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黎明媚態

露出系、羞恥系の18禁小説を書いています。関連の同人・版権作品のレビューも書きます。18歳以下の閲覧禁止。

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第六章 おわり


 ルレンティアは獣人である。
 ゆえに、彼女は動物的な直感に優れており、本能的に物事を判断することに長けていた。

 そんな彼女は、現れたその大鹿を一目見て――勝てない、と悟った。

 フィルカードの王族であるルレンティアは、他の国の王族に比べても、様々なことをひとりで出来るように鍛えられている。
 その様々なことの中には、当然戦闘も含まれており、元々肉体的にも優れた獣人であるルレンティアは、下手な戦闘専門の人間よりも強いのは確かだ。

 だが、その彼女をして、大鹿は明らかに勝てない相手だった。

 その研ぎ澄まされた肉体美にうっかり見惚れてしまいそうになるほど、その大鹿の身体能力は明らかに高かった。
 さらにその内包する膨大な魔力量は、少し距離が離れている状況ですら明瞭に感じるほどだった。
 そんな大鹿の巨大な角に、青白い雷光が灯る。

「――ルレンティア!」

 そう叫んだのは、アーミアだった。
 戦力差を誰よりも正確に理解したがゆえに、大鹿の迫力に飲まれていたルレンティアがその叫び声で正気に戻る。
 彼女は大鹿の行動に反応し、五人の足下に魔方陣を展開していた。
 杖を地面に突き刺し、渾身の魔力を注いでいるのがわかる。
 展開された魔方陣が光り輝き、半透明の白いドーム状の結界が五人を覆った。

 その結界に向け、大鹿の角から迸った雷撃が叩きつけられる。

 雷撃は結界にぶち当たり、轟音が生じた。
 一瞬で結界にヒビが入って、伝播した衝撃が術者を襲い、アーミアがその場に膝を突く。
 杖が激しく震動していた。それを抑え込むようにアーミアは杖を握り続ける。
 その掌から血が噴き出した。

「ぐっ……ッ!」

 アーミアの口から押し殺した呻き声が漏れる。その口の端から血が一筋零れた。
 雷撃の嵐は数秒続き、唐突に止んだ。
 それと同時に、アーミアの張った結界が砕け散る。
 大鹿は鼻息荒く、苛立っているのを隠そうともせず、その場で蹄を地面に叩きつけた。
 角に宿っていた雷光は消えている。

「……ッ、さすがに、無尽蔵ではないよにゃ!」

 ルレンティアはそう分析し、斜め前に向かって駆けだした。
 固まっていては再度雷撃を撃たれた時にその一撃で全滅する。まっすぐ走らなかったのは、少しでも大鹿の意識を散らすためだ。
 同時に、攻撃魔法の詠唱を終えたテーナルクが、掌に宿した火球を大鹿に向けて投げつける。
 火球はうなりを上げて空を駆け、大鹿の胸の辺りに着弾した。
 だがテーナルクは悔しげに呻く。

「だめ、ですわ……!」

 大鹿の体表面を多少焦がした程度だった。
 火球の威力は申し分なかったが、大鹿の身体には常に電撃が流れている。
 火球が大鹿の身体に接する前に、その電撃が走って爆発させられていたのである。
 それは、ルレンティアの機動力を活かした突撃も封じていた。

(下手に近づけば電撃の餌食……にゃら!)

 ルレンティアは渾身の力で掬い上げるように腕を振るい、砂浜の砂を盛大に舞い上げた。
 砂浜の細かい砂粒が大鹿へと襲いかかる。身に纏う電撃が砂粒に反応するが、すべてを撃ち落とせるほど、襲いかかった砂粒は少なくない。
 大鹿は視界を遮られるのを嫌ってか、素早くその場から横っ飛びで逃れた。一瞬で十数メートルは跳び、砂粒がかからない位置まで移動する。
 その隙にルレンティアは森の中に身を潜めようと走った。

 だが、森に入る寸前で思いとどまる。

 ルレンティアの侵入を拒むように、植物の蔦が蠢いているのを見てしまったからだ。
 直感に優れたルレンティアでなければ、気付かずそのまま森の中に入り、蔦に脚を取られていたことだろう。

(くっ……! あの触手型の魔物と違って、植物自体に意思があるようには感じにゃい……ということは……!)

 ルレンティアは砂埃の向こうにいる大鹿を睨む。
 大鹿の眼は、砂埃越しでもルレンティアを見据えるように、爛々と光っていた。
 その様子から核心に至ったルレンティアは、絶望的な気持ちになりながらも、情報を共有する。

「あいつ、植物も操るにゃ!」

「なんですって!?」

 テーナルクが絶望的な顔をして叫ぶ。
 それは無理もないことだった。開けた砂浜で遙か格上の相手と対峙するほど、絶望的なことはない。
 森の中に入ることができれば、死角からの強襲を狙うことも出来るが、身を隠すことの出来ない砂浜ではそれも望めない。
 植物を操るのであれば、森の中に逃げるのは自殺行為だ。
 かといって、水上拠点に乗って逃げようにも、射程外に逃げる前に、巨大蜘蛛のように雷撃をお見舞いされてしまうだろう。

(詰んでるにゃ……!)

 改めて絶望的な状況を実感し、ルレンティアが思考を止めたのは一瞬。
 その一瞬で、大鹿が彼女の目の前まで迫っていた。
 近づかれたことで、大鹿の身に纏う電撃が走り、ルレンティアの身体を硬直させる。
 大鹿の振り上げた前脚の蹄が、逃げられない彼女に振り下ろされようとしていた。

(しまっ――)

 死を悟ったルレンティアの眼に、大鹿の振り下ろす蹄がスローモーションに映る。
 その彼女の身体を、真横から飛んできた空気の塊が突き飛ばす。わずかに位置がずれたことにより、大鹿の振り下ろした蹄は外れ、砂浜に巨大なクレーターを作りながら衝撃波を周囲にまき散らした。
 ルレンティアはそれに巻きこまれ、きりもみ状態で吹き飛んだが、負傷度合いは軽い。

 見れば、バラノが肩で息をしながら、手を翳していた。

 バラノは戦闘員ではなく、魔法も得意な方であるとは言いがたい。しかし使えないわけではない。
 彼女が翳した手には小さな魔石があり、それが砕け散っていた。
 彼女自身の魔法は弱いものだが、魔石の力を使って増幅させ、ルレンティアを突き飛ばすほどの威力にしたのだ。
 万が一の切り札として、バラノが密かに持っていたものだ。
 素の対応力に劣る彼女が、そういった仕込みをするのは当然である。

(助かったにゃ! ――けど!)

 ルレンティアの命は助かったが、大鹿に影響を与えられたわけではない。
 大鹿は砂浜に埋まった蹄をこともなげに抜き、ぐるりと身体を反転させてバラノたちのいる方向を見る。
 その四肢に力が籠もり、バラノもろとも蹴散らそうとしているのがわかった。

「まずい……っ! こっちだにゃ!」

 咄嗟にルレンティアは魔法を用いて、拳大の石を生成し、いくつか大鹿に向けて放った。
 だが、相手をするに値しないと判断されたのか、大鹿が身体に纏う電撃が自動的にそれらを迎撃し、大鹿自体はバラノたちの方へ向いたままだ。
 同様に少し移動していたテーナルクも攻撃魔法を放つが、自動迎撃されて大鹿の気すら引けなかった。
 止められない、とふたりが思うのと、ほぼ同時に。

「鹿さん! 待ってください!」

 聖羅がバラノよりも前に出ながら、彼女を庇うように両手を広げ、そう声を張り上げた。抱えていたリューは先ほどまで立っていた場所に降ろしている。
 彼女は神々の加護が宿ったバスタオル一枚で、絶対防御の効果こそあるが、攻撃手段はない。
 ゆえに声をかけることしか出来ないのだ。
 そして大鹿は、そんな彼女の呼びかけを聞き――

 一瞬で距離を詰め、その身体に向けて前脚の蹄を振り下ろした。

 蹄は聖羅の後頭部を抑え、そのまま真下に降ろされたため、聖羅は上半身を砂浜に埋めることになった。
 容赦のない一撃であり、普通の人間ならば熟れた果実の如く頭の中身をぶちまけていたところだ。
 加護を持つ聖羅ゆえに、頭が潰れることはなく、負傷することもなかった。
 ただ、彼女自身はただの人間であるため、上半身が砂浜に埋められ、呼吸が出来なくなったために下半身をばたつかせて暴れる。

 あられもない姿ではあるが、そんなことを気にしている余裕は、本人にも他の四人にもなかった。

 一方、大鹿は大鹿で、潰すつもりで蹄を叩きつけたにも関わらず、聖羅が潰れていないのに戸惑っているようだった。
 再度蹄を振り上げるべきか、そのまま砂の中に埋めてしまうか考えているようだ。

 その巨体が、横薙ぎに吹き飛ばされる。

 一瞬で距離を詰めたリューが尾で大鹿を吹き飛ばしたのだ。大鹿はもんどり打って砂浜に倒れ込み、水柱ならぬ砂柱を立てる。
 リューは小さな身体からは想像できないほど、激しい威嚇の咆哮をあげて大鹿に追撃を行う。
 口内が黒い光に溢れ、即死のブレスが大鹿へと放たれた。

 だが大鹿もさるもの。

 即座に体勢を立て直し、砂浜を蹴ってブレスの範囲外へと逃れる。
 大鹿が後退しながら角を振ると、雷光が丸まって出来たような球体がいくつも中空に発生し、その球体からトゲが伸びるように雷撃が発生した。
 襲いかかる雷撃を、リューは紙一重で避け、大鹿へと再度ブレスを放った。
 大鹿は胴体と同じくらい大きな角を用いて、砂浜の砂をひっくり返すように巻き上げる。ブレスは巻きあげられた砂を物ともせず貫いたが、その先に大鹿はいなかった。
 一瞬、相手を見失ったリューが視線を巡らせる。

 そのリューの頭上から、大鹿は降ってきた。

 巻きあげた砂に紛れて跳んだのだ。
 巨体であることを逆手に取った、意識の外からの攻撃。
 直前で気付いたリューが、振り下ろされた大鹿の蹄を角で受けとめる。
 轟音が周囲に響き渡り、衝撃派が砂を押しのけながら、二頭を中心に広がった。
 怪物同士の戦い。人が巻きこまれればただではすまない攻防の嵐の中、テーナルクが砂に埋もれた聖羅を救出する。

「セイラさん! しっかりですの!」

 砂に埋もれて呼吸が出来ていなかった聖羅は、激しく咳き込み、口の中に入った砂を吐き出した。

「げほっ、げほっ! な、なんとか大丈夫です……」

 テーナルクが聖羅に手を貸し、立ち上がらせている間も、戦いは続いていた。
 広範囲に広げられた雷雲が渦巻き、そこから無作為に雷撃が落ちて砂浜の至るところにクレーターを生じさせる。リューのブレス並みの広範囲攻撃だった。
 聖羅はそのうちの一本が、自分たちの頭上で渦巻いているのを見てしまう。

(まずい……! 私はともかく、テーナルクさんが!)

 聖羅は咄嗟に、テーナルクの腕を引き、胸に抱き締めるようにして彼女を庇った。
 守らなければと感じたがゆえの、咄嗟の行動。
 その聖羅の背に、雷が直撃した。
 衝撃が彼女の身体を通じて足下に抜け、ふたりの立っていた場所の砂を舞い上げる。

「せいらん! てーなるん!」

 青ざめたルレンティアが悲鳴をあげる間にも、大鹿とリューの激闘は続く。
 リューが大鹿の胸元に蹴りを入れ、大きく吹き飛ばす。そこに追撃のブレスを吐いた。
 大鹿はそれを素早く後退することで回避する。
 本来のリューの体格であれば回避が難しいほどに極太なブレスとなるのだが、現状のリューの体格では十分回避可能なブレスしか放てないのだ。

 だが、それでも即死範囲攻撃が連発可能という事実は変わらない。

 連続でブレスを放ち、徐々に大鹿の逃げ道を塞いでいく。
 いよいよブレスが大鹿を捉える、というところで、溜まらず大鹿が森の中へと退いた。
 木々という遮蔽物が多い場所ならばさらに回避の目はあがるのだから、判断は間違っていない。
 それでもリューのブレスならば、木程度の遮蔽物など関係なく穿つことが出来ただろう。

 だが、リューはブレスを撃たなかった。

 大鹿はこれ幸いとばかりに森の奥へと逃れていく。
 もう少しで大鹿を仕留められるところだったはずのリューは悔しげに唸り、ゆっくりとその場に降りて蹲る。
 今のリューにとって、大鹿はかなりの強敵であったようだ。かなりの体力を消耗してしまったらしい。
 ともあれ、大鹿の脅威は一端去った。
 ルレンティアは電撃を喰らって痺れの残る身体を奮い立たせ、現状を見渡す。

「みんな、生きてるよにゃ……?」

 最初にその呼びかけに答えたのは、バラノだ。
 地面に伏せ、砂を被ってしまったらしく、砂まみれになった頭を払いながら立ち上がる。

「こちらはなんとか……ルレンティア様、先ほどは乱暴に申し訳ありませんでした」

 咄嗟に風の魔法で突き飛ばしたことに対する謝罪だと理解したルレンティアは、軽く手を振って答える。

「気にしないでいいにゃ。あれがなかったら死んでたしにゃ」

 緊急回避というには乱暴だったが、魔法の扱いに長けているわけでもないバラノの精一杯だったのはルレンティアもよくわかっている。
 次に動いたのは、杖を抱えて蹲っていたアーミアだった。

「わたしは、少し、きつい……」

 一撃目の極大雷撃を結界で防いだアーミアは、その代償に体内器官にダメージを負っていた。
 その献身がなければ、聖羅とリュー以外は全滅していたかもしれず、またリューにも多少のダメージが入って大鹿を撤退させられなかったかもしれない。
 ある意味最大の功労者な彼女に、文句のある者がいようはずもない。

「命があればいいにゃ。問題は……」

 ルレンティアは急いで聖羅とテーナルクの元に駆け寄る。
 聖羅が庇ったとはいえ、大鹿の雷撃をまともに受けたのだ。絶対防御の加護がある聖羅と違い、テーナルクは致命傷の可能性がある。
 テーナルクを抱きかかえた聖羅は、近づいてきたルレンティアに潤んだ目を向けた。

「ルレンティア、さん……! テーナルク、さんが……っ」

 ルレンティアは聖羅の傍にしゃがみ、テーナルクの様子を見る。テーナルクは眠っているように目を閉じている。
 ルレンティアが最悪の覚悟をして触れようとすると、その目が少し開かれた。

「てーなるん!」

「テーナルクさん!」

「だい、じょうぶ、ですわ……しびれて……うごけ、ませんけども……」

 ひとまず生きて喋れる程度ではあることがわかり、聖羅とルレンティアはほっと胸をなで下ろす。

「喋れるなら、ひとまずは安心にゃ……せいらん、こっちは任せて欲しいにゃ」

 ルレンティアはそういって、聖羅からテーナルクを預かる。
 聖羅はその意味をすぐに理解し、立ち上がった。その足下は少しおぼつかなかったが、すぐに安定する。
 そして、地面に降りて蹲っているリューの元へと急いだ。
 リューは聖羅が近づいてきたことを感じ取ったのか、首だけを持ち上げて、聖羅の方へ顔を向ける。

「くるる……」

「リューさん、皆さんを助けてくださってありがとうございます」

 力無く鳴くリューを、聖羅は抱え上げて抱きしめる。
 リューが戦ったのは聖羅を助けるためであり、他の面子を助けようとしたわけではないのだろう。
 だが、結果として全員が助かったことは事実であり、聖羅はその思いをそのまま言葉にした。
 リューは内容よりも聖羅に褒められたことが嬉しいのか、聖羅の首筋に擦り寄る。
 聖羅はこのときばかりはリューの好きなようにさせた。
 そんな聖羅とリューの様子を窺いつつ、バラノは状況を見定めていた。

「これは……大変厳しい状況ですね」

 聖羅とバラノにはほとんどダメージはない。だが、この二人は率先して前線を張れる能力を持たない。
 防御の要であるアーミアは、結界を強引に突破されたことによる反動で体内外にダメージを負っており、回復に時間を有する。
 攻撃と探索を引き受けられるルレンティアは比較的軽傷だが、ダメージがないわけではない。電撃によって受けた体の痺れは、彼女の最大の長所である機動力を削いでいる。
 魔法を扱いこなし、補助に長けたテーナルクは雷の直撃を受け、一番深刻な状態だ。聖羅が庇ったことで即死こそ免れたが、しばらくは動くこともできないだろう。
 そして最大の戦力である死告龍・リュー。大鹿を退けるほどの力を持つが、激戦による消耗が激しい。再度大鹿が襲撃してきた際には、凌げるかも怪しい。
 大鹿も無傷ではなく、その回復には時間がかかるだろうが、敵が大鹿だけではない可能性もあり、楽観は出来ない。

 極めて危険な状況に、彼女たちは立たされていた。

つづく

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第六章 3


 清澄聖羅は、自分のことを平々凡々の一般庶民だと考えている。

 実際、この場にいる他の四人の女性に比べれば、特別秀でた能力はなく、こちらの世界にとっての異世界出身であること以上の、特別な出自であるわけでもない。
 だが、そんな聖羅でも――あるいはだからこそ――アーミアの問いかけを聞いて、自分と相手とで、前提とする常識に齟齬がある事に気付いた。
 聖羅のいた世界が「嘘や偽りが当たり前に存在する世界なのかどうか」を訊くということは、それはつまりこちらの世界では「嘘や偽りが当たり前ではない」ということだ。
 その事実を認識した聖羅は、いままでうっすらと感じていた違和感の正体がそれだということを、ようやく明確に認識することが出来た。

(そういうことだったんですね……理解できました)

 聖羅は平凡ではあっても愚鈍ではない。
 アーミアの質問からこちらの世界では嘘や偽りが普通に存在しないことを理解した。
 そして同時に、そんな世界で『平然と嘘や偽りを告げることが出来る自分』が、相当な優位に立てることにも考えが至っていた。
 相手が嘘を吐けないのなら、情報戦において優位に立つことは容易だ。対して自分の側は虚偽のし放題となれば、そのアドバンテージは計り知れない。
 ゆえに聖羅はここでアーミアの問いに対し、「そうではない」と答えるべきだったのかもしれない。
 嘘や偽りを自然と口に出来るということを知られるのは、マイナスの印象を抱かれる可能性も高く、今後自分の言動を信じて貰いにくくなるということも考えられる。
 だが。

「そう、ですね。私の元いた世界では……悪徳ではありましたが、嘘や偽りは当然のように行われていました。約束したことを直前になって平然と覆す人がいたり、聞こえのいい嘘の話で人を騙し、金銭などを不当に奪い取る犯罪が横行していたり……しました」

 聖羅は真実をそのまま告げていた。それが自分の立場を悪くすると知っていても、真実をそのまま口にすることを選んだ。
 聖羅は平凡ではあっても、悪辣ではない。
 絶対的な優位を捨て、不利な立場に甘んじることを躊躇いはしなかった。
 それは愚かな行いであるともいえ、一歩間違えば完全に孤立した立場に置かれかねない選択だった。

 だが、そんな選択をしてしまう聖羅だからこそ――最悪の展開は回避出来た。

 聖羅とアーミアのやり取りを聞いて、最初に動いたのはテーナルクだった。
 彼女はアーミアを睨むように見て、口を開く。

「アーミア様、どういうことですの? どうしてそういう話になったのか、説明していただけますか」

「魔界に呑まれる直前、セイラさんと雑談をした。その内容は好きなもの、嫌いなものについて。嫌いなものについて語る際、セイラさんは『約束を守らない人が嫌い』と言った」

 アーミアから端的に示された経緯を聞いて、テーナルクを含むその場にいた全員が、納得したと言わんばかりの反応をする。
 この世界において、『約束を守らない人が嫌い』というのは、聖羅の世界で『殺人鬼が嫌い』というのと変わらない。
 殺人鬼は忌避されるものだが、好き嫌いの基準で語られる存在ではないだろう。ゆえに、アーミアは自分と聖羅とで前提とする常識に齟齬があることに気づけたのである。
 経緯を理解したテーナルクは、深々と溜息を吐く。

「だからといって、何もこの場で……いえ、この場だからこそ、ですわね……」

 テーナルクがちらりと見たのは、バラノの方だった。
 ルィテのテーナルク、ログアンのアーミア、フィルカードのルレンティア。それぞれ国での立場はあれど、三国は友好関係にあり、この三人は基本的には味方である。
 もし「三人が結託して自分を騙そうとしている」と、嘘や偽りに慣れた聖羅に判断されてしまえば、今後の交流に悪影響が生じかねない。それは避けねばならなかった。

 だが、この場には敵対国家であるザズグドズ帝国のバラノがいる。

 バラノは唯一、三人と立場を異にする存在であり、いわば第三勢力だった。
 三人と足並みの合わないことが、この場合は良い方向に働くのだ。

「……ログアンの姫御子様はこういった搦め手は苦手だと思っておりましたが」

「実際苦手。だから、共有したかった」

 聖羅が「嘘や偽りを普通に口に出来る世界から来た」ということにアーミアが気付けたのは偶然だ。
 他の三人が気付くかどうかは運次第であり、うまく立ち回ればアーミアだけがその情報を握ることは出来ただろう。
 さらにその上で、自らとのみ共謀できるように聖羅を説得できれば、情報戦においてアーミアは他の三国を完全に出し抜き、状況を思い通りに操作できる可能性もあった。
 ルレンティアはまた性質が違うが、政治や交渉に長けたテーナルクやバラノであれば、当然その道を模索したはずだ。
 アーミアがそうしなかったのは、彼女自身がそういった交渉戦に特化していないということを自覚しているためである。
 さらに加えて。

「それに――セイラさんに謀略は無理だと思った。それは皆も感じたはず」

 アーミアがこの段階まで気付いた事実を口にしなかったのは、それ自体が聖羅の仕掛けた罠ではないかと考えていたからだ。
 テーナルクやルレンティアも同席した場で行われた、最初の顔合わせの際、三人は聖羅のことを「底の知れない存在」だと感じた。本人が言うような一般人には思えなかったのである。
 そのために育てられ、教育を受けた自分たちと対等に駆け引きをし合える存在なのではないかと考えたのだ。
 それは世界そのものの前提が違うことによる差であったわけだが、聖羅の背後に控える死告龍という最悪のカードが切られた時のことを考えると、聖羅を警戒しすぎるに越したことはなかった。
 ゆえに、いまのタイミングまでアーミアは「聖羅のいた世界が虚偽を前提とする世界」である可能性を黙っていたのだが。

「セイラさんは本人の言うとおり――極普通の、人間」

 奇しくも、死告龍たるリューに向けた無防備な笑顔がアーミアの警戒を解いた。
 聖羅が、真実を隠し、人を騙し、利を得ようとする、そんな悪辣な人物ではないと。
 そのことをアーミアは読み取り、自分が――ひいてはログアンだけがアドバンテージを得る道を放棄した。
 聖羅の性質も考えれば、もし聖羅を取り込むことに成功したとしても、その謀略が良くないタイミングで他の三国に露見する危険性の方が高かったためだ。
 そのアーミアの説明に、他の三人も納得したようだった。

「あーみんらしい判断だと思うにゃ」

「そうですわね……こうなってみると、セイラさんとの交流開始が遅くなったのは、かえって良かったかも知れませんわね」

「……テーナルク様だけがこの情報を握っていた時のことを考えると、震えが来ますよ」

 バラノはそう言って息を吐く。
 もしテーナルクがもっと早くから聖羅と交流を持っていたらどうなっていただろうか。
 話す回数が増えれば増えるほど、仲が進展すればするほど、聖羅の世界の真実に、聖羅の持つ特質に気付く可能性は高まっていただろう。
 一対一で交流している間にそのことに気付いたのなら、当然テーナルクは聖羅の特質をルィテ王国の利益のために秘する道を選んだだろう。
 そうなっていた場合、他の三国はかなり不利な立場に立たされることになっていたはずだった。

「理想をいえば、第三者視点の立場には死告龍様や大妖精様がいてくれればよかったんだけど。死告龍様はその状態だし……ともあれ、セイラさん。わたしたちの言葉が信じられなければ、そのお二方に訊いてみるといい。お二方は、わたしたちの立場を斟酌しはしない」

「アーミアさん……大丈夫です。お気遣いありがとうございます」

 聖羅はアーミアに気を遣われている事に気づいていた。
 なるべく聖羅が不安に思わないように、立場の違う存在からそれぞれの話を聞くように促されているのだと。

(それにしても……基にする常識が違うと気付いたからといって……それにすぐ対応できるあたり、この人たちは、本当に……)

 いまだに元の世界の常識を引き摺る聖羅とは、やはり出来が違うのだ。
 それはそれ相応の教育を受けているかどうかの違いではあるのだが、聖羅は改めてこの四人と腹の探り合い、駆け引きのし合いをするには自身が力不足であることを自覚する。

(幸い、この人達は善良な方達のようですし……ここまで気を遣ってもらいましたしね)

 彼女たちを信じて任せるべきかもしれないと聖羅は考えていた。
 国を背負っている立場にある以上、彼女たち本人の善良さは必ずしも絶対ではないが、そもそも本気で策謀の張り合いになったら聖羅に勝ち目はないのだ。
 最低限の警戒心を持っておくことは忘れられなかったが、聖羅は彼女たちを信用すると決め、少し心が軽くなったことを感じる。

「聖羅さんの特性については、この五人の間での秘密ということにいたしましょう。皆さんも、それでよろしいですわね?」

 テーナルクがそう口にすると、全員が躊躇なく頷いた。

「外に漏らしてもいいことないからにゃあ」

「不要な疑心を生むだけ」

「セイラさんは善良な方ですし、問題ないと思います」

(……言われているほど、私は善良ってわけでもないと思いますけど)

 聖羅は善良ではあっても、平凡な存在である。
 なるべく誠実であろうとは努めているものの、彼女はそれを死ぬまで貫き通せはしないとも考えていた。
 いざというとき、自己保身に走ることがないとは言えないのだ。
 とはいえ、少なくともリューやこの場にいる四人の助けがあるうちは、強いて保身に走る必要が生じることがそうそうあるとも思えない。
 聖羅にも人並みの欲はあるものの、かといって溢れんばかりの金銀財宝を差し出されると困ってしまう庶民でもあるのだ。
 衣はさておき、食と住が最低限保証されているいまの状態で、全く困ることはなかった。

「せいらんのことはひとまずそれでいくにゃ。さしあたっても、この魔界からどう脱出するかを考えないとにゃ」

 聖羅の特質がわかっても、彼女たちが現在やるべきことは変わらない。
 ルレンティアがそう締めくくり、全員が意識を切り替える。

「ほい、せいらん。まずはご飯を食べるにゃ」

 そういって、ルレンティアが石を削り出して作ったお椀に注いだスープを聖羅に向けて差し出す。
 目に見える言動こそいままでと変わらなかったが、聖羅はルレンティアたちの気配がどことなく柔らかくなったのを感じていた。
 いままでが刺々しかったわけではないが、どこか一線を引いている感覚があった。
 しかし、真実が明らかになった今、彼女たちは聖羅を必要以上に警戒することがなくなっていた。
 その柔らかな気配は、聖羅を不要な気負いから解放する。

「ありがとうございます、ルーさん。……いつのまに作ってたんですか?」

「話を聞いている間にちょちょいっとにゃ」

 得意げにいうルレンティアから、聖羅はスープを受け取る。
 石の器は見た目重そうに思えたが、相当薄く切り出しているのか、思ったよりは軽い。女性の聖羅が片手で支えられる程度だ。さらに魔法を用いて強度や熱伝導まで調整しているのか、不安な感じは全くしなかった。
 中身は柔らかく煮込まれた魚と海藻らしきもののスープだ。
 器と同じように石から作られた匙を用いて、聖羅がそれを口に運ぶ。魚は柔らかく煮込まれており、海藻の味がよくしみ出したスープは、聖羅の身体を内側から暖めてくれた。

「美味しいです。……この魚、しっかり処理されているようですが、刃物はどうやって……あ、いえ、なんでもないです」

 聖羅が質問を途中でやめたのは、ルレンティアがその手をひらひらと翳したためだ。
 彼女は、植物型の魔物を切断できるほど鋭い爪を持つ。
 それを上手く使えば、魚の調理くらいは容易いことだと言われなくてもわかったのだ。

「爪がなくても魔法で切断できるけどにゃ。食材を魔法で調理すると、なぜだか美味しくならにゃいんだよにゃあ」

「魔法で処理をすると、その者の魔力が食材に移ってしまうからだと言われていますね。地域によってはその方が好まれる場合もあるようですが。……確か、ログアンにそういう料理がありませんでしたか?」

「捧食のこと? あれはグランドジーグ様への感謝の気持ちを伝え、今後も共に生きていくことを誓う祭典の時に作られるもので、どちらかといえば儀式」

「色んな風習があるんですね……」

 様々な人が生きている世界である以上、色々な風習や慣習が生まれるのは当然だったが、聖羅は改めて知的好奇心を刺激されるのを感じていた。
 相互理解が進み、妙な警戒や気負いがなくなったことで、そういったことに意識を向ける余裕ができてきていた。

(リューさんのお気に入りの狩り場に連れて行ってもらう約束をしていましたっけ)

 息抜きに出かける提案をされていたことを聖羅は思い出す。
 思い出した流れで、腕の中のリューを見ると、リューは聖羅の顔をじっと見つめていた。
 観察されていることに気付いた聖羅は、少し気恥ずかしくなり、スープを飲むついでにその器で顔を隠す。
 その際、スープの中で海藻のような具がゆらめているのが見えた。

「そういえば、海藻……みたいなものも生えてたんですね」

 周りの水が塩水ではないのは、確認済みだ。
 風景だけを見れば完全に大海原だが、環境的にはどちらかといえば地底湖に近いらしい。
 そんな場所で海藻のようにしか見えない水草が採れたことは、よく考えれば不思議なことだ。
 その認識は間違っていなかったらしく、ルレンティアが溜息交じりに答える。

「水底に普通に生えてたにゃ。食べられる種類のもので良かったけどにゃ……なんで生えてたんだかにゃあ」

「いくら水草の成長が早いとはいえ、半日やそこらで生えていていい規模ではなかったんですよね」

 そうバラノが確認すると、ルレンティアは頷いて肯定した。

「そうだにゃ。かといって何年も前から生えていた感じでもなくて……わけがわからないにゃ」

「元々、魔界という中では方向感覚や時間が狂うことがままありますが……この魔界はまた別格ですね……中と外で時間の流れが大きく変わっている可能性も出てきました」

 バラノは真剣な表情で分析を続けている。

「流れる時間が遅くなっているならまだしも、早くなっていたとしたら困りますわね……」

 テーナルクはそうぼやく。王城が魔界に呑まれているという状況は、極めて深刻な事態であり、それが長期化すればそれだけでルィテの国力の低下は免れない。できる限り早く事態を解決したいのが本音であった。
 五人が真剣に話し合っているうちに、遠くに見えていた何かの影の姿が霧の向こうに見えてくる。

「みんな、念のために戦闘態勢を取るにゃ」

「言われなくとも」

「バラノ様とセイラさんは後方に下がっていてくださいませ」

 戦える三人が前に出て警戒をし、残るふたりは並んで後方に退いた。
 聖羅は絶対防御を持つ自分は最前線に立つべきではないかと思ったが、リューを抱えているため、大人しく後方に下がる。
 仮に戦いに巻きこまれても、リューならば平気な可能性も高いが、いまのリューがどれほどの防御力を持っているかはわからない。
 いざとなれば自分の身で守ることも考えつつ、聖羅は近づいてきたその影をしっかりと見据えた。

「これは……島……でしょうか?」

「大きな島ですね……全景が視界に収まりません」

 それはかなり大きな島のように見えた。
 木々が生い茂り、中央には小高い山らしき岩肌も見える。
 聖羅が持つイメージでいえば、冒険物の物語で登場人物がよく漂着する無人島、というべき島だ。
 山を囲むように森が周囲を覆っていて、島の形は今ひとつ判別できない。

「砂浜が見えるにゃ。あそこに船を接岸するにゃ」

 ルレンティアが上陸できそうな砂浜を見いだし、その砂浜へ水上拠点を押しあげた。
 碇はなかったが、浮力を与えていた魔法を切ってしまえば、自然と水上拠点の重さで砂浜に拠点が埋まり、波の力程度では流されないようになる。
 水上拠点から五人と一頭が降りた時、先頭に立って島の奥を警戒していたルレンティアが声をあげる。

「全員警戒! 何かくるにゃ!」

 ルレンティアが砂浜の中央まで後退し、警戒を促す。
 その段階で、他の四人の耳にも森の奥から騒音が聞こえてきた。
 木々がなぎ倒される騒音と、何かが争っているような激しい擦過音。
 その正体は、すぐに知れた。
 森の奥から砂埃を巻き上げつつ、巨大な何かが飛んで来たからだ。

 複数の脚を持つそれは、テーナルクとバラノの見覚えのある、あの巨大蜘蛛であった。

 ただ、その八本あったはずの脚はいくつかが半ばから千切れており、それだけではなく全身に深い傷が刻まれていた。
 蜘蛛は飛んできた勢いそのまま、砂浜で何度かバウンドした後、水の中へと落下し、大きな水柱をあげる。

「何と戦って……? ――ッ! 伏せるにゃ!」

 ルレンティアがそう叫び、他の三人が反応して地面に伏せる。
 反応しきれなかった聖羅は、近くに立っていたバラノが抱えるようにして、一緒に砂浜に伏せた。
 そんな五人の頭上を、複数かつ極太の雷が走り、浮かび上がりかけていた巨大蜘蛛に殺到した。
 雷は凄まじい轟音を立てて蜘蛛の身体を焼き、一部は水面を走り回って水しぶきをあげ続けた。

 そして――最終的に爆発した。

 巨大蜘蛛の身体が内部から爆散し、破片が周囲に飛び散る。
 ほとんどは水中に沈んだが、脚のうちの一本が、砂浜に伏せていた五人の近くに落ちてきた。
 深々と砂浜に突き刺さったその脚部は焼き焦げており、先ほどの雷にどれほどの威力があったのかは一目瞭然だ。

 そんな雷を放ったと思われる存在が、五人の前に姿を現す。

 それは、巨大な牡鹿であった。
 全身を覆う黄金色に輝く体毛だけでも神々しいが、それ以上に神々しいのは、その頭部に生えた立派な角だった。
 ただでさえ見上げるほど大きな体格なのに、その身体に匹敵するくらい角も大きく、雷を宿し、危険な音を立てて光り輝いている。
 結果として全体から感じる威圧感が倍増していた。
 明らかにただの牡鹿ではないその大鹿は――

 聖羅たちにも、その殺意を向けていた。

つづく

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第六章 2

 廊下が入り組んだ迷宮にいた聖羅たち。
 水と食べ物のある場所に行きたい、と聖羅がリューに向かって口にしたところ、突如流れてきた大量の水によって、大海原のような場所に移動させられてしまった。
 現在、五人と一頭はアーミアの張った結界を船のようにして水面に浮かんでいる。
 周囲に敵らしきものの姿はなく、一安心したところで、バラノが聖羅に向かって言う。

「セイラさん、死告龍様に『魔界の外に出たい』とはおっしゃらないでください」

 他の三人もバラノに同意なのか、何も言わなかった。
 それを見た聖羅はおそらくなにかしらの妥当な理由があるのだろうとは思ったが、その理由に思い至ることはできなかった。
 なので、直接聞いてみることにする。

「どうして、ですか?」

「ここに至る過程を考えてください。もし死告龍様が完全にこの空間を制御出来ているとしたら、大量の水で物理的に押し流す、という移動方法は取らないはずです」

「そうですわね。空間と空間を繋げればいいだけですわ。それこそ、扉のようなものを用意して」

「もしセイラさんが魔界の外に出たいと口にすれば、おそらくですがここにある大量の水も一緒に外に噴き出すでしょう」

「魔界が発生したのは王城……ルィテ王国の中心地」

「まー、たいへんなことになるよにゃあ」

 王城で魔界が発生している以上、周辺住民の避難は始まっているだろうが、家屋や家財道具を持って逃げることは出来ない。
 魔法がある世界であるために、人が死ぬことと違って物が壊れることは取り返しがつきやすいが、洪水が起きて街全体に被害が出れば、ルィテ王国の国力の低下は避けられない。
 それが起きないよう、聖羅がリューに頼んで魔界の外に出してもらうという手段は取れないのだ。

「……それをバラノ様が最初に言うとは思いませんでしたが」

 ルィテ王国の国力の低下は、侵略を目論むザズグドズ帝国のバラノからすれば歓迎するべきことのはずだった。
 例え直接軍隊に被害が出なくとも、それを支えるルィテ王国自体が疲弊すればそれだけ侵略しやすくなるのだから。
 そして今回のようなケースでは、バラノが積極的にそれを画策したとは言えない。あくまでバラノは魔界から脱出するため、という体であれば「ルィテ王国に危害を加えない」という契約に引っかかることはないはずだった。

「確かに放っておく手がないわけではありませんでしたが……それを選ぶには賭けの要素が強すぎます。私自身が本当に気付いていないならともかく、大きな被害が出るのを予測してしまいましたから、契約に抵触する恐れもありますし」

 それでも黙っていればいいことではあったが、気付いてしまった以上は指摘してしまった方が確実に安全なのだ。
 契約とは、表面的な文面も大事だが、要は心のありようを誓うということであり、自ら手を下さないなら大丈夫、とは言いきれない。
 バラノが国に殉じて死ぬ覚悟も決めた上で、この場に立っていることは確かだが、別に彼女は死にたがりというわけではなかった。
 可能な限り自分も生き残る道を模索するのは当然だ。
 聖羅は自分の考えの及ばないところで駆け引きが成されていることを改めて感じ、ひとまず彼女たちの言うとおりにしようと頷く。

「わかりました……あ、でもそもそもリューさん、また寝てしまいましたね……」

 聖羅が抱えるリューは、また目を閉じて眠りについていた。
 その自由奔放な様子に五人の女性たちは溜息を吐く。
 話している間に、ルレンティアとアーミアが周囲の水や魚の状態を調べ終わっていた。

「水は魔法で出来たものじゃないから、飲み水に使えそうだにゃ。魚も、普通に食べられるものみたいだにゃ。遠くの水場と空間を接続したのかにゃ?」

「あるいは、元々城の地下にあった地底湖や地下水を流用しているのかもしれない。どうなの、テーナルク?」

「王城の地下にこれほど大規模な水源はなかったはずですわ」

「だとすると空間を接続したのが濃厚?」

「まあ、ともあれ、これなら水と食料は確保できるにゃ。あーみん、結界はどれくらい持つかにゃ?」

「あと数時間は余裕。けど、早めの拠点確保は必要」

「了解だにゃ。じゃあちょっと行ってくるにゃ」

 ルレンティアはそういうと、いきなり胸を隠していた布を脱ぎ捨てた。
 あっけにとられる聖羅の目の前で、ルレンティアがアーミアの張った結界をすり抜け、水の中へと飛び込んでいく。
 そのあまりの自然な動きに聖羅は何も言えず、テーナルクやバラノは動じていなかったので、聞くことも出来なかった。
 だが、その聖羅の動揺を察してか、テーナルクが柔らかく笑みを浮かべてみせる。

「大丈夫ですわ。水中はルレンティア様の慣れ親しんだ環境ですから」

「……猫なのに、水が嫌いなわけじゃないんですね。私の世界では一般的に猫は水を嫌がるものですので、ちょっと意外でした」

 とはいえ、湖の上に存在する国の代表なのだから、全く泳げないわけがないとも聖羅は思っていたが。
 頭でわかっていたのと、実際に目にしたときの衝撃は違う。

「猫が水が嫌いというのは、間違っていませんけどね。セイラさんの認識と同じく、基本的には猫は水が嫌いです」

「ルレンティアの場合、生まれた時から湖の上だったということもあるし、猫の獣人とはいえ、人の要素の方が多いから」

「獣人の力もあって、ルレンティア様はフィルカードでも屈指の泳ぎ手なのですわ」

 そんな会話を残された四人がしている間に、潜っていっていたルレンティアが水面に浮上してきた。何気なくそちらを向いた聖羅は、ルレンティアが手にしているものに驚く。
 それは、石で出来た船だった。
 手こぎボートくらいの小さなものだが、沈まずに水上へと浮かび、内側から水を排出すると水面でぷかぷかと安定する。

「まず一隻だにゃ。水深は案外浅いところもあるみたいで助かったにゃ」

「海底の石を切り取って来たんですか!?」

 聖羅は驚きのあまり声をあげ、足下を見る。
 結界は半透明なため、水中が見えているが、その底は見えない。結構な深さがあるのは間違いなさそうだった。
 そんなところから石を船の形に切り取り、手に持って浮かんで来たのだという。
 ルレンティアは水面に浮かびつつ、えへん、と自慢げにその豊かな胸を張った。

「フィルカードの民は水の民にゃ。水場で苦労はさせないから、安心してほしいにゃ。この船には魔法がかけてあるから、皆が乗っても沈まないにゃ」

「ありがとうございます、ルレンティア様。……やはり、フィルカードと水場で競うのは自殺行為ですね」

「にゃはは! 水際での戦いなら、ボクひとりで千の軍勢だって壊滅させてみせるにゃ!」

 バラノは礼を言いつつも、フィルカードを攻略するときのことを考えているようだった。それに対し、ルレンティアも勝ち気な台詞で返す。
 傍でそれを聞いてしまった聖羅は、堂々と口にするバラノもどうかと思ったが、それを笑って受けとめているルレンティアも剛気だと感じるのだった。

 その後、ルレンティアは何度か水中に潜り、瞬く間にそれなりの広さの水上拠点を作り上げてしまった。

 いくつかの船を浮かべ、それらを上手く結合することで、広いスペースの確保に成功している。
 湖上にあるというフィルカードがどういう国か、聖羅は少しだけ理解できたような気がした。

(形状などを工夫すれば、石だって水に浮かぶのはわかりますが……この規模の石材が壊れずに建てられるのは、技術と魔法あってのことですよね……)

 聖羅の認識でいうと、古代ギリシャの石造りの建物が水の上に浮いている、というほどに奇妙な感覚だった。
 そういう意味では魔法のある世界ならではの光景であるといえ、楽しんでばかりもいられないとは思いつつ、彼女はこういった光景を見に、いつかフィルカードにも訪れてみたいと思うのだった。

「それにしても……ルーさんは王族の方なのに、建築技術も納めていらっしゃるんですね」

 建築技師を軽んじるつもりはないが、王族がやることかと言えばそうではないだろう。
 その聖羅の疑問は、この世界の基準に合わせてもおかしくないことだったらしく、ルレンティアが特に妙な顔をすることはなかった。

「もちろん、本職には敵わないけどにゃ。ゼロから水上に拠点を作るのはフィルカードの民の嗜みにゃ。今回は材料が石だからちょっと難しいけど、普通の木材を使えるにゃら、子供でもこれくらいの拠点は作れるにゃ」

 水上に上がってきたルレンティアは、ぶるぶる、とそれこそ獣のように体を震わせて髪の毛などから水気を払いながらこともなげに言う。

「特にフィルカードは王が模範を示さなければならない国だからにゃ。一通りのことはやれるように教育されるにゃ。王族の慣習として、十歳になると全裸で国の庇護下から放り出されるし、覚えておかないとその時死ぬにゃ」

「ぜ、ぜんっ!? き、厳しすぎませんか……?」

 獅子は我が子を千尋の谷に落とす。
 可愛い我が子にわざと試練を与え、その器量を試して一人前へと育て上げるとは言うが、人間が全裸で放り出されるのは厳しいというレベルではない。
 フィルカードは湖の国であるのだから、放り出される先は水上であるはずで、仮に聖羅のいた世界の者ならそんなことをされて生き残れる者は皆無であろう。
 しかし、魔法のあるこの世界ではその認識は当てはまらないものらしく、ルレンティアは平然と続けた。

「それで生き残れないようじゃ、王族としての資質不足ってことだにゃ。生き残るのは大前提。一年間は国に戻れにゃい決まりなんだけど、その間にいかに立派な拠点を築くかが問われるにゃ」

 ルレンティアからフィルカードの王族の風習について話を聞いていると、事情を知っているらしいアーミアが深く溜息を吐いた。

「その話は聞いてる……ルレンティアは湖の魚達を手懐けて、湖底に拠点を築いたって。一年間ほとんど姿を見せずに過ごしてたから、死亡したって言われたけど、一年経ったその日に、フィルカードのど真ん中に巨大な拠点を浮上させて、当時の王の側近たちの度肝を抜いたとか」

「む~。でもパパはボクならそれくらい出来るはずとか言って、全く驚いてくれなかったにゃ~。それが心残りだにゃ」

「いえ、普通は度肝を抜かれますわ。フィルカード王の感覚がおかしいのです」

「同じ試練で、当時のフィルカードと同程度の規模の拠点を築き上げてくるような方ですからね。確か湖に点在する無法者たちを探し出しては腕っ節で叩きのめして従え、人手を確保したんでしたっけ?」

「ですわね。普通は十歳の子供がやることじゃないでしょうに。一度だけお会いしたことがありますが、噂に違わぬ豪傑ぶりでしたわね。わたくしの世代では敵対関係が終わっていて良かったと思いますわ」

「うちはそれを今後攻略していかないといけないのですよ……はぁ」

 しみじみとテーナルクとバラノも呟く。
 そんなとんでもないエピソードを聞かされた聖羅は、改めて一緒に行動している彼女たちが、この世界の基準でもとんでもない存在なのだということを思い知らされる。
 ルレンティアはいつの間にか食料の魚まで人数分採って来ていて、そつがない。

(……この人たちは、本当に特別な存在なんですよね)

 異世界から来た、というだけの存在である聖羅は、彼女たちの存在の価値の高さを知るにつれ、ますます自分との間に隔たりを感じてしまう。
 本来であれば、自分が触れあうこともできなかったであろう高みの存在。
 それが、偶然たまたま異世界に召還され、なおかつ希有な加護をバスタオルに宿すに至ったが故に、同格のように扱われている。

(この人たちはその立場に似合うだけの努力を、実績を積み上げている……)

 自分はただ幸運でここにいて、生きているだけだというのに、だ。
 それを意識する度に、聖羅はいたたまれない気持ちになるのだ。
 そして、その感情こそ、聖羅がこの世界の存在たちと完全に打ち解けられない最大の理由であった。

「さて、魚を焼いていくにゃ。もう少し待っててにゃ、せいらん」

 そのルレンティアの、聖羅を優先する気遣いが、平々凡々を自覚する彼女の心にトゲを残す。
 聖羅は、微笑んで礼を言う形で応えるしかない。

 そんな聖羅の様子を、じっと見つめている者がいた。




 翌朝。
 ルレンティアが築いた水上拠点の上で、聖羅たちは無事目を覚ました。
 魔法を一切用いることが出来ず、暗闇では目が見えない聖羅を除き、四人は後退で見張りを行っていたが、特に魔物に襲われることはなかった。
 寝床として用意されたのは、ルレンティアが水底から回収した海藻を乾燥させ、敷き詰めただけのものだ。
 普通ならばそんなところで寝れば体が痛くなって仕方ないだろうが、聖羅はいつもと変わらぬ睡眠を取れていた。
 無論、バスタオルの効果である。
 他の四人も、それぞれ魔法などで対策は取れたらしく、疲れた様子を見せる者はひとりもいなかった。

「少し視界が晴れて来たにゃ」

「見渡す限り水、ですけどね……」

「死告龍様の魔界は、本当に広すぎますわね」

「あちらの方向に、何か見える」

 そうアーミアが指し示した方向に、全員が注目する。
 所々に霧がかかっているため、視界は悪かったが、確かに何らかのシルエットのようなものが他の者達にも見えた。

「島……でしょうか?」

「かにゃあ? 結構大きなもののように思えるにゃ」

「この状況を打破する手がかりが、なにかしらあるかもしれませんわね」

「……行ってみよう」

「幸い拠点や食料は確保できましたが、いつまでもこのままというわけにはいきませんものね」

 五人と一頭を乗せた水上拠点が、大きな影のようなものに向かって動き出す。
 ルレンティアの創った水上拠点は船を基盤としているため、少し風の魔法を使えば移動することが出来る。
 移動しながら朝食の魚を焼いていると、聖羅が抱いていたリューが目覚めた。

「あ、リューさん。目が覚めましたか。おはようございます」

 リューは大きくあくびをした後、聖羅の体に自らの体を擦りつけ――ふと、胸元から聖羅の顔を見上げて首を傾げた。

「くるる?」

 その表情が少し心配しているように感じた聖羅は、内心どきりとする。
 リューに聖羅の複雑な心境が理解出来たとは思えないが、どこか元気がないのを察されたのだろう。

「なんでもありませんよ、リューさん。リューさんもお魚、食べますか?」

 笑顔を浮かべてリューにそう問いかける聖羅。
 その魚を準備をするのは自分ではないため、申し訳なく思うところはあったが、死告龍たるリューを大人しくするためならば、必要なことだと理解してくれるという想いもあった。
 そして実際、ルレンティアは聖羅の言葉を聞いて即座にリュー用の魚を焼き始め、焼けたものを聖羅に渡してくれた。

「ありがとうございます。ルーさん」

 お礼を言いつつ、聖羅は美味しそうに焼けている魚をリューの口元に翳す。
 リューはそれに美味しそうに食らいつき強靱な顎の力で噛み千切り、いまは小さな前脚で残りの焼き魚を聖羅の方へと押しやる。
 その行動を見た聖羅は、かつてリューと出会ったばかりの頃、リューが仕留めたグリフォンらしきものを自分に向けて押しやってくれたことを思い出す。
 当然、生のグリフォンを聖羅が食べることは出来なかったし、その頃はまだリューの真意がわからなかったが、いまならわかる。
 リューの気持ちを理解した聖羅は、ふっと優しい笑顔を浮かべた。

「私はあとでいただきますから、これはどうぞリューさんが食べてください」

 そういって再びリューに焼き魚を向けた聖羅だが、リューが動かないのを不思議に思った。トカゲのようなドラゴンの表情は掴みづらいのだが、目を見開いて驚いているような気がした。
 不思議に思って首を傾げていると、同じように周りの者達も驚いているのがわかった。
 聖羅としては特にそれほど驚きを与えることをした覚えがなかったので、困惑する。

「あ、あの? 皆さん、何か……?」

 そう聖羅が問いかけると、最初に応えたのはルレンティアだった。

「いや……ちょっと驚いただけにゃ。それが――本当のせいらんの笑顔なんだにゃ」

「でも、考えてみれば、そうですわよね……セイラさんは、王族でも、貴族でも、ましてや本当は聖女でもないのですから」

「テーナルク様……それは、立場上聞き逃せない発言ですが、大体事情は理解しました」

「本当に聡い人ですこと。忌々しいですわ」

「それはお互い様でしょう」

 聡い彼女たちは、何かに納得が出来たらしかった。
 聖羅としては困惑するしかない状況である。
 そんな聖羅に対し、唯一言葉を発していなかったアーミアが口を開く。
 そして、聖羅に向けて核心の問いを発した。

「セイラさん、もしわたしの勘違いであれば謝る。ひとつ答えて欲しい」

 王城が魔界に変質する前に、交わしていた会話の続きを。
 彼女たちの前提を覆してしまう内容を。

「セイラさんの元いた世界は――嘘や偽りがあって当たり前の世界だった?」

つづく

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第六章 1


 聖羅、テーナルク、ルレンティア、アーミア、そしてバラノ。
 五人の女性は、現在広い廊下に繋がる狭い廊下の入り口に、結界を張って隠れていた。
 仮に大蜘蛛が現れても狭い廊下の奥に逃げ込むことができ、場合によっては広い廊下に出て戦うことも視野に入れた備えだ。

「つまり……結局、何が起きているのか、正確に把握できている者は、魔界の主であろう死告龍様を含めて、いないというわけですね」

 ザズグドズ帝国の軍略家・バラノは、合流することができた聖羅たちからこれまでの話を聞き、そう呟いた。
 バスタオル一枚の聖羅は申し訳なさそうに、胸に抱いた小さなドラゴン――死告龍のリューを撫でながら頷く。
 リューは気持ちよさそうに目を閉じており、うたた寝をしている様子だった。
 魔界が死告龍の由来だとすれば、リューにとってこの空間は家そのものだ。
 人間五人と違って、余裕のあるその態度もある意味当然ともいえる。
 聖羅に抱かれているという状況も一因ではあろうが。

「リューさんはこの通りでして……この現象はリューさん自身にも制御不能なのかもしれません」

「魔界化は自然と起こりうるものだから、制御出来てなくてもおかしくはないけどにゃー」

 困ったものだという思いを隠すことなく、ルレンティアは聖羅の言葉に賛同する。
 獣人であるルレンティアは、即座に戦闘に入ることも考慮し、その下半身を獣化したまま戻していなかった。上半身は腕以外ほぼ人間のままであるため、その豊満な乳房は布を巻き付けて隠している。
 本人は開放的な風土を持つ国の出身であるがために、その格好については気にしていないようだ。
 そんなルレンティアが出した予想について、テーナルクは納得が行かない様子だった。

「でも、それにしてもリスクばかりが目立ちませんこと? 本体が弱くなっては、規格外の魔界化も意味がありませんわ」

 現在、テーナルクはアーミアから譲られた、裾が短くなったログアンの神官服を身に付けていた。
 アーミア自身は神聖法衣があるために着れない服だが、テーナルクにその制限はない。
 ゆえに、アーミアはテーナルクにその神官服を渡したのであった。
 本人としては、ルィテ王国の王族がログアンの神官の格好をするということに思うところがないわけではなかったが、五人のうちまともな格好が出来ているのは二人だけ。
 まともに服を着れているだけでも感謝すべきなのだから、文句を言えるわけがなかった。

「……いや、これだけの規模の大きさの魔界なら、隠れるのに徹すれば問題ない。死告龍様の場合、セイラさんに会いに出てきたから、わたしたちの前にいるだけ」

 精密で極薄のレースを重ねた構造であるがゆえに、向こう側が透けて見えてしまう神聖法衣を身に付けたアーミアは、愛用の杖を体の前に構え、周囲に向かって張った結界を維持している。
 本人が結界術を得意とするだけあって、結界は敵に存在を知られることもなく、完璧に彼女たちを守っていた。さらに本命の結界の外にも、警戒用の結界が張られており、見つかりそうになれば即座に対応出来る状態を保っていた。

「アーミア様のご意見に賛同いたします。知能の減衰は致命的ではありますが、この魔界を自在に移動できるとすれば、人海戦術も意味を成しません。さらに魔族の発生や眷族の増殖なども鑑みるに……逃げ回り続けていさえすれば、消耗戦で勝てますから」

 軍略家たるバラノは、彼女の視点からアーミアの意見を支持する。
 彼女は五人の中でまともな格好が出来ている二人のうちの一人だ。
 バラノは蜘蛛に囚われた際、その身に纏っていた聖女風ドレスがボロボロになってしまったが、現在は修復されている。
 テーナルクのドレスは即死属性を纏った糸の攻撃によって破壊されてしまったために戻せなかったのだが、彼女のドレスは純粋な力で破かれただけであったために、修復の魔法で直すことが出来たのだ。

「あー、確かに、この広い魔界の中からその小さな本体を探すのは難しいにゃあ」

「ここまで常識外れの魔界だと、どう対処するのが正しいのかわかりませんね……」

 五人は頭を悩ませる。
 無論、もっとも単純な魔界への対処法である『魔界を生み出した主を倒す』ということを五人が考えなかったわけではない。
 聖羅は中立的な心情故に、リューを殺すということ自体に抵抗を覚えていた。
 他の四人は、主を倒すことでは解決せず、より状況が悪化する可能性を危惧していた。

 そして、五人全員『この状態の死告龍でも倒しきれないかもしれない』ということも考えていた。

 聖羅は絶対防御の力しか持たないし、バラノは軍略家であるが直接戦闘はできない。
 残る三人は王族であったり、国を代表する巫女であったりする分、並みの戦士や魔法使い以上の力がある。
 それでも、戦闘に特化した存在ではない。
 最強の種族と言われるドラゴンを相手にするには、少々心もとない戦力であった。

(幼体化していても、ドラゴンはドラゴン……)

(わたくしたち三人が束になってかかっても、敵わないかもしれませんわね)

(一度敵対したら、もう戻れないにゃ。いま賭けるには分が悪いにゃあ)

 三人は冷静な戦力分析の結果、分の悪い勝負だと判断していたのだ。
 さらに、その賭けに軽々に手を出すのを躊躇わせる情報もある。
 テーナルクとバラノが実例であり、彼女たちが確認した情報として、眷族に捕らえられた人々はまだ殺されていないということだ。
 聖羅たちも、妖精たちが捕らわれても殺されはしていなかったのを確認している。
 この魔界に取り込まれた者達は、何らかの理由で生かされているのかもしれない。
 そうだとすると、下手に魔界を崩壊させることで、生存者をかえって減らす結果になる可能性もあった。

「ひとまず今晩は休みましょう。休んで、明日からどう動くか決めましょう」

 そのバラノの提案は特に反対意見もなく受け入れられた。

「でも……休むにしても、辛いですね……食料も何もありませんから……」

 そう聖羅が呟くのと、そのお腹が鳴るのはほぼ同時だった。
 魔界に捕らわれたのは昼頃のことであり、現在の時刻はすでに夕刻をすぎている。
 昼食をとる前に魔界に取り込まれてしまったため、彼女たちは昼食をとれないまま、さまよい歩く羽目になっていた。
 お腹が空いて当然である。
 決して大きな音ではなかったとはいえ、周りに聞こえる程度には腹の虫の音を響かせてしまった聖羅は、恥ずかしさで顔を真っ赤にする。
 そんな聖羅をフォローするように、ルレンティアのお腹もくうと鳴った。

「確かに、おなかすいたにゃあ……動き回ったしにゃ」

 魔物との戦闘中、もっとも機敏に動き回っていたのはルレンティアだった。
 当然その消耗は激しい。その空腹を表すように、その頭頂部にある獣の耳がへたりと寝ている。普段から存在している耳だが、現在ルレンティアは獣化状態にあり、少し大きめになっていることもあって、余計に目立っていた。
 思わず頬を緩めてしまった聖羅だが、そんな場合ではないとすぐに顔を引き締めた。

「眷族って……食べられるのでしょうか」

 何気ない聖羅の呟きに、他の四人はぎょっとした顔をする。

「一応、不可能ではない……けど」

 現状眷族と呼ばれて、頭に浮かぶのが蜘蛛の眷族であることが問題であった。

「セイラさんのお国では、虫は食事に含まれますの?」

「文化として虫食はありますね。もちろん、食用に育てた虫であって、森の中で虫を捕ったり生で食べたりはしませんが……あ」

 そこまで答えてから、聖羅は元の世界の文化が誤解を受けていることに気づいて、慌てて付け加えた。

「文化として存在することはしますが、どちらかといえば特殊かつ少数派な文化です。この世界でもそうだとは思いますが、私のいた世界の食に対する探究心は執念すら感じることがあるほどでして。普通は食べられないものを、何日も、何週間もかけて食べられるように加工して……そこまでして食べることもあるんです」

 その聖羅の補足を聞き、他の四人はほっとした表情になる。

「……実は虫が主食だった、とか言われたらどうしようかと思った」

「確かに。今後セイラさんにご提供するお食事をどうするべきか迷うところでしたわ」

「や、やめてくださいね。私も虫を好んで食べたい訳ではないので……」

「虫を食べる文化……確か、フィルカードにはそういう文化がありませんでしたか?」

「にゃいにゃいにゃい! フィルカードにはそもそも虫自体少ないし……もしかして、タコやカニのことかにゃ? あれは脚が多いだけで、分類するなら魚にゃ」

「湖にタコやカニがいるんですか?」

 フィルカードは湖の上に存在する湖上国家、だと聞いていた聖羅は思わず尋ねていた。
 ルレンティアは頷き、タコやカニを使った料理のことを話し出し――余計に大きく腹の音が響き渡った。

「思い出したら食べたくなって来たにゃあ……」

「話を元に戻しましょう。眷族を食べることはできますし、調理次第ではあの蜘蛛も食べられるようになるとは思いますが……現実問題として、あれを仕留めて食べられるでしょうか。私見ですが……難しいと思います」

 バラノの指摘に異を唱えるものはいなかった。

「調理器具も調味料も何もありませんものね。調理技術自体は習得していますが、普段と環境が違いすぎます」

「焼くくらいしかできない」

「水の確保も問題だにゃ。水を操るならともかく、飲み水を生み出すのは難しいにゃ」

「そうなんですか? ……水を生み出す魔法はあるのでは?」

 聖羅は朝起きた際、使用人のクラークにお願いして顔を洗う用の水を出してもらっている。クラークが使えるのなら、この場にいる彼女たちが使えないわけがないと思っていた。
 それに対し、ルレンティアは聖羅の言葉を肯定した。

「確かに、水の魔法はあるけどにゃ」

 言いつつ、ルレンティアは翳した掌の上に水の塊のようなものを作り出した。
 渦を巻いて回転する水球は、見た目は完全に水である。

「でもこれはボクの魔力がそれっぽい形になっているだけにゃ。何かを洗うような用途には使えても、身体の維持に必要な水分にはならないにゃ。火にかけても沸騰しないし、凍らせることも出来ないにゃ」

 試しに、とばかりにルレンティアはもう片方の掌に炎を生み出す。
 水の塊と炎の塊を重ね合わせると、一瞬光が生じて、両方ともが消滅した。
 水は熱されることはなく、水蒸気になることもなく、ただ消滅していた。
 
「こんな風に消えるだけだにゃ。魔法で作られる炎や水は、あくまで魔力がそれっぽく形を作っているだけにすぎないのにゃ」

「……となると、魔法で飲み水を作り出すのは無理なわけですか」

「だにゃあ」

 この場所では食事や寝床の確保が難しい。
 そのことを改めて認識した五人は、顔を見合わせた。

「もう少しだけ移動を――」

 聖羅がこの場からの移動を提案しようとした。
 思わず抱きしめる力が強くなった、その動きに反応してか、彼女に抱かれていたリューがぱちりと目を開く。

「くるる?」

「あ、リューさん。ごめんなさい。起こしてしまいましたか」

 慌てて謝る聖羅に対し、リューは楽しげに鳴き、聖羅の首筋に頭を擦りつける。
 犬猫のような動きをするリューに苦笑しつつ、聖羅は撫でてあげながら話しかけた。

「リューさん、私たちはいまから水か食べ物がある場所に移動しようと――」

「ちょっと待ったせいらん!」

 勘働きに優れたルレンティアは、全身の毛が逆立つような悪寒を覚えて、咄嗟にそう叫んでいた。
 聖羅はその叫びに驚いて言葉を途中で止めたが、しかしすでに遅かった。

 突如、廊下の迷宮全体が震え出す。

 全員が座っていたため、倒れる者こそいなかったが、立ち上がるのも難しいほどの揺れ。
 地震大国出身の聖羅が推測するに、震度7弱ほどの激しい揺れだった。

「な、何が起き……っ!」

「まずい! 結界に感! 狭い廊下側!」

 叫ぶアーミアの言葉を肯定するように、狭い廊下を埋め尽くすようにして、小さな蜘蛛の眷族たちが近づいて来ていた。
 蜘蛛たちも慌てふためいているようにも見えたが、聖羅たちを認識すると同時に、一斉に襲いかかってくる。

「この状況で……!」

「くっ、ほの――」

 ルレンティアが歯噛みし、テーナルクが炎の魔法で応戦しようとした時。
 聖羅に抱かれたままのリューが、その小さな口から巨大なブレスを吐いた。
 幸いにして聖羅が先頭になる位置関係であったがゆえに、そのブレスに巻きこまれるものは、蜘蛛だけで済んだ。
 小さな蜘蛛たちは逃げる暇も場所もなく、ブレスに巻きこまれて吹き飛ばされていく。
 ブレスは余波だけで廊下の床や天井に亀裂を生じさせ、最終的に突き当たった壁で大爆発を起こした。
 地震の震動とはまた種類の違う振動が、聖羅たちのいる場所にまで響いてくる。

「うわぉ……」

 思わず聖羅は唖然とした声を出していた。
 小さくなってもリューはドラゴンであり、死告龍。
 最強の種族にして、最悪の個体の名は伊達ではなかった。
 リューの一撃によって、蜘蛛たちの脅威は去った。
 だが、空間全体の震動は全く収まらない。

「全員、近くに寄って離れないでください!」

 バラノがそう叫び、テーナルクの腕を引いてルレンティアと肩を組む。
 突然の行動にルレンティアは驚きつつも、アーミアを抱え上げた。
 そして、テーナルクが聖羅と腕を組んだ。
 五人がひとかたまりになったと同時に。

 広い廊下を満たすほどの、大量の水が流れてきた。

 それを見たルレンティアが、何時になく真剣な表情で抱え上げたアーミアに声をかける。

「アーミア!」

「了解! みんな、なるべく小さくまとまって!」

 全員が身体を寄せ合い、小さく丸まった五人と一頭を、アーミアの結界術が包み込む。
 ボールのように構築された結界は水を通さず、五人は荒波に揉まれつつも、溺れることはなかった。
 だが、瞬く間に増える水量によって、為す術もなく押し流され――気づけば見渡す限り水だらけの、大海原に放り出されていた。まだ陽は沈みきっていなかったが、白い霧のようなものが視界を限りなく悪くしていた。
 五人と一頭を包み込む結界が、船のようになって大海原に浮かんでいる。
 遠くの水面で、魚らしきものが跳ねているのが見えた。
 リューを抱きしめて固まっていた聖羅は、恐る恐る顔をあげ、周囲の状況を確認して、唖然とした。

「確かに、ここなら水と食べ物はありそうですけど……」

 聖羅の呟きに、リューは不思議そうに首を傾げる。
 死告龍の魔界はその全容が把握できないほど、複雑怪奇に広がっているようだ。

つづく

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第5章 おわり


 大蜘蛛は飛ぶように天井付近を移動しく。
 音を立てずに移動することも出来る大蜘蛛であったが、いまは大きな音を立てながら広い廊下の天井を進んでいた。
 幾重にも入り組んだ廊下は迷宮の如き複雑さであったが、蜘蛛は迷いなく道を選択していた。それは特殊な糸を張り巡らせているためである。
 大蜘蛛はその糸を通じて複雑な道を余すことなく把握している上、その糸から伝わってくる振動などで獲物の存在を感知することが出来るのだ。

 大蜘蛛はその糸を通じ、緊急事態を察していた。

 捕らえた獲物たちを保管している、広い部屋に大蜘蛛が戻って来たとき、その部屋の床は広い範囲に渡って焼き焦げていた。
 大蜘蛛が天井に張った巣には、捕らえた獲物を糸でぐるぐる巻きにして吊してある。
 繭状となった犠牲者は十数人にも及んでいたが、蜘蛛はその数が記憶よりもふたつ少ないことを認識した。
 逃げ出した者がいるのだ。
 素早く複眼を動かし、部屋の状況を詳しく把握する。
 床が焼き焦げているのは、床に張り巡らせておいた感知用の糸を焼き払う目的であると推測できた。
 本来はその糸によって脱走を感知し、同時に足止め用の罠糸が発動するはずだった。
 脱走者は触れる前に糸に気づき、それらを纏めて魔法で焼き払ったのだろう。

 大蜘蛛はその複眼を赤く染め、怒りを露わにする。

 そして、逃げ出した獲物を再度捕らえるべく、行動を開始した。
 この広間から外に繋がる道は複数あるが、その内一本はたったいま大蜘蛛が通ってきた道なので、除外。
 残る道にも大蜘蛛は感知用の糸をかけているため、そこを通ればすぐわかる。
 大蜘蛛が楽に移動できる大きな道と、大蜘蛛が入るには少し小さな道、ふたつの道に張った糸が千切れていた。
 それを感じた大蜘蛛は、脱走したのが複数で、二手に分かれたのだと考えた。
 まずは大蜘蛛の動きが制限される狭い道から追いかけようと、大蜘蛛が道へと近づく。

 その時、大きな道の方から、糸が切られる感覚が伝わってきた。

 大蜘蛛が脚を止めると、さらに連続して糸が切られていくのを感じ取る。
 一方、いかにも人間が逃げやすそうな狭い道の方からは何の感覚もしなかった。
 狭い道の方の糸が千切られていたのはまやかしで、脱走者は大きな道の方にいることを大蜘蛛は確信する。
 翻弄されるところだった大蜘蛛は、その複眼を怒りにますます赤く染め、大きな道へと飛び込んでいった。
 後には巣にかけられたままの犠牲者たちだけが残され、静寂が満ちた――のだが。

 天井の隅に隠蔽の魔法を使って隠れていた、テーナルクとバラノが床に降りる。

 身体強化を用いたテーナルクはバラノを背負ったまま、床に危なげなく着地すると、即座に走り出した。
 向かう先は、先ほど大蜘蛛が大急ぎで戻ってきた道だ。
 テーナルクは何も言わないまま、その道を駆け抜けて大蜘蛛の巣から離れていく。バラノは振り落とされないよう、テーナルクにしがみついていた。
 テーナルクはバラノの言った通りの状況になったことに、なんとも苦い顔をしていた。

(隠蔽の魔法が見破られたら危なかったですが……本当に、気づかれなかったですわね)

 バラノは大蜘蛛の習性や行動パターンから、糸に頼り切っていることに気づいたのだ。
 大蜘蛛の糸は万能で、非常に便利なものであったが、便利すぎてそれを感じるあまりに他の感覚を疎かにしてしまっていた。
 結果、バラノにその弱点を突かれ、まんまと彼女たちの逃走を許す結果になった。
 的確に蜘蛛の習性を読み、見事に安全な逃走を実現させたバラノの手腕に、テーナルクは舌を巻いていた。

(二重三重に策を畳みかけ、大蜘蛛の意識を誘導するなんて……おそらく、今頃大蜘蛛は逃亡者を追い詰めていると疑いもしておりませんわよね)

 それだけバラノが策略家として優れているのだと、テーナルクは認めざるを得ない。
 一方、バラノもまた、テーナルクの優秀さを実感していた。

(王族ですからある程度は当然としても……身体強化、攻撃、感知、補助……様々な魔法を苦も無く扱いこなしている辺り、流石ですね)

 バラノの知る限り、テーナルク並みに多種多様な魔法を扱いこなせる者はそうはいない。
 軍事国家であるバラノの国・ザズグドズ帝国であっても、テーナルクほど、高い水準で魔法を使いこなす魔法使いはそうはいなかった。
 厳密にいえば、国の戦略的方針で特定の魔法の習熟に特化した者――特化職ならばテーナルクを超える魔法使いもいなくはないのだが。

(明らかな内政担当であるテーナルク様でこの水準ということは……他の戦闘向きの王族の評価を改めないといけません)

 この世界においても、人間の強さの肝はあくまで集団戦であり、個々の強さが最重視されるわけではない。数が力なのは聖羅の世界と変わらないのだ。
 だが、同時に個々の戦力というものも、無視できない程度には、戦況を左右しうる要素になりえた。
 特に各国の王族は普段戦場に出ない分、戦力を攻略の際の勘定に入れることが難しい。
 その対策も当然取られてはいるが、『王族が戦場に出てきた瞬間、優位だった戦況がひっくり返された』戦争の例は古今東西、いくらでもあるのだ。

(王族の戦力を上方修正するとなると……七十七番から九十二番までの策は使えませんね……軍部に連絡しておかなければ)

 バラノはテーナルクの背にしがみつきつつ、そう考えていた。
 彼女はルィテ王国に入国する際、ルィテ王国国王のイージェルドと「今後ルィテ王国へ危害を加えない」という制約を交わしている。
 ゆえに、バラノは入国する前に、その時点で考え得るルィテ王国攻略の策戦を思いつく限り書き残しておいたのだ。
 時が経つにつれ。情報が更新されるにつれ。
 意味と確度を失っていく置き土産であったが、帝国のためにできる限り策を残しておいたのである。

(ここから脱出出来なければ意味がありませんが)

 バラノがそう心の中で結論を出し、気持ちを切り替えるのと、ほぼ同時。
 彼女を担いだまま疾走するテーナルクが、不意に後ろを振り向いた。

「……囮の土人形が破壊されましたわね。こっちに来ますわ」




 逃亡者を追いかけたつもりでいた大蜘蛛が追いめたのは、全身に火を灯したまま、ひたすら道なりに進む土人形だった。
 あからさまな囮であり、まんまと騙されたことに気づいた大蜘蛛は、怒りのままにその土人形を破壊する。
 土人形に戦闘能力は全くなく、あっさりと砕けて土塊へと変わった。
 大蜘蛛は再び廊下を全速力で走り、捕らえた獲物をかけてある巣のある広間に戻り――

『やれやれ、人間如きにしてやられるとはね。君には失望しましたぞ』

 部屋の中央にいる『モノ』の存在に気づいて、その脚を止めた。
 その大きさは人間より少し大柄な程度の人型であったが、大蜘蛛はまるで巨大な怪鳥を前にしたかのように硬直していた。
 小刻みに震えているのは恐怖のためだろうか。
 そのモノは極めて人間的な見た目をしていながら、明らかに人間ではないことがわかる見た目をしていた。

 頭部はドラゴンのものであり、背には翼、臀部には尻尾が生えている。

 その上で、それ以外の胴体や手足は人間のものであり、人間の貴族が身に付けるような豪奢な礼服を身に付けているのだから、奇妙な姿であった。
 竜頭人、とでもいうべき姿をしたそのモノは、大蜘蛛に向かってその掌の上にあるものを示す。

『このふたりに関しても、です。この程度の相手に手こずろうとは。恥を知りなさい』

 その掌の上には、水晶のように透明な四角柱がふたつ浮かんでいた。
 こぶし大の大きさであったが、その中には人間の男女がそれぞれ窮屈そうに押しこめられている。魔法を用いて、水晶に本物の人間を封じているようだ。
 閉じ込められている者達は意識がないのか、ぐったりとしてその身を委ねている。
 いずれも服を含めて装備一切を剥ぎ取られた生まれたままの姿であり、仮に意識があったとしても、抵抗する術を全て奪われていた。

 そのふたりは、大蜘蛛が先ほど戦っていたふたりの騎士であった。

 相応に技量が高く、大蜘蛛を苦戦させた存在であったが、その竜頭人にしてみれば障害にならないらしい。
 圧倒的な力の差があることを感じているのか、大蜘蛛は何も鳴かず何も示さず、ただ硬直するのみ。
 そんな蜘蛛を安心させるように、竜頭人はその奇怪な頭部を歪め、辛うじて笑みと呼べるような表情を作った。
 笑みは笑みでも非常に悪魔的な笑みではあったが。

『まあ、それでも君はよくやってくれた方ですがね。――逃げられたのも、あのふたりであるならば、むしろ行幸かもしれませんな』

 後半は独り言として呟かれた。
 そして、竜頭人は頭上に広がる蜘蛛の巣を見上げる。
 彼が見ているのは、その巣にかかった哀れな犠牲者たちだ。

『あれらは儂が回収していきます。君は逃げた人間を追うように。……とはいえ、逃げに徹するあれらを捕まえるのはなかなか難しいでしょう』

 だから、と竜頭人が手を床に向けて翳すと、床から数多の小さな蜘蛛が這い出て来た。
 それらは蜘蛛の幼体という様子ではなく、大蜘蛛をそのまま小さくした複製品という表現の方が正しく思われる。

『これらを使いなさい。数で飽和攻撃を行えば捕まえることもできるでしょう』

 大蜘蛛は小さな蜘蛛を引き連れて、広間から出撃していった。
 それを見送った竜頭人は、再び天井を見上げた。

『さて……これで数は十分でしょうか……欲を言えばもう少し欲しいですな。……とはいえ、取り込めた資源にも限りがありますし……まったく人間如きが、忌々しいことですなぁ』

 ふぅ、と息を吐いた竜頭人の体が、その輪郭を失い、七つの首を持つ巨大なドラゴンの姿へと変貌する。
 七つの首は統一された動きで蠢き、その全ては一つの胴体に繋がっていた。胴体からは翼と尻尾が生えている他、像のように太く短めの足が生えている。
 巨躯の体重は相当重く、その太い四つ足でやっと支えられるようで、広い部屋の床が砕けて陥没しかけていた。歩くだけで猛威を振るう、まさに怪獣と呼ぶに相応しい姿だ。

 神話の如き七つ首のドラゴンが、そこに顕現していた。

 蛇のように長い首を伸ばし、天井の蜘蛛の巣にかけられた犠牲者たちを包む繭に、ひとつひとつ丁寧に食らいつき、繭ごと飲み込んでいく。
 元々身動きの取れない彼ら彼女らは抵抗することなど出来るはずもなく、次々丸呑みにされていった。ひとつ繭を喰らう度、長い首の表側が人の形に盛り上がり、首を下へと落ちていき、胴体へと吸い込まれていく。

 それはまさしく――悪夢のような光景であった。




 大蜘蛛からの逃走を続けていたテーナルクとバラノは、二人同時にその音に気づいた。
 背後から、蜘蛛が移動する際に生じる、極めて不愉快な足音が聞こえてきたのだ。

「まずい……! 追い付かれます!」

「わかっておりますわ! なんで、こんなに早く……!」

 ふたりはある程度広間から離れた段階で、逃げる痕跡を残さないように細心の注意を払っていた。
 廊下中に張り巡らされた蜘蛛の糸をあえて切らずにくぐり抜けたり、時間差で起動する爆発魔法を仕込んだり、大蜘蛛の追跡を避けるためのありとあらゆる手を打っていた。
 いかに蜘蛛が魔物として優秀であったとしても、習性自体は通常の蜘蛛の範疇であれば、十分以上に撹乱できたはずだった。

 しかし、現実にはすぐ背後まで蜘蛛の足音が迫っている。

 テーナルクとバラノはその事実に震えたが、その音をよくよく聞いて、顔を見合わせた。
 足音の性質が大蜘蛛のものと違っていたためだ。
 一匹の大きな蜘蛛が移動する音ではなく、複数の小さな蜘蛛が動いているものだと察するのは容易であった。
 その音は複数の方向から、徐々に近づいて来ている。

「……子を成して、増えたのでしょうか?」

「まさか! ありえませんわ!」

 テーナルクはバラノの発言を強く否定する。
 眷族は魔界から発生するものであり、通常の生物や魔物とは有り様を異にする存在だ。
 普通の魔物と違って生殖機能は持っていないことが多く、魔界が大きくなる度に自動的に増えるとされている。

「魔界が大きくなって、増えたと考える方が妥当ですわ!」

 テーナルクはそう叫ぶが、それはそれでルィテ王国がいまも魔界に飲み込まれ続けているということになるため、楽観できる状況ではない。
 一刻も早くこの場を脱出しなければならない、と彼女たちは同じ事を考える。
 そのふたりの前に、小さな蜘蛛が現れた。
 散らばっている蜘蛛のうちの一匹に遭遇してしまったのだ。
 小さな蜘蛛の複眼がテーナルクたちを捉える。

「くっ……! 喰らいなさい!」

 瞬時に反応したテーナルクが、掌に生み出した火球を蜘蛛に向けて放つ。
 火球は見事に蜘蛛の顔面を捉え、爆発し、その複眼を焼いて牙を砕いた。
 大蜘蛛に比べて、小さな蜘蛛は魔法抵抗力も大したことはないらしく、甲高い悲鳴をあげてのたうち回る。
 その蜘蛛にとどめを刺すことはせず、ふたりは即座にその場から逃げ出した。

「小さい蜘蛛なら、倒せますわね!」

「ですが逃げるべきです!」

「言われなくともわかっていますわ!」

 一体ごとなら大したことのない敵であったが、問題はその数だ。
 いま焼いた蜘蛛の悲鳴に反応して、蜘蛛たちが移動する音が四方八方から響くのを、ふたりは総毛立つ思いで感じていた。
 それらの中には当然あの大蜘蛛もいるはずだ。
 小さな蜘蛛の音に紛れ、逃げられないほど近くまで来られる可能性もあった。

「倒せるとはいえ、死告龍の眷族である以上……っ!」

 テーナルクがそう言いかけた時、今度は複数の小さな蜘蛛が彼女たちの前に現れた。
 即座にいくつもの火球を生み出し、数匹を焼き払ったが、無傷の数匹がその丸い腹部の先端から、糸を射出する。
 通常の蜘蛛の糸と違い、槍状になって飛ぶその糸の先端が、黒い霧のようなものに覆われた。
 テーナルクは血の気が下がる思いをしながら、紙一重で回避し――避けきれなかった糸のひとつが、ドレスの裾に触れる。
 糸に付与された黒い霧は、電気が流れるようにドレス全体に伝播し。

 テーナルクのドレスが、散り散りに崩壊した。

 すでにボロボロだったとはいえ、突然下着姿に剥かれる形になったテーナルクは、一拍遅れてその事実を認識する。
 彼女の思考が真っ白になり、隙が生まれたのを、蜘蛛たちは見逃さない。
 素早く距離を詰め、その毒の牙を持ってふたりを仕留めようと跳びかかった。

「テーナルク様!」

 背にしがみついていたバラノが、そう叫んで注意を促すが、時すでに遅く。
 複数の蜘蛛の牙が、テーナルクとバラノの体に突き立てられる――

 寸前で、小さな蜘蛛たちが不可視の障壁に弾かれた。

 思わぬ衝撃に仰け反った蜘蛛たちの頭部が、直後に吹き荒れたつむじ風によって切断される。
 気を取りもどしたテーナルクが見たのは、半獣人と化した、見覚えのある後ろ姿で。


「てーなるん、大丈夫かにゃ!?」


 独特の呼び方でテーナルクを呼ぶのは、ひとりしかいない。
 フィルカードの獣人姫・ルレンティアだ。
 何かと気にくわないところも気の合わないところもある相手ではあったが、その実力や能力に関して疑うところは全くない。
 そして互いに国を背負って立つ者同士、信頼がそこにはあった。
 思わずテーナルクが安堵の笑みを浮かべたのも、無理からぬことだっただろう。
 それでも、即座にテーナルクは気を引き締め直した。

「小さな蜘蛛以外に、手強い大蜘蛛がいますわ! その奇襲に気をつけてくださいませ!」

 端的に最も重要な情報を伝え、注意を促す。
 ルレンティアはそれを受け、頭頂部の獣の耳をぴんと立てて警戒の意を示す。

「了解だにゃ! ボクのてーなるんを辱めた借りは百倍にして返すにゃ!」

「誰が貴女のですかッ! 辱めも受けておりませんわ! 貴女は、まったくもう! ふざけてる場合ですか!」

 顔を真っ赤にして叫び、怒りを露わにするテーナルクだが、その表情には余裕があった。
 獣人のルレンティアがいれば前衛を任せることが出来る。
 王族の嗜みとして魔法全般を修めているテーナルクだが、決して戦闘が得意というわけではない。特に高速で動き回りながら行う魔法戦闘など、不得手の部類であった。
 だが、前衛として敵に対処してくれるルレンティアがいれば、話は全く違う。
 支援のための魔法を唱えることに集中することが出来れば、テーナルクの修めている多種多様な魔法がより活きるからだ。

「巻きこまないようにわたくしは支援に徹しますわ。それでいいですわね?」

「もちろんだにゃ! 大蜘蛛とやらの警戒、よろしくにゃ!」

 端的に必要なやり取りを交わし、テーナルクとルレンティアが組んで蜘蛛たちに立ち向かう。
 ルィテ王国とフィルカード共和国。
 国は違えど、王族に数えられるふたりの姫が組んだ時の実力は確かで、その場にいた小さな蜘蛛たちは次々と倒されていった。
 即死属性を扱えても、攻撃が当たらなければ意味が無い。
 ある程度数を減らしたところで、蜘蛛たちは勝機がないことを悟ったのか、散り散りに逃げ出した。
 ふたりは蜘蛛たちが戻ってこないことを確かめた上で、息を吐く。

「ふぅ、なんとかなりましたわね」

「うぇぇ……気持ち悪いにゃ……蜘蛛の体液がなんともいえない匂いだし……」

 ルレンティアの攻撃方法は基本的に長く伸ばした手の爪で引き裂くというものだ。
 一瞬で上手く切断すれば体液塗れになることはないのだが、乱戦の中では必ずしも的確に爪を震えるわけではない。
 結果、返り血も含めてルレンティアの全身は蜘蛛の体液に濡れていた。
 胸に巻いた布も濡れてしまっていたが、幸いというべきなのか、体液自体が色の付いたものだったため、透けるようなことはなかった。
 本人は気にしないかもしれないが。

「助かりました。ルレンティア様。テーナルク様もありがとうございます」

 テーナルクの背からようやく降りることができたバラノが、ルレンティアとテーナルクに対して頭を下げる。
 ルレンティアは飄々とした調子で、その礼を受け取った。

「こんな状況だからにゃ。堅苦しいのは抜きで行くにゃ。脱出にお互い力を尽くそうにゃ」

「無論、出来る限りのことをさせていただきます。私に出来ることは少ないですが……」

 ルレンティアとバラノが協力態勢をきっちり築き上げたところで、テーナルクが口を開く。

「アーミア様はどこにいらっしゃるのですの?」

「さすがてーなるん。気づくよにゃあ」

 そうルレンティアが笑い、廊下の隅に目線をやると、その場所が歪み、隠蔽の魔法で隠れていたアーミアと聖羅が現れた。
 聖羅自身には魔法は利かないが、周りに幻影を被せることで隠れていたのである。

「大丈夫ですか? テーナルクさん、バラノさん……」

「……体に怪我はないみたい」

 心配そうに声をかけてくる聖羅と、淡々と事実を指摘するアーミア。
 ふたりの様子にテーナルクとバラノは変わったところはなさそうだ、と感じ――

 聖羅に抱かれている小さなドラゴンに気づいて唖然とした。

 テーナルクもバラノも、なんというべきか言葉を一瞬失う。
 奇妙な沈黙の時間を経て、最初に口を開いたのはルレンティアであった。

「とりあえず、ここから移動するにゃ。安全を確保して、それからお互い状況を確かめるにゃ」

 その意見を否定する者は一人もいなかった。

 小さくなった死告龍を抱えたバスタオル一枚の聖女・清澄聖羅。
 獣化しているとはいえ、胸に一枚布を巻いているだけの格好の獣人姫・ルレンティア。
 半透明のレースを幾重にも重ねた神聖法衣と、布を下着代わりに要所を隠している姫巫女・アーミア。
 ドレスが崩壊し、下着のみの姿になっている王国第一姫・テーナルク。
 蜘蛛の糸が巻き付けられ、所々が破れかけた聖女風ドレスを身に付けている軍略家・バラノ。

 うら若き乙女がするには、あまりにも悲惨かつ散々な姿をした彼女たち。
 この場に異性がいないことが、彼女たちにとっては数少ない幸運であった。

つづく

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第5章 3


 蜘蛛の糸に包まれていた状態から、自力で脱出したテーナルク・ルィテ。
 広いホールのような空間の、天井付近に張り巡らされた蜘蛛の巣に掴まり、ぶら下がりながら素早く周辺を見渡す。
 自身を糸で捕らえた大蜘蛛が近くにいないことを確認すると、ほっと一息を吐いた。

(注ぎ込まれたのが、致死性の猛毒でなくて命拾いしましたわね……さすがにあの量は耐えきれませんわ)

 テーナルクは蜘蛛に牙を突き立てられた箇所を掌で摩る。
 大蜘蛛の牙は元々の体躯の差から、人間にとってナイフで刺されるのと変わりない損傷を体に与える。
 特に今回は逃がすまじとばかりの突撃と共に突きたてられたため、毒がなくとも傷がそのまま致命傷になりかねないほど深くなっていた。
 しかしいま、テーナルクの体には傷らしい傷はない。多少皮膚に違和感はあったが、血も滲んでおらず、ほとんど完治しているといっていい状態だ。

(自動回復の首飾りは……ダメですか。再度同じ攻撃を受ければ、今度こそ死にますわね)

 テーナルクは暗殺対策として、傷つけられると同時に発動する回復魔法を仕込んだネックレスを身に付けていた。それが効果を発揮し、受けた傷を癒やしたのである。
 高い治癒力を発揮したネックレスは、その代償に壊れかけており、同じことはもう出来ない状態だった。
 ネックレスには、毒を無効化する力はなかった。注ぎ込まれた毒液は、純粋にテーナルクの抵抗力で耐えたのだ。王族の嗜みというものである。
 本来ならば身動き一つ取れなくなっていただろうが、一時的に意識を失う程度で済んでいた。
 しかし当然ながら万全な状態とは言いがたく、テーナルクはこの後はより慎重に行動しなければならないことを肝に銘じる。
 改めて周囲の気配を探り、蜘蛛が近くに戻って来ていないことを確認する。

(ひとまず、蜘蛛の気配は近くにない……ですわね。とりあえず下に降りて、落ちついて態勢を整えましょうか――)

 身体強化の魔法を扱えるテーナルクにとって、巣の高さはそう恐れるほどのものではなかった。
 念のため感知魔法を用いて、細い糸の罠が張られていないことも確認。
 怪しいものは何も感知できなかったため、テーナルクは蜘蛛の巣に掴まっていた手を離して、下に降りようとして。

『お待ちください、テーナルク様』

 すぐ近くから静止の声がかけられ、その動作を中止した。
 テーナルクが周囲を見渡すと、彼女と同じように蜘蛛に捕獲されたと思われる人間大の繭のひとつから声が聞こえて来ていた。

「バラノ様! ご無事でしたの!」

 白い繭の一部が裂け、その隙間からバラノの目だけが覗いていた。

『……ええ、なんとか。念話にて失礼いたします』

 バラノの口元はいまだ蜘蛛の糸によって覆われており、声を出すことは出来ないようだ。
 テーナルクは糸を伝って、バラノの傍に寄る。

『どうやら、あの蜘蛛は我々を殺す気はなかったようですね。周りの方々も生きていらっしゃるようですし。私が早々に脱出を諦めて抵抗をしなかったためか、テーナルク様のように毒も注がれずに済んだようです』

 言われてテーナルクは周囲の繭を見渡す。
 確かに、どの繭も微かに動いていて、全く動かない繭はないようだ。

「呼吸は出来ているんですの?」

『ええ。激しく動くと苦しいですが、この糸、かなり通気性はよいようで。落ちついて呼吸すれば、普通よりすこし息苦しい程度で済みます。ただ、突然のことに動揺した状態では難しいのでしょう。ほとんどの人はしばらくもがいた後、気を失ってしまっているようです』

 さらりとバラノは言ってのけたが、その胆力にテーナルクは舌を巻いた。
 力を持たないということがかえって覚悟を決めさせているのかもしれないが、冷静であろうと努めて実際にそうできる者はそうはいない。

「その目の部分だけ糸が裂けているのは?」

『私の無詠唱魔法ではこれが精一杯でした。起きていることが蜘蛛に知られても困りますし……ちなみに、私たちがここに運びこまれてから一時間ほど経過しております。その間、何度か蜘蛛は私たちと同じようにした犠牲者を運びこんで来ています。先ほども二人ほど追加されたところです』

「一体、何のつもりなのでしょう……この巣に生け捕りにすることに意味があるのでしょうか? ともあれ、貴女を捕らえている糸を焼きますので、動かないでくださいまし」

『お願いします。ただ、下に降りたくはないので、体を支えておいてくださいますか?』

「なぜ下に降りたくないんですの? 何かあるようには見えませんわ。糸もないようですし」

 先ほど、見えないほど細い糸の罠に引っかかったテーナルクは、それを学習して、そういった細い糸がないかどうかは真っ先に警戒していた。

『予想なのですが、触れたら切れる程度の、極細の糸が張り巡らされているのではないかと。蜘蛛の種族の中には、そういった糸を感知装置にして、巣の異変に気づく者がいると聞いたことがあります。それが厄介な点は、目視することが極めて困難である上、魔力を介さないために感知魔法で認識できないという点です』

 バラノは知識と予想を絡めてテーナルクに説明する。
 あらゆる想定を行うのは、軍略家たるバラノの得意とするところであった。

『わざわざ我々を生け捕りにした以上、そこにはなんらかの意味があるはず。こんな開けた場所に、何の用意もなく、ただ放置するとは思えません』

「……ありえなくはない話ですわね」

 テーナルクは言いつつ、視力を限界まで強化し、床に極細の糸が張られていないかを確かめる。
 そう意識して糸を探して見ると、ほんのわずかであったが視界の一部に違和感を覚えた。
 先ほどテーナルクたちを捕らえたものよりも遙かに細い糸が張り巡らされているようだ。
 それは獲物を捕らえる役目は果たさないだろうが、バラノが言ったような延長された感覚器としての役割は果たすであろう。
 もしテーナルクが先ほど下に降りていたら、それを察知した蜘蛛が戻ってきていたかもしれない。

(まったく……味方であるうちは頼もしいのですが)

 テーナルクは争う領域が違うとはいえ、バラノの想定の的確さに舌を巻かざるを得ない。
 その頭脳がかつては敵としてルィテ王国に牙を剥いていたこと、そして死告龍の騒動によって、彼女がルィテ攻略のための戦略を立てられなくなったことを考えると、テーナルクは命拾いをしたような心持ちだった。

(とはいえ、軍略家は彼女だけではありませんし、油断は禁物ですわね)

 そこまで考えたテーナルクは、一端それらのことを頭の隅に追いやった。
 ルィテ王国とザズグドズ帝国の戦いも重要だが、いま優先すべきはこの非常に危険な状況からの脱出である。
 テーナルクはバラノの近くの糸に片手でぶら下がり、バラノの体に空いた手を添える。身体能力強化の魔法がなければ、とても出来ない芸当だ。

「では、いきますわよ。動かないでくださいませ」

 バラノの体に添えた手に魔法の火を宿し、バラノを捕らえている蜘蛛の糸だけを正確に焼いていく。
 戦闘中には不可能であったが、じっくり行うのであれば問題なく糸だけを焼ける。
 程なくして、バラノは糸から解放された。その体を片手で担ぐようにして、テーナルクが支える。

「ありがとうございます。テーナルク様」

 バラノは糸から解放され、喋れるようになったためか、肉声に切り替えて話す。
 両手で胸を庇っているのは、彼女が着ていた『聖女風ドレス』の胸に巻き付けていた布が引き千切れていたためである。
 テーナルクは的確に糸だけを魔法の炎で焼いたのだが、その布は糸を巻き付けられる段階で破かれていたのだ。
 幸い、彼女はそのドレスの発端になった聖羅と違い、ちゃんと下着は身につけていたため、裸の胸を晒すことは避けられていたが、恥ずかしいことに変わりは無い。
 そういう意味ではテーナルクも似たような状況にあるのだが、本人の維持もあり、気にしないように努めていた。

「この体勢、あまり長くは保ちませんわ。いずれにせよ、降りていかなければなりませんが……方針を定めましょう。奇襲か。逃走か」

「逃走でしょうね」

 バラノのその判断に、テーナルクも異論は無かった。
 この場に隠れ、戻ってきた蜘蛛を奇襲することも考えられなくはないが、テーナルクもバラノも戦闘に特別優れているわけではない。
 一撃で倒し切れればそれもいいが、そうできない場合の方が可能性としては高い。。
 即死属性を持つ蜘蛛に戦いを挑むのは無謀である。
 まずはこの場を離れ、戦闘に長けた者と合流することを目指すべきだった。

「蜘蛛がどちらに行ったかはご覧になっておられませんの?」

 蜘蛛との遭遇は極力避けなければならない。
 相手も移動する以上、確実なことはわからなくともなるべく可能性を下げるために、テーナルクはバラノにそう尋ねた。

「残念ながら、蜘蛛が去っていった通路は私から見えなかったのです。ただ、逆にいえば私から見えていた通路から出て行っていないので、選ぶならそこでしょうか」

 言いつつ、バラノはこの広間に通じる道のうち、一本の通路を指さした。
 そこは蜘蛛が出入りするには少々狭く、選択肢としては悪くなさそうに見える。
 だが、テーナルクは悩んだ。

「……おそらく、罠が張り巡らされていると見ますわ」

 いかにも蜘蛛から逃げやすそうな通路。
 そして、蜘蛛が使いづらそうな通路。
 開けた廊下での遭遇戦でさえ、用意周到に逃げ道を塞ぐように罠を準備する蜘蛛が、その場所に罠を何も用意していないわけがなかった。
 そのことに、バラノも同意する。

「私もそう思います。ですので……こういう手はいかがでしょうか?」

 バラノが示した策戦に、テーナルクは苦い顔をしながらも従わざるを得なかった。
 軍略家たるバラノの示す手は、実に的確だったためである。




 二人の騎士が、たった一匹の大蜘蛛に翻弄されていた。
 騎士は王城に勤めていることもあり、選りすぐりの精鋭だった。その研ぎすまされた剣技と優れた魔法の扱いによって、大抵の魔物は個人で討伐出来る実力者揃いだ。
 だが、それでも蜘蛛は騎士を翻弄し得た。

「くっ……!」

 騎士が構えた剣が、突如半ばから切断されて使い物にならなくなる。
 咄嗟にその騎士は転がって追撃を裂けたが、戦闘力の著しい低下は避けられない。

「ダメだ魔力を宿した剣でも受けるな! 『即死』させられるぞ!」

「こんなんありかよ! 反則だろこれ!」

 もう一人の騎士がそう悲鳴混じりに叫びつつ、一歩後ろに後退する――その足が、張り巡らされていた糸に触れた。
 それを感じたその騎士は、冷や汗を流しながら慌てて足を戻そうとするが、糸は足を覆う鎧にひっついて離れない。

 その糸を、黒い霧が伝って来た。

 黒い霧が騎士の鎧に触れた瞬間、その足を覆っていた鎧が砕け散る。
 片脚だけ鎧を失った騎士は、バランスを崩しつつも、風の魔法で進行方向の安全を確保しつつ、後退する。
 蜘蛛は天井付近を高速で移動しており、狙いを絞らせない。

「即死攻撃で装備が破壊されるなんて聞いたことねーぞ!」

「とにかく避けろ! これが生身に触れたら――ッ!」

 指示を出していた騎士が被っていた兜が、破裂した。
 極細の糸が風に乗せて垂らされていたようだ。
 兜の中に納めていたその騎士の長い茶髪がパサリと広がってしまい、騎士は慌てて手でひとつに纏め、風の刃を発生させて乱暴に断ち切る。
 普段の戦場なら髪が広がろうと気にしないが、即死属性を持つ相手に対して広がる髪は致命的だからだ。
 ざんばらの髪型になったその騎士を見て、もうひとりの騎士が苦々しい顔になる。

「隊長……っ! くそっ、隊長の婚期がこれ以上遅れたらどうしてくれるんだ!」

「髪くらいあとでいくらでも直せる! 馬鹿なこと言ってないで警戒しろ! あと、あとで話があるからな!」

 隊長と呼ばれた女騎士は、部下の騎士に向かってそう怒鳴ってから、天井の蜘蛛を睨み付ける。
 蜘蛛は悠々と天井を移動していた。

「魔法使いではない以上、髪を失うことくらいどうってことはない、が……この代償は高く付くぞ!」

 隊長の怒りを表すように、彼女の体を一瞬雷が走り、それは無数の雷となって天井の蜘蛛へと空中を走る。
 蜘蛛の張り巡らせた糸を縫うようにして避けた雷撃は、的確に蜘蛛の頭部へと突き刺さった。

「やった! さすが隊長!」

「まだだ! 奴め……雷を受け流した!」

 忌々しげに呟いた隊長の言うとおり、蜘蛛の腹部に突き立ったと思われた雷は、その直前に張られていた糸に誘導され、天井へと流されていた。
 天井が雷によって焦げ、大きな音を立ててひび割れるが、蜘蛛自体はさして傷ついていない。
 それでも多少の影響はあったはずだが、高い魔法への抵抗力を有しているらしく、蜘蛛の体表面が多少焦げている程度だ。

「マジで!? なんつー器用な!」

 そんなのありかよ、と再度呟く部下に対し、隊長は冷静だった。

「即死属性をそのままブレスとして放てる死告龍よりはまだ対処のしようもあるが……生まれたばかりの眷族にしては技巧派すぎるな」

 長期戦を覚悟し、隊長が気合いを入れ直す中、不意に天井付近にいた蜘蛛が、あらぬ方向を向いた。
 警戒する地上の二人を置いて、蜘蛛は高速で移動を始め、その場から去ってしまう。
 しばし呆然としていた二人だが、蜘蛛が戻ってこないとわかり、一息つく。

「なんだったんでしょ? 慌てていたようにも見えましたけど……」

「さあな……とにかく、この場を凌げたことは確かだ」

 そう言いつつ、隊長は壊れて散らばった兜の破片を拾い上げる。
 破片に向かって魔法を行使するが、破片に変化はなかった。

「むぅ……【修復】の魔法が利かないだと……?」

「直せない、なんてことありえるんですか?」

「わからん……もしかすると、即死属性がまだ残留している、のかもしれないが……あれに壊されたものは直せないと考えなければならないだろうな」

 試しに騎士隊長が自分の髪に【修復】の魔法を使ってみると、床に散らばっていた髪がふわりと切断面へと舞い戻り、彼女の髪型は再び元のように戻った。
 大蜘蛛にやられたのではなく、彼女自身が切ったためだろう。
 それを見ていたもうひとりの騎士も、砕かれた自分の鎧の足の部分に【修復】をかけてみるが、その部分が修復されることはなかった。

「うええ……マジっすか……鎧の片脚だけないとか、みっともないなぁ……」

「剣を折られた私よりはマシだろう。とにかく、蜘蛛が戻ってこないうちに探索を進めよう。姫様やキヨズミセイラ様、各国の来訪者など、保護しなければならない方々と一刻も早く合流せねば」

 城内で魔界が発生するという異常事態にあっても、彼女は騎士の矜持に従って勤めを果たすつもりだった。
 なお、頂点である王が彼女の保護対象に入っていないのは、この世界における一国の王というものが純然たる力の頂点であるためだ。
 彼女たちと合流しようがしまいが、王が対処出来ない者に彼女のような一介の騎士が勝てるわけがなく、仮に王と合流したところで、王からは「他の者を守護するように」と言われるのが目に見えていた。
 運良く合流できれば共に行動することになるだろうが、そうでないなら王を探すのではなく他の非戦闘員や重要人物を探すべきなのだ。

「よし、では罠に注意を払いつつ、先に進むぞ。感知魔法を怠るなよ」

 騎士は冒険者ではなく、探索に特別秀でているわけではない。
 だが城勤めの騎士ともなれば、ある程度の状況にも対処出来る程度の対応力はある。
 想定外の状況に慌てふためいていては騎士の中でも上位には立てない。
 ただ――


『うむ。良い心がけですな』


 それぞれが警戒している騎士たちの間から、正体不明の声がするというのは、さすがの騎士隊長にも予想外すぎた。
 騎士たちが距離を取ろうとする前に、怪しげな声の主はすでに魔法を唱え終えており。

『お眠りなさい。あなたたちでは――存在価値不足です』

 その言葉が聞こえるのと同時に、騎士たちの意識は闇へと沈んだ。

つづく

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第5章 2


 清澄聖羅は、リューらしき小さなドラゴンを抱えて困惑していた。
 不可思議な森の中を模した魔界から脱出するべく、隠されていた扉を発見したまではよかったものの、その扉が開くと同時に小さなリューが飛び出して来たのだから、彼女が困惑するのも無理はない。
 普段のリューは人外のドラゴンらしい恐ろしげな相貌をしているが、その小さなリューは大きさによる威圧感の差もあるのか、どことなくあどけない印象を受ける風貌をしていた。

「あの、リューさん? これはいったいどういう……」

「きゅるるる~」

 聖羅の問いかけに答えず、リューは長い首を伸ばして聖羅の首筋にすり寄る。飼い主に懐いている大型犬がするような動きだった。
 本来、リューの体表面は鱗によって覆われており、もしも普通の人間の柔肌に対し、いまのようにすり寄れば、大変グロテスクな光景になっていただろう。目の粗いヤスリを擦りつけられるようなものだ。
 幸い聖羅にはバスタオルの加護がある。彼女の体はあらゆるものから守られていた。
 ゆえに、本来なら怪我をするような行為をリューにされても、くすぐったいだけで済んでいた。

「あ、あの、くすぐった……ひゃぁ! な、舐めないでください! ちょっ、そこはダメです!」
 
 首筋にすり寄るだけでは満足出来なかったのか、リューは聖羅の頬や首筋を舐め始めた。
 本来のドラゴンの舌は、鱗ほどではないにせよ、ざらざらとした感触のものだが、加護による影響のために、聖羅には普通の人間の舌に舐められているような感覚になっていた。
 いかにも動物的な動きをするリューに『そういう』つもりはないのだろう。
 とはいえ、聖羅がくすぐったいことに変わりはなかった上、危険なところを舐めそうになったため、聖羅は泡を食ってリューを抱き上げていた腕を伸ばし、その場所を舐められないようにしていた。
 一方、そんな聖羅とリューの様子を傍で見ていたルレンティアとアーミアは、困惑気味の顔を見合わせている。

「うーん、あーみん、これは、どうしたことかにゃあ?」

「……わからない。けど、そのドラゴンが死告龍であることは間違いない……と思う」

「ボクもこのドラゴンが死告龍だとは思っているにゃ。でも、それにしては気配も魔力も小さすぎないかにゃ? まるで……幼くなったみたいだにゃ」

 強大な魔力を持つ死告龍。
 その前に立つだけで気分を悪くしてしまっていたルレンティアだったが、いまは特にそういったことは感じないのか、余裕を持って――聖羅の体越しではあったが――小さな死告龍を眺めていた。
 そんなルレンティアの言葉に、アーミアは同意して深く頷く。

「魔界を生んだ魔物が、それによって弱体化……いや、幼体化するなんて話は聞いたことがない」

 魔界は魔物の影響を受けて自然にできるもので、魔物が作ろうとして作るものではない。
 その仕組みを考えれば、魔物が魔界のために力を使っているわけではない以上、魔界が生まれたからといって魔物が弱体化するわけがない。
 しかし現実として、死告龍らしきドラゴンは幼体と化している。

「……聞いたことはないけど、これだけ規格外の魔界を生み出したことから考えると、あり得なくはない。もしかすると、魔物が肉体を基礎に用いることで、ここまでの規模の魔界を短期間で、人工物の中にでも生み出すことができるようになるのかも」

「あり得そうな話にゃけど……それを魔物がやる意味があるのかにゃあ? 人間にしてみれば脅威だけど、そこまでして魔界を生み出す理由は、魔物にはないと思うんにゃけど」

 ルレンティアはそう呟きつつ、アーミアに意味ありげな視線を送った。

「うーん。結論を出すのは早すぎるかにゃ?」

 その言外に含まれた意味に、アーミアは頷く。

「早すぎると思う。まずはこの魔界のことをもっと調べるべき」

 魔界化への基本的な対処法は、その魔界を生み出した魔物を倒すというものだ。
 幼体化している死告龍であれば、あるいは倒すことも可能かもしれない。人類にとっては不倶戴天の敵である死告龍を倒す好機ではあるのだ。
 それを考慮に入れたふたりのやり取りであった。
 しかし同時にふたりは、様々な面で規格外な魔界であるため、その主である死告龍を倒してしまうことでより事態が深刻化することも考えていた。
 死告龍を倒す千載一遇の好機なのは間違いないが、その結果起こるかもしれない悲劇を考えると、ふたりの姫は慎重にならざるを得なかったのだ。

「あ、あのっ! おふたりで話してないで、助けてくれませんかっ!」

 ふたりがそんな話をしていることに気づいていない、正確にはリューにじゃれつかれていて余裕のない聖羅は、二人に向けて助けを求める。
 そんな聖羅の救難信号に対し、ルレンティアとアーミアは苦笑いで応じた。

「ごめんにゃ~。ボクたちが引き離そうとしたら、たぶん噛まれるから無理にゃ~」

「死告龍様はセイラさんにしか懐いてないから……がんばって」

 もし普通の犬猫であったなら、ルレンティアとアーミアも多少の怪我は覚悟の上で聖羅を助けられたかもしれないが、相手はドラゴン、それも死告龍である。
 幼体化しているとはいえ、死告龍に噛まれれば痛いでは済まない。手の先がなくなるような危険は冒せなかった。
 その理由は聖羅にもわかるため、それ以上強く求めることは出来なかった。

「そんなぁ……わひゃっ! リューさん、だめですってば!」

 また頬を舐めようとするリューを、聖羅はキッと睨み付けることで牽制する。
 滅多に聖羅が浮かべないその表情に驚いたのか、リューは振り回していた尾を力なく垂らし、首を竦めて、翼が力無く項垂れた。
 しょぼーん、という擬音が耳に聞こえてきそうなほど明瞭な感情表現に、聖羅は罪悪感を覚えて呻く。

(私は悪くない……はずなんですけど、なんでしょうこれ……なんだか、私の方が悪いことをしているような気に……)

 叱った子供が想定以上に落ち込んでしまって、子供に非があったとしても気まずく感じるような、そんな気持ちに聖羅はなっていた。
 そんな聖羅の背後に、ルレンティアとアーミアが立ち、そっと肩を叩く。

「せいらんせいらん、子供を叱ったときはその後が大事にゃ」

「もう怒ってないよ、と行動で示してあげるべき」

 さりげなく聖羅を盾にしつつではあったが、その助言に聖羅は感謝した。
 力無く尻尾を揺らすリューを、聖羅は抱きしめる。

「もう、怒ってないですから、ね? ちょっと静かに、大人しくしていてください」

「きゅるる……」

 相変わらずすり寄っては来るものの、必要以上に舐めることはなくなった。
 ひとまずリューが落ちついたことを感じ、聖羅は改めてルレンティアとアーミアに向き直った。

「それで、あの、おふたりはどうお考えですか?」

「そのドラゴンの幼体が死告龍様であることは、ほぼ間違いない、と思う」

「弱くなっているとはいえ、魔力の気配は死告龍様のままだしにゃ」

「……私はこの格好の時、リューさんやヨウさんの声は聞こえなくなってしまうのですが、いまのリューさんの声はおふたりにも聞こえませんか?」

「いや、完全に声が聞こえないわけじゃないにゃ。ただ、話すことはできなさそうなんだにゃ」

「どういうことですか?」

「死告龍様はずっと『せいら、せいら』と言っているの」

「まさに、言葉を覚えたての子供って感じだにゃ。性格や記憶はそのままに、知能だけ幼体化した……ってことなのですかにゃ?」

 ルレンティアが小首を傾げて問いかけるものの、リューは相変わらず聖羅に夢中で反応しなかった。

「うーん。確かに、言葉がわかっている様子はありませんね」

「しかし、困ったにゃあ。死告龍様と会えればなんとかなると思ったんだけどにゃ」

「これでは、どうしようもならない。とにかく、この魔界から出ないと」

 三人はそう結論を出し、改めて魔界からの脱出を目指して行動し始める。
 まずは、リューの飛びだしてきた扉の先を確かめる。
 リューが飛びだしてきたその扉の先は、広々とした石造りの廊下だった。まるで城の廊下のようにも見えたが、明らかに広さが違う。
 道の先が霞むほど遠くまで続いていた。

「こりゃまた広い空間だにゃあ……」

 もはや呆れるしかないといった様子で、ルレンティアは深々と溜息を吐く。
 それは聖羅やアーミアも同感で、疲れた様子の顔を見合わせた。

「これも結界術の一種のようだけど……こんなに広げられるなんて」

「境界線にさしかかったら、またさっきみたいにぶつかってしまうのでしょうか」

 先ほど急に頭をぶつけたことを思い出したのか、聖羅は手を恐る恐る前に出す。
 怯んでいる聖羅の様子に、アーミアは「大丈夫」と声をかけた。

「さっきは油断していたから見逃したけど、今度はそんな見逃しはしない。境界線にさしかかったらちゃんと教えるから、セイラさんは心配しなくていい」

「その辺りはあーみんにお願いするにゃ。ボクも気をつけるけど、ボクはアーミンほど結界術に長けてないからにゃあ」

「ルーさんの得意な魔法はどういったものになるのでしょうか?」

 何気なく、聖羅はそうルレンティアに尋ねた。
 アーミアが結界術というものに長けているというのは、会話の流れで把握したが、ルレンティアの得意な魔法については聞いていなかった。
 その聖羅の問いに対し、ルレンティアは少し考えるような間を置く。

「そうだにゃあ……一通り覚えてはいるし、身体強化系の魔法は意識して習熟したけど……一番得意となると、感知系ってことになるのかにゃ」

「ルレンティアのそれは、魔法なのか種族としての性質なのか、判断に困るところがある」

 獣人であるルレンティアはそもそもが勘働きの優れた存在だ。
 ゆえに、例えば感知系の魔法を使って得た情報から閃きを得て、その閃きに沿って効率的に感知魔法を使用する、と言ったことも出来る。
 感知系の魔法が得意、といえばその通りなのだが、そうだと断言するには少々種族としての特性が大きいこともあり、一概にはいえないというのが実際のところだった。

「テーナルクさんやバラノさんはどうなのでしょう?」

 魔界に飲まれているであろう、代表的なふたりについて、聖羅は口にする。
 その疑問に、ルレンティアとアーミアは揃って唸った。

「バラノについては……ボクもよくしらないにゃあ」

「策略家であり謀略家であるとは聞いている。セイラさんみたいに全く魔法が使えないというわけじゃないけど、あまり得意ではないみたい」

「てーなるんに関しては……ボクたちから言ってもいいのかにゃ?」

「構わないと思う。本当にダメなことはわたしたちには言わない」

 聖羅からすると気の置かないやり取りで仲の良い印象の三人だが、国を背負う立場の者同士、互いに言えないことや隠していることも多いのだ。

「じゃあ話しちゃうにゃ! てーなるんもボクと同じで、一国の姫という立場だから、一通りの魔法は覚えているにゃ。じゃないと魔法による暗殺とか怖いからにゃ」

「わたしは同じ姫でもちょっと違うけど、王族であるアーミアが優先しているのは、なによりも生き残ること。不意の襲撃にはもちろん、毒物などへの対策も万全なはず」

「対策、ですか?」

「わたしやルレンティアも活用してるけど、負傷したら自動的に回復魔法を唱えてくれるマジックアイテムを身につけたり、毒物をあらかじめ摂取して体を慣らしておいたりとか」

「致死性の猛毒であっても、ある程度なら耐えられるんじゃないかにゃ? ボクもそういう訓練は積んでるしにゃあ」

 平然と交わされる会話の内容に、普通の一般人でしかない聖羅は唖然としていた。
 そんな聖羅の反応を楽しむように、ルレンティアは締め括る。

「だから――麻痺毒程度なら、全然利かないにゃ」




 天井近くに展開された、蜘蛛の巣にかかった哀れな犠牲者たち。
 巨大な蜘蛛の糸によって全身をぐるぐる巻きにされ、身動き一つ取れない状態で巣に引っかけられている者達。
 微かに呻き声はするものの、体を動かす余力はないのか、蜘蛛の巣が揺れすらしない。
 その数は十とも二十とも見え、巣の主たる大蜘蛛が、新たな犠牲者をふたつ追加する。
 蜘蛛は巣を埋め尽くす犠牲者たちの塊を満足そうに確認したあと、さらなる獲物を探して再び巣の外へと出て行く。
 後には身動ぎひとつできない犠牲者たちが、かすかに呻く声だけが残り――

 そのうちのひとつが、内側から引き裂かれる。

 白く細い腕が糸によって作られた繭を突き破り、その掌に炎を灯した。
 炎はその腕の突き出した繭だけに燃え広がり、その者の体を覆っていた糸をあっという間に焼き尽くす。
 繭の中から姿を現したのは、背中に穴が開き、引き裂かれたのか、至るところがボロボロになったドレスを身に纏った女性。

 ルィテ王国第一王女、テーナルク・ルィテその人であった。

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第5章 1


 その使用人は、脇目も振らずに必死に逃げていた。

 背後からは気味の悪い喚き声と共に、裸足で走る音が追いかけて来ている。
 ひときわ鋭い威嚇の声に、思わず使用人が振り返ると、少し距離はあるが確実に使用人を捉えている様子の小鬼たちが、醜い声をあげながら追いかけてきていた。
 小鬼は人型で人間の子供くらいの背丈しかない小さな魔物であるが、厄介なずる賢い知能と残忍さ、どこにでも湧く性質、そして何より人間の女性を犯して繁殖するというおぞましい特徴を有している。
 スライムや血吸い蝙蝠など、低級の魔物は多々いるが、小鬼は他の低級の魔族と違い、人間のテリトリーを積極的に侵してくる。
 その点で、人間にとって最も身近な脅威だった。

「ひぃ……っ!」

 ゆえに追いつかれればどうなるのか、その使用人もよく知っていた。
 全力で逃げる。どこにどう繋がっているかもわからない天然の洞窟内を、使用人は懸命に駆けていた。
 ルィテ王国の王城で働く彼女は、基本的な魔力の扱いは習熟しているものの、戦闘に慣れてはいない。魔力を纏った手で殴りつければ小鬼くらいは殺せる威力が出るが、彼女にそれができるかと言われれば否である。

(どうして、こんなことに……!)

 彼女は逃げ続けながらそう思っていた。
 王城で働く彼女は、有事の際にどう動けばいいのか、よく理解している。ルィテの王族が様々な状況を想定して、あらかじめ行動指針を定めているためだ。
 突如空から敵国の大軍勢が襲って来た場合でも、ちゃんと行動指針は定められている。
 仮にそういう状況であったとしたら、彼女も落ちついて行動できただろう。
 だが、王城そのものが魔界化し、それに飲み込まれるなどというあり得ない状況に対しては、対策が講じられていない。
 着の身着のままダンジョンに放り出されたようなものだ。

「だれか……! 誰かーッ!」

 彼女は逃げつつも声を張り上げ、助けを求める。だが、返事はない。
 普段の王城なら一声あげればすぐに衛兵がかけつけてくるというのに。
 叫べば呼吸が苦しくなるとわかっていたが、いまにも追いつかれそうな恐怖に声をあげずにはいられなかったのだ。
 健闘虚しく、疲労の溜まってきた使用人の動きは鈍くなり、蹴躓いて転んでしまう。
 その際、悪い躓き方をしたらしく、足を挫いてしまっていた。起き上がろうとすると足首に激痛が走り、彼女はまた転んでしまった。
 足掻く彼女に、小鬼たちが追いつく。
 そして彼女が逃げられないように、その周りを取り囲んだ。獲物を前にして、舌なめずりをしている。

「ひっ……こ、来ないで! 触らないで!」

 伸びて来た小鬼の手を振り払い使用人は抗うが、小鬼たちは嗤うばかりでその場から去ることはない。
 通常、小鬼たちは粗末な武器や衣服を身につけていることが多いが、この場にいる小鬼たちは何も手に持たず、何も身に付けていなかった。
 小鬼に限らず、低級の魔物は大気中に流れる魔力が、何らかの原因で一点に集中した時、形を成して生まれることがある。
 魔界ではそれがより顕著であり、彼らはそうして生まれたばかりの存在であった。
 だが、魔物にとって生まれたばかりというのは無垢であることを意味しない。

「ギッギッギッ」

 怯え震えることしかできないらしい獲物を前に、小鬼たちは潰れた蛙のような、醜い笑い声をあげる。
 本能に従い生きる彼らにとって、弱い人間は格好の獲物であった。
 小鬼たちが強く持つ欲求――所有欲、食欲、支配欲、そして性欲。
 それらをすべて満たす『服を着た』『人間』の『弱い』『雌』は、ご馳走としか言い様のないものだ。
 遮二無二暴れる彼女が疲れるのを待っていた小鬼たちが、彼女の動きが鈍ったのを見て、地面を蹴って一斉に跳びかかる。

 そして、再び地面を踏むことはなかった。

 彼らは謎の力で一瞬空中に縫い付けられたかと思うと、次の瞬間その体を歪ませ、巨大な透明の手に握り潰されたかのように潰れてしまったからだ。
 水袋が破裂したかのように赤い血が迸り、周囲にまき散らされる。
 それを頭から被った使用人は、目の前で起きた異常な事態に唖然とすることしかできなかった。
 その頭上から、細長い何かが彼女に襲いかかる。

「あっ――むぐっ、うぅ!?」

 悲鳴を上げる暇もなく、彼女の上半身はその何かに包まれてしまった。
 生暖かい感触が彼女の上半身を覆う。
 咄嗟に瞼と口は閉じたものの、鼻にどろりとした液体がかかり、危うく吸い込むところだったのを呼吸を止めて凌ぐ。
 もし彼女の状況を傍から見るものがいれば、天井を突き破って出現した細長い筒に、彼女の上半身が飲み込まれた様が見れただろう。
 いまはまだそれに包まれていない下半身が暴れて逃れようとしたが、その筒は彼女を上へと吸いあげていき、彼女の体はどんどん筒の中へと入っていく。

「ンーッ! ンんッーっ!」

 出せる限りの呻き声をあげ、必死に体を捩らせ、足をばたつかせる使用人の彼女。
 だがその抵抗も虚しく、彼女のシルエットは筒の中を移動し、足先まで筒の中に呑まれ、最終的には天井の中へと消えていった。
 そして、彼女を飲み込んでしまった筒自体も、突き破った天井の中へと再び戻っていく。
 彼女の呻き声はすぐ聞こえなくなり、その場所には静寂と、不可視の力で押しつぶされた小鬼たちの血だまりと肉片だけが残った。




「妙、ですね」

 床を塗らすその液体を検分していたバラノが、ふと呟いた。
 周囲を警戒していたテーナルクが、その呟きを聞き咎め、苛立ち混じりに問う。

「なにが、ですの? 調べられたのなら、ちゃんと詳細を教えてくださりませんか?」

 トゲのある言い方になってしまっているのは、元よりバラノとそりが合わないということもあるが、彼女が緊迫した状況下で神経を尖らせているためであった。
 テーナルクは王族らしく、魔法の扱いに長けた実力者ではあるが、王族であるが故に実際に戦場に出たことはほとんどない。
 戦地を視察することがあっても、その際には腕利きの護衛を伴っている。
 ゆえに、何が起きるかもわからない状況下で、戦える者が自分しかおらず、守らなければならない相手は本来敵国に属する者、となれば神経を尖らせるのも無理はないことだった。
 そんなテーナルクの心情を正確に理解しているのか、バラノはテーナルクに対して「申し訳ありません」と、不用意な呟きを聞かせてしまったことを詫びつつ、応えた。

「この液体は、スライムの体が溶けた……いえ、崩れて出来たもの、というべきでしょうか。いうなればスライムの残骸です。宿っている魔力の乏しさから、生まれて何も吸収することなく死んだと思われます。ただ、もし魔界化に伴って発生した魔物であるならば、死告龍の眷族ということになり、そう容易く死ぬとは思えません」

 バラノは戦闘力を持たない代わりに、分析力に長けていた。テーナルクも探査の魔法は使えるが、バラノはそういった魔法に加えて知識と知恵で分析を行う。
 テーナルクは深く息を吸って吐き、尖り気味の気を静め、冷静であろうと努める。
 そして同時に、バラノにひとつ上をいかれていることを自覚し、忌々しげに唸った。

(情けない……ルィテ王族ともあろうものが……いえ、その誇りもいまは不要ですわ)

 つい先ほど、魔界化が始まる前まで、テーナルクとバラノは互いに嫌悪を隠さないやりとりを繰り広げていた。
 無論、表立って敵意を露わにすることはふたりともしなかったが、思うところがあるのはお互い様であり、駆け引きの一種として嫌味の応酬くらいはしていたのだ。
 だが魔界化に呑まれ、ふたり孤立した時――戦える者と戦えない者の違いはあるとはいえ――テーナルクは先のやりとりの尾を引いてしまったのに対し、バラノはこの状況では協調するべきと即断し、先のやりとりの影響などまるで感じさせないように振る舞ったのだ。
 結果、テーナルクはバラノの態度もあって、頭を冷やさせられた。

(本当に、これを全部狙ってやっているのだとしたら質が悪すぎますわ……)

 冷静にならなければならなかったことは事実であり、ひとまずテーナルクはバラノの態度については考えるのはやめて、改めて問う。

「王城には兵士や魔法を使える者もいたはず……その者達が倒した、ということではありませんの?」

「そうかもしれません。ただ、それにしては周りに戦闘した後が何もないのです」

 そういってバラノは周囲に視線を走らせる。
 テーナルクはスライムの痕跡にばかり目がいって、周りを見渡せていなかったことに気づかされ、顔をしかめた。

「……確かに、そうですわね」

「見るべきものは見ましたし、ここから移動しましょう。なんであれスライムを倒すような存在がこの付近にはいるわけですし」

 テーナルクとバラノは移動を開始する。
 彼女たちがいる場所は城の廊下のような広い空間だった。しかしルィテの王城とは違う場所であることは明らかで、廊下は複雑怪奇に入り組み、先が霞むほどの遠くまで続いている廊下さえあった。天井は高く、魔法の灯りが天井からつり下がって照らしているため、視界はそれほど悪くはない。
 ふたりはなるべく目立たないように廊下の端を、周囲に警戒しながら進む。
 バラノが先に立って進み、テーナルクは背後に立って広く俯瞰して周囲を見つつ、背後にも気を配っていた。

(本当に、腹立たしいほど有能ですわね……)

 テーナルクは前を進むバラノの背を複雑な気持ちで見つめる。
 戦闘力をほとんど持たないバラノが先頭を歩いている理由は、端的にいえば囮である。
 最も危険な初撃をバラノが受けることで、背後に控えたテーナルクが対処しやすくするという目論見だ。
 確かに初撃でテーナルクが戦闘不能になってしまっては、バラノも結局はやられてしまうだろう。戦闘力がないといっても基本的な護身術は抑えているので、バラノが初撃で死ぬようなことはよほどの攻撃でなければない。
 とはいえ、それでも自ら攻撃を受けるかもしれない立ち位置を躊躇わず選択できる辺り、非戦闘員らしかぬ覚悟を決めていると言えた。
 移動しながら、テーナルクとバラノは会話を続ける。

「スライムは弱い魔物ではありますが、物理的な攻撃では核を的確に打ち抜かねばならず、とても激しい戦いになるはずですし、魔法でならばまだ対処は容易ですが、焼き払うという形になる以上、その痕跡は多く残るはずです」

「それほど強力な眷族ではなかった、ということかもしれませんわよ?」

「私もその可能性が高いと思うのですが……仮説として聞いてください。即死属性なら、相手がスライムであろうと痕跡ひとつ残さず、難なく殺せます」

「……? それは当然では……ん、いえ、そうではないですわね」

 スライムを痕跡ひとつ残さず倒すには、熟練した技か、即死属性持ちの攻撃が必要だ。
 前者でないとすれば、即死属性を持つ者がこのスライムを殺したことになる。そうなるとその候補の筆頭に上がるのは死告龍である。
 死告龍レベルの即死攻撃が出来るものを、テーナルクもバラノも他に知らない。
 死告龍であれば、気にくわないという理由でせっかく生まれた眷族を殺す可能性もないわけではない。
 ただ、死告龍の眷族であれば、眷族も即死属性を持っているはずなのだ。

「属性持ちの魔物は、持っている属性に対する耐性も合わせて持っているのが普通……でなければ、死告龍は自分の吐く即死ブレスで死んでしまいますから」

「もしあのスライムが眷族であったとするなら、即死属性で容易く死ぬはずがない、というわけですわね」

「ええ。基本的に眷族は主に忠実とはいえ、死ねと言われて死ぬほどではありません。何の抵抗もしなかったのはおかしい……つまり、あのスライムは抵抗する間もなく、死告龍、もしくはその眷族に即死属性で倒された、死告龍の眷族ではないスライムの可能性があります」

「……まさか。魔界化がそこまで進行しているというのですの?」

「あくまで可能性の話ですが……十分あり得るかと。本来なら、城が魔界化すること自体あり得ないことなのですし」

「……それもそう、ですわね」

 反抗心ゆえではなかったが、否定する材料を探したテーナルクは、バラノの推測を否定することが出来なかった。
 魔界化にはいくつか段階がある。
 ある一定の大きさを有する魔界には、魔力溜まりがよく出来るようになり、魔界の主とは直接関係のない魔物が多々発生するようになるのだ。
 それがさらに深まっていくと、魔界から出られない眷族以外の魔物が魔界から溢れ出すようになる。その中でも強力な魔物がまた別の魔界を生み出して広がり、やがて魔界は迷宮――いわゆるダンジョン――へと呼び名を変えていく。
 元々混沌とした魔界がさらに混沌とし、思い掛けない素材や財宝も生まれるようになり、そういった迷宮は人々にとって最大の脅威にして最高の狩り場になる。

「全く……死告龍は本当に何もかもが規格外すぎますわ……迷宮は『古代魔王の大迷宮』だけで十分ですのに……」

「あそこは魔界の中核を成す魔王が封印されていて、比較的安全ですからね。ただ、最近は各国の調査団が殺到しすぎて、少々面倒なことになっているようです。迷宮を管理しているシュルラーヌ共和国から、しばらく転移を控えるように通達がありましたし」

「一昔前に比べると、転移魔法に改良が加えられて、発動に必要な魔力量も抑えられて来ておりますから……というか、その面倒を起こしている筆頭の国が、人ごとみたいに言うんじゃありませんわ」

「我が国にとっても重要な迷宮ですので」

 テーナルクのトゲのついた言葉を、しれっと受け流すバラノ。
 その役者ぶりにテーナルクは深く溜息を吐いた。
 ザズグドズ帝国は侵略政策を主とする軍事国家だ。ゆえに『古代魔王の大迷宮』にも頻繁に調査団――という名の冒険者の一団――を派遣し、貴重な資源や財宝を回収している。
 大抵の国で冒険者は上位になればなるほど自由人の気質が強くなり、縦の繋がりは弱くなっていく。国のいうことを利かなくなる者が多くなるのだ。
 だが、ザズグドズでは、冒険者と国の結びつきが強く、各国の迷宮調査団の中でも破格の実績をあげている。

「あれだけ優秀な冒険者たちを国がまとめ上げている手腕には関心してしまいますわ。一体どんなカラクリがあるんですの?」

「機密でもなんでもないですよ。単に駆け出しの頃からきちんと支援しているだけです」

 帝国では冒険者というのは「一攫千金を目指す向こう見ずな若者がなるもの」という認識ではなく、「未知に挑み、困難に打ち勝つ専門家」という認識である。
 食うに困った寒村の若者や周囲に馴染めない乱暴者が仕方なくなるもの、ではないのだ。商人や職人と同様にひとつの職業であり、向いているものが目指すものなのである。
 ゆえに教育や指導などの支援が充実しており、他の国に比べると駆けだし冒険者の死亡率は極めて低い。

「なるほど、そうやって育った冒険者は、国に恩があるから指示も聞かせやすく、作戦行動も取りやすいというわけですのね……」

「特にいまの王は徹底した実力主義者ですから。冒険者を軽んじたとある貴族のご令嬢を毒沼に蹴り落としたこともありましたね」

「聞き及んでおりますわ……その噂、帝国の野蛮さを端的に表す話となっていますわよ? 真実は違うのですの?」

「もちろんです。王はドレスに身を包んだご令嬢に、その姿で毒沼を歩けるかと問うたのです。無論、ドレスはめちゃくちゃ、ご令嬢も毒に侵されてまともに歩くことも出来なくなりました。王はそんなご令嬢を冒険者に命じて助けさせ、己が分を弁えよとおっしゃいました」

 バラノは自分の主君を誇るように、話を続ける。

「すっかり大人しくなったご令嬢の元に、王は彼女が着ていた以上の素晴らしいドレスを贈り、伝えたのです。『お前の分は華やかに着飾り、美しい所作と振る舞いで我が国を美しく魅せることにある。それは冒険者には出来ないお前の仕事だ』と」

「なるほど……飴と鞭で諭したというわけですわね。周辺国家には鞭の部分しか伝わっていないようですけども」

「逆の話もありますよ? 貴族を軽んじた冒険者に対し、巧みな話術で極めて不公平な契約を結ばせたのです。その解消を貴族に命じて、貴族の交渉術というものを見せつけさせたことも」

「なんとも厄介な……そこまで優秀なのに、なぜ侵略政策など取るのでしょう」

「王曰く、必要なことだからだそうですが……私も詳しくは教えられておりません。王自身に『王を盲目的に信じるな』と命じられておりますので、私も独自に色々と調べて考えてはいるのですが……ん?」

 そこで不意にバラノの進む足が止まった。
 テーナルクが警戒を強める。バラノはそんなテーナルクに人差し指を立てて静かにするように合図してから、廊下の角から奥を静かに覗き込み――その身体が、天井に向かって吹き飛んだ。
 一瞬の出来事だったが、テーナルクは何が起きたのか正確に把握出来ていた。
 角から先を覗き込んだバラノの背中に、白い糸のようなものが上から降って来て、張り付くと同時に引き揚げたのだ。

「バラノ様! ――くっ!」

 テーナルクは咄嗟に頭上に魔法障壁を張りながら後退する。
 展開した魔法障壁に粘着性のある白い糸がぶつかり、障壁をたわませた。

(上からとは……不覚ですわ!)

 カサカサと、天井を這う音がする。
 バラノはその音に気づいたが、角を曲がる直前だったため、曲がった先から聞こえていると勘違いしてしまったのだ。
 天井を見上げたテーナルクは、天井に巨大な蜘蛛が張り付いているのを見た。その大きさは、口の部分だけで人間の頭部を囓れるほどに大きく、膨らんだ胴体や、細長いが大きく広がる八本の足まで含めると、死告龍並みに大きい。
 蜘蛛はお尻の先から白い糸を射出し、バラノをぐるぐる巻きにしていた。バラノはミイラのように全身が白い糸で覆われており、芋虫のように身体をくねらせることしかできていなかった。

(まずい……あのままでは呼吸ができませんわ……!)

 一刻も早く助けなければ命が危ない。
 テーナルクが攻撃的な魔法を唱えようとしたとき、蜘蛛が再びテーナルクに狙いを定める。
 障壁を展開して備えるテーナルク。その背筋に悪寒が走る。
 彼女は咄嗟に魔法を中断し、横っ飛びでその場から逃れた。
 その次の瞬間、黒い霧のようなものを纏った糸を蜘蛛が射出し、テーナルクが展開していた障壁を突き破って、一瞬前まで彼女がいた場所に白い糸が着弾した。

(障壁を一瞬で――? これは、即死属性……死告龍の眷族……っ!)

 悪寒の正体を悟りながら、テーナルクは走る。
 逃げるためではなく、同じ場所に留まらないための足運びだ。
 テーナルクの判断は正しく、蜘蛛は次々糸を放射し、テーナルクをも絡め取ろうとする。
 避け続ける彼女は、蜘蛛を倒すのは難しいと判断した。

(蜘蛛には炎系の魔法が有効……ですが、いまそれを放つとバラノ様まで巻き込んでしまいますわ……)

 蜘蛛の糸は良く燃える。それゆえに、もしいまテーナルクが炎の魔法を使って攻撃をすれば、燃え広がる火がバラノまで燃やしてしまうだろう。
 魔法の火は放った者の意思である程度制御することが出来るが、選択した者だけ全く焦がさないほどに制御出来るのは、魔法を極めた者だけだ。
 ましてや、炎の制御だけに集中できる状況でもない以上、延焼してバラノを焼いてしまうということになりかねない。

(ここは、撤退すべ――きっ!?)

 天井に張り付いていた蜘蛛が、突如落下して来た。空中でくるりと身体の向きを変えた蜘蛛は、床に着くや否や、もう加速してテーナルクに迫る。
 蜘蛛の口の前、鎌のような形状をした鋏角がテーナルクに食らいつかんと開いていた。
 硬直しかけたテーナルクだが、ギリギリ回避行動が間に合った。床を蹴り、突っ込んで来た蜘蛛の頭上を越える形で、突進を回避する。
 その際、着ていたドレスの裾が蜘蛛の身体に引っかかり、太ももまでむき出しになるスリットが新たに生まれてしまった。
 だが、そんなことに構っている余裕はない。

(いまが好機ですわ!)

 蜘蛛の速度は確かに脅威だったが、テーナルクがギリギリでかわしたことにより、蜘蛛は一瞬テーナルクの姿を見失った。
 テーナルクは無防備な蜘蛛の背に攻撃魔法を撃ち込む――ことはせずに、強化した身体能力を活かし、天井に向けて跳躍。
 糸によってぐるぐる巻きにされていたバラノの近くに移動すると、風の刃を生み出す魔法を使い、バラノを巣から切り離した。
 肩に担ぐようにバラノを回収すると、天井を蹴って床へと移動。着地すると同時に勢いよく駆けだし、蜘蛛から離れていく。
 決して無理はせず、救出を優先したテーナルクの判断は正しかった。

 だが、警戒が一つ足りなかった。

 確実に逃げられると考えたテーナルクの身体が突如減速し、空中につなぎ止められる。
 テーナルクは自分の身体に、目を凝らさないと見えないレベルの、細い糸が絡みついているのを感じた。

(罠――!?)

 テーナルクは失敗を悟る。
 蜘蛛の死角を行こうと咄嗟に駆けだした方向は、まだ彼女たちが歩いていない場所、つまりは蜘蛛がいた方向の廊下だった。
 すでにその場所には蜘蛛によって罠が張られており、迂闊に走りだしたテーナルクはその罠にまんまと引っかかってしまったのである。
 魔法を使って抜け出そうとしたが、それは致命的なタイムラグだった。

 テーナルクの腹部に、激痛が走った。

 即座に距離を詰めた蜘蛛が、その毒針をテーナルクの腹部に突き刺していた。
 刺されたことによる激痛と、流し込まれた毒液による痺れが全身を襲い、テーナルクの意識は暗転してしまった。

つづく

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第四章 おわり


 アーミアの尊い犠牲――羞恥と下着だ――もあって、聖羅たちに襲いかかってきた大きな花の魔物は倒すことができた。
 囮として花の魔物に捕まったアーミアは、神聖法衣という神々の加護を有する衣服を召還し、身体的な負傷はせずに済んだ。
 しかし花の魔物の蔓の締め上げと、丸呑みされてからの消化液らしきものの効果によって、神聖法衣の下に身に付けていた下着を喪失してしまったのだ。
 今後の行動に支障が出かねない、大きな損失だった。

「ルレンティア……換えの下着、持ってない?」

 神聖法衣は薄いレースを幾層にも重ねたベールを組み合わせ、服の形を成している。
 その完成度は芸術品の域だが、服装としては一つ大きな欠点があり、光に透けてしまうのである。
 下着を着ることはできるが、それ以上の服を着ると神々の加護が緩んでしまう。
 現在、アーミアは花の魔物のせいで下着を失っているため、神聖法衣越しにその肢体が微かに透けて見えてしまっている状態にあった。
 要所を手で隠す事はできるが、アーミアにとっては無防備で頼りない状態である。
 新しい下着があれば済むことなのだが、変質した異界の中では探すこともできない。
 ゆえに誰かが下着を持っている、という可能性にかけるしかないのだが。

「さすがに持ってないにゃあ」

 ルレンティアは苦笑気味に応える。
 彼女は開放的な風土を持つ湖の国の姫であり、露出度の高い服装を着ることに抵抗感はないが、強いて脱ぎたがりというわけではない。
 常に下着の替えを準備してはいないのである。

「服系の装備を呼び寄せられるようにはしてないのかにゃ?」

「わたしが呼びだせるのは通常の神官服だけ。でも、神官服は何の効果も持たない服だから、いまの状況では神聖法衣を脱ぐわけにも……」

「それはそうだにゃあ」

 推定、死告龍が作ったと思われる魔界。
 何が起きるかわからず、即死属性を有する敵がいるために、アーミアは神聖法衣を脱ぐことができないのだ。

「さっき脱ぎ捨てたドレスが使えればよかったんだけど」

 脱ぎ捨てたアーミアのドレスは、花の魔物との戦闘中に消えてしまっていた。
 花は消化液を垂れ流していたために、それに触れて溶けてしまったのだと思われる。

「神官服を加工して、下着にするしかないんじゃないかにゃ?」

 要は布切れを下着にできればいいわけであり、その方法は可能だった。

「……それしかない、か」

 それはまともな服を失うということでもあり、うら若き女性であるアーミアには耐えがたいことである。
 しかし背に腹は替えられない。アーミアは神官服を呼び出すと、その裾を魔法で切り取って、細長い布切れとし、下着として体に巻き付けた。
 その間に、ルレンティアは木の上で待たせていた聖羅を抱えて、降りてくる。
 地面に降りた聖羅はルレンティアにお礼を言い、アーミアにも話しかけた。

「アーミアさん、お怪我はありませんか? すみません。私が囮になるべきところを……」

「気にしなくていい。魔法の補助なしで反応するのは無理」

 聖羅の謝罪に、アーミアはそう応えた。
 その内容に対し、聖羅は抱いた疑問を尋ねる。

「魔法の補助……あの一瞬で、魔法を使ったんですか?」

「正確には常にかかっている反射魔法と呼ばれるもの。危機的状況に陥った時、自動的に発動して、体感速度や思考速度を加速させる」

「急な襲撃や暗殺に警戒しなければならない立場の者には必須の補助魔法だにゃ。その昔、超強くて正面からの戦闘では誰も勝てなかった覇王が、腹心だったはずの部下の裏切りで後ろから魔法で焼き殺されたことがあったのにゃ。隣にいた覇王の寵姫も続けて殺されるところだったにゃが、最初の狙いが覇王だったことで、寵姫の反撃は間に合い、裏切り者は殺されたのにゃ」

「その時の経験を踏まえて、その寵姫が生み出したのが反射魔法。この魔法を使っておけば、例え背後からいきなり魔法で攻撃されても、反撃が間に合うようになる」

「ただ、取り扱いには注意が必要な魔法でもあるのにゃ。この魔法、使いすぎると早死にすると言われてるにゃ」

「常に反射速度も思考速度も速めた状態では精神が保たないから」

「なるほど……だから、とっさの時に自動的でしか発動しないようになっているんですね」

 聖羅は以前、リューが不意打ちで火球を放たれた時、即座に反撃していたことを思い出していた。
 彼女には攻撃されたことすらわからなかった一瞬出来事であった。その超反応を可能にしたのは、そういった魔法の恩恵あってのことだったのだろう。
 話が一通り済み、落ちついたところでルレンティアが話題を改める。

「さて、この結界を作り出していたと思われる魔物は倒したけど……出られるようになったかにゃあ」

「それも気になりますが、あの花に捕らえられていた妖精さんたちは無事でしょうか?」

 花の魔物には、何体もの妖精が捕らえられていた。
 傷つけられてはいなかったようだが、本当に無事かどうかはわからない。
 そう思って聖羅が周囲を見渡してみるが、妖精たちの姿はすでになかった。
 消滅してしまったのか、それとも解放されたので姿を隠してしまったのか、不安に思う聖羅に対し、アーミアとルレンティアが応える。

「消滅、はしていなかったように思う。たぶん」

「あの花は妖精たちから魔力を吸い取って結界を構築していたと思うから……恐らく魔力が枯渇したんだろうにゃ」

「魔力を消耗した妖精は、それが回復するまでは姿を隠すのが普通」

「そうですか……それなら、とりあえずはそっとしておいた方が良さそうですね」

 そう判断した聖羅は、妖精たちのことは一端脇に置いておくにした。
 空間からの脱出を試みるべく、三人は移動を開始する。
 その道中、片手に荷物を抱えているアーミアを見て、聖羅は呟いた。

「そういえば、この世界にはアイテムボックスみたいな、荷物を運ぶための魔法はないんですよね」

 魔界のような異空間が生まれうるなら、そう言ったものがあってもおかしくないと、聖羅は思ったのだ。
 その疑問に対し、アーミアとルランティアは首を横に振る。

「便利だとは思うけど、そういった魔法は聞いたことがない」

「魔界を生み出せるのは魔物だけだからにゃ。空間に作用する方法はよくわかっていないのにゃ。協力的な魔族もいるけども……彼らにも原理はよく分かってないみたいだにゃあ」

「魔族自身は研究とか、そういうことはしないんでしょうか?」

「する者もいると思うにゃ。けど、死告龍がそうであるように、魔界を生むほど強い魔族はそういったことには興味がないみたいだにゃ」

「……というより、その域に達するとそれは等しく人類の敵だから。友好的に話を出来た例がほとんどない」

 アーミアは躊躇いながらではあったが、その事実を聖羅に伝える。
 聖羅もまた、その事実が躊躇いつつ告げられた理由を理解していた。

(魔界を生み出す魔族は人類の敵……つまり、リューさんもそうだと言いたいんですよね。まあ、そのことは前から聞いていましたが……)

 その話をアーミアが改めてした、ということに何か意図があると聖羅は感じていた。

(リューさんが危険な魔族であることを実感させようとしている……とかでしょうか)

 なんの後ろ盾もない聖羅にとって、死告龍の存在は安全を担保するための強力な切り札である。
 だが、それを切ることは極めて危険な賭けにもなる。誰にも負けないかもしれないが、すべてを敵に回す可能性を孕んでいる。
 安全をアーミアやルレンティアが安全を確保してくれるのなら、聖羅としてはリューから離れても問題ない。リューへの個人的な感情はおいておくにしても、だ。

(ルーさんもアーミアさんも、それぞれ国の代表であるという面を差し引いて考えても、信用のおけそうな人物であるというのはわかってきましたし、あとは、リューさんが私から穏便に離れてくれれば……)

 そう考えかけた聖羅だが、同時に大きな問題にも気づく。

(もし……リューさんが私に番になってほしいという望みを抱かなくなったとして。リューさんはその後どうするのでしょう?)

 普通に考えれば、恐らく次の番候補を求めて動き出すのだろう。
 数々の英雄クラスの者たちを薙ぎ払ってきた危険な存在が、再び世に放たれるということだ。
 それは極めて危険なことだった。

(やはり、どこかでお二人に協力をお願いするべき……でしょうね。私一人では最適解を見出すことができません)

 そう思いつつ、いまここで話して良いことでもなさそうだと考えた聖羅は、この場を凌ぐ方向に頭を切り替えた。

「話が逸れてしまいましたね……結界がどうなったか見に行きませんか?」

「それがいいにゃ」

「わかった」

 三人は先程聖羅が弾かれてしまった結界の境界へと向かう。
 その場所はすでに大きな変化を見せていた。

「扉……? ですよね」

 森はまだ先に続いているようにも見えるが、明らかにその景色に綻びが生まれていて、そこに半透明の扉のようなものがあるとわかった。
 扉に対してはいい思い出のない聖羅であったが、明らかに変化が生まれているということに希望が見えた。
 しかし、アーミアとルランティアは難しい顔をしている。

「あれは……なんだと思う? ルレンティア」

「普通の扉ではなさそうだにゃあ。明らかに違う場所につながっていそうだにゃ」

「例の、国と国とを繋いでいる門のように、ですか?」

「いや、この場合は遠くに行くというよりは、別の空間につながっているというべき」

「完全に夢幻迷宮だにゃ。協力しているとも思えないし、死告龍の魔界はどうなってるんだにゃー」

 疲れたようにため息を吐くルレンティア。
 聖羅は彼女のいう言葉が気になった。

「ルーさん、夢幻迷宮というのは……?」

「妖精が生み出す妖しの術の中でも極意と呼ばれる魔法だにゃ。大妖精レベルの者が扱う術で、普通の妖精がただ道に迷わせる程度だとすれば、大妖精の物は本当に違った道を歩むことになる……それが突き詰められると、こんな感じで全く別の空間同士が繋がるのにゃ」

「その時、空間と空間を行き来する手段として、こういった扉が生まれることがある」

「なるほど……だとすると、ヨウさんがこの空間に関わっている可能性がありますね……」

 聖羅が素人考えを自覚しつつ呟くと、アーミアとルランティアもそれに賛同するように頷いた。

「関係ない、と思わないほうがいいとおもうにゃ」

「自発的なのか、さっきの妖精たちみたいに無理やり使われているのかはわからないけど、大妖精の力を使っているとみるのが自然」

 アーミアは深くため息を履く。

「現状ですでにありえないけど……その上、こんな複雑な空間をゼロから作ったというよりは、大妖精の力を流用していると考える方がまだマシ」

「……少なくともヨウさんは私への義理立てを誓ってくれています。ヨウさんに接触して、夢幻迷宮の力を使わないようにお願いすれば、聞いてくれるかもしれません」

「事態打開のためには必要な工程かもしれないにゃあ。いまのままじゃ、どこに魔界の主がいるのかもわからないし、最悪永遠に逃げ続けられるかもしれないにゃ」

「とにかく、まずはこの結界から出よう」

 そう言ってアーミアが結界に向かい、杖を使って魔法を使おうとした時。
 唐突に扉が開いたかと思うと、そこから黒い塊が飛び出してきた。
 聖羅はもちろん、アーミアとルレンティアも反応できなかった。
 ふたりは反射魔法で飛び出してきたものは認識できていたが、認識出来ていたからこそ、反応できなかった。
 いずれにせよ、その場にいる誰も反応しなかったことで。

「ごっふぅっ!」

 聖羅はその黒いものの直撃を腹に受け、くの字の形で吹き飛ばされた。
 そのまま仰向けに倒れた聖羅は、痛みこそ感じなかったものの、突然の衝撃に目を回していた。

(こ、この感じ、なにか、覚えがあるのですけど……っ)

 そう思う聖羅の視界に、ひょっこりと入り込んでくるものがあった。
 ヘビのような、トカゲのような。立派な角を生やした、爬虫類の顔。
 本来聖羅は爬虫類の区別をつけられるほど、爬虫類に対して詳しくなかったが、その存在のことだけはわかった。数週間、毎日のように顔を合わせていれば当然である。
 その黒い鱗を持つ存在は、どっしりとした重みで聖羅の身体の上に乗っかっていた。

「くるるっ、きゅるるる~」

 楽しげな鳴き声は、聖羅がよく聞いていた声と相違なく、それが間違いなく自分の知るあの存在だということを、聖羅は確信できていた。
 だが、同時に戸惑いも大きくなる。

「りゅ、リューさん……?」

 思わず語尾にハテナマークが浮かんだのも、無理はない。
 聖羅は自分の胸の上に乗っていたその存在を、両手で持ち上げて上半身を起こす。
 聖羅の呼びかけに、トイプードルやポメラニアンなどの小型犬ほどのサイズのドラゴンが――全世界全種族から恐れられている死告龍のリューが、嬉しげに啼いて応える。

「くるるるるるっ!」

 サイズ以外は死告龍とまるで変わらない姿をしたその小さなドラゴンは、自分の名前を呼ばれるのが嬉しいと言わんばかりに、聖羅の上で高らかに啼くのであった。

つづく

バスタオル一枚で異世界転移 第二部 第四章 3


 襲いかかってくる植物の魔物。
 最初に反応したのは、フィルカードの姫・ルレンティアだった。
 彼女は獣人の身体能力を遺憾なく発揮し、聖羅とアーミアを抱えて横へと逃げる。
 本当は後退したいところだが、聖羅は結界に移動を阻まれてしまうため、横に逃げざるを得なかった。

(これは――まずいにゃ!)

 植物の蔓が進行方向を遮るように伸びていた。
 ルレンティアひとりなら爪を振るって切り裂くこともできるが、左右に抱えている状態ではそれもままならない。
 どちらかは手放さなければ、全員捕まってしまう。
 即断即決の判断力には自信のあるルレンティアだったが、このときばかりは数瞬躊躇した。神々の加護の防御力を持つ聖羅を手放すべきとは考えたが、彼女の心証的にはどうか。
 ルレンティアは聖羅と交流するためにやって来ている。
 見捨てるつもりなどなく、全員が捕まらないために必要な処置とはいえ、一度抱えた相手を囮のように使うことを聖羅がどう感じるか。その見極めはまだし切れていないのが現状である。
 アーミアならば間違いなく戦略的判断だと理解してくれるだろうが、アーミアには聖羅ほどの防御力がない。先ほど殺されかけていたこともある。
 二人のうち、どちらを優先すべきか、さしものルレンティアも即断は出来なかった。

「ルレンティア!」

 そんなルレンティアの思考の迷いを、アーミア自身が叱咤する。
 はっ、としたルレンティアは、その短いアーミアの呼びかけの真意を受け、アーミアを手放した。
 片手が自由になったルレンティアは、爪を振るって伸びていた蔦を切り裂き、包囲網を突破する。
 その場に落とされたアーミアは、地面に向けて杖を振るい、その場に空気のクッションを発生させ、落下の勢いを殺す。
 だが、その時にはアーミアの眼前には数多の蔓が迫っていた。
 ルレンティアに抱えられながらその光景を見た聖羅が悲鳴をあげる。

「アーミアさん!」

 青ざめたその顔は本気でアーミアを心配しているものだった。
 アーミアはそんな聖羅の表情を見て、彼女が邪悪な者ではないことを確信する。
 そして、この場を凌ぐために、切り札を用いることにした。

「来たれ――神聖法衣」

 アーミアの身体を覆うように、幾重にもベールが重ねられた形状の服が現れる。
 同時にアーミアは着ていた聖女風ドレスを脱ぎ去っていた。神聖法衣が下着姿の彼女を覆う。
 その彼女の身体に蔦が絡みつき、締め上げるが、神聖法衣が光を発し、アーミアは蔦が絡みついた状態でも平然としていた。
 それを見た聖羅は目を見開く。

「あ、あれは一体……?」

「にゃるほど、あれが神聖法衣なんだにゃ。せいらんのバスタオルと同じ『神々の加護』を持つ衣服のひとつだにゃ」

 枝から枝に跳んで、襲いかかってくる蔦を避けながら、ルレンティアは聖羅に教える。
 非常に細かいレースを幾重にも編んで作られたその神聖法衣は、芸術品の域に達しており、有する加護もかなり強いものだ。

「衣服の神はどうも単純な造りで丁寧な縫製の衣服の方を好むみたいなんだにゃ。それを目指して作られたのが、あーみんの身に付けている神聖法衣ってわけにゃ。聞いた話にゃけど、防御力だけでなく、魔法の効果や威力も向上するらしいにゃ」

「そ、そうなんですね……なら、大丈夫なのでしょうか」

「いや、それでも完全防御とはいかないのにゃ。だから、あーみんが時間を稼いでくれてる間に、なんとか本体を叩くにゃ」

 つかず離れずの距離を取りながらルレンティアは植物の魔物の隙を伺う。
 そんなルレンティアに対し、聖羅は声をかけた。

「……ルレンティアさん、私を囮に使ってください。大丈夫ですから」

 本来なら、最初に囮になるべきは自分だったと聖羅は理解していた。
 絶対防御を持つ自分なら、隙を見極めるまでに多少時間がかかっても平気である。
 なのにルレンティアがアーミアを先に手放したのは、自分に対する遠慮が原因だと、察していたのだ。
 ルレンティアは聖羅の言葉を受け、彼女の表情を見て、先ほど自分が心配したようなことはないと悟った。聖羅の本質が少しずつわかってきたのだ。
 こうして交流しに来た甲斐があるというものである。

「……ありがとうにゃ、せいらん。一番良いタイミングでそうさせてもらうにゃ!」

 ルレンティアは植物の動きを見極めるべく、さらに行動を開始する。
 一方、アーミアは全身を植物に締め上げられつつも、先ほどと違って少し余裕があった。
 神聖法衣はその加護の力を発揮し、締め上げてくる植物の蔦の力を弱めてくれている。

(さて、どうしよう)

 アーミアは杖を手放していなかった。攻撃魔法は撃てるが、それで刺激するのが正しいのかどうかわからない。
 それに、植物に捕らえられている妖精たちを巻き込んでしまうというのも問題だった。
 妖精は比較的人間に好意的な魔族であり、極力殺さないことが良いとされている。
 妖精殺しは今後妖精の助力を得られなくなることを意味し、極力避けなければならない。

(この植物のコアはどこ?)

 中央の大きな花がそうかと考えていたが、彼女の鋭敏な魔法の感覚は魔力の集中度合いから、それが魔物のコアではないということを察していた。
 植物とはいえ、這って移動していることから、地中にあるわけでもないことも確かだ。
 植物の周囲を跳び回りながら移動しているルレンティアと視線が合う。
 ルレンティアもコアが見つけられないらしく、首を横に振っていた。

(最悪なのは、この大きな花さえも末節にすぎないってことだけど……)

 結界の端に到達していたアーミアたちは、空間の端にいることになる。
 そうすると、本体は空間の中心にいて、この大きな花は末節という可能性も高い。魔界が出現してからの時間を考えれば、そこまで巨大な存在に育っているとは考えにくいが、可能性は零ではない。
 空間の中心にルレンティアたちに向かってもらうべきか。
 そう考えるアーミアの身体を、植物の魔物が持ち上げた。
 中央の花の中心に開いた口が上を向く。

(まるごと飲み込む気……?)

 アーミアはぞっとするものを感じたが、神聖法衣の防御力があれば耐えることは可能だとも感じていた。
 しかし、植物の魔物が開けた大口に黒い霧のようなものが満ち始める。
 即死属性が宿っている証拠だった。
 神聖法衣は神々の加護を有するため、即死属性にも高確率で耐えることが出来るが、死ぬ可能性はある。
 だが、アーミアは動じなかった。それが来た時のために準備はしてあるのだ。

「現し身――召還」

 そうアーミアが杖に力を込めながら唱えると、空中にアーミアの分身が現れた。
 そのアーミアの分身は、重力にしたがって植物の魔物の口の中へと落ちて行く。
 植物の口が動き、分身の身体に食いついた。口の内側に生えたトゲが分身の身体を容易く食い破っていく。
 ベキベキと骨が砕け、プチプチと肉が千切れて潰れる音が響く。
 分身とは言え、自分と同じ姿をした者が食われていく様は、相当恐ろしい光景であった。
 しかしその甲斐あって、植物の口の中に発生していた黒い霧は消滅している。

(……ん? この感じ、もしかして……)

 現し身はただの分身ではない。
 限りなく本人の性質に近く、本人を危険に晒さずに様々な実験が出来るということで、分析調査に活用されている。
 それはもし自分がこの植物に食われていたらどうなるか、という実験が行えたということだ。
 分身の身体を構成していた魔力はアーミアの指揮下にあり、その魔力がどう植物の中を流れていっているのかが手に取るようにわかる。

「あーみん! 助けた方がいいかにゃ!?」

 そうルレンティアが声をかけたのは、植物の魔物が今度こそアーミア本人を開いた口の中に入れようと動き出したためである。
 ルレンティアもアーミアの使った現し身の性質を知っている。ゆえにアーミア本人を助けた方がいいのか、尋ねたのだ。
 その質問に対し、アーミアが応える。

「大丈夫! 中から魔力を流すから、それを辿って!」

 最低限の指示であったが、ルレンティアはアーミアの意図を汲み取った。
 高い位置の木の枝に飛び上がり、全体を俯瞰して見れる位置取りを行う。

「せいらんも見てて欲しいにゃ! いまからあーみんが魔力を流してくれるにゃ!」

「え、あ、はい!」

 聖羅にはルレンティアやアーミアが何をしようとしているのかわからなかったが、良く見ろと言われたため、下に広がる光景を見た。
 その彼女たちの前で、アーミア本人が植物の大きな口の中へと落下していった。
 アーミアが食われる様を見て、聖羅の顔が青ざめる。

「あ、アーミアさん、大丈夫でしょうか……」

「大丈夫にゃ。神聖法衣が守ってくれてるにゃ」

 そういうルレンティアであったが、さしもの彼女も不安そうな目をしていた。
 花の中に取り込まれたアーミアと言えば、周囲から絡みついてくる細い触手のようなものや、どろどろとした粘性のある分泌液に辟易しながらも、冷静であった。
 トゲが体に食い込もうとしても、神聖法衣の防御力は遺憾なく発揮されており、今のところ身体が傷ついたり、痛みを発したりすることはなかった。
 どろどろした液体を容赦なくかけてくるため、呼吸には難儀したが、完全に呼吸が阻害されるということはない。

(ああもう、気持ち悪い……! 早く、して……!)

 全身くまなくどろどろになりながらも、アーミアはその時を待つ。
 程なくして、ようやくアーミアの目的の行為が始まった。
 魔力を吸われる感覚。この植物は捕らえた者から魔力を吸い取り、それによってアーミアをも幻惑する結界を生み出していたのだ。

(魔力を吸い取るのなら……その魔力に細工をしてやればいい!)

 アーミアはあえて植物に魔力を流した。
 その魔力には、色の変わる細工をしておく。
 それによって吸い取った魔力がどこにどう流れていくのか、はっきりわかった。
 残念ながら魔力を持たず、魔力を感知できない聖羅には見えなかったが。
 ルレンティアには、アーミアの目論見通り、吸収された魔力がどこに向かっているのか、よくわかった。

「よし、見つけたにゃ! せいらん、ごめんにゃ!」

 ルレンティアは聖羅を枝の上に置いて、全速力で移動を始めた。
 おいて行かれた聖羅の元に蔓が迫っていたが、ルレンティアは脇目も振らずに一点を目指して跳ぶ。
 気づかれたことに気づいたのか、植物の魔物が慌ててルレンティアに向かって蔓を伸ばしかけたが、もう遅い。

 ルレンティアが何もない空間に向かって爪を突き出すと、その爪の先に光り輝くオーブのようなものが貫かれていた。

 魔物のコアは、最初から植物のすぐ近くにあったのだ。
 ただ、何重にも幻惑の魔法がかけられており、アーミアやルレンティアにも気づけなかった。
 だがアーミアが捨て身で魔力を植物に流し、その魔力をコアが吸収してしまったことで、移動していた魔力が唐突に見えなくなる空間があることを、ルレンティアに見破られてしまった。
 コアを破壊された植物の魔物は、全体が急激に枯れていき、捕らえていたアーミアや妖精たちを力なく解放した。

「あーみん! 大丈夫かにゃ!?」

 ルレンティアは枯れた大花の中で、同じく枯れ果てた触手達に絡みつかれた状態であった。
 かけられた液体は消滅したりしなかったため、全身どろどろのままである。

「無事だけど……動けない。これ切って」

「任せるのにゃ」

 アーミアの身体に絡みついているものを、ルレンティアの爪が切断していく。

「……助かった」

「お互い様なのにゃ。というか、あーみんが言ってくれなかったら全員捕まってたかもしれないのにゃ」

「大丈夫ですかーっ、おふたりともーっ」

 木の上から聖羅が声を張り上げる。彼女にはバスタオルの加護があるため、飛び降りても死にはしない。
 だが、死なないからと言って、建物でいう三階分はありそうな高さから飛び降りれるかといえば、そうではなかった。
 それがわかっているので、ルレンティアはのんびりと応える。

「大丈夫にゃー。でもあーみんの拘束を解くから、ちょっと待ってて欲しいのにゃー」

「はーい、周囲の警戒をしておきますねー」

 心得たという様子の聖羅に、ルレンティアは安心してアーミアの解放に集中することができた。

「せいらん、良い子だにゃ」

「それはわかってた」

「えー、そういうの、ずるいにゃ」

「……むぅ。言い方を間違えた。信頼してもいいと思う。気になることはあるけど、たぶんセイラさん自体は邪悪じゃない」

 そういうアーミアが、ようやく自由の身となった。
 花の中から引っ張り出され、地面に降り立つ。

「ありがとう、ルレンティア」

「どういたしましてにゃ。……それにしても、ちょっとその服は刺激強すぎじゃないかにゃ?」

 そうルレンティアが指摘したのは、アーミアの身に纏う神聖法衣のことである。
 薄いレースで出来たベールを幾重にも重ねた形状のそれは、彼女の体を透かして見ることが出来るほどだ。
 いくら神々の加護を得るためとはいえ、うら若き娘であるアーミアが身に着けるには少々、過激な服装ではあった。
 指摘されたアーミアは顔を赤くしながら、そっぽを向く。

「ほっといて……仕方ないじゃないこういう構造なんだから」

 言いながらアーミアは魔法を唱え、植物の分泌液を綺麗に除去する。
 この世界の者であれば大抵の者が使える、清潔化の魔法であった。
 液体で全身ドロドロになっていたアーミアだったが、その魔法のおかげでそれらを消すことができた。
 ルレンティアは恥ずかしがるアーミアを見て、からからと楽しげに笑っていた。

「大丈夫だにゃ。フィルカードならそれくらいの服装はふつ……あーみん?」

「なに?」

「言いにくいんにゃけど……その、下着が……」

「下着?」

 アーミアはルレンティアの指摘に、自分の身体を見る。
 神聖法衣は無事だった。宿っている神々の加護に問題はなく、若干それ自体が光っているようにさえ見える神々しさだ。
 問題は、その下。レース越しにうっすら見えるアーミアの身体である。
 そのすべてがはっきり見えていた。
 身に着けていたはずの、下着がなくなっていたのだ。
 それは植物の分泌液の効果か、あるいは神聖法衣の下に潜り込んだ触手にいつの間にかはぎとられていたのかは、定かではない。

 現実として――アーミアはうっすら透ける神聖法衣だけの姿になっていたのだった。

 その事実を認識するまでに、アーミアは数秒の間を必要とした。
 そして、普段の物静かなアーミアからは考えられない、大きな悲鳴をあげるのであった。

つづく
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