれにせよ眷族は魔界でないと存在できないし、その魔界の要たる『主』に危害を加えられないのは変わらないはずにゃ」

「だとすると……リューさんに直接お願いできれば、大人しくしていただける可能性はありますね」

「その期待はできるにゃ」

 死告龍に会えれば、問題は解決するかもしれない。
 聖羅はわずかながら希望を感じた。

(少なくともリューさん自身とは話が通じる……眷族さんたちに人を襲わないように言わないと……!)

 魔界に呑まれた他の人間の安否が気になっていたのだ。
 アーミアやルレンティアは戦闘能力があるが、城で働いている使用人の中には、あまりそういったことが得意でない者も多い。
 その者たちのためにも、一刻も早くリューに会わなければと聖羅は決意する。

「……しっかし、この森はどこまで続くのかにゃー?」

 そういうルレンティアの前方には、鬱蒼とした森が遙か先まで続いていた。
 乱立する木や生い茂った藪のために視界は悪いが、それでも広々と続いていることは明らかだった。

「魔界というのは、どこもこんなに広いものなんですか?」

「規模による……といっても、生まれたばかりの魔界がこんなに広いわけがない」

「空間の端にたどり着けば色々やりようもあるんだけどにゃあ。なにか、カラクリがありそうだにゃ」

「カラクリ……というと――あびっ!?」

 ルレンティアとアーミアに続いて歩いていた聖羅が、突如不自然な動きでひっくり返る。
 前を見ずに歩いていて間抜けにも壁か何かに激突したような、そんな動きだった。
 先行していた二人が聖羅のあげた奇妙な声に驚いて振り返ると、聖羅が額を抑えて仰向けにひっくり返っていた。
 二人が即座に視線を外したのは、ひっくり返った聖羅の大事なところが開帳されていたためである。聖羅への気遣いもあったが、同性とはいえ、そこを直視するのは二人も恥ずかしかったのだ。

「いたっ……くはないですけど、びっくりしました……」

 幸か不幸か、ひっくり返った張本人は額を打ち付けたことに唖然としていたため、そのことに気づいている様子はなかった。
 ルレンティアとアーミアはさりげなく聖羅の脇に移動し、彼女を助け起こす。

「怪我はしてないみたいだにゃ」

「セイラさん、何があったの? 枝か何かにぶつかった?」

 二人に優しく声をかけられ、聖羅は礼を言いつつ身体を起こした。
 そして、恐る恐るといった様子で手をまっすぐ前に伸ばす。
 その指先が不自然なところで何かにぶつかって、押し戻された。

「ここになにか……透明な壁のようなものがあるんです」

 ルレンティアとアーミアが聖羅の指先辺りの空間に手を伸ばしてみるが、何も起きなかった。自然に動いている。
 だが聖羅の指は相変わらず一定の場所で止まり、それ以上先にはどうやっても進まなかった。『壁がある』というパントマイムでもしているようだと聖羅は感じたが、他の二人はそれを見て思いつくことがあったようだ。

「……ここで空間がねじ曲がってるのかも」

「いくらなんでも広すぎると思ったら……なるほど、そういうことにゃ」

 ふたりは納得したように呟き、それを聴いた聖羅もなんとなく事情を察した。

「つまり、実際に空間が広がっているのではなく、空間が歪曲して無限に続いているように見せかけられている、ということですか?」

「そういうことだにゃ。せいらんが気づいてくれなかったら、延々森の中を歩かされていたところにゃ」

「性質が悪い……結界術の心得があるわたしが気づけないなんて」

 空間に関わる魔法は結界術の範疇であり、その熟練した使い手であるアーミアが気づけなかったというのは相当高度な魔法の証拠であった。
 誇りを刺激されたのか、アーミアは杖を構え、その魔法の解析を始める。無数の魔方陣がアーミアを中心に広がり、薄暗い森の中を魔法の光が照らした。

「……解析成功。どうやらこの境界線はこの空間の反対側……わたしたちからすると、今歩いて来た方向に繋がってる」

「普通に歩いていたら同じ場所をずっと歩くことになるわけだにゃ」

「このような結界は、どうやったら脱出できるのでしょうか?」

 聖羅の問いに対し、ルレンティアは拳を握ってみせる。
 そしてそれを透明な壁に当てるように振った。

「大したことのない結界なら、力尽くで突破することもできるにゃ。……でも、ボクには干渉すらできないみたいだにゃ」

「……術者を倒して解除させればいい。この規模の結界なら術者は確実に結界の内側にいるはず。もしくは、起点となる何らかの要がある」

「問題は……この広い空間の中からそれを見つけ出すのは難しいってことだにゃあ」

「歩いて来た分だけを考えても結構な広さですもんね」

「もう少し解析してみる。そうすれば要の位置も――」

 アーミアがさらに結界の解析をしようとした時、ルレンティアが手をあげてそれを制した。怪訝そうな顔をしつつも、アーミアは解析のための魔方陣を展開するのを中断する。
 ルレンティアは自分たちが歩いてきた方向を睨んでいた。

「どうやら、悠長に解析している暇はないみたいだにゃ」

 遅れてアーミアと聖羅もそれに気づいた。
 明らかに巨大な何かが近づいてきている音が響いてきている。
 待つというほどの時間もなく、すぐにその何かは姿を現した。

「あれは……巨大な……花……?」

 それは巨大な蕾を中心に広がった、植物であった。
 人間のほどもある巨大な蕾の周りを守護するように、無数の蔓のような触手が蠢いている。いくつかの蔓の途中には人間の頭部ほどの大きさの蕾がいくつもあり、なにやら不気味な雰囲気だった。
 放っている気配も禍々しいもので、聖羅は思わず後ずさりして距離を取る。
 聖羅のその判断は間違っていなかったのだろう。
 中央の蕾が窄めていた花弁を開き、その本性を露わにする。

 その花は、一言で言えば巨大な口だった。

 花の中央には巨大な穴が空いており、その周辺には鋭い牙のような鋭利なトゲが並んでいる。その角度は内側を向いていて、もしその中に呑まれれば、トゲが返しのようになって抜け出そうとする者の身体をさらに傷つけるだろう。
 その口のような穴からはどろりとした液体が零れ出しており、毒液なのか消化液なのか、地面に落ちて湯気のようなものをあげている。
 そんな凶悪な形状をした蕾は、どう贔屓目に見ても邪悪な存在にしか見えなかった。
 さらにそれを助長するかのように、蔓の所々にある蕾が開く。

 その蕾の中には、小さな妖精達が囚われていた。

 妖精達はぐったりとした様子だった。
 蕾の中に無数に生えた触手のようなものに、四肢や羽を絡め取られ、動けないようだ。
 本来妖精は物質的な拘束を受けない存在だ。仮に縄や鎖で縛ったとしても、魔力で構築されている身体を一端粒子化して逃れることができる。
 そんな妖精達が捕獲されているという事実は、つまりその行動を阻害し得る何かがその触手にはあるということだった。
 妖精達に生物学的な雌雄はないが、大妖精であるヨウがそうであるように、見た目は人間の女性に似通っている。
 そんな妖精たちが、触手に絡め取られて弄ばれているような光景は、三人にとって衝撃的なものだった。思わず硬直してしまった三人を責めることはできない。

 怪しげな花の怪物は三人に向けても、躊躇なくその蔓を伸ばした。

つづく

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第四章 1


 音も無く近づいてきた『それ』に聖羅が気付いた時には、すでに遅かった。
 それは細長い形状を活かし、聖羅の足首に絡みついたかと思うと、まるでカツオの一本釣りのように、聖羅を高々と吊り上げる。

「きゃああああああ!!!??」

 聖羅は抵抗することもできないまま、空高く持ち上げられ、宙づりにされてしまう。
 足首に巻き付いたそれ――黒い触手のようなものは、ロープのように細い身でありながら、聖羅という人間ひとりの体重を軽々と支えていた。
 聖羅にはバスタオルが持つ加護があるため、触手に締め付けられた足首が折れるなどのダメージこそ負っていなかったが、そうではないところで大きなダメージを受けていた。

「わっ、あっ! いやぁッ!!」

 聖羅はバスタオルを腰に巻いているが、バスタオルの加護を発揮させるため、それ以外にほとんど服を身につけられないという制約があった。
 当然、下着も身につけられていないのである。そんな彼女が、足を起点に宙づりにされたらどうなるか。
 そんなことは子供でもわかる理屈だ。
 裏返った聖羅が腰に巻いたバスタオルは大きく捲り上がり、彼女の股間が晒されそうになる。聖羅は両手で必死にバスタオルを抑えていたが、咄嗟のことだったので、前に意識が集中していた。
 そのため、お尻側のバスタオルの裾が完全に捲れ上がり、その丸いお尻が丸出しになってしまった。

「やあああああ!! み、見ないでくださいっ!!」

 慌てて後ろ側も手で抑えようとする聖羅だが、宙づりの状態で、しかも前を見られないようにと必死に抑えている状態では、上手く隠せない。
 なにより、両足を掴んで持ち上げられているならともかく、片足だけを吊られている状態のため、気を抜くと吊されていない方の足が下がってきて、股間を大開帳する、なんてことになりかねなかった。
 逆さまに吊られた影響だけでなく、羞恥もあって、聖羅の顔が真っ赤に染まる。
 そんな彼女が、自分の姿を見ないように懇願した相手は、その手に杖らしきものを呼び寄せていた。

「セイラさん! いま、助ける……!」

 ログアンの巫女姫・アーミア。彼女は聖羅の格好を模したドレスを着ていたが、聖羅と違って下着などはちゃんと身に付けている。
 呼び寄せた杖に魔力を集中させ、魔法を使おうとしていた。
 そんなアーミアの足下にも、触手たちが忍び寄って来ているのが、宙に吊られた聖羅からはよく見えた。大慌てで、アーミアに向けて警告を発する。

「アーミアさん! 危ないっ!」

 その聖羅のせっぱ詰まった声を受け、アーミアもその存在に気付いた。
 空中にいる聖羅に向けていた杖の先を地面に向け、くるりと自分の周りに円を描く。杖の軌跡が光を放った。
 アーミアの身体に向けて伸びた触手の動きが、その光の軌跡に沿う形で生み出された光の壁に阻まれる。

「舐めないで! 結界術は、わたしの得意分野……!」

 アーミアはログアンを代表する巫女姫であり、その実力は極めて高い。
 中でも結界術に長けている彼女は、守りに重点を置いた魔法使いだ。これはログアンの民が守護亀・グランドジーグと互いに守り合う関係であることに起因しており、伝統的に巫女姫には守りの術が得意な者が就くことが多いのである。
 そのアーミアが張った結界は、一般的なドラゴンのブレスならば軽く防げる防御力を発揮する。ただの触手の攻撃がその防御を突破出来る理屈はない。

 だが、その触手はただの触手ではなかった。

 一度は結界に弾かれた触手たちが、その先端に黒い霧のようなものを纏ったかと思うと、再度結界に向けて先端を鞭のようにして振るう。
 すると、先ほどまでは全く歯が立たなかったはずのアーミアの結界が砕け散った。
 結界術に絶大な自信を持っているアーミアだからこそ、その触手の持つ異常性に気付く。彼女の張る結界術を瞬時に破壊出来る特性など、ひとつしかない。

「嘘……!? この、触手……っ、まさか――即死属性を纏って、ッ!?」

 驚愕したアーミアの対応が遅れ、その全身に黒い触手たちが絡みつく。
 そして、その細身の身体を軋むほどに締め付け始めた。
 締め付けられている部位は腕や足といった四肢だけではなく、首にも触手が巻き付いていた。強烈に首を締め付けられ、アーミアは呼吸困難に陥る。

「ぐ、ぅ……っ!」

「アーミアさんッ!」

 聖羅はアーミアに向けて叫んだが、彼女にはどうすることもできない。
 アーミアの身体を触手が締め上げて軋ませ、声もあげられない彼女が苦しげに呻く。
 そして、窮地に立たされているのは、アーミアだけではなかった。
 空中に吊り下げられた聖羅。

 彼女にも、黒い触手たちが迫っていたのだ。




 少し時間は遡り、それは――何の前触れもなく始まった。

 聖羅とアーミアが一対一で対話を行っていた時。
 聖羅の『嫌いなもの』を聴いたアーミアが、怪訝そうな顔をしてその真意を問いただそうとしたまさにその瞬間であった。
 部屋の窓から差し込んでいた陽光が突然消え、部屋が暗闇に閉ざされる。
 昼間にもかかわらず、真っ暗になったことに聖羅は驚いた。

「停電……?」

 無論、現在の時刻は昼間であるのだからそんなわけはないのだが、そう表現するのが的確な現象であった。
 もし分厚い雲のような、巨大なものが日光を遮ったのだとしても、手の先が見えなくなるほどの暗闇にはならないだろう。
 聖羅は戸惑うことしか出来なかったが、アーミアの反応は早かった。
 素早く身体の前に手を翳し、その指先に魔法の灯りを生じさせる。魔法の灯りは非常に光量が強く――聖羅の感覚で言うならば蛍光灯の光のように――部屋を明瞭に照らし出した。
 灯りが生じ、周りが見えるようになったことで、聖羅は少し安堵する。

「ありがとうございます、アーミアさん。……何が起きたのでしょうか?」

「……わからない。こんな現象は知らない。セイラさんの呟いた、テイデンっていうのは?」

 アーミアは端的に、自分たちの世界特有の現象ではないと聖羅に伝え、聖羅が思わず呟いた単語の説明を求める。
 この世界には魔法の灯りがあるため、電気技術は発達していない。ゆえに電気が止まるという意味の『停電』は翻訳魔法では正確に伝わらなかったようだ。

「あ。すみません。停電というのは……そうですね。こちらの世界で言うなら、月明かりもない夜に、部屋に灯している魔法の灯りが一斉に消えて、部屋の中が一瞬のうちに真っ暗闇になることです」

「……なるほど。でも、これはそういった現象ではない、と思われる」

「ええ。いまはそもそも昼ですし……アーミアさん。窓の外、変じゃないですか?」

 聖羅は外の様子を窺えないものかと窓に近づこうとして、窓の外が不自然に真っ黒になっていることに気付いた。
 仮に何らかの理由で日光が消えたとしても、アーミアが出している灯りが、多少なりとも外を照らすはずだ。
 しかし、窓の外には奥行きが感じられず、まるで窓ガラスを墨か何かで塗りつぶしたかのように、ただただ真っ黒になっている。
 アーミアは少し考えてから、窓に近づかないように聖羅に言った。

「下手に近づかない方がいい。……まずは、寝室のルレンティアを起こそう」

 得体の知れない状況にある以上、味方を少しでも増やすのは得策である。
 ルレンティアは勘働きに優れた獣人であり、そういった意味でもこの得体の知れない状況に対処するには、頼りになる存在だった。

「そうですね。起こしてきます」

 同意した聖羅は、急いで寝室に続くドアに近づいた。
 寝室のドアをノックした聖羅は、緊急事態であることを加味して、中から応えがある前にドアノブを捻って扉を開いた。

「ルーさん、大変なことが……え?」

 思わず間の抜けた声を出してしまった聖羅だが、そんな彼女を馬鹿にすることが出来る者はいないだろう。
 なぜなら、聖羅が開いたドアの先は――森になっていたためだ。
 それはまるで聖羅がこの世界に来た時のようで。
 聖羅はその事に思い至ると、大急ぎで背後を振り返った。あのときのように、直前までいたはずの部屋が消えている可能性を考えてしまったからだ。
 幸い、今回は振り返った先が石の扉になっているということはなく、部屋の中でアーミアが眼を見開いて驚いていた。聖羅越しに見えたのだろう。

「森……?」

「みたいです……寝室は、ルーさんは、どこに……?」

 唖然とするしかない二人。
 聖羅はドアノブを持ったまま、少し部屋の外に出てみようと足を踏み出した。地面は部屋の床からドアの境界を超えた瞬間、土になっている。まるで無理矢理切り取った部屋を外に放り出したかのようだった。

(これ、外から見たらこの部屋はどうなっているんでしょう?)

 そう思った聖羅は、片足を部屋の中に残したまま、なるべく身体を外に出して部屋の外観を見てみようと試みた。
 片足だけを外に出してしまったのだ。もし両足を揃えていたら、その後の悲劇のひとつは回避できていたのだが。
 森の奥から伸びて来た、細長く黒い触手がその踏み出した片足に絡みつき、宙づりにされるのは、そのすぐあとのことだった。

 聖羅は森の中で宙づりにされ、それを助けようとして森に飛び出したアーミアも触手に捕らわれてしまった。

 さらに、宙づりになった聖羅にも、多数の触手が伸びてくる。
 そのおぞましい状況に青ざめる聖羅だが、自分のことはあまり心配していなかった。
 聖羅にはバスタオルの加護がある。身体を持ち上げて宙に固定するほどに締め上げている触手の力は強かったが、聖羅はそこまで痛みを感じていなかった。
 現在聖羅はバスタオルを腰に巻き、胸は別の布で隠すというスタイルを取っているため、多少バスタオルの加護は弱まっている状態だ。
 その状態で痛くないのだから、仮に全身を締め上げられても、死にはしないだろう。

(ですが……アーミアさんは違います……!)

 アーミアは首を締め上げられ、苦しそうにもがいている。
 早く助けなければ命に関わるだろう。
 聖羅はなんとか触手をふりほどけないものかと、締め上げられていない足で蹴ってみるが、非力な聖羅の蹴りなど触手には全く効果がなかった。
 無駄な足掻きとばかりに、聖羅の全身に別の触手が巻き付いてきた。身体に巻き付いてきた触手の影響は聖羅の予想通り大して苦しく感じなかったが、想定外のことが起きた。

「――ッ! いやあっ! やめ、やめてっ!」

 聖羅が触手を蹴っていた足にも、別の触手が絡みつき、別の方向に向けて引っ張り出したのである。
 両足を無理矢理別々の方向に引かれれば、どんな格好になるか。
 聖羅は吊り輪にぶら下がって足を開く体操選手よろしく、空中で大股を開かされることになってしまった。
 幸い、バスタオルを抑えている手は胴体と一緒に巻き付かれたため、彼女のもっとも秘めたい場所が無防備に晒されることこそなかったが、うら若き乙女にとって死ぬほど恥ずかしい格好であることに変わりは無い。

「ヨ、ヨウさん! ヨウさんっ、助けてください!」

 普段なら呼べばすぐに来てくれる、大妖精のヨウに助けを求める聖羅だったが、その助けを求める声は虚しく森に響くだけだった。
 アーミアの顔が赤を通り越して青白くなり、いよいよ命の危機が訪れる。

「誰か――ッ!」

 叫ぶ聖羅。
 声をあげることしか、彼女に出来ることはなかった。
 無論それで触手が止まることはない。
 だが。

「あーみんっ!」

 目にも止まらぬ勢いで遠くから駆けて来たルレンティアが、アーミアの首を絞める触手を切り裂いてその命を繋いだ。激しく咳き込み、肺に空気を取り入れるアーミア。
 そのアーミアの身体を締め付ける触手は、次々切断されていった。

「あーみんをいじめていいのは、ボクだけにゃ!」

「……っ、あなっ、たっ、げほっ、はっ! ごほっ、けほっ」

 こんなときでもふざけることをやめないルレンティアに、咳き込みつつ涙目のアーミアが抗議する。
 ルレンティアは「ごめんにゃ! いつもの癖にゃ!」と悪びれもせずに言い放ち、さらに触手を切断していく。
 その光景を上から見ていた聖羅は、ルレンティアが武器を持たず、手で触手を切断していることに驚いていた。

(す、すごいです……! 確か、あれも獣人の特徴なんでしたっけ)

 ルレンティアの爪が非常に長く伸びていた。それは錐のように鋭利で、ナイフのように研ぎ澄まされている。
 さらに、ルレンティアはまるで四足獣の如く全身を使って跳び回り、本物の猫のそれのような動きを見せていた。下半身と手の先が獣の、具体的にいえば猫のそれになっており、人間と獣を合わせたような姿になっていた。機動力が大幅に向上しているのか、見てわかる。
 実に獣人らしい姿になっているルレンティアは、アーミアの身体を締め付けていた触手を一掃すると、森の木々の幹を蹴り、空中に向けて跳び上がった。
 聖羅を吊り下げていた触手が切り裂かれ、聖羅の身体が落下し始める。

「せいらんっ、うごかにゃいで!」

 鋭い命令に、聖羅は思わず暴れかけた身体を硬直させる。
 ルレンティアは木の枝の反動を巧みに使い、自分より先に落下していた聖羅に向けて加速して追いつき、その身体を抱えて着地した。
 触手たちは聖羅を抱えて攻撃出来なくなったルレンティアを、ここぞとばかりに捕らえようとしたが、それは別方向からの攻撃が防いだ。

「お返し……!」

 危うく殺されかけた怒りのアーミアである。
 ルレンティアが聖羅を助ける間に、取り落としていた杖を拾い、それを用いて攻撃魔法を唱えていたようだ。
 アーミアの周囲に火炎弾が浮かび、恐ろしい速度で放たれる。火球は正確に触手たちを撃ち抜き、撤退に追い込んだ。

「も、森に燃え移らないでしょうか……?」

「大丈夫、あれは魔法の火だから、あーみんが望めばいつでも消せるにゃ」

 森への被害を心配してしまった聖羅に対し、ルレンティアは安心させるように微笑む。
 魔法とは便利なものだと、聖羅は改めてそう思った。
 そして、ひとまず触手たちの脅威が去ったところで、聖羅はどうしても気になっていたことをルレンティアに聴くことにした。

「……あの、ところでルーさん」

「なにかにゃ、せいらん」

 応じつつ、ルレンティアは抱えていた聖羅を地面に下ろす。
 聖羅は助けてもらったお礼を言いつつも、ルレンティアから視線を外していた。

「その……どうして、服を身につけていらっしゃらないんですか?」

 そう、半分獣の姿になっているルレンティアは、なぜか服を一切身に付けていなかった。
 下半身は猫のそれに変わってしまっていて、滑らかな獣毛が覆っているため、気にならなかったが、上半身は人間の女性の姿そのままである。
 その上で、聖羅がそうしているような胸に巻いているはずの布がなくなっており、彼女の豊満な乳房が露わになってしまっていた。
 指摘されたルレンティアは、頭を搔きながら聖羅の質問に応える。

「こんなことになると思ってなかったからにゃあ。ボクは寝るときは全裸派なのにゃ」

「ああ、なるほど……それなら仕方ないですね。これを使ってください」

 聖羅は自分の胸を覆う布を取り外し、ルレンティアに渡す。そして自分は腰に巻いていたバスタオルを胸まで持ち上げ、バスタオル一枚の格好になった。
 胸に巻かれていた布を手渡されたルレンティアは、少し驚いていた。

「使わせてもらっていいのかにゃ? 上半身は獣化できないから、助かるけど……」

「私のこのバスタオルはこうしてこれだけで身に付けることで、宿っている神々の加護が強まるんです。……恥ずかしいので普段はああしているのですが。いまは緊急事態ですし、加護を強めておいた方がいいはずです」

 最重要事項のひとつを、聖羅は惜しげもなくルレンティアたちに明らかにする。
 加護のことはなるべく人に広めないようにしているが、いまは状況に対処するのが先決だった。戦力にはなれなくとも、自分には防御力があると伝えておくだけでも違ってくる。
 その聖羅の意図をルレンティアも理解したのだろう。

「わかったにゃ。ありがたく使わせてもらうにゃ」

 聖羅から受け取った布を使って、その揺れ動く乳房を抑えて止める。
 そんなやりとりをしていた二人の元に、アーミアが近づいてきた。

「……酷い目にあった」

 彼女の全身には、縄をかけられたような、赤くなった痕が残っていた。
 かなりの強さで締め付けられたと見え、着ていたドレスもぼろぼろになってしまっていた。元々が露出度の高いドレスだったが、余計に露出度があがってしまっている。

 バスタオル一枚の聖羅。
 上半身に布一枚のルレンティア。
 半壊したドレスのアーミア。

 半裸の女性三人は鬱蒼と暗い森の中、これからどうするべきかと顔を見合わせるのだった。

つづく

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第三章 おわり

 ログアンの姫神子・アーミアは、聖女・清澄聖羅と二人っきりになっていた。
 ザズグドス帝国の書記官・バラノに部屋が用意され、ルィテ王国の第一王女・テーナルクがそこにバラノを案内しに席を立っているためだ。
 普通に考えれば、部屋の案内など使用人に任せておけばいい話であるため、わざわざテーナルクが案内に席を立ったのは、聖羅のいないところで過激なやり取りをするためだろう。
 フィルカードの姫・ルレンティアはいまだ復活しておらず、結果としてアーミアと聖羅が残っているのである。

「…………」

「…………」

 部屋には沈黙が流れていた。アーミアは他の三人と違い、口が達者な方ではない。
 他の三人であれば聖羅を退屈させないように何かしらの話題を振っていただろうが、アーミアは特にその気はなかった。
 そもそも、アーミアの目的は聖羅と話し、その内容を聞いたことでほぼ達成されているに等しかったためだ。

 聖羅曰く「死告龍に命令することは出来ず、何かをお願いするつもりもない」。

 これはアーミアにとっては理想的な答えだった。
 彼女にとって避けるべきことはただ一つ。守護亀・グランドジーグが死ぬことだ。
 死告龍が気まぐれでもグランドジーグを攻撃すれば、ログアンはその時点で壊滅する。
 その死告龍がルィテに留まり、しかも留めている存在が積極的に言うことをきかせられないとなれば、現状維持で全く構わないのだ。
 ゆえに、アーミアが聖羅との交流を焦る意味は全くなく、落ちついて構えることができていた。

 そしてそれは、聖羅にとってもいい効果を発揮していた。

 そもそも聖羅はただの一般人であり、本人からしてみれば姫やら王女やらといった存在は雲上人そのものである。そんな彼女たちに気を遣われているという状況そのものが、聖羅にとっては心苦しく、緊張することだった。
 もしも本人が何かを成し得た結果、そう扱われているのだとすればまた違うのだが、聖羅にしてみれば、買いもせずに道ばたで偶然拾った宝くじが一等を当ててしまったような状況である。
 実情はさておき、自分にそこまで気を遣われる価値はないと思うのが自然であった。
 ゆえに、アーミアのマイペースな態度が、彼女を安心させるのだ。

「……アーミアさん、お聞きしてもいいですか?」

「なんなりと」

「アーミアさんの住んでいる国……ログアンは、大きな亀さんの上にある国だと聞きました。その亀さんとは、どのように……いえ、どのような話をされているのでしょうか?」

「グランドジーグ様とどんな話をしているか……?」

 アーミアは少し考える。国そのものであるグランドジーグとの会話は、八割方が国にとって必要な、いわば業務連絡である。
 どの方向に進むか、速度はどうするか、敵になり得る存在の情報、寄生生物が潜んでいないかなど、重要な話も多い。国家機密と言っても過言ではない内容のため、おいそれと人に教えることはできない内容だった。
 だが、聖羅が聴きたいのはそういう話ではないのだろうとアーミアは察する。

「そう、ね……わたしはまだ姫神子になって日が浅いから、そこまで砕けた話をしたことはないのだけど、歴代の姫神子の中には日々の他愛ない雑談……言ってしまえば無駄な話を長々としすぎて、グランドジーグ様を困らせた姫神子もいると聴いている」

「お、怒らせちゃったんですか?」

「話は面白かったらしいのだけど、グランドジーグ様が笑うと……その……」

「あ。なるほど……」

 ログアンはグランドジーグの上に存在する国であり、もしグランドジーグが笑いが理由であれなんであれ身体を揺らしたらどうなるか。
 聖羅は地震大国出身ゆえに、アーミアが言い淀んだことを正確に理解できていた。

「……でも、そうだとするとグランドジーグさんは不用意に笑ったり怒ったりできないってことですよね」

「そうなる」

「えっと……こんなこと言っていいのかわからないんですけど……それは、辛くないんでしょうか?」

「わたしにはわかりかねる。だけど、それも含めての助け合う約束。辛いだけではないと信じてる。姫神子の役割は一定の年月で交代するのだけど、引退した姫神子たちのこともグランドジーグ様は気にかけてくださっている」

 役割だけの関係ではないと、アーミアは思っている。
 そういうアーミアの言葉を聖羅は真剣に聴いていた。アーミアは聖羅の思惑を大体理解していたが、あえて口に出して尋ねた。

「ところで……なぜそんなことを聞くの?」

「あ、その……リューさ……死告龍さんとの会話の、ヒントにさせていただければなと思いまして……毎日会って、話はしているんですけど……ほんとうに当たり障りのない話しかできなくて。知らない間に不愉快にさせていないかと」

 聖羅とアーミアに共通するのは、人外の存在と日常的に会話をしているという点だ。
 その立場も、状況も、相手の性質も、あらゆる面で違いは多いが、人外に相対するという点は確実に共通している。
 アーミアは想像していた通りの理由であることに安心しつつ、聖羅に言葉をかける。

「基本的に魔族という存在は仲間意識が非常に強いと言われている。一度でも仲間として認められたのであれば、よほどのことが無い限り再度敵対することはまずない」

「そう、なんですか?」

 聖羅が懐疑的になってしまうのは、信用しかけていたヨウにバスタオルを奪われるという事件があったためである。
 実のところあの事件に関しては、ヨウが初めから裏切りを視野に入れ、言葉が通じないことを利用して確定的な言葉で約束を交わしていなかった、という特殊な例であった。
 また、ヨウの目的はあくまでも死告龍への復讐であり、聖羅そのものを害する目的ではなかった。現にバスタオルの加護を失った聖羅を建物の崩壊から守ったのはヨウだ。
 そんな特殊な例を最初に体感してしまったのは、聖羅にとって不幸であるといえる。

「そう。魔族というと、大抵の国で不倶戴天の敵と考えられている。ログアンだって、グランドジーグ様以外の魔族に関しては似たようなもの。でも……個々の繋がりなら、通じ合えることもあると、わたしは思う」

 そうアーミアは話をまとめた。

「もし、セイラさんがより死告龍様と仲良くなりたいと思うのであれば……自分の好きなものや好きなこととか、なんでもいいから話してみるといい」

「そんなことで、いいんですか?」

 意外そうに目を丸くする聖羅に対し、アーミアは頷いた。

「大抵、人の領域に踏み込んで存在する魔族というのは、人に興味があってそうしている存在だから。人の営みの話をされて、嫌がる者はいないと思う」

「な、なるほど……好きなもの……好きなこと……」

「……不安ならわたしたちで練習するといい。セイラさんは何が好き?」

 そうアーミアに問われ、聖羅は少し顔を歪めた。

「改めて考えると、あまり思いつかないんですよね……甘いものは好きですし、綺麗な景色を見るのも好きですが」

 聖羅は良い意味でも悪い意味でも普通の人間だった。
 何かひとつのことに邁進するほど、突き詰めて好きなものがあるわけでもなく。
 それなりに流行に乗っかって行動することはあれど、何かのファンと言えるほどのめり込んだ記憶もなく。
 もしも自分に物語上の役割が与えられるなら、通行人Aというのが一番妥当な立ち位置なのだと、聖羅は考えている。

(プロフィール欄が「特になし」で埋まる登場人物とか、ありえませんよね……)

 無味乾燥な人間にもほどがあると本人も思っているのだが、それが事実なのだから如何ともしがたい。
 普段は気にしないように努めていることを改めて意識してしまい、聖羅の気持ちは微妙に落ち込んでしまう。

「それなら……逆に、嫌いなものは?」

 聖羅の様子を見て、踏み込んだ話をしない方がいいと判断したアーミアは、そう話題の転換を試みた。
 だが、その問いにも聖羅は明確な答えを持ち合わせていなかった。
 毒虫や犯罪者など、身の危険を感じるレベルの不快さや不愉快さとはまた違う話題ゆえに、聖羅は悩む。

「そう、ですね……嫌いな、もの……」

 自分の内面を探っていた聖羅は、不意に自分がもっとも不快に感じた瞬間の記憶を思い出した。あるいは思い出してしまった。
 それはとある日の何気ない日常の話。それなりに仲が良かった友達と遊びに行こうと約束したのにも関わらず、友達にその約束をすっぽかされた時の記憶。
 後日その友人は悪びれもせずに「忘れてた」と言ったため、それ以後その友達とは疎遠になってしまった。
 好きも嫌いも薄い聖羅だからこそ、その時の燃えたぎるような怒りと嫌悪感は、明確に記憶している。
 だから。

「約束を守らない人――でしょうか」

 聖羅がそう口にするのは自然なことだった。
 それがこの世界の者にとって、どれほど不自然な答えであるかなど、考えもせずに。




 死告龍・リューは王城の中庭で微睡んでいた。
 魔族は夢を見ない。それがどうしてなのか、魔族たちの中にも説明できる者はいなかったが、それが純然たる事実である。
 ゆえに彼らにとって睡眠とは、精神の安定と休息以上の意味を持たない。
 魔族が微睡んでいるという状態は、それだけ気を緩めている――やることがなくて寝るくらいしかないという、安直に言えば暇な証拠であった。
 そんなリューに向け、ヨウが苦笑気味に声をかけた。

『そんなに暇なら、狩りにでも行ってくればいいのに。ここ一週間ほど、全く狩りに出てないでしょう?』

 そのヨウに、リューは瞼を半分閉じた眼を向ける。

『セイラが……いつ、気晴らしに行きたい、っていうか……わからない、もの……』

 今にも寝てしまいそうなほどゆっくりとした調子で言うリューに、ヨウは呆れてしまう。
 死告龍と呼ばれ、世界中から恐れられている存在とは思えない献身ぶりだった。

『それならそれでもいいのだけど……』

 ドラゴンであるリューは、多少の絶食など物ともしない。
 そもそも魔族にとっては食事自体が、動きをより良くするために取るものであって、それがなければ即時に命に関わる、という類いのものではないのだ。
 ヨウが全く食事を取っていないのは恒常的に森から魔力の供給を得ているからだが、ドラゴンであるリューは身体に蓄えられる魔力の総量が桁外れに多い。
 戦う必要があるならばともかく、ただじっとしているだけならば、それこそ数百年単位で何もしなくても問題なかった。
 寝ている竜を起こしたくはないヨウであったが、伝えるべきことは伝えておく。

『またひとり、セイラと話をしに来た人間が増えたわ』

 ヨウが告げたその言葉に、リューは不快そうに眼を開けた。

『……あんまりセイラに負担を増やすつもりなら、まとめて吹き飛ばしてやる』

 リューの怒りを体現するように、リューの尻尾がゆらりと持ち上がり、ぴんと先端を天を向いて立てていた。
 物騒なことを呟くリューを、ヨウは苦笑気味に宥める。

『別に止めないけれど、セイラに嫌われるわよ?』

 嫌われる、という言葉を聞いた途端、リューの尻尾が力なく横たわった。

『……やっぱり?』

『そりゃあ、ねえ』

 彼女たちの認識では、死告龍という最強の守護を持つ聖羅がわずらわしい人間関係に囚われる必要はない。
 それでも聖羅が人との関係を模索しているのは、それが彼女にとって必要なことだからに他ならない。
 それを邪魔してしまえば、聖羅にどう思われるかは自明の理というものだった。
 自分の目的を他者に邪魔されて、愉快な者がいるわけがないのだ。

『じゃあ、やめとく』

『それがいいわね』

 二体のやりとりは実に軽い調子だったが、ルィテ王国の滅亡は回避された。
 リューは再びとぐろを巻いて瞼を閉じる。ヨウはふわりと浮かび上がった。
 ヨウは小妖精の一体を聖羅の部屋に常駐させており、聖羅が呼べばいつでも駆けつけることが出来る。
 そのため、本体は自由気ままに王城内を見て回っていた。本当は城下町の方までいっても問題ないのだが、妖精であってもヨウの外見は裸身の美女である。
 住民をいたずらに刺激しないよう、ヨウは極力城下町に降りていかないよう、国王のイージェルドと約束を交わしていた。
 ヨウとしても無闇に騒ぎを起こしてまで見に行くほど興味もなかったため、王城内を見て回るだけで済ませている。

(今日は地下室のあたりを見て回ってみようかしら。何か面白いものがあればセイラに教えてあげましょう)

 そんなことを考えながらヨウが中庭を去る。
 彼女が去ったあとも変わらず、リューは中庭で眠りについていた。
 妖精達が作ったドームの中で誰はばかることもなく、リューは存在している。
 ルィテ王国の者は、そうやって目隠しがされていても、滅多なことでは中庭に近づこうともしなかった。それだけ死告龍は恐れられているのだ。
 しかし、だから、誰も気づけなかった。

 リューの真下の地面から、黒い霧状の『何か』がゆっくりと這い出して来たことに。

つづく

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第三章 3


 ルィテ王国の東に位置するザズグドス帝国は、徹底した実力主義の軍国である。

 その恐ろしいまでに統制されつつ、一癖も二癖もある英傑が揃った国家は、世界最強の名を欲しいままにしている。
 侵略を仕掛ける国策のため、周辺諸国からは蛮族国家と揶揄されることもあるが、それはその強大なる軍事力を恐れており、揶揄することしかできないということでもあった。
 本当にただの蛮族であるならば、いくらでも策謀の余地があるが、彼らには軍略的政治的な面でも優秀な人材が揃っており、皇帝を中心とした牙城は容易なことでは崩れない。

 書記官の地位にいるバラノという少女は、政治分野の代表的な鬼才であった。

 若干18歳という若さで、その牙城の一角を占める存在となっていることからも、その才覚の高さはうかがい知れる。
 そのたぐいまれなる才覚を幼い頃より発揮し、辺境の農村出にも関わらず、瞬く間に出世街道を駆け上がった才女。
 軍略・策略の立案において極めて優秀な彼女は現在。

 聖女キヨズミセイラの部屋で、真っ赤になった顔を両手で覆って蹲っていた。

 蹲るバラノの傍で右往左往しているのは、聖女キヨズミセイラその人である。いつもの腰にバスタオルを巻き、胸は別の布で覆うという露出度の高い格好をしている。
 普通のドレスを着て同席しているテーナルクは、ざまをみろとばかりに飄々とした様子で、カップを傾けていた。

「なんですかそれ……聖女様自身、その格好は不本意とか……!」

 呻くように呟くバラノに、聖羅はなんと声をかけていいのかわからなかった。
 バラノは、聖羅のいまの格好を模した「聖女風ドレス」を身に付けている。彼女は出来る限り迅速に、聖羅との距離感を埋めるべく、そのドレスをルィテ王国から取り寄せていた。
 その行動自体は北のログアンの姫・アーミアや南のフィルカードの姫・ルレンティアと同じであるが、彼女たちは転移門があるため、城に近いところから出てこれた。
 しかし休戦協定を結んだとはいえ、敵対国のザズグドスの一員であるバラノは転移門は使えない。隠すものはないということを示すために、幌付きの馬車も使えなかったため、首都に入って城に至るまで、衆人環視の中をその格好で移動する羽目になった。
 その羞恥足るや、うら若きバラノには相当に堪えた。その上で、それが大した意味もない行動だったと知ってしまったのだ。精神的なダメージは極めて大きい。

「ええと……その、なんだかすみません……」

 聖羅の所為では無いはずなのだが、申し訳なく感じてしまった聖羅は、そう詫びることしかできない。

「セイラさんが謝ることではございませんわ。下調べ不足、という奴ですわね」

 そんな聖羅にフォローを入れる振りをしつつ、ここぞとばかりにバラノを煽るのは、ルィテ王国第一王女のテーナルク。
 もちろん、事前にバラノが調べることなど出来ないことであることは承知の上での発言である。
 聖羅に関する情報統制は完璧に行われているため、聖羅が身に付けている衣装が「彼女自身が出来ればしたくない格好」であることなど、わかるわけがないのだ。
 異世界から来たと言われているなら、風土や文化が違うという予想は誰もがすることであり、実際バラノもその衣装に対してはそういうものだと考えていた。
 さらにルィテ王国では実際に「聖女風ドレス」などという形で作られているのだから、実際は嫌がっているなどと予想出来るはずもない。

「……良い性格をしていますね、あなた」

「お褒めにあずかり光栄ですわ」

 微笑みながら睨む、という器用なことをやってのける美少女ふたり。
 そんな睨み合いの脇においておかれることになった聖羅は、どうしたらいいのかわからず、視線を右往左往させることしか出来ない。
 幸い、二人も聖羅を放置してやりあう気はないらしく、バラノが先に視線を外し、深く息を吐いた。

「もういいです。真意を公にするつもりはないのでしょうし、この衣装もそういうものだと認識されることでしょう」

「……あー、まあ、そうですね」

 聖羅は曖昧にしか肯定しなかったが、バラノは安心したように胸をなで下ろす。
 テーナルクは少々残念そうな顔をしていたが、この話をそれほど引き摺るつもりはなかったのか、特に何も言うことはなかった。
 そもそも「聖女風ドレス」というものは、聖羅がこの姿でいなければならない理由があるが、その姿に羞恥心を覚える聖羅のために意図的に広めようとされているものだ。
 周りが普通の格好をしている中で水着でいるのは恥ずかしくとも、周りも水着姿なら恥ずかしくはならないだろう。集団心理というものを利用し、聖羅の負担を軽減するための処置なのだ。聖羅としては、異世界に文化を間違った形で広めるのは不本意であったのだが、背に腹は替えられない。
 だから一部を除き、真意を明らかにすることはまずあり得ない。
 テーナルクはバラノにも釘を刺した。

「貴女も、決して口外することのないようにしてくださいませね」

「言われなくとも。私の目的は聖女様とお近づきになることのみ。こんな程度のことで命を賭けた情報戦を仕掛ける気はありません」

 バラノには「ルィテ王国の損失になるようなことを一切しない」という、命をかけた契約が国王であるイージェルドとの間に交わされていた。
 これは敵国の書記官であるバラノが、式典や会合に先んじてルィテ王国入りを希望した際に、イージェルドが出した条件であった。
 命をかけた契約は絶対であり、もしも不用意な行動を取れば、その時点でバラノの命は失われる。
 しかもこの契約には、意図的に期限が設けられていなかった。
 仮にルィテ王国から死告龍がいなくなっても、契約は続くのだ。

 だというのに、バラノは躊躇無くその契約を交わした。

 契約を交わした以上、今後バラノはルィテ王国を害することはできない。
 戦術家にして軍略家たるバラノが今後ルィテ王国攻略にその力を振るえないことは大きな損失だ。
 だが、それを差し引いても、聖女キヨズミセイラとの交流は優先すべき事柄だと、バラノは戦略家として判断したのである。

「もちろん、私の命を賭けてもいい情報を掴んだらその限りではありません。私に命を投げ出させるような、間抜けな情報漏洩はしないでくださいね?」

「あら、それは魅力的なお話しですわね。思わず口が滑ってしまいそうですわ」

 皮肉に皮肉が返る。二人して微笑んでいるが、蚊帳の外に置かれた聖羅にしてみれば、笑える状況ではない。
 それでも、いうべきことはあった。

「ええと……バラノさん。これはアーミアさんやルー……ルレンティアさんにもお伝えしたのですが」

 死告龍に強制的に言うことを聞かせれるわけではないこと。死告龍の機嫌を損ねて嫌われるのは避けたいので、何かしらのお願いをすることもしたくないこと。
 そのことを聖羅は正直に告げる。決して自分は死告龍を自在に扱えるわけではない、ということは言わなければならなかった。
 だが、バラノはそのことを聴いても全く問題ない様子だった。

「むしろ、安心しました。死告龍という埒外の力を自在に振るえるような一個人が誕生したとしたら、その方が問題ですから」

「は、はぁ……そういっていただけると助かりますけど……」

「それに、それでもあなたの価値が揺らぐことにはなりません。死告龍との橋渡しが出来る存在はそれだけ貴重なのです」

 大人しい死告龍・リューしか知らない聖羅には、実感の乏しいことではあるが。

「ザズグドス帝国の書記官としてこの国には来ましたが、この場にいる私はバラノという一個人にすぎません。仲良くしていただけると嬉しいです。私は農村の出身でして、儀礼には疎いところはあるのですが……その点はご容赦いただけますと幸いです」

 朗らかに告げるバラノ。
 聖羅は思わずその内容に反応してしまっていた。

「農村出身……ですか」

「はい。ザズグドス帝国は実力主義ですので、農民でも個人が努力すれば取り立ててもらえるのです」

「……そういうところは、ルィテでも見習いたいところですわね」

 テーナルクはそう言いつつ、内心苦い思いをしていた。
 聖羅が元の世界において一般人の立場にあったというのは、本人から何度も聞かされたことであるし、所作を見れば貴族的な教育を受けていないことは明らかだ。
 バラノはそれを一目で見抜いて、共感させるためにわざと農村出身だということを聖羅に告げたに違いなかった。
 普通、上級階級に存在するものに対し、農村出身であると明かすメリットはない。だというのにバラノはそこにあえて踏み込み、そしてまんまと聖羅に共感を抱かせることに成功している。

(まずいですわね……このままだと、バラノがセイラさんと仲良くなりすぎる可能性が出てきましたわ……いくら契約で縛っているとはいえ……セイラさんと仲良くなることをルィテ王国の不利益と解釈するのはさすがに強引すぎますし……)

 バラノは慎重で狡猾な戦略家であると同時に、直感と閃きに頼った奇策に出ることも躊躇しない、両極端の性質を持つ。
 貴族社会の政治力に自信を持つテーナルクからすれば、もっともやりにくい相手であることは確かだった。

(……いえ、わたくしは何を弱気になっていますの。アーミア様にもルレンティア様にも、バラノにも負けてはいられませんわ。ルィテ王国の王女として……!)

 負けん気の強いテーナルクが対抗意識を燃やす中、不意にバラノが話題を変えた。

「ところで……他のおふたりは、いつまで聞き耳を立てているつもりですか?」

 その指摘に、室内に緊張が走る。

「……他のおふたり、とはなんのことですの?」

「とぼけないでください。多少反則的な手を使ったとはいえ、私がここにこうしているのに、ログアンやフィルカードのお姫様方が動いていないわけがありません。ルィテと友好関係にあるあの二国であれば、転移門も使えますし」

 言いながらバラノは寝室側に続くドアを見た。
 その向こう側に誰かがいると確信している様子で。

「私の出方をうかがっておられるのかもしれませんが、それなら直接言葉を交わした方が早いでしょう。さあ――お入りください」

 舌戦に絶対の自信を持っているのか、寝室側のドアに向け、自信満々に告げるバラノ。
 それに応えるように、廊下側の扉が開いた。
 部屋に入って来たのは、不思議そうな顔をしているログアンのアーミアであった。

「……ノックする前に反応があってびっくりした」

 その視線が、バラノを捉える。
 バラノは思いも寄らない方向からアーミアが出て来たことに驚いて、ぽかんと間の抜けた顔を浮かべていた。
 そんなバラノを見て、アーミアが不思議そうにしつつも挨拶をする。

「ザズグドスのバラノ様、お久しぶりですね」

「え、ええ。……席を外していたのですね」

 なんとも気まずい様子で呟くバラノ。
 そんなバラノに、聖羅が悪気なく追い打ちをかけた。

「あの……バラノさん。ルレンティアさんなんですが……確かにあちらの部屋にはいらっしゃいますが、いま少々体調を崩されておりまして……恐らく、寝ていらっしゃるかと」

「……なんで人の部屋で寝てるんですかあのお姫様は!」

「えっと、私がそう勧めたんです……ごめんなさい……」

 アーミアとルレンティアの二人が聞き耳を立てているはず、と自信を持って宣言してしまったバラノは、それを外してしまい、顔を真っ赤にして恥じらっていた。
 そんなバラノを宥めるのは聖羅やアーミアに任せつつ、テーナルクはバラノに対する警戒を強めていた。

(結果的に予想を外した形でしたが……いつものルレンティア様なら、聞き耳を立てていておかしくありませんわ。アーミア様もそれに巻き込まれていたでしょう……予想は極めて正確であったと言わざるを得ません)

 たまたま死告龍との邂逅の後で、ルレンティアが体調を崩していたからこそ、予想を外しただけであって、十分な精度で予想はされていた。
 そもそも、ルレンティアとアーミアがこの国に来ていることを知る者はまだ少ない。騒ぎになったため、数日もすれば知れ渡ることだが、敵対国のザズグドスがすぐに知れることではない。
 聖女の一件がそれだけ大事ということは事実だが、すでにここにいることまで察されているというのは、バラノの先読みが優秀な証拠である。

(まさか、この一連の流れも全て計算……なのでは?)

 そうテーナルクが思ったのも、それだけ優秀なはずのバラノが不用意な恥を搔いていると思ったからだった。
 聖女風ドレスを着たまま街中を来たのも、考えてみればおかしな話である。
 ドレスを着るというのは、聖羅に仲間意識を抱かせ、なるべく早く親しくなるためのものだ。だが、それを何も首都に入る前から着ている必要はない。
 聖羅が許可したから当日に会えているだけで、本来なら数日は待つことになるだろうし、そうでなくとも身支度を調える時間くらいはある。
 城に入ってから着替えればいいだけのことなのだ。

(あえて衆人環視の目に触れることによって、恥を搔き、同じように恥ずかしい想いをしているセイラさんに共感を抱かせる……効果としては満点ですわ)

 先ほど外した予想も、口にする必要はなかったはずだった。
 確かに完璧に当たれば牽制として活きたかもしれないが、実際は外している。
 そもそも、一般的な上流階級の常識で考えれば、人の部屋の寝室に息を潜めて隠れているはずがない。
 聖羅やルレンティアの性格を読み切ったとすれば凄まじいの一言だが、分が悪い賭けだろう。

(本当は予想を当てるつもりなんて全くなくて、情けない姿を見せて、セイラさんに同情心を抱かせる策略……ありえますわ)

 テーナルクはそう思いつつ、もっと恐ろしい可能性にも思い至っていた。

(本人にそんなつもりはなく、自然体でそれをやっているのだとしたら……これは、本当に厄介な相手ですわね……)

 聖羅との交流を続けながら、その他の姫たちが優位に立ちすぎないように、手綱を握っていかなければならない。
 自分の役割が、ますます難しいことになっていくことを知ったテーナルクだった。

つづく

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第三章 2


 三人の姫と、ある程度の雑談を交わした後、聖羅は死告龍との触れ合いの時間が来たため、一度部屋を出て行った。
 本当なら、テーナルクも死告龍との顔合わせをする予定だったが、ルレンティアとアーミアが急遽やって来たため、先延ばしにすることにしている。
 部屋の主がいなくなってしばらくして、最初に沈黙を破ったのは、意外にも口数の少ないアーミアであった。

「……ルレンティア。あなたの感想が聞きたい」

「にゃ? あーみん、それは何に対する感想かにゃ? そのドレス姿についてなら、めっちゃ可愛いから、自信を持つにゃ!」

 アーミアとルレンティアが現在身に付けているのは、聖女風ドレスと呼ばれているもので、聖女キヨズミセイラの衣装を真似たものである。
 要はバスタオルを外せない聖羅の苦肉の策である、一枚の布で胸を覆い、それとは分離した形の腰布を纏うというものだ。聖羅は裸足だが、アーミアとルレンティアはくるぶしまでの靴を履いていた。
 その構造上、極めて肌の露出が多いのだ。
 それをルレンティアの言葉によって再認識させられたアーミアは、頬を赤く染めながら彼女を睨む。

「ふざけないで。いつもならしょうがないから付き合ってあげるけど、いまはダメ。真面目に答えて」

「にゃははは! ごめんにゃ! 性分だから許してにゃ」

 ルレンティアは最後のお菓子を摘まんで口の中に放り込み、租借して飲み込んでから言った。

「結論からはっきり言うにゃ――わからない」

 真面目な顔をしてルレンティアが口にした結論に、アーミアとテーナルクが息を呑む。
 そして、深刻な顔をして額に手を当てた。

「ルレンティアでもわからないなんて……」

「どうなっていますの……?」

「……考えられるのは異世界の人間だから、かにゃあ。もし、意識して内心を悟らせていないのだとすれば……せいらんはうちの百戦錬磨の商人よりも厄介な相手ということになるにゃ」

 ルレンティアが深々と溜息を吐く。
 その予測に、テーナルクとアーミアは顔を見合わせた。

「さすがにそれはないと思いたいですわね……」

「でも、その可能性はある。わざわざあんなことを口にするくらいだし……」

 アーミアは聖羅がわざわざ口に出して、自分たちにとって都合のいいことを言ったことに違和感を覚えていた。
 この世界の者達にとって、口に出す言葉というものは重い。
 言質を取られる、というのは聖羅の世界でもある言葉だが、この世界では重みが違う。
 口約束が血判状並みの重みがあるのだ。その感覚は聖羅にはなく、この世界の姫たちからすれば、聖羅はその重い約束を一方的に交わしたという形になる。

「てーなるん。せいらんがこの世界で生きていく力がないというのは本当かにゃ?」

「事実ですわね。セイラさんは魔法が使えません。誰もがその身に宿しているはずの魔力を一切持っていないのですわ。……死告龍の庇護がなければ、一般的な子供にも劣る戦闘力しかないと思います」

「……つまり、セイラさんはそれを自覚していて、あんなことを言ったということ?」

「ありえない話ではないにゃ。ああやって全てを委ねる約束を交わして、こちらの善意に委ねる……死告龍の庇護がいつまで続くかわからない以上、下手な扱いは国の滅亡に繋がるにゃ。必然、こちらはせいらんを丁重に扱うしかなくにゃる……いざ裏切られた時には、遠慮なく死告龍をけしかけられる……というところかにゃ」

「でも、セイラさんは人が死ぬところは見たくないと仰っていたけど?」

「それこそ罠だと見てるにゃ。せいらん本人に力がないなら、死告龍にやらせるしかないにゃろ? つまり、自分は見る必要はないにゃ」

「……ですね。セイラさんはあくまでも『できることはする』という言い方しかしませんでした。元の世界では一般人、などとおっしゃっていましたが、巧妙に言質を取らせないようにする言い方といい、交渉に長けていることは明らかですわね」

「そんな人が死告龍の庇護を得ている……下手すれば三国とも共倒れになる可能性まである」

 神妙な様子で頷きあう三人。

「……事は極めて危うい状態にあると言えますわ。普段お互いに思う事はありますが……ひとまず、事が落ち着くまではこの件に関して、全面的に協力するということでいかがでしょう?」

「異論はないにゃ。明確に期限を切ることは難しいにゃが、三国から死告龍がいなくなるまで、そうでなければ、時期を見て約束を結び直す、ということでどうにゃ?」

「……概ね賛成だけど、いなくなった後、約束を終えるのはみんなで話し合いの場を設けてからに。先走られても困る」

「にゃはは! バレちゃったにゃ。まあ安心するにゃ。せいらんはともかく……死告龍をどうにかしにゃいと、動きようがないからにゃあ」

 油断も隙も無いルレンティアに、テーナルクとアーミアは溜息を吐いた。
 テーナルクはそんなルレンティアに探るような視線を向ける。

「本当に、わからなかったんですわよね?」

「誓ってもいいにゃ。せいらんの内心はまったく掴めなかったにゃ。言葉だけを聞けば善人にゃが……それこそ、魔力の込められていない契約書って感じだにゃあ」

「本当に……やりにくいですわね……どう判断したものか」

「……ひとまずは、信用するしかない」

 そうアーミアが纏めて、二人の姫も頷く。
 こうして聖羅の真意を置き去りに、三国の姫は結束を強めるのであった。




 聖羅が深く溜息を吐くと、大人しく聖羅に撫でられていた死告龍・リューは不思議そうに首をもたげた。
 無論、即死の効果が発揮しないよう、聖羅に触れないようにしている。

『セイラ、どうしたの?』

「ああ、すみません。リューさん……なんでもありません。少し気疲れしただけです。人付き合いとはそういうものなので、リューさんは気にしなくても大丈夫ですよ」

 こう言っておかないと、リューが三国の姫たちに危害を加えかねなかったため、聖羅はそういっておいた。
 リューは聖羅がそういうのであれば、という様子で首を聖羅の傍に戻す。

『ふうん……リューにはよくわかんないや』

 聖羅がよくわからないことに思考を割いていることに対してか、少し拗ねたようにリューは呟く。
 そんなリューの頭部を撫でてあげながら、聖羅は苦笑を浮かべた。

(本当に……リューさんはもっと受け入れられててもおかしくないと思うのですが……)

 それなりに時間をかけて触れ合い、共に過ごしてきた聖羅にとって、リューはもはや恐怖の対象ではない。
 無論、体格や能力上気をつけなければならないことは多いが、それさえ気をつければ、あとは普通の人付き合いと変わらないと思っていた。

(制御の出来ない乱暴者ならともかく、リューさんは普通に大人しいですしね……)

 これは聖羅の視点からすれば、仕方のない勘違いである。
 聖羅は目的を果たしたあとのリュー、つまり『聖羅というツガイの候補』を見つけたあとのリューしか知らないからだ。
 それまでのリューは強い者がいれば飛んで行き、挨拶代わりに即死のブレスを放つ、まさに天災のような存在だった。
 そのことを聖羅は知識としては知っているが、実感はない。

『ねー、セイラー。ここにいるのが疲れるなら、リューの狩りについてくる?』

「……気晴らし、というのは少し惹かれますが……しばらくはやめておきます。色々準備しないといけないこともありますしね。気晴らしがしたくなったら、お願いしてもいいですか?」

『まっかせて! リューのだいすきな狩り場に連れていってあげる! その狩り場は、大きな滝が綺麗でね――』

 聖羅のことを気遣い、自分が知る素晴らしい景色を惜しげも無く見せてくれようとするリュー。
 その暖かさに触れ、聖羅の死告龍・リューに対する印象はどんどん一般からはかけ離れたものになっていくのであった。




 翌日。
 聖羅は三国の姫をリューに紹介するべく、まずは自分の部屋に大妖精のヨウを呼び出していた。

「ヨウさん。こちらのお二人が北のログアンのアーミアさんと、南のフィルカードのルレンティアさんです。いまから中庭にリューさんに挨拶しに行きますので、先触れをお願いできますか?」

『いいわよ。ただ……あなたたち、相応に覚悟しておきなさいね』

 ヨウはそう言ってその場から消えた。
 アーミアとルレンティアは大妖精に小間使いのようなことを頼む聖羅に、信じられない思いだったが、かといって普通の使用人を死告龍のいる中庭に向かわせることは出来ないとわかっているので、何も言えなかった。
 一方の聖羅は、ヨウがわざわざ警告を出したということに首を傾げつつ、三人を促す。

「では行きましょうか。リューさんは大人しい方ですから、心配しなくても大丈夫ですよ」

 聖羅の言葉は本心からの言葉だったが、リューのこれまでの暴れようを知る三人からしてみれば、頷きかねる発言である。
 三人はそれぞれ、曖昧な笑みを浮かべることしかできなかった。

 そして、三人はついに死告龍と対面する。

「リューさん。おはようございます。こちらがお話ししていた、お三方です」

 リューはいつも通り、中庭に身体を丸めて寝そべっていた。
 リラックスした無防備な体勢。その長い首を伸ばして、聖羅の傍に顔を寄せ、撫でることを求める。
 聖羅はいつも通りのリューに苦笑しながら、その鼻先を撫でてあげた。
 三人の中で、最初に前に進み出たのはテーナルクであった。ルィテ王族の矜持として、自分がまず口を開かなければならないと決意していたのだろう。

「お、お初にお目にかかりますわ、死告龍様。わたくしは――」

『ルィテのテーナルク、ログアンのアーミア、フィルカードのルレンティア……でしょ? セイラから聞いてる』

 リューはテーナルクの自己紹介を遮り、そう口にした。
 テーナルクは気圧されたように口をつぐみ、他のふたりも口を開くことはできなかった。

『セイラを傷つけたら許さないけど、そうじゃないなら好きにしたらいい』

 素っ気ないリューの言葉に、聖羅は戸惑う。

「リューさん。そんな言い方をしなくても……この人たちとも、仲良くしてあげて欲しいのですが……」

 リューには言えないが、聖羅はいつか自分の世界に帰るつもりである。
 そうなった後、リューが他の人間とも仲良くなれていれば、あるいはリューとツガイになってもいいという存在が出てくるかもしれない。
 リューにも、単に幸運なだけの自分より、人格的に尊重し合える存在とツガイになって欲しいというのが、聖羅の考えであった。
 しかし、その思いはリューによって否定される。

『セイラ。それはたぶん無理じゃないかな。だって――』

 若干の諦めを含んだ声音で、リューは尻尾の先でルレンティアを指し示す。

『そこの猫なんて、いまにも倒れそうだよ?』

「え?」

 指摘された聖羅が振り返ると、聖羅とはあれだけ快活に話していたルレンティアが、真っ青な顔をしていた。
 テーナルクも同様に顔色を悪くしており、唯一表情を変えていないのは、アーミアだけであった。
 そのアーミアはいまにも崩れ落ちそうな様子のルレンティアを支えている。

「えっ、ちょっ、ルレンティアさん!?」

「ご、ごめんにゃあ……せいらん。ちょっと、これはボクにはキツいにゃあ……」

 いまにも目を回して倒れそうなルレンティアに手を貸し、聖羅は急いで中庭から離れる。
 リューはわかっていたと言わんばかりの様子で、なにごともなかったように元の姿勢に戻ってしまった。

「どういうこと、なんでしょうか?」

 部屋に戻り、自分のベッドにルレンティアを寝かせた聖羅は、三人に尋ねる。
 気分が悪そうにしているルレンティアに代わり、その疑問に答えたのはアーミアだった。

「セイラさんには実感しにくいのかもしれないけど、死告龍……様の気配というのはとても強い。ルレンティアはそういうのに特に敏感な体質だから、こうなった」

「わたくしたちもそれなりに鋭い方ではあるので、少なからず影響はありますわ……アーミア様はグランドジーグ様との交流があるので、慣れていらっしゃるようですが」

「……わたしでも、死告龍様は怖い。グランドジーグ様は穏やかだけど、死告龍様の気配は刺々しいから」

「うー……これでも対策はしてきたんだけどにゃぁ……全然効果なかったにゃ……」

 かなりグロッキーになっている様子のルレンティア。他のふたりも、決して気分がいいとは言えない状態にあるようだった。
 そんな三人を見回して、聖羅は率直に感じたことを言う。

「あの……三人がこうなってしまうのであれば……行進や会合なんて、とても出来ないのでは……?」

「それは大丈夫ですわ。あそこまで接近することはないですし……わたくしたちの気分が悪くなったのは、それだけ魔力感知に長けているからですの」

「普通の人なら、もっと平気なはず」

「これでもボクたちは姫だからにゃあ……魔法の扱いに長けた者ほど、死告龍様の前には立てないにゃ」

「そうなんですか……あれ? イージェルドさんやオルフィルドさんは普通に接しておられましたよね?」

 聖羅はそう疑問を口にする。
 その疑問には、テーナルクが応えた。

「お二人はルィテの最重要人物ですわ。当然、守りも相応の魔法具で固めております。直接戦闘ではその守りも紙のようなものですが……」

「ボクも持てる限りの魔法具は持ってるんだけどにゃあ」

「ルレンティアはそれを差し引いても、感覚が鋭すぎるから」

「ああ、なるほど……」

 聖羅は納得すると同時に、「リューと友好的な関係を増やす」計画がいきなり頓挫したことを悟る。
 性格的な不一致ならまだしも、体質的な不一致はどうしようもならない。
 かといって、三国の姫を差し置いて貴族や使用人をリューと交流させるわけにはいかないだろう。
 聖羅が頭を悩ませているところに、さらに頭を悩ませる要素が増えた。
 聖羅の部屋に慌ただしくやって来たクラースが、こう告げたからだ。

「東のザズグドス帝国より特使が参られました! バラノ書記官が、キヨズミ様と死告龍様にお会いしたいとのことです!」

つづく

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第三章 1


 ルィテ王国首都王城内――聖女キヨズミセイラの部屋に、四人の女性が集まっていた。

 四人は円形のテーブルの周りに等間隔で腰掛けている。
 一人は当然、この部屋の主であり、他の三人がこの場に集った目的でもある清澄聖羅。
 彼女は突然開かれることになったこの懇親会に戸惑っていた。三人のうち一人は今日も来訪することが決まっていたが、他の二人は突然の来訪だ。戸惑わない方がおかしい。

(それにしても……初めて見ますね……)

 聖羅が内心呟きながらこっそり見ているのは、その突然の来訪者のうちのひとり。
 フィルカード共和国の姫であるルレンティナ・フィルカードである。
 巨大な湖に浮かぶ国という話は聞いていたため、褐色肌が日に焼けた結果なのか、それともそういう人種なのかはわからない。
 ただ、明らかに普通の人間とは違う点があった。
 その深い緑色の髪が覆っている頭部。その頭頂部から、柔らかそうな耳が生えていた。
 猫のような三角形をしたその耳は、ぴょこぴょことせわしなく動き、酔狂で身に付けている飾りではなく、彼女本来の身体の一部であることが明らかだった。

(獣人……存在するのは聞いていましたが、ルィテ王国にはほとんどいないんですよね)

 人間と共存している人間以外の種族のうち、獣人というのは極めて特異な事例である。
 聖羅は小説やゲームなどからのイメージで、魔族と人の合いの子を思い浮かべていたが、この世界においてはそうではないことをオルフィルドから聞かされていた。
 この世界の獣人は、人間と人間の間から稀に生まれることがあり、遙か昔には忌み子とされ、気味悪がられていた時代もあったという。
 しかし獣人は人間よりも高い能力を生まれ持っており、ある王家に生まれた獣人が様々な困難を乗り越え、盤石かつ平和な百年王国を築いたときから、獣人の評価は変わった。
 現在、獣人は『神々の加護』の一種であるとされ、生まれると国を挙げてのお祝いになる地域も少なくないとか。
 そんな希少かつ優秀なはずの獣人たるルレンティアは。

「んー! 美味しいにゃあ。やっぱりルィテのお菓子は最高にゃ!」

 テーブルの上に用意されたお菓子に、遠慮容赦なくパクついていた。
 自由奔放なその気質はとても王族には見えないが、これはフィルカード共和国という国そのものがそういった気質であるためらしい。
 フィルカードは国そのものが巨大すぎる湖に浮かんでいる。
 常に移動しているという意味では巨大亀グランドジーグの上にあるログアンと同じだが、その規模と形式が全く違った。
 ログアンが一心同体となって移動するのに対し、フェイルカードは個人単位、集団単位で切り離れての行動を可能にしているのだ。極端な話、ひとりひとりの居住区画が船としてばらけ、独立しての行動が可能になっている。
 そのくせ、いざ有事となったときの連携してことに当たる様は見事なもので、『個人主義の連帯上手』という奇妙な特徴を持っていた。
 そんな彼女の気質は十分に理解しているはずだが、相手をしていてどうしても疲れるのか、テーナルクが深々と溜息を吐いた。

「ルレンティア様……貴女は……全くもう……」

「……言っても無駄」

 頭を抑えているテーナルクに向かって淡々と呟いたのは、聖羅にとっては予定外の来客のもうひとり、ログアンのアーミアであった。
 アーミアはルレンティアに比べるとかなり大人しく、その振る舞いはルレンティアよりもよっぽど姫らしい。
 ただし、その身には『聖女スタイル』という――聖羅にとっても――赤面もののドレスをまとっていた。
 聖羅はそういったデザインのドレスが作られつつあるという話をクラースから聞いた時、制作をやめるようにイージェルドやオルフィルドに指示してもらうつもりだったのだが、とうにドレスはできあがっていたようだ。
 それをわざわざこの場に身に付けて来たのは、聖女の文化に合わせた姿をすることで、警戒心を緩めるという目的だろう。それくらいは聖羅にもわかる。

(でも……恥ずかしいなら、そんな格好しなくてもいいのに……)

 アーミアは表情こそ平静を装っているが、その白い頬や耳が赤くなっていて、その格好に羞恥心を覚えているのが明らかだった。
 自分もそうであるために、聖羅が現状最も親近感を覚えているのはアーミアかもしれない。そういう意味では、同じ服装を着てきたアーミアが期せずして最も聖羅の共感を得ていると言えた。
 なお、同じくその服装であるルレンティアに関しては、彼女が平然としているので、残念ながら聖羅の仲間意識は得られなかった。
 ともあれ、集まった面々に向かって、自分が何か言わなければならないと感じた聖羅は、口を開こうとする。

「ええと……」

 しかし、どう話を切り出したら良いのか、聖羅にはわからなかった。
 この場にいるのはそれぞれの国を代表する女性たち。
 聖羅の認識でいえば、国の外務大臣のような存在だ。そんな彼女たち相手にどんな話題を切り出したらいいのか、一般大学生の聖羅には荷が重い。
 そんな聖羅をフォローするように、テーナルクが話を切り出す。

「申し訳ありません、セイラさん。せめて、わたくしがお二人のことを説明するまで、応接室で待つように言ったのですけど、このお馬鹿さんが……」

「にゃ?」

「にゃ、じゃありませんわ!」

「だって聖女様に早くお会いしたかったんだにゃー。てーなるんばっかり仲良くなったらずるいにゃ」

 すっとぼけてはいるが、ルィテ王国に主導権を握らせないための行動だろう。
 一歩間違えば愚行だが結果として、三カ国が同じテーブルにつけている。
 態度は自然体で飄々としているだけにその真意が読みづらく、聖羅はまた油断のならない相手が現れたと感じた。

「あの……ルレン、ティアさん。その、聖女様というのはやめていただけませんか……」

「むにゃ? ダメなのですかにゃ?」

 キラリ、と明るいエメラルドグリーンの瞳が光ったような気がした。猫の瞳のように、瞳孔が縦に割れているのに気づき、聖羅は若干怯む。怯んだのは形そのものではなく、獲物を狙うようなその気配に、である。
 明らかに聖羅を見定めようとしている目だった。
 口と手は休むことなくお菓子を摂取しているが、決して気を抜いているわけではないと聖羅は確信する。

「ダメ、といいますか……私は元の世界ではただの一般人でしたので……皆さんのような王族の方々に様付けされるのが申し訳ないです」

「んー。わかったにゃ。じゃあ……せいらんって呼ぶにゃ! せいらんも気楽にルーって呼んでいいにゃ。ボクの名前、言い辛いにゃ?」

 そうルレンティアが口にした際、テーナルクとアーミアが若干驚いたように見えた。
 聖羅はそのことを目の端に捉えつつ、どうしてふたりが驚いたのか理解できなかったので、ひとまずルレンティアの言うとおりに応じる。

「では、お言葉に甘えて……ルーさんと呼ばせていただきますね」

「にゃはは! そんな畏まった言葉使いも必要にゃいけど?」

「私はこれが自然体ですので、お気になさらないでください。……アーミアさんも、どうか楽にしてくださいね」

 その聖羅の言葉に、アーミアは少し思考を挟んだ後、神妙に頷いた。

「……わかった。わたしはセイラさん、と呼ばせてもらう」

「いやぁ、せいらんと仲良くなれそうで良かったにゃー」

 呑気にお菓子を頬張りつつ、ルレンティアが呟くが、それは本心からの言葉だろうと聖羅はわかっていた。
 恐らく事前に聖羅の人となりについての調査はしていたのだろうが、型破りなルレンティアの行動は、もし聖羅が気難しい相手だったら悪印象を与えかねない。
 それをわかっていて、それでも踏み込んで来たあたり、大胆不敵ではある。
 だが、その結果テーナルクに主導権を握られることなく、聖女キヨズミセイラとの交流を行うことに成功している。

(全力で最適解を獲りに来る人しかいないんでしょうかこの世界……いえ、私がそういう人とばかりと交流する羽目になっている、と考えるべきでしょうか……?)

 聖羅はそう考えつつ、三人の姫を見つめた。
 性格も気質も全く異なる三人だが、それぞれがそれぞれ、国の命運を握っている。
 聖羅のように流されてこの場に存在している一般人とは、心構えも何もかもが違うのだ。

「それにしても急なご来訪でしたけど……例の式典や会合はまだ先だったのでは?」

「そうですわね。準備などを考えても、まだしばらくは先の話になりますわ。日程すら決まっていないくらいですので」

 聖羅の疑問を、テーナルクが補足する。
 国の重鎮を集めなければならないのだ。当然、警備の関係や段取りの調整など、やるべきことは無数にあり、明日明後日にやろうといって出来ることではない。
 聖羅の疑問に対し、ルレンティアが答える。

「そりゃあ、せいらんと交流するためにゃ。式典や会合だけじゃわからないこともあるしにゃ」

「……わたしも同じ。一刻も早くセイラさんの人となりを知りたかった」

 ログアンは巨大な亀の背にある国家であり、死告龍を制御しうる聖女の存在の見極めは最重要事項だ。
 そのことは聖羅もテーナルクから聞いていたので、そうだと思ってはいた。

「ルィテとは親交があるからにゃ。『扉』が繋がっているのにゃ。だから来ようと思えばいつでも来れるのにゃ」

「……危うく衝突するところだった」

 苦い顔をしてアーミアが呟くと、ルレンティアはけらけらと笑う。

「考えることは同じだにゃあ。危うく来期の転移予算が吹っ飛ぶところだったにゃ! にゃっはは!」

「笑えない……ほんっっとうに笑えないから……っ」

 楽しげなルレンティアに対し、なんとも苦い顔をするアーミア。
 聖羅はその会話の内容が気にかかった。

「あの……衝突ってどういうことですか?」

「転移門のことは知っているかにゃ? 転移先の座標を決めるための門なんだけど、普通この門はいくつも用意しないにゃ」

「門を複数用意すればその分管理維持費も増えるし、門が多いということはそれだけ攻められる道も多いってことだから、国防的な意味でもなるべく少ないのが望ましい」

「それは、なんとなくわかります」

「でも出口が一カ所しかないから、稀に別々の国が同時に扉を開こうとしちゃうときがあるのにゃ。そうすると、転移魔法の衝突が起きて、両方の魔法が解除されてしまうにゃ」

「魔力は門を開こうとしたときに消費するものだから、もし衝突してしまったらその分の魔力が無駄になってしまう」

「ああ、なるほど……それは、物凄く辛いですね」

 聖羅は事情を理解して頷いた。
 転移門は国が計画を立てて開くものであり、そのための魔力という燃料を積み立てておく必要があるほどのものらしい。
 それが他の国のものと衝突して、無為に帰してしまえば、それは大損害だろう。

「そうならないよう、普段は国家間で連絡を取り合うんだけどにゃ。今回は急だったから、危うくログアンと同時刻に門を開くところだったにゃ」

「ルレンティアが連絡して来てくれて助かった……それはお礼を言っとく」

「にゃはは! 嫌な予感がしたからにゃ! 迷宮攻略じゃあるまいし、先か後かはそんなに問題じゃないしにゃー」

 ルレンティアは気楽に会話を繰り広げているが、転移するための魔力が無駄に消費されていたら、国が傾きかねないほどの大打撃を受けてしまっていたところだ。
 なにげに危ない綱渡りをしているのだった。
 国の命運をかけ、様々な努力を重ねていることを聖羅は感じ、その努力が少しでも報われて欲しいと思った。
 また、過剰に無駄な努力をさせないために、言っておくべきことがあった。

「……先ほども言いましたが、私は元の世界ではただの一般人でした。ですので、単刀直入に申し上げます」

 改まっての聖羅の発言に、三人が警戒を強めるのがわかる。
 それでも聖羅は言葉を止めない。

「私は聖女などと呼ばれていますが、リューさ……死告龍さんに対し、強制的に言うことを利かせられる特別な能力があるわけではありません。非常に繊細な事情があるため、理由は明かせませんが、ある理由から死告龍さんは私の言うことをある程度聞いてくれているだけ、だと思ってください」

 聖羅の言葉を、三人は黙って聞いていた。
 先ほどまで軽い調子だったルレンティアすら、真顔になっている。

「端的に言って、私は死告龍さんに見放される可能性が常にあります。不快な気持ちにさせるようなことをすればそうなる危険が常にあるのです。私としても、死告龍さんに無理を聞いてもらったり、お願いすることは極力したくないのです。あまり過度な期待はしないでください」

 聖羅はそう言ってから、これだけではあまりに冷淡すぎると思い、付け足す。

「ただ、私自身にはこの世界で生きていけるだけの力がありません。ゆえに、食事や住まいを提供してくださっているルィテ王国の皆さんには出来る限り恩を返したいと思っていますし、いかに別世界の人間とはいえ、たくさんの人が死んだり苦しんだりする様を見たいとは思いません。微力ながら出来ることはしたいと考えています」

 それは、聖羅としては正直すぎる心情の吐露だった。
 要は「自分に出来ることはしたいけど、死告龍に嫌われるのも怖いからやれることしかしないよ」という宣言だ。
 元の世界でこんなことをいえば弱みにつけ込まれ、言いように利用されるだけだろう。そうでなくとも、日和見主義と見られていい感情を抱かれないのは間違いない。
 それを頭ではわかっていて、聖羅はそれでも口にした。
 臆病で脆弱な自分が示せる、この世界の者達へのせめてもの誠意だと考えていたからだ。
 至って自分本位で、自分勝手な内容の宣言を受けた三人の姫は。

「セイラさん。お気持ちはわかりますが、もう少し伝え方というものがあると思いますの」

 テーナルクは額に手を当てて溜息を吐き、

「にゃはは! いいじゃないかてーなるん。ボクはかえって安心したにゃ」

 ルレンティアは軽い調子に戻ってお菓子を摘まみ、

「……」

 アーミアは何も言わないまま、黙考しているようだった。
 少なくとも軽蔑の視線を向けられるなど、極端に嫌われはしなかったようで、聖羅は逆に拍子抜けしてしまった。
 ルレンティアが新しいお菓子を口に運びつつ、言う。

「ところでせいらんの生まれた異世界って、どんな世界なんだにゃ? 差し支えなければ教えてほしいにゃ」

「あ、はい。それならいくらでも……」

 聖羅は自分が暮らしていた世界がどういう世界だったのか、説明することにした。
 すでにイージェルドやオルフィルドにも話している内容だったので、いまさら黙っておく必要もない。
 その後、四人の女性のお茶会はそれぞれの話を交えながら、表面上は穏やかに進行していったのだった。

つづく
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